2014年2月20日木曜日

上条「まきますか? まきませんか?」 1

 
※未完作品
 
1VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/20(土) 15:58:13.15 ID:2Z2/dwEo
この正月くらいにVIPでスレを見つけ、徹夜明けのノリで書き始めて、結局息が続かなかった上条&真紅ものです。
なんとかプロットくみ上げたので、せっかくなのでこちらに公開したいと思います。
焦ってやると二の舞になりますので、ゆっくりとやっていきますがご容赦を。

上条と真紅が交差するとき、物語が始まる、というところで。
2VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/20(土) 16:00:54.72 ID:2Z2/dwEo


 体育館に足音が響いていた。

 板張りの、広い空間だ。周囲に多少の生活音があろうとも、音が反響することに違和感はない。

 なにより、そこは元より運動するための場所である。足音はもはや必然と言えよう。

 しかしそれは誰が見てもおかしな状況であった。

 足音は、広さに反して2つでしかない。

 時刻は、もうすでに暗い時刻。

 にも関わらず、照明はひとつも点いていない。

 そして何より、破裂音や刃が空を斬る音が幾度も響いている。

 通常の使用意図とは明らかに逸脱した、異質。

 それを為したのは、当然、響く足音の主たちである。
3VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/20(土) 16:04:47.61 ID:2Z2/dwEo



「っ!」

 少女は床を強く蹴った。

 一瞬遅れて、顔の左真横を敵の一撃が上下に通り過ぎていく。

 ひゅん、という空気を切り裂く音が、耳元でパチパチと鳴る―――己の能力の余剰エネルギーによるものだ―――電気の音と混じり、切られた髪の一房が空を舞った。

「このっ!」

 罵声ギリギリの声とともに、少女の体から青白い電光がほとばしり、彼女を中心に放射状に放たれた。

 敵は大上段からの一撃を仕掛けた直後だ。通常ならば避けられるはずがない。

 しかし。

「ふっ!」

 敵は小さく息を吐き、慌てることなく己の武器を床に突き立てた。

 敵の武器は、何の冗談なのか、鋭く大きな鋏。そんなものを自在に操り、少女を攻撃し続けているのだ。

 片方の刃が床に刺さる一方、90度の角度を保持したもう片方の刃―――その先端が、撒き散らされる電流に向いた。
4 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/20(土) 16:05:38.64 ID:2Z2/dwEo

「っ!」

 電気的特性に従って、電撃は鋏の先端に集中し、そのままアースのように床に流し散らされる。

 一瞬にして攻撃を無力化された少女。敵が鋏を床から抜くタイムラグを追撃に使うのではなく、間合いを外すための跳躍に消費する。

 床を蹴る音が再び響き、ショートカットというにはやや長く、セミロングにはまだ短い茶色がかった髪が、相対的な風に小さく揺れた。

 助走なしで数メートルを稼げたのは、能力で筋肉への電気刺激を補正強化しているためだ。いまの彼女の身体能力は、通常の人間よりもずっと高い。

 にも関わらず、前髪から覗く彼女の瞳には、強い焦りが満ちていた。

 視線の先で、敵が鋏を構えなおした。

 子供のような―――下手すれば幼児とも見えそうな小さな身体に、それよりも大きかろうという鋏。

 高い窓から入る見事な月影に浮かんだその姿は、まるで死神の様。

 そして、
5 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/20(土) 16:06:27.01 ID:2Z2/dwEo

「はっ!」

 死神の踵が、タン、と床を鳴らす。

 稼いだ数メートルを一気に食いつぶし、敵の鋏が少女の眼前に迫った。

「っっっ!」

 驚きの声をあげる暇なく、少女は身を捻る。

 動きについていけず、空に取り残された制服の襟元が、突き込まれた鋏の先端に引き裂かれた。

 常盤台中学校。

 この都市に住む者ならば知らない者はいない名門校の制服が、少女の身からどっと吹き出した汗に濡れる。

 いま回避できたのはただの偶然に過ぎない。本当なら、いまので終わっていたはずの一撃だった。

 そして、それを為した相手はいまだ目の前だ。

 薄闇に浮かぶ敵の瞳。左右で異なるオッドアイ。それに見据えられ、少女の心に今こそ本物の恐怖が巻き起こった。
6VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/20(土) 16:08:01.42 ID:2Z2/dwEo

「わあああっ!」

 生存本能が叫びを生み、体を動かした。

 逃げの一手だったはずの脚が力強く踏み出され、振り上げた両手に電撃が集約する。

 力を周囲に放つのではなく一点に集中させたその掌を、少女はオッドアイの死神にたたき付けた。

「!」

 追撃の予備動作に入っていた敵は、予想外の反撃に目を見開いた。

 辛うじて持ち上げた鋏で少女の両手を受け止める。だが先ほど利用した電気的特性が、今度は牙を剥いて己に襲い掛かった。

 鋏を通し、苛烈な電撃が体を貫いていく!

「ああああああっ!」

 大きく空間が弾け、バン! とオッドアイの小さな体が吹き飛ばされた。

 体勢制御もままならないず、板張りの床にたたき付けられ、ゴロゴロと転がる。

 手から離れた鋏が僅かに遅れて床に落下し、ガチャリと金属的な音をたてた。
7 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/20(土) 16:09:05.32 ID:2Z2/dwEo



「はあっ、はあっ、はあっ」

 少女は己の攻撃の結果に半ば信じられない表情。衝動的な行動だったため、目の前のことに現実感がない。

 だが現実に相手は倒れ伏し、ぴくりとも動く様子を見せなかった。

「・・・・・・」

 大覇星祭が終了して数日。

 祭の規模が大きければ、それに応ずるように、後片付けもまた大騒ぎになるのが道理と言うもの。

 今日はその片付け最終日であり、明日からはその振替の連休だ。

 この体育館の片付けを担当していた少女はつい気が緩み、体育館の日だまりで眠ってしまっていたのだ。

 日が沈んだ気温の低下で目を覚まし、迫る門限とほっといて帰った同級生たちに恨み言を言いながら体育館を出ようとしたところに、いきなり襲い掛かってきたのが、このオッドアイだった。

 強制的に始まった戦いは、終始こちらの劣勢。この結果は、本当に偶然と偶然が重なったものだと確信できるものだった。

 だが、一瞬だけ少女の顔に浮かんだ安堵の色は、

「へー、すごいのね。この子を倒しちゃうのは流石、かな」

「!」

 不意に響いたもう一つの声によって、再び緊張に彩られた。
8 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/20(土) 16:10:27.96 ID:2Z2/dwEo

 少女と同年代の高い声。

 右に転じた視線の先には、閉じた体育館の出入口ドアに背をつけた、セーラー服姿の女。

 オッドアイとともに現れ―――しかし戦闘には介入しようとしなかった者だ。

 青い月光に照らされ、後ろ手に手を組んでこちらを見つめている彼女の口元には、嘲りとしか見えない笑みが浮かんでいた。

 ぎっ、と歯を噛み締め、セーラー服に向き直る少女。あわせて、己が能力を発動。

 汗で頬に張り付いた髪が、電流にバチバチと鳴りはじめた。

「なに余裕こいてんのよ・・・次はあんたの番だからね」

「へぇ?」

 その言葉に、セーラー服がドアから背を離す。

「!」

 ゆらり、としたその動きに、少女は自分の体が強張るのを感じた。

 セーラー服の笑みが深くなる。

「ふふっ、そんなに警戒しないでほしいわ。はっきり言ってワタシじゃ勝負にもならないから。ワタシ自身は無能力だからね」

「・・・・・・」

 そんな、この都市では圧倒的な不利を意味する言葉を告げながらも、セーラー服は笑みも余裕も崩さない。
10 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/20(土) 16:12:56.15 ID:2Z2/dwEo

 警戒をまったく緩めない少女に肩を竦めるセーラー服。次いで、顔をいまだ倒れ伏したオッドアイの方に向け、

「蒼星石、大丈夫かしら?」

 と、言った。

「・・・く・・・は、い・・・マスター・・・」

「!」

 その声に応じて僅かに身じろぎするオッドアイ。

 少女は慌ててそちらに視線を向けるが、セーラー服への警戒を緩めるわけにはいかない。

 対するセーラー服はそんな少女の様子をまったく意に介していないように、言葉を続けた。

「いいわ。少し休んでなさい。この女はワタシがなんとかするから」

「はい・・・もうしわけ、ありません・・・」

 オッドアイは言葉を返し、そのまま力つきたように再び動かなくなった。

「・・・・・・」

 少女の両目がセーラー服に向く。

 オッドアイがしばらく動けないのは間違いなさそうだ。 

 だったら、いまのうちにこいつを倒してしまえば・・・

 少女の腰が僅かに沈み、拳が握り締められた。
11VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/20(土) 16:15:09.10 ID:2Z2/dwEo

 一足で跳び込み、拳を叩き込む。

 電撃ならば光速で相手を射抜けるが、オッドアイが使ったような方法で回避される可能性がある。

 この状況で確実に勝負をつけるには、直接攻撃の方がいい。

「・・・・・・」

 脚に微細電流を流し、筋力を強化する。

 そして、ぐっ、と力を篭めて跳び掛かろうとした―――その直前。

「そうそう」

「!」

 くるり、とまるでそれを読んでいたかのように、セーラー服が少女に向き直った。

 出鼻をくじかれ、踏み出しかけた脚がとまる。

 セーラー服はクスクスと笑いながら、

「これ、なーんだ?」

 後ろ手にしていた両手のうち、右手だけをゆっくりと少女に差し出した。
12 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/20(土) 16:16:07.50 ID:2Z2/dwEo

「・・・・・・」

 少女は構えをとかないまま、そこに視線を向ける。

 突き出されたその手にあるのは、

「・・・なに考えてんのよ、あんた」

 忌ま忌ましそうに、少女が言った。

 20㎝にも満たない小さな人形。

 セーラー服の手にあったのは、そんな物だった。

 陶器のような材質なのか、艶やかな表面が月の光で濡れている。

 だが少女が不愉快そうに眉をしかめているのは、セーラー服の態度でも、場違いな物を差し出されたことに対してではない。

「なにって、お人形よ? 人形遊びとか、嫌いかしら?」

 楽しそうに小首を傾げる。ほらほら、と小さく人形を振る態度がさらに堪に障った。

「ふざけんじゃないわよ! あんた、そんなもん出してなんのつもり!?」

 バチバチッ、と電撃が弾ける。
13 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/20(土) 16:17:02.45 ID:2Z2/dwEo

 少女が激高した理由。

 セーラー服の持つ人形は、まるで生き写しのように少女にそっくりだったのだ。

 いま着ている制服も、髪型も、髪留めすらもまったく同じ。

 このまま大きくすれば、間違い探しにだって使えそうなほどの精巧さがある。

 この様子ではおそらく、制服の下も完全に揃えているに違いない。ちらりと見えたスカートの中身から考えても、間違いなさそうだ。

 余程に入念に観察をしなければ、とても造れそうもない精度である。

 いつから自分を観察していたのか。ずっと見られていたのか。

 そう思うと、ぞっとするどころの騒ぎではない。

 だが、怒りと怖気の混じった少女の視線を真正面から受けても、セーラー服の笑みは陰りなかった。

「ねぇ、アナタは偶像の理論って知ってる?」

 それどころか、まったく悪びれない調子でそんなことを言ってくる。

「・・・・・・」

 少女は反応しない。

 それに構わず、セーラー服は続けた。
14 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/20(土) 16:17:55.14 ID:2Z2/dwEo

「簡単に言うと、似た物には本物と同じ力が宿るし、その逆もあるって理論なんだけど」

 一息。

「まぁちょっとしたおまじないよね。そんなの完璧にできちゃったら、神様だって堕ちてきちゃうもの。普通はできないし、できても0.00000何%くらいの力にしかならないのよ」

「・・・・・・」

「まぁそれはそれとして・・・いまの理論とこのそっくりな人形。これでワタシの言いたいことわかってくれると嬉しいんだけど」

「・・・その人形が私で、私はあんたの手の中だって言いたいの?」

「んー、半分正解かな。前半分はね、そういう意味。これは、このお人形は、アナタ」

 つん、と人形を持つ手の親指で、精巧なその顔をつつくセーラー服。

「でもさっき言ったわよね。そんなの普通じゃできないし、できても弱っちいの。・・・だったら、普通じゃない場所でなら、どうだと思う?」

「・・・・・・」

 少女は息を吸い込み、再び腰を沈めた。

 もうこんな無駄話に付き合うつもりはない。こうしている間にも、辛うじて無力化したオッドアイの回復が近づいてしまうのだから。

 電流が筋肉に干渉し、力を蓄える。

 一撃の準備に入った少女を見ても、セーラー服は慌てない。
15 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/20(土) 16:18:52.03 ID:2Z2/dwEo

「ではここで問題です」

 変わらぬ笑みを浮かべた彼女はいったん言葉を切り、

「さっきからアナタは蒼星石とドンパチしてきましたが、なんでこの体育館には傷がついていないでしょう」

 と、言った。

「!?」

 思ってもいなかったことを告げられ、瞬間的に少女の脳裏に疑問が浮かぶ。

 視界に映る範囲では、確かに、まったく壊れた部分がない。

 戦いの最中にはそんなことを気にする余裕がなかったが、これは明らかに異常だった。

 オッドアイの鋏でも床板は割れるだろう。壁も削れるだろう。

 だが自分の電撃の威力なら、もうこの体育館は全壊していてもおかしくないのだ。

「・・・・・・」

 普通の、体育館じゃなくなっていた。
16 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/20(土) 16:19:46.35 ID:2Z2/dwEo

 そして先ほどの言葉。

『似た物には本物と同じ力が宿る』

『このお人形は、アナタ』 

『普通じゃない場所でなら』



 ・・・そんな、馬鹿なことが



 その疑惑が意識の空白を生み、跳び掛かる動作を一瞬だけ遅らせる。

 それが明暗をわけた。

「大丈夫よ。それにしたって、ほんの数%だから」

 セーラー服の少女が軽く告げ、人形を床に落とした。

 間髪を入れず、右足で踏み砕く。



 暗い体育館。

 悲鳴が上がり、続いて、人の倒れる音が響いた。
17 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/20(土) 16:21:57.45 ID:2Z2/dwEo


それはいつも通りのある日のことであった。
上条当麻はベランダに布団を干そうとすると、ある一通の封筒が置かれている事に気付いた。
最初は風で吹き飛ばされてきたのだろうと思ったが、封筒には”上条当麻様”と書かれており、その他には住所も差出人の情報すらも書かれてなかった。
「何だこれ?…別に自分の名前宛てなんだから開けてもいいよな…」
そんなことを思いつつ封筒を開けてみるとそこには一枚の紙が入っていた。
中身を読んでみると
「おめでとうございます上条様!!!貴方は54128人の中から厳正な抽選にて選ばれ、『幻想御手(レベルアッパー)』を獲得することができる幸運な学園都市の人です!!!
チェックをしたら、そこから外へこれを紙飛行機の形にして飛ばしてください。人口精霊ホーリエが異次元より貴方の手紙を回収に参ります。」
その手紙の最後には”まきますか まきませんか”と大きな文字で書かれていた。
「新手の詐欺か?全く、上条さんはこんな面倒な事に付き合ってる暇なんかないってのに…」
そんな独り言を呟きながらも、手紙に書いてある”幸運な学園都市の人”という文字列に思わず目を奪われてしまい、ふとした思いで”まきます”の方にチェックをして、紙飛行機の形に折り外へと投げた。
「こんな事で能力者になれたら上条さんは今頃不幸じゃないですよ…」
そんな事を思いながらも上条は心の奥底で何かを感じていた。
新たな何かを---
18 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/20(土) 16:23:28.39 ID:2Z2/dwEo



 布団を干し終えた上条は、一度大きく伸びをして、秋の空を見上げた。

「大覇星祭も終わったし、旅行先のゴタゴタもなんとかなったし、しばらくは静かだといいんだけどな・・・」

 呟きながら、ここ数ヶ月のことを思い出す上条。

 気がついたら記憶がなくて、同居人が増えてて、魔術師の知り合いが出来てて、数日ペースで命のかかる様々極まりない騒動が気軽に巻き起こる日々。

 そんな思い出というには新しい記憶が、吹く秋風とともに上条の脳裏を通り過ぎていく。

「よく生きてるよなー、俺・・・不幸だ」

 数ヶ月前に件の同居人がひっかかっていた手摺り。そこにに手をかけた彼の口から、割と本気の感想がついてでた。

 言葉だけなら、自分の境遇を歎く一言。

 だが、彼が浮かべているのは、やや苦笑が混じっているが微笑みに属するものである。
19 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/20(土) 16:24:45.29 ID:2Z2/dwEo

 自分の境遇を嘆き恨む者には、決して出来ない表情だった。

 それに彼は気づいているのかいないのか。

「さて、じゃあさっさと洗濯物を干しちまうかな」

 ともあれ、上条はもう一度伸びをしてから、部屋に戻る。

 まだ一日は始まったばかりで、今日のうちにやりたいことは多いのだ。

 そうして一歩、ベランダから室内に脚を踏み入れた上条を待っていたのは、



 右足の小指がちょうど当たる位置に置かれていた、大きな鞄であった。



「へ?」

 そんなところに鞄が置いてあるなど、想像していない。

 だから彼の右足は、まるで吸い寄せられるようにその鞄に向かう。

 それも綺麗に小指が当たる角度で。

 コツン、とかわいらしい音とともに、

「っっっ!」

 上条は、右足を押さえてのたうちまわることとなった。
20 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/20(土) 16:25:49.33 ID:2Z2/dwEo


「な、なんだこれ?」

 上条はひとしきりもがいた後、涙目で鞄を見下ろした。

 痛々しく腫れが上がった指も気になるが、いまは鞄である。

 ついさっきまでこんなものはなかったはずだ。ついでに、こんな鞄を持っていた覚えもない。

「・・・じゃあ、インデックスのか?」

 自分ではない以上、可能性があるのは同居人の私物ということ。

 しかし彼の同居人である腹ペコシスターは、こんなもの持っていなかったはずだ。

 いまでこそ多少の私物は増えたものの、基本的に生活用品くらいしかないはずである。

「高そうな鞄だし、それはないか。小萌先生からもらったのかもな」

 インデックスにも、当の上条にもこういったものを購入する機会も財力もない。

 ついでにこの町の半不正規滞在者であるインデックスには、バイトして稼ぐこともできないはずである。

 可能性があるとするなら、誰かからのもらいもの、というところだろう。

「でもおかしいな。さっきまでこんなの置いてなかったはずだけど・・・」

 不思議そうに首を傾げる上条。
21 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/20(土) 16:26:43.58 ID:2Z2/dwEo

 件のインデックスは、朝早くから小萌の家に出掛けている。

 なんでも買い過ぎて賞味期限ギリギリの食材を一気に片付けるためにインデックスの力を借りたいとのことだった。

 そういう話に食欲最優先の彼女が動かないわけがなく、今日は泊まり込みで食べてくるらしい。

 いままで何度か泊まりに行っているが、そのたびに手ブラなのを気にして小萌が用意してくれた可能性は十分にあった。

 おそらくお泊まりグッズを詰めて、しかし普段の習慣どおりに手ブラで出掛けたのだ。

 ただでさえインデックスである。食事が用意されている状況下なら、その辺りが抜け落ちても不思議はない。

「せっかく用意してくれたのに忘れていってどうするんだよインデックス・・・」

 と、上条は呟いた。

 彼の中で納得のいく理由が思い付いたせいで、もう鞄が誰の物かということはほぼ決定状態になってしまっている。

 床の上に置いてあることも、何らかの勘違いで気がつかなかったのかもしれない。

 普通はこんなものが床においてあれば100%気がつくに違いないが、ここは学園都市だ。

 誰かが外でおかしな能力を使って、その余波が出たのかもしれない。

 場合によっては、高価な鞄をもらった鞄インデックスが後ろめたくて何かしらの魔術でも使って隠していたのかもしれない。

 彼女は魔術は使えないと聞いているが、いままでも何度か戦闘でそれらしいことをしていた記憶がある。

 純然たる魔術といえなくてもそれらしいことが出来ても不思議はなかった。 それが何かの拍子に、自分の右手に触れたのだろう。
22 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/20(土) 16:27:22.33 ID:2Z2/dwEo

「どうするか・・・っても、届けてやるべきだろうなこれは」

 気がついた以上、それをそのまま放っておくのは性にあわなかったし、何より上条家の経済破綻をギリギリで回避していられるのは、小萌の食事会によるところが大きい。

「義理と人情を欠いては浮世は渡れないと思うのですよ上条さんは」

 呟きながら、鞄の取っ手に左手をかけた。

 かなり大きい鞄だが、力には多少自信がある。それに中に入っているのはおそらくタオル程度であろう。

「よっ、と」

 上条は一気に持ち上げようとして、

「!?」

 ズシリ、と予想外の重みが腕にかかった。

 完全に軽いものと信じていた上条だ。勢いがあまって、体勢が一気にまえのめりになる。

「お、わ、たっ」

 左手が無意識に鞄を離す。僅かに浮いていた鞄は床に落ち、代わりに重量感の消えうせた彼は、堪えるどころか一気にバランスが崩れた。

「っ」

 軽くなった彼の上半身が反射的にのけ反る。だがバランスに調整がついていかない。

「うわっ」

 それでもなんとか体勢を立て直そうとして脚を踏み出す上条。だがその足が、いましがた干そうとして床に投げていた薄手の掛け布団を踏み付けた。

 ずるり、と脚が滑り、視界が反転する。

「ふ、不幸だぁっ!」

 彼の嘆きの声が響き、その一瞬後、床に頭が激突する音がこだました。
23 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/20(土) 16:28:21.50 ID:2Z2/dwEo


「いてててて」

 湿布を貼って包帯でぐるぐる巻きにした右手で後頭部に保冷剤(上条家冷凍庫に入っている唯一のもの)を押し当ててながら、上条は鞄の前に腰を下ろした。

 鞄を持ち上げようとした、ただそれだけで、彼は後頭部強打と右手首捻挫という負傷をしてしまっている。

 負傷自体は悲しいことによくあることで、応急手当も慣れたものであった。

 それよりも、いまの彼はもっと重要なことがあるのだ。

「まったく、なにが入ってるんだこれ?」

 ポン、と左手で鞄を軽く叩く。

 持って行こうと思ったが、予想外に重いものだ。

 左手だけで持ち上げるのは、小萌の家までの距離を考えると、少々きつい。

 となると、残る方法は中身を見て、無用なものを出すしかまい。

 この段階に至って『持って行かない』という選択肢が出てこないところに、彼の人の良さが伺えた。

 ついでに、小萌の家に電話してインデックスに確認するという点に気がつかないあたりに、彼の単純さがわかる。

 さらに言えば、そもそも女の鞄を開けようとするな、と言う点に考えが至らないところに、彼のデリカシーの無さと鈍感ぶりが計り知れよう。
24 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/20(土) 16:28:48.86 ID:2Z2/dwEo

「えーと、留め金留め金っと・・・」

 などと言いながら、無事な左手で取っ手の脇にある留め金に指をかける。

 軽く動かすと、パチリ、と存外に軽い音をたてて留め金は外れた。

「鍵、かかってなくてよかった」

 かかっていたらお手上げだったに違いない。

 流石の幻想殺しも錠前を壊すことなんか出来ないし、何よりいまは包帯で皮膚が完全に隠れるほどぐるぐる巻きである。

 よかったよかった、等と呟きながら鞄を開ける。

 ギギギ、と小さな軋みとともに開き、徐々に見えてくる中身を見た上条は、

「え」

 カシッ、とその動きを止めた。

 彼が予想していた中身は、連れていったスフィンクスのためのネコ缶や、小萌の家でするためのゲームソフト(蔵上条家)が大量に、というものだった。

 だから、動きを止めるのも無理はない。

 中に入っていたのは、それこそ美術館に飾られていそうなほどの、綺麗な人形だったのだから。
25 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/20(土) 16:30:01.00 ID:2Z2/dwEo

 驚きと、人形の持つ息を呑むほどの美しさに、数呼吸。

「な、なんだこれ。こんなの、先生んちに持って行くつもりだったのか?」

 再起動した上条は、左手を鞄の取っ手にかけたまま、眉を潜めた。

 鞄の中には、本当に人形しか入っていない。予想していたネコ缶もゲームソフトもなく、ましてやタオルも着替えもなかった。

 そもそも身を丸めるようにして入っている人形だけで、鞄はいっぱいいっぱいである。これ以上何を入れるスペースはない。

 とはいえ、鞄そのものの装飾や大きさ、そして人形の『収まり具合』から考えて、明らかにこの人形専用の鞄に思えた。

「西洋人形・・・ってやつだよなこれ」

 鞄を完全に開けてしまい、つんつんと左人差し指で人形の頬をつつく。

 陶器のような硬い、しかし人の肌に吸い付くような不思議な質感を指先に感じた。

「小萌先生がこんなのをインデックスに? いやでも、だったらこれ持って行く意味わからねぇし」

 顔を上げ、腕を組む上条。

「だったらやっぱりインデックスの私物か・・・あいつ、いつのまにこんなもの」

 正直、インデックスの趣味とは思えなかったが、こうなるとそれ以外の線が考えられない。
26 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/20(土) 16:30:34.91 ID:2Z2/dwEo

 『記憶のあった上条』の私物という線もあったが、それはとりあえず否定することにした。

 いやその趣味そのものをどうこう言うつもりはないし、偏見もない。

 ただ、以前に失った記憶を補完しようと、自分のアルバム等を探したときには、こんな鞄は見当たらなかったというだけである。

 それに、インデックス自身はあまり快く思っていないようだが、彼女にも一応故郷があり、その知り合いがいる。あの炎の魔術師や破れジーンズの魔術師が持って来ることだってないとは言えないのだ。

「明日、帰ってきたら聞いてみるかな」

 いま、それを確認する方法はなさそうである。

 上条はため息をつき、ふと、鞄の中で眠るような人形に目をやった。

「・・・でも、インデックスはこういう色が好きなのか。あいつシスター服だから、白以外のイメージなかったけど」

 そしてもう一度、つん、と人形の頬をつつく。

「こんな赤色の人形を持ってるとはねぇ」

 彼の言葉どおり、人形は全身で赤を纏っていた。

 洋服は言うに及ばず、ヘッドドレス、襟元の薔薇、履いている黒色の靴すらも光の加減によっては赤みを帯びて見える。

 異なる色と言えば、髪の金と肌の白くらいだろう。

「赤と白と金色でめでたしめでたしってところですか」

 極めて日本人的発想を口にする上条。

 いまだ日本の文化に馴染みの薄いインデックスにそれはないにしても、上条的には白い少女が赤い人形を抱いている情景は妙に縁起がよいように思えたのだった。
27 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/20(土) 16:31:25.34 ID:2Z2/dwEo

「あ、そういや大丈夫かな」

 覗き込むようにして人形を見ていた彼の顔に、若干の緊張が浮かぶ。

 彼が危惧しているのは、さきほどの開けようとして転ぶ事件を思い出したからだ。

 この鞄、転ぶ直前に手を離した拍子に、けっこうな勢いで床に落ちたような気がする。

「まずい、どっか壊れてたら・・・」

 これがそう安いものではないことはアンティークや芸術に疎い上条にも容易に想像できた。

 たとえ安価なものであったとはいえ、インデックスのお気に入りには違いない。

 ほとんど食べ物以外をねだらない彼女にして、その何倍もしそうな装飾の一品である。 それに傷をつけてしまえば、彼女はどう思うだろう。

 頭を噛まれるくらいならいいが、もし泣かれたりしたら切腹→火葬ものだ。

 いや、上条が自主的にしなくても、たぶん二人の魔術師が強制して来るに違いない。

 それに上条としても、そんな心が痛い事象は避けたかった。
28 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/20(土) 16:31:55.63 ID:2Z2/dwEo

「ちょ、ちょっとだけ確認を」

 頬に汗でも伝っているような感覚で、上条は人形に手を伸ばした。

 もし傷がついていても修理できるものではない。それでもこういうことは、気になりだしたら確認するまで止まれないのだ。

 傷がついていなければよし。

 もし傷がついてたら・・・土下座と高級料理フルコースで手を打ってもらいたい。

 そんなことを考え、左手を人形の脇の下に入れる。

「わっ、と」

 そのまま持ち上げようとするが、これが大きい。一抱え、というか、下手すれば幼児ほどもありそうだ。

 反射的に右手も添えようとして―――

「って、大丈夫かこれ触って俺」

 その右手をとめた。

 いまのところどこからどうみてもただの人形だが、これはインデックス関係のもの。

 魔術的な要素があれば、右手で触れるのは危ないかもしれなかった。
29 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/20(土) 16:33:22.72 ID:2Z2/dwEo

「・・・・・・」

 じっと包帯の巻かれた右手を見る。

 とはいえ、人形を調べるには片手じゃ厳しそうである。

 無理に持ち上げて床に直接落としたら、傷物まちがいなし。鞄ごとならばまだ言い訳もたつが、予測した上でそんなことになろうものなら目も当てられない。

「・・・ま、包帯でびっしりだし、大丈夫だよな」

 幻想殺しの効果は右手首から先で、直接触れたもの、という限定的なものだ。

 完全に包帯で覆われた今の状態なら問題あるまい。

「よっと・・・って、でかいし、重いなこれ」

 両手で『たかいたかい』でもするようにして持ち上げる。

 ずしりと両腕にかかる重量感。身長に対応するように、その重みも人間の幼児並だ。

「しっかし、すごいなこれ。芸術は爆発というわけですかそうですか」

 その顔を覗き込み、精巧さに思わずため息が漏れた。

 人のような大きさ、人のような重み、人と見間違いそうな精巧な顔形。

 そしてなにより、
30 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/20(土) 16:34:03.75 ID:2Z2/dwEo

「なんか色々な柔らかくて上条さんは大変ですよまったく」

 指は、意外な柔らかさを上条に伝えてきていた。

 なるほど、さきほど頬を突いたときの硬さや質感は、こうしてみると意外なほど人に近いものを思える。

 人そのものよりもやや硬いが、その差が逆に『人を模そうとした』ことを感じさせることとなっていた。

「ま、まぁ傷もなさそうだし、そろそろ戻すかな」

 と、妙に早口で人形を下ろそうとする。

 そんな彼の鼻先を、金色の髪が掠める。

 ふわり、と甘い香りが鼻腔をくすぐった。

「・・・・・・」

(って、いまなに考えてた俺そんな俺はその趣味はないないいやだってそんな土御門じゃあるまいし人形様にだってうわらばあばばばばば)

 ブンブンと頭を振る。

 いま顔が熱いのは気のせいだ、気のせい。そうじゃないと困る。

 思わず視線を逸らした上条。

 そんな彼の目が、ひとつの金属片が捉えた。

 ぱっと見て、ハート型のようにも見えるそれは、

「ゼンマイか、これ?」

 内心の動揺を自らごまかすように呟きつつ、ゼンマイを右手で取り上げる。

 包帯越しに金属の感触をかえしてくるソレは、正しくなんの変哲もないゼンマイだった。
31 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/20(土) 16:35:40.06 ID:2Z2/dwEo

「・・・・・・」

 視線を落とせば、自分にもたれかからせるようにして、膝の上で抱えた人形の、その背中が見えた。

 そこに、差し込み口のようなものがある。

「駆動式? カラクリ人形?」

 差し込み口とゼンマイの先端は同じ形だ。間違いなくそこに挿すものだろう。

「・・・・・・」

 いくら不幸に塗れても、いくらこの学園都市の学生として見ても異常な事態に遭遇していると言っても、上条は男の子である。

 こう言ったカラクリと言うたわいもない『おもちゃ』には心躍らされるものがある。

(ちょっとくらいなら、大丈夫、だよな)

 好奇心が動き出す。

 これだけ精巧な人形だ。駆動するとなれば、どこまで綺麗に動くのか見てみたい。

 それにもし動かしてみて、異常がなければ内部機構にも問題がないという証明にもなるのだ。

(そう、これは確認、確認なんですよインデックスさん)

 持ち主に無断で動かすという罪悪感を義務感という名目でごまかしながら、上条は手にしたゼンマイを、背中の穴に挿しこんだ。
32 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/20(土) 16:36:06.81 ID:2Z2/dwEo



 その瞬間だった。

33 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/20(土) 16:36:43.38 ID:2Z2/dwEo

 キリキリキリ・・・と軋むような音をたてて、ゼンマイがひとりでに動きはじめた。

「え・・・」

 上条の口から驚きの声が漏れる。

 反射的に右手を放すが、ひとりでにまかれていくゼンマイは止まらない。

 そして、呆然とする彼の目の前で、

「・・・・・・」

 ふわりっ、とさきほど鼻先を掠めた人形の髪のような軽やかさを持って、当の人形が空中に浮かび上がる。

「ちょっ、えっ、や、やっぱり魔術的なあれですか!?」

 無意識のうちに右手を胸元に引き寄せながら、左手で床を掻いて後ろにさがる上条。

 普通の人間なら、いや、この学園都市にひしめく能力者たちでも驚くような光景に、それでも素早く反応できるのは、いままでの経験ゆえか。

 驚きと、若干の警戒を宿した彼の視線の先で、人形が鞄の上、その空中に直立する。

 そのまま、まるで風になびくように、人形は鞄の上から床に水平移動。

 上条はそれを見守ることしかできない。
34 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/20(土) 16:37:29.20 ID:2Z2/dwEo

 そして、その彼の眼前で、

「・・・・・・」

 伏せられていた人形の目がゆっくりと開き、その切れ長の目が、すい、と上条に向いた。

「な・・・」

 上条が声を漏らしたのは、人形がこちらを向いたことにではなかった。

 人形の瞳。

 そこに篭められた、明確な敵意に対してである。

「・・・・・・」

 トン、と人形の靴が床に着地する。しかし上条に向いた視線の色は、種類を変えないままだ。

 赤い人形の左手が、ゆっくりと持ち上がる。

「くっ」

 右コブシを握る上条。手首が痛むが、この際そんなこと言っていられない。

 人形の視線―――その敵意は強くなる一方。

 そして、人形が一歩、脚を踏み出した。

 上条の、方に。

「お、お前っ・・・!」

 上条が言葉を投げかける。

「・・・・・・」

 だが人形は反応を見せないまま、ツカツカと歩をすすめてくる。

 人の脚で数歩の距離。やや小さい人形では、もう少しかかる。

 人形の手は持ち上げられているだけでいまのところなにも異常な様子はない。

 だが油断はできない。

 相手は魔術の結晶に違いないのだ。上条の右手同様、触れた瞬間にだけ効果を発するのかもしれなかった。
35 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/20(土) 16:37:56.20 ID:2Z2/dwEo

「!?」

(まずいっ、右手・・・!)

 上条が息を呑んだ。

 頼みの幻想殺しは、いまは包帯で完全に拘束されている。これではなんの意味もない。

 慌てて左手で包帯を毟ろうとするが、

「・・・・・・」

「!」

 もうその時には、人形は上条の目の前に立っていた。

(やべっ!)

 さらに後ろに飛びすさろうとする。 が、それよりも一瞬だけ早く。

「なんて起こし方をするの」

 ぶん、と上条の右頬に、彼から見て右斜め上から小さな手が振り下ろされた。

「うべっ!?」

 室内に、本日二回目のよい音が響く。

 こうして、上条の一日は、いつものように悲鳴と不幸から始まって行ったのだった。 
 
38 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/21(日) 15:29:44.15 ID:TgoUeT2o


「まったく、いきなりレディを床に落とすなんて、いつになっても男というのは野蛮なものなのだわ」

「まことに申し訳ありませんでした・・・」

「その上、無遠慮に頬と言わず鼻と言わず突付いてくるし・・・いまの世界の挨拶は、顔をつつくことから始めるのかしら?」

「滅相もございません、すべてわたくしの不徳の致すところであります」

 腰に手を当て、いかにも立腹してますという風情で見下ろしてくる人形に対し、上条がとった対応は男らしい土下座であった。

 もっとも、小さな女の子に少年とは言え大人に近い男がそうしている情景には、男らしさの欠片もないのだが。

 あの平手一閃から5分後の、上条家の情景である。

「・・・あなた、名前は?」

「不肖、わたくし上条当麻と申します」

「じゃあ当麻」

「なんでございましょうか」

「あなたの土下座はとても綺麗で見事なのだけれど、もう許してあげるから頭を上げて頂戴。そのままじゃ話しにくいわ」

「わ、わかりました」

「それと、敬語もいらないのだわ。あなたの普通がその敬語なら、別だけど」

「・・・わかった」

 なんとかお許しをもらって、顔をあげる。
39 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/21(日) 15:30:40.03 ID:TgoUeT2o
 つい先ほど彼の左頬を張り飛ばした西洋人形は、まるでそこが定位置であるかのように、上条家のソファーに腰掛けていた。

 ソファーに座っているのに腰に手を当てるという行動は妙に見えるが、本人(?)は気にした風はない。

 インデックスが怒ると噛み付いてくるのと同様、この人形はそういう癖でもあるのかもしれなかった。

 やっぱりペットと同じで魔術人形も持ち主の影響を受けるのか、などと考える上条であったが、それはともかく。

 人形がしゃべるという状況に、彼はそれほど違和感を感じていなかった。

 そのくらいの大騒ぎは何度も経験済みだ。

 ついでに言えば、これくらい小さい相手にお小言を言われるのも小萌相手で慣れている。

 それよりも、上条の心配事は別にあった。

「でも、本当に大丈夫なのか、背中とか、腕とか・・・」

 言いながら、心配そうな目を向ける上条。

 あの見事な張り手は、彼の頬に若干のダメージを与えたが、それ以上のことはなかった。

 むしろ彼にして土下座という方法をとる原因になったのは、床に落とした拍子に背中を痛めただの、散々体を弄繰り回されただの、レディに対して重いと言うのはデリカシーなさすぎとか、そっちの方の文言である。

 チクチクと心をえぐるようなその言葉の嵐に思わず土下座するしかなかったが、しかし上条には、それらがすべて悪意から来る言葉のようには感じなかった。

 怒っていたのも本当だっただろうが、それよりもむしろ、インデックスや、超電磁砲との掛け合いのような感覚だったのである。

 だからどうしても、その負傷が気になってしまう。
40 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/21(日) 15:31:22.56 ID:TgoUeT2o

「・・・・・・」

 人形は彼の言葉に軽く驚きの表情を浮かべ、ついで、ゆっくりと微笑んだ。まるで、何かを思い出したかのように。

「問題ないのだわ。あの程度で壊れてしまうほど、私は脆弱ではないもの」

「そうか、ならよかったよ」

 上条は、ほっと胸を撫で下ろした。

 自分のせいで修復不可能な傷を与えたとあっては、持ち主だろうインデックスにも、人形である彼女(?)自身にも申し訳がたたない。

「・・・変わった人間なのだわ」

「? なにがだよ」

「私と初対面で、こんな風に普通に話をした人はいなかったのよ。みんな驚いて、何かの仕掛けか、と疑ってきていたのに」

「・・・あー、それは、まぁ、慣れっつーか環境っつーか」

「慣れ? 環境?」

「ああ、それも説明しなくちゃな。インデックスより、あんたの方がしっかりしてそうだし」

「?」

「でもその前に、ひとつだけいいか?」

「なにかしら」

「その、あんたのことはなんて呼べばいいんだ? 人形とか、お前ってわけにもいかないだろうし」
41 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/21(日) 15:31:49.32 ID:TgoUeT2o

「・・・・・・」

 人形は再度、驚きの表情を浮かべる。

「?」

「ふふっ」

 こちらの表情の意味がわからなかったのだろう。

 不思議そうな顔をしている上条に、思わず笑みが漏れた。

(人形に名前があるのが当然と思っていて、それが普通な人間なのね。・・・ジュンですら、最初はそんなこと思ってもいなかったはずなのに)

「どうしたんだよ? 俺、何か変なこと、言ったか?」

「いいえ、ごめんなさい。そういえば自己紹介もまだだったのだわね」

 そう言って、赤い人形は両の足で立ち、上条を正面から見つめた。

「私の名前は真紅」

「ローゼンが創りし薔薇乙女の、第5ドール」

 そして人形―――真紅は、口元にやわらかい笑みを浮かべた。

「当麻。貴方の、お人形よ」
42 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/21(日) 15:32:22.74 ID:TgoUeT2o


 真紅、という名前の彼女が語った内容は、上条にして意外ではあったが、驚きにまで値するものではなかった。

 ローゼンという人物に作られた人形であること。

 ローゼンは、上条が言うところの魔術師のような人物であるということ。

 ローザミスティカと言うモノで動いており、それが人間で言うところの魂であるということ。

 ローザミスティカは元々ひとつのものを分割したもので、自分以外に六人(六体?)の姉妹がいるということ。
 
 そのローザミスティカを集めてアリスになることが目的であり使命であり、姉妹同士で戦っている、ということ。

 真紅の要請によって淹れた紅茶が、上条のカップで冷めたしまったころに、何度か脱線を繰り返した彼女の話は終わった。

「と、いうわけよ。わかってもらえたかしら」

 カチャリ、と音をたてて、真紅はカップをソーサーの上に置いた。

 カップは真紅の手でも扱える、小さなものだ。

 以前、インデックスと買い物に出かけた際に、彼女が面白がって購入したものである。
43 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/21(日) 15:32:49.28 ID:TgoUeT2o

「いや、わかったけど・・・」

 もう湯気を立てなくなった自分の紅茶に目を向けながら、上条は左頬を掻いた。

 先ほど真紅にひっぱたかれた場所だが、もう痛みはない。

「?」

 言いよどむ彼の様子に、真紅が不思議そうな視線を向ける。

 上条はややバツが悪そうに視線をうろうろとさせ、

「いやなんつーか、結構にヘビーなお話で、上条さんとしてもなんとコメントしていいのかわからないのですよ、はい」

 と、言った。

 色々と覚えることがあったようだが、とりあえず上条の心に堪えたのは『姉妹で戦っている』という点だった。

 話によれば、ローザミスティカは真紅を含む姉妹たちの命、ということである。

 それを集めるということは、結局、奪いあうということだ。



 やっていることは、殺し合いに等しい。



 なるべくなら争いごとをしたくない、話し合いですむならそれに越したことはない。

 そんな思考が基本である上条にしてみれば、いくらそれが真紅たちの使命とはいえ、あまりにもあまりにもだと思ってしまうのだ。
44 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/21(日) 15:33:21.94 ID:TgoUeT2o

「・・・・・・」

 だが、そんな彼の思考を読んだかのように、真紅はふわりと、微笑みを浮かべた。

「大丈夫よ、当麻」

「え?」

「貴方の考えていることよ。きっと、姉妹で殺し合いをするなんて、とか、考えているのでしょう?」

「な、なんでわかったんだ?」

「顔に書いてあったのだわ。話し合いや他の方法はないのだろうか、って」

「う」

 完璧ピタリと言い当てられ、上条は若干狼狽した声を上げた。

 それを見て、真紅がくすくすと笑う。そして、続けた。

「安心しなさい。私は、戦って奪おうとか、そういうことはもう思っていないわ」

「そうなのか?」

「ええ。私は私のやり方でアリスを目指しているの」

 そこでいったん言葉を切り、紅茶に口をつける真紅。それから、続けた。

「私たち姉妹の争い・・・アリスゲームと言うのだけれど、その結果で得られるのは、あくまでもローザミスティカよ」

「・・・・・・」

「でもよく考えて当麻。もし私が他の姉妹を倒し、ローザミスティカをひとつに纏めたとして・・・それで本当にアリスになれるのかしら?」

「え? でもだって、真紅を作ったそのローゼンってのが、そう言ったんだろ? じゃあそうなんじゃないのか?」

「そうかしら? 私が初めて目を覚ましたときには、もうお父様は傍におられなかったわ。直接聞いたわけじゃないの。・・・それに何より、もしローザミスティカをすべて集めてアリスになれるなら」

 真紅はちらり、と上条を見る。

 上条は真剣な瞳をこちらに向けてきていた。争いごとをしない、という真紅の言葉に、それだけの真剣さを持ってくれているのだろう。

「・・・お父様は、私たちを創らずにアリスを作れば良かったのだもの」

「あ、なるほど」

 得心したように、上条はうなずいた。
45 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/21(日) 15:33:49.29 ID:TgoUeT2o

 実際、そうだ。

 完璧なローザミスティカが手元にあるのに、わざわざそれを砕く必要はない。

 完全にすればアリスになれるのであれば、初めから完全なものでアリスという存在を作ればいいのだから。

「そう。だから私はアリスゲームに依らない方法でアリスを目指す。それが正しいのかはわからないけれど、ね」

「・・・・・・」

「・・・当麻? どうしたの?」

 軽く目を見開き、驚いてますよー、という感じの表情を浮かべる上条に、真紅が眉をひそめる。

 だが彼はそんな真紅の視線にかまうことなく、はー、と安堵のこもったため息をついた。

「当麻?」

「あ、すまん。ちょっと力が抜けちまった」

「・・・・・・」

 そしていまだ眉をひそめたままの真紅を見て、パタパタと左手を振る。

「いや馬鹿にしたとかそういうんじゃなくて、よかったな、と思ったんだよ」

「よかった?」 と、真紅。

 上条は頷き、

「ああ。だって真紅はわざわざ戦うつもりはないんだろう?」

「ええ」

「俺もはっきりいって、誰かが誰かと揉めてるのなんか見たくないし、それが多少なりとも知ってるやつならなおさらだ」

「・・・・・・」

「もし真紅がアリスゲーム? にノリノリで他の姉妹を探してデストローイってことを平気で言うやつだったら・・・インデックスには悪いけど、真紅とは笑って話をするのが難しそうだったからな」

 そう言って、ああよかった、などと呟きながらカップに手を伸ばし、冷めた紅茶を飲む上条。

 その様子にはまるっきりこちらの言葉を疑う風はなく、完璧に安心を楽しんでいるように見えた。
46 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/21(日) 15:34:16.64 ID:TgoUeT2o

「・・・ねえ、当麻」

「ん? なんだよ」

「貴方、周囲の人からお人よし、とか、にぶちん、とか、単純、とか、馬鹿、って言われること、多いと思うのだけれど・・・どう?」

「ぐっ! な、なんでほとんど初対面の真紅がこの上条さんの被対人評価を的確に把握しているのでしょうか・・・!」

「ふふっ、それはわからないほうがおかしいのだわ」

「だ、だからなんでだよっ?」

「それは自分で考えなさいな。もっとも、私にこの言葉を言わせている時点で望み薄だと思うのだけれど」

「・・・・・・」

 数秒間、様々な思いの篭められていそうな沈黙を放ってから、上条はやおらやけっぱち気味に紅茶を飲み干した。

 そんな彼を横目に、真紅も自分のカップに手を伸ばす。

 ゆっくりと口元に持ってきた紅茶はもう冷めていた。

 だがこれは、上条が他でもない自分に入れてくれたものだ。すべて飲んでから、温かいものを所望するのが礼儀というもの。

(・・・私が紅茶で妥協を許すなんて、ジュンに会う前なら考えられないことなのだわ)  くすり、と笑う真紅。

 その目の前で、上条が綺麗に空いたカップを下ろした。

「ところで」

 と、上条は真紅に目を向けた。
47 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/21(日) 15:35:15.61 ID:TgoUeT2o

「なに?」

「いや、真紅はなんで今頃、こっちに寄越されたんだ? やっぱりインデックスがそっち側に頼んだからか?」

 上条として、これは気になっていた点だった。インデックスのお気に入りなら、もっと早く送ってきてもよさそうなものだが。

 だが、

「え?」

 と、真紅。

「ん?」

 とは、上条。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 お互いに、変な顔。

 やや沈黙があってから、真紅が首を傾げる。

「ごめんなさい当麻。私には貴方が言っている意味がよくわからないのだわ」

「いやいやいや、だって真紅、いきなりここに着たじゃん。昨日、つーか今朝まで、こんなでかい鞄はうちになかったし」

「それはそうだけれど・・・でも、インデックスというのは何かしら? 何かの目録?」

「は?」

「え?」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「ちょ、ちょーっと待ってください。この上条さん、ちょっと混乱してきましたよ」

「え、ええ」

(・・・なんで敬語になるのかしら)
48 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/21(日) 15:35:41.32 ID:TgoUeT2o

「えーと、真紅さん。貴女はインデックスさんの持ち物であり、そのインデックスさんが向こう側に送ってくれ、とか言って、こっちに寄越されたんではないのでせうか?」

「違うわ。私を呼んだのは当麻、貴方の方だもの」

「俺ぇ!?」

「そう。貴方はホーリエの問いに応えたでしょう。だから私がここに来たのよ」

「ほーりえ?」

「ええ。巻くか巻かないか。貴方がそこで巻くことを選択したから、私はここにいるのだわ」

「・・・・・・」

 上条の脳裏に、さきほどまでの自分の行動がリピートする。

 朝起きて、顔を洗って、そんなことをしていたらインデックスが「ご飯食べに行って来る!」と泊まりにいくとは思えない言葉でスフィンクスを連れて出て行って、これ幸いと家事を片付けようと布団を干そうとして―――

「あ」

 思い出した。あのときだ。

 確かに自分は、あのうさんくさい手紙に書いてあったとおり『巻きます』に丸をして紙飛行機をした記憶がある。

「・・・・・・」
49 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/21(日) 15:36:08.82 ID:TgoUeT2o

「心当たりがあるようね」

 その表情を見て取って、真紅が言う。

「え、じゃあ真紅さん。もしかして真紅さんは・・・インデックスさんの関係者じゃない・・・?」

「それはこちらが聞きたいことなのだわ。インデックス、というのは、貴方の口ぶりから察するに人名のようだけれど・・・」

 問いかけの視線を向けてくる真紅を無視して、上条は頭を抱えた。

(またかーっ! またこんな感じで何かに巻き込まれたのか俺っ! いやでも巻きますに○したの俺だし、紙飛行機したのも俺・・・うあああ、お、俺が原因じゃんっ!)

(いやまてまて早まるな上条当麻! 学園都市の生徒は早まらない! ここはしっかりと事実関係の確認をとらねば! またいつものように怒涛の面倒ごとコースにいくのはごめんですよっ!)

「当麻? 大丈夫?」

 心配そうな表情の真紅。

 だが上条はその声色をとりあえず置いておいて、顔をぐっ、と振り上げた。

「真紅、ちょっと確認したいんだけど・・・」

 と、上条が口を開く。

 それと、同時。
50 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/21(日) 15:36:35.53 ID:TgoUeT2o

「―――っ!」

 真紅がいきなり、己の背後の窓に振り返った。

「!?」

 突然の動きに言葉を飲み込む上条。

「危ないっ! 下がりなさい!」

 そんな彼に、真紅がソファーを蹴って跳びついた。

「くっ!?」

 反射と、そしていままで幾多の修羅場をくぐってきた上条の経験が、彼の体を突き動かす。

 上条の左腕が真紅の体に回り、その身を強く抱えた。同時に足で床を蹴り、背後に跳躍。

 そしてその右手―――それが異能であるならば、あらゆるものを打ち消す力を宿した右手が握りこまれ、目の前にかざされた。

 上条がさきほどまで座った位置から距離にして5歩分後ろに下がった、ちょうどそのとき。
51 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/21(日) 15:37:02.92 ID:TgoUeT2o





破砕音!



52 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします2010/03/21(日) 15:37:28.72 ID:TgoUeT2o

 上条家のベランダ。そこに面した窓が外からの衝撃に一気に砕け散った。
53 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/21(日) 15:39:14.25 ID:TgoUeT2o


 室内に撒き散らされたガラスが、幸いにも上条のいる位置までは飛び散ってこなかった。

 曲がりなりにも能力者を預かっている学園寮だ。何かの災害、もしくは能力の暴発で窓が割れることは想定されている。

 車のフロントガラスのように、多少の衝撃ではヒビが入るだけ。砕けても、ばらばらにあって周囲に飛び散らない材質のものが使われている。

 しかし、その代わりというかのように、飛び込んできたものがそこにいた。

 黒色のドレス、黒色のヘッドドレス、黒色の靴。そしてその背に生える黒色の翼。

 真紅の赤に対してなお、その身に纏った黒が映えるのは、その透き通るような見事な銀髪のせいだ。

 真紅と同じような小さな体、真紅と同じような白い肌、真紅と同じような、整った顔立ちのそのモノは、真紅とはまったく違う妖艶な微笑を口元に浮かべ、真紅が先ほどまで座っていたソファーの真上に浮翌遊していた。

「・・・水銀燈!」

 上条の腕の中で、赤が小さく、しかし鋭く囁いた。

 それに応ずるように、黒がその目を真紅に向ける。

「お久しぶりね、真紅」

 口元に浮かぶ妖しい笑みは変えないままに、艶味を帯びた声がリビングに響いた。
54 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/21(日) 15:39:54.90 ID:TgoUeT2o

「な・・・」

 上条の口からあっけにとられたような声が漏れた。

 いきなりの窓の破壊。それと同時に飛び込んできた影。

 問答無用で、敵である。少なくとも上条には窓ガラスを突き破って訪問してくる知り合いはいない。

 約一名、ベランダにひっかかっていたという訪問者も過去にはいたが、その訪問者は不可抗力でひっかかっていただけで、今のように能動的な破壊を伴っていたわけではな
い。

 その敵と思しき相手が、真紅と見た目は親しげに挨拶を交わしている。上条が一瞬だけ戸惑うのも無理はない。

「・・・やっぱり、窓というのは不便なものだわ。こうして容易に侵入を許してしまう。英国で窓税があったのも頷けるのだわ」

 真紅が散らばる破片と、黒―――水銀燈とを交互に見ながら言った。

 その言葉はただの軽口なのだろうが、しかし、その内容とは裏腹に、口調には緊張感が満ちている。

「真紅、その男が新しい主人なのぉ? ・・・ふふ、相変わらず男が好きなのね。いやらしい」

 くすくすと笑うその仕草は真紅のそれに通ずるところを持ちながら、しかし、まったく異なった破滅的な色を帯びている。

「大きなお世話よ水銀燈。当麻は私のネジを巻いた。それ以上侮辱するなら、許さないわ」

 ぎゅっ、と上条のシャツを、その小さな手で握る真紅。

 それは不安に駆られた行動のようにも見え―――逆に、上条を少しでも守ろうとするような、そんな仕草にも見えた。
55 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/21(日) 15:40:23.06 ID:TgoUeT2o

「うふふふふ・・・怒った顔も相変わらず、不細工なのね」

「・・・・・・」

 真紅は挑発に乗らない。ただ沈黙を返すのみだ。

「・・・つまんなぁい。あなたなら絶対に乗ってくると思ったのに」

 何も言わない真紅に、水銀燈は、ふん、と詰まらなさそうに鼻を鳴らした。

「・・・おい、真紅。こいつが、お前の言った『姉妹』なのか?」

 上条はわずかに腰を落とし、油断なく水銀燈と呼ばれた人形を見ながら問うた。

 相手の黒い翼は羽ばたいていない。それでもなお空中に浮かんでいるのは、何かしらの能力が作用しているのだろう。

 それに、窓ガラスは相手が入ってくる前に割れ砕けたのだ。何か飛び道具のようなものをいきなり飛ばしてくることだってあり得る。

 慎重すぎて困ることはない。

 魔術師との戦いで身にしみた教訓が、上条の右手を下げさせなかった。

「そう。彼女の名前は水銀燈。私と同じ、薔薇乙女よ」

「いやだわぁ真紅。自己紹介くらい、自分でさせてほしいものねぇ」

 そう言って、水銀燈は真紅から上条に視線を移した。
56 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/21(日) 15:42:47.17 ID:TgoUeT2o

「はじめまして、人間。わたしの名前は水銀燈。誇り高き薔薇乙女の第1ドール」

「・・・・・・」

「よろしくねぇ。そして、」

 その言葉に合わせ、ぶわっ、と音をたてて、黒い翼が持ち上がる。

「!」

「さようならぁ」

 水銀燈の翼から、数条の黒い羽が飛び出した。

 その鋭利な根元を前に向け、一直線に上条に向かう。

「うおっ!」

 床を左に蹴る上条。一瞬遅れて、いままで上条の頭があった場所を羽が凪いでいく。

「あら残念。その不細工な顔を、もっと見れるようにしてあげようと思ったのに」

 羽をかわされた水銀灯が、ばさり、と再び翼を羽ばたかせた。

 移動した上条に正対し、まだカップが載ったままのテーブルに着地する。

「やめなさい水銀燈!」

「おばかさぁん。なんでやめる必要があるのぉ?」

 翼がさらに大きく羽ばたいた。

「もうアリスゲームは始まっているのよぉ? わたしと会えばこうなることくらい、わかってたでしょう」

 再びの射撃。

「くっ!」

 対する上条は崩れたバランスを床に手をつくことで整えると、再び床を蹴る。

 一閃する黒羽を横目に、リビングからキッチンに飛び込んだ。

 置かれている棚に手を突き、さらに跳躍。キッチン中央付近で体制を立て直すと、右手を構えながら真紅に視線だけ向けた。
57 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/21(日) 15:45:12.26 ID:TgoUeT2o


「真紅、大丈夫か!?」

 相手の放ってくる羽は、とてもじゃないが目でおえる速度ではない。上条は反射だけで羽をよけているのである。

 飛んでくるシステムはわからないが、おそらく魔術によるものだ。もしくは、能力か。いずれにしても異能には間違いない。

 だが、それが異能であり、打ち消すことができると言っても、それと上条の防御行動とは繋がらない。

 超電磁砲を上条が防御できるのは、指の向き先で射角がまるわかりなこと、電気的特性ゆえに突き出した右手に電撃が集中すること、コインとともに放出される電撃の一部に幻想殺しが触れればそれだけで全て無力化できること、という好条件が揃っているからだ。

 黒い羽に、そんな特性を期待するほど楽天家ではなかった。

 何より右手はひとつだけだ。同時に複数飛んでくる羽には対処できないのである。

「ええ、私は」

「人のことの心配をしている余裕があるのぉ?」

 水銀燈の声が、真紅の言葉を遮った。

 慌てて視線をあげる上条。

 テーブルから飛び立つように、水銀燈がこちらに文字通り『飛び掛って』きていた。

「!?」

 さらに、その姿を見た上条の顔が引きつる。

 いつのまに取り出したのか、どこに持っていたのか、その両手には大振りの剣が握られていたのだ。

「ちょっ、どこからっ!」

 そんな抗議の声を無視して、一飛びで間合いを詰めてきた水銀燈の手が、剣を振り下ろした。
58 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/21(日) 15:45:39.21 ID:TgoUeT2o

「くうおおっ!」

 全身全霊で身を捻り、真上からの一撃を回避する。

 左肩を引き、半身になった上条。その左頬、左肩、そして抱えた真紅のドレス裾ギリギリを通って、剣先が床に傷をつけた。

 回避成功。だがその代償は大きい。

 元々上条に格闘経験はないのだ。けんか慣れしているせいもあって下手な格闘家よりもずっと荒事には強いが、だからと言って技術的に卓越しているわけではない。

 無理な方向転換。そのせいで、上条の脚がもつれる。疲労ではない。元々、回避できるタイミンや体勢ではなかったのである。

 バランスが崩れ、右手を床についた。

「っ!」

 捻挫した手首が痛み、上条の体がこわばった。

 それを見逃す水銀燈ではない。

「うふふ」

 ぞっとするような笑みを浮かべ、黒い人形が剣を構えた。

 バッターのように肩に担ぐ構え。位置関係は、上条から見て左斜め上。

 そのまま斜めに振り下ろせば、真紅ごと彼の体は両断される。

 右手は床についてしまい、すぐには振り上げられない。左手は真紅をかかえている。まさか彼女を盾にするわけにはいかない。

 振り上げられた剣が下ろされれるまでの一呼吸。

(くそっ! なんかないのか! あれを防げるような・・・!)

 上条は諦めない。視線をめぐらせ、現状を打破できるものを探す。

 だがその努力をあざ笑うかのように。

「さようならぁ」

 上条の耳に、剣が振り下ろされる、ぶん、と小気味よい音が響いた。
59 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/21(日) 15:48:49.97 ID:TgoUeT2o


 剣が振り下ろされる。

 もしもここで戦っているのが上条だけだったならば、ここで彼の物語は終わっていただろう。

 生身で刃を受け止める術はなく、剣が魔術の産物であったとしても右手を向ける暇はないのだ。

 だが。

「させないわ!」

 真紅が己の体に巻きついている上条の腕を掴み、その輪から滑り落ちるように下方に体を引っこ抜いた。

 ちょうど逆上がりをするような形で、真紅の両足が弧を描く。

 赤みを帯びた黒い靴。その裏側が、剣を握る水銀燈の両手部分を真下から蹴り上げた。

「!?」

 まったく予想していなかった方向からの一撃に、腕ごと剣が持ち上がる。

「いまよ!」

「っだあああ!」

 左腕にぶらさがる真紅の声に応え、上条が右手で床を強く突いた。

 床を押すその反作用を利用して、一瞬で腕を持ち上げる。動きは、そのまま右ストレートに変化した。

 包帯を巻かれたコブシが、掬い上げるように水銀燈の左肩に突き刺さる。
60 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/21(日) 15:49:18.23 ID:TgoUeT2o

「きゃあっ!」

 大きな衝撃が走り、弾き飛ばされる水銀燈。真紅に不意を突かれたところに、さらなる一撃だ。 体勢制御をすることもできず、キッチンの壁に背中から叩きつけられた。

「くっ・・・!」

 壁に寄りかかるように落下しかけ―――すぐにまた浮上する。

 コブシはまともに受けたが、場所が良かった。ダメージはそう多くない。

 それよりも『たかが人間』に一撃を受けたことの方が、よほどに彼女の精神にダメージを与えていた。

 だが、精神的な動揺はむしろ、

(まだ動けるのかこいつっ!)

 上条の方が大きい。

 コブシは間違いなく当たったはずだ。剣の方はわからないが、水銀燈本人は間違いなく異能に属する存在だ。

 幻想殺しをまともに受ければ良くて機能停止、悪ければ崩壊するはずである。

「くそっ!」

 だが現実に相手は動き、戦闘は続いている。
61 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/21(日) 15:49:47.79 ID:TgoUeT2o

 上条は胸中の疑問を握りつぶし、再び右手を構え―――そして、気がついた。



 右手には、いまだ包帯が巻かれていることに。



 幻想殺しの大前提。直接触れること。それが、この状態ではできない。

 さきほど真紅の平手のときに気がついていたはずなのに、完璧に失念していた。

 しかしそれは無理もない。

 平手の後は、真紅の存在にまつわる話を聞き、その直後にいきなりの戦闘である。おまけに相手は飛び道具を使ってくる存在だ。

 敵から一瞬たりとも目が離せず、しかも飛ばしてくる羽は幻想殺しを試す気になれないほどの早さがある。いまの今まで、右手に気を払う余裕などなかったのだから。

「当麻!?」

 追撃、もしくは逃走のチャンスにいきなり硬直した上条に、真紅が焦りをたたえた瞳を向ける。

「くっ!」

 上条は左手で再度真紅を抱えながら一瞬だけ包帯に目を向け―――そのまま、水銀燈に向けて突進した。

 包帯の巻き方はかなりうまくなっている。結び目を適正に引っ張れば、片手でも、あるいは口ででも外す事が可能だ。

 そして相手は間違いなく自分を殺そうとした相手。話し合いもほかの手段も、通じそうにない。
62 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/21(日) 15:50:19.18 ID:TgoUeT2o

(でも、だからって、殺せるかよ・・・!)

 それでも上条は、幻想殺しを振るいたくなかった。

 相手が人格を持つ存在であること。そして何より、腕の中の真紅が姉妹と呼んだ相手だ。

 さっきは余裕がなかったこと、左手がふさがっていたこと、利き腕が右だったことで殴りつけてしまったが、気がついてしまったいま、自らの意思でそれをするのは、やはり無理だ。

 そういう意味では、包帯は巻かれていたのはむしろ幸運と言える。

 今から倒そうとする相手が無事なことに内心で安堵する上条。

 上条は痛む手首を無視して、コブシに更なる力を込めた。

 まずは相手を戦闘不能にする。その上で、真紅に説得してもらう。これしかない。

 間合いが詰まる。

 キッチンは狭く、上条にして一足飛びで端から端まで移動できる。

 水銀燈はまだ体勢を立て直しきっていない。構えたコブシを叩き込むだけの余裕は十分にあった。

 しかし。

「このっ、人間めええええ!」

 ギンッ、と音が聞こえるかと思うほどの鋭い視線を向け、水銀燈が吼えた。

 同時に彼女の翼が、大量の羽を放つ。
63 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/21(日) 15:50:57.10 ID:TgoUeT2o

「!」

「危ない!」

 真紅の声が響くが、突進している上条に回避の方法はない。

(―――っ!)

 上条の目が、今朝掃除をしようとして壁に立てかけていたテーブルを捉えた。

 折りたためない脚がこちらを向いており、それは左手側、ちょうど手の届く位置で―――

「うおおっ!」

 踏み出した左足。そこを軸にして、上条は背面に体を回した。

 突進の勢いがそのまま、回転の速度に変わる。

 大きく弧を描いた彼の右手がテーブルの脚を掌握。回転の勢いを殺さず、引っこ抜くようにして正位置に回り戻る。

「「!」」

 水銀燈と真紅の息を呑む音が同時に上条の耳に届いた。

 視界を塞いでいるのは、テーブルの天板の内側。そこからいくつも羽の先端が突き出した。

 だがそこまでだ。羽は分厚い板を貫通することまではできない。
64 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/21(日) 15:51:24.88 ID:TgoUeT2o

「っ!」

 上条は止まらない。

 素早くテーブルの脚を放し、床についた右足に体重移動。身代わりに浮き上がった左足で、天板裏の中央付近を真正面に蹴りつけた。

 テーブルが真横に跳ね、

「きゃあああっ!」

 水銀燈に叩きつけられる!

 バキン、とテーブルにヒビが入る音が響き、それを聞きながら、上条は即座に身を翻した。

 己の攻撃の結果がどうなったのか確認せず、キッチンからリビング、そのまま玄関に続く廊下に跳び出していく。

「当麻!? どこにいくの!?」

「部屋の中じゃ無理だ! 広いところに出ないと!」

 叫びながら廊下を抜け、脱ぎっぱなしにしていた靴に足を突っ込む。

 そのまま蹴りあけるようにして玄関を出た。

 人の気配はない。

 今日は連休初日。みんな街に出て遊んでいるのだ。こんな時間でも部屋にいるのは、インドア派か、街に出て遊ぶ金のない上条くらいのものだ。

 だがそれは上条にとっても都合がいい。
65 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/21(日) 15:52:15.26 ID:TgoUeT2o

 相手は飛び道具を使う。

 狭い室内でかわせたのは、運が良かったからにすぎない。もっとも上条の運は幻想殺しに遮断されているので、この場合は真紅の方の運なのかもしれないが。

 どちらにしてもあの攻撃に晒されて、自分以外の誰かを護る余裕はないのだ。

「・・・・・・」

 腕の中の真紅は上条の言葉に否と言わない。もう倒したのではないか、とも言わない。

 彼女は知っている。

 自分の知る水銀燈は、あの程度でなんとかなる相手ではないということに。

 そしてその予想を裏付けるように。

「許さない! 許さないわ! 人間! 真紅っ!」

 開け放したドアを、怒気に満ちた声が通り抜けた。 
 
67 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/21(日) 15:58:06.24 ID:TgoUeT2o


 怒声を背中に受けながら上条は走る。目指すのは廊下先にあるエレベーターだ。

 確かに外に出たが状況はそれほど好転したわけではない。

 廊下にいたのでは、部屋の中とそれほど変わらない。いや、遮蔽物がないだけ、室内よりもまずい可能性がある。

 屋上。
 
 あそこなら十分に動き回れるスペースがあり、落下防止用のフェンスもある。

 出入り自由で誰か来るかもしれないが、何もないコンクリート打ちっぱなしに好んで人が来ることはまずないだろう。

 上条は走る。

「と、当麻。少しで、いいから、ちょっと、話を・・・」

「ごめんわりぃすまんちょっと待ってエレベーターに乗るまでは!」

 揺れているせいできれぎれに真紅がなにやら言ってくるが、残念だがいまは構っていられない。

 小さく「左手の指輪・・・」とか聞こえた気がしたが、左手は真紅自身を抱えている。確認するのは無理だ。

 そしてエレベーターが近づいてくる。一度中に入れば水銀燈も追ってこれまい。何らかの力で破壊するにしても、そこは能力者用の寮。耐久性も折り紙つきだ。

『魔女狩りの王』級の攻撃翌力でもなければ、すぐには突破できないはずである。
68 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/21(日) 15:58:35.83 ID:TgoUeT2o

「よし!」

 エレベーターの前に到達する。背後ではまだ水銀燈は出てきていない。テーブルサンドイッチが余程に聞いたのか、それとも、室内を探していたのか。

 ともあれ、上条は殴りつけるようにして上昇ボタンを押し―――

「!?」

 驚愕に、目を見開いた。

 彼の視線の先。なんの変哲もないエレベーターのボタン。

 普段であれば何も意識せずとも押しこむことのできるボタンが、まったく動かない。

 それは機械的に反応しないと言うわけではない。本気に近い力で押したにも関わらず、ボタンが1ミリたりとも押し込まれていかないのだ。

(なっ・・・! こいつはっ・・・!)

 その光景に、上条は覚えがある。ちょうどいまのように、エレベーターが使えなかったときと同じ状況。
69 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/21(日) 15:59:02.10 ID:TgoUeT2o



 三沢塾。

70 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/21(日) 15:59:28.92 ID:TgoUeT2o
「ちくしょうっ!」

 バン、とボタンを本当に殴りつける上条。だが帰ってくるのは、硬い硬い感触と、捻挫に響く衝撃だけ。

「どうしたというの?」

 真紅が上条の顔を見上げてくる。

 疑問と焦りの見える表情。無理もない。彼女からしてみれば、エレベーターまで来たというのにボタンに八つ当たりをしているように見えるのだ。

「結界が張られてやがる!」と、歯を噛み締めて上条が応じた。

「結界?」

「ああ、コインの表と裏で―――」

 言葉は途中で遮られる。

 ドゴッと鈍い音が背後から響き、

「しぃんくゥゥゥ・・・にんげェん・・・!」

 ゆらり、と黒い影が、上条の部屋のドアから姿を現した。 
 
73 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/21(日) 16:14:27.23 ID:TgoUeT2o


「・・・おいおい、ちょっと見ないうちにずいぶん派手になってますねぇ、あの人」

 振り返った上条が口元に虚勢の笑みを浮かべる。

「・・・!」

 その腕の中で、真紅が息を呑んだ。

 黒い人形は、さらにその色を増していた。

 背の羽は大きく開き、その面積を3倍ほどに膨らませている。さらに周囲には、彼女を護るように、無数の羽が散らばり、渦を巻いていた。

 少し離れてみれば、黒い渦巻きのようにも見えただろう。

 だが何より真紅の危機感を煽ったのは、

(人工精霊・・・!)

 水銀燈の目の前に浮いている紫色の光球の存在。

 あれを出してきたということは、もはや水銀燈に遊ぶつもりがないと言うことだ。
74 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/21(日) 16:16:01.43 ID:TgoUeT2o

「当麻、もう時間がないわ」

「ああ、わかってますよ真紅さん。あんな熱い目で見られたら、もうかなりテッペン入ってんだろうなぁ、ってことぐらいは」

 軽口をたたく上条だが、内心はそんな余裕はまったくなかった。

 状況は最悪だ。

 遮蔽物のない直線廊下の、完全な端。さらにやっかいなことに、コインの結界によって脱出口はなくなっている。

 目の前には大層ご立腹な様子のクールビューティー。しかも、下手をすれば水銀燈とは別に魔術師だか錬金術師だかがいる。

 仮に水銀燈がこの結界の主だとしても、核そのものが近くにあるとは限らない。水銀燈自身が核だったとしても、上条には彼女を破壊することはできないのだ。

 だが、真紅の言葉は、上条の軽口に応えるものではなかった。

「そうじゃないの。お願い、聞いてちょうだい」

「真紅?」

 穏やかだが切迫した口調に、上条はつい、水銀燈から視線を外して真紅を見た。 真紅は上条をじっと見上げたあと、代わりとでも言うように、水銀燈に視線を移す。 そのまま、続けた。

「水銀燈は本気よ。さっきまでは私が契約してなかったことと貴方がただの人間だったから、油断もあったようだけれど・・・もう完全に力を振るうつもりでいるわ」

「・・・・・・」

 さっきまでのは本気じゃなかったのか、と上条は口元をさらに引きつらせた。
75 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/21(日) 16:16:30.92 ID:TgoUeT2o

「このままじゃ私も、貴方も助からない。だから当麻。もしも貴方が自分と私を護りたいと思うのなら」

 すっ、と真紅は、自分を抱える上条の左手に、小さな手を這わせた。

「えっ、なんだこれ」

 上条は状況も忘れて、自分の指を見た。

 いつからそこにあったのか。

 左手薬指に、小さな指輪が嵌まっている。

 もちろん上条にこんなものをつける趣味はない。趣味はないどころか、買うようなお金もない。その上、こんな位置に指輪をつけるような相手もいないのだ。

 真紅は上条の疑問に応える事なく、言葉を紡ぐ。

「誓いなさい。薔薇の指輪と、貴方の誇りにかけて。私のローザミスティカと、私の意志と、私自身を護ると」

 まるで場にそぐわない、厳粛な声が上条の耳に届く。

 そして真紅は、もう一度指輪にその繊手を這わせながら、

「そうすれば私は私の意思と誇りを持って、貴方を護るわ」

 と、告げた。
76 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/21(日) 16:18:44.95 ID:TgoUeT2o


「あはははははっ!」

「!」

 真紅の言葉に上条が何か反応するその前に、廊下に大きく哄笑が響いた。

 視線を転じれば、大きく広がった翼をはためかせ、水銀燈が空中をすべるようにしてこっちに向かってきている。

 彼女の手の中の剣は魔術の作用か、彼女の怒りに反応したのかさらに一回り大きくなっており、周囲に滞空していた羽は、残らずこちらに先端を向けていた。

 さらに彼女の目の前に浮かぶ光球が見るからに強力な光を纏ってそれに続く。

「やべえっ!」

 上条が真紅を抱く腕に力を込めた。


 どこに逃げる?


 完全に直線コース。こっちは廊下の端。背後のエレベーターは開かない。剣と羽すべてを幻想殺しで受けるのは不可能。

 飛び降りることはできない。真横にある別室のドアもドアノブに触れることすらできない。

 この場所で回避しきれるほど弱い相手じゃない。光球の正体がわからない。


 どうする?


 どうする!?


 どうするっ!?
77 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/21(日) 16:19:11.36 ID:TgoUeT2o

「当麻、どうするの?」

「―――」

 真紅に目を転じる上条。

 見上げてくる彼女の瞳は、真摯で、まっすぐなものだ。

「貴方が私の言葉を信じてくれるのなら、この指輪に口付けなさい。それが誓い。私と貴方を結ぶ、糸となるわ」

「・・・・・・」

 言葉と、視線。それを受けた上条の頬が、場違いに緩んだ。

(やっぱりお前、インデックスの持ち物なんじゃねえ?)

 そう言いたくなるほど、真紅の瞳は白い少女のそれと通ずるものがある。

 あの、全幅の信頼を寄せてくる、瞳に。

「・・・・・・」

 上条は真紅から目を逸らし、水銀燈に向き直った。

 黒衣の人形はあと数呼吸で上条にその剣を振り下ろせる位置に到達するだろう。彼女の周囲を渦巻く羽は、すぐにでも射出されそうな気配がある。

 だがそれでもなお、上条の動きは緩やかだった。

「・・・・・・」

 真紅は何も言わない。ただ、上条は自分の腕を掴む彼女の力が強くなったのを感じた。
78 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/21(日) 16:20:01.62 ID:TgoUeT2o

「いいぜ、真紅」

 上条の左手から力が抜ける。下げられた彼の腕から解放され、真紅がひらりと廊下に飛び降りた。

 その代わりに上条は、左手を己が口元に近づけた。

「この誓いが、お前とお前の意志を護ることになるってんなら」

 視線の先では、水銀燈が剣を真上に掲げている。あれで斬りかかると同時に、羽を打ち出すつもりなのかもしれない。光球で、何かの攻撃をするつもりなのかもしれない。

 前に出ても、後ろに飛んでも羽。横には逃げられない。その場にいれば剣の餌食。目に見えるそれらをなんとかしたとしても光球の攻撃はいまだ何かわからない。



詰みだ。



 そしてついに、水銀灯がその剣の間合いに上条と真紅を捉えた。

「死になさぁい!」

 黒の腕が振り下ろされ、羽が弾かれたように上条と真紅に向かった。

 だがそれが上条を割り、真紅を蜂の巣にするほんの数瞬前に、

「俺が、その礎になってやる!」

 上条の唇が指輪に触れた。
79 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/21(日) 16:23:28.49 ID:TgoUeT2o


 変化は一瞬で、効果は絶大だった。

「っ!?」

 足元にいる真紅。彼女の体が、口付けと同時に眩い赤光を放ったのだ。

 そのあまりの光量に、上条は思わず顔を腕で隠してしまう。

 それは愚か極まりない行為。ただでさえ敵が正面にいる状態で、さらに必殺の攻撃が今まさに彼らに降りかかろうとしているのだ。少しでも目を見開いて、防御に努めなければならない。

 だが上条の心には、なぜか不安も焦りも存在しなかった。それどころかその赤い光は安心感すら与えてくれる。

「・・・ありがとう当麻。私を信じてくれて」

 光の中、真紅の声が上条の耳に響く。

 薄く目を開ければ、いつの間に前に出たのか、自分を護るように両手を拡げて立つ真紅の背が見えた。

 真紅の体から溢れる光は、バリヤーよろしく彼女を中心に球形に展開している。その直径は廊下を天井まで覆う、大きなものだ。

 殺到していた黒羽は、どういう理論なのか赤い光が展開している領域に侵入したところで推進力を失い、それだけではなくボロボロと崩れ落ちていっている。

 剣は光の珠に阻まれて、まったく動いていない。紫の光球が赤い光を嫌うように、水銀燈の影に隠れた。
80 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/21(日) 16:24:17.65 ID:TgoUeT2o
「真紅・・・!」

 光の向こう側。剣を打ち下ろした姿勢で空に浮かぶ水銀燈が、驚きと憎しみのこもった表情を浮かべた。

「・・・水銀燈」

 応ずるように名を呼び、真紅が右手を水銀燈にかざす。

「っ!」

 水銀燈は剣を引き、それを盾にするように顔の前に構えた。一瞬遅れて飛来した何かが、ギンッ、と音を立てて剣に弾かれていく。

「くっ」

 歯を噛み締め、距離をとる水銀燈。

 対する真紅はゆっくりと両手を下ろした。その腕が角度を失うに従って、彼女の体から放たれていた光が収まっていく。

 だがそれは消えていっているのではない。外に出すのではなく、内に、内に。

 光が集まってその光量を増すように、真紅から感じられる力はむしろ上がっていっている。

「・・・真紅、大丈夫なのか?」

 上条には何がなんだかわからない。変わったこと言えばただひとつ、左手の指輪が一回り大きくなったという、それだけだ。

「ふふっ、心配性なのね、当麻」

 真紅が首を少しだけ巡らせ、視線を向ける。さきほどまでとまったく同じ、平静な横顔。

 しかし上条にはなぜか、真紅がどこか喜んでいるようにも見えた。

「安心しなさい。大丈夫だから」

 それだけ言って、真紅は目を正面―――水銀燈の方に戻した。
81 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/21(日) 16:24:48.01 ID:TgoUeT2o

「ふ、ん・・・間一髪、契約したってわけねぇ」

 目を細める水銀燈。その表情を彩っていた怒りが消えていく。

 契約者を得た真紅は、感情に任せて相手ができる存在ではない。

 相対する赤は、そんな黒に静かな瞳を向けた。

「水銀燈。貴女はまだ、アリスゲームを続けるつもりなの?」

 と、真紅は水銀燈に問うた。

「・・・貴女、ながく眠りすぎて頭のネジでも錆びたんじゃない? アリスになってお父様に会う。それ以外に何の目的があるって言うのぉ?」

 応える声は冷たい声。

 何を当たり前のことを。

 そう言っているように、水銀燈は口の端に嘲笑を浮かべた。

「そうじゃないわ」

 真紅は首を横に振り、

「アリスになる。それについては何も言うつもりはない。だけど、姉妹で争うことをやめるつもりはないのか、と聞いているの」

「・・・・・・」

「水銀燈?」

「・・・真紅、貴女正気ぃ? お父様のお言葉に背いて、それで本当にお父様が喜んでくださると思ってるわけぇ?」

「背くわけじゃないわ。私はアリスを目指す。ただ、アリスゲームに依らない方法で、というだけよ」

「・・・あっきれたぁ。お父様に疑問を持つなんて」

「そうじゃないわ、私は」

「黙りなさいっ」

 それまでの、嘲りの響きはあっても穏やかだった水銀燈の声が一転、厳しい怒りを帯びたものに変わった。

「・・・・・・」

 叩きつけるような言葉と視線に沈黙する真紅。

 水銀燈は続ける。

「お父様を愚弄するなんて・・・真紅、貴女には薔薇乙女の資格なんかない。いいえ、貴女が薔薇乙女であることそれ自体が、お父様に恥をかかせているのよ」
82 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/21(日) 16:25:13.99 ID:TgoUeT2o

「・・・・・・」

「決めたわ真紅。貴女は手足をもいで殺してあげる。顔をぐしゃぐしゃに潰して首を落としてあげる。貴女のローザミスティカは、かみ砕いてから飲み下してあげる」

「・・・・・・」

「どんなに泣き叫んでも手を緩めたりしないわ。貴女をがらくたにしてアリスになり、お父様には貴女という失敗作を忘れるよう、お願いすることにするわ」

「そう・・・なら、仕方ないわね」

「だったらなぁに? どうするっていうのぉ?」

「こうするのよ。・・・ホーリエ!」

 真紅の声が無人の廊下を叩き、一拍の間を置いて上条の部屋の中から、バン!と音が響いた。

「!」

 真紅の背後にいた上条が驚いた様子で自分の部屋に目を向ける。

 開け放たれた玄関。そのドアを撃ち抜こうかと言う勢いで、赤色の光球が飛び出した。

 水銀燈を避けるように大きく楕円の軌道を描き、下げた真紅の左腕に、寄り添うように纏わり付く。

 それは大きさ、光量ともに、水銀燈の背後に浮くモノと比肩するモノ。

 何のために呼び出したのか、そんなことは考えるまでもない。
83 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/21(日) 16:25:44.39 ID:TgoUeT2o

「真紅」

 呼び掛けたのは上条。

「お前、戦うつもりなのか?」

 姉妹同士で殺しあわない。彼女は確かに、そう言ったはず。

 だが真紅は振り返らない。

「当麻。貴方もわかっているのでしょう? 話し合いだけですべてを解決するのは無理だということくらい」

「それは、」

 事実だ。

 いままで上条自身、何かを護るために多くの者にそのコブシを振るい、様々なモノを破壊してきている。

 誰かを護るために戦ったという言葉は、裏を返せば護るために誰かを傷つけたということなのだから。

「・・・・・・」

 上条は口をつぐむしかない。

「当麻」

 真紅は肩越しに振り向き、上条に向けていた微笑んだ。まるで信じてほしい、とでも言うように。

「・・・・・・」

 そうだ。

 リビングで聞いた言葉と、ここで投げ掛けられた言葉。

 上条はそのどちらも信じたから、指輪の誓いを結んだのだ。

 ならば自分がいま出来ることは、たったひとつしかない。

 軽く頷き、右手を握る上条。

 そのコブシには、包帯が巻かれたままだ。

「・・・人工精霊を出されたら面倒ね」

 対する水銀燈は、上条と真紅の様子に顔をしかめながら、左掌を上に向ける。
84 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/21(日) 16:26:12.06 ID:TgoUeT2o

「おいで、メイメイ」

 呼ばれ、メイメイがふわりとその掌の上に移動する。

 続いて水銀燈の右手の剣が、先端からひび割れ―――羽毛に変わって砕け始めた。ハラハラと落ちるその羽毛を、大きく羽ばたいた翼の風が吹き飛ばす。

 舞い上がり、意思持つように真紅と上条に群がりかけたその羽毛は、しかしホーリエが音なく放った光の矢に射抜かれて、一瞬で燃え尽きた。

 その間に、水銀燈は距離にして大人数歩く分、距離をとっている。

「逃げるつもり?」と、真紅。

 どこか挑発的にも聞こえるその声に、

「そうよぉ?」

 水銀燈はニヤリと笑みを浮かべた。

「いまの貴女を相手にするには、ちょっと手駒が足りないわ。そっちの人間に邪魔されても不愉快だし・・・今日はここまでにしておいてあげる」

 再び翼をはためかせ、ふわり、と浮き上がる水銀燈。

「じゃあねぇ、真紅。次に会ったときはジャンクにしてあげるわ。人間も、あのテーブルの借りは必ず返すから楽しみにしていなさい」

 バサリ、と翼が羽ばたき、黒の体が外廊下の手摺りを越える。
85 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/21(日) 16:26:42.09 ID:TgoUeT2o

「・・・待てよ」

 だが黒衣の人形が飛び去ろうとするその直前に、それをとめる声があった。

 真紅ではない。その背後に立つ、上条だ。

「・・・・・・」

 水銀燈の動きがピタリと止まり、視界の端で真紅が見上げてくるのが見える。

 それに構わず、上条は続けた。

 彼には聞くべきことがあるのだ。

「この結界は誰の仕業だ?」

 言いながら、ダン、とエレベーターのボタンを叩く上条。

 コブシに押しつぶされ、それでもやはり微動だにしないボタンが、硬い感触を返してくる。

 だが上条の視線に対して、

「結界? 何の話ぃ?」

 黒は眉をひそめただけ。

「とぼけるな! お前か、お前でなけりゃ仲間の魔術師がいるはずだろ!」

「・・・ねぇ真紅。この男、何を言っているの? 結界? 魔術師? ふふっ、おかしいんじゃないのぉ貴方」

 上条の言葉を鼻で笑いとばしてから、水銀燈は真紅を見た。

「真紅、狂った貴女にぴったりの契約者だと思うわ。あはははは、とんだ人間を選んだものねぇ」

 視線には嘲りの色。

 その色のままの声で、上条に目を向けた。
86 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/21(日) 16:27:09.52 ID:TgoUeT2o

「でもそうねぇ、人間、貴方が可哀相だから一応教えてあげるわぁ」

 クスクスと笑い、水銀燈が言った。

「わたしには仲間なんかいないわよぉ。わたし、おばかさんも足手まといも大嫌いだからぁ」

 そしてそれ以上話をするつもりはないと言うように、翼を羽ばたかせ、身を翻す。

「くそっ、待ちやがれ!」

 上条は手摺りに駆け寄って手を伸ばすが、届くわけがない。離れていく背中を見送るだけだ。

 黒い背中は瞬く間に小さくなり、すぐに視界から消えた。

「・・・行ったようね」

 真紅が軽く息を吐き、体から力を抜いた。感じていた水銀燈の気配が消えたのだ。

 どこか手近なところからNのフィールドに入ったのだろう。

「・・・・・・」

「・・・当麻?」

 何も言わない上条を見上げる真紅。

 だが上条は応えない。視線さえ向けず、水銀燈が飛び去った方向を凝視している。

「・・・・・・」

 もう、水銀燈の翼は見えない。戻ってくる気配もない。

 戦いは終わっている。

 しかし上条は、左手を手摺りに叩きつけた。

「っ」

 返ってくる感触がいつもよりもずっと硬いこと―――つまりいまでも結界が機能していることを確認してから、真紅に目を向ける。
87 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/21(日) 16:27:53.49 ID:TgoUeT2o

「真紅、教えてくれ。お前やお前の姉妹に、魔術を使えるやつはいないのか?」

「・・・当麻の言っている魔術がどういうものなのかは、私にはわからない。だけどもし、この廊下にその『魔術』がかかっていて、それが人の出入りを限定するような種類なのだとしたら・・・」

 真紅は一度言葉を切り、

「私たちには、そんな力はないのだわ」

「・・・・・・」

(力が、ない)

 どういうことだ?

 水銀燈が自分たちを逃がさないために結界を張ったわけではないのか?

 いやそもそも・・・彼女はこの結界の存在を知らないのか?

 もちろん水銀燈が嘘をついていない保証はない。

 水銀燈自身が魔術を行使できないのなら、別の第三者が介入する以外にないではないか。

 単に仲間というカテゴリーに属さないだけで、利害が一致する『敵ではない』相手がいる可能性も十分にある。

 だが、上条の目に映った水銀燈という存在は、そういったくだらない言葉遊びをするタイプではないように思えた。

 仮に協力者がいるとしても、おそらく今回の戦いに参加させただろう。

「だったら、」

 魔術師は、水銀燈と繋がりがない?

 いやそもそも、この戦いと『結界が張られていること』自体に関係がなかったとしたら・・・
88 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/21(日) 16:28:20.27 ID:TgoUeT2o

「!」

 上条は目を見開いた。

 インデックス。

 朝から出掛け、上条の傍にいない少女。

 禁書目録と呼ばれ、全世界の魔術師が恐れ、欲している存在。

 出掛けた先は、比較的訪れる頻度が高い場所だ。

 上条がいないため、待ち伏せの魔術を仕掛けることが容易な場所だ。

 その先にいるのは特定種族以外には一切効力を持たない能力者と、魔術師でも能力者でもない、本当にただの一般人だけだ。

「そっちかよっ!」

 上条が奥歯を噛み締め、再び手摺りを殴り付けた。

 ガンッと音が響く。

 結界の中。

 返ってくる感触は、いつもよりずっと、硬い。
89 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/21(日) 16:49:42.27 ID:TgoUeT2o


 上条は街を走っていた。

 学園都市の道路。学生の利便性第一に創られたこの街は、歩道が広く設定されている。

 だがそうは言っても今日は連休初日だ。道行く人の数は多く、その方向も点でばらばらである。こんな中を全力疾走すれば、50メートルも進まないうちに誰かに衝突してしまう。

 そのため、いま彼が駆けているのは、表通りから一本裏手に入ったいわゆる裏路地である。

 登校時には各地区に点在している学園に向かうため、ある意味にぎわうこの小さな路地も、いまは上条以外に走るものはいない。

 表通りから微かに届く有線と宣伝の音。いつもの日常が続くその僅か隣の道で、上条の非日常は刻まれていく。

(くそ! 間に合えよこんちくしょう!)

 整っているとは言いがたい彼の顔に浮かんでいるのは、紛れもない焦りだった。

 学生寮からの脱出に予想以上の時間をとられたのが、その焦りの原因である。

 彼の脳裏に、この夏に出会った錬金術師との戦いが思い起こされる。

 いまはもう記憶を失い、顔も名も変わっているだろうその男は、十分に準備された結界の中であれば文字通り何でもできる男だった。

 あのときと同じ術を―――少なくとも上条には同じにしか思えない―――使うものが、この都市の中にいるのだ。

 それだけでも焦燥感が募るというのに、今回はさらにやっかいだ。上条の足止めという先手を打たれている。

 こちらから乗り込み、向こうが受ける側だったときと、明らかに状況が違う。

 捕獲用の魔術でも仕掛けられていたら、朝、インデックスがエレベーターに乗った時点で、勝負がついている可能性だってあった。
90 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/21(日) 16:50:10.42 ID:TgoUeT2o

 悪いことは重なる。

 結界が張られたのはおそらく、上条が水銀燈と戦い、廊下に出たその直後。それまでは室内のものに普通に触れている。テーブルサンドイッチが、何よりあの段階では結界は張られていなかった証明である。

 あの後、上条は部屋の中の物に何も触れることができなかった。ドア自体は開放状態だったので問題なかったが、中にある荷物はすべて『コインの表』だ。

(せめて携帯があれば、電話もできるっていうのによ!)

 歯噛みする上条。

 床に落ちた家具の破片すら拾えない上条。なんとか発見した携帯電話は不幸にも壊れた家具の下に滑り込んでしまっていたのである。

 さらに最悪なことに、固定電話も戦いの影響で壊れてしまっており、財布は残骸に埋もれて見つからなかった。

 小萌の家に電話して安否を確かめることもできないのだ。

 すぐに駆けつけようとした上条であったが、それも叶わなかった。

 エレベーターが使えないのは証明済み。その上、非常階段に通じる扉が、閉じられていたのである。

 避難通路になるその階段の扉は通常閉じたりしない。設置義務でもあるのかいたずら防止のためなのか、一応設けられているその扉は少なくとも上条が入寮して―――いや『いまの上条』になってからこっち、閉じられているのを見たことがない。

 誰かが閉めたのかはわからない。魔術師かもしれないし、寮生のだれかが異様な片付け魔で閉じていないのがいやだったのかもしれない。

 どちらにしても、その段階で上条は脱出の手段を奪われてしまっていた。
91 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/21(日) 16:50:42.19 ID:TgoUeT2o

 そんな八方塞の彼を助けたのは、

「当麻、少し落ち着くのだわ」

 上条の耳に、静かな声が響く。

 真紅だ。

 魔術師が水銀燈と関係がない―――つまり、真紅も結界適用範囲外であることを指摘したのは、結界がどういうものなのかを把握していない真紅の方だった。

 エレベーターが危険なのは三沢塾で知っていたので、彼女の手で非常階段の扉ドアノブを開けてもらったのである。

 人の多さに危険を感じたことと、左腕に座る真紅の存在が異様に目立つこともあって、裏路地に入ったのは正解だった。学生寮からの全力疾走は止まることなく続いていた。

 そんな上条の左腕に腰掛けて首に手を回した姿勢の彼女が、彼の顔をじっと見ている。

「落ち着いてなんかいられるか! こうしてる間にも、あいつらがやべぇかもしれねーんだ!」

 全力疾走で荒れた息そのままで言い返す上条。

 インデックス、姫神、小萌。

 自分が大事だと思う人が危険に晒されているかもしれない。

 そう思うと―――八つ当たりだとはわかっているが―――冷静そのものの真紅の声が苛立ちを生んでしまう。

 だが怒鳴り返された真紅は、

「落ち着きなさい、と言っているの」

「っ!?」

 同じ言葉を繰り返し、上条の耳を右手で引っ張った。
92 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/21(日) 16:51:09.23 ID:TgoUeT2o

「いてえっ!? 真紅何してっ、いててていってえ千切れる千切れる!」

 くい、という可愛らしいレベルではない。耳たぶを引っこ抜こうかというほどの力で引っ張られて、上条は痛みに脚を止めた。

 反射的に右手を真紅に伸ばそうとして―――あわててその手を止める。包帯で巻いていても、もし緩んでいて素肌が真紅に触れれば彼女を殺してしまう。

 さきほど脱出の際に上条の『幻想殺し』について説明を受けた真紅。

 理解力と応用力はインデックス以上に思える彼女は、左手のふさがった彼は自分に抵抗できないことを承知でしているのだ。

「いいこと、当麻」

 ぱっ、と耳たぶを放し、真紅が上条の顔を覗き込む。

「貴方が焦ることで走る速さがあがるのなら、私は止めない。でも、そうではないのでしょう?」

「そ、そりゃそうだけどだからって落ち着いてなんか・・・」と、上条。

 だが真紅は、いいえ、と首を振った。

「自分では気がついていないでしょうけれど、いまの貴方は倒れる寸前よ。生身で水銀燈と戦い、契約した私が力を振るった。その上で、今までずっと走ってきている。このままじゃ先に貴方が倒れてしまうのだわ」

「・・・・・・」

 上条は荒く息を吐きながらも沈黙を返した。

 そんなことはない。

 彼はそう思う。もっともっと体力を失った状況で戦ったこともある。

 だが真紅の瞳に浮かぶ光が、その反論を喉元で押しとめていた。

 自分を真摯に心配してくれる相手の言葉を、大きなお世話だ、と切り捨てられるような人間ではないのだ。

 真紅は言葉を続ける。
93 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/21(日) 16:51:36.65 ID:TgoUeT2o

「お願い当麻。無理を言っているのはわかる。だけど、少しでいいから冷静になってちょうだい。貴方がここで気を失っても、私にはどうすることもできない。私は行き先がわからないし、迂闊に人前に出ればそれどころじゃなくなってしまうのだわ」

「・・・・・・」

 ここは学園都市だ。精巧な人形も自立駆動する機械も珍しくない。

 それでも真紅はそれとは別格だ。彼女が他の誰かに見つかれば、騒ぎにならないわけがなかった。

 魔術を理解しないこの都市において、彼女は研究材料として格好の的になるだろう。

「・・・・・・」

 上条は真紅から目を逸らし、大きく息を吸った。腹に息を呑み、ゆっくりと吐き出す。それを数回繰り返した。

 魔術師や能力者との戦いで、いつの間にか身についた腹式呼吸。

 バクバクと動く心臓が着実に酸素を全身にめぐらせ、代わりに本当に不要な分の二酸化炭素を排出していった。

 荒い呼吸は容易に過呼吸を引き起こすもの。息が切れるような状況ほど、的確な呼吸が大切なのである。

「・・・・・・」

 そうしてわかるのが、予想以上の自分の疲労だった。

 体力と打たれづよさ、回復力には自信がある彼にして、体の芯にねばりつくような疲労を明確に感じる。

 予想以上に、疲れていた。
94 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/21(日) 16:52:13.35 ID:TgoUeT2o

「・・・ごめんなさい」と、その表情を見て取った真紅が言った。

「契約は私の力を引き出すために必要な手続きに過ぎない。私が力を振るうと、どうしても、貴方の体力を奪ってしまうのだわ」

「そうなのか?」

「ええ」

 平静だがどこか申し訳なさそうな響きを持つ真紅の声。

 だが上条は、そんな彼女にちらり、と笑みを浮かべてみせた。

「んなもん、気にすることなんかないさ。必要ならどんどん使ってくれりゃいい」

 彼の口調は先ほどよりもずっと落ち着いている。呼吸はまだ乱れているが、荒いわけではない。

「でも・・・」

「それにさっき、真紅は俺を助けてくれただろ? この程度で文句言ってたら、バチが当たっちまうよ」

 ぐっ、と右手を握る。先ほどよりも力が入った。重かった脚も幾分軽くなったようだ。

「・・・よし」

 それを確認し、上条は顔を巡らせた。

 路地の隙間から見える表通りの風景で、現在位置を確認。改めて小萌の家まで距離とルートを再検索する。

 やや遠い。だが回復したいまの体力なら、途中数回の呼吸調整でたどり着けない距離ではなかった。

 逆に言えば、さっきまでの体調では途中で動けなくなっていた可能性のある距離である。
95 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/21(日) 16:53:40.81 ID:TgoUeT2o

「・・・真紅、しっかり掴まってくれ。ここからなら一気にいけると思う」

「わかったのだわ」

 真紅がうなずき、上条の首に手を回した。

「それと、その」

「?」

 駆け出すと思ったところで言葉が続き、真紅は上条の方に目を向けた。

 彼は横目で彼女を見ながら、

「さんきゅ、助かった」

「え・・・」

 それだけ言って、上条は地面を蹴った。

 もう彼は真紅を見ない。前だけを見て、路地を疾走する。

「・・・・・・」

 再びゆれ始めた視界。

 真紅は振り落とされないよう、両手に力を込めながら、

「まったく、世話のやけるマスターを持つと苦労するのだわ・・・」

 と、言った。
96 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/21(日) 16:58:40.06 ID:TgoUeT2o


「・・・見えた!」

 ビルの密集によって迷路のように張り巡らされた路地を疾駆し続け、もういくつかわからないほどの路地角を曲がった先。

 頬といわず額といわずに大粒の汗を浮かべた彼の目が、ついに目的地を視界に納めた。

 真正面。大通りに面した路地の切れ目。

 その大通りの向こう側に、築何十年かわからない二階建てアパートが見えた。

 アパートをはじめとする賃貸住宅が並ぶ、この住宅街。人口のほとんどを学生に占められているこの都市において、大人といえば教師と研究者がほとんどで、それ以外には商店デパートの従業員と言った所だ。

 家族と同居している学生は、せいぜいそれらの家族である場合のみでほとんど皆無である。ここはそんな比率的に圧倒的少数である大人たちの一角だった。

 昼時ということもあって、商店街と異なり往来はほとんどない。

 これなら上条の左腕に腰掛けた真紅も、そう目撃されることもあるまい。仮に見えたとしても、せいぜい学生が何かの悪乗りをしていると思われるだけだろう。

「すまんっ、このままっ、行くぞっ!」

 機関銃のように呼吸を繰り返しながら―――もう腹式呼吸をするだけの体力もない―――上条が真紅に告げる。

「ええ」

 対する真紅は必要最低限の返事だけを返した。

 上条の言う目的地の場所はわからない。だが彼の視線と表情から、もうそれが程近いのだろうということが伺えた。そこまでわかれば十分だ。
97 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/21(日) 16:59:06.85 ID:TgoUeT2o

 真紅は上条を見る。

 いくら冷静さを取り戻し、幾たびか呼吸調整をしたとは言っても、彼は人間だ。連続して動き続ければ疲労の蓄積は早くなり、回復は遅くなる。

 顔色は赤をとっくに通り越して青くなっている。迂闊に話しかければ、この男は律儀に質問に答えようとするだろう。これ以上負担はかけたくなかった。

(インデックス、姫神、小萌先生、頼む無事でいてくれ!)

 三人の無事を強く祈りながら、大通りに飛び出す。

 歩道を行く幾人かの主婦らしき人影が、赤色の人形を抱えて路地から出てきた少年を見て、ぎょっとした顔を浮かべた。

 それを視界の端に収めながらも、上条は無視。走る勢いそのままに、車のいない車道をつっきるためにガードレールを跳び越えた。

 平日の朝であってもラッシュとは無縁の車道を一息に走りぬけ、上条はアパートの敷地内に入った。

 小萌の部屋はアパートの二階だ。

 長方形型のアパートの角にへばりつくように設置された、鉄製の外階段。

 一直線にそれに向かい、今にも崩れ落ちそうな階段を二段飛ばしで駆け上がる。 踏みしめるごとにギシギシと音が鳴り、それが4回響いたところで階段が終わった。

(―――っ!)

 外階段から続く外廊下。洗濯機が並ぶその廊下の先に顔を向けた上条が息を呑んだ。

 ドアの開けっ放しになった部屋がある―――小萌の部屋だ。

 ドアは小さく揺れている。つい先ほど開け、そのまま放りだしたかのように。
98 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/21(日) 16:59:38.38 ID:TgoUeT2o

(ちっくしょう!)

 かっ、と頭に血が昇るのを感じ、全身に力が入った。

「当麻?」

 それを感じとった真紅が上条の顔を見た。

 犬歯をむき出し、歯噛みする上条。その形相で事態を悟ったのか、真紅の表情にも緊張が走った。

 そこに―――

 びゅうっ、と一陣の風が吹いた。

 大通り向こうのビル。その隙間から来る、ビル風だ。

「っ!」

 上条の見ている前で、風に吹かれたドアが動きはじめる。一度完全に開き、反対側の壁に当たって、今度は収まるべき枠組みの方に戻り始めた。

 もしもいま、このアパートに結界が張ってあったら、ドアが閉まった段階で開けることができなくなる。

 学生寮では真紅が効果範囲外だったが、今回もそうだと言う保証はない。

「―――っ!」

 もつれる脚を無理やり動かし、ボロボロの鉄筋の廊下を踏み抜こうかと言う勢いで走り出す。
99 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/21(日) 17:00:04.07 ID:TgoUeT2o

 だが。

(ちょっと待てこのやろうっ!)

 駄目だ。上条がドアの前に立つより、ドアが閉まってしまう方が早い。

 このままのスピードでは、文字通り、あと一歩間に合わない。

「扉が!」

 真紅が叫ぶ。

 結界の何たるかは知らずとも、どういうものかの察知はついていた。

 あの扉が閉まれば、やっかいなことになる。

 ホーリエに命じようと真紅は左手を持ち上げ、

「・・・っ!」

 その腕が凍りついたように止まった。

 もう限界に近い上条の体にこれ以上の負担をかければ、それこそ命がどうなるか。

 迷いが真紅の心を縛り、それ以上彼女は動けない。

「このっ、ふざけんっなぁっ!」

 しかし上条は一瞬たりとも迷わなかった。

 彼は右足を一歩として踏み出す代わりに、体を限界まで捻って蹴りを放った。

 ドアは動いている。結界内では、『コインの裏側』から『コインの表側』に影響を与えることはできない。

 だが、今現在動いているものに触れることができれば、三沢塾で経験したように『引っ張られる』こともある。

 うまくいけば中に入ることができるかもしれない。
100 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/21(日) 17:00:31.00 ID:TgoUeT2o

 それは諸刃の刃どころか、あまりにも無謀な賭けだ。もしも挟まれれば、まるで卵のように上条の足は押しつぶされてしまうだろう。

 だが―――だがそれでも、僅かでも開いてさえいれば。


 もしこの中に、いままさに攫われようとするインデックスたちがいたら。



 インデックスが連れ去られていても、姫神や小萌がいたら。



 残された彼女らが、怪我でもしていたら。



 上条にはわかっている。結界が張られていたら、その怪我をした彼女たちにすら触れることができない。

 だがたとえそうだとしても、上条には外から見ているだけしかできない自分など、認められない。

 そして。

 放物線を描いて戸枠に戻るドアの側面。そこに上条の靴が届く―――その直前。
101 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/21(日) 17:01:10.34 ID:TgoUeT2o



「あ、ドアが開いてるんだよ」

 ひょい、とその部屋の中から、見覚えのありすぎる白装束が顔を出した。

102 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/21(日) 17:02:23.49 ID:TgoUeT2o

「はあっ!?」

 上条が自分の目を疑い、

「へっ?」

 白装束―――インデックスが上条の方を見た。

「閉まってなかったんだよ閉めないといけないんだよ」とでも言うように平和な顔を向ける白装束の左手には、ちょうど当麻が真紅を抱えているように、スフィンクスが納まっている。

 彼女はそのスフィンクスが出て行かないようにドアをきちんと閉めようとしたのだろう。右手はしっかりとドアノブを握っていた。

 そして不幸にも、インデックスはドアをそのまま閉めるのではなく、勢いをつけようとして少しだけ前に押し出していたようだ。

 上条の狙い通りなら、ドアの側面―――鍵等の機構がある部分に当たるはずだった爪先は、必然的に、僅かに開いたドアの内側に突き刺さった。

 バァン、と盛大な音とともに、ドアが蹴り開けられ、

「うひゃあっ!?」

 インデックスの可愛らしくも間抜けな悲鳴があがる。

 彼女にしてみれば、閉めようとしていたドアがいきなり開いたのだ。それも閉める勢いをつけるため、僅かに押し出したまさにそのタイミングで。

 驚かないわけがない。

 人間の反射行動として強くドアノブを握ってしまうインデックス。それが災いし、白い少女は大きく前につんのめった。
104 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/21(日) 17:05:18.91 ID:TgoUeT2o

 一方、上条は疲労していた。水銀燈と戦い、真紅が能力を発揮したことで体力を使い、その上の全力疾走。いくら途中で多少の休憩を挟もうとも、体力はともかく筋力はそんな短期間では回復しない。

 そこに、全体重をかけた蹴り。

 脚がもつれ、蹴り足を制御することなど、できるわけがなかった。

 重力の作用に引かれ落ちた上条の足が、鉄製廊下をダァン!と踏みしめた。

 ビリビリと廊下どころかアパート全体が揺れ、小萌の部屋の天井からパラパラとなにやら砂のようなものが落ちる。

 そして、

「わっ、わっ、わっ」

 前につんのめったインデックスの脚が、

「ひゃあっ!?」

 上条の靴におもいっきり引っかかった。

 某牛丼超人のように前に倒れこみ、瞬間的に空中に浮く形になったインデックス。上条の蹴りにより慣性力を得たドアは、まだ開く方向に動いていた。

 そのままドアに引っ張られるようにして、インデックスは空を舞う。

 さらに不幸なことに、驚いた彼女は、ドアノブから手を離してしまっていた。

「あ・・・」と、上条の口から声とも吐息ともとれない音が漏れる。
105 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/21(日) 17:05:45.46 ID:TgoUeT2o

 異様なほどスローモーションで見える状況の中で、インデックスと上条の目が、確かに視線を交差させ―――

「――――――」

「――――――」

 ―――それでお別れだ。

 シスターの体が描いた華麗な放物線は、上昇最高点でちょうど外廊下の手すりを跳び越え、そのまま下降に転じる。

 廊下の手すりの向こうには、約5メートルほど下方に地面があるのみだ。

 野生の勘で危機を感じ取ったのか、スフィンクスは手すりを跳び越えるまさにその瞬間に、インデックスの腕から脱出した。

 そして今こそ、白い少女は上条の視界からフェードアウトしていく。
106 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/21(日) 17:06:12.14 ID:TgoUeT2o

 後日、それを室内から見ていた姫神は、

「びっくりした。人が空を飛ぶのなんか初めて見た。綺麗だった」

 と、述懐したという。
107 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/21(日) 17:08:36.93 ID:TgoUeT2o


 そんな風に、インデックスがアパート二階から強制紐なしバンジージャンプをしていたころ。

「・・・うーん、ちょっと買いすぎちゃいましたか」

 見た目十二歳趣味嗜好完璧大人な女教師小萌先生は商店街を歩いていた。
 
 両手に左右ひとつずつ提げられたスーパーの買い物袋の中身は、左は缶ジュースやらウーロン茶のペットボトルが数本。右は各種ビールと、煙草が1カートンというもの。

 重い。

(むすじめちゃんがいてくれたら楽だったのかもしれませんけど、どこかに出掛けちゃってるんですよねー)

 座標移動、という学園都市でもかなり珍しい能力を持つ現同居人の顔を思い浮かべる小萌。

 その同居人は、今朝から出掛けてしまっている。正確には小萌が起きたときにはもう姿はなく、『ちょっとでかけてくる』との書き置きだけ残っていたのだ。

 本当に用事があったのか、それとも食べ物処分パーティーを嫌がったのかは、小萌にはわからない。

(出来ればシスターちゃんと姫神ちゃんを紹介したかったんですけど)

 精神的に多少他人と距離を置く傾向にある少女のことを思う。

(まぁ、それはまた今度にしましょうか)

 小萌は心配に属する思考を中断し、前を向いた。
108 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/21(日) 17:09:07.19 ID:TgoUeT2o

 いつもと変わらぬ商店街が、いつもより若干多くの人混みで賑わっている。

 今日は朝からインデックスと、前の同居人である姫神との三人で様々な食材をやっつける作業に勤しんでいたのだが、その途中で飲み物が切れてしまったのだ。

 いくら食べ物が美味しかろうと、飲み物がぬるい水道水ではそれも半減と言うもの。

 そんな理由で、小萌は軽い運動も兼ねて、商店街まで脚を伸ばしたのである。

 インデックスも姫神も自分が買いにいく、と言っていたのだが、

(シスターちゃんに任せたら迎えにいく手間が増えるだけですしー、姫神ちゃんは何を買ってくるのかわかりませんからねー)

 はふー、とため息をついた。

 その吐息はすでに若干の酒精が混じっているが、それを咎める者はいない。この界隈で、小萌は有名人なのだ。当然、見た目どおりの理由でだが。

 小萌は両手にかかる飲み物の重さを安心の代償と考えることにして、いつも『趣味』で使う路地に入ろうと、手近なビルの角をひょいと曲がった。

 普段から家出少女を探して歩く身だ。ビルの乱立で複雑化した路地の中でも、彼女は完璧に把握している。どこが危険でどこがそうでないかのさじ加減はよくわかっていた。

(今日は連休初日ですからねー。もしかしたらその辺りにいるかもしれませんし)

 家までの近道を選択しながらも、一応周囲を気にしながら歩く小萌。  
109 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/21(日) 17:09:35.82 ID:TgoUeT2o

 その様は客観的に見たら、初めてのお買い物で迷子になった少女、という風情。間違っても家出少女を保護しようとしている教師には見えない。

 夏休みの間に学生寮に移った姫神に代わって転がり込んだのが結なのだが。

 そんな妙と言えば妙、教師らしいといえばそうも言える『趣味』に勤しんでいた小萌が脚を止めたのは、ちょうど次に角を曲がれば大通りと彼女のアパートが見えてくる、というところだった。

 ぽてぽてと歩いていた小萌は、自分の呼吸を細く緩やかにして、右手側の細い細い路地の方に耳を傾けた。

「・・・・・・」

 ビルの間の隙間が細すぎるため、昼にも関わらずかなり薄暗い路地。

 高い音をたてて吹く隙間風に混ざって、

「ン・・・スン・・・ゥェ・・・」

 聞こえた。

 小さな、ほんとうに小さな泣き声。

 それは、小萌が『そういう声』がしないかどうか注意していたゆえに聞こえたと言っていいほど、か細いものだ。

 彼女の表情が一瞬にして教師のそれになる。そしてそっとその場に買い物袋を置くと、じっ、と路地に目をやった。

「・・・・・・」

 しばらくそうしていると、目が慣れてきて、路地の奥がうすぼんやりと見えるようになってきた。

「グス、スン、ウエェン・・・」

 それと同期するように、風にまぎれてはっきりしなかった声が、幾分はっきりと聞こえてくる。

「誰かいますかー? どうしたんですかー?」

 そう声をかけながら、小萌は路地の中に脚を踏み入れた。

 小柄すぎる小萌にして、ギリギリの狭さ。そして、

「ひうっ!?」

 幼さのある声が、驚きを乗せて耳に響いた。
110 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/21(日) 17:10:10.90 ID:TgoUeT2o

(あらら、どうも迷子っぽいですね)

 その予測を裏付けるように、少しだけ進んだ奥に浮かび上がった人影は、小萌よりもなお小さい。

 何か箱のようなものの傍で、両手を顔に当てて蹲っていた。

 襟元までだが軽くウェーブした髪に、薄暗闇でもわかるひらひらとした服。間違いなく女の子だろう。

 もう少し近くに寄ろうと踏み出した小萌の足が、ざっ、と音をたて、

「っ!」

 ビクッ、と震える少女。

「あ、ごめんなさい、驚かしちゃいましたね。大丈夫ですよー怖くないですよー」

 そう言いながら、小萌はひょい、としゃがみこんだ。相手と目線を合わせたのは、上から見下ろして不安がらせないための措置である。

 それが功を奏したのか、少女がそろそろと顔を上げた。

「グス・・・だぁれ・・・?」

 予想通り。ずいぶんと、幼い声だった。

「わたしですかー? わたしはねー、先生ですよー」

「先生・・・?」

「そうですー。小萌先生って言いますー。よろしくですお嬢ちゃんー」

「う、うぃ」

 小萌の方が路地入り口側にいるせいで、こっちの顔がよく見えないのだろう。どこかビクビクとした口調で返事をする少女。

 なるべく刺激しないよう、無駄だとはわかっているが小萌はにこりと笑顔を浮かべる。

「でー、小萌先生はー、お嬢ちゃんに教えてほしいことがあるんですー。いいですかー?」

「う・・・? なぁに・・・?」

 反応があり、小萌は内心で手を打った。ここまでくれば、とりあえずは大丈夫だろう。後は、ゆっくりゆっくりと聞きたいことを言えるように誘導してやればいい。
111 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/21(日) 17:10:45.42 ID:TgoUeT2o

「お嬢ちゃんのお名前ですー。小萌先生、お嬢ちゃんのお名前が知りたいですよー」

「うゆ・・・名前・・・」

 少女はある程度警戒を解いたのか、目元に当てていた両手のうち片方を、胸元に下ろした。

「そうですー。お嬢ちゃんとっても可愛いですからねー。小萌先生はお嬢ちゃんのお名前も聞いてみたいのですよー。きっと可愛らしいんでしょうねー」

「うぃ・・・」

 ぐすっ、と涙を引き上げる音。続いてゴシゴシと少女は目元を擦った。

「名前・・・」

「はい、名前ですー」

「ヒナは・・・ヒナの名前は・・・」

「はい、ヒナちゃんのお名前はー」

「ヒナは・・・雛苺・・・」

 ひくっ、としゃっくりに似た音が響き、少女が顔を上げる。

「ヒナの名前は・・・雛苺なの」

 薄暗闇の中。

 涙で濡れた少女の翡翠の瞳に、小萌の姿が映し出された。
112 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/21(日) 17:13:08.48 ID:TgoUeT2o


「どうぞ」

 コトリ、と小さな音をたててテーブルの上に、小さめのカップが置かれた。

「あ、ありがとうなのだわ」

 若干戸惑い気味に礼を言いながら、真紅は取っ手のない、俗に『湯飲み』と称されるそのカップを小さな両手で包んだ。

 彼女がらしくなく居心地悪そうにしているのは、目の前にいる和装の少女の、文節ごとに切るような話し言葉のせいでも、湯のみの中に紅茶が満たされているというアンバランスさによるものでもない。

 部屋の出入り口であるドアの内側玄関部分で起こっている凄惨な状況が原因だった。

「あの・・・」

 と、遠慮がちに口を開く真紅。

 だが彼女が続きの言葉を言う前に、

「姫神秋沙」

 と、真向かいに腰掛けた和装の少女が言った。

「え?」

「私の名前。姫神秋沙」

「あ、わ、私は真紅なのだわ」

「そう。わかった」

「・・・・・・」

 それで会話が終了してしまう。

 真紅が目覚めて2番目に話をした人間は、これまた彼女の姿かたちになんの疑問も持っていないようで、驚いた様子もあれこれと聞いてくることもない。

 真紅にしてみれば説明する手間が省けて助かるのだが、逆にこうもリアクションがないと、それはそれで落ち着かなかった。

(・・・この時代ではこれが普通の対応なのかしら)

 そんな風に思わないでもない。

 だが、このまま黙っているわけにもいかなかった。
113 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/21(日) 17:13:41.30 ID:TgoUeT2o

「それでその、秋沙」

 意を決して、真正面に座りなおした姫神に話しかける。

「なに」

「その・・・彼女、そろそろとめた方がいいと思うのだけれど・・・」

 玄関付近に視線を向けながら、真紅が言う。

 だが姫神は、ちらり、とそちらの方に目をやってから、

「問題ない。むしろ。彼にはいい薬」

 それだけ言って、自分用に淹れた湯のみ(紅茶入り)を傾けた。

「・・・・・・」

 真紅の手の中の湯飲みは温かかったが、にべもない彼女の言葉と視線に寒気を覚えざる得ない。

 どこか引きつった表情を浮かべながら、真紅は視界の端ギリギリに見えるその『惨状』から、完全に目をそむけた。

 白い猛獣が、人の形をした肉を咀嚼している。

「・・・・・・」

 もうかなりの時間、この『惨状』は続いていた。

 真紅の持つ紅茶は、香りでわかるほど丁寧に淹れられたもの。

 『惨状』の開始と同時に、姫神が淹れ始めたところをとっても、経過時間は20分以上は硬かった。
114 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/21(日) 17:15:44.21 ID:TgoUeT2o


 あの見事な放物線を目撃してから、上条のとった行動は迅速だった。

 即座に手摺りから下を覗き込み、シスターが大の字で心持ち平べったくなっているのを確認。

 直後、やけに事務的な動きで部屋の中に入って真紅を下ろすと、なぜか巫女装束の姫神に「説明は後でするからお茶を出してやってくれ」と告げた。

 その後、玄関ドアの目の前で正座をすると、それはそれは見事な土下座をしたのである。

 上条が頭を下げたと同時に、勢いよくドアを開けて入ってきた白色―――いや、土色のシスターは、一応シスターらしくすべてを許すような慈愛の笑みを浮かべていたが、真紅にはそれが悪魔の形相に見えたものだ。

 その後の光景は、正直思い出したくない。

「で、でも当麻はもう気を失っているのだわ。これ以上はいくら彼でも危険だと思うのだけれど」

 思い出したくない。

 思い出したくないのだが、目を逸らしつづけるにはあまりにも残虐だ。

 勇気をもって発した真紅の言葉だったが、

「止めたいならば。あの間に割ってはいるといい。貴女がそうするのを。私は止めようとは思わない」

 姫神はにべもない。

 『惨状』にはまるで関心がないように、紅茶に口をつけている。
115 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/21(日) 17:16:55.15 ID:TgoUeT2o

 察するに、姫神も上条が心配していた相手の一人だと思うのだが、当の彼女は彼を心配している様子はなかった。

 いや、シスタ――――髪や瞳の色から考えて彼女がインデックスだろう―――が落下して、上条が部屋の中に入った当初は、この未来を予測していたのか、薄くであるが心配そうな顔をしていたのだ。

 しかし、真紅が上条の首に手を回していたところと、彼がその真紅を丁寧に床に下ろしていたところと、そして彼の左手薬指に薔薇を模した指輪が嵌められているところを目撃してから、やけに雰囲気が厳しい。

 もちろんそれは真紅に向いたものではないのだが。

「・・・・・・」

 真紅はもう一度、上条の方を見た。

 噛み付かれ始めてから5分ほどは大声で謝罪の言葉を口にしていたし、それが聞こえなくなってもまだビクビクと小さく痙攣していたように思う。

 しかしつい先ほどからそれもなくなり、完全にされるがままだ。痛みのために握り締められていたはずのコブシも、力なく開いてしまっている。

 やばそうだ。

 やばそう・・・なのだが。

(・・・ごめんなさい当麻。私は誇り高き薔薇乙女。お父様に頂いたこの体に歯型をつけるわけにはいかないのだわ)

 自分の誇りと意思により護ると誓っていても、流石にあの光景に割ってはいる度胸はない。

 真紅は目を閉じると、震える両手で湯飲みを持ち上げ、ゆっくりと口を付けた。
116 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/21(日) 17:18:32.07 ID:TgoUeT2o


 雛苺という少女が泣き止むまで、都合30分が必要だった。

「はい、よくできましたねー。いいこいいこ」

 いまだぐずっている雛苺の頭を撫でながら、小萌は内心で安堵の吐息を吐いた。

 名前を聞き出すところまでは順調だったが、その後が苦労したのである。

 どうしてここにいるのか、何をしているのか、親御さんはどこにいるのか。

 とりあえず必要な情報を聞き出そうとしたのだが、その度に少女はグスグスと泣き出してしまったのだ。

 それをイライラすることなく宥めすかすことができたのは、小萌が根っからの教育者であったからであろう。

「・・・ヒナ、いいこ?」

「はいー。とってもいいこですよー」

「・・・えへへ」

 にぱっ、と笑う少女。

 まだ瞳は涙に濡れているが、先ほどまでのように不安に彩られてはいない。頭を撫でる小萌の手に幾ばくかの安心感を得ているようだった。
117 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/21(日) 17:18:59.26 ID:TgoUeT2o

(うんうん、これなら大丈夫そうですね)

 それだけで苦労が報われたような気持ちになり、小萌も嬉しそうな笑みを浮かべた。

 その笑顔のまま、

「それで、ヒナちゃん。小萌せんせーに教えてくれますか?」

 頭を撫でながら、雛苺と目の高さを合わせる。

「う?」

 首をかしげ、小萌を見上げる雛苺。

「ヒナちゃんは、どうしてこんなところにいたんです?」

 どう見ても、雛苺は10歳にもなっていない。どんなに贔屓目に見ても5歳か6歳といったところだろう。

 そんな年代の少女が、そもそもこんなところにいること自体が不自然だった。

 それに小萌は、伊達にこの界隈で『趣味』をしていない。これだけ目立つ少女がいれば、見覚えくらいはあるはずである。

 だが雛苺は小首を傾げ、

「ヒナ、言われたのよ」

 と、言った。
118 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/21(日) 17:19:26.99 ID:TgoUeT2o

「言われたの、ですか?」

 鸚鵡返しに問う小萌。

「うい」

 雛苺はこくりと頷き、続ける。

「ヒナ、目が覚めて、それで、待ってるように言われたの。それで待ってたら、小萌に会ったのよ。で、で、こもえに会ったから、ヒナはこもえと行かなくちゃいけないの」

「う、うーん」

 たらりと汗をかく小萌。

 雛苺の言うことは、年齢を考えたら仕方ないのかもしれないが、要領を得ない。

(目が覚めたらってことは、ここに来るまでは寝ていたってことですよね。でも、待っているように言われてったことは、わざわざここに置いていった事になってしまいます)

 そんなことをするメリットがどこにあるというのだろうか。というか、こんな小さな娘を(しかも寝ている娘を)こんなところに置いていくなんて、あり得ない神経である。

(それに、行かなくちゃいけない、って言いましたか。それじゃどこかで待ち合わせを? でもこんな小さな子に一人で? ・・・なんだかよくわかりませんねー)

「・・・ヒナちゃんにここで待っているように言ったのは、ヒナちゃんのお母さんなんですかー?」

「ノン」

「え、じゃあお父さん?」

「ノン」

「え、ええーと・・・じゃあ、誰なんですかー?」

「人形のおねぇちゃんなのー」

「・・・・・・」

「お?」

 沈黙する小萌に、雛苺は再度首をかしげた。
119 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/21(日) 17:19:59.17 ID:TgoUeT2o

 見上げてくる少女の視線は、まるっきり純粋なものだ。わざと小萌を困らせてやろうとか、そういう意図があるようにはまったく見えない。

 いやそもそも、この少女は先ほどまでここで泣いていたのだ。不安を覚えていたこの娘がわざわざ嘘を言う可能性など皆無であると言えた。

(人形のおねぇちゃん、ですか)

 この地区のことであれば大抵のことがわかる小萌であるが、流石にこの条件では誰を意味しているのかまではわからない。

 おそらく彼女の近しいところにいる、人形をたくさん持っている女性あたりだろう。

 だが口ぶりから察するに、血縁としての姉と言う感じではなさそうだ。

 そもそも、父母の可能性を否定しているのがよくわからなかった。

「・・・・・・」

「?」

 改めて雛苺に目をやる小萌。

 少女は先ほどの怯えたようなものからは考えられないほど柔らかな表情を浮かべている。

 普通ならば、然るべき機関に預けるのが、もっとも早い解決策だろう。

 やはり個人の力と組織の力の差は大きい。それにこれだけ特徴的な少女だ。捜索願いでも出されていれば、すぐにでも保護者の元に戻れるはずである。

 しかし、今回の場合はどうも様子がおかしかった。彼女の話す内容から、保護者らしき人物の影も見えないのである。

 そしてそれ以上に―――自分を純粋に信じてくれている雛苺をひょいと別の人間に預けるのは、正直気が引けた。それこそ彼女は、自分が置いていかれたように感じてしまうかもしれない。

 この時期の少女にそういう意識を持たせるのは、小萌としては避けたいのである。
120 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/21(日) 17:20:25.40 ID:TgoUeT2o
(・・・仕方ないですねー。シスターちゃんと姫神ちゃんには電話することにしましょう)

 ちらりと自分の背後に置いてある買い物袋を見る小萌。自分のアパートはすぐ近くであったが、事態が事態だ。こっちのことを優先させることにする。

「じゃあヒナちゃん」

「うょ?」

「ヒナちゃんは、どこかに行かなくちゃ行けないんですよね?」

「そうなの。こもえといっしょに行くのよ」

「ん、じゃあ小萌せんせーを、いまからヒナちゃんが言われた場所に連れて行ってくれますか? ヒナちゃんは、それがどこだかわかりますか?」

「ノン、でもベリーベルが教えてくれるのよ」

「べりーべる?」

「うい。ヒナの人工精霊なの」

「人口政令? う、うぅーん・・・とりあえず、行き先はわかるんですね? じゃあヒナちゃん、小萌せんせーと一緒に行きましょう」

 そう言って、小萌は立ち上がり、雛苺に向けて手を差し出した。

「うゆ?」

「せんせーとお手手を繋ぎましょうかヒナちゃん。せんせーはどこに行けばいいのかわからないので、迷子にならないようにヒナちゃんが手を繋いでください」

「・・・・・・」

 雛苺は驚いたような表情を浮かべた後、

「えへへー」

 にぱっ、と笑い、小萌の手を取った。

「じゃあ行くの! こもえ、迷子になっちゃだめなのよ?」

「はい、じゃあ小萌せんせーを連れて行ってくださいね?」

 歩き出す雛苺。

 スキップするような少女の歩調に脚を合わせ、小萌も脚を踏み出した。
121 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/21(日) 17:20:51.25 ID:TgoUeT2o


・・・・・

・・・





 そして、二人が歩き去ってから。

 つい先ほどまで、雛苺が蹲っていたその僅か一歩奥。

 そこにあるのは大きな鞄。雛苺自身がすっぽり入りそうな、高価そうな鞄だ。

 薄暗いため、小萌が気に留めなかったそれの蓋が、



 ギィ



 とひとりでに開いた。

 そしてその中から、ふわり、と桃色の光球が浮かび上がる。

 光球は周囲の薄暗闇を払うように一度大きく光った後、逆にその光量を落とした。 薄暗い路地の中でさえぼんやりとしか見えなくなった光球。

 それは音もなく、しかし弾かれたような勢いで上昇し、陽光の中に身を晒す。

 午後真っ只中の光の中、人の目にほとんど映らなくなった光球は、一気に加速してその場から離れ、飛び去った。

 その光球が描いた軌跡の下に。



 小萌が、一人の少女とともに、歩いている。
122 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/21(日) 17:27:06.33 ID:TgoUeT2o


 学園都市第七学区・常盤台中学学生寮。

 石造り三階建ての、洋館と見間違う風のその建物も、今日はどこか浮ついた雰囲気に満ちていた。

 連休初日ということに加え、昼前ということもあり、寮の中に人影はまばらである。

 大覇星祭が終了して数日。後片付けも終わった最初の休みとあれば、普段なら鬼と呼ばれる寮監により引き締められている空気も、緩むというものだろう。
123 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/21(日) 17:36:15.47 ID:TgoUeT2o


「はー」

 と、白井黒子は若干の疲れが残ったため息を吐いた。

 年齢にそぐわない、やけに面積が少なく透過率の高い下着をつけただけの彼女。

 シャワー直後であるため若干湿り気を帯びた髪を気にしながら、柔らかいスプリングのベッドに後ろ手に手をついて腰掛けていた。

「・・・少し、寝不足ですわね。まったく、十分な睡眠は乙女に必要不可欠だというのに」

 そう言う白井の顔には、確かに疲労が見える。

 昨夜、風紀委員の仕事で急遽呼び出され、明け方まで仕事をこなしていたせいだ。

 眠い。

「初春はきっとまだ夢の中でしょうね」

 ともに仕事をしていた同僚のことを考え、つい苦笑が漏れる。早朝、別れたときに頭の花飾りが若干萎れていたのがやけに印象に残っていた。

 これで今日も夕刻から仕事があるのだから、連休というものの意義を問いたくなってもくる。

「まぁでも」

 一転、にへら、と白井の頬が緩んだ。

 目を覚ましたのはいまから2時間ほど前の、ちょうど9時になろうかという時刻。その時にはもう何処かに出掛けたのか、同室である御坂美琴の姿はなかった。

(お姉様の温もりと残り香を堪能できたのはまさに僥倖でした)

 ウヒヒヒヒ、と、よだれでも垂らしそうな顔で笑う。
124 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/21(日) 17:36:41.61 ID:TgoUeT2o

 深夜に呼び出しを受けた自分に気を遣ってくれたのだろう。白井が目を覚ましたところ、普段はきちんと畳まれて整頓されるはずの美琴のベッドが、そのままになっていたのである。

 そこに潜り込まない道理はない。

(・・・シャワーを浴びて、お姉様の香りを手放さなければならなかったのは失敗でしたけど)

 つい本能の赴くままにダイビングしたため、理性復活後に入浴すべきか香りを残すべきか大いに迷ったものだ。

 とはいえさすがにそこは乙女心。仕事明けに学内設置の簡易シャワーを浴びただけで今日を一日闊歩するのは、流石に躊躇われたのである。

「それにしても、」

 ぽん、と自分が座るベッドを軽く叩き、思う。

 美琴は何処に出掛けたのだろう。

 普段であれば、休日だから買い物にでも、と考えるところである。

 立ち読みが趣味という美琴であるので、そう言われても不自然ではないのだが。

(・・・例の一件がお耳に入っていたとしたら、わからないですわね)

 例の一件―――それは、昨夜呼び出しを受けた事件のこと。
125 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/21(日) 17:37:09.09 ID:TgoUeT2o

 電撃使い襲撃事件。

 それはそのように呼称されていた。

 どんなものかはもう、呼称名そのままである。

 学園都市内の電撃使いが、次々に襲撃されているのだ。

 事件の起こりは、正確にはわからない。だが初春がまとめた情報によると、大覇星祭開催と同じくらいに、第一の事件はもう起こっていたとのこと。

 当初はただの競技内の怪我か、もしくはそれに端を発する小競り合いと思われていたらしい。

 しかしそれらをひとつひとつ調べていくと、その異常さは浮き彫りになっていった。

 電撃使いだけが狙われていること。

 その中でもレベル3の女性だけ、ということ。

 被害者は建物の中でだけ発見されること。

 にも関わらず、まったく人目につくことがないということ。

 意識を取り戻した被害者は、襲撃された記憶を失っていること。

 そして何よりも特殊で異常なのが、
126 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/21(日) 17:37:36.45 ID:TgoUeT2o

(・・・被害者は、能力が使えなくなっていること)

 白井が、すう、と目を細めた。

 実際には能力がなくなったのではない。

 計測上、襲撃される前と数値はまったく変わらない。しかしある程度以上の力を発現しようとすると、突然『力が抜ける』らしい。

 具体的にどんなものなのか、被害者の証言だけであるのではっきりしないが、症状はみんな同じなのである。

(なのに、精神感応能力も念写系能力でも詳細不明、か)

 それだけ特徴的な事件であるにも関わらず、事件概要はほとんど不明。

 探査系能力で何があったかをしろうとしても、まったく読み取れず、念写もできないのだという。目撃者もおらず、周囲の監視カメラはなぜかその時間だけ動作不良を起こして砂嵐という有様だ。

 能力損失という結果から考えて、犯人は精神系の能力だとは思われた。だが、戦闘向きの電撃使いを相手取って優位になれる能力者など、数えるほど、というか一人しかいない。

(でも第5位はアリバイも完璧ですし、そもそもそんなことには興味がないはず)

「・・・・・・」

 はぁ、と白井は先ほどとは異なる思いの混ざったため息をついた。

 とりあえず現状、このことは外部に漏れてはいない。

 能力者が狙われている、という程度のことはこの学園都市では普通である。というか、ほとんどが能力者なのだから噂にすら上らない。
127 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/21(日) 17:38:03.80 ID:TgoUeT2o

 だが、昨日。

 ついに常盤台中学の生徒で、しかもレベル3以外の―――レベル4が初の被害にあったのだ。

 被害場所は、常盤台中学の体育館。

 大能力者の事実上の能力損失と校内への侵入。いずれも一級のスキャンダルである。面子と対面を気にする名門らしく、発見者への箝口令と風紀委員の招集は迅速だった。

 辛うじての救いは被害者が戦闘向きの能力ではなく、電子機械にアクセスする等で力を発揮するタイプだった、ということだろう。常盤台学園上層部は、被害者が本来の力を出せる環境ではなかった、と失態に理由付けをしているはずだ。

 だがもし。

 この事件に御坂美琴が巻き込まれ、万が一にでも能力損失などということになれば。

「・・・・・・」

 美琴はこの学園都市第三位の超能力者だ。はっきり言ってまともにやりあっていいような存在ではない。このことは学園都市に住む者なら誰でも知っている。

 彼女の矢面に立って畏れないのは、同じレベル5か、美琴が言うところの『あの馬鹿』くらいのものだろう。

「・・・・・・」

 だがそれでも、白井は心配だった。

 下手人がどんな能力でどんな者なのかはっきりしないことも理由のひとつだが、それ以上に、御坂美琴の人柄をよく知るがゆえ。

 この都市で電撃使いの代名詞と言えば、間違いなく美琴だ。

 事件を知る人間は、こう思うに違いない。
128 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/21(日) 17:38:32.25 ID:TgoUeT2o



 一連の事件は超電磁砲を打倒するためのデモンストレーションだ、と。

129 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/21(日) 17:39:02.75 ID:TgoUeT2o
 この事件の『詳しいこと』を美琴が知れば、彼女は必ず解決しようとするに違いない。それも、誰に何も告げず、独力で。

「・・・・・・」

 白井は己の両手を、ぎゅっ、と握りしめた。

 ほんの10日ほど前に負った大怪我は、ようやく回復したというところだ。あまり激しく動くことは出来ないし、件の医者にも止められている。

 それでも。

 もし美琴が独りで戦おうとするのなら、白井は全力でそれを追うだろう。たとえそれがどんなに苦痛を伴っても。

 風紀委員としてではなく、彼女自身の思いとしてそれを決意した白井が、もう一度コブシに力を入れた。

 ―――と。

 キー・・・と小さな音をたてて、部屋のドアが開いた。ゆっくりと、そろそろと、中にいる者に遠慮するような開け方である。

 この部屋にノックなしで、しかもいま、そんな風に開けようとするのは一人しかいない。

「お姉様?」

「あら黒子。起きてたの?」

 声をかけると一気にドアが開き、予想通りの相手―――美琴が、コンビニ袋を片手に部屋に入ってきた。

 白井は頷きながら、

「はい、30分ほど前に」

 と、言った。

 普通に嘘だがそんな様子は微塵も見せない。
130 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/21(日) 17:39:38.38 ID:TgoUeT2o

「そう。・・・でも珍しいわね、風紀委員が深夜に呼ばれるなんて。そんな面倒事だったの?」

 対する美琴はその言葉を疑う風もなく、自分のベッドにコンビニ袋を置いた。

 そして白井に背を向け、何やらゴソゴソと探っている。

「ええ、どうも常盤台の校舎で暴れた者がいるようでして。そのせいで朝方まで調査が行われたんですの」と、白井は予め用意された『事件内容』を言った。

 ただでさえ人の口に戸はたてられないものだ。ついでに、学舎の園と言えば都市の中でも閉鎖的な場所である。どうしたって事件は噂になってしまう。

 ならば初めからある程度情報を渡してしまえばいい。それも、多少の事実が混ざった状態で。

 そうすることで少しでも真実を遠ざける。あるいは霞ませようとしているのだ。

 この『事件内容』を作ったのは常盤台中学の上層に違いないが、美琴をこの事件から遠ざけておきたい白井としても都合のいいものだった。

 もちろん、美琴を騙すような形になることに罪悪感がないわけではないが。

「・・・ふーん、また無茶をしたのね。下手すれば転校ものだってのに」

「ええ。中々に大胆だと思いますわ。とはいえまだ下手人は捕まりませんでしたので、今夜からしばらく夜間パトロールが入りますの」

「それもまた大変ねぇ・・・って、あれ? そういえば布団、畳んでくれたの?」

「あ、はい。わたくしを起こさないようにしてくださったのでしょう? ですから」

「そんなのよかったのに。でもありがと」

「い、いいえ、そんな当然のことですの」

 香りを堪能できましたし、などとは当然言わない。というか、言えない。

「じゃあお礼代わりに、はいこれ」

 そんな白井の内心を知るわけもない美琴が、振り向かないまま、ひょい、と何かを放り投げてきた。

 見てもいないのに正確に飛んだそれを、白井は胸の前でキャッチ。すると手の平に冷たい感触。
131 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/21(日) 17:40:09.40 ID:TgoUeT2o

「なんですの?」

 軽く首をかしげながら手元を見た白井の、その目が大きく見開かれた。

「こ、これは・・・!」

 わなわなと震える彼女の手の中には、小さな褐色の瓶。俗に言う栄養ドリンクというやつだ。

 今日も一日元気でファイト、アリビタンCである。

「どうせまた朝まででしょう? 気休めだけど飲んどきなさい」

 ちょっと温くなったけどね、と美琴は言葉を追加。

「・・・・・・」

「でも珍しいわね。深夜に呼び出されるだけじゃなくて、夜からパトロールだなんて。そういうのは警備員がするもんでしょうに」

「・・・・・・」

「・・・? 黒子?」

 まったく返事をしない白井に、美琴が不思議そうに振り返った。

 そんな彼女が見たのは、
132 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/21(日) 17:40:36.58 ID:TgoUeT2o



 カシュ



 と炭酸の抜ける音すら飲み干そうと言うかのように、おもいっきり反り返って栄養剤を飲む白井の首筋だった。

 コクコク、などというかわいらしい音など微塵も似合わない、表現するならズゾゾゾゾ、とでも聞こえてきそうな見事な一気飲み。

 一瞬で小ビンから液体がなくなり、それだけでは飽き足らず、舌まで入れてビン内部をなめ回している。

「・・・・・・」

 あまりの飲み方に絶句している美琴の目の前で、白井はひとしきりビンの中を舐めてから、カクン、と首を戻した。

 夢見心地のような、うっとりとした瞳が美琴を捉らえる。

 大好物を見つけた獣のような―――いや、御坂美琴を見つけた白井黒子の目だ。もうそれ以外の表現は不可能で、それ以上の表現はない。

「っっっ」

 美琴の背筋を、かつてない怖気が駆け上がった。
133 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/21(日) 17:41:14.49 ID:TgoUeT2o
 だが彼女が迎撃の準備を整えるよりも一瞬だけ早く、

「お姉様からお誘いいただけるなんて! 黒子、至上の喜びですの!」

 シュン、と白井の姿が掻き消えた。

 空中に取り残された小ビンがベッドに落ちると同時に、背後から抱きつかれる美琴。

 細い白井の右手指が、美琴のブラウスの裾に滑り込んだ。

「ちょ、ばっ、は、離しなさいこら! 誰が誘ってっ、わっ、さ、誘ってなんかないったら!」

「お姉様! お姉様がわたくしのことをそんなに想ってくださるなんて! 黒子は! 黒子はあぁ!」」

「ふにゃっ!? や、こらやめなさい黒子! やめっ、ひゃあっ!? あ、あんたどこ触ってんのよ!」

「さあお姉様! 今夜はしっぽりねっとりぐっちょりわたくしと! ご期待にはすべて必ずおこたえいたしますの!」

「今夜っていままだ朝じゃないっ、って、ブラをずらすな手を差し込むなぁ!」

「ご遠慮なさらないでください! わたくしのほとばしる想い(パトス)と、お姉様の愛情と欲情が詰まった栄養剤があればっ、不肖わたくし24時間以上でもっ」

 そして白井の左手が、スカートから覗く美琴のもを撫で上げ―――

「いっ、」

 美琴のこめかみに、ぴききっ、と怒りの青筋が浮かんだ。そして、

「いい加減にっ、しろーーー!」

 バリバリバリィッ! と、空気を引き裂くような音が、室内に響き渡った。
134 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/21(日) 17:41:52.40 ID:TgoUeT2o


「と、ところでお姉様」

 30分後。

 白井は不機嫌そうにベッドに腰掛ける美琴におそるおそる、と言った調子で話し掛けた。

 電撃により面白いことになった髪は、もう一度シャワーを浴びることでなんとか元に戻っている。

「なによ」

 返ってくる美琴の声は、冷たいもの。

 白井は美琴の前髪がいまだパチパチと言っていることに頬を引き攣らせながら、

「もしよろしければ、昼食、ご一緒にいかがでしょうか。この間、雰囲気の良い店を見つけまして・・・」

 と、言った。

「あんた今夜パトロールでしょ。まだ寝ておきなさいよ」

 だが美琴は組んだ腕を解かない。

「いえ、あの、パトロールにしても夜間ですし、集合も暗くなってからですので・・・」

「昨日夜中に誰かさんがゴソゴソしてたし、ついでにさっきの電撃で疲れたから、私いまから昼寝したいんだけど」

「そ、そんなことおっしゃらないでくださいまし。さっきのことでしたら、わたしくも反省しておりますので・・・」

 普段なら多少のことは数言の応酬で終わるのだが、流石にブラをずらしたり短パンの裾から指を侵入させたのはまずかったのだろう。

 たいそうご立腹なご様子である。

「お、お姉様」

「・・・・・・」

 ちらり、と白井を見る美琴。(ぎくっ、と白井)

 そしてとある少年からビリビリと呼ばれている彼女は、

「とりあえず髪、早く乾かしなさい。風邪ひくわよ」

 そう言って、はぁ、と深いため息をついた。


147 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/29(月) 23:44:17.14 ID:GF31udMo

 小萌が雛苺という少女とともに歩き始めて約20分。

 二人は商店街を抜け、どちらかというと学生で賑わう方向に歩を進めていた。

 食事時も半ばを過ぎようかという時間帯になり、道を行き交う人の姿も増えている。

 そんな雑踏の中を、小萌は雛苺とはぐれないようにだけ注意しながら、

(ちょ、ちょっと視線が痛いのです)

 と、内心で汗をかいた。

 学園都市の人間は、その進みすぎた技術や特殊な環境からややずれた者が多いが、それでも一般的な視点を失っているわけではない。

 なんというかもう、目立ち方がすごかった。

 小萌自身はそう目立つ風貌ではない。

 もちろん年齢比で言えば大いに首をかしげられる体躯であるが、彼女単体としてみれば、不本意ながらも一応一般的な小学生に見えるのだ。

 だが、雛苺は違う。

 学園都市は留学生もいるし、妙なファッションをしている者も多い。能力の余波や実験のせいで髪の色や瞳の色が変化した者だって存在する。

 しかし金髪で長髪でひらひらのドレスな雛苺の風貌は、目を引くことこの上ないものだった。
148 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/29(月) 23:44:45.59 ID:GF31udMo

「それで、ヒナは花丸ハンバーグが好きになったのよ」

 小萌の顔を見上げて話し続ける雛苺は、幸いそう言った周りの視線に気がついていない。小萌に話をするのが楽しくて仕方ないと言った様子だ。まだそういうことに違和感を覚える歳ではないのだろう。

「そうですかー。それはおいしそうですねー。小萌先生も食べてみたいですよー」と、小萌。
 
 自分のことを一生懸命に話す雛苺に逐一返事をしながらも、彼女は小さな雛苺の様子をしっかりと見る。

 幼女にしてはそれなりに長い距離を歩いている。いまは雛苺に疲労の色はないが、相手は小学生未満である。いつ体調が変わるかわからない。

 そして何より、このくらいの年齢の子供は、周囲の雰囲気の影響をたやすく受けてしまう。気づいていないいまはいいが、彼女に向けられる雰囲気はあまりよいものではないのである。

 小萌としては目的地までバスなりなんなりを使いたいところなのだが、いかんせんその目的地がわからないのだから使いようがなかった。

 さらに彼女の懸念事項として、

(・・・困りましたねー。どうやってシスターちゃんたちに連絡しましょうか)

 近場に出てくるからと、携帯電話を持ってこなかったのは失敗だった。

 自分の家の電話番号がわからないわけがないが、科学万能のこの都市には公衆電話というのは極端に少ないのである。

(もしかしたら心配をかけてるかもしれません。シスターちゃんはともかく、姫神ちゃんは一緒に暮らしてましたし)

 この夏休み明けで学生寮の方に移ったが、姫神はしばらく小萌の家に居候をしていた過去がある。当然商店街に行って帰る所要時間も承知の上だ。

 ついでに好みの酒やタバコの銘柄も知っているはずなので、もし探しにきていて路地に置いてきた荷物を発見したとしたら、なにか事件に遭ったと考えるかもしれない。

 一度、なんとか連絡を入れるべきか。
149 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/29(月) 23:45:11.45 ID:GF31udMo

「・・・・・・」

 少し考えてから、しかし小萌は小さくため息をついた。

(・・・仕方ありませんねー。こんな人混みの中で他に気をとられてはぐれてしまうわけにもいかないのです)

 それでも、いまは我が手を握る少女の方が優先だ。

 いま雛苺とはぐれてしまえば、話がさらにややこしくなる。

 迷子を保護者に引き渡そうとしたせいでさらに迷子を作っては、本末転倒どころの騒ぎではない。

 そう思い、小萌が雛苺と繋ぐ手の力を少しだけ強くしたところで、

「ついたのー」

 と、雛苺が脚を止めた。

「え、わっ、わっ」

 まるっきり思考に没頭していたため、不意のストップにバランスが崩れた。

 とっ、とっ、と数歩よろけ、空いている片方の手をバタバタとゆらす小萌。

「うゆ? こもえ、だいじょうぶ?」

「あ、はい、大丈夫ですよー。いきなり止まったので、ちょっと驚いちゃいました」

「ご、ごめんなさいなの」

「いえいえ、ヒナちゃんが気にすることはないのです。それよりここは・・・って」

 小萌は正面にある建物を見て、目を丸くした。
150 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/29(月) 23:45:38.36 ID:GF31udMo

「え、えーと・・・ここ、ですかー?」

 彼女は驚いた様子で、目の前の建物を見上げる。

 まぁそれも無理はない。

 そこは確かに建物としては目立つが、正直、待ち合わせに向くような場所とは思えないところだったのだから。

「そうなの。ここにベリーベルがいるのよ」

 だが、雛苺はにっこりと笑う。

 はやく行こう、とでも言うように、くいくいと小萌の手を引っ張っていた。

「そ、そうなんですかー」

 なんでわざわざこんなところで待ち合わせを。

 そう言いたげな小萌の視線の先にある建物は、休みということでセールでもしているのか、街中よりもずっと人でごった返していた。

 学園都市でも有名な大規模百貨店。

 総合デパートである。
151 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/29(月) 23:46:47.48 ID:GF31udMo



「それでとうま? こっちのこの女の子は、どこのだれなの?」

 そう言って、インデックスは上条に不機嫌っぽい視線を向けた。

 彼女の青い瞳に浮かぶのは、もはや言わずもがなの色。

 『今度は一体全体どんな事件を解決してどこの女の子と仲良くなったの? しかも私に内緒で』

 そんな幻聴が聞こえてきそうなほど、インデックスの瞳は剣呑な光を帯びていた。

「え、えっと」

 なんとなく、助けを求める意味を込めて横を向く上条。

 しかし、

「どこの。誰なの?」

 隣に座って歯形の消毒をしてくれている姫神からもまったく同じ色の視線が注ぎ込まれていることに気づいて、背中に嫌な感じの汗が浮いただけだった。

 万事休すだ。

 うかつなことを言えば、再びインデックスの歯か、あるいは姫神の魔法のステッキ(スタンガン)が我が身に舞い降りることになってしまう。
152 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/29(月) 23:47:14.94 ID:GF31udMo

「それはだな、その、」

 なんとかうまい言い回しを。

 そんなことを考えながら、上条は左手でごまかすように頬を掻いた。

 薬指にはまった、薔薇を模した指輪が蛍光灯を照り返してキラリと光る。

「・・・・・・」

「・・・・・・。」

「別に助けたわけじゃなくて、ちょっとした事情が・・・って、いてえっ!? ひひひひ姫神! 沁みる! 沁みてる! っていうかピンセットの先がぐりぐり傷口にねじ込まれてます!」

「・・・ごめんなさい。すこし。手元が狂った」

 まったく謝意のこもっていない口調で謝りながら、姫神はピンセットを歯型から離した。

「手元って、どこに何したらさっきみたいな狂いかたを・・・」

 涙目で問いかける。

 姫神の口元から、ちっ、と小さく舌打ちが聞こえた気がしたのは、果たして気のせいだろうか。

 だがそれを上条が追求するよりも先に、

「とうま?」

 カキン、と歯をかみ締める音が響き、あわててインデックスに向き直った。

153 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/29(月) 23:47:41.47 ID:GF31udMo

「い、インデックスさん、これ以上の噛み付きは命に関わると上条さんは思うのですよ・・・わかった! いまから説明するからガチガチ噛み合わせないで!」

 再び襲いくる咀嚼の恐怖に後退り(でも姫神に腕をつかまれてる)ながら、座りなおす上条。

 白いシスターと和装の黒髪の視線が、同時に集まった。

「・・・その、だな」

 二人の顔を視界に納めながら、上条は目の向けどころを探して天井を向いた。



 真紅のことを、どう説明したものか。



(アリスゲームのこととか、話せないよなぁ・・・)

 もしも話せば、まず間違いなく二人は首を突っ込んでくるに違いない。そうなれば高確率で危険な目に遭ってしまう。

 学生寮で『インデックスたちが危ない』と勘違いしたときから大いに慌てていたので、その辺りのことを完璧に忘れていたのである。

 真紅自身に直接的な害悪などないと信じているが、彼女を取り巻く環境がそうではない。実際、ついさっき死にかけたところだ。

 上条としては、自分は仕方ないにしても、知り合いには可能な限りトラブルから離れておいてほしかった。

 それはインデックスはもちろんであるし、姫神だってそうだ。当然いまは買い物に出掛けていて不在の小萌だって同じである。

 ぶっちゃけ自分以外は誰が巻き込まれてもいやなのだ。
154 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/29(月) 23:48:39.91 ID:GF31udMo

「えー・・・とりあえずこちらは、真紅さんと言いまして」

 とはいえ黙っていたらまたもや血の惨劇が繰り返されてしまう。上条はとりあえず、与えても問題ないと思われる情報を開示することにした。

「うん」と、頷くインデックス。

「・・・・・・。」

 姫神もそれに追随し、頷いた。

「で、えーっと・・・」

「うん」

「・・・・・・。」

「えーと・・・」

「・・・・・・」

「・・・・・・。」

「・・・・・・」

 開示してもいい情報、終了。

(こ、これ以上どう言えばいいってんだ!?)

 内心で頭を抱える上条。

 そもそも彼自身が、あまり真紅のことを知らないのである。
155 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/29(月) 23:49:05.33 ID:GF31udMo

 知っていることから危険そうなことを除くとなると、それこそ出会いからここに来た理由まで全部シークレットだ。

 真紅のことを詳しく説明するなら、どうしてもアリスゲームのことを話さなければならない。そして上条がその争いに『契約者』という形で巻き込まれているということも。

 さらに言えば、ローゼンは錬金術師でもあるらしい。おそらく、禁書目録としての知識の中にその名前はあるに違いなかった。

 いまここで適当にごまかしても、ふとした拍子にインデックスにはバレるかもしれない。

 嘘をついて隠した挙句、バレる。

 今度こそ上条は美味しいお肉にされてしまうだろう。

(・・・真紅には家で待ってもらえばよかったかもなぁ)

 そんな風に思わないでもなかった。

 はっきり言えば『コインの結界』の件と真紅とはまるっきり関係がない。

 双方ともに上条が関係しているとはいえ、真紅を護ることとインデックスたちを護ることは別問題だ。

 それに真紅を『コインの結界』の事件に巻き込むとなれば、ただでさえアリスゲームがあるのに、余計なやっかいごとを追加することにだってなる。

「・・・・・・」

 ちらり、と真紅を見る上条。

 件の真紅は、湯飲みで紅茶を飲みながらも、無言を貫いている。真意はわからないが、とりあえずは様子見を選択したらしい。
156 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/29(月) 23:49:34.99 ID:GF31udMo

 真紅は、聡明である。

 『コインの結界』が自分の範疇ではないことも、もちろん気づいていただろう。

 それなのに何も言わずここまでついてきてくれたことは、上条としてはもちろん嬉しい。

 だがそれが結果的にインデックスたちを巻き込む要素になってしまっているのは皮肉であった。

「・・・・・・」と、沈黙する上条。

 頭の中でうまい言い訳を考えているが、こういうときに回る頭を持っていれば、補習の回数はずっと少ないだろう。

 やな感じの沈黙が小萌の部屋に満ち、いい加減インデックスが痺れを切らすだろうなぁ、と上条が思い始めたころ。

 大きく湯飲みを傾けて紅茶を飲み干してから、ふう、とため息をつく真紅。
 
 そして、

「・・・当麻、もう諦めましょう」

 と、言った。
157 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/29(月) 23:50:01.27 ID:GF31udMo

「え?」

 聞き返す上条に、赤い彼女は静かな瞳を向ける。

「貴方のことだから"アリスゲーム"に彼女たちを巻き込みたくない、うまくごまかしたい・・・そんな風に思っているのでしょう?」

「う・・・」

 そのものずばりを言い当てられた。

「・・・・・・」

「・・・・・・。」

 巻き込みたくない、という言葉に反応したのか、インデックスと姫神の視線がさらに厳しくなる。

 真紅はそんな二人の表情をちらりと見て、続けた。

「・・・でも見る限り、こっちのシスターさんもそちらの巫女さんも、そういう誤魔化しは求めていないように見えるのだわ」

「で、でもよ「それに」

 上条の言葉を真紅が遮る。そしてインデックスと姫神を交互に見てから、

「下手な説明じゃ絶対に納得しないって顔をしているわ。適当に誤魔化してしまえば、逆に探ってくるかもしれない。きちんと説明して危険を知ってもらった方が、かえって安全なはずよ」

 それだけ言って、真紅は上条に静かな表情を向けた。

 貴方だってそうでしょう?

 無言が、そう言ってくる。
158 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/03/29(月) 23:50:27.60 ID:GF31udMo

「・・・・・・」

 上条はゆっくりと真紅から視線をはずし、まず、隣にいる姫神に目を向けた。

「・・・・・・。」

 黒い瞳がまっすぐにこっちを見つめてきている。

 浮かぶ表情こそ乏しいものの、その繊手は、ごまかしを許さないとでも言うようにしっかりと上条の上着の裾を握っていた。

 続けてインデックスに。

「・・・・・・」

 日本人とは異なる青い瞳。しかしそこにある『色』は、姫神とまったく同種のものだ。

「・・・・・・」

 青と黒の視線に当てられ、上条は再び天井を見上げた。今回ばかりは、真紅の言うとおりらしい。彼女たちを諦めさせる説明が、上条には思いつけない。

 上条は諦めたようにため息をひとつ。

「・・・真紅、すまん、頼んでいいか?」

 と言い、

「ええ、わかったのだわ、当麻」

 と、真紅が頷いた。
159 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/29(月) 23:52:04.75 ID:GF31udMo
今日はこの程度です。
文章的にはもう少し先まで出来ているので、見直しし次第早めに投下することとします。


なお、レス番21で、一部書き忘れていました。

>そういう話に食欲最優先の彼女が動かないわけがなく、今日は泊まり込みで食べてくるらしい。

の後に、

聞けば、姫神も一緒だと言うことだ。
姫神自身は二学期直前に上条と同じ学生寮(女子用)に引越ししたと聞いてはいたが、いまでもちょくちょく遊びに言っているようである。
そういう意味では、インデックスにとって小萌の家は、数少ない友人との交流の場でもあるのだろう。
それはともかく。

という文を入れようとしていて、メモにだけ書いて忘れてました。
とりあえず、上条が姫神も小萌の家にいる、という事実を知っていたのは、インデックスから聞いていた、ということで補完しておいてください。

それでは。
160 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/29(月) 23:52:51.75 ID:BVTPoGco
>>159
乙乙 無理せず頑張ってください
161 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/30(火) 03:26:54.91 ID:k01m.rg0
>>159
162 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage]:2010/03/30(火) 09:11:57.09 ID:nLGhycAO
乙ちゃん
163 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/04/05(月) 00:35:08.03 ID:n8Zgn1so



 白井の言う『雰囲気のよい店』は学舎の園にあるのではなかった。

 バスに乗って数十分。第七学区の端ーーー第四学区にほど近い位置とのことだ。

「よっと」

 トン、と美琴は軽い足取りでバスから降り、白井も見た目どおりの軽やかさでそれに続く。するとすぐに、プシュ、とドアが閉まった。

 二人を降ろしただけでバスはあっけなく出発進行。

 バスの行き先は次が第四学区で、休日の今日はむしろそっちに行く人間のほうが多いのだ。

 燃料はガソリンではないが、音がないと感じが出ない、静かすぎて危険だ、という意見から電子的に奏でられる排気音を響かせて、バスは去っていった。
164 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/04/05(月) 00:35:39.58 ID:n8Zgn1so

「でも黒子。なんでそんなところにある店を知ってるのよ」

 カードを入れた財布をポケットにしまいながら、美琴はそう問うた。

 美琴と同様にカードをしまいこんでいた白井が、ツインテールの右側の先端を手で払いながら顔をあげる。

「ついこの間のことですが、この辺りで仕事がありましたの。そのときについでに昼食をとることになりまして」

 風紀委員の仕事は、基本的に放課後にはないが、あくまで基本的な話だ。例外などいくらでもある。昨夜もそうであるし、今夜もだ。

 だから現場付近で食事を取ることも多い。もちろん制服で腕章までしているので、あまりハメをはずしたところに入るのは不可能であったが。

「・・・こんなところまで? 風紀委員って管轄とかなかったっけ?」

 周囲をぐるりと見回してから、不思議そうにというよりは少し訝しげに白井を見る美琴。

 この辺りは商店や施設がなく、学生寮からもやや離れた、閑散とした区域である。

 薄利多売というわけにはいかない個人経営の店が営業するにはあまり向かない区域だろう。

 設けられたバス停もそれなりにおざなりで、ベンチに雨避け用の屋根と言った程度のものだった。

 この後輩はほんの少し前に、かなりの無茶をしているのだ。それも自分のことに関する事件で。
165 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/04/05(月) 00:36:05.86 ID:n8Zgn1so

「管轄はありますけれど、わたくしの場合は能力的に管轄飛び越えや救援要請が多いので・・・あ、こっちですの」

 美琴の視線の意味を把握しながらも、それに気がつかない振りをして白井は歩き出した。言葉を返すこともできたが、意味がない。

 どんな結論になっても白井の行動は変わらないのだから。

「・・・・・・」

 美琴もそれがわかっているから、聞こえよがしにため息をひとつついただけで追随を始めた。

「・・・その店だけど」

「はい」

「黒子が誘うくらいだから味は大丈夫なんでしょうけど、何風?」

 二人の間に漂い始めた微妙な空気を払うように、美琴が言った。

 白井は、そうですねぇ、と細い指を顎に当て、少し考える。

「創作料理という名目でしたが、基本は和食のようでした。精進料理、というほどでもありませんが、重い料理ではなかったと思います」

「ふーん。私はどっちかというとガツンとした方が好みなんだけど」

「まぁそこは店長に伺ってみればよろしいのでは? メニューの中にはお姉様がお好きそうなものもあったと思いますし」
166 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/04/05(月) 00:36:31.91 ID:n8Zgn1so

 そんなことを話しながら、歩を進める二人。

 二人の向かう方向は商業密集地―――都市内でも有名な大型百貨店のある―――からは、逆方向だ。人の流れは少ない。

 だから雑談に意識を奪われていても、商店街のように誰かとぶつかる心配はない。すれ違ったのは、本格的なドレスを着た西洋生まれらしき幼女と小学生らしき女の子くらいのものである。

「・・・だからそれはそうじゃないと思うわよ」

「いえ、確かにお姉様の趣味ではないと思いますけれど・・・」

 だから話は弾み、話題は食事から、服、化粧品、アクセサリーと、比較的ころころと変わっていった。

 もちろんここは学舎の園の外であるのであまり大っぴらなことは話せない。だがそういう話題には事欠かない年代である。

 同部屋であるといえど、会話は途切れることなく続いていった。

「ところでお姉さま」

 それでもふとした拍子に訪れる話題の隙間を埋めるように、白井が軽く首をかしげた。

「ん? なによ」と、美琴。

 白井は、いえ、と前置きをしてから、

「その手に提げているバッグはなんなんですの? 何か御用時が?」

 彼女の言うとおり、美琴は右手に小さな手提げバッグを提げていた。
167 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/04/05(月) 00:37:24.41 ID:n8Zgn1so

 カラーは白やピンクでやけにファンシーで、美琴のセンスがいかんなく発揮されたものである。なにやら薄い長方形のものが入っているように少し膨らんでいるように見えた。

 出かけるときは基本的に手ぶらな美琴だ。それを知る白井は、なんとなく違和感を感じる。

「ああこれ?」

 しかし美琴はかるくバッグを持ち上げると、

「パンフレットと、サービス券よ。これ持って指定のチケット販売店に行くと、ゲコ太人形がもらえるのよ」

 と言って、にっこりと笑った。

「そ、そうですの」

 その笑顔には何も言えず、しかし否定することもできないのでなんとか頷く。

(この趣味さえなければ、お姉さまも完璧ですのに・・・)

 内心で嘆息する白井。常日頃から敬愛しているが、この趣味だけにはついていけない。

 手提げバックに視線を落とす美琴を横目に、小さくため息をつき、白井は空を見上げた。

 もう秋に近い、青い空。
168 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/04/05(月) 00:37:59.66 ID:n8Zgn1so

(ああ、もう秋になってしまいました・・・この夏でお姉さまとの距離をぴったりと縮める算段でしたのに・・・)

 自分が大怪我を負った事件で確かに多少近くなったような気がするが、それは白井の望んだ形のようでいて、ちょっと異なるのである。

 ちらちらと美琴に視線を向ける白井。美琴は手提げバッグにつけている蛙形の人形の位置が気に入らないのか、指でつついて直そうとしていた。「引き換え期間、9月いっぱいまでなのよね」などと言っているのが聞こえる。

「・・・・・・」

(・・・そう、そういえば9月ですの。まだどこかに夏の香りがあるような・・・夏の名残のアバンチュール、というフレーズも悪くはないですわね)

 そんなことを思いながら視線を前に戻せば、まるでその考えを後押ししてくれるかのように、夏の名残のような白いセーラー服姿の少女が歩いてきている。

「・・・・・・」

 これはもう符号だ。そうに違いない。

 白井の脳裏に、一度は消えかけた不埒な考えが浮かび上がった。

(待っていてくださいお姉さま。残暑が厳しいうちに、いま一度黒子にチャンスを!)

 ニヤリと笑う白井。

 邪悪な笑みである。

 そんなことを考えられているとはつゆ知らずな美琴は、

(な、なんかいきなり寒気が・・・)

 不意に襲ってきた悪寒に、思わず腕をさするのであった。  
169 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/04/05(月) 00:38:35.92 ID:n8Zgn1so

 



・・・・・



・・・






170 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/04/05(月) 00:39:02.44 ID:n8Zgn1so

 御坂美琴と、白井黒子。

 その二人とすれ違ってから、十数歩。

「・・・・・・」

 セーラー服は、さりげない風を装って背後を振り返った。

 肩越しの視線の先には、再び談笑をはじめて歩いている美琴と白井の背中がある。

「・・・・・・」

 セーラー服はやや背が高く細身で、美琴よりもなお短いショートカットだ。決して男性のようには見えないが、女性に人気が出そうな容姿である。纏う雰囲気も、どちらかというとさっぱりとした印象を相手に与えるものだろう。

 だがいま彼女がその瞳に浮かべているのは、そんなイメージからは想像もつかないほど暗く、昏い感情だった。

「・・・・・・」

 もしいま美琴がその表情を見たのならば、気がついたかもしれない。

 もしいま白井が振り返れば、おそらく彼女の浮かべる感情がなんなのか確信しただろう。

「・・・・・・」

 セーラー服は、徐々に遠ざかって行く二人の―――否、美琴の背中に、コールタールのようなどろりとした視線を注ぎつづける。

 それは白井が美琴に向ける、憧れや尊敬、思慕に近く、なおかつそれを凌駕するもの。

 すなわち、崇拝だ。
171 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/04/05(月) 00:39:52.68 ID:n8Zgn1so

「・・・琴が唯一・・・美・・・の他に・・・トロマスターは不要・・・」

 ぶつぶつと口の中でなにかを呟き続けるセーラー服。

 その表情はうっとりと、狂気と言い換えてもおかしくないような崇拝で彩られていた。

 そしてさらに、

「お、お姉さまっ! 黒子感激ですのっ!」

「だぁーっ! 褒めたのは風紀委員であってアンタ個人じゃないっ!」

 なにやら雑談の中で琴線に触れる台詞でもあったらしく、白井が美琴に抱き着くのが見える。

 それを遠目に見つめるセーラー服の双眸が、ギラリ、と、狂気を放った。

「やっぱり御坂美琴は、孤高であるべきよね・・・」

 そう。

 偶然なんかではない。

 偶然、こんな辺鄙なところで出会うわけがない。

 昨夜、常盤台の生徒から蒼星石に『切り取らせた』記憶と感情の中にあった、白井黒子の名前。

 超電磁砲の同室であり、大能力者。そして、御坂美琴のもっとも親しい者。

「・・・・・・」

 セーラー服は右手を持ち上げる。

 そこには、すれ違った拍子に抜き取った白井の長い髪が一筋、確かに摘まれていた。
172 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/04/05(月) 00:40:54.88 ID:n8Zgn1so





「ローゼン・・・珍しい名前を聞いたんだよ」

 真紅の出自と現状を聞いたインデックスは、山盛りに米を盛った丼から顔をあげ、そう言った。

 基本的に魔術関係は『知識』として淡々と分析する彼女にしては珍しく、その顔には驚きの表情が乗っている。

「なんだ? ローゼンって、そんなにすごいやつなのか?」と、上条。

 この場で魔術的知識は持っているのがインデックスだけだ。真紅にしてもローゼンが生みの親というだけで詳しいことを知っているわけではない。インデックスの驚きがいまひとつピンと来ないのである。

「うん。たしかにすごい魔術師なんだけど、彼の場合はそれだけじゃないかも」

 インデックスは口の中の米を何度か咀嚼し、飲み下してから、続けた。

「彼は伝説級の力があるくせにほとんど正体も目的もわからない、不明の魔術師なんだよ」

 禁書目録が持つ10万3千冊の知識の中で、ローゼンに関連する項目は皆無と言っていい。

 彼が流浪の魔術師であったこと、彼が一切の魔術書を遺さなかったこと、そして唐突に歴史の表舞台から姿を消したこと、等が原因としてあげられる。

 そのため彼に関することは、交流のあった僅かな者や、数少ない弟子による伝聞が残るのみだ。それらもほとんど形になってはおらず、彼を語る際は主として同系統の魔術師による研究―――特に東洋の赤い人形師による研究が詳しい―――が使われるほどである。

 魔力を弾くはずの素材でゴーレムを作ったり、逆に破壊不能とまで言われていたゴーレムを『人形』という属性を利用して一息に破壊する。人形自身に魔術を使わせる、自己進化をする自動人形の作成する、という離れ業もやってのけている。

 一説には極限まで人を模した人形と『偶像の理論』を使い、『命』すらも生み出したと言われていた。
173 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/04/05(月) 00:41:29.71 ID:n8Zgn1so

「同系統の魔術師にホムンクルスを作り出したパラケルススっていう人がいたんだけど、能力的には彼と同じか、人形という面ならそれ以上だって言われてるんだよ」

「・・・・・・パラケルスス。」

 ポツリ、と姫神は呟いた。なにか思い当たる節でもあるのか、眉根を寄せて考え込んでいる風だ。

 上条もそっちの名前はどこか聞き覚えがあるような気がした。よく思い出せないが、ゲームかなにかにあっただろうか。

 ともあれ、要するにローゼンというのは稀代の魔術師だったようである。

「・・・真紅、お前の生みの親って、すごかったんだな」

 柿の種を噛み砕きながら、上条は感嘆の息を漏らした。

 魔術的なことを知識として持っているインデックスが感情を込めて説明している。それだけで上条は、相当のものなのだな、と感心してしまう。

「・・・お父様はお父様、よ。周囲の評価は、便宜上の些細なものなのだわ」

 新しく淹れてもらった紅茶をやっぱり湯飲みで飲みながら、真紅はそっけなく返した。だがその頬が僅かに緩んでいるのは、きっと上条の気のせいではない。

「それだけじゃないんだよ」

 どん、と抱えていたインスタント牛丼の器をテーブルに置くインデックス。大盛りだった中身は、綺麗に空だ。

「しんくはさっき、自分のことを薔薇乙女だ、って言ったよね?」

「ええ」

「それがどうかしたのか?」

「本人を目の前にして言うのもちょっと考えちゃうんだけど・・・薔薇乙女って、長い間行方不明の霊装なんだよ。私も見たのは初めてかも」
174 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/04/05(月) 00:42:42.78 ID:n8Zgn1so

 薔薇乙女。

 ローゼンの集大成と言われる7体の人形に関する資料は、さらに少ない。

 彼の弟子であったと確認されている人形師が書いた文献とスケッチ、あとは極めて信憑性に乏しい目撃情報があるのみだ。贋作も横行し、実在すら疑われていたほどである。

 禁書目録といえども、全世界の霊装をその目で見たわけではない。強力な霊装ほど秘匿性が高く、対抗勢力のものとなれば存在を知らされないことだってざらである。薔薇乙女の名前は知っていても、現物は見たことがなかった。

 とはいえ、その知識から考察することは可能だ。

 持てる知識と、幾つか現存しているローゼンの製作物の魔術形式から言って、目の前の真紅はまず本物であると、インデックスは判断していた。

「でも、これでローゼンの謎のひとつが解けたかも」と、インデックスは丼に白米を盛る。次は親子丼らしい。レトルトのパックを、温めるためだけに用意しているらしい大きなポットに突っ込んだ。

「ロー ゼンの目的って、あらゆる意味で本当に不明だったんだよ。なんでそこまで『人形』にこだわっていたのか、なんで命まで生み出せたはずの重要な魔術師が急に 姿を消したのか。そしてなぜ薔薇乙女が目撃されながらも捕捉できなかったのか・・・それが『究極』を求めていたから、だってわかったのは、魔術史的にも ちょっとした事件かも」

 そう言って、インデックスは真紅を見た。

 『究極』は魔術の最終目標のひとつである。

 神という存在を全能の完全なものと定義するなら、究極は物事の流れの最終到達点とでも表現すべきところだろう。例えるなら―――人が究極まで進化すれば神に届くのか、それともやはり人は人でしかないのか。

 言ってしまえば、人の到達点を突き詰める部門といえる。神がいなければ創ればいいという『完全なる知性主義』―――黄金練成の原点のひとつだ。

 ローゼンがどういう意図で究極の人形を求めていたのかまでは予測にしかならない。だが、神が自分を模して人を作り出したという仮説を鑑みれば、人を模して造られた人形の究極を見ることにも十分な意味があるだろう。

 閑話休題。

「それで。」

 と、それまで黙って話を聞いていた姫神が口を開いた。
175 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/04/05(月) 00:43:19.78 ID:n8Zgn1so


 三人(というか二人と1体)の顔がいっせいに向けられる。そんな中、姫神は上条の左手にちらりと視線をやってから、言った。

「貴女のアリスゲームは。どうすれば終結させることができるの?」

 ローザミスティカの奪い合い。アリスゲームと呼ばれる闘いは、薔薇乙女とその契約者によって行われる。

 その説明のとおりであるならば、上条はこれからずっと闘い続けなければならない。もちろん命をかけて、だ。

「「「・・・・・・」」」

 今度は三人の視線が真紅に向く。

「・・・それは」

 真紅はいったん言葉を切り、少しだけ眉を寄せた。

「・・・あまり、いい返事はできないのだわ」

「・・・・・・。」

「私がこの時代に目覚めたからと言って、他の姉妹の誰が目覚めたのかまではわからない。それに、全員が一度に目覚めるとも限らないの。近くにいるか、探索するか・・・いずれにしてもいまこの場ではっきりとこうすれば終わる、と言えないのだわ」

「そう、なのか? でもさっき、水銀燈はお前のことを知ってたじゃないか」

「いいえ。水銀燈が本当に私のことを察知していたのなら、あんな風に途中でひいたりはしなかったはず。偶然近くにいて、私の目覚めを察知したのよ」

「じゃあ結局。」と、姫神。

「上条くんは決着がつくまで。ずっと戦うことになるのね」

 と、姫神は上条に目を向ける。
176 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/04/05(月) 00:44:03.37 ID:n8Zgn1so

「それは・・・」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 真紅の声が途切れ、重い沈黙が部屋に満ちた。

  いままで幾度も上条は戦ってきたが、それにしても概ね『こうすれば決着がつく』という目標が見えていたものだ。今回もすべてのローザミスティカを集める (真紅が望むか否かは別として)という目標はあるが、この時代に全部あるとは限らないーーー終わりが確定されないのは、正直きつい。下手すれば一生ものの 話である。

「・・・前のときは。どうだったの?」

「え?」

「前のときの。結末。貴女は何度も戦ってきたんでしょう? 前のときやその前のときは。どんな結果でゲームが終わって。どれくらい時間がかかったの?」

「それは・・・」

 記憶を掘り起こそうとして、

(・・・?)

 ふと、真紅の脳裏に違和感が沸き上がった。
177 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/04/05(月) 00:44:54.25 ID:n8Zgn1so





 ・・・前回?



178 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/04/05(月) 00:45:30.20 ID:n8Zgn1so

 眉根を詰める真紅。

 不意に表情を凍らせたためか、上条ら三人が疑問符をつけた視線を向けてくる。しかし真紅は自分の中に生まれた違和感に気をとられ、それに気がつかない。

(前回・・・前は、ジュンにネジを巻かれて・・・)

 そうだ。確かに、今回と同じように、ジュンも巻くことを選択して、自分が目覚めたはずだ。

(それで、確か・・・)

 記憶を掘り返す。

 その後は、どうした?

 どうやってアリスゲームが終わって、どうやって自分はジュンと別れた?

「・・・・・・」

 膨れ上がる違和感。

 だが、真紅がその先に思考を至らせるよりも早く。





 唐突に、真紅の腕の袖口からホーリエが飛び出した。



179 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/04/05(月) 00:46:05.30 ID:n8Zgn1so

「「「!」」」

 全員の目が、いきなり現れた光球に集中する。

 飛び出したホーリエは、蛍光灯から下がる紐の周りを、明滅しながらぐるぐると回っている。その様は、まるで焦っているかのような印象を伺わせた。

「な、なに!?」

「敵。じゃあなさそうだけど。」

 インデックスと姫神は驚いたのだろう。やや身構え、その軌跡を目で追った。

「ホーリエ!? 突然なんなの!?」

 真紅も光球のいきなりの動きに驚いたのか、軽く目を見開いていた。

 しかしホーリエは己が主人の言葉になんら反応することなく、まるで何かを探すように室内を円周している。

 そして不意に、ホーリエはその円運動を停止した。

 まるで目的のものを見つけたかのように急速に方向転換。部屋の片隅に置いてある小さめの箪笥の上で停止した。

 そこには小萌が置いたのだろう、小さな置時計と、何かの思い出らしき、写真立て。

 飾られているのは卒業写真かなにかなのか、スーツ姿の小萌や見たことのない大人たちの姿があった。

 ホーリエは、その写真立ての前で激しく明滅を繰り返す。

「真紅!?」

 上条が緊張を浮かせた表情で真紅を見た。まさか、と言う焦りが彼の顔には浮かび上がっている。
180 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/04/05(月) 00:46:32.05 ID:n8Zgn1so


 悪い予感は当たるものだ。

 真紅は頷く。

 上条の顔を見て、その写真に写る女性が彼の護るべき人物の一人だということを確信して。

 ホーリエがこんな風に反応する理由など、ひとつしかない。

 小萌の身に、アリスゲームに依る危険が迫っている。


187 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/04/12(月) 23:27:29.89 ID:33Fjfwgo



「いきなさいホーリエ!」

 真紅の声とともに、開け放たれた入り口ドアから紅の光球が飛び出していった。

 可能な限り明度を落としてある上、陽光の中であの速度だ。目視できる者などそうはいないだろう。

 小萌の居るであろう場所―――他の薔薇乙女がいる位置は、ホーリエにしか感知できない。

 人工精霊の案内で向かう手もあったが、光球が人を案内する様は、いやがおうにも無関係の人間の気をひいてしまう。上条の知り合いにでも会えばさらに面倒だ。

 真紅はホーリエからの情報は受け取ることは可能。ならばホーリエを先行させることで、目的地を知ろうというのである。もちろん、その場で小萌が危険な目にあっていれば助けることを前提で。

「くそっ! よりによって小萌先生の方かよ!」

 上条は、ジャストミートされた弾丸よりも早く小さくなっていくホーリエを見送ることもせず、乱暴に己の靴に足を突っ込んだ。

 ついさっきインデックスが危ないと考えたときよりも焦りが大きい。明確に危険が迫っているとわかってしまっている。

 苦虫を噛み潰したような表情が、彼の焦燥感を如実に顕していた。

 五和のようにバイクも、その免許も持たない上条だ。確定的ではない場所への移動は己の脚しかなかった。

 自転車という手段もないではないが、上条はそれそのものを持っていないし、小萌の物があったとしても体格があわないだろう。

 ここからどれくらいかかるかわからない。時間と体力の勝負になる。
188 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/04/12(月) 23:28:37.43 ID:33Fjfwgo

「・・・・・・」

 一方、彼の足元でその様子を見上げながら、真紅は僅かに眉を寄せていた。

(・・・ごめんなさい当麻)

 自分の闘いに巻き込んでしまって。

 真紅は胸の奥から浮かび上がったそんな台詞を、なんとか飲み下した。

 上条はきっとそんな謝罪を求めてなんかいない。逆にそれを気に病んでいることを知れば、彼は彼自身を責めるに違いない。

 上条当麻はそういう人間なのだ。

「よし! 行くぞ真紅!」

 爪先をガンガンと玄関土間に打ち付けつつ、上条が左手を差し出した。

 焦燥に満ちた彼の瞳には、しかし真紅を責める色は一片足りとも混ざっていなかった。

「ええ」

 だから真紅はただ頷き、その手をとった。すぐさま引っ張り上げられる。

 そのタイミングに合わせて身を捻る真紅。まるで申し合わせたかのような動きに無駄はなく、ストン、と彼の左上腕に腰かけた。

 そして上条は部屋の中に視線を向け、

「じゃあ行ってくる! 二人とも待っててく「待ってとうま!」っ!?」

 上条の声が、インデックスに遮られた。
189 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/04/12(月) 23:29:06.08 ID:33Fjfwgo

 いつの間にか近づいていた彼女が、至近距離から見上げてきている。

 インデックスは大きく息を吸い込むと、

「わたしも一緒に行くんだよ!」

 と、言った。

「はあっ!?」

 驚いたのは上条だ。

 だがインデックスの表情は変わらない。本気の顔である。

「ば、ばか駄目に決まってるだろ!」

「やだ! ぜったい行く!」

「駄目だって! 相手がどんなやつか全然わからないんだぞ!? 水銀燈みたいなやつだったらどうすんだ!」

「危ないってわかってるのにとうまだけ行かせるわけないんだよっ!」

「インデッ「それにとうま!」

 再度上条の声を遮るインデックス。その声の強さに上条が言葉を詰まらせた。

「もしまた結界が張られてたら、どうするの? とうまの右手なら壊せるかもしれないけど、ああいうのには核があるんだよ? なにをどういう風に壊したらいいか、わかる?」

「っ」

 息を詰める上条。

「それは・・・」

「わたしならわかるよ。とうまみたいに壊したりできないけど、何をどうすればいいかわかるもん」

「で、でもよ、結界と真紅は関係が」

 ない、と言い切る前にインデックスが首を振る。
190 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/04/12(月) 23:29:51.66 ID:33Fjfwgo

「関係ないなんて言えないんだよ。魔術師の基本は秘密であること。とうまが『ない』って決めつけてることを狙ってるかもしれないんだよ」

 魔術師とは、秘匿をもってその基本とする。それは自己の術式や狙いが知られたら対抗措置をとられるということだけではない。

 広く一般に知られていることや長く続いていることが『一般常識』『慣習』という強制力を持つこととは真逆に、ごく一部しか知られないことは『貴重』『秘密』という名前で強力な力を持つ。

 魔術というものが一般的に普及していないのはそのためだ。魔術師は魔術を『秘密』にすることで魔術を維持しているのである。

 要するに秘密は彼等の力であり、一部と言えた。それほど魔術師は物事を隠すことに長けている。

 魔術師が残した痕跡や情報を信用しないのは、対魔術での鉄則だった。

「・・・・・・」

 沈黙する上条。

 インデックスの言い分に、不覚にも説得力を感じてしまったからだ。



 三沢塾事件。 



 御使堕とし。



 法の書。



 使徒十字。



 いままでにも何度も経験した『敵味方の目的の相違』を思い起こせば、インデックスの言葉は無視できるものではない。
191 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/04/12(月) 23:30:25.06 ID:33Fjfwgo

 水銀燈も真紅も結界の大元は知らないだろう。

 だが、その知らないことを敵であろう魔術師が知っていたら?

 仮に敵の魔術師がいなくても、ローゼンも魔術師だ。真紅が知らないだけで、ローゼンが結界術の能力を授けていないと、なぜ言い切れる?

 そして、もしも小萌のいる場所に結界が張られていたら?

 上条はそこに入ることができないかもしれない。小萌を助けることができないかもしれない。

「・・・・・・」

 上条はインデックスを見る。

 魔力を持たない彼女は、目にしていない魔術までは感知できない。だが、

「とうま」

 近くにいるならば、話は別だ。

「っ」

 上条はインデックスを危険な目に遭わせたくない。

 姫神も、小萌も、そして叶うならば渦中であるはずの真紅だって、戦場に連れていきたくない。もしもそんなことに巻き込まれたら、全力で助けに行くだろう。

 だがそれは―――

「わたしだって、役に立てるんだよ」

「―――っ!」

 インデックスたちも同様なのだ。
192 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/04/12(月) 23:31:10.81 ID:33Fjfwgo
「・・・・・・」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 沈黙。そして、

「~~~~っ!」

 上条は頭をバリバリと掻いた。そして次の瞬間、

「ええいちくしょうっ!」

 左腕に抱えていた真紅を、少し乱暴にインデックスに押し付けた。

「きゃあっ!?」「ひゃあ!?」

 いきなりの動きに紅と白から同時に悲鳴が起こる。

 それでも白は紅を落とすことなく抱え、上条を見た。

「インデックス」と、上条。

 彼の言葉が自分の名前だと、インデックスは一瞬わからなかった。

「・・・・・・」

 だからインデックスはぽかんとした表情で彼を見つめつづける。

 上条は彼女の両肩に手を置いた。そのまま、告げる。
193 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/04/12(月) 23:32:18.37 ID:33Fjfwgo

「約束だ。危ないと思ったら絶対に逃げること! 絶対無理しないこと!」

「・・・・・・」

「俺が逃げろつったら、絶対に言うことを聞くこと! ・・・それが約束できるって言うんなら」

 一息。

「インデックス。俺と一緒に、小萌先生を助けにいこう」

 と、上条は言った。

「・・・・・・」

 それは一緒に戦うことを彼が承諾したということ。

 なし崩し的に巻き込まれたいままでとは違い、インデックスの力が借りたいという、そういう意味だ。

 じわり、とその言葉が耳に染み込み、

「う、うん!」

 理解に達した瞬間、インデックスは頷いた。

 これから戦場にいこうと言うのに、満面の笑顔を浮かべて。
194 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/04/12(月) 23:32:45.56 ID:33Fjfwgo





「・・・・・・。」

 力強く頷くシスターを見ながら、姫神は内心でため息をついた。

 ついていきたい、と思う。

 小萌は行く先のなかった自分を拾ってくれた恩人だ。その彼女が危険に巻き込まれているというのだから、自分も助けにいきたかった。

 だが、それは叶わない。

(・・・私は。役に立てないから)

 きゅっ、と下唇を噛む。

 『吸血殺し』

 身に宿る能力は吸血鬼に対して絶対無敵で―――ただそれだけのものだ。

 上条のようにあらゆる幻想に効果があるわけでも、シスターの知識のように汎用が効くものでもなかった。

 身体能力も一般の女性とそう変わらない。むしろ低い方だろう。

 共に行ったところで、自分の身すら護れない可能性が高かった。

 一緒に行くと言えば、上条は頑強に反対するに違いない。とはいえ、シスターが行く手前、彼には断りきることはできない、と思う。

 しかしその場合間違いなく、彼は彼自身以上にこちらを護ろうとするだろう。

 三沢塾の事件と、先の大覇星祭。

 彼には二回、己の命の瀬戸際を見られていた。

 学園都市にいる彼の知り合いの中で、おそらく自分がもっとも、彼に対して『迫りくる死』を見せ付けている。

 自分が行くことで自分が倒れるだけならまだしも、彼が身代わりになるなど、あってはならない。
195 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/04/12(月) 23:33:21.49 ID:33Fjfwgo

「・・・・・・。」

 前を見る。

 シスターは胸の中にいる真紅をなんとか収まりがよくなるように四苦八苦して抱え直していた。彼女の表情には戦闘に向かおうとする者としての緊張感ももちろんあったが、それと同等に、彼に頼られたという喜びを内在させていた。

 上条とともに行こうとする彼女と、その思いはあっても足手まといにしかならない自分。

 胸に渦巻くこの感情がなんという名前を持つのか、考えるまでもなかった。

「・・・・・・。」

 彼とシスターに気がつかれないように、後ろ手に、ぎゅっと手を握る。

 自分ができることとすべきことは、彼の不安要素を少しでも減らすこと。

 それだけで、それが精一杯だった。

「・・・・・・。」

 しかし彼女はいま、迷っていた。ついていくついていかないの話ではない。

 下手をすればそれ以上に気になってしまっている、ひとつの懸念。

 彼女はその懸念の元凶である『それ』に視線を固定したまま、迷っている。

 それを彼に告げるべきか、否か。

「・・・・・・。」

 だがそれを決断する時間はなかった。

 姫神の目の前で、インデックスが真紅を抱えて頷いたのだ。
196 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/04/12(月) 23:34:03.25 ID:33Fjfwgo





「とうま、準備ができたんだよ!」

 何度かの抱え直しのあと、ようやく収まりよく真紅を抱えることに成功したインデックスが、上条を見上げる。

 インデックスはいまにも駆け出しそうな調子だ。彼女も彼女なりに焦っているのだろう。

 しかし上条は、

「じゃあしっかり捕まってくれ」

 と、言って、インデックスの背中側に回り込んだ。

「へ?」

 と顔を巡らすインデックスの肩に左手を回し、

「え?」

 少し屈み込んで右手を膝の裏に添え、

「ええっ!?」

 そのまま一気に立ち上がる。

「ひゃあっ!?」

 インデックスの可愛らしい悲鳴が響いた。

 それは漫画等ではよく見るが、実際にはそう滅多にお目にかかれない体勢だった。

 世ではそれをお姫様抱っこという。

「とととととととうま!?」

「・・・・・・」

 状況を理解したインデックスの顔が一気に紅く染まり、さらにその胸にいる真紅の頬が僅かだけ引き攣った。
197 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/04/12(月) 23:34:39.33 ID:33Fjfwgo

「い、インデックス、あんまり暴れないでくれよ。バランスが取りづらい。後、首に手を回してほしい。少しでも体を支えてくれると助かるんだ」

「う、あ、わ、わかった、かも・・・」

 ごく直近にある上条の顔。声とともに頬にかかる呼気を感じながら、おずおずと上条の首に手を回すインデックス。

「・・・よし」

 上条の方はそんなインデックスに気がついた風もなく、バランスを確認。走ることに問題がないことを確かめる。

 それから、姫神に目を向けた。

「・・・・・・。」

 姫神は、一見無表情のようにも見える顔。

 だが上条にはわかる。

 あれは、心配している顔だ。

 きっと姫神もついてきたいに違いない。

 小萌は彼女にとって恩人で、そして上条もインデックスも―――自惚れでないと思うが―――大事な友人なのだから。

 だが連れてはいけない。

 インデックスのように、いざというときに魔術から身を護る術がない彼女。

 水銀燈との戦いを思い起こせば、上条といえども必ず護りきれる自信がなかった。
198 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/04/12(月) 23:35:14.17 ID:33Fjfwgo

「姫神」

「・・・・・・。」

「すまん、スフィンクスとここで待っててくれないか」

 言いながら上条は思う。

 彼女の性格上、そしてインデックスを連れていく以上、ついてこようとするだろう、と。

 だがその予想に反して、

「うん。待ってる」

 と、和装の少女は頷いた。

「・・・・・・」

 驚いた表情を浮かべる上条。しかしすぐにそれを改めた。

 姫神が、よく見なければわからないほど小さく、しかし確実に、辛そうに眉をたわめていたからだ。

 姫神は後ろに回していた手を解き、胸の前で組み合わせた。

 西洋の祈り方。

 和装であっても、そんなことは関係ない。姫神はただ、上条とインデックスの無事祈る。

「私のことは心配しないで。勝手に追い掛けていったりもしない。きちんと待ってるから。だから」

「・・・・・・」 

 言いながら、姫神は上条とインデックスを見た。

「小萌先生を。助けて」
199 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/04/12(月) 23:35:52.43 ID:33Fjfwgo





「わかった。任せてくれ、姫神」

 その言葉を残して玄関を飛び出して行った上条の背中を追い掛け、廊下まで出る。

 だがそこまでだ。

 それ以上進むことは約束を破ることになる。

「・・・・・・。」

 もう人目を避けることを諦めたように疾駆を始めた彼らを見る、彼女の瞳。

 彼女の視線は変わらず心配を讃えたまま、やはり変わらず『それ』に固定されていた。

「・・・・・・。」

 見ているモノ。

 それは、真紅だった。

「・・・・・・。」

 真紅の服よりも赤い顔のシスター。その胸に抱えられた彼女は、上条と同じ焦りと満ちた顔。こっちを気にしている様子もなかった。

「・・・真紅。」

 ぽつり、と舌の上でその名を転がす。

 だが彼女の口は、それだけで止まらなかった。
200 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/04/12(月) 23:36:25.98 ID:33Fjfwgo

 水銀燈。



 金糸雀。



 翠星石。



 蒼星石。



 雛苺。



 雪華綺晶。



 次々と、薔薇乙女の名前を口にする。

 だがそれは真紅から聞いたこと―――ではない。
201 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/04/12(月) 23:37:14.78 ID:33Fjfwgo

 ―――無念。ローゼンの傑作である薔薇は、すでに昇華されていた。別の方法を探さなければならない。



「・・・・・・。」

 脳裏に、ある男の言葉が甦る。

 少し以前に、協力関係にあった男の言葉である。



 その男は魔術師で、錬金術師だった。



 その男は、パラケルススの末裔だ、と言っていた。



 その男は、『完全なる知性主義』の魔術師だった。



 その男が魔術について話をしてくるのは珍しかったが、それゆえに覚えていたのだ。

 ローゼンと薔薇乙女について、話していたことを。  

「・・・気をつけて。上条君。彼女はもしかしたら」 

 ぎゅっと手摺りを持つ手に力を篭める。

 その後に続いた言葉は、吹き付けたビル風に撒き散らされ、彼女自身の耳にも届かなかった。 


209 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/04/29(木) 22:37:33.60 ID:4gNNxTQo



 屋上は大規模デパートらしく、かなりの広さを有していた。

 屋台や花屋、ペットショップ等の店が並び、子供用のアスレチック広場まである。フェンスで囲まれ、眼下に町並みが見えることを除けば、ちょっとした公園のようだった。

「・・・・・・」

 買い物客や、そもそもこの『屋上公園』を目当てに来た家族連れで賑わう中。

 アスレチック広場付近に設置されたベンチに腰掛けた小萌は、うーん、と空を見上げた。

 待ち人が、こない。

(・・・困りましたねー)

 内心で呟きながら、視線を真正面に戻す。

 その先では、多くの子供たちに混ざって、雛苺がきゃいきゃいとアスレチックで遊んでいた。

 彼女の特徴的な風貌も、幼児たちにはあまり関係がないようだ。最初こそ珍しげにされていたが、5分もたたないうちに一緒になってはしゃぎ回っている。

「・・・・・・」

 小萌の困ったように結ばれた口元が、ふっと緩んだ。

 走り回り、アスレチックを登り降り、そして笑いあう。雛苺は明らかに異国の出だが、なるほどこうして見れば、子供というものは何処だろうと同じなのだと思える。

(うんうん、子供はみんなで遊ぶのが一番なのです)

 周囲にいる多くの親たちと同じような表情を浮かべる小萌。

 すぐ傍にいた家族連れが、そんな"年齢不相応"にしか見えない微笑に首をかしげたが、幸いにも彼女は気がつかなかった。
210 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/04/29(木) 22:38:13.61 ID:4gNNxTQo

「こもえー」

 アスレチックの天辺で、ブンブンと手を振ってくる雛苺。

「はーい」

 それに返事をしながら、小萌は大きく手を振り返した。

 すると雛苺は嬉しそうに笑い、すぐにアスレチックの下りに入った。気分は登山家、というところなのだろう。

 フリルの多い洋服に四苦八苦しながら降りようとする危なっかしいその動きを苦笑を浮かべてから、小萌はちらりと腕時計を見た。

 デジタル時計の文字盤は、買出しに出かけてから、もう2時間の経過を知らせている。

「・・・なんとか電話できませんかねー」

 流石に、これは遅くなりすぎだろう。インデックスと姫神に本気で心配されていてもおかしくはない。

 アスレチックの方に目を戻す。

 雛苺が遊ぶのに夢中のいまなら、電話するタイミングとしてはいい具合だ。

 しかし残念ながらこの屋上には、公衆電話という設備はなかった。先ほどから周囲を見回しているのだが、唯一あったのは非常用の回線だけのようだった。ダイヤルもボタンもない受話器で自宅へ電話をかけようと思うほど小萌はチャレンジャーではない。

「下の階にならあるのかもしれませんけど・・・」

 雛苺を連れて階下に降りる手もあるが、迎えに来る人物とすれ違いになってしまっても困る。

 小萌の知り合い―――それこそ生徒でもいいのだが―――とでも遭遇できれば話は早いが、こういうときに限って遭わないもの。顔の広さと覚えられやすさは学園都市トップクラスなのだが。
211 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/04/29(木) 22:38:39.90 ID:4gNNxTQo

(ヒナちゃんもここで待っていればいいって言ってましたけど)

「こもえー」

「はーい」

(・・・忘れちゃってるみたいですねぇ、ここに来た理由)

 確かここに『べりーべる』がいると言っていたように思う。

 屋上にまで登るように雛苺に言われここにきたものの、それらしい人が待っているわけでもなかった。雛苺に聞いても「まだー」としか答えてくれなかったのである。

(ヒナちゃんの言う『人形のお姉ちゃん』が『べりーべる』って人、ですよね)

 出てきた人名やその流れから言っても、それは間違いないはずだ。だがそれらしい人は、少なくともこの屋上には見えなかった。

「・・・・・・」

 念のためにもう一度周囲を見回す。

 だが、結果は変わらない。

「・・・・・・」

(仕方ない、ですかねー)

 はふ、とため息ひとつ。

 気が進まない、という顔で、小萌は先ほどから意識的に避けていた方向に視線を向けた。

 屋上出入り口付近にある屋外サービスカウンター。

 各種サービスの総合受付であるそこは、当然のごとく迷子の受付も館内放送も行っている。

 小萌個人としては、あまり使いたい手段ではなかったが、もうそれ以外に方法がなくなっていた。

 迷子となれば当然、詳しい事情聴取も避けられない。それを行うには雛苺はまだ幼く、小萌の方は見た目が影響して説明がめんどくさいことこの上ない。

 それになにより、雛苺の置かれた状況を一から説明すれば、下手をすると『警備員』を呼ばれてしまう可能性が高かった。

 そうなればせっかく回避しようとした"置いていかれる"感覚を、雛苺に与えることになってしまうのである。
212 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/04/29(木) 22:39:21.84 ID:4gNNxTQo

「でも、これ以上遅くなったら、そっちの方が大変なのです」

 生徒ではないが、彼女のために自分の手間を惜しんでいられない。そして雛苺もそうだが、自分がいなくなったことでインデックスたちにも心配をかけているに違いないのだ。

 止む終えない。

 そう結論した小萌が、雛苺をこちらに呼ぼうとアスレチックに目を向けて、

「こもえー?」

 その瞬間、ひょい、と真横から雛苺が顔を出した。

「うっひゃあっ!」

「キャー!?」

 予想外のことに思わず飛び上がる。

 タバコは吸うが肺活量は見た目以上の小萌の声が屋上に響き、一気に視線が集まった。

「ひひひひひ、ヒナちゃん!?」

 身に刺さるような視線に反応する余裕もなく、雛苺に目を向ける小萌。

 雛苺は雛苺で、地面にへたり込んだ姿勢で、大きな目をさらに大きく見開いてこちらを見上げてきていた。

「び、びっくりしたのよー!」

 と、雛苺は言った。

「あ、ご、ごめんなさいヒナちゃん・・・小萌先生も、ちょっとびっくりしちゃいまして・・・」

 わたわたと手を振りながら、雛苺を引っ張り起こす。幸いどこも怪我はしていない様子である。

「うゆ・・・ごめんなさいなのこもえ。ヒナ、びっくりさせちゃったのね?」

「あ、いいえー。小萌先生の方こそ大声出しちゃってごめんなさいです。・・・それより、大丈夫なのですか? 怪我とかしてませんか?」

「だ、大丈夫なの。ちょっとシリモチをついちゃっただけなのよ」

 そう言って自分で、ぱふぱふとドレスのスカートをはたく雛苺。

 どういう素材なのか、土足であがる屋上に転んだにも関わらず、そして先ほどから走り回っているのにも関わらず、彼女の服はまったく汚れた様子もなかった。

 そうですかよかったー、と安堵のため息をついた小萌の目の前で、

「えへへ」

 不意に雛苺が笑った。
213 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/04/29(木) 22:40:29.17 ID:4gNNxTQo

「? どうしたんですか?」

 雛苺は上目遣いに、小萌を見た。

「あのね、あのね」

「はい」

「えへへへへ」

 少女の無邪気な笑み。

「なんですかー?」

 それにつられるように、小萌の頬にも笑みが浮かんだ。

「うーとね」と、雛苺は言葉を続ける。「ヒナ、こもえに会えてとっても嬉しいの」

 そう言って、雛苺は小萌の手を取った。

 小萌のそれよりなお小さい手で、きゅっ、と握ってくる。

「ヒナね、ずっと寂しかったの」

「え?」

「・・・ヒナは鞄の中でずっと眠ってて、それで一人ぼっちだったの」

「・・・・・・」

「今日、起きてから人形のお姉ちゃんに言われて、待ってて、でもやっぱり一人ぼっちで、寂しくて泣いてたのよ」

「・・・・・・」

「でもこもえが来てくれて、ヒナは寂しくなくなったの。・・・こもえは、ヒナにとっても優しくしてくれたの」

 ぎゅっ、と雛苺の手に力がこもった。

「だからね、だからー・・・」

 にこりと、本当に素直な笑みが小萌に向けられた。

「ヒナ、こもえのことがだーい好きなのよ」
214 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/04/29(木) 22:40:57.14 ID:4gNNxTQo

「・・・ありがとうなのですヒナちゃん」しっかりと雛苺の手を握り返す小萌。「小萌先生も、ヒナちゃんのこと好きになりましたよ」

「えへへへ・・・だからね、こもえ」

 雛苺は小萌と手を繋いだまま、その掌の中に小さな何かを滑り込ませた。

「これ、あげるのよ」

 そう言って、雛苺はするりと手を離した。

「?」

 握った手の隙間を通るようにして入ってきたもの。

 軽く首をかしげて自分の掌を見る。

「・・・指輪、ですかー?」

 そこにあったのは小さな指輪だった。

 小萌の手の上でもなお小さく見える、子供用と思える小さな指輪。雛苺か、それこそ自分程度の大きさの指にしか嵌らなさそうなものだ。

(これは、苺、ですかね? ヒナちゃんらしいですけど)

 植物の象りは繊細で、極めて細かい。一目見ただけでかなり高価なものだとわかった。

「ウイ」

 こくりと頷く雛苺。そして雛苺は後ろ手に手を組むと、真下から小萌を見上げた。
215 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/04/29(木) 22:41:25.04 ID:4gNNxTQo

「ヒナはこもえのこと大好きだから。だからそれ、こもえにあげるのよ」

「で、でもこれ、ヒナちゃんの大事な指輪じゃないのですか? そんなの、小萌先生がもらうわけにはいきませんよー」

「ううん」と、雛苺が首を振る。

「こもえに、もらってほしいの。その指輪は、ヒナが一緒にいたいと思った人にあげるように、お姉ちゃんに言われたの。だからヒナはこもえにあげたいのよ」

「でも・・・」

「・・・それに早くしないと、間に合わないのよ」

「え、何に、ですか?」

 首をかしげて雛苺を見るが、

「・・・・・・」

 彼女は少しだけ困ったように笑ったまま、答えようとしない。
216 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/04/29(木) 22:41:52.95 ID:4gNNxTQo





「・・・・・・」

 雛苺は尋ねてくる小萌にこたえないまま、僅かに視線を上向けた。

 もう秋になろうとする青い空の中で、無音のまま飛び交う二つの存在がある。

 あまりにも色が薄く、あまりにも高速のために他の誰にも気がつかれていない。

 ぶつかり合う、紅色と桃色の、光球。
217 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/04/29(木) 22:42:19.84 ID:4gNNxTQo


 

「・・・わかりました。小萌先生もヒナちゃんのことが好きですから」

 僅かな沈黙の後、小萌はそう言った。

「!」

 途端、雛苺の顔が、ぱっと明るくなる。

「じゃあ、こもえ。いますぐそれをつけてほしいのよ」

「え、いま、ですか?」

「うい。いますぐ、この指につけて」

 ちょん、と少女の人差し指が、小萌の薬指を突付いた。

「え”」

 ちょっと予想外の要求に、思わず小萌は固まった。

 だが雛苺は、さらに続ける。

「それでね、それでね・・・つけたら、指輪にちゅってしてほしいの」

「ちゅっ!? ちゅって・・・」

「ちゅはちゅなのー」

 言いながら、雛苺は自分の指に唇をつける。流石の幼児。恥ずかしげな様子はまったくない。

「そっ、それは、絶対にしなくちゃいけないのですか!?」

「そうなのー」

 すごくいい笑顔で返された。

 これでも年齢的には立派な羞恥心の持ち主で、そして見た目以上―――否、実年齢基準から見ればかなり純情な小萌だ。正直遠慮したかったが、あまりの無邪気な返答に、いやだ、とも言えなくなる。

「・・・わ、わかりました」

 数秒間の葛藤の後、承諾の返事を返した。残念ながら小萌の中に、キラキラと目を光らせる子供の瞳を裏切るという選択肢は存在しないのである。
218 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/04/29(木) 22:43:12.59 ID:4gNNxTQo

(し、仕方ないのですよ。子供のお願いを叶えるのも大人の役割なのです)

 小萌はゆっくりと左手薬指に指輪を嵌め―――その際、なぜか赤い神父の姿が浮かんだが―――次いで、口元に手を持っていく。

 その間にも、雛苺は近くからその様子を見上げてきている。

(うう・・・そんなにじっと見ないで欲しいのです)

 別に誰かにするわけでもなく、対象は自分の手である。正確には指輪のほうであるが、指を切ったときに舐めるのと状況的にはそう変わりがない。

 それでも、やはり恥ずかしいものは恥ずかしかった。

「じゃ、じゃあしますよー?」

「うい!」

 確認するような小萌の言葉に、元気なフランス語が返ってきた。

 そんなに恥ずかしかったらやっぱりいいのよー、とでも言ってもらうことを期待していたのだが、叶わぬ夢らしい。まぁこのくらいの子供にそういう気遣いを求めても無駄なことである。

「・・・・・・」

 再び脳裏に浮かぶ赤い神父の姿。それを、きゅっ、と目を閉じて掻き消すと、小萌はゆっくりと指輪に唇を近づけた。

 そして、苺を模した指輪に、彼女の唇が触れる。

 その瞬間。
219 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/04/29(木) 22:43:40.99 ID:4gNNxTQo



 ドクン、とまるで生きているかのように、指輪が鳴動した。

 
220 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/04/29(木) 22:44:24.29 ID:4gNNxTQo
「ひゃ!?」

 驚いて唇を離す小萌。

 だが彼女には指輪も、そして雛苺の顔を見る時間はなかった。

(え・・・?)

 まるでひどい風邪をひいたときのような倦怠感が全身にのしかかり、目の前がぐらりと揺れる。

「えへへへ・・・」

 雛苺が笑いながら、横倒しに倒れかけた小萌の背中に手を回した。

「これでずぅっと一緒なの・・・ずぅっと、いっしょに遊ぶのよ・・・」

 歌うような少女の声。ベンチに腰掛けた姿勢でぐったりとし、雛苺に支えられている小萌には、突然の疲労感も、彼女の言葉の意味も問う余裕はなかった。

 そこに―――

 バン! と屋上に大きな音が響いた。

「「「!?」」」

 小萌たちの周囲にいる者たちが、いっせいに音がした方を見る。

「小萌先生!」「こもえ!」

「・・・?」

 唐突に名を呼ばれ、そちらに目を向ける小萌。
221 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/04/29(木) 22:45:10.45 ID:4gNNxTQo

 屋上への出入り口、自動ドア。

 そのドアが開ききる前に駆け込んできたため、誰かが激突したのだ。

 大きく揺れるドアガラス。しかしぶつかった当の本人は痛みにも視線にもまったく気にした風がない。

 崩れた体勢をドアにすがりつくようにしてこらえながら、こちらを見るその誰かは、

「か・・・みじょ・・・うちゃん・・・?」

 見覚えのあるツンツン頭の少年と、その隣で少年を見る白いシスター。

 その二人を小萌は知っていた。

 いつか傷だらけのインデックスを担ぎ込んできたときと同じ真剣な顔で、少年―――上条がこちらを見ている。

(ぁ・・・・・・)

 しかし、そこまでが彼女の限界だった。

 急速な闇が彼女の意識を多い、そのまま黒に染めていく。

 重くなった意識に負けて目を閉じる寸前の耳に、キン、と金属音にも似た、甲高い音が響いた。

 それが結界が張られた音だということを、小萌には知る由もない。
222 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/04/29(木) 22:46:43.47 ID:4gNNxTQo





「!」

 がくりと小萌が意識を失ったのを見た上条が、ざわめく周囲を無視して駆け寄ろうとする。

 しかし。

「だめだよとうま!」

 インデックスが彼のシャツを掴んでとめた。

「うわっ!?」「きゃあ!?」

 がくっ、と急制動をかけられる上条。シャツの襟元で首がしまり、左腕の真紅が落ちそうになって慌ててしがみつく。

「げほっ! なにすんだよインデックス! 早くしないと先生が・・・!」

「結界が張られたかも!」

 上条の非難の声を、インデックスが遮った。

「!」

 慌てて周囲を見回す。すると違和感は一目瞭然だ。

 小萌の家からここまで。さんざん晒されてきた奇異な視線が、いまはもうない。

 ざわめき、人ごみ、すべては日常のまま。だがそれが『コインの表』に変わった瞬間、彼らの認識の中から上条たちは消えうせている。

 結界が張られた以上、掻き分けてでも進もうとしたその人ごみはもう蠢く圧搾機と化している。うかつに飛び込めば、ヒトとヒトに押しつぶされてしまう。

 触れても『ひっぱられる』ことも『押しつぶされる』こともないのは、デパートに到着した時点で腕から降ろし、いま真横に立つインデックスと、

「あれは・・・雛苺!?」

 上条の左腕に腰掛けた真紅のみ。
223 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/04/29(木) 22:48:11.09 ID:4gNNxTQo

 その真紅が、驚愕を露にして叫んでいる。

 視線の向きは上条、そしてインデックスと同一方向。小萌に抱きついている、幼児といっていいほど小さな少女だ。

 だが彼女の視線は上条たちとは種類が異なる。それは言うなれば―――あり得ないものが、そこにあるというようなもの。

「そんな・・・これはどういうことなの?」

 呆然と、信じられないような口調。

「なぜ雛苺がここにいるの・・・貴女はあのとき白薔薇に・・・!」



 そうだ。



 雛苺は、もういない。



 共にアリスゲームを終わらせようとした彼女は、白薔薇にとって喰われてしまったはずだ。



 それがなぜここにいるのか。



 いやそもそも、それ以前に、

(なぜ私は、ベリーベルの存在を忘れていたの!?)
224 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/04/29(木) 22:48:41.56 ID:4gNNxTQo
 胸に手を当てる真紅。

 自分は雛苺のローザミスティカを得ていたはず。それは雛苺が望んだこと。身体を失ってもなお、自分とともに戦おうとしてくれた彼女の意思。

 それを、なぜ、忘れていた?

「真紅・・・来てくれたのね・・・」

「っ!」

 思考に沈んでいた真紅を引き戻したのは雛苺の声。

 彼我の距離は十数メートル。人ごみ越しであっても、なぜか彼女の声は真紅にも、そして上条たちにも届いた。

「ひ、雛苺、なの? 本当に、貴女なの?」

 震える手を雛苺に伸ばす真紅。凛とした意思を湛えていたはずの彼女の瞳は、信じられないものを見ているかのように震えている。

「真紅!? どうしたってんだよ、おい!」

 上条が心配そうに真紅を見た。

 真紅の態度は尋常ではない。とても姉妹に出会ったとは思えない態度だ。

 だが真紅が上条の疑問に何か言うよりも早く。

「えへへへ・・・」

 ひらりとベンチから、いや、小萌の腕の中から飛び降りた雛苺が、上条たちに正対して、笑みを浮かべた。

 そこに浮かんだのは、見た目どおりの邪気のない笑み。

 だがその無邪気さは、ためらいなく昆虫をばらばらにできる子供ゆえの残酷をあらわすものだ。

「っ」

 純粋ゆえの狂気をその瞳から感じ取り、インデックスが息を呑んだ。
225 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/04/29(木) 22:49:52.63 ID:4gNNxTQo

「待ってたの、真紅。ヒナはお姉ちゃんに言われて、真紅を待ってたの」

 言いながら、雛苺は上条たちに目を向けたまま、小萌に右手をかざした。白い指先が小萌に―――小萌の指輪を指し示す。

「う・・・」

 小萌の表情が苦しそうにゆがみ、

「!」

 コオッ! と指輪が光を放った。

 同時に、小萌の纏う洋服―――パーカーにジーンズというラフな格好―――が、まるで幻想でも見ているように、ドレスに変化する。

 それは色合い、形状、どれを見ても雛苺が纏っているものと同一のものだ。

 変化は意匠だけに留まらない。

 しゅるしゅると雛苺の足元から立ち上がった苺ワダチ。

 それはもう力の入っていない小萌の四肢に巻きつき、それだけでは飽き足らず、小萌の身体を網の目状に覆っていった。

 結果出来上がったシルエットは、言うなればヒト型の鳥篭だろうか。

 十字架に下げられたような格好の小萌を中心に、苺ワダチが成人男性のシルエットを構成している。

「あ・・・うあ・・・」

 『鳥篭』の中で小萌が苦しそうな声をあげた。

「な・・・!」

 魔術。

 それを目の当たりにした上条が目を見開き、

「や―――やめなさい雛苺!」

 茫然自失の状況から立ち直った真紅が叫ぶ。
226 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/04/29(木) 22:51:16.56 ID:4gNNxTQo

(まさか・・・Nのフィールド!?)

 契約者の意匠の変化が意味することは二つ。

 通常、鏡の世界にしか存在しないNのフィールドが現世にあるということ。

 もうひとつは、媒介として許容量以上の力を薔薇乙女に与えているということだ。

 そして変化の度合いが急激であればあるほど、

「その人を離しなさい雛苺! 貴女、自分がなにをやっているかわかっているの!?」

 真紅が叫んだ。その顔は焦りに満ちている。



 ―――契約は私の力を引き出すために必要な手続きに過ぎない。私が力を振るうと、どうしても、貴方の体力を奪ってしまうのだわ



「!」

 上条の脳裏に、先ほど真紅から聞いた言葉がよみがえった。

 体力のある上条にして、身体の芯にダメージを残すほどの疲労。それをただでさえ小さな体躯の小萌が受けたとしたら。

「そんなの、わかってるのよ」

 雛苺が応ずる。無邪気な顔が上条たちに向いた。

「ヒナ、言われたの。お姉ちゃんに、言われたの。こもえに会って、ここにきて」

 カクン、と彼女が首をかしげた。

 まるで力の篭っていない、人形同然の不自然な動き。そして幼い彼女の口元が、まったく中身のない笑みを浮かべた。 
227 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/04/29(木) 22:51:45.24 ID:4gNNxTQo

「真紅を壊せって」

「なっ!?」

 真紅の目が見開かれる。だが彼女にも、そして上条にも、その言葉の真意を問いただす暇はなかった。

「そうしたら、ヒナはこもえと一緒にいられるって、お姉ちゃんが言ってたの」

 言いながら、雛苺は小萌の身体に巻き付く苺轍ごしに空を見上げる。

「ヒナ、遊ぶの。こもえと一緒に、ずっと、ずっと」

 そこには、昼間の光の中でさえはっきり見えるほど光量を増した二つの光球がある。

 結界が張られたことで人目に晒されないことを悟ったのか、完全に色を取り戻している二つの光球。

 音もなく激突を繰り返していた二つの光。

 その片方である紅色の球が、先程小萌の部屋であったように―――危険を知らせたのはときのように―――激しく明滅した。

 それがまさに合図であるかのように。 

「ベリーベル!」

 雛苺が命じる。

 小さな指を、真紅の方に向けて。

 桃色の光球と、雛苺の身体。そして小萌の指輪が光を放った。

「くっ! ホーリエ!」

 歯噛みして、真紅も叫んだ。

 疑問も答えもすべてをあやふやなままに。

 アリスゲームが、始まる。


235 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/05/09(日) 23:26:32.69 ID:vaxFE6Io


 第一手はベリーベルの一撃ではなかった。

 雛苺の命令に従い真紅に向かったベリーベルはしかし、その真紅の意思を受けたホーリエに阻まれたのである。

 弾丸のように突っ込むベリーベルを、盾のように受けとめるホーリエ。

 契約者を持つもの同士の人工精霊だ。多少の能力相違はあろうとも、攻撃力にそこまでの差はない。空中で制止し、押し合いをする二つの光。

 その代わりに突っ込んできたのは、雛苺ではなく、彼女の隣に立ったモノだった。

 『鳥籠』は、ぐっ、と膝を縮めると、植物のしなやかさを以って大きく跳躍。上条たちとの間にある人混みを一息に跳び越えたのだ。

「!」

 最高点が3メートルは超えようかという大跳躍。見上げる上条とインデックスの視線の先で、『鳥籠』が右拳を構えた。

 二人の人間のうち上条に向けて、突進力と重力が合わさった一撃が襲い掛かる。

「くっ!」

 人間離れした『鳥籠』への驚愕も一瞬。拳到達までに辛うじて包帯を剥ぎ取った上条の右手が、つきこまれた拳を受け止めた。

 幻想殺しが発動する。



 ―――!



 『鳥籠』の右腕が振り抜かれた。

 しかしそれは上条に一撃が入ったからではない。幻想殺しに触れた端から体を構成する苺轍を破壊され、ない腕を振り抜いたに過ぎなかった。
236 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/05/09(日) 23:26:59.37 ID:vaxFE6Io

 右腕を破壊された『鳥籠』。そしてそれを為した上条は、

「小萌先生!」

 至近距離となった小萌に手を伸ばした。

 まずは『鳥籠』内部の小萌を救出する。どうすれば契約が破棄され、彼女が解放されるのかはわからない。それでもこの中に囚われているのは間違いなく危険だ。

 上条の意図を察したのか、『鳥籠』がしゅるしゅると己の構成物質を伸ばした。それは彼の目の前で瞬時に綾を成し、編みこんだような形で壁を形成する。

 だが無駄だ。幻想殺しにはいかなる常識外も効果がない。

 押し当てられた右掌が壁を突き破り、さらにその向こうにある『鳥籠』の頭部を掴んだ。

 瞬時に構成する轍が破壊される。

 そして上条はそのまま小萌に手を伸ばし―――

「とうま! うしろ!」

 と、インデックスが叫んだ。

「!」

 切迫した彼女の声に、反射的に身を沈める上条。

 その瞬間。

 ブン、と音をたてて何かが頭上数ミリの位置を横薙いでいった。彼の跳ねた黒髪が数本、屋上に吹く風に舞う。
237 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/05/09(日) 23:27:28.58 ID:vaxFE6Io

「なっ!?」

 身を捻る。

 振り返った視界にはあったのは、

「ぬいぐるみ!?」

 一抱えもあろうかという、大きな熊のぬいぐるみだ。

 ずんぐりむっくりという微笑ましい造形の体に、愛嬌のある顔。そしてその両腕の先には、本物と見間違えるほどのごつい爪。

 下手な刃物よりもずっと切れ味のありそうなその爪が、再度打ち振られた。

「っ!」

 なぜぬいぐるみが動いているのかの疑問と苦情を上条は考えない。相手は魔術の産物。考えるだけ無駄だ。

 だから上条は上半身を強引に捻り、右拳を放った。

 拳に柔らかい感触。それとともに、ぬいぐるみの動きがとまり、爪が消えうせた。

 しかし敵はこっちではない。

 ひゅん、と風切り音が耳に届いた。発生源は至近距離。再び真正面に向き直る上条。

「!!!」

 そのときにはすでに『鳥籠』の攻撃が目の前まで迫っていた。

 上条が熊に気を取られているうちに、『鳥籠』は左腕を大きく旋回させ、鞭のように振るう。

 魔力を帯びた一閃。当たれば骨とまではいかないが、肉は十分に引き裂くことができるだけの威力があった。

 振り返ったばかりの、そして右手を振るったばかりの上条では、回避も、そして幻想殺しで受け止められるタイミングでもない。

 本日二度目の打ち首の危機。
238 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/05/09(日) 23:28:39.83 ID:vaxFE6Io

「C・F・A!」

 インデックスの声が周囲の喧噪を圧して響き渡った。



 ―――!?

 

 瞬間、『鳥籠』の左腕が真上に跳ね上がった。

 強制詠唱。

 術者と媒介を結ぶ糸に介入する、魔力を用いない魔術だ。

 本来ならば自動制御の相手にこの技は効果がない。だが、インデックスは知っている。インデックスには理解できる。

 薔薇乙女は契約者の力を吸収し、それを用いて魔術を使っている。実際に遠隔的に操作をしていなくても、魔力媒介としての意思疎通は行っているのだ―――簡単に言えば『この魔力を用いて攻撃せよ』『この魔力を用いて回復せよ』『魔力が足りない』『魔力をよこせ』

 ならば、そこに介入する余地がある。

「っ!」

 しかし鞭の動きは剣のように即座に変わるわけではない。

 結果的に斜めを描いた左腕を、上条は沈み込むことで辛うじて回避。

 そして崩れた体勢のまま、

「うおおっ!」

 上条が再び幻想殺しを叩き込む!



 ―――! 



 『鳥籠』から動揺の気配。

 鞭の一撃は、回避されればそのまま慣性力によって自由を制限する。伸び上がった左手はまだ勢いを失っていない。

 当たる。
239 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/05/09(日) 23:29:13.33 ID:vaxFE6Io

 しかし。

「A la!」

「!?」

 舌足らずな声とともに、小萌の指輪から苺轍が出現した。

 轍はその鋭利な先端を上条の目に向け、早送りをしているかのように一息に成長する。

「くっ!」

 反射的に右手で打ち払う上条。もともと牽制だったのか、轍の一突きはあっさりと力を失い、破壊された。

 しかしその隙に『鳥籠』は左腕の制御を取り戻す。次いで大跳躍を行い、即座に上条から距離をとった。

「くそっ!」

 強引な動きをした直後の上条にはそれを追うことは出来なかった。たたらを踏んでいる間に、『鳥籠』は再び雛苺の隣にまで戻っている。

 十秒に満たない攻防。上条にも、真紅にも、インデックスにも、そして雛苺にもダメージはない。

 ただ一人ダメージを負ったのは、

「くあ・・・うああ・・・・!」

 小萌だ。

 『鳥籠』の中にいる小萌の苦鳴に、上条たちが目を見開く。

「えへへへ・・・」

 雛苺が壊れた笑みとともに、再び小萌の指輪を指差していた。

 指輪は光を放ち、『鳥籠』の右腕を修復。それだけではなく、幻想殺しに抗するためか、さらなる轍が絡み付き、腕や胸の厚みを増していった。

「真紅のミーディアム・・・とっても強いの・・・・ヒナも負けないの・・・」

 さらに雛苺は左手を、すい、と振るった。

 同時に彼女の背後―――アスレチックの方から、立ち上がる数々の影。

 それは、両手の指では足らぬほどの数の、ぬいぐるみやプラスチックの玩具たち。

 玩具たちはそれぞれが一抱えほどの大きさになり、各々の脚で立ち上がっていた。さらにそれらはいっせいに跳躍。

 雛苺と『鳥籠』を囲むようにして、着地した。

245 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/05/23(日) 23:38:17.18 ID:S494e0Yo

「っ!」

 この現象を実現させたエネルギー。その供給元など、考えるまでもない。

 上条が地面を蹴り、目の前の人ごみに構わず雛苺に向かったのと同時に、真紅が右手を振り上げた。

 ホーリエに命令するのか、あるいは別の攻撃か。

 しかし。

「っ・・・! い、いい加減にしなさい雛苺!」

 ギリ、と歯噛みした後、真紅は叫ぶのみ。声にも、表情にも、悲痛な迷いが見て取れる。

 彼女の腕は振り下ろされない。

「っ!」

 その声に、駆け出していた上条の脚が凍り付いたように止まった。

 上条には迷う必要はない。少なくとも小萌が危険なのだ。なんとかして雛苺を戦闘不能にして、後は真紅になんとかしてもらうしかない。それも、一刻も早く。

 小萌が危ない。

 雛苺は笑っている。

 小萌を助けなければ。

 雛苺は敵だ。

 水銀燈のときとはワケが違う。

 小萌の命がかかっている。

「っ」

 正面を見る上条。彼は人ごみなど恐れない。自分が押しつぶされる危険など、小萌を失うことに比べれば完全に瑣末ごとだ。

 だがそれでも、上条には真紅の迷いを見捨てることはできなかった。

 真紅は雛苺を攻撃することを躊躇っている。襲い掛かってきたという点では水銀燈と変わらないが、一目見たときの反応からして、何か因縁があるのかもしれない。

 上条は迷う。

 真紅への誓いは、彼女の意思を護ることも含まれるのである。
246 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/05/23(日) 23:38:45.36 ID:S494e0Yo

「っ、っ、っ!」

 そしてそれは真紅も同じだった。振り上げた右腕は、振り下ろされず、しかし、小刻みに震えている。

 『鳥籠』の中にいる人物が、上条の護るべき人だということは理解している。そして、こうして戦いが始まった以上、もう戦うしかないのだということも。

 そもそも『前回』は、真紅の方からしかけているのだ。結果的に彼女は自分の下僕となることを選び、そしてさらに、結果的に彼女が自分にローザミスティカを預けることになったはずだが、場合によっては自分が雛苺を壊していた可能性だって大いにあったのだ。

 だがそれでも真紅は納得がいかない。動けない。

 なぜ、雛苺がここにいる。なぜ、Nのフィールドを模した結界がある。なぜ、彼女は自分にすべてを託したことを忘れ、自分もそれを忘れていたのか。

 迷い、迷い、迷い。

 誰でもない、お互いのために動けない二人。

 その間にも『鳥籠』の修復は進み、小萌の命のリミットは近づいていく。

 だが状況にメスを入れたのは、アリスゲームという点からいえば、もっとも関係の薄い者だった。
247 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/05/23(日) 23:39:28.01 ID:S494e0Yo

「I T I H T R A R I !」

 インデックスの声が響く。

 同時に、指輪の放っていた光が一気に減衰した。苦しげだった小萌の表情が和らぎ、ワダチの成長がピタリと止まる。

「!?」

 驚きに目を見開き、上条たちを―――インデックスを見る雛苺。

 インデックスはその視線を畏れない。さらに何事かを命じようと息を吸い込み―――

「Allez!」

 インデックスを邪魔者と見たのか、彼女を指差し、雛苺が叫んだ。

 周囲を囲んでいた『玩具』たちが動き出す。

 ある者は滑るように、またある者は鈍重な外見のそのままに、人ごみを無視してインデックスに向かった。

 何体かは人ごみに弾き飛ばされ、踏み潰される。しかし彼らの体躯は小さく、数も多い。大部分の『玩具』が人ごみを突破した。

「!」

 上条が彼女を護るために駆け出そうと―――
248 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/05/23(日) 23:40:00.42 ID:S494e0Yo

 ダンッ! と音が響いた。

 完全な増強は出来ないまでも、右腕と頭部が回復した『鳥籠』が再び大跳躍。上条に襲い掛かった。

 相手が構えているのは右拳。先ほどとまったく同じ状況。

 ひとつ違うのは、

「くっ!」

 上条の受け手だ。

 上条は右手ではなく、左手で『鳥籠』の拳を受け止めた。

 幻想殺しは使えない。ワダチを破壊すれば、それがそのまま小萌のダメージに転化されてしまう。

 『鳥籠』の中にいる小萌の髪の色は、桃色から雛苺のようなブロンドへと色を変貌させていた。その幼い容貌とせいもあって、遠目からではもはや雛苺と同じ容姿に見えるだろう。

 上条にはそれが意味するところはわからなかったがそれでも異常な状況。これ以上は危険だ。

 重い一撃。

 全身に力をこめて、拳を受け止める。
249 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/05/23(日) 23:41:23.71 ID:S494e0Yo

 ―――!

 しかし『鳥籠』は腕を振りぬかなかった。

 上条が全身に力を篭めていることそのものを土台として、空中で前転。さらに右脚を一直線に伸ばす。

 拳と左手の接触面を基点とした『鳥籠』の前転の勢いは、そのまま振り下ろされる右踵の鋭さに変化した。

 踵落とし。

 狙いは頭だ。

「!?」

 予想外の動きに上条は反応できない。

「くうおっ!?」

 頭を思い切り横に傾け、なんとか直撃は免れた。しかし蹴り脚そのものは死んでいない。

 戦斧のような垂直の蹴りが、上条の肩に叩き込まれる! 

「ぐあっ!」

 がくっ、と上条の膝が折れた。ダメージではない。崩れた体勢では蹴りの重さに耐えられなかっただけだ。

 一秒にも満たない身体の硬直。しかし接近戦において、それは致命的な隙になる。

 『鳥籠』はさらに動いた。

 上条の肩を打ち付けた右足で全体重を支え、左膝を胸に―――小萌の頭に触れるかというほど―――引き付ける。

「!」

 意図に気づいた上条が、膝に力を入れて立ち上がった。

 否。

 ―――!

 『鳥籠』の動きが一瞬早い。

 蹴音!

 十分な溜めを持った左足の前蹴りが、上条の顔に突き刺ささった。

「ガっ!」

 顔を思いっきり蹴り飛ばされた彼の背中が、先ほど入ってきた出入り口の自動ドアに激突し、大きな音をたてる。
250 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/05/23(日) 23:41:56.12 ID:S494e0Yo

「当麻!」

 その音に立ち止まる真紅。

 上条と同じく『玩具』に襲われるインデックスを助けに向かっていた彼女だが、上条の苦境も放っておけない。

 だが彼女には、上条を助けることも、そのためにホーリエに命ずることもできなかった。

「余所見してると危ないのよ」

「!」

 慌てて振り向けば―――いつの間に接近したのか―――ほんの数メートル先に、雛苺の姿。

 ドレスの裾を翻す桃色の少女は、ちょうどこちらに向かって、何かを投げつけるように右腕を振りかぶっていた。

「―――!」

 真紅は反射的に地面を蹴って、後ろに跳躍。同時に右手をホーリエに向け、

「ホーリエ!」

「ベリーベル!」

 二つの人工精霊が同時に動いた。

 数条の光槍を放ったベリーベルに対し、ホーリエは真紅の右手に赤光を照射する。

 真紅の右手に集まった赤光は鞭のようにしなった後、一振りのステッキに姿を変えた。

「はあっ!」

 迫る光槍をステッキで叩き落す真紅。

 光槍はガラスのように砕け、瞬いて消えた。

 だがその間に、

「真紅なんか」

 雛苺の右手が振り下ろされていた。

「ペシャンコになっちゃえ!」

 ブン! と塊が空を切り裂く鈍い音。

 真上から放物線を描いて、歪な球形の物体が飛来する。
251 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/05/23(日) 23:42:33.21 ID:S494e0Yo

「!?」

 さらに背後に跳ぶ真紅。彼女がさっきまでいた位置に、その塊が叩き込まれた。

 コンクリートの地面が砕け、破片を周囲に撒き散らす。

 雛苺を見る真紅。

 右手を振り下ろした姿勢の彼女が持っているのは、太く長い苺ワダチだ。そして叩き込まれたのは、その先端にくっついている、この状況に置いては場違い極まりないもの。

 人の頭ほどはあろうかというほどの、巨大な苺だった。

 しかし見た目だけでは侮れない。雛苺の苺ワダチは大の大人でも素手で千切れるものではなく、先端にある『苺』の威力は、いま見たとおりだ。

 彼女の武器を端的に表すなら、

「モーニングスター!?」

 真紅が目を見開き、雛苺が動いた。

「ぜったい、負けないんだからぁ!」

 雛苺は素早く背中側に回転。全身の勢いを持って水平に右腕を振るう。

 苺ワダチの長さは雛苺本人の2倍以上。その上先端の『苺』はアスファルトにめり込むほどの重さだ。通常であれば彼女の体重で扱えるものではない。

 だがこれは薔薇乙女の能力だ。特にNのフィールド内と同等であるこの空間内では、そんな常識は一切通用しない。

 まるで意思持つように持ち上がった『苺』が、反動と勢いを喰って空を飛んだ。

 鞭の動きとハンマーの威力。

 直線的に見えてそうではない軌道の『苺』を、真紅は辛うじてステッキで受け止めた。

「きゃあっ!」

 だが威力差は歴然。

 ステッキの上下を両手で支え、その中央で受けたにも関わらず、まったく衝撃を殺せない。

 彼女もまた先ほどの上条のように吹き飛ばされる。
 
256 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/05/31(月) 23:58:05.14 ID:Bo/.OAYo
「くっ!」

 なんとか空中で体勢制御し、左手を地面につけつつも着地する真紅。受け止めた両手が痺れていたが、ダメージはない。

 だがそれを確認している間にも、雛苺は次の攻撃に移っていた。

 風切り音。

「!」

 顔を上げる。

 真正面。

 真紅は右手一本でステッキを構える。が、先の威力から考えれば、とてもではないが受けきれるものではない。ステッキは弾き飛ばされ、そのまま命中するだろう。

 あんなものを頭に食らえば、それだけで倒れてしまう。ゲームは終わりだ。

「っ!」

 真紅は防御を諦め、回避に転じる。

 地面を蹴り―――動かそうとした脚に、唐突に何かが絡みついた。

「!?」

 慌てて目線を下げれば、己の両脚に、コンクリートから直接生えた苺ワダチが絡み付いている。

 動けない。

「真紅、さよならなの!」

 楽しげな響きを持つ雛苺の声が、やけにクリアに響いた。

 彼女は再び身を捻り、今度は大上段に構えている。

 狙いは頭。

「―――っ!」

 回避不能だ。
257 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/05/31(月) 23:58:50.57 ID:Bo/.OAYo
「P I O B T L L!」

 だがそれを遮るように、歌うような言葉が『コインの裏』に響いた。

「キャー!?」

 突然、雛苺の左脚が後ろに動く。体勢も何もかもを無視した動きに、雛苺は対応できない。

 前のめりに倒れこむ。妙な動きの入った『苺』は、真紅からまったく外れた場所にめり込んだ。

「シスター!?」

 真紅が声の方向に視線を向けた。

 遠く、『玩具』たちから逃げ回りながらもインデックスが安堵の表情を浮かべているのが見える。

 しかしそれも一瞬のこと。

 瞬く間に『玩具』に群がられ、彼らの攻撃を回避するため、インデックスは再び走り出した。

「ホーリエ! シスターを!」

 真紅の意を受け、ホーリエが弾かれたように『玩具』たちに向かう。

 それを一瞬だけ見送ってから、

「真紅の、バカー!」

 雛苺に視線を戻す真紅。

 転んだ姿勢のまま、雛苺が腕を振った。

「っ! やめなさい雛苺! なぜなの!?」

 真紅はそれを完全に見切った。

 リーチ、速度、そして雛苺の身体の動き。 

 そこから予測できる攻撃有効範囲ギリギリの間合いを維持し、

「Que soit epuise!」

 雛苺の声と同時に、ぐんっ、と擬音でも聞こえる勢いで『苺』が、いや、『苺』と雛苺を結ぶワダチが伸長する。

「っ!」
258 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/05/31(月) 23:59:24.19 ID:Bo/.OAYo


 鈍音!

259 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/05/31(月) 23:59:52.13 ID:Bo/.OAYo

 真紅の脇腹に『苺』がめり込んだ。

「かはっ!」

 口から呼気が漏れ、手からステッキが離れる。

 振り切られた『苺』の運動エネルギーをまともに受けた彼女の身体は、落下防止用の金網フェンスまで一息に吹き飛ばされ、たたきつけられた。

「・・・!!!」

 衝撃が全身に響き、息が吸えない。なんとか立ち上がろうとするが、まったく力が入らなかった。

 身体を支えることもできず、フェンスに沿ってズルズルと滑り落ちていく。

 彼女らを結ぶ一直線上のちょうど中央のコンクリート上に、ステッキがくるくると回転しながら落下し、軽い音をたてて転がった。 

「いまなの!」

「!」

 顔をあげる真紅。

 力強く発光したベリーベルが真紅に迫る。しかし回避する余裕も、防御する余力も、いまの彼女にはなかった。

「ひな・・・いちご・・・!」

 痛みで途切れ途切れになる声。

 だが彼女の細い言葉は、雛苺には届かない。

 真紅の視界いっぱいに、桃色の光が広がった。
260 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/06/01(火) 00:00:19.59 ID:6jPurogo





(真紅!)

 自動ドアに叩きつけられた上条は、視界の真紅の危機を捉えながら、自ら身体を下方にずらした。

 ずり下がるようにして、頭ひとつ分だけ視界が下がる。



 ―――!



 ついさっきまで彼の頭があった位置に、追撃の前蹴りが叩き込まれた。

「っ!」

 上条は自分の真上で響くとんでもない蹴音を無視して、地面を殴りつけるようにして立ち上がる。

 
261 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/06/01(火) 00:00:49.74 ID:6jPurogo





 目前に迫るゲームオーバーを阻んだのは、駆け込んできた一人の影だった。

「させるかよっ!」

 上条は全力疾走そのままに大きく跳び込み、掬い上げるようなモーションで右の拳を放った。

 幻想殺しが描く軌跡は、ベリーベルが真紅に突っ込もうとするそれと重なっている。



 ―――!



 人工精霊といえども、彼の右手に触れればひとたまりもない。慌てて軌道を変え、大きく上昇するベリーベル。

 その間に上条は真紅に駆け寄った。左手で彼女を抱き起こし、顔を覗き込む。

「大丈夫か真紅!」

「かほっ、こほっ、な、なんとか大丈夫・・・なのだわ・・・」

 こたえながら顔を上げた真紅の苦しげな表情。

 しかしその目が見開かれる。

 自分を抱える上条の肩越しに、『鳥籠』が見えたのだ。

 しかしこちらに向かってきているのではない。

 行き先は、

「シスターが・・・!」

 いまも『玩具』からの攻撃を必死に避け続けている、インデックスだ。

 おそらく上条は、こちらの危険を見てそれこそ何も考えずに助けにきたのだろう。だが『鳥籠』の役目は上条を倒すことではなく、アリスゲームに勝つことだ。

 無理に上条を追うことより、もっとも多くの戦力をひきつけているインデックスを先に倒したほうが、話は簡単になる。それにインデックスは雛苺の魔術に割り込むことが可能な、厄介な存在だ。
262 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/06/01(火) 00:01:24.05 ID:6jPurogo

「っ!」

 自分に向かってくる『鳥籠』を見て、インデックスが一瞬だけ表情に緊張を走らせた。

 インデックスは強制詠唱を用いて『玩具』たちの一体一体を牽制している。だがそれも決して手玉にとっている、というレベルではない。

 右手をあげろ、や、脚を動かせ、という命令で同士討ちを狙い、辛うじて出来上がる安全地帯を縫うように使っているに過ぎなかった。

 あの状態に『鳥籠』が加われば、逃げ続けるのは不可能だ。



 ―――!



 滑るように近づいた『鳥籠』が、右の拳をインデックスに叩き込んだ。

 身を翻し、辛うじて避けるインデックス。しかし突きこまれた腕が修道服に絡み、引っ張られたインデックスの脚がたたらを踏む。

 その隙をついて、『玩具』たちがいっせいに殺到した。

「当麻、シスターが!」

 叫ぶ真紅。

 だが、

「大丈夫だ、インデックスなら!」

 上条が、確信を持った口調で言う。

 彼の口ぶりも、瞳も、まったくインデックスを心配した様子がない。

「で、でも」と、真紅。

 正直に言って、上条でもてこずる『鳥籠』を相手に、インデックスが無事でいられるとは思えない。

 だが、上条の言葉を肯定するように。



 ドン! とインデックスに殺到していた『玩具』たちが、吹き飛ばされた。
263 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/06/01(火) 00:02:21.40 ID:6jPurogo

「くあっ!?」

 その途端、己の頭に走った痛烈な痛みに、真紅は顔をしかめた。

 何か攻撃を受けたのか、と雛苺を見るが、彼女もまた側頭部を押さえて膝をついている。

 ベリーベルが小さく明滅してふらふらと高度を落とし、インデックスに向かっていたホーリエに至っては力を失って地面に落下した。

 『鳥籠』も、電撃か何かで痺れさせられたように、小刻みに震えながら膝をついている。

 それを引き起こしたのは、倒れた『玩具』たちに説法でもするかのように、両手を軽く開き立つインデックスだ。

 インデックスの使う、もうひとつの音声魔術。

 魔滅の声である。

 本来であれば十字教徒以外には効果がないはずの魔術が、いま彼らに対して威力を発揮した理由は、その発せられた言葉と、真紅たちの特性ゆえ。

 塵は、塵に。

 十字教にある言葉に『人形』という属性を強引にひっかけられ、『玩具』たちは動けない。

 対照的にインデックスは、閉じていた目を開き、さらに動いた。

 修道服を止めている安全ピンを、まとめて引き抜いた。チャイナドレスよろしく右脚が大きく露出するが、まったく気に留めることなく『鳥籠』に向けて走り出す。

 『鳥籠』は接近する敵に対して顔を上げた。しかしまだ魔滅の声の影響から脱していない。立ち上がろうとするが、まったく動けないようだ。

「やあっ!」

 インデックスは脚を大きく露出させながら踏み込み、手にした安全ピンを次々と『鳥籠』に―――『鳥籠』を構成する苺ワダチに差し込んでいく。

 ただ差しているだけではない。ワダチの一部を留め合わせるように、一定の動作をよどみなく、それこそ手馴れた生け花でもしているように彼女は動く。

 そして手の中の安全ピンをすべて『鳥籠』に差してから、インデックスは一足に『鳥籠』から離れた。
264 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/06/01(火) 00:03:34.29 ID:6jPurogo

 『鳥籠』は魔滅の声の影響下であってもインデックスを追おうとして―――

 

 ―――!?



 『鳥籠』から動揺の気配。

 その身が、縛り付けられたかのように動かない。

 上条にも、真紅にも、そして雛苺にもわからなかったが、インデックスが『鳥籠』に施したのは縄縛術である。

 夏休みの最後の日、他ならぬインデックス自身を捕縛した縄の魔術のひとつ。

 網の目状の小萌を捕縛する苺ワダチを安全ピンで固定、あるいは結び目をつくり、自らを拘束する形に組み替えたのだ。

 10万3000冊の知識でもなく、完全記憶能力でもなく、それらをすべて応用し、独自に使えること。 

 それこそが、彼女のもっとも強力な武器なのである。

 そしてもうひとつ。

 彼女が持つ、強力な武器は。

 インデックスは『鳥籠』が動けないのを確認。そして、大きく息を吸い込み、

「とうま! こもえはもう大丈夫! これは動けないし、その子の命令もわたしがなんとかする! だから」

 インデックスが上条を見る。

「とうまはとうまの護りたいものを、しっかり護って!」
265 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/06/01(火) 00:04:32.35 ID:6jPurogo

 それは、上条に対する、信頼だ。

 危ないと思ったら逃げろ、と言う言葉に頷いたインデックス。
 
 にも関わらず逃げていないことを、上条が『彼女にとって対処できることなのだ』と信じたのと同じように。

 インデックスもまた、上条が護ろうとするモノを、信じている。

 笑みを浮かべる上条。

「真紅!」

 一声。

「小萌先生はインデックスが護る! だから教えてくれ! どうすればいい!」

 そのまま、言葉を続ける。

「どうすれば、お前とアイツに一番いい結果を出すことができるのか、俺に教えてくれ!」 

 アイツとは間違いなく、雛苺を指しての言葉。彼女の身すら案じるのは、なによりも真紅を案じているから。

 真紅があんな顔をしてまで迷いを見せるのは、真紅がダメージを負ってもなお彼女の名を呼ぶのは、少なくとも、雛苺に異常な事態があるということ。

「―――っ」

 真紅は確かに一瞬だけ迷った。

 違和感、疑問、そして雛苺。

 だがそれを振り切るように目を閉じて首を振る。

 自分の大切なモノに手を出されても、上条も、インデックスも、自分のことと、そして雛苺さえも信じてくれようとしている。



 私の、護りたいものは、なに? 

266 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/06/01(火) 00:04:59.09 ID:6jPurogo

「・・・!」

 真紅は身を起こす。ふらつく身体を、それでも自分の脚で支えて。

「当麻!」

 そんな彼女の表情からは迷いは消えないまでも、確かな決意が浮かんでいた。

「雛苺は私が抑えるわ! だから当麻、あなたは」

 真紅は雛苺を見た。

 魔滅の声の影響を若干とはいえ受けた彼女は、痛みにいまだ動けそうもない。両手で頭を抑えて、身を震わせている。

 その弱弱しい仕草は、『前回』に見た、身体を奪われた彼女を思い起こさせた。

 だが―――

 真紅は眦を決する。

 大きく息を吸い込み、

「彼女の指輪を破壊するのよ! そうすれば雛苺を壊すことなく、このアリスゲームは終わるのだわ!」

「おう!」

 頷き、上条が駆け出した。

 右手を握り、危険地帯と化した人混みにも構わず一直線に雛苺たちを目指す。

「だっ、」

 動けない雛苺だが、真紅の声は聞こえている。

 顔をしかめながらも、

「だめーっ!」

 雛苺が叫び、その意思を拾い上げたベリーベルが上条を追うように飛んだ。
267 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/06/01(火) 00:05:55.70 ID:6jPurogo

 走る上条と空を翔るベリーベル。速度差は歴然。数瞬後にはベリーベルが追いつき、追い越してしまう。

 上条自身に攻撃を仕掛けるのは、幻想殺しを受ける危険性がある。ベリーベルが目指しているのは、インデックスに拘束された『鳥籠』の方だ。

 拘束そのものは、安全ピンに依る危ういバランスの上に成り立ったもの。光球の一撃で安全ピンをひとつでも弾き飛ばせば、それだけで拘束は解けるだろう。

 シスターの声は確かに厄介だが、それでも『鳥籠』自身の攻撃力というプラス要素に比肩するものではない。

「そこまでよ雛苺!」

 ふらつきながらも立ち上がった真紅が、震える脚を強引に押さえ込んで走り出した。

 彼女の上向けた右掌。そこに真紅自身の生み出した薔薇の花弁が、風を巻いて集中する。

「っ!」

 駆ける上条の脚が一瞬だけ乱れ、すぐに持ち直す。真紅の能力使用により、体力を奪われたせいだ。

 しかし上条は振り向かない。真紅が躊躇わず能力を行使する―――ここが勝負どころということに間違いない。

 そして真紅は右足を力強く踏み出し、右手を雛苺に向ける。

「薔薇の尾!」

 ゴッ! と花弁が一群となり、雛苺を襲った。
268 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/06/01(火) 00:06:22.94 ID:6jPurogo

「!!!」

 目を見開く雛苺。

 慌てて『苺』を構えるが、直線攻撃である薔薇の尾に対して、それは遅きに失した行為だ。

「やあっ!」

 首、胴、両腕、両脚。

 瞬く間に絡めとられ、自由を奪われる。

 真紅は駆ける脚を止めないまま、地面に転がったステッキを掬い上げるようにして拾い、構えた。

 行き着き先は、もはや動くことのできない雛苺だ。



 ―――!



 上条を追い抜こうとしていたベリーベルの動きが、引きつるように止まった。

 雛苺の命令と、雛苺の命。

 人工精霊が優先するものなど決まっている。

 空中で強制制動。そのまま跳ね返るようにして雛苺に向かうベリーベル。
269 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/06/01(火) 00:07:30.81 ID:6jPurogo

 ホーリエと『玩具』は魔滅の声で停止している。

 『鳥籠』は縄縛術で動けない。
 ベリーベルは雛苺を優先している。

 雛苺は捕縛状態。

 真紅は迫り来るベリーベルを防御するため、脚をとめている。

 『コインの裏』の人物の中で、唯一動けるのは、

「おおおっ!」

 大覇星祭の時のような大声をあげながら上条は走る。

 表側にいる人ごみの中を一息たりとも畏れず、一直線に。

 その視線の先にあるのは、『鳥籠』ではなく、小萌のみだ。


 ―――!


 『鳥籠』が接近する上条に対し反応を見せる。

 拘束された身でありながらも、強引に動こうとするが、

「おせぇんだよっ、この生け花野郎!」

 上条が間合いに入るほうが、早かった。

 拳をとき、右手を大きく振りかぶる上条。

 そして、

「小萌先生を、放しやがれっ!」

 掬い上げるように幻想殺しが叩き込まれた。

 上条の右手が苺ワダチを破壊し、そのまま、小萌の左手を握る。


 ―――!!!


 パキイッ! と小さな金属音。

 そこで、勝負は決まった。
 
278 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/06/20(日) 22:03:45.25 ID:S7H978oo

 ○

 指輪は破壊されても、結界はまだ維持されていた。

 小萌から奪われた力はあくまで起動のためのスイッチのようなもので、核は雛苺自身なのだろう。
 
 そう言ったのは、結界が残っていることで他の魔術師の存在を疑った上条に対するインデックスだ。

 とはいえ、雛苺の力そのものが失われているのは間違いないようだった。

 『鳥籠』は安全ピンだけを残して消滅しており、『玩具』はすべて元のぬいぐるみやおもちゃに戻って転がっている。

 さらに、指輪が破壊された瞬間に一気に減衰したベリーベルは、魔滅の声の効果から脱したホーリエに容易に押さえ込まれていた。

「・・・・・・」

 気を失った小萌を抱えた上条。彼はひとしきりそんな結界内を見回してから、心配そうに視線を真紅のいる方向に移した。

 それを追い、女の子座りでへたりこんだ姿勢の――連続の回避行動で体力を消耗したのだ――インデックスもそちらを見る。

 真紅が、どこか悲しげな表情で、雛苺に歩み寄って行く。
279 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/06/20(日) 22:05:17.95 ID:S7H978oo




 屋上であっても、来店者の靴はそこまで砂土をはこんでくる。

 歩みを止めた真紅の靴の裏が、ざっ、と音をたてた。

 それが耳に届いたのか、あるいは影がさしたせいなのか。

 尻餅をついた姿勢の雛苺が、顔を俯けたまま、びくっ、と小さく身を震わせた。

「雛苺」

 見下ろす真紅の表情には、先程まで浮かんでいた決意はそのままだが、消えていなかった迷いと疑問は、逆にいま、色濃く現れていた。

「ゲームは終わりよ。貴女の指輪は壊れ、アリスになる資格は失われた」

 真紅は一旦言葉を切り、辛そうに麗眉を歪ませる。

「・・・なぜなの雛苺。なぜ、こんなことを」

「・・・・・・」

 雛苺はこたえない。顔をあげようともしない。

 真紅は、ちらり、と上条の抱える小萌を見て、

「当麻が指輪を壊さなかったら、あと数分で間違いなく、彼女は指輪に喰われていたはず」

「・・・・・・」

「巴とのことを忘れたというの? いいえ、それよりも」


 ・・・貴女は、本当に雛苺なの?


「・・・・・・」

 口から飛び出ようとした言葉を、真紅は咄嗟に飲み込んだ。
280 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/06/20(日) 22:21:58.01 ID:ULOfapso

 目の前にいるのは、間違いなく雛苺だ。ローゼン以外に薔薇乙女を作れる存在はなく、それ以前に、同じ属性の彼女を間違えるわけがない。

 それに、薔薇乙女は必要な要素さえ揃えば復活することも不可能ではないのだ。

 自身にも定かではない記憶。もしかしたら覚えていないだけで、白薔薇に奪われた身体を取り戻したのかもしれない。

 雛苺を復活させられる状況になれば、間違いなくそれを実行しただろうから。

「・・・こたえて、雛苺。貴女の言う『お姉ちゃん』とは、誰のことなの? なぜ貴女はその命令にしたがったの?」

 雛苺が己の意思で自分の破壊を承諾したなどと、真紅には信じたくなかった。

 ジュンたちと過ごしたあの日々の中で、彼女の浮かべていた微笑みは絶対に嘘などではなかったはずだ。

「・・・いの」

「え?」

 と、真紅は聞き返した。

 不意に雛苺の口から漏れた言葉は、フェンスを通り抜けて吹く風に流され、よく聞き取れない。
281 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/06/20(日) 22:23:40.09 ID:ULOfapso

「・・・てなんか、ないの」

「雛苺? 震えているの?」

 雛苺の手が、小さく震えていた。それを見て取った真紅の声に心配の色が付加される。

 思わず一歩踏み出した。

 その瞬間、

「泣いてなんか、ないんだからぁ!」

 雛苺が顔をあげ、叫んだ。同時に彼女の身体から桃色の光がほとばしる。

「!」

 光の爆発。

 反射的にステッキを構え、背後に跳ぶ真紅。

 その視界の端に、同色の光の、別の爆発が映った。

 ホーリエが弾きとばされ、ベリーベルが浮き上がるのが見える。

「真紅!」

 目を見開いた上条が一歩を踏み出しかけ――腕の中の小萌を見て動きをとめた。彼女を危険に曝すわけにはいかない。

 そして上条が動けず、インデックスが目をかばい、真紅が着地するまでの一刹那の間に。

「っ」

 雛苺が一息に立ち上がり、駆け出した。
282 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/06/20(日) 22:24:34.00 ID:ULOfapso

 真紅の脇を抜け、フェンスに――ついさきほど真紅がたたき付けられた辺りに――一直線に向かう。

「ま、まちなさ・・・きゃあっ!?」

 それを目で追うとする真紅の足首に、なにかが絡み付いた。

 地面から直接生えた苺ワダチ。

 ガクン、と引っ張られて真紅は地面にたたき付けられた。

 手から再びステッキがこぼれ、転がる。

「っ」

 真紅はすぐさま頭をあげようとするが、

「伏せてろ真紅!」

「!」

 上条の声に、慌てて身を伏せる。

 その直後、彼女のすぐ上をベリーベルがかすめていった。

 真紅を狙ったというよりも、雛苺への最短ルートを選択したというところだったが、それでも直撃を受ければただでは済まなかったにちがいない。
283 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/06/20(日) 22:27:11.07 ID:ULOfapso

 真紅の脇を抜け、フェンスに――ついさきほど真紅がたたき付けられた辺りに――一直線に向かう。

「ま、まちなさ・・・きゃあっ!?」

 それを目で追うとする真紅の足首に、なにかが絡み付いた。

 地面から直接生えた苺ワダチ。

 ガクン、と引っ張られて真紅は地面にたたき付けられた。

 手から再びステッキがこぼれ、転がる。

「っ」

 真紅はすぐさま頭をあげようとするが、

「伏せてろ真紅!」

「!」

 上条の声に、慌てて身を伏せる。

 その直後、彼女のすぐ上をベリーベルがかすめていった。

 真紅を狙ったというよりも、雛苺への最短ルートを選択したというところだったが、それでも直撃を受ければただでは済まなかったにちがいない。
284 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/06/20(日) 22:28:23.68 ID:ULOfapso

 一方、そんな真紅には目もくれず、フェンスまで到達した雛苺は走る勢いをそのままに大きく跳躍した。

 成人男性の倍ほどの高さのフェンスは、ただそれだけでは飛び越えられない。

 しかし雛苺は跳躍最高点でちょうどよく足元に滑り込んできたベリーベルを踏み台にしてさらにもうひとつ跳びあがり、さらに召喚した苺ワダチをフェンスに絡み付け、なんなくその障害をクリアした。

「くっ、待ちなさい雛苺!」

 真紅が身を起こし、

 

 ―――!



 ベリーベルが光槍を放った。

「っ!」

 地面を転がり、なんとかそれを回避する。

 その間に、雛苺の身体が重力に引かれ、下方向にフェードアウトしていく。ベリーベルが桃色の軌跡を描きながらそのあとを追った。
285 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/06/20(日) 22:29:54.31 ID:ULOfapso

 デパート最上階から落下すれば、いかに薔薇乙女といえども一たまりもない。

 だがここはNのフィールドと同等の性質を持つ結界内だ。そして磨き上げられたデパートのガラスは、鏡の代用を果たすだろう。

 逃げられてしまう。

 実際問題、指輪も契約者も失った雛苺には、そう選択肢は残されていない。僅かに残った魔力も、いまの光の爆発で使い果たしたはずである。

 あとはゼンマイが切れ、地面に転がるのが関の山だ。

「ホーリエ! 追いなさい!」



 ―――!



 弾き飛ばされ、明滅をしていたホーリエが、それでも真紅の指示に従った。

 紅い光球がふらつきながらも浮き上がり、雛苺たちを追って屋上から飛び出していく。

 しかしそこまでだった。

 視界からホーリエの姿が消えた直後、雛苺の気配が、真紅の感覚の中から消えうせる。先の予想どおり、窓ガラスを鏡代わりにして本物のNのフィールドに入ったのだろう。

 幸い、ホーリエはその後を追えたようだが・・・。
286 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/06/20(日) 22:30:32.54 ID:ULOfapso

「・・・・・・」

 ゆっくりと身を起こした真紅が、雛苺の飛び降りた虚空を見た。

 紅いドレスは砂に塗れ、『苺』を受けた部分は破れてしまっている。

 真紅は視線を動かさないままで、その場所を右手で撫でた。

 時のゼンマイを巻き戻し、ドレスを補修する。

 手を離したときには、もうドレスにはなんの綻びもない。

 まるでそこに受けた一撃が、夢幻であったかのように。
287 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/06/20(日) 22:32:07.36 ID:ULOfapso

 そこに背後から上条の声。

 振り向けば、小萌をお姫様抱っこにした上条と、右手に安全ピンを持ち、左手で『歩く教会』の裾を押さえたインデックスが立っていた。

「ええ、大丈夫なのだわ」

 頷き、足元に目を移す。

 ステッキがほのかな紅い光を放ち、粒子となって崩れていく。

 雛苺という核を失った結界が、消えかかっているのだ。

「大丈夫・・・なのだわ」

 屋上にざわめきが戻ってくる。

 いつのまにかそこに立っていた、見慣れないインデックスや真紅に、周囲から奇異な視線が集まりはじめた。

 なにひとつわからない。

 なにひとつはっきりしない。
288 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/06/20(日) 22:35:13.45 ID:ULOfapso


「真紅、少し教えてもらって、いいか?」と、周囲の視線を無視して上条が言った。

 ここは能力者の街で、科学最先端の都市だ。あまり派手に動くところを見せればまずいだろうが、多少会話する程度なら、遠隔操作系の能力か、それこそ研究中の人形と思われるだろう。


 彼の声には、自分への疑念はない。ただ気遣いだけがあり、おそらく、上条は自分の力になりたくて、問おうとしているのだろう。

「・・・ええ」

 真紅は頷いた。

 説明は必要だった。

 いまの自分を、はっきりとさせるためにも。
 
 
298 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/07/04(日) 23:22:15.31 ID:SO/OYW.o





 白井の言う"感じのいい店"は、美琴から見ても、高評価を下せる場所であった。

 外見はどこか古ぼけた洋風の小さな店だったが、内装の方はというと派手すぎず地味すぎず、ちょうど英国のバーのような控えめな洒落っ気を持っている。

 にも関わらず暗い感じがしないのは、調度品がほどよく明るい色で揃えられ、ランプ(のような電灯)が温かみのある光を落としていたからだろう。

 昼時にも関わらず、それほど広くない店内には彼女たちしか客の姿はない。店主兼コック兼ウェイターである初老の男性も、気を利かせてなのか、それとも元々そういうタイプであるのか、注文を全て出してからはカウンターの奥に引っ込んでいた。

「それで、お姉さま」

 紅茶で満たされたティーカップを口元から下ろしながら、白井は正面に座る美琴を見た。

 二人がけの丸い木製テーブルには、もう食べ終わった皿は残っておらず、あるのは自家製らしいクッキーが一山と、それぞれの紅茶だけである。

「ん? なに?」と、美琴。浮かんでいるのは明るい微笑みだ。

 茶葉も上質、煎れ方も上手い。近場であれば常連になったかもしれない味に、美琴の機嫌もよいようだった。

「いえ、この後はいかがしますの? もしもどこかのショップに寄ると言うのでしたら、わたくしがお送りいたしますが」

 敬愛する(白井の場合はそれ以上の)相手が上機嫌であれば、自然とこちらの感情も上向こうというもの。我知らず笑みを零しながら、白井はそう提案した。

 ここに来る道中、ゲコ太グッズがなんとか言っていたような気がする手提げバックは、いまも美琴の足元に置かれている。

 趣味に対する感想はともかく、白井としては美琴の手助けになれることは問題はない。というか、むしろ歓迎すべきことでもある。
299 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/07/04(日) 23:22:49.43 ID:SO/OYW.o

「そうねぇ。それもいいんだけど」

「あ、こちらのことでしたらお気になさらないでくださいまし。集合時間までは十分にゆとりがありますので」

 時刻はまだ夕刻にもなっていない。集合時間はまだまだ先だ。

「あー、でもごめん黒子。ちょっと遠慮しとく」

 しかし美琴は少し申し訳なさそうに首を横に振った。

「……何かご用時がありますの?」

 軽く眉根を詰める白井。

 まさかあの類人猿と……などという考えが頭をよぎるが、それにしては口調にも表情にも『それ』らしさがない。大体の場合、どこか口ごもるか、(口惜しいが)可愛らしくモジモジとしているというのに。

「ううん、というか、私の都合がね」

 美琴の方も白井の思考を察したのだろう。口元に微苦笑を浮かべた。

「この後、依頼があった研究施設の方に顔を出さないといけないのよ。まぁ大した用事じゃないらしいんだけど、出来れば立ち会ってほしいって」

「そ、そうなんですの」

 美琴に限らず、高レベル能力者というのは、とかく研究協力の依頼が多い。かく言う白井も、学園都市では珍しい部類に入る空間移動系能力者であるため、実験協力は結構な頻度である。

 もっとも、風紀委員の仕事があるため、その大部分は断っているのであるが。

 白井でもその有様なので、美琴となるとその頻度はさらに多い。レベル5は能力的に軍と対等に遣り合えるという物理的な攻撃力かそれに類似する『威力』も条件だが、それと同等に、能力特性が稀有ということも条件のひとつだ。

 比較的有り触れた能力である電撃使いであっても『超電磁砲』の出力や応用力は他の類似能力と比肩するものではないのである。
300 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/07/04(日) 23:23:18.63 ID:SO/OYW.o

「うん。そこに行く途中でショップを探そうと思ってるからね。今日のところは歩いて行くわ」

「そう、ですの」と、白井。

 やんわりとは言え、申し出を断られたのは、それなりに寂しい。別に美琴に悪意も含むところもないのであろうが、それとこれとは別な乙女心なのである。それが純か不純かは置いておいて。

 そんな白井の様子に、美琴の笑みは微苦笑から本当の苦笑に移行する。

「でさ、黒子」

「は、はい?」

「……もしかしたら今日、実験で遅くなるかもしれないから、もし仕事が終わってたら、電話するから迎えに来てもらっていい? あ、もちろん、深夜になりそうなら、ホテルとるし」

 そんときは寮監をごまかすのをお願いするわ、とも言葉を追加。

「はぁ、それは構いませんが……でもなぜそのようなことに? 実験協力とはいえ、深夜に行われるんですの?」

 基本的に能力者は学生である。風紀委員でも夜間出動は特例扱いであるのに、実験協力まで夜間というのは珍しい。それにそういう事情があるなら、きちんと申請すれば寮監も否とは言わないはずであった。
301 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/07/04(日) 23:24:24.44 ID:SO/OYW.o

「……」

 白井の瞳が、心配そうな色を帯びる。

 だが美琴は、違う違う、と首を振った。

「空気中の伝導率の違いを計測するから、夜にかけて行いたいんだってさ。申請の方は、たんに手続きのミスよ」

「ミス、ですの?」

「そ。今日から連休じゃない。いつもの週末の癖で、外泊申請の締め切り早いの、忘れてたのよね」

「……まぁ、そういうことでしたら」

 まだどこか不承不承という感じだが、白井が頷いた。

「ごめんね黒子」

「い、いえそんな、頭なんか下げないでくださいまし! わたくし、困ってしまいますの!」

 わたわたと手を振る白井。

 敬愛する相手に頭を下げられては、そう言うしかない。

「……」

 だから、気がつかなかった。

 白井にも見えたであろう、頭を上げる直前の美琴の表情が、迎えをお願いするだけにしては、やけに強い罪悪感に彩られていたことに。
302 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/07/04(日) 23:25:22.52 ID:SO/OYW.o


 数時間後――――。

 白井と別れた美琴は、駅前のロータリーにいた。

 休日の駅前は、日が傾きかけても人の量は減りそうにない。

 ロータリーに設置されたベンチに腰掛けた美琴は、行き交う私服姿の学生たちを見るとはなしに眺めながら、

「……ごめんね、黒子」

 と、呟いた。

 気まずそうな表情のままで、足元の手提げバックを膝の上に移動させた。 はぁ、とため息をひとつ。それから、手提げバックのファスナーをあけた。

 そこから出てきたのは、ゲコ太関係のパンフレット――――などでは、なかった。

 出てきたのはノートパソコンである。

 A4サイズの、薄型のPC。長い駆動時間と高機能を兼ね備えた、学園都市市販品でも最新モデルだ。

 しかしそれは、既製品とはやや形状が異なっていた。

 美琴が自分のために手を加え、大出力の自分の能力でもトバないように設えた『超電磁砲』用の端末である。

「……」

 それを立ち上げ、キーボードの上に手を置く美琴。そのまま、目を閉じた。

 彼女の表情からは先ほどまでの罪悪感は消え、代わりに年齢らしからぬ、並々ならない決意が浮かび上がっている。

 美琴の両手から放射された電磁波がパソコンを直接操作し、この近辺のネットワークを補正する。その過程で、自らが発信元と特定されないように細工を施した。

 真っ黒のディスプレイに、高速で文字列が流れ始める。それはもはや人の目で追うことは叶わない速度であったが、もしもここに『守護神』と呼ばれるハッカーがいれば、何をしているのかは看破しただろう。
303 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/07/04(日) 23:26:39.16 ID:SO/OYW.o

「……」

(ごめんね、黒子)

 心中でもう一度謝罪し、美琴はパソコンに処理を流し続ける。

 何十にもかけられたプロテクトを片っ端から解除し、数分のうちに美琴は目的の位置にたどり着いた。

 通常ならばこの段階でシステム管理者に見つかって、なんらかの対応がとられるに違いない。しかし、今日はそれがなかった。

 目論見どおりだ。

 そしてノートパソコンに、美琴の望む情報が降りてくる。

「……」

 美琴がアクセスしているのは『書庫』ではない。

 『書庫』へのハッキングは、以前に一度痛い目を見ている。実際に痛い目だったのは、サーバを丸ごと潰した相手側だったのかもしれないが、まぁ、目的の情報を得られなかったという意味では、痛い目である。

 だから今日、該当地区の風紀委員が総出するであろうこのタイミングなら、プロテクトは手薄になると踏んだのだ。それが『書庫』以外の場所であれば、なおさらだろう。

 クラック先は『書庫』以外で、おそらく望む情報が存在するであろう場所――――常盤台中学校の全情報を管理する、専用サーバだ。

「……見つけた」

 美琴は閉じていた目を開き、ディスプレイに表示された文字列を睨むように見た。
304 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/07/04(日) 23:27:18.74 ID:SO/OYW.o

『電撃使い襲撃事件』



「……」

 今朝、いきなり学長に呼び出され、注意というか警告を受けたときのことが鮮明に思い起こされる。

 学長の言葉は『超電磁砲』に注意喚起を促すと言うよりもむしろ、この件に首を突っ込むな、という警告の意味合いが強い。

 名門常盤台としてみれば、貴重な超能力者を失うわけにはいかないのだ。

 美琴としても、その言い分は理解できる。私立の学園には、そういうステータスは重要なのだから。

(でも)

 美琴が目を細めた。 

 だからと言って、見逃すわけにはいかない。

 電撃使いだけが狙われるというのであれば、それは間違いなく、自分に対する何かしらのアプローチだ。
305 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/07/04(日) 23:28:36.63 ID:SO/OYW.o

「……」

 白井のことを思う。

 彼女がこの件をまったく自分に伝えなかったのは、こういう状況を作り出さないための措置だろう。昼の店で浮かべたあの表情も、こんな結果を予期してのものに違いない。

 過去に一度、いや、二度、『妹達』がらみで美琴は白井に黙って暗躍(言い方はともかく、実際そうだ)している。

 今日、彼女が昼食に自分を誘ったことも、おそらくは――

「……黒子。アンタが逆の立場だったら、きっと同じことをするわよね」

 画面が自動的に情報を表示し、美琴の望むもの――傾向と分析から導き出された『被害予想者』と、風紀委員による秘匿の警護対象者、そして襲撃予想地点を記した地図が表示された。

「……」

 いままでの襲撃時刻は、概ね日が沈んだ後だ。今は夕刻にもまだ間もない。

 だが美琴は立ち上がった。

 年齢らしからぬ、しかし、極めて彼女らしいとも言える、凛々しさを秘めた表情で。
306 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/07/04(日) 23:29:46.25 ID:SO/OYW.o





 ガサリ、と脚に当たったビニール袋が、路地裏に軽い音を響かせた。

「あぅ…」

 通常であれば、ビニール袋に脚をかけたところで転ぶ者はいない。

 しかしいま、そこに放置されていた酒やらつまみやらが入った袋は、それなりの障害物になっている。

 だからその彼女は、ふらりと体勢を崩すと、バタリと地面に倒れこんだ。

 もはや手をつく力もない。

 白い肌と長いブロンド、そして高価そうなドレスが、ダイレクトに汚れたアスファルトにたたきつけられた。

 一瞬だけ持ち上がった彼女のスカートが、すぐに重力に囚われ、ふわりと横たわる少女の脚を隠す。半眼だけ開いた瞳に、同様にずれ動いた前髪がかかった。

「……?」

 少女――――雛苺は、自分がなぜ倒れたのかも理解できていないような表情を浮かべた。

 季節的に周囲はそろそろ薄暮から夜に落ちてくる。それでもなお彼女を照らしているのは、周囲をふわふわと飛ぶ、桃色の光球のせいだ。

 もっともその光も、電池が切れる寸前のライトのように、弱弱しいものでしかない。時折、ふっ、と光は暗くなっては高度が落ちようとするが、そのたびになんとか持ち直している始末だ。

 もう力尽きる寸前というのは、誰の目にも明らかだった。
307 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/07/04(日) 23:30:39.70 ID:SO/OYW.o

「ぅ…うぅ…?」

 路地裏。その、わずかに入り組んだ先。

 たまたま設置されていたカーブミラーから湧き出るように現れた雛苺だったが、それが彼女の限界だった。小萌から奪った力は逃走時に使い切り、残されたゼンマイはあと僅か。

 もはや立ち上がることも、這いずり回ることも叶わない。それどころか、思考能力すら消えかけている。

 それでも彼女は死ぬことはない。彼女は人ではなく、人形なのだ。

 訪れるのは眠りか、あるいは破壊だけである。

「……」

 徐々に、雛苺の瞼が閉じられていく。それに応ずるようにして、ベリーベルが高度と光量を落とし、彼女の背中に降り立って――否、落下していった。

「……」

 そしていまこそ、雛苺が両の目を閉じようとした、そのときだ。
308 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/07/04(日) 23:31:32.71 ID:SO/OYW.o


 ザッ、と擦過音が響いた。



 音は、パンプスか何かの裏が、アスファルトの砂を踏みしめた音。

 方向は雛苺の頭部側、『鞄』のある方向からだ。そして『鞄』は路地の最奥に鎮座している。

「…?」

 誰かが、いる。

 その事実を、雛苺はどういうことなのか認識できない。もうそれだけの思考力は残されていない。

 それでも薔薇乙女の持つ、極限まで人間に近い本能が、彼女の顔を持ち上げさせた。主の意思を反映させたのか、ベリーベルがほんの僅かだけ光を取り戻し、路地奥を照らし出す。

「……」

 茶色のパンプス、白い靴下。細い脚と、チェック模様のスカート。

 ベージュのブレザーに、胸元には赤いリボン。

 誰かが、立っている。

 そしてその誰かを、雛苺は知っていた。

「…お…ねぇ…ちゃ…」

 と、途切れ途切れの声で雛苺が言った。
309 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/07/04(日) 23:32:19.82 ID:SO/OYW.o

「……」

 人影は、その声に、一度だけ首を振った。あたかも、やれやれ、と言うような風情の仕草に、茶色のショートヘアーが花を模したヘアピンとともに、パサリと揺れる。

 それから人影は、一歩、脚を踏み出した。

 人影の左手に下げた学生鞄。それにくくりつけられた蛙のストラップが、ベリーベルの光に照らされ、妙な色を持って薄暗闇の中に浮かび上がっていた。

「……」

 人影は雛苺を助けようとしない。しゃがみこむこともなく、見下ろす姿勢のまま、微かに動く桃の少女を見下ろしていた。

 やがて。

「……」

 人影の空いた右手がゆっくりと持ち上がった。人差し指だけを伸ばした右手の先端は、迷いなく雛苺に向けられる。

 パチパチと空気が弾ける音。人影のショートヘアが余波を受けて持ち上がり、前髪から小さな電撃が漏れ零れた。

 全身から生み出された紫電は流れて右手に集中し、パチパチと音をたてて溜まっていく。そんな右手の親指に乗っているのは、どこかのゲームセンターで手に入れたコインか何かだろうか。
310 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/07/04(日) 23:34:17.57 ID:SO/OYW.o

「……?」



 ―――!



 もはやそれがなんなのか、雛苺にはわからない。

 主よりも危険を察知しているベリーベルは、しかしもはや浮き上がる力もなかった。

「……」

 人影の口元が、ニヤリ、と笑みを形作る。

 指先で紫電が、ジジ、とやけに静かな音をたてた。

 数秒。

 ドン! と音が響き、路地中が、一瞬だけ青白く染まった。
311 :VIPにかわりましてGEPPERがお送りします[sage saga]:2010/07/04(日) 23:35:16.31 ID:SO/OYW.o





 その路地の、直上十数メートル。

 そこに音もなく滞空しているモノがある。



 ―――……



 赤い光を極限まで抑えた光球。

 微動だにすることなく、それは浮いていた。

 ……まるでその光景を、確認しているかのように。

320 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/07/26(月) 01:53:21.90 ID:46.faFwo



 時刻がそろそろ午後10時を告げようとするころになると、道を歩く人影の量はかなり少なくなっている。

 学園都市において、夜は時計ではなく、規則に支配されているのだ。

 太陽が傾いて水平線に沈んだ後が夜のはじまりというよりは、門限を過ぎてからが学生にとっての『夜』である。学校によっては門限以降の外出を一切禁じているところが存在している以上、そうなるのも自然なことなのかもしれない。

 それに馴染まない者はすべからく、スキルアウトと呼ばれていた。

 とはいえ学校ごとに門限には差があり、それなりに遅くなっても問題のない者も、少なくはなかった。

「ふー」

 ジーンズのポケットに手を突っ込み、上条は大きく息を吐き出した。

 彼もそんな『少なくない』学生の一人である。

 彼の在籍する学校の校風は、彼の担任が目指すように、生徒の自主性を重んずるというものだ。流石にもう後一時間もすればまずいが、今はまだ大丈夫な時間帯であった。

 そんな彼がいまいるのは、学生寮からほど近い公園だ。

 親子連れというものが極端に少ない学園都市においてどれほどの意味合いがあるのかよくわからないが、砂場にアスレチック等、とりあえず一とおりの施設は揃っており、木立もきっちりと刈り整えられている。結構な頻度で手入れをされているのだろう。

 そんな無駄遣いといわれても納得できそうな公園であるが、いまは上条しか人影はなかった。

「……」

 上条はひとしきり周囲を見回した後、何気ない仕草で空を見上げた。

 夕方くらいまで快晴だった空は、今は夜と薄い雲にその青さを奪い去られている。

「……明日は曇りだって言ってたっけなぁ」

 部屋を出る直前にインデックスがつけたテレビ――――アニメを見るためのものだが――――を思い出しながら、上条は呟いた。
321 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/07/26(月) 01:55:45.01 ID:46.faFwo

 デパートでの戦いの後。

 上条たちは救急車を呼び、小萌を病院に搬送した。

 いつも世話になる蛙によく似た容貌の医者によれば、小萌の昏睡の原因は極度の疲労であるとのことだった。

 幸いにも命に別状があるほどではなかったが、数日の入院を要するという診察である。病状に至るまでの説明は不要。こちらが言いにくそうな仕草を見せた途端「まぁいいけどね」と深くは聞いてこなかったのである。

 だがいま上条の顔を曇らせているのは、小萌を巻き込み、あまつさえ入院までさせてしまったことだけではなかった。



「雛苺は、あんなことをする娘じゃないのだわ」



 真紅が言った言葉が思い起こされる。

 どういう配慮なのか、何も言わずとも個室で手配された小萌の病室で、真紅はその美麗な顔に迷いと哀しみを浮かべて、そう言ったのだ。

 詳しいことは彼女は語らなかった。

 『前回』、真紅は雛苺と戦い、勝利したこと。

 『前回』、真紅は共に在れる未来のために、雛苺のローザミスティカを奪わなかったこと。

 『前回』、それでも別の姉妹に狙われた雛苺は、真紅の願いのために、己のローザミスティカを託したこと。

 そして何より『前回』、短い期間だが共に暮らした日々は、創られてから戦いあうことしかなかった真紅にとって、本当に楽しく、目指した理想の一部であったということ。

 一方、雛苺の復活と壊れてしまったかのような変化については、真紅にもわからないとのことだった。
 
 ただ、雛苺から託されたローザミスティカが己の中に無いことから、彼女が復活したことに疑いはなく、そしておそらく、彼女の言っていた『お姉ちゃん』なる人物が復活に関与しているのだろう、とも。

 その辺りのことは、雛苺を追いかけたホーリエが帰還すれば、ある程度情報が手に入るのかもしれなかったが、残念ながらいまだ紅色の人工精霊は戻ってきていなかった。
322 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/07/26(月) 01:58:43.73 ID:46.faFwo

「・・・・・・」

 『前回』の日々を語る彼女は懐かしくも楽しい思い出を語るようで、それがゆえに、現状を省みるにはむしろ哀しげな表情であったと、そんな感想を上条は抱いたものだ。

 その真紅はいま、上条の部屋にいる。

 水銀燈との戦闘でボロボロになっていた上条の部屋をなんだかよくわからない魔術で修復した影響なのか、それともそれ以上の説明をしたくなかったのか。

 午後9時になった途端、

「眠りの時間なのだわ」

 と、それまでのシリアスで哀しそうな雰囲気を吹っ飛ばして鞄に入ってしまったのである。

 結局、真紅からの説明でわかったことは、真紅自身にもいまの状況が不可解なものだ、ということだけであった。

(…どういうことなんだろうな、まったく)

 そんな風に思う。

 インデックスすらほとんど知らない薔薇乙女のことだ。その当人である真紅に理解できないことが上条にわかるはずもなかった。

「ま、どっちにしても、できることは決まってるんだけどな」

 自分のスタンスは決まっている。

 信じ、護ること。たとえ出会って一日も経過していなくとも、上条にとって真紅はもう護るべき対象の一人だった。それは同時に、彼女が護ろうとするものも、上条が護るべきものであるということ。

 たとえ裏切られても、呆れられても、きっと今までそれでやってきて、きっと、これからもそうしていくに違いないのだから。

 苦笑を浮かべ、上条は右手を握りこんだ。

 そこに――――

「上条くん。」

 背後から、声。

「姫神?」

 聞き慣れた声ということ以上に、元々ここに呼び出した相手の声に、上条は振り返った。

 肩越しの視線の先には案の定。

 姫神秋沙という名の、長い黒髪の少女が立っていた。
323 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/07/26(月) 01:59:51.24 ID:46.faFwo



 ドアを抜け、人が5人は通れそうな暗い通路を歩いてたどり着いた室内は、薄闇に包まれていた。

 埃と淀んだ空気に満ちた部屋に入った足音は、ふたつ。

 片方は薄闇の中でなお美しいオッドアイを持つ、蒼星石。

 もう片方は陰鬱な雰囲気とは相反するような、明るい白と青のセーラー服だ。

 学生用というよりも船員に近いその服をまとった少女は、ほとんど調度品のない部屋を横切り、窓際に置かれた椅子に腰掛けた。

「……間に合わない、わね」

 言いながら脚を組むセーラー服。ショートカットの前髪から覗く切れ長の目は、冷静なように見えて、悔しげな光を湛えている。

「何がですか?」

 セーラー服とか対照的に、ドアを入ったところで脚をとめた蒼星石が問うた。

「人形造りよ。どうやっても、やっぱり明日まではかかる。悔しいけれど今夜は予定通りに行くわ」

「……どういう意味ですか?」と、蒼星石。

 こたえは返ってきたが、内容のすべてが把握しきれない。

 人形造り、というところから考えて、あの『結界』で使うための人形を作っているようだが。

「……」

 二度目の質問に、セーラー服はこたえない。返答代わりに舌打ちをして脚を組み替えた。

 質問が煩わしいというよりも、返答内容自体が気に食わない、という感じである。
324 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/07/26(月) 02:01:22.20 ID:46.faFwo

「……」

 これ以上は問うまい。

 そう判断し、口を閉じる蒼星石。

 しかし、

「……ねぇ、蒼星石」

「は、はい、なんですか?」

 そう思ったら向こうから話しかけて来た。思わず吃音がでてしまう。

 セーラー服は蒼星石らしからぬ返事に軽く眉をあげるが、特に気にしなかったらしい。そのまま、言葉を続けた。

「……貴女がいままで奪った記憶は、解放しない限りは持ち主に戻らないのよね?」

「ええ」

「そう」

 それだけ確認して満足したのか、薄い微笑を浮かべるセーラー服。

「……」

 蒼星石はセーラー服の命令で、この能力を使ってきた。

 奪ったのは主に能力使用にまつわる記憶と、その使用にかかる意思だ。それらを奪われた者は能力の大半を使えなくなってしまう。

 体が覚えていることでもあるので、発動までは可能だが、積極的に用いるべき知識と意思がなければ、全力を出せないのは道理である。

「……」

 一方、こちらは何を考えているのか。
 
 セーラー服は沈黙したまま蒼星石を横目で見て、それから天井に視線を移した。

 シミやひび割れが多く残る天井は、あたかも蒼星石が切り取ったあとの記憶を想像させる。

 一度かけた部分はもう直らない。たとえ上から修復しても、それは元通りであるとは言えないだろう。
325 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/07/26(月) 02:03:05.98 ID:46.faFwo

(……じゃあ彼女から能力だけでなく、御坂美琴の記憶も奪ってしまえばいいわね)

 セーラー服の口元が、笑みの形に歪んだ。

 脳裏に昼間に目にした御坂美琴と白井黒子の姿が思い起こされる。

「……」

 彼女らの間に横たわる親しげな空気と、笑顔。

 口ではあれこれ言っていたが、お互いがお互いを大事に思っているであろうことは、一目瞭然だった。

 特に白井黒子から御坂美琴に向けられる想いは、ただの尊敬を超えている。

 御坂美琴が白井黒子に向ける笑顔も、同年代の他の友人たちとは一線を画すほどの親密さがあった。

「……」

 セーラー服の胸に、どす黒い感情が湧き上がる。

 悪魔のように黒く、地獄のように熱く、しかし接吻とは程遠いその感情は、嫉妬と言う名前がついていた。



 ……いつからだろう。



 いつのころからか、もうわからない。

 気がつけば虜になっていた。気がつけば、御坂美琴のことばかりを考えるようになっていた。

 まったく関係がなく、本当に接点などない。

 雑誌で見たのか、それとも街中で見かけたのか、それすらもわからない内に、いつの間にかセーラー服の中で御坂美琴は、彼女の中心ともいえる存在として認識されていたのである。

 レベル5。

 学園都市第3位。

 『超電磁砲』

 名門常盤台中学のトップにして、派閥に与さず、しかし孤高とは程遠い存在。

 そんな彼女の異名や噂を聞くだけで、心が疼いたものだ。他人から彼女への賞賛や妬みを聞くたびに、そんな口で彼女を語るな、と強く思ったものだ。
326 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/07/26(月) 02:04:27.21 ID:46.faFwo

「……」

 きゅっ、とセーラー服は唇を噛む。

 出来れば彼女の隣に並び立ちたかった。出来れば彼女と笑みを交わせる存在になりたかった。それこそ、昼間に見た白井黒子のように。

 だが無能力者である自分では、彼女の傍に立つことなど恐れ多くてとてもできない。たとえ御坂美琴がそれを許しても、自分自身が耐え切れないだろう。

 自分が立てない以上、他の誰が立つのも嫌だ。

 学園都市の序列はともかく、電撃使いというくくりにおいて、彼女と双璧をなす存在など、認めたくはない。

 誰も立たせたくない。

 ならば電撃使いを消せばいい。

 そうすれば御坂美琴は『超電磁砲』ではなく『電撃使い』として最大級の賛辞を受けることになる。自分だけでなく誰もが彼女を見上げる存在になるだろう。

「……」

 セーラー服は想像する。強能力者以上が力を失い、彼女だけが『電撃使い』の賛辞を受けることになった姿を。

 無能力者や低能力者、異能力者等から絶対の尊敬を受ける彼女を夢想したセーラー服の口元に、歪んだ笑みが浮かんだ。

「……」

 セーラー服は己の右手を見た。

 無能力の自分では、とても高レベル能力者を倒すことなど叶わない。

 魔術を知ったのは、本当に幸運だったと思う。御伽噺やおまじないのレベルではない、奇跡を起こせる魔術を。

 魔術と薔薇乙女。この二つがあれば、十分に高レベルでも戦うことが可能だった。事実、彼女たちはすでに10人を超える強能力、大能力者を叩き潰しているのだ。

 能力者しかいないこの都市において、自分たちを補足するのは、不可能に近いだろう。己が望みが成就するまでには時間がかかるが――――決して、無理ではないのだ。

 そんな暗い欲望を夢想するセーラー服の耳に、

「……でも」
 
 と、蒼星石の声が入ってきた。
327 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/07/26(月) 02:06:09.13 ID:46.faFwo

「?」

 セーラー服が再び蒼の方を見る。

 蒼星石はやや迷うように視線を泳がせてから、

「翠星石が介入したら、記憶が戻るかもしれません」

 と、言った。どうも先ほどの問いかけの続きらしい。

「……」

 セーラー服の両目が不快そうに細められ、その唇からは、ふっ、とため息が吐き出された。

「翠星石、ね。あの娘、いったいどこに行ってしまったのかしら。貴女の方にあれからコンタクトは……まぁ、貴女なら、接触があったら私に言うわよね」

「……」

 蒼星石は沈黙を返すが、それは肯定の意味である。

「能力を使った形跡はない?」

「……はい。もし彼女が夢の扉を開いたりすれば、僕にも察知できますから」

「そう。でもまぁ、もうそろそろ最初に巻いたネジも尽きるころでしょうし、能力なんて使ったらそこで終了。……障害らしい障害にはならないわね」

 契約者でも見つければわからないけど、とも呟く。しかし彼女の口調と表情は、そんなことはありえない、と語っていた。

 ここは能力者の街だ。迂闊に魔術と接触をすれば、能力者の身体がただではすまない。それに科学に対する信仰に塗れたこの都市で、翠星石の話をまともに取り合う者もいないだろう。

 結局、自分たちと袂を分かった時点で、翠星石は手詰まりなのである。

「……蒼星石」

「はい、マスター」

 こたえる蒼星石の声は淀みない。それが何かを押し殺しているものかどうかは、セーラー服にはわからない。

 だがセーラー服は、そんなことには興味がなかった。
328 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/07/26(月) 02:07:43.16 ID:46.faFwo


「今夜は予定通りに動くわ。準備をお願い」

 蒼星石も強いとはいえ、単身で相手にできるのは強能力者の上位までが限界だ。

 人形と結界。それに加えて『偶像の理論』。大能力者と戦うには、どうしても『偶像の理論』を用いた共振効果――――相似の固体、状況は一定条件化では相互に影響を及ぼす現象――――を使う必要がある。

 調べたところによると、白井黒子は大能力者だ。それも、空間移動と言う、学園都市でもかなり希少な能力の持ち主である。

 物理的な攻撃では対処が難しい。相手にするにはどうしても共振効果のための人形が必要で、しかしそれは厳密に用意しなければ意味がない。

 全力で作業をしているが、流石にこの短時間での準備は無理だった。

 一刻も早く御坂美琴から引き剥がしたい。しかし、焦ればすべてが水の泡だ。

「わかりました」

 頷き、蒼星石が部屋を出て行く。

 体重が軽く、廊下を歩いても足音のしないその背中を見送ってから、

「まったく、翠星石にも困ったものね」

 セーラー服は、やれやれ、と肩をすくめた。

 それから、窓の外に視線を向ける。

「ねぇ、貴女もそう思うわよね」

 ニヤリと笑い、

「水銀燈?」

 と、言った。
329 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/07/26(月) 02:09:31.97 ID:46.faFwo

「……」

 窓の外。

 外開きの窓には、小さいテラスのような出っ張りが設えられている。

 そこに、セーラー服に背を向ける形で腰掛ける、銀と黒の人形の姿があった。

「……ふん」

 ちらり、とセーラー服に視線だけ向ける水銀燈。窓は閉じたままだが、ガラスは薄く、距離は近い。会話するのに障りはなかった。

「気安く話しかけないでもらえるかしら? 生憎と、こっちは馴れ合うつもりはないの」

 鼻で笑うような、かつ、めんどくさそうなその声に、セーラー服は苦笑。

「その割には、私のお願いどおり気配を消してくれたのね」

「お馬鹿さぁん。そうじゃないと蒼星石に気がつかれるじゃない。いまこの場であの娘と戦ってもいいけど……取引を持ち掛けたのは貴女の方でしょう?」

「ええ、そうね」

 そう言って、脚を組み替えるセーラー服。

 そのまま、左手側に視線を向けた。

「……」

 出入り口から言えば右側の、ドアに遮られて光が届かない薄闇の中に、いくつかの人影がある。

 それは一体を除いてほとんどが床に転がっており、中には関節でも砕けたのか、手足があらぬ方向に向いているものもある。

「……」

 転がっているのは、全て人形である。それも、セーラー服自身を模している物だ。

 自分の代わりに魔術のダメージを受けるもの。能力者が魔術を行使すれば必ず受ける反動を、『偶像の理論』により肩代わりしてくれている人形たちの状態を確認して、セーラー服は、まだ大丈夫ね、と呟いた。

 それから彼女は、唯一立った姿勢を保っている人形に目を向ける。

 その一体だけは、セーラー服の姿を模したものではない。
330 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/07/26(月) 02:10:43.32 ID:46.faFwo

 茶色のパンプス、白い靴下。細い脚と、チェック模様のスカート。ベージュのブレザーに、胸元には赤いリボン。



 御坂美琴の生き写しのような、寸分違わぬ人形が、そこに立っていた。



「……貴女が私の指示どおり御坂美琴の相手をすれば、蒼星石のローザミスティカを渡す。……不満はないでしょう?」

 御坂美琴の人形に視線を注ぎながら、セーラー服が言う。

「ふ、ん。指示どおりってところが気に入らないけれど、まぁいいわぁ」

「ええ、お願いね。……絶対に命の危険に晒さない。絶対に顔は傷をつけない。約束よ?」

「……わかってるわぁ」と、水銀燈。

 窓を挟み、なおかつ背中を向けた水銀燈からはセーラー服の表情は見えない。

 しかしセーラー服の声に含まれた一種異様な雰囲気に、不快げに表情を歪めるのを止められなかった。

「……」

「……」

 水銀燈は気がつかない。

 背を向けている上、セーラー服の心酔するものなどに興味がなかったから。

 セーラー服は気がつかない。

 彼女の世界の中心にいる存在を模した人形へ、理想を投影することに夢中だったから。

 薄暗闇の中に立つ御坂美琴の人形。

 動くはずのないその人形の、左手。

 提げられた手提げ鞄に髪の毛が――――少し焼け焦げたブロンドの髪の毛が一筋、確かに絡んでいた。
331 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/07/26(月) 02:12:46.41 ID:46.faFwo

 姫神は小萌の家で別れたときとは違い、巫女装束ではなかった。

 薄手の白いブラウスにデニム地のスカートという、ごくありふれた恰好である。あえて特異点をあげるとすれば、首から下がった十字架――――『吸血殺し』を押さえ込む封印くらいだろう。

「ごめんなさい。少し。遅れた」

 と、姫神は軽く頭を下げた。

 バス停からこの公園まではやや距離がある。急いで着たのか、彼女の呼吸は少しだけ早かった。

「いや、大丈夫。俺もいま着いたところだし」

 言いながら苦笑を浮かべる上条。

 公園の時計の針は姫神が指定した時刻よりもまだ早い。時間に間に合わなかったではなく、相手を待たせたことに謝るところが律儀な彼女らしい。

「それよりも、こっちこそごめん姫神。俺が頼んだのに、先に帰っちまって」

 と、上条は申し訳なさそうに頭を掻いた。

 疲労回復と一応の検査で入院と相成った小萌であったが、そこで問題が生じた。

 入院とあればそれなりに用意が必要である。

 疲労であるのでそんなに長期に及ばないだろうが、少なくとも着替えがなければ困ってしまうだろう。

 かと言って上条が小萌の服を探してくるのは、いろいろと問題だった。

 状況が状況なので法的にはなんとか言い逃れができるかもしれないが、きっと大切なものを失ってしまうに違いない。

 そういう諸々の事情と、一旦帰らなくても良いと言う利便性、何より一時的に小萌と同居していたということから、姫神に連絡して様々なものを持ってきてもらったのである。

 上条にしてもインデックスにしても出来ることなら目が覚めるまで側についておきたいところだったが、いかんせん病院には面会時間というものがある。それに見た目はともかく小萌は女性だ。上条としても退去せざるえない。

 荷物を持ち込む姫神のことだけ蛙顔の医者に頼み、先に帰宅した次第であった。

「いいの。事情が事情だし。それに」

 ふと、姫神の顔が見て取れるほどに曇った。

「私は。ついていかなかったから」
332 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/07/26(月) 02:14:16.92 ID:46.faFwo


「・・・・・・」

 その表情と言葉に、上条は思わず言葉に詰まってしまった。

 姫神を危険な目に遭わせたくないという思いはどうあれ、そして彼女がそれを承諾していたとは言え、置いて行ったのは事実なのだ。

「あ。……ごめんなさい。私」

 彼女の方も、思わず漏れた言葉だったのだろう。

 沈黙と、上条の浮かべていた困り顔に気づき、慌てた様子で頭を下げた。

「いやその…俺の方こそごめん」

 気まずそうに頬を掻きながら、上条も軽く頭を下げた。何に対して謝っているのか自分でもよくわからなかったが。

「……」

「……」

 上条は言葉が続かず、姫神は俯いたまま。

 味の悪い沈黙がおりる。

 いまいる公園が大通りからやや外れた位置にあることと、時間的に人通りが少なくなるということも相俟って、その静けさはやけに強く耳に響いたような気がした。

(え、えーと……)

 少しだけ気の早い虫の音を耳にしながら、上条は所在なさ気に視線をうろうろとさせた。

 なんとなく、声を出すが憚られる。

 こういう雰囲気に慣れないというのもそうだが、話し相手が姫神だから、というのもひとつの原因だった。

 別に姫神が苦手とか話し辛いというわけではない。ただ単に上条の周りの女の子には、こういう時に黙り込むタイプが少ない、というだけの話である。

(……御坂ならたぶん、なんか言いなさいよ、とか言ってくるんだろうけど)

 そんなことを考えてみるが、詮無きことだ。目の前の相手は美琴ではなく姫神なのである。
333 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/07/26(月) 02:15:40.39 ID:46.faFwo

「……」

 結局どうすればいいのかよくわからず、上条は頬を掻き続けた。

 と、その拍子に、

「いてっ!」

 唐突に頬に痛みが走り、声を上げる上条。

「ど、どうしたのっ?」

 突然の声に驚いたのか、いつもとはややアクセントの異なる口調で、姫神が顔をあげ、問うた。

「あ、いやごめんなんでもないんだ。ちょっと傷を引っ掻いちまっただけで」

 『鳥籠』に蹴り飛ばされたところを、つい引っ掻いたようだ。

 ちらりと指を見るが、特に血がついているわけではない。薄くついた擦り傷に爪が引っ掛かっただけなのだろう。

「……怪我してるの?」

 心配と不安、そして哀しそうな声色と視線で姫神が問う。

「あー、その、うん。ちょっとだけど」

「……」

 上条の返事に、姫神の表情がさらに曇った。

 蹴られた場所がよかったのか、打ち身もなく、擦り傷としても目立たない。おまけに夜闇の中である。彼女が傷に気がつかなかった無理はない。

 だが姫神にしてみれば、彼の負傷に気が付けなかったことそのものがショックだった。

 戦えない自分。

 それならばせめて邪魔にならないように。そして怪我をしたのであれば、手当てくらいは出来るように。

 そう思っていたにも関わらず。

(……私に出来ることなんか。他のみんなに比べて。ずっと少ないのに)

 だが手当てどころか、負傷の有無にも気が付けなかったのである。
334 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/07/26(月) 02:17:21.25 ID:46.faFwo

「・・・・・・」

 唇を噛む姫神。

 結局自分は、どこまでも役に立てないのかもしれない。

 自分が落ち込めば彼が心配する。それがわかっていても、姫神は自分へのふがいなさに顔をあげることができなかった。

 慌てたのは上条である。まさかこんなに落ち込まれるとは思っていなかった。

「だ、大丈夫大丈夫、こんなのちょっとまともに蹴られただけだからさ。この程度、上条さんは慣れっこです」

「・・・・・・」

 わざとおどけて見せるが、姫神の表情は晴れない。

 上条にしてみれば戦闘で負傷するのは、特別なことではない。むしろこの程度で済んでいるのは、不本意ながら御の字の範疇である。

 いまは外しているが、捻挫した右手に左手と口だけで包帯を巻ける程度には負傷慣れしているのだ。

「……」

「……」

 またもや変な沈黙。

 虫の音が数度響き、いよいよ上条が、

(うあー、ど、どうすりゃいいんだほんとこれー!)

 などと思い始めたころ。

「……慣れちゃだめ」

 と、不意に姫神が言った。
335 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/07/26(月) 02:18:07.50 ID:46.faFwo

「え?」

「……」

 聞き返す上条に、無言のまま歩み寄る姫神。長い黒髪がその動きを追い、サラリと揺れる。

 彼女は上条の目の前に立つと、左手を持ち上げて彼の頬に触れた。

 すっ、と姫神の指の腹が、上条の頬を撫でる。

「ひ、姫神?」

 思わぬ接近に、上条の声が上擦った。

 姫神は彼の動揺を気にせず、続ける。

「上条くんは。いつだって無茶をしてる。……いつだって怪我をしてる」

 姫神の身長はインデックスとそう変わらない。年齢的にも同じくらいだろう。

 にも関わらず、白い少女よりもずっとはかない存在であるように思えるのは、彼女が身に纏った雰囲気ゆえか、それとも彼女の過去を断片的にでも知るゆえか。

「いや、そんな無茶は「してる」

 言葉尻を食いつぶし、姫神が言う。見上げてくる彼女の瞳は、こぼれ落ちそうなほど心配を湛えていた。

「……」

 上条には過去の記憶がない。

 この夏休みの途中からが、いまの彼の全てである。そういう意味では、姫神は上条にとって初めてゼロから知り合った存在と言える。

 その姫神の目に無茶をしていると映るのであれば、それは本当にいまの上条が無茶をしているということの証明でもあった。 

「・・・・・・」

 姫神は上条の頬から手を離す。その手はそのまま上条の腕を伝い――――右手に触れた。
336 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/07/26(月) 02:20:36.69 ID:46.faFwo

「……へ?」

 予想外のことに上条は間抜けな声を出すが、彼女の細い指は何気なく下ろしていただけの上条の右手をとり、離れない。

 手を繋いでいるわけではない。

 ただ指先だけが、絡んでいた。

「あ、あの、姫神さん?」

「……」

 姫神は上条に何も応えないまま、すっ、と視線を逸らした。髪が揺れ、空気が動き、上条の鼻先に、ふわり、と甘い香りが届く。

(こ、これはどういう状況なんでせうか)

 ついぞこういう状況に縁がない(と思い込んでいる)上条。

 夜の公園不意の接近繋がる指先憂いの美少女ほのかに感じる少女の香り。

「……」

 いきなり降って湧いた状況に、心臓がドキドキとタップダンスを踊りはじめた。

「……私は」

 微妙に固まった上条から半歩離れた位置で、姫神が右手を胸元に添えた。

 首から下がる封印の十字架、その鎖に指を絡め、彼女は再び上条を見上げる。

「私は。不安だった」

「え…」

「上条くんが小萌先生を助けに行ってから。連絡が来るまで。ずっと私は不安だった」

 チャラ、と鎖が鳴く。

 反射的に音の方を見てしまう上条。その視線が、

「!」

 見上げてくる姫神のそれと、重なった。

「……」

 蒸し暑さもまだ残る季節だ。至近距離で見る姫神の頬は気温のせいかやけに紅い。それに加えてうっすらと浮いた汗は、妙に彼女の肌を艶めかせていた。
337 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/07/26(月) 02:22:03.67 ID:46.faFwo

「あっ、と…」

「……」

 姫神は何も言わず、そしてそれ以上踏み込むことなく。

 しかしゆっくりと、鎖が絡んだ右手を持ち上げる。

 チャリ、と、再び鎖が鳴いた。

 長い後ろ髪が鎖の輪にかかり、一度だけ持ち上がり、ふわり、と先ほどよりも大きく、髪の軌跡が夜の中に閃いた。

「お、おい姫神、お前それを外したら・・・…」

「大丈夫。いまは。貴方の右手に触れているから」

 再び上条の声を遮り、姫神は首から外した十字架を見る――――彼から、視線を逸らす。

 だから、はなさないでほしい。

 そこだけは言葉に出さず、幻想殺しを、否、彼の手を握る自分の左手に、少しだけ力をこめた。

「……」

 見上げてくる彼女の瞳は、上条の頬に僅かについた擦り傷に向いている。先の言葉どおりの、不安の灯った瞳が。

「……」

 それを見た上条が、僅かに息を呑んだ。元々口数の少ない彼女の瞳は、逆にそれがゆえにたった一つのことを雄弁に物語る。

 そして彼女がどんな言葉を求めているのかは、流石に上条も理解できた。

「……」

 上条は一度目を閉じる。そして、

「大丈夫だ」

 幻想殺しで――――いや、己自身の右手で、しっかりと小さくに震える姫神の手を握り返した。
338 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/07/26(月) 02:23:29.29 ID:46.faFwo

「……」

「俺は絶対にいなくなったりなんかしない。絶対に帰ってくる」

「……」

「何があっても、どんなことになっても、絶対に姫神たちのところに帰ってくるさ」

「……」

 姫神『たち』

 その言葉に、胸の奥が僅かに痛む。

(……でもきっとこれが彼の本心で。一番強い約束)

 それ以上を望んではいけない。少なくとも、今は。

 だから姫神はもう一度彼の右手を握り返した。

「約束。してくれる?」

「ああ、約束する。姫神たちに会えなくなるのは、俺も嫌だから」

 即座に、迷いなく頷く上条。

 そうだろう。彼はいまのように問えば、絶対にそんな風に返答するはず。

 それが嬉しくて、そしてやっぱり『たち』でしかないことが悔しくて、姫神はさらに言葉を繋げた。
339 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/07/26(月) 02:24:24.87 ID:46.faFwo

「……大覇星祭のときみたいに、破ったりしない?」

「うっ!」

 痛いところを突かれた上条の真剣だった表情が、明確に引きつる。

「……」

「い、いやえーと、あのときはその」

「……ナイトパレード……楽しみにしてたのに」

「がふっ!」

 空いた左手で胸を押さえる上条。おちゃらけているようだが、それなりに真剣にダメージを受けているようだ。

 しどろもどろになりながら「でも聞いてくれ姫神! 俺も絶対その約束護るつもりだったんだけど、その」とか言い訳を始めた上条を見ながら、姫神は笑顔を浮かべた。

 いまだ視線を彷徨わせながら「あー」とか「うー」とか言っている上条だが、彼はこの数秒後に言葉を無くして沈黙することになる。

 それは今日の昼から今に至るまで、彼女が上条の前で初めて浮かべた笑みであり――――

「ふふっ」

 ――――上条が見た中で、一番綺麗な、彼女の笑顔だった。 

 
340 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/07/26(月) 02:25:28.95 ID:46.faFwo




 美琴は路地を駆けていた。

 常盤台が設定している門限はとっくに過ぎ去り、それどころか、日付の変わり目もかなり前に過ぎた時刻。

 スキルアウトのたまり場となっている、街灯もろくにないビルとビルの間を、彼女はまるで見えているかのように全力で疾走する。

 御坂美琴は都市最高の電気の使い手だ。レーダーよろしく力場を展開することで、夜の中でも障害物を把握するのは容易である。

 もっともその領域内に立ち入った者は若干とはいえ痺れるし、電子機器は狂いを生じてしまう。普段であれば美琴もこんなことをしようとは思わないし、やらない。

 にもかかわらず彼女がこの方法を選択しているのは、先ほど件のパソコンで最新情報を入手しようとして、新たな被害者が出たことを知ったからだ。

 ギリ、と奥歯が鳴る。

 被害者は別の学校であったが、電撃使いのレベル4。自身の寮内で倒れているところを発見された。

 美琴が疾駆しているのは、その際に新たに取得した情報『セーラー服の女』を追ってのことだ。
341 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/07/26(月) 02:26:27.47 ID:46.faFwo

 今回は連休のさなかの、しかも寮内ということもあって、目撃者がいたのである。ただし、倒れている被害者を介抱している拍子に、寮の前を走り去る影があった、という程度のものであったが。

 それでも他に情報がない以上、風紀委員も警備員もそれを足がかりにしているようだ。ここ数時間でセーラー服姿の女子生徒の捉えた監視カメラをピックアップし、順次調査に向かっているとのことである。

 いま美琴が向かう先も、その中のひとつだ。人員不足で風紀委員や警備員も向かっていない、後回しにされている場所。

 正直、そこに到着したとしても、手掛かりが得られる可能性は低い。

(でも・・・!)

 それでもじっとしているわけにはいかなかった。

 美琴は走りつづける。規格外の力を常に放出し、『超電磁砲』はここにいると示しながら。

 だが。

「っ!」

 美琴は、いきなりその疾走に急制動をかけた。

 レーダーで迷いなく走っている上、微細電流で身体能力を強化しているところだ。靴が滑り、数メートル進んでから、ようやく停止する。

 その彼女の数メートル先に、



 ドン!



 と、長剣が突き刺さった。

「……」

 刀身半ばまで地面に突立ったその剣は、刀身から柄尻に至るまで、すべて黒で統一されている。

 ビィ…ン、と震えるその様は、まるで墓標として設えられた十字架であるかのようだった。

 まとめに視界も利かない闇の中ですら逆に沈み込んで見えるほどの漆黒の剣は、あのまま速度を落とさずに進んでいたら、間違いなく美琴を上から下まで貫通していただろう。
「……」

 自然の落下ではあり得ない。

 真上からの、投擲だ。
342 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/07/26(月) 02:27:43.78 ID:46.faFwo



「流石ねぇ、いまのを避けるなんて。褒めてあげてもいいわぁ」

 

 そしてその予想を肯定するように、透き通るような女の声が響いた。

 長剣の落下軌道の大元。

 美琴のほぼ真上からだ。

「……何よアンタ」

 美琴が怒りまじりの視線を、上向けた。

 そこには、薄い雲ごしの月明かりを受けた、大きな翼のシルエットが浮かび上がっていた。

 シルエットは優雅に一礼。長い銀髪がゆらりと動く様は美しかったが、それは完全に侮蔑と余裕のこもった、揶揄の一礼だ。

 形式だけの礼をこなし、シルエット――――水銀燈が、ゆっくりと顔を上げる。

「はじめまして、超電磁砲。私の名前は水銀燈。ローゼンが創りし、誇り高き薔薇乙女の第1ドールよ」

 水銀燈は大きく翼をはためかせ、無数の羽を撒き散らした。それらは重力に囚われることなく、水銀燈を護るかのように、渦を巻いて滞空する。

「本当は貴女のことなんかどうでもいいんだけれど……でもわたしの目的のために、ジャンクになってもらうわぁ」

 ゆっくりと水平に持ち上げられた水銀燈の左腕。そこに紫色の光球が、螺旋を描いて絡み付く。

「……」

 美琴は、水銀燈が何者なにかを問いもしない。

 何の能力なのか――人形を動かす能力なのか、幻覚を見せるものなのか、はたまた変身できるような能力なのか――考えない。

 だが相手の行動と、言葉。なによりこのタイミングで自分を『超電磁砲』と知って攻撃してくるという事実。

 一連の事件と関係がないわけがなかった。
343 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/07/26(月) 02:29:14.02 ID:46.faFwo

「・・・安心しなさい、命まではとらないわ」と、美琴。バチバチッ、と前髪で電撃が弾けた。

「でも、知ってることは洗いざらい吐いてもらうわよ。アンタこそジャンクになりたくなかったら、いまの内に降参しなさい」

 次いで、ザアっ! と身体から電気が溢れ、周囲を青白く染め上げる。

 目の前に突き立つ長剣が避雷針のように電撃を集め、アースのごとく大地に逃がすが、『超電磁砲』はその逃げた電気すらも掌握。

 地面に、壁に、空間に対流する電撃は、暗い路地裏を彼女の領域に作り替えた。踏み入る者を一瞬で焼き尽くす、高圧電流の結界だ。

「面白いことを言うのねぇ・・・少し特殊な力があるからって、貴女は所詮は人間なのよ?」

 それを見てもなお、水銀燈は余裕を崩さない。人差し指を唇に当て、見た目だけは友好的な笑みを浮かべた。

「・・・まぁでも、この私相手にそんな言葉を吐けただけでも、大したものねぇ」

 しかし一転、その瞳がギラリと危険な光を帯びる。彼女の周囲を舞っていた黒羽の先端が、一斉に美琴に向いた。

「ご褒美にその言葉、後悔させてあげるわぁ!」

 水銀燈が左腕を振り下ろす。

 絡み付いていた光球ーー人工精霊メイメイを先頭に、無数の黒羽が美琴に殺到した。

「はっ! やれるもんならやってみなさい!」

 対する美琴は切り裂くような視線を水銀燈に向ける。その意思を受けた電撃が、一気に光量を増した。

 銀の放った黒羽と紅の放った紫電が、真正面からぶつかりあった。
344 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/07/26(月) 02:30:34.56 ID:46.faFwo





 上条の部屋。

 そのリビングに鎮座する、大きな鞄。

「・・・・・・」

 夜は眠りの時間。そう言って鞄に篭った真紅は目を閉じていたが、しかし眠りについていなかった。

「・・・・・・」

 胸に当てた右手。そこにある違和感を探るように、彼女の眉はたわめられていた。

 過去のこと――――『前回』についてのあやふやな自分の記憶。

 どのようにして『前回』が終わり、いまがあるのか。

 それを明確に記憶していないのは、なぜなのか。

 そしてなによりも、

 

 ・・・なぜ、それを上条たちに言わなかったのだろう。



 言うべきだった、と思う。

 しかしあの病室で雛苺のことを説明したとき、どうしてかそのことに触れたくなかったのだ。


(私は……)

 真紅は、ぎゅっ、と手を握った。閉じた瞼にさらに力が入り、彼女の表情が辛そうに歪む。

「……」

 そう、真紅は怖かった。

 言葉にすることで、いまの違和感が明確になってしまいそうで。
345 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/07/26(月) 02:33:25.54 ID:46.faFwo

 水銀燈は、あそこまで好戦的だっただろうか。



 雛苺は、あんな風に笑ったことがあっただろうか。



 そして……



(そう、私は確か……)

 だが一度浮かんでしまった考えは、自分でも抑えきれない確固たる疑問となって胸中に渦巻いていく。

 スフィンクス。

 小萌の家で、そしてこの上条の部屋で。

 インデックスが抱えていた猫。

 なぜかまったく怖いとも思わず、まったく気にもならなかった、嫌いなはずの、猫。

「……」

 真紅は息を飲み込むように詰め、一度だけ強く首を振る。

 今夜、彼女に眠りが訪れるのは、まだ先であった。

365 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/09/20(月) 01:48:39.02 ID:GPMRrJUo




 朝。

 夏の名残だろうか、抜けるような青空に恵まれた連休の二日目である。

 多くの学生が夜通し遊んで沈没していたり、そうでなくとも惰眠を貪るであろう時間帯だがしかし、それらに反して、上条家の朝は早い。

 もちろん、その原因は言わずもがな。

 インデックスだ。

 シスターらしく朝が早いから…ではなく、彼女の朝のお祈りが終わるまでに朝食を用意しなければ上条の頭が頂かれてしまうから、である。

 どっちにしても目が覚めるなら、上条にしても痛くない方がいいに決まっていた。

「朝から不幸だ…」

 上条はベランダの掃出窓を前に、そう呟いた。

 右手でかじられた頭を撫でるが、幻想殺しといえども噛み付きによるダメージを消すことは不可能である。

 普段であれば自然に目が覚めるか、そうでなくても目覚まし時計で起床するのだが、全力疾走を繰り返した昨日は流石に疲れていたらしい。

 目覚まし時計という幻想を無意識の内に右手で破壊して寝こけていたところを、牙を向いたインデックス(スフィンクス同梱)に襲われたのだ。

「だ、大丈夫なの当麻。その…朝から激しかったみたいだけれど」

 上条の背後。

 初めて会ったときと同じように、ソファーで紅茶片手の真紅が、そんな風に問うた。

 彼女の表情は微妙に気まずそうなものであったが、背を向けている上条は気がつかない。

(ごめんなさい…私が止めていたら、もう少し傷は浅かったのかもしれないのだけれど…)

 上条の壮絶な悲鳴に驚いて飛び起きた後、『惨状』を一目見るなり鞄に逆戻りしたのは真紅だけの秘密であった。
366 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/09/20(月) 01:49:30.09 ID:GPMRrJUo


「あっはっは、いやいや。このくらいは慣れてますので、上条さんは大丈夫ですよ……ええ、慣れてますので」

 どこか乾いた笑いとともにパタパタと手を振る上条。本当にそう思っているというよりは、そう思うことで自分を納得させているような口調と仕草である。

「慣れている、の……」

 あれが日常なのだろうか。なんと恐ろしい。

 真紅が色々と含みある見る視線をインデックスに向けた。

「むーっ、とうま! それじゃ私がいつもいつも噛みついているみたいに聞こえるかも!」

 子供向けのテレビ番組から視線を離し、インデックスがそれこそ子供のように頬を膨らませる。

「お、おまえなぁ。腹が減ったら噛みつくわ、恥ずかしくなったら噛みつくわ、揚句に俺が入院したら噛みつくわ、これがいつもって言わなかったらなんて言うんだよ?」

「そ、それは、噛み付かれるようなことをするとうまが悪いんだよ!」

「どこがだこのバカ! いまの台詞の中で俺に非がある部分がどこにあるってんだ!?」

 上条の言葉に、インデックスは「うー」などと唸りながらもテレビの前から動こうとはしない。

 大覇星祭の一件で『噛み付き』という行為に新しい光明を得たようだが、照れに近いものもそれなりに得たらしい。

 もっとも真紅の方をちらちらと見ているあたり、上条相手に照れている、というよりは、真紅というお客様相手にそういうシーンを見せるのは控えたい、ということのようであったが。

「と、ところで、当麻はさっきから何をしているの?」と、真紅。

 後ろめたさもあって、なるべくその話題に触れたくない。

 何気なさを装った問い掛けにも、不自然さが否めないが、上条もインデックスもそれに気がつかなかったようだ。それくらい噛み付きが日常なのであろう。 

「え? いや、」上条は一度振り向いたあと、再び窓ガラスの方に向き直り、

「触っても大丈夫なのか、と思ってさ」

 と、言った。

 彼の右手は傷ひとつない窓ガラスに触れている。

 この窓ガラスは昨日水銀燈に砕き割られ、そして昨夜のうちに真紅の魔術によって修復されたものだ。

 その時は姫神と待ち合わせをしていたこともあって、特に確認していなかったのだが、下手をすれば上条が触れた瞬間にガラスが元の状態に戻る可能性だってあったのである。

 もっともそう思うなら、触るよりも先に確認すべきであるのだが、上条はそこまで思い当たっていない。
367 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/09/20(月) 01:50:58.94 ID:GPMRrJUo

「昨日のって、やっぱ魔術、だよな? でも魔術で直したんなら、右手で解除されるかもしれないし」

 洗濯物を干そうとするたびに気を遣うのは流石に面倒だ。それに、何かの拍子に触れてしまうことだってある。

 上条家の懐的に、これだけのガラスを入れ換えるのは清水の舞台ものの覚悟が必要だった。

 幸いにも窓ガラスは幻想殺しで触れても問題ないらしい。そうなるとそれはそれで、なぜ壊れないのか、と疑問に思ってしまう。

 なにか特殊な魔術なのか、と上条は視線で問うた。

 だが真紅は軽く首を傾げる。

「魔術…と言われても、私にはわからないのだわ。私は時のゼンマイを巻き戻して『壊れる前』の状態に戻しただけよ」

 魔術の産物であっても魔術のことはよく知らない真紅にして見れば、言葉以上のことをしたつもりはないし、それを説明できるものでもない。本当に出来ることをしただけなのである。

 助け舟を出したのはインデックスだ。

「しんくが昨日使ったのは確かに魔術だよ? だけど、別に魔術でガラスを支えてるわけじゃないから大丈夫かも」

「どういうことだよ」

「えっとね……」

 と、インデックスは僅かに言いよどんだ。それから、少し気まずげに、しかしどこか嬉しそうに、続ける。

「ほら、『あのとき』にわたしの怪我を魔術で治したけど、あの後、とうまがわたしに触れても大丈夫だったよね」

「……」上条は無言。

 しかしインデックスはそれに気が付かない。

「魔術で治しても、治った結果に魔術が残存するわけじゃないから、その後ならとうまが触っても壊れないんだよ」

 砕けたガラスを魔術で結束し続けているなら話は別だが、ガラス自体を修復しているので大丈夫、ということのようだ。

「ふ、ふーん……そういうもんなのか」

 ペタペタとガラスを叩く上条。どこか余所余所しく、インデックスから視線を逸らした。
368 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/09/20(月) 01:53:29.49 ID:GPMRrJUo

「……?」

 妙な態度の上条に、インデックスは首を傾げる。

「……当麻、ひとつ聞いていいかしら?」

「ん? あ、ああ」

「? どうしたの? なにか気になることでもあった?」

「い、いやいやっ、なんでもない! ちょっとぼーっとしちまっただけで」

「そう?」

「あ、ああ」ごほん、と上条は咳払いをひとつ。「…そんなことより、聞きたいことってなんだよ?」

「…今日は、貴方は何か特別な用事があったりするかしら?」

「今日? 今日は午前中に、姫神と小萌先生の見舞いに行くことになってるんだけど…」

 昨夜、あの後別れ際に姫神に誘われたのである。

 着替え自体は昨日届けているが、差し入れも兼ねて顔を出しておこう、ということになったのだ。

「小萌? ……昨日の?」

 真紅の表情が僅かに曇った。
369 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/09/20(月) 01:55:18.05 ID:GPMRrJUo

「……」

 上条としては真紅に責任はないと思うのだが、いくらそれを言っても彼女の胸の内は晴れないだろう。もしも上条が真紅と逆の立場だったら、同じように責任を感じることは間違いない。

「ま、姫神の話じゃ、そう大したことなかったらしいからさ。すぐ退院できるって」

 だから上条は真紅の表情に気がつかない振りをして、殊更なんでもない口調で言った。

 しかし真紅は、眉を潜めまま、

「そう…」

 と、言った。

「どうしたんだよ。なんかやりたいことがあるってんなら、午後からでよかったら手伝うぜ?」

「その…」真紅は少しだけ迷う素振りを見せたあと、

「ホーリエがまだ戻ってこないのよ。だから、もし大丈夫なら探しにいきたかったのだけれど…」

 昨日、雛苺を追わせた人工精霊からはいまだ連絡がなかった。

 仮に攻撃を受ければ危険な旨を伝えてくるであろうし、力を失った彼女が倒れたなら戻ってきてその位置を知らせるだろう。

 いまも追跡している可能性もあったが、雛苺の残存エネルギーやゼンマイの量から、それは考えにくい。

 だとすれば、ホーリエはその能力を上回る存在に脅かされた可能性があった。

(……)

 思い当たる相手はただ一人。

 真紅の脳裏に、銀と黒の存在が浮かび上がった。
370 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/09/20(月) 01:57:09.40 ID:GPMRrJUo

「あー、あいつかぁ。そういや確かにあれから戻ってきてないな。じゃあ、お見舞いが終わったら…」

 そう上条が言おうとして、ちょうどそのとき―――

「あれ?」

 と、インデックスが首を傾げた。

 彼女の視界。

 上条の背後の窓、そこから見える青空にひとつ、見慣れない黒い点が見えた。

「……」

 鳥、でもない。アドバルーンというものでもないだろう。

 そもそもそれは鳥のように視界を横切っていくわけでもなく、また、アドバルーンのように一定の場所に留まっているわけでもなさそうだ。

 具体的に言えば、その黒い点はインデックスが見ているうちに、どんどん大きくなってきて、

「近づいてきてる…かも」

「え?」「は?」

 インデックスの言葉と視線に、真紅が気づき、上条が振り向いた瞬間。
371 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/09/20(月) 01:58:09.65 ID:GPMRrJUo




 破砕音!


372 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/09/20(月) 02:01:28.76 ID:GPMRrJUo
 昨日に引き続く甲高い音とともに、振り向いた上条の向かって右側を抜け、一抱えほどの大きさの何かが窓ガラスを突き破って飛び込んできた。

「うわっ!?」

「っ!」

「ひゃあ!?」

 ガラスの砕ける音に、三者三様の声が混じる。

「な、なんだぁっ?」と、上条。

 飛び込んできた何か。

 それは、鞄だった。

 丁寧な装丁を施された古い鞄が、ガラスの破片にまみれて床に転がっている。

 だがそれに対し三人が何かアクションを起こすよりも早く、鞄の蓋が蹴り上げられるような勢いで開き、中から翠色の人影が跳びだした。

 その体躯は子供のように小さく、なるほど、鞄に入ることも無理ではない。

 だが。

 鞄。色。小さな身体。


 薔薇乙女


「!」

 上条が右手を構えながら、赤と翠との間に立った。

 インデックスは驚きを残しながらも、知識を総動員してその正体を見極めようとする。

 彼らの視線の先で、鞄から跳びだしてきた人影は、

「ふゆ…痛いですぅ」

 しかし、ひらりと床に着地するなり、頭を抑えて床にうずくまってしまった。

「は?」「え…」

 水銀燈のように、あるいは雛苺のように襲い掛かってくる可能性ばかり考えていた上条とインデックスが目を丸くする。

そんな彼らの背後で、

「翠星石!」

 と、真紅が叫んだ。
 
378 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/10/20(水) 21:31:46.52 ID:bP1JOXMo
 翠星石、と呼ばれた彼女が、真紅の声に顔をあげた。

 色違いの瞳―――オッドアイが、間に立つ上条とインデックスを無視して真紅に向けられる。

「……」

 それを追うようにしてこちらを向いた上条とインデックスの視線を感じながらも、真紅は翠星石を真正面から見た。



 敵なのか、味方なのか。



 しかし翠星石の顔に浮かんでいるのは、驚きにも似た表情と、目じり端の涙のみ。

 水銀燈のような敵意も、雛苺のときのような狂気もそこからは読み取れなかった。

「真紅!?」

 と、上条。

 彼が問うているのは、間違いなく、いま真紅自身が考えている事柄だろう。

 その娘は敵ではない。敵であるはずがない。

 前回、共存の道を模索していた仲間だ。

 そんな言葉が、喉元にまで競りあがってくる。

「っ」

 しかし真紅はそれを言葉にして放つことができなかった。

 昨夜、鞄の中で浮かび上がった己への疑問。

 胸中で頭をもたげるその疑惑が、翠星石は敵ではない、と断ずることをせき止めていた。

 真紅は断言できず、上条は返答を待ち、インデックスはそもそも判断のしようがない。

 それぞれの空白。

 その瞬間に動いたのは、今しがた飛び込んで来た翠星石だった。
379 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/10/20(水) 21:33:39.36 ID:bP1JOXMo
「真紅ー! 会いたかったですー!」

 そんな叫びとともに、翠星石がいきなり駆け出した。

「!?」

 虚を付かれた上条とインデックス。完全に反応が遅れた彼らに出来たことは、翠星石の動きを視線で追うのみ。

 脇目も振らずに二人の間を通り抜けた翠星石は、同様に動けなかった真紅の首根っこに、駆けた勢いそのままに思い切り跳びついた。

「きゃあっ!?」

 自分と同程度の質量+走る勢いを、真紅は支えることができない。

 翠と紅が、もつれるようにして床に転がった。

「ちょ、ちょっと離しなさい翠星石!」

「真紅ー! よかったですぅ! 会えてよかったですぅ!」

 らしくなくジタバタと暴れる真紅だが、翠星石はかなり強くしがみついているらしく、まったく離れる様子がない。

 上条は一瞬、組み付いて攻撃しているのか、とも思って身構えかけたのだが、

「ふえぇえん、真紅ー!」

「ぐぐぐっ!? す、翠星石……く、苦しいのだわ……」

「……」

 どう見ても迷子が縋り付いているようにしか見えなかった。抱きついた翠の両腕が、綺麗に真紅の首を絞めているようだが、まぁ、たぶん大丈夫の範疇だろう。

「……インデックス?」

 インデックスに目を向ける。

 上条の表情にも口調にも、緊張感がない。

 思いっきり臨戦態勢を作っていたところに、立て続けに『敵』らしくないことが起こったせいで、なんとなく気が抜けてしまった。
380 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/10/20(水) 21:35:39.99 ID:bP1JOXMo
「う、うん。いま鞄から出てきた子も、薔薇乙女、かも」

 それはどうもインデックスも同様のようだ。上条と同じように、やや唖然としながらも首肯する。

 かも、とは言っているが、単に口癖なだけで、不確かな意味ではない。

 禁書目録の知識とインデックスの見識から導かれる魔術形式は、真紅とも雛苺とも同一である。

 間違いなく薔薇乙女だった。

「あー…っと」

 インデックスの答えを確認し、上条はちらりと二人(?)を見た。 

 話しかけてもいいのかなーどうしようかなー、とでも言うような表情で後ろ頭を掻きながら、赤と翠に歩み寄る。

「真紅? そいつもやっぱり、その?」

「え、ええ」

 と、なんとか立ち上がった真紅が頷いた。

 見せてしまった醜態を隠すかのように平静を装っているが、整えられていた金髪は乱れに乱れ、ドレスも若干皺になってしまっている。
 
 その上、件の翠星石がいまだに真紅の首元でグスグスと泣いている始末。

 何も取り繕えていないが、上条もインデックスも流石にそこに突っ込むほど気が遣えないわけではなかった。

 真紅はコホンとわざとらしく軽い咳ばらい。それから乱れた髪をさりげなく手櫛で直しながら、

「彼女の名前は翠星石。薔薇乙女の第3ドールよ」

 と、言った。
381 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/10/20(水) 21:37:53.50 ID:bP1JOXMo
「第3? ってことは、お前の姉貴になるのか?」

 意外そうに真紅を―――いや、真紅の背中に隠れる翠星石を見る上条。

「あ、あぅぅ……」

 翠星石の方は上条と目が合うと、それだけで真紅の肩に顔を埋めるようにして目を閉じてしまった。

 その様子ははっきりいって、姉を頼る妹、という風情で、とても真紅よりも早く創られたようには見えない。

「人形に姉や妹という表現が適切なのかはわからないけど、創られた順番では確かにこの娘の方が先なのだわ」

 一息。

「でもはっきり言って、これは性格の違いよ。彼女は私たちの中でも特に臆病で人見知りなの」

「し、真紅ぅ」

「大丈夫なのだわ翠星石。彼の名前は上条当麻。私の契約者よ」

 ほら挨拶、とでも言うように、横に一歩ずれ、軽く翠星石を押し出す。

「え、あうっ」

 軽くよろめいた翠星石が前に出るが、

「っ」

 上条と目があった途端、はビクリと身を震わせて、ささっ、と真紅の後ろに隠れてしまった。

「……」

 沈黙する上条。

 本人は知りえないことであるが、幼少より数々の不幸に見舞われた彼の精神力は、大抵のことでは動じない。それでも見た目が幼児のような相手にこうまで怯えられるのは、なんというか、軽くショックであった。

 はぁ、と真紅はため息。

 ジュンとの暮らしで少しはマシになったかと思ったのだが、どうも相変わらずのようだ。

 もっとも、

(……確かめないと、わからないのだけれど)

 その『記憶』が―――自分のものも含めて―――幻想ではないのかは、まだわからない。
382 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/10/20(水) 21:39:47.12 ID:bP1JOXMo
「……」

 真紅は肩越しに翠星石を見た。

 今度は猫を抱えたインデックスに「私はインデックスって言うんだよ」と言われ、こっちには「す、翠星石ですぅ」と応じている。
 
 それを見た上条が「インデックスには返事をするのになんで俺だけ……不幸だー!」などと仰け反り、またそれで翠星石がビクビクと隠れてしまう。

 これはこちらで促さなければ、話になるまい。

 そう判断した真紅はもう一度ため息。そして、

「……ところで」と、翠星石に向き直った。

「翠星石。貴女、どうしてここがわかったの? ここを知っているのは水銀燈しかいないと思うのだけれど……」

「え」

 妙な表情で翠星石が固まった。

「そ、それはその……」

「ええ」

「その、ですね」

 翠星石は、なにやら言いづらそうにモジモジとしている。

「?」

 眉根をつめ、軽く首を傾げる真紅。

「どうしたの? はっきり言いなさい」

「あぅ、それは」

「それは?」

 翠星石は一瞬だけ迷ったように視線を泳がせた後、

「ホ、ホーリエ、ですぅ」

「「!?」」

 その名詞に、上条とインデックスが目を見開き、

「ホーリエ!? ホーリエが、どうしたと言うの!?」

 先ほどとは反対に、真紅が翠星石に詰め寄った。
383 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/10/20(水) 21:41:40.44 ID:bP1JOXMo
「ぐえっ、ですぅ!?」

「ホーリエに会ったの!? ホーリエはどこに……それに雛苺はどこにいるのよ!?」

 桃色の少女を追っていった人工精霊に出会ったというのなら、雛苺にも会っているはずだ。

 ガクガクと、翠星石の肩を、というか、首を前後に揺さぶる真紅。

「くくくく、苦しいですぅ!」 

「あ、ご、ごめんなさい」

「けほっ、けほっ、し、死ぬかと思ったです……」

 ぜーぜー言いながら翠星石が首をさする。

「わ、悪かったのだわ翠星石。でも事は一刻を争うのよ。早く説明してほしいのだわ」

 真紅は再び飛びつきかねない様子だ。

 翠星石が「わ、わかったです」と、頷き、 

「その……ホーリエが、翠星石をここに案内してくれたです」

 と、言った。

「案内?」

「そうです。昨日の夜遅く、ちょっと離れたところでふらふらしてるのを見つけて、それで案内を頼んだですよ」

「ふらふらしていたの? ホーリエだけで?」

「です」

「……」

「?」

「……でも、それじゃあホーリエはどこに?」

「そ、それは……」

 何やら言い淀みながら、翠星石はリビングに転がっている、彼女の鞄に視線を移した。
384 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/10/20(水) 21:43:36.45 ID:bP1JOXMo
「?」

 上条たちもそれに倣い、鞄を見た。

 ガラスまみれのそれは、掃除しなければ今夜にでも困りそうな有様だったが、まぁそれはともかく。

 案内、ということは当然、翠星石の前を飛んでいなければならない。

 そして窓ガラスに突っ込んできた鞄は、着地というよりも落下の体で床に衝突している。

 もしホーリエが『何事もなく』一緒に入ってきたなら、すぐに真紅の近くに飛んできたであろう。

「!」

 状況を察した真紅の顔色が、さっ、と変わった。

 そして、主人の動揺でも感じ取ったのだろうか。



 ―――……



 鞄と床との隙間から微妙に漏れる、紅い光。

 それは『光った』というより『明滅した』という方が正しいように思えるもので―――

「ホ、ホーリエ!」

 真紅の切迫した声が、朝の上条家に大きく響いた。
 
388 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/11/04(木) 00:41:38.29 ID:Pa4omRIo
「まったく……他人の人工精霊を踏み付けるなんて、失礼もいいところなのだわ」

 ソファーに腰掛け、上条のいれた紅茶を片手にした真紅が、いかにも立腹しています、という様子でカップを傾けた。

「す、すまんかったですぅ」

 とは、その真向かい、テーブル反対側の翠星石だ。

 先ほど首を絞められたことはもう忘れたらしい。もっとも先に一度飛び掛かっているので、それで相殺という見方もあるのかもしれないが。



 ―――……



 件のホーリエはテーブルの上でへたっている。なんとか球形は取り戻しているものの、どこか歪つなようにも見えた。

(……なんとなく気持ちがわかるんだよ)

 昨日、小萌部屋からのダイブでやや平べったくなった経験のあるインデックスの胸中に妙な共感が浮かび上がるが、それはともかく。

「で、」と、真紅がカップをソーサに置いた。カチャリ、と硬い物同士が触れる音が響く。

「な、なんですか?」

「いまホーリエから直接聞いたのだけれど、ホーリエと貴女は、昨夜偶然出会った、ということで間違いないのね?」

「そ うです」頷く翠星石。「昨日の夜……何時ころだったかは忘れたですが、一人でふらふらしてるのを見かけたですよ。その時にはもう大分疲れてたみたいですか ら、とりあえずビルの屋上で寝ることにしたんです。それで朝になってから、真紅のところに連れてきてもらったんです」

「……」

 真紅は翠星石の表情を見た。

 蒼星石とは左右対照のオッドアイに浮かぶのは、軽い緊張感と大きな安堵と言うものだ。緊張はあくまでも上条とインデックスに対するもので、嘘をつくとき特有のものではない、と思えた。

「…そう」

 基本的に人工精霊は対となる薔薇乙女―――正確にはローザミスティカに対してしか意思疎通を行えない。

 もちろんその様子からある程度には言いたいことを予想もできるが、会話並みの情報交換は不可能である。雛苺の探索を命じていたホーリエの意思を、まったく知りもしない翠星石に拾えと言うのも、酷な話だ。

 さらに言えば人工精霊にも限界がある。消耗が酷ければ休息や、薔薇乙女からの魔力供給が不可欠であった。

 昨日のホーリエは、水銀燈と雛苺と二つの戦いを切り抜けた上、長時間に及ぶと思われる探索に従事している。真紅の記憶をある程度知るホーリエであれば、翠星石を安全と判断して同衾(という言い方が正しいのかはともかく)しても不思議ではなかった。
389 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/11/04(木) 00:42:19.41 ID:Pa4omRIo
(なぁ、真紅)

 小さく耳に届く声。見れば、上条がこちらに目配せするように顔を向けていた。

 彼の言いたいことはわかっている。声をひそめているのは、自分に怯える翠星石に配慮してのことか。

 そんな上条の頭の中に、



 ―――……雛苺のことね?



「!?」

 いきなり真紅の声が響いた。

 驚き、目を見開く上条。

 真紅の唇はまったく動いていない。感覚的にも『聞こえた』というものではなかった。

 反射的にインデックスを見ると、彼女も軽く驚いた表情を浮かべている。上条よりも驚きの度合いがすくないのは、彼女が魔術関係に詳しいことと、風斬氷華の一件で『念話能力』を体験しているからだろう。



 ―――驚かせてごめんなさい。貴方とシスター、二人に声を『飛ばして』いるの



 真紅が一瞬だけこちらを見てから、すぐに翠星石に視線を戻して「出会った時刻は、だいたい何時くらいなの?」と問いかけている。表面上は会話を続けるつもりのようだ。



 ―――それと、勝手を言って申し訳ないのだけど……雛苺のことは、まだ聞かないでおいてほしいのだわ



(どうしてだ? もしかしたら何か知ってるかもしれないぜ?)と、頭の中で上条は言った。



 ―――それはそうなのだけれど……ちょっと、確認したいことがあって



「……」

 こっちからの考えが届くのか確信はなかったが、相互通信の可能な魔術であるようだ。

 真向かいに座ったインデックスが軽く頷いていたが、こちらの声は聞こえない。同じタイミングで、彼女も似たようなことを考えたのだろう。
390 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/11/04(木) 00:43:08.88 ID:Pa4omRIo
「そうですねぇ、見つけたのは眠りにつく少し前だったですから……」

 一方、翠星石は上条たちの目配せには気がつかないまま、真紅の質問に、うーん、と天井を見上げた。



 ―――でもホーリエが言っていたのだけれど……結局、雛苺には逃げられてしまったそうよ



 平静な口調(という表現が適正かは不明だが)と表情の真紅。だがその中には、間違いなく苦悩と心配がにじみ出ている。

「「……」」

 上条とインデックスは沈黙するしかない。そんな彼らの視界の端で、翠星石が「確か、午後8時過ぎだったと思うですぅ」と視線を真紅に戻した。

「そう。午後8時、ね」

 真紅は頷き、続いて「場所だけれど……」と次の質問に入った。さっき魔術で言っていた『確認したいこと』に関係しているのかもしれない。

「……」

 上条としては正直、あの桃色の少女に心当たりがないか、翠星石に問いたい気持ちでいっぱいだった。

 昔から雛苺を知る真紅と違い、上条の判断基準は、あのビルで見たときの印象と、真紅の話した内容しかない。

 真紅の言葉を疑うわけではないが、雛苺自身が何者かに操られていたならば、再び小萌を狙ってくる可能性も十分にあるのだ。

(もしそんなことになったら)

 間違いなく、まずい。

 アリスゲームと言う戦いそのものも危険だが、小萌は今日の一件で入院するほど消耗している。短期間のうちに再び巻き込まれれば、それこそ命が危ない。

 彼自身、ついさっきまで割りとのんきに構えていたのだが、冷静に考えれば、そんな場合ではなかったのである。

 真紅からホーリエのことを聞かされていなかったと言えども、こちらから結果を聞いてしかるべきだ。

 しかし、

「……」

 会話を続ける真紅の横顔を見る上条。

 彼女がそうまで言うのだ。自分にも、そしてインデックスにもわからない事情があるのかもしれない。

 それを考えると、徒に我を通すわけにもいかなかった。
391 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/11/04(木) 00:44:00.57 ID:Pa4omRIo
「ところで、翠星石、だったよな?」

 とはいえ、無言のまま、という選択肢もとれなかった。

「お前、真紅のところに何しにきたんだよ」

 真紅と翠星石の会話の切れ目。そこを選んで、上条が問う。その彼の問いに合わせるように、インデックスも翠星石を見た。

「ひぅ、ですぅ」

 だが、翠星石はまたもや身体をギクリと震わせると、ささっと、上条から離れるように身をちぢこませてしまう。

 上条を見上げる瞳には、怯えの色しかなかった。

「いや、上条さんは別に翠星石さんに何かするつもりはなくてですね……」

「当麻」と、真紅。

「な、なんだよ」

「その、こういう言い方は貴方には不本意かもしれないけど……当麻がいると、きっとこの娘は怯えてしまって、うまく話せないと思うのだわ」

「……俺って、そんなに怖い?」

 彼女の態度を見ればわかっていたが、第三者から言われると、やっぱりショックである。

 真紅は上条の右手に目を向け、続ける。

「当麻が怖いというよりも、きっと貴方の右手のせいね」

「右手? 幻想殺しが?」

「ええ。貴方の右手は、私たちから見たら鋭い剣以上のものなのだわ。考えてみなさい。その手に触れたら、私たちは死んでしまうのよ?」

 たとえば親友が自分の頭に拳銃を突きつけられたら、どう感じるだろう。

 決して撃つことはないと思う。

 それでも、安心出来るかといえば否である。

 上条と契約しているとはいえ、真紅もそれをまったく感じないわけではなかった。ただ、彼女のプライドの高さが、それを表に出すことを妨げているだけだ。
392 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/11/04(木) 00:44:44.15 ID:Pa4omRIo
「……」

 ほんの一瞬だけ真紅が見せた怯えの表情に、上条が沈黙する。

 しかし真紅はそれを払拭するように、ふわりとした笑みを浮かべた。



 ―――安心しなさい。戦いなんてしないし、仮にそうすることになっても、すぐにこうして声を飛ばすわ。私たちだけでなんとかしようだなんて考えないから



 頭に直接返ってきた言葉は、上条の沈黙に対するものではない。だが何も言わないということ自体が、真紅の気遣いなのだろう。

「……」

 その気遣いに、上条が僅かに眉をたゆませた、そのときだ。



 甲高い電子音が、部屋いっぱいに鳴り響いた。



「な、なんですかっ!?」

 ビクリ、と翠星石が震え、

「?」

 と、真紅が視線を向ける。

 音源はキッチンにあるテーブルの上。

 携帯電話が、鳴いていた。

「とうま。でんわが呼んでるんだよ」

「あ、ああ。ちょっとすまん」

 立ち上がり、キッチンに向かった。

 そしてテーブルの端で声を上げ続けている、そろそろ耐久限界です、とでも言うようなボロボロの携帯電話を持ち上げ、パカリと開く。

 表示されているのは『姫神秋沙』という登録名と『メールを受信しました』という簡単な文字列だった。

「姫神?」

 あれは何をしているの? めーるってやつを見てるんだよ。め、めーるですか? という彼女たちの声を、聞くとはなく聞きながら、メールを開く。
393 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/11/04(木) 00:46:22.66 ID:Pa4omRIo
 タイトルは『待ち合わせについて』

 内容に目を移せば、今日これから行くことになっている、見舞いの話のようだ。時間と場所の連絡である。

 時計を見ると、時刻で言えばそこそこ余裕はあった。だが、ここから真紅たちと話をすませていられるほどの余裕は流石にない。

「とうまー? それ、なんだったの?」

 真紅たちに『テレビみたいに手紙を送るものらしいんだよ』と、素晴らしく強引にメールの説明をしたインデックスが問うてくる。

「あ、ああ」

 ちらり、と真紅を見る上条。

「……」

 真紅はと言うと、一瞬だけ訝しげな顔をしたが、すぐに得心したようだ。

「気をつけて行って来るのだわ」

 金色の髪を揺らして、真紅は小さく頷いた。

 無茶はしないから安心しろ。

 そう言っているような視線を浮かべて。
394 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/11/04(木) 00:47:05.13 ID:Pa4omRIo


 真紅や翠星石は、つれて歩くのが目立ちすぎる。

 インデックスは当初、一緒に行くと言っていたが、流石に薔薇乙女たちだけを家に置いていく訳にもいかず、また、軽くお菓子を作ると言った翠星石の言葉につられて、家に残っている。

 そんなわけで、多少の不安は覚えないでもないが一人で家を出ることになった上条は、待ち合わせ場所として指定されたバス亭に到着した。

「ちょっと早かったか?」

 小萌の入院している病院は歩いていける距離なのだが、それは上条ならば、という注釈が付随する。体力的に姫神にはきついだろう。

 そう考えてバス停を待ち合わせ場所にしたのだが、あまり使わない移動手段であるため、どうもはやく着きすぎたらしい。

 停留所のベンチ周辺には、彼以外に人影がなかった。

「だー、あっちぃ。もうそろそろ秋なんだけどな・・・」

 手で首周りを扇ぎながら呟く。

 Tシャツにジーンズという軽装であったが、それでも十分に汗をかける陽気である。

 時計代わりの携帯電話をポケットに戻してから、上条はバス停のベンチではなく、近くの商店軒先に移動した。

 まだ開店時間になっていないのか、店のシャッターは閉まっている。今日は平日であるが、ここは学園都市。都市ごと連休である以上、学生が動き出すだろう時間帯に合わせ営業しているのだ。

「…………」

 ふと、上条は先ほどしまい込んだ携帯電話を再び取り出した。

 ボタン一回の操作で呼び出した電話帳には『土御門元春』の名前。

 魔術関係に詳しいという意味ではインデックスを超える者はいないが、相談できる相手という意味では彼が一番だった。

 相談を持ちかければ、間違いなく力になってくれるだろう。

 どういうわけかこの数日、学校でも寮でも姿を見ないのだが、電話すれば連絡出来る。今すぐに繋がらなくとも、返しがあるはずだ。

 上条の指が、通話ボタンにかかる。
395 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/11/04(木) 00:47:34.43 ID:Pa4omRIo
「……」

 そのまま、数秒。

「…………」

 しかし結局、彼の親指がボタンを押すことはなかった。

 土御門を信頼していないわけではない。むしろ信頼し、親友だと思っている。

 だがだからこそ、上条は彼を巻き込みたくなかった。

 御使堕としや、使徒十字。

 これらの事件で、彼は重傷を負っている。それは闘いによる負傷というよりもむしろ、魔術使用によるものの方が大きい。そして彼は必要があるなら魔術を使うことを躊躇わない。

 いままでは、生き残った。 

 だが、これからは?

 アリスゲームは期間や終了条件が明確ではない。唯一明確な条件である『ローザミスティカを全て集める』ことは真紅自身が否定している。

 こんな状況に巻き込むわけにはいかなかった。

 上条は一度だけ首を横に振ってから、携帯をポケットに戻した。

 そして顔をあげ、姫神はまだかな、と視線を巡らせた彼が、 

「ん?」

 と言う表情になった。

 視線の先。

 こちらに向かって歩いてくる、見知った顔。

 相手側も同じタイミングで上条に気がついたらしく、えっ、という顔をしている。

 なんでこんなところに、と思う。

 彼女の住む学生寮は、ここからそこそこの距離があったはずだ。少なくとも散歩か何かで来るような距離ではない。

 見知った顔は茶色のショートカットで、学園都市でも至極有名な女子中学校の制服を着ていた。

「御坂? こんなところでなにしてんだよお前」

 対する美琴は、まずいところを見られてしまった、とでも言うような表情を無理矢理隠しながら、

「あ、アンタこそ、なんだってこんなところにいるのよ!」

 と、言った。
 
412 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/12/19(日) 23:48:55.51 ID:fZ7VQz2o



「っ……」

 暗い部屋。

 差し込もうとする朝日すら分厚いカーテンで遮った部屋の中で、水銀燈はギリリと歯を鳴らして身を起こした。

 長い銀髪が、重力に従って、パラリと垂れる。

 だが彼女はそれを掻き揚げることもせず、どさりと倒れ込むようにして、己の背後にある壁に背を預けた。

「くっ、はっ……」

 翼によって直接背中が壁に当たらないよう身を支え、さらに自らを包み込む。

 その様は、傷ついた鳥が身体を休ませているようだった。

「あの人間め……絶対に許さない……!」

 ギリ、と再び奥歯が音をたてる。

 事実、水銀燈は身を休ませていた。

 薄暗闇ゆえに見えにくいだけで、彼女の纏うドレスはあちこちが破れ、銀髪も所々焼けて焦げてしまっていた。人を模した、しかし絶対に人ではなしえない陶器のような肌も、煤に汚れている。

「くっ…」

 力をこめた拍子に傷が痛み、顔をしかめる水銀燈。

 目を閉じ、顔を上向ける。荒い呼吸をしている自覚があった。

 傷ついた翼はうまく畳むことが出来ず、鞄に入ることができない。回復として最適の手段を使えない水銀燈は、ただ床に転がるしかないのである。

 いま水銀燈がいるのは、もう使われていないビルの一室だった。

 ここは、かつては多くの人員を収めたところだったのかもしれないが、何時ごろに閉鎖されたのか、完全に廃墟と言っていい状態だ。

 長机やイスはてんでばらばらに放置され、うっすらと埃をかぶっている。

 周囲の窓ガラスは内側に黒いカーテンが引かれ、時刻は朝だというのに、薄闇以上に暗い。

 何かが当たったのか、それとも何かの能力の余波なのか、窓ガラスが一箇所だけ割れ落ち、そこから差し込む陽光だけが唯一の光源らしい光源だろう。

 僅かな風に舞う埃が、光の道筋を作っていた。
413 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/12/19(日) 23:50:16.76 ID:fZ7VQz2o
「……」

 水銀燈はその光の道を避けるように、しかし、決して離れていない場所を選んで座り込んでいる。

 そこに―――

「どうしたの? ずいぶんとお疲れの様子だけど」 

 ―――不意に、声がかかった。

「!」

 声は右斜め前、この部屋への入り口がある方向だ。

 反射的に顔を向ける。

 闇の中に切れ目を入れたように、そこにあるドアが僅かに開いていた。

 半身だけを滑り込ませて水銀燈を見る人影は、ショートカットに、船員に近い形式のセーラー服。

 服装、そして声には、覚えがあった。

「っ」

 水銀燈は一息に壁から背を離し、立ち上がる。しかし、

「くっ!」

 ズキリと全身が痛み、身体を支えることができずに床に右手をついた。

 『超電磁砲』という二つ名の女。その人物との戦いは、身体を支えることもできないほどのダメージを水銀燈に与えている。

 セーラー服は、くすり、と口元に笑みを浮かべた。少なくとも、水銀燈には、その気配が伝わった。

「あれだけ大口を叩いておいてその有様」セーラー服は首をおもねる様に首をかしげる。短い髪が、パサリと揺れた。「どう? 少しはこの都市の人間の恐ろしさが、御坂美琴の凄さがわかったかしら?」

「黙りなさい……!」

 視線だけで人を殺せそうなほどの怒気。それを孕んだ視線が、セーラー服を射抜く。

 しかしセーラー服は動じない。ふう、と肩を竦め、半ばだけ開いたドアに背中をつけ、腕を組んだ。

「まぁ、私もこうなるだろうって思ってたから、その有様は貴女だけの責任じゃないかもしれないわ。……ごめんなさいね? もっと正確に、御坂美琴のことを伝えておくべきだったわ」

 楽しむような声には、謝意のある言葉とは裏腹に、揶揄に満ちている。
414 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/12/19(日) 23:51:14.17 ID:fZ7VQz2o
「……」

 三度、ギリッ、と歯の鳴る音。対するセーラー服が、再び肩をすくめた。

「で もね安心なさい水銀燈。私はこの件の過程なんかどうでもいいの。結果的に貴女は依頼を成し遂げた。これで当面、御坂美琴の目は貴女に向くわ。それに風紀委 員も警備員も、あれだけ高レベルの電磁波が計測されれば、そちらの調査に実行力を割かれるはず。貴女は私の期待以上の働きをしてくれたってわけ」

 言いながら反動をつけ、ドアから背を離すセーラー服。腕は組んだまま、水銀燈を正面から見た。

 ゆっくりと閉まったドアが、バタン、と音をたて、数秒。

「……報酬を支払いにきたってわけじゃあ、なさそうねぇ」

 皮肉げに口元を歪めながら、水銀燈が言った。セーラー服がこちらに向ける視線には、明らかな殺意が見て取れた。

「……」

 セーラー服は応えない。

「はっ、貴女こそなぁに? 取引を持ちかけておいて自分から反故にするつもりなのぉ? さすが人間、誇りの欠片もないのねぇ」

 精一杯の虚勢を張り、嘲りの笑みを浮かべる。

 だが虚勢は虚勢だ。セーラー服がここにいるということは、間違いなく蒼星石もここに来ているのだろう。

 ベストコンディションなら、蒼星石相手に遅れを取るようなことはない。多少ダメージがあっても、防御に回れば離脱することも可能だろう。

 だが、いまは無理だ。この状態で蒼星石と戦えば、数合も保たないに違いない。

 窓から脱出しようとも、この翼では飛ぶこともままならない。そもそもここまで飛んで逃げてこれたことが奇跡に近いのだ。



 なんとか生き残る方法は……



 口元に笑みを貼り付けたまま、水銀燈は脱出口を模索する。
415 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/12/19(日) 23:52:01.87 ID:fZ7VQz2o
「あら、逃げる算段の必要はないわよ?」とセーラー服が言った。

 殺気とは裏腹の軽い声が、さらに言葉を紡ぐ。

「私は確かに、貴女を殺したいほどの怒りを抱いているけど、取引は反故にしたりしないわ」

「……じゃあその殺気は何だっていうのぉ?」

 セーラー服自身の能力を水銀燈は知らない。何かしらの能力を持っているのかもしれないが、そもそも所詮人間と思って興味もわかなかったのだ。

 だが『超電磁砲』の強さを知った今となっては、警戒を緩めるわけにはいかなかった。

「私が怒っている説明が必要よね」

 セーラー服が腕を組みながら、ぴっ、と右手人差し指を立てた。

「貴女への依頼は『貴女が私の指示どおり御坂美琴の相手をすること』であり、報酬は『蒼星石のローザミスティカ』。これは間違いないわね?」

「……」

 水銀燈は返事をしない。セーラー服はそれに構わない。右手の中指を、続けて立てる。

「確かに貴女は御坂美琴の興味を引く形で交戦してくれた。それは評価するわ。……でももうひとつ、私は条件を出したわよね?」

 すうっ、とセーラー服の目が細まった。殺気が、いっそう濃密になる。

「……」

 水銀燈はやはり返事をしない。セーラー服はやはり構わない。二指を握りこみ、水銀燈を見た。

「絶対に命の危険に晒さない。絶対にお顔は傷をつけない」言いながら、セーラー服が目を細めた。「蒼星石が言うには、貴女の攻撃はとても手加減しているようじゃなかった、ってことらしいけれど?」

 セーラー服が殺気を放つほど怒りを覚えているのは、そこだった。

 前者の条件は、ただの保険である。水銀燈の力で御坂美琴がどうにかなるなど、初めから思っていない。

 だが御坂美琴も人間だ。何かの拍子に怪我をすることだってある。

 そして、水銀燈の攻撃は、明らかにそれに配慮したものではなかった、と聞いていた。

「あらぁ? もしかして覗き見でのしてたわけ? ずいぶん、いい趣味してるのねぇ」

 セーラー服は水銀燈の皮肉に反応しない。

「念のため、レンピカに後をつけさせていたのよ。……条件、忘れたとは言わせないわよ」

「ええ、覚えていたわぁ」

 と、水銀燈が言った。
416 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/12/19(日) 23:52:55.25 ID:fZ7VQz2o
 もちろん、水銀燈はそんなこと考慮していない。相手は所詮人間だ。死のうがどうしようが知ったことではない。

 そもそもこの取引に乗ったのも、どっちに転んでも損がなかったからだ。成功すれば蒼星石のローザミスティカを得られるかもしれないし、失敗すれば通常どおり戦って奪うだけ。前者にしてもそんな都合のよい条件を信用などできるわけがない。

「でも、貴女の言う『超電磁砲』は、あの程度で傷を負う人間じゃなかったんじゃないのぉ? 私はそう思ったから、あれだけの攻撃をしたのよぉ?」

「っ」

 今度はセーラー服の口元から、ギリッ、と音が鳴る。

 水銀燈の言葉が勘に触ったのか、あるいは、御坂琴への想いを軽く受け止められかねない言葉を口にした自分に苛立ったのか。

「……」

 狐の化かしあい。

 水銀燈の自尊心から言えば、この台詞そのものがありえなかった。しかしそれでも、今の状況下ではやむ終えない。

 水銀燈は油断なくセーラー服を観察。なんとか有利な状況を模索する。

「……」

「……」

 そのまま、数秒。

 不意に、セーラー服が右手を突き出し、手のひらを水銀燈に向けた。同時に口の中で何かを数言、何事かを呟く。

「!」

 水銀燈は傷ついた翼を無理やり動かし、周囲に黒羽を撒き散らした。
417 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/12/19(日) 23:53:36.60 ID:fZ7VQz2o
「……」

「……」

「……」

「……」

 だが、彼女が思うような攻撃は、その右手から降り注がれなかった。

「……?」

 水銀燈は訝しげな顔。

 対するセーラー服は、殺気だけはそのままに、右手を下ろし、

「どうかしら? 身体、少しは楽になったんじゃない?」

 と、言った。

「!」 

 己の身体を見る。

 すると、あれだけボロボロだった全身の傷が、ドレスの傷が、いつの間にか綺麗になくなっていたのである。

「これは……」

「たいしたことじゃないわ。私はこう見えて魔術師なのよ? それも人形に特化した、ね。人形に限ってだけど、物体再生なら得意分野なの」

 言いながら、ぱんぱん、とセーラー服は埃を払うように両手を叩いた。

 魔術師。

 つい昨日、真紅の契約者が言った単語である。あの時はなんの冗談かと思っていたのだが。
418 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/12/19(日) 23:54:17.03 ID:fZ7VQz2o
「……」

 水銀燈は、魔術というものがあるとは、まともに思っていない。さらに言えば超能力とやらも、だ。

 常人からすれば彼女の存在はそれこそ魔術でもなければ成立しないが、彼女自身にしてみれば全て『御父様』の力の賜物であり、nのフィールドにしてもなんにしても、全て元々存在するものだ。

 単に他の人間がソコにたどり着いていないだけで、彼女にしてみればそれはただの現実なのである。

 だから『超電磁砲』と相対したときも、なんらかの武器の扱いに長けた者か、せいぜい多少妙な力がある、程度の認識だったのだ。

「……どういうつもりぃ?」と、水銀燈。

 調子を確かめるように何度か右手を握りながらも、決してセーラー服から視線を逸らさない。

 さすがに完全回復とまではいかないが、七割ほどまで回復していた。いまなら蒼星石とも互角に戦えるだろう。

 だが、いまもなお殺気を向けてくるセーラー服が、自分を回復させた理由がわからない。そもそもこれは本当に回復なのか。何か時限式の仕掛けでもつけられたのではないか。

 眼前のセーラー服は、自らの殺気を散らすように俯き、大きくため息をついた。

 再び顔を上げたときには、完全に消えないまでも、幾分かは殺気は抑えられていた。

「ちょっとしたサービスよ。貴女に、もう一度働いてもらうためのね」と、セーラー服が言った。

「もう一度? 貴女、頭がおかしいんじゃないのぉ?」

 あんな女に骨抜きになってるだけで十分だけどねぇ? と、鼻で笑う水銀燈。

 セーラー服の目に一瞬だけ怒気が沸くが、すぐに平静に戻った。

「……貴女は契約を果たした。だけど、そのやり方に問題があり、依頼主の私は納得できていない。……報酬がほしければ、穴埋めが、必要よね?」

「そうかしらぁ。私としては別に必要性なんか、何も感じないけれどぉ?」

 幾分かの余裕を取り戻した水銀燈が、バサリと癒えた翼をはためかせた。周囲に滞空し続けていた黒羽が、さらに濃密になる。

 身構える水銀燈。今度は虚勢ではない。

 幾分とは言え回復した以上、大人しく相手に合わせる必要はなく、また、回復してもらったと感謝する謂れもないのである。
419 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/12/19(日) 23:55:08.31 ID:fZ7VQz2o
「無駄よ?」

 しかし、それに相対するセーラー服は事も無げに言った。

「この間合いで貴女が私に攻撃しようとしても、」チラリ、と今しがた閉まったドアを見て、「私がこのドアから出る方が早いもの」

「あっきれたぁ……ドアなんかで、本気で防げるとでも思ってるのぉ?」

 確かに黒羽では、分厚いドアは貫けないかもしれない。だが剣でも、炎でも、ドア程度どうにでもなる。

 そもそも、ドアから出たところで逃がすつもりはないのだから、同じことだ。

「ドアだけじゃ無理かもしれないけど、ね」

 渦巻く黒羽を見てもしかし、セーラー服の口調は淀みない。

「結界って、知ってるかしら? まぁ貴女たち風に言うなら、nのフィールド、ってやつなんだけど」

「……」

 結界。これもまた、聞き覚えがあった。

(確か…) 

 こちらも、真紅の契約者が言った単語だ。
420 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/12/19(日) 23:57:55.42 ID:fZ7VQz2o
「私の結界はnのフィールドを『こっち側』に引っ張り出すだけのもの。建物とか部屋とか、そういう区切られた場所の中にしか作れないけど、でもだからこそ、その空間は厳密に定義されるわ」

 クスリ、と笑うセーラー服。

「そこに踏み入ったら者は、私の許可なく抜け出ることはできないのよ」

 結界を張れば、水銀燈をこの部屋に閉じ込めてしまうことができる、ということだ。

 ただ、セーラー服の説明は、厳密には正確ではない。

 一口に結界と言っても種類は様々である。

 特に魔術師は己の特性に照らした魔術に偏る傾向が強く、『人形』に特化したセーラー服は結界への適性があるとは言えない。

 だから彼女はnのフィールドを基盤として、さらに展開する場所や閉じ込める人間を条件により選定することで結界術を成立させていた。

 nのフィールドは『誰かの精神の世界』という領域である。精神に直接干渉できるということは、『偶像の理論』で共振させた本人と人形との結びつきを強固にすることが可能なのだ。

 今までセーラー服が能力者たちを襲ったときは『建物及びその敷地内』『強能力以上の電撃使い』『展開制限時間』などの条件をつけている。

 しかし逆に言えば、そこまで間口を広げなければセーラー服は結界を張ることができない、ということである。特定の人間を選別すると言う点において、致命的とも言える欠点であった。また、この結界抜きでは、セーラー服の切り札である『人形破壊』は使えない。

 体育館や深夜の寮など、人が少ない場所を選定しているのもそのためだ。条件に適合さえすれば、標的以外の者まで侵入を許してしまう。部外者の介入は秘密を知られるということ以上に、『人形破壊』の対象外の存在が相手になるということだ。

 セーラー服にして、最大の強みである結界は、その実、弱みのひとつでもあった。

「……」

 しかし、水銀燈がそんな事情など知るはずもない。

 水銀燈は思い起こす。

 真紅とその契約者と対峙したとき、彼らは一度離脱したはずなのに、どういうわけか廊下の端でこちらを待っていた。

 あの時は怒りで冷静さを欠いていたために気にもしなかったが、戦うにしてもあんな細い廊下はむしろ契約者には不利であり、逃げるのならばエレベーターとか言う機械に乗っていたに違いない。少なくとも、それだけの時間はあったはずだ。

 結界と言う言葉を聞いたのは、その直後のことだ。

「……」

 セーラー服は『御父様』に似た力―――魔術を持っている。それは今まさに、傷を癒されたことで実感したところだ。それに超能力の方もまた、決して侮っていいものではない。

 ただのハッタリとは思わないほうが良さそうだった
421 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/12/19(日) 23:59:08.04 ID:fZ7VQz2o
「話を続けるわね」

 沈黙を承諾と受け取ったセーラー服が、わざとらしくニッコリと笑顔を浮かべた。

 実はね、と前置きをしてから、

「翠星石の居所がわかったのよ」

「……翠星石?」

 まったく想像していなかった話題に、水銀燈が眉を顰めた。

「そう。元々は私のところに翠星石もいたのだけれど、どうも私のやってることが気に入らなかったらしくて、逃げてしまっていたのよ」

 セーラー服が、ひょい、と肩を竦め、苦笑を浮かべた。

「でも別に契約もしてなかったし、私の目的には蒼星石だけで十分だったから捨て置いたのだけれど……ついさっき、ちょっと貴女にも関係のありそうなところにいるのがわかって」

 含みある視線が水銀燈に向けられる。

「……」

 水銀燈は無言で話を促した。

「真紅のところ、よ」と、セーラー服が言った。

「……」

 ほんの僅か、水銀燈の目が細まる。
422 :以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします2010/12/19(日) 23:59:55.97 ID:fZ7VQz2o
「はっきり言って、私はアリスゲームに興味はないわ。でも薔薇乙女は同時期に目覚めることが多いって話を考えたら、真紅と契約した人がいるということ。もしかしたら翠星石とも契約を結ぶかもしれない。…そうなると、私の目的の邪魔になる可能性があるのよね」

 翠星石がいれば記憶が戻る可能性がある。

 記憶を刈り取った蒼星石自身がそう言っている以上、それは可能性レベルの話では終わらない。

 さらに翠星石はこちらの計画を知っているのである。

 邪魔だ。

「…どう? これは貴女にとっても有益な話じゃないかしら?」

 翠星石の排除に協力すれば、同時に真紅を倒すことにも繋がる。結果、蒼星石のものともあわせて、一気に三つのローザミスティカを得ることができるだろう。

 仮に蒼星石が抵抗しようとも、力で押し切ればいい。少なくともローザミスティカを得ることができれば、こちらの勝利条件は満たされる。

「ふ、ん…」

 正直、そう悪い取引ではない。

 真紅とその契約者へ借りを返すために、手がほしかったところであるし、三つのローザミスティカを得られれば、あの『超電磁砲』もなんとかできるかもしれない。

 そこでセーラー服が敵に回ろうと(おそらく回るだろうが)その時はその時だ。

 唯一気に入らないところは、セーラー服の意向に沿う形になるところだったが、アリスに孵化するために利用できるモノはすべて利用するべきだろう。

「……いいわぁ、その誘い、受けてあげる」と、水銀燈は言った。

「決まりね」

 セーラー服が、パン、と手を叩く。

「じゃあ早速はじめましょう。今はまだ契約していないようだけど、時間をかければわかったものではないわ」

 そう言って、くるりと背を向けた。まるっきり無用心な態度で、水銀燈が攻撃してくる可能性をまったく考慮していないようである。

 あるいは、

(攻撃されてもなんとかする自信がある、ということね)

 どちらにしても、いまここで取引を反故にするつもりはない。いま、ここでは。

 水銀燈は翼を一振り。周囲に滞空していた黒羽が、逆戻しのように翼に戻っていった。
423 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/12/20(月) 00:00:46.18 ID:Rs5RHhoo
「でも」

 部屋の出口―――セーラー服がドアを開けかけている―――に向けて歩きながら、水銀燈は口を開いた。

「貴女もよっぽど悪趣味よねぇ。昨日どころか、あの時から私のことを覗いていただなんて。淑女の風上にも置けないわぁ」

 共闘するのは、やぶさかではない。だが、セーラー服のその余裕は、感に障る。

 だから水銀燈は皮肉の言葉をセーラー服に投げかけた。舌打ちでもしてくれれば、多少の溜飲も下がるだろう。

 しかし―――

「あのとき?」

 と、セーラー服は首をかしげた。キョトンとした顔で水銀燈に目を向ける。

「とぼけないで頂戴。昨日の話よ。貴女さっき、私に関係ありそうなところって言ってたじゃない」

「言ったけれど…昨日って、なんの話かしら? 真紅とか言う薔薇乙女とは特に仲が悪いって、蒼星石に聞いたのだけど……」

「……」

 セーラー服の表情は、本当に何を言っているのかわからない、と言っていた。嘘をついているようには見えず、また、ここでそんな嘘をついても仕方がない。

 どういうことだ、と思わないこともないが、

「……まぁいいわぁ」

 ―――水銀燈にとってはどうでもいいことでもある。わざわざ聞くのも面倒だった。

「?」

 訝しげな顔のセーラー服。

「変な人形ね、貴女」とセーラー服が言う。

「心外な言葉ねぇ」と、水銀燈。

「貴女よりは、よっぽどマシよ」
424 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/12/20(月) 00:02:35.16 ID:Rs5RHhoo



 上条との遭遇が美琴にとって完全に予想外となったのは、昨夜の一戦が原因だった。

 戦闘自体は5分もかからず終了している。そして勝敗を論ずるならば、戦術的には美琴の勝利だろう。

 単純な攻撃力のみを見るならば『超電磁砲』を上回るのは、せいぜい『原子崩し』くらいである。

 水銀燈は光球を、羽根を、剣を、そして奥の手らしき炎を扱ったが、その程度では美琴に傷を負わせることは不可能だ。

 己への攻撃はすべて灼きつくし、お返しに放った電撃を敵は受けきれなかった。

 劣勢を悟った水銀燈が身を翻し、憎々しげな視線を残して飛び去るまで、戦闘開始から約2分。あとは美琴が水銀燈を見失うまでの時間だった。

 自由自在に空を飛ぶ能力がない美琴は、脚で追うしかない。

 結局逃げられてしまったものの、空翔ける相手に3分も追い縋ったのは流石超能力者というところだが、そんな圧倒的な勝利を納めても、美琴の胸のうちに浮かんだのは不覚の二文字だけだった。

 水銀燈は複数の種類の異なる攻撃方法を持っていた。そして電磁波を感知できる美琴には、あれが間違いなく実体であったと確信できる。

  『心理掌握』クラスならば話は別だが、それ以下の―――例えレベル4であっても―――精神感応系能力では、美琴の『自分だけの現実』を突破することはでき ない。逆に言えば、美琴に幻覚を見せることができるならばそれだけでレベル5認定されてもおかしくはなく、また、それほどの使い手が、わざわざ敗北するよ うな幻覚を見せる意味もない。

 変身か、人形操作か。飛翔か、空間移動か、光球か、炎か。

 いずれにしても、単一の能力では不可能な芸当だ。

 だとすれば。

 結論として浮かび上がったのは、彼女がこの春先に遭遇した事件だった。



 幻想猛獣。



 あの時の物とは明らかにレベルの違う規模・精度の発現であるように思えた。美琴の立場から言えば、逃げられてしまった、で片付けるわけにはいかない。

 ハッキングによる情報収集。能力を使った探索。それらをすべて考慮に入れた推理。

 頭脳をフル回転させていた結果、美琴はいま自分がどこを歩いているのか、誰が進行方向にいるのかまで、気がつかなかったのである。
425 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/12/20(月) 00:03:34.38 ID:Rs5RHhoo
 さて、とは言っても上条にそんな苦労がわかるわけもない。

 彼は素のままの表情で、

「こんなところにっつっても……俺の住んでる寮、この近くだしさ」

 と、言った。

 美琴の言い方に気を悪くした風もない。彼女が噛み付いてくることなど、いつものことである。

「え、あ、そうなんだ」

「ああ」

「ふ、ふーん」

 対する美琴は、無意味に勢いよく両腕を胸の前で組んだ。殊更気のないような返事が却って不自然だが、彼女はそれに気がついていなかった。

 上条の方も上条の方で、その不自然さに気がついても、その意味まではよくわかっていないようだ。

 不思議そうに小さく首を傾げてから、美琴に身体ごと向き直る。

「で?」と、上条が言った。

「……なによ?」

「いや、御坂さんこそ、なんでこんなところにいるんでしょーか、と」

 問う上条の顔は、ただ単に疑問を口にしているだけ、という程度のもの。何かを勘繰る様子もなく、ただの世間話だ。

 だからこそ美琴は、

「う……」

 と、言葉につまった。

 彼の声に少しでも険が含まれていたならば、それを理由に喧嘩を吹っかけるのも簡単だったに違いない。そうなればいつものように上条は逃げ去ってくれるだろう。

 だがこうまで普通であると、逆に突っ掛かる方が難しかった。

 美琴はいま、やっかいごとに首を突っ込んでいる最中である。あまり妙な態度を取れば、不審に思われてしまうかもしれなかった。

 彼は以前、白井にも隠していた『妹達』の一件を自ら探し当てている。感づかれれば、美琴がいくら否定しても勝手に首を突っ込んでくるだろう。彼を巻き込むわけにはいかない。

 あるいは、彼の協力を仰ぐのもひとつの良作なのかもしれないが―――美琴は、どうしてかそれが嫌だった。

 上条当麻は右手ひとつで一方通行を撃破したような人間である。加えて、超が7つつくほどのお人好しだ。事情を話せば、必ず力になってくれるに違いない。
426 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/12/20(月) 00:04:25.76 ID:Rs5RHhoo
「……」

 違いないが、

(……)

 だがそれでも、美琴は彼に頼みたくなかった。

 自分でも、その感情の出所が何なのかよくわからない。

 すでに返せないほどの恩を受けているからか。あるいは、自分が関係している事件を自分で解決できないのが、矜持に反するのか。

 妙にモヤモヤとした感覚が胸のうちに溜まり、約一秒。

(ああもうっ、めんどくさい! 私はコイツにこれ以上借りを作りたくないだけ! そうよ! そうに決まってる!)

 美琴はモヤモヤを振り払うように内心で首を振る。それから、キッ、と音が出そうな勢いで上条を見た。

「わ、私がどこで何してようがどうだっていいでしょーが! アンタには関係ないでしょ!?」

 胸の中で渦巻く正体不明の感情と照れにより、口調が必要以上に刺々しくなるが、構っていられない。

 それに、これで上条が気を悪くして立ち去ってくれると言うのならそっちの方が都合がいいのである。

(そうよ、都合が、いいんだから…)

 背を向ける上条を想像して、どうしてか胸の奥が痛んだが、なんとか表情には出さなかった。

 しかし、

「いや、そう言われたらそうだけどよ」

 彼は少女の言葉に気を悪くした風もなく、立ち去るという仕草もない。

 美琴は気づいていないかもしれないが、彼と彼女は基本的にこんな風に会話することが多い。気を悪くするも何も、上条にすればいつもの会話である。

 加えて彼は今日、ここで姫神と待ち合わせだ。立ち去るという選択肢は残念ながら存在しない。

 ガリガリと、いわゆる「どうしたものか」みたいな表情で頭を掻く上条が、ふと、美琴の顔を見て、あれ、と言った。

「どうしたんだよお前。妙に顔が紅いし汗もかいてるみたいだけど…」

「っ!」

 慌てて額をぬぐい、襟元を見る美琴。

 上条の言うとおり、ぬぐった手の甲は濡れ、制服にも多少、汗のシミができていた。
427 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/12/20(月) 00:06:24.67 ID:Rs5RHhoo
(ヤバッ、さっきまで走り回ってたから…!)

 いくら能力を用いて身体機能を増強・調整しても、美琴も人間である。走れば息は切れるし、汗もかく。

 呼吸の方は収まっているが、汗はなかなかそうは引かないものである。

 まだ夏の余韻が残っているとはいえ、いくらなんでもこの発汗量はおかしかった。下手をすれば、勘ぐられてしまう可能性もあった。

「大丈夫なのかよ。熱でもあるんじゃねぇか?」

 どうにかしてごまかす方法を考えるより前に、上条が心配そうな顔をしてこちらに向かって歩き出していた。

 僅かに持ち上がりかけた右手は、額にあてて熱でも測ろうというところか。

 だが忘れてはならない。

「っ!」

 いくら超能力者で学園都市第三位といっても、美琴は中学生で、女の子であるのだ。

 美琴の顔が、さっ、と運動や怒りとは別の要因で赤くなる。

 続いて彼女の前髪から一瞬、パリッ、と音がしたかと思うと、

「く、来るな近寄るなこの馬鹿!」

「うおおおおなんでっ!? 不幸だあああっ!」

 空気を引き裂く音と、上条の驚きの声が、朝の街に響き渡った。
428 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/12/20(月) 00:07:25.77 ID:Rs5RHhoo



 まだ人通りの少ない午前中の道を、姫神は難しい顔をして歩いていた。

 上条との待ち合わせ場所に急ぐ道中。

 晩夏というよりも初秋に相応しそうな長袖ブラウスにノースリーブワンピース姿の彼女の歩調は、普段よりもやや遅い。

 女子寮からバス停まではそう遠くない。また、道も複雑ではない。

 自然、考え事をするだけの余裕が生まれる。



『無念。ローゼンの最高傑作である薔薇はもう昇華されていた。別の手を考えなければならない』



「……」

 姫神の頭の中に、いつぞや聞いた言葉が、そして昨日思い出した言葉がリフレインする。

 昨夜―――公園での上条との会話の後、結局、薔薇乙女への疑念を彼に告げることはできなかった。

 上条は本人が意識しているかどうかはともかく、信頼と言うものを支えの一つとしている。それにわざわざ亀裂を入れることが、果たして正しいことなのか姫神には判断できなかったせいである。

 あるいは、このことを話しても、上条はあの紅い薔薇乙女に疑念を抱くことはないかもしれない。

 しかし上条は自分も信じてくれている、と思う。

 その自分が真紅を、薔薇乙女を疑っているとわかれば、彼はどうするだろうか。

 無用な疑念を抱かせることは、彼を危険な状況に陥れる可能性すらあるのだ。

 危険だ、と思う。

 だがそれでも、彼の信じるものを否定したくはないとも思う。

 板挟みという状況下において、不安の根拠が、結果的に敵対した人間の言葉のみというのは、あまりにも弱い。
429 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/12/20(月) 00:08:27.11 ID:Rs5RHhoo
「……」

 結局のところ、姫神には、薔薇乙女への疑念を確信するだけの材料がなかった。

 それどころか真紅は自分の恩人である小萌の危険に駆け付けるなど、むしろ恩を感じてしかるべき態度をとっている。この段階で彼女を否定する要素は、客観的には皆無と言えるだろう。

 そう考えれば、昨夜、上条にこのことを言わなかったのは正解だったのかもしれなかった。

 そう、昨夜の、公園では。

「……。」

 そんな風に己の疑念を納得させた姫神の頬が、不意に、かぁ、と紅く染まった。

 自覚できるレベルの熱さに、思わず両手で頬を触る。

 三沢塾の一件から約二ヶ月。あれだけ積極的な会話を上条と交わしたのは、実は初めてかもしれなかった。

 あの後、謝り倒してくる上条に冗談である旨を告げ、「代わりと言っては。なんだけど」と、小萌のお見舞いという約束を取り付けた。それからすぐ、門限が迫っているという理由で別れたのだが、そのとんとん拍子に進む状況に、上条は対応しきれなかったのだろう。

 どこかぼんやりした表情でこちらの言うことに頷いていた様子だったが、実を言えば、姫神自身の方が限界だったのだ。

 自分があんな風に彼の手を取っていたことが急激に恥ずかしくなって、それを気取られないことにいっぱいいっぱいだったのである。

 そんな状態で、薔薇乙女の話など、まともにできるわけがない。

「……。」

 それに、まぁ、その、所謂よい雰囲気だったあの時間に、あまりトラブルの元となる話をしたくないと言うかなんというか。

 結局、あんな場面において、自分以外の女性の話をしたくなかったのだ。

 いくら落ち着いた雰囲気を持っていようとも、そこは年頃の少女。それも想い人とふたりきりであれば、そういう心理が働くのは無理のないことであろう。
430 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/12/20(月) 00:09:43.49 ID:Rs5RHhoo
(って。私。何考えて…。)

 当初は割と真剣なことを考えていたはずなのだが、いつの間にかまったく違う方向に思考がいっていた。

「……。」

 頬から手が離れ、胸の前に。

 そして左手で右手を包むようにしながら、姫神は深呼吸した。

 待ち合わせ場所のバス停が近い。こんな赤い顔をしていけば、妙に思われてしまう。彼のことだからその原因がなんなのか、絶対にわからないに違いないが―――それでも恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。

「……。」

 前を見る。

 広い交差点の、十字路。

 バス停のある通りは、そこを右に曲がった先である。

 そして、まだトクトクと早い鼓動を意識しながら十字路を曲がった姫神を出迎えたのは、



「く、来るな近寄るなこの馬鹿!」

「うおおおあなんでっ!? 不幸だあああっ!」



「……。」

 鋭い閃光と、空気を切り裂く激音、そしてどこかで見たことのある少女の怒声と、ツンツン頭の少年の嘆きの声であった。
431上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/12/20(月) 00:11:07.78 ID:Rs5RHhoo



「貴女が。超電磁砲」

 美琴が真っ赤になりつつ前髪から電撃を放ち、上条が涙しながらすべてを右手で受け止めること、数分。

 美琴がぜーぜーと肩で息をし始めたところで上条が姫神の姿に気がつき、攻防は幕を閉じた。

 流石に美琴といえども、初対面の相手の前で大騒ぎしようとは思わないようで、上条の「自己紹介! 自己紹介しようそうしようそれが良好な人間関係の第一歩だと思うんですよ上条さんは!」という言葉に、比較的素直に従ってくれた。

「姫神秋沙。彼の。同級生」

「常盤台の御坂美琴、です。こいつの、えーと、知り合い?」

 そんなやり取りの後、姫神が発したのが、件の台詞であった。

 姫神には、その名前にも、そして少女自身にも覚えがあった。

 先に知ったのは名前の方である。

 いまでこそ能力を封じているせいで上条と同じく高校に通っているが、夏休み前まで彼女は霧ヶ丘女学院にいたのである。

 特殊能力を優先して集めるその学園においては当然、超能力者は意識される存在だ。その中でも第三位である御坂美琴は、もっとも名前の知れた超能力者と言えた。

 他の超能力者の名前を知らなくても、彼女のことは知っている。それくらい、常盤台の御坂美琴―――『超電磁砲』は有名なのである。

 そして姿の方はと言えば、一月と少し前に見たことがあった。

 以前、上条の寮の廊下でインデックスとスフィンクスのノミ取りをしていた時に出会っている。

 あの時とはやや雰囲気が異なるが、どうみても彼女である。

 どうも『超電磁砲』の方は姫神のことを覚えていないようだが、まぁ無理もない。あの時の邂逅は数分程度であったし、話題はスフィンクスのことが主であった。加えてお互いに名乗りもしなかったのだから。

 だから姫神もわざわざそのことを持ち出すつもりもなかった。ほとんど初対面なら、初対面のままでいるほうがややこしくならないだろう。

「……。」

 姫神としてはそれよりも、上条が『超電磁砲』と知り合いだった方が気になっていた。それも、怒声とともに電撃を飛ばしてくるような間柄だったとは。

 コミュニケーションの方法としてそれはどうなん、と思わないでもないが、それでも親しげにしているのにかわりはない。

 すっ、と上条に視線を向ける姫神。

 どういう関係なんだろう。

 そんなことを思った。
432上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/12/20(月) 00:12:37.78 ID:Rs5RHhoo
 一方、

「な、なによアンタ」

 と、美琴は上条を見る。

 おもいっきり動揺した素振りで姫神にちらりと視線を当ててから、

「こ、これから、デデデ、デートってやちゅっ? い、いい身分じゃにゃいっ」

 と、言った。

 噛み噛みである。

「……。」

 デート。

 その単語に、姫神の胸が少しだけ脚を早めた。

 そうだ。

 そう言われて見れば、この状況は、その、デートと呼ばれる状況に限りなく近い。

 休みの午前中に待ち合わせ。そして上条の服装はいつもどおりラフなものだが(これは期待してない)自分は出かける以上、それなりの恰好である。

 用件としては見舞いであるが、それでも一緒にお出かけなのは間違いない。それに見舞いとは長居するものではなく、午後までには終わるだろう。

 上条の予定はわからないが、すくなくとも自分には何もない。

「…………」

 つい、先ほどとは全く雰囲気の異なる、期待のこもった視線を上条に向けてしまう姫神。

「っ」

 一方、姫神の表情を視界の端で捉らえた美琴は、なんとも言えない焦燥感が沸き上がってくるのを感じた。

 胸の中でいまだ燻っていたモヤモヤが再びざわめき始め、上条に対する視線がきつくなる。

 なんでこんな気持ちになるのかは考えない。とりあえず腹が立ったのだ。

 しかし、そんな相反する視線を受けた上条は、

「はぁ? そんなわけないだろ?」

 と、言った
433 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/12/20(月) 00:13:49.95 ID:Rs5RHhoo
「……。……。」

「え、そ、そうなの?」

「当たり前だろ? そんな姫神が俺なんかとデートするわけないって」

 苦笑とともにパタパタと手を振る。

 照れているとかごまかそうとしている様子完全に0の、ナチュラルな仕草であった。

「じゃ、じゃあなんでこんなところで待ち合わせなんかしてんのよ。まるで今から何処かに出かけるみたいじゃない」

 少なくともそっちの娘の方は。

 思わず漏れかけた言葉は、咄嗟に飲み込んだ。

 しかしなお、上条の表情に変化はない。

「そりゃこれから小萌先生―――オレたちの担任の先生なんだけど、その見舞いに行くところだからさ」

「お見舞い?」

 ちょっと想定にない言葉。美琴が鸚鵡返しに問い返した。

「ああ。昨日、ちょっと」上条は言葉を切り、一瞬だけ考え、「……さ、酒の飲み過ぎで救急車で運ばれちまって」

 お酒!? 救急車!? 教師が!?

 そんな驚きの表情を浮かべる美琴。

 小萌先生ごめんなさい貴女は学園都市第三位の人に不名誉っぽく知られてしまいました、などと思いながらも上条は言葉を続ける。

「姫神はちょっと前までその先生のところに住んでたから着替えとか場所がわかるし。オレもインデ…じゃない、補習とかでよく世話になってるからお見舞いしとこうと思ってさ」

 途中ぽろっと危ない単語が漏れかけたが、なんとか言い切った。
434 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/12/20(月) 00:15:01.95 ID:Rs5RHhoo
「ふ、ふーん」

 やけに上擦った声で頷きながら、美琴は解いていた腕を組み直した。

「アンタにもそういう殊勝なところ、あるのね」

「な、なにを言うのでせうか! 上条さんはこう見えて義理人情は大事にする常識人なのですよ!?」

 愕然とする上条に、私とまともにやり合える無能力者のどこが常識的なのよ、と呟く美琴。

 ともあれ、嘘はついていないようだ。なぜかほっとしてしまう。

 女性と言うところが若干ひっかかるが、お見舞いならば確かに同級生と行くことも頷けた。それに上条の服装にもまるっきり洒落っ気がない。いわゆる、デートという線はないと見ていいだろう。

(まぁ、そうよね。この馬鹿にそんな甲斐性、あるわけないか)

 そう思うと、モヤモヤとしたものはある程度鎮静化してきた。

 まったく消えたわけではないが、少なくとも浮足だった状態は脱したと言える。これならこちらの厄介ごとを気取られることもないだろう。

 幾分落ち着きを取り戻した美琴は、今朝から翠星石に嫌われたりなんなりで程よくダメージを受けている上条を無視して、彼の背後に立っている姫神に目を向けた。

 上条の向こうに立つ人物は、改めて見ると、

(う、美人…)

 背丈はやや低めだが、すっ、と通る顔立ちは、いかにも清楚、という感じである。

 美琴とは対照的に長い黒髪は手入れが行き届き、しっとりとしなやかに艶めいていた。服装は洋風だが、なんというか、大和撫子、という感じだ。奥ゆかしそうである。

(こいつ、これからこんな美人と二人きりなのよね……)

「……」

 またモヤモヤとしてきた。

 とはいえ、流石にお見舞いに割り込んでみたり、邪魔をすることなどできない。

 しかしこのモヤモヤとした感覚―――もうほとんどイライラと言ってもいい―――は、如何ともし難かった。
435 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/12/20(月) 00:16:31.45 ID:Rs5RHhoo
(えぇー、あれー、なんでまたビリビリしてるんですかこの人ー)

 せっかく持ち直したはずの美琴の機嫌が再び悪くなりはじめた(何しろビリビリしてる)のを見て、上条の頬を汗が流れた。このままでは再び電撃と右手の応酬になるかもしれない。

 上条がそんなことを考え、内心ヒヤヒヤとしていると、

「上条くん。」

 と、シャツの裾を引っ張られる感触。

「ん、な、なんだよ姫神?」

 振り向いた視界の端っこで美琴の前髪が、パリッ、と青白く光るのが見えて、上条は軽く泣きそうになった。

「バス。来てる」

 それはそれとして、ほぼ真後ろ直近にいる姫神は、上条を見上げながらバス停の方向を指差していた。

 細い人差し指が向いた先で、停留所にバスが行儀よく横付けしている。もう降りるべき客も降りたようで、停留所から立ち去っていく幾人かが見えた。

 この区画は自立運行のバスではなく運転手がいるタイプのもので、さらに運転手がバスを指差す姫神に気がついているらしい。すぐに発車するような雰囲気ではない。

 これ幸い。まさに行幸。マニュアル万歳。運転手さんありがとう。

 上条は音速で美琴に振り向くと、

「じゃ、じゃあ御坂! 悪いけど俺たち、あのバスに乗るからさ! お前も風邪とか気をつけろよ!」

 シュバ、と左手を上げ、ついでに右手で姫神の左手を掴んで「っ。」身を翻した。

「あっ、こらっ、ちょっと!」

 背後から若干非難めいた美琴の声が聞こえるが、とりあえず聞こえないふりをする。ここで振り向いたら多分また言い争いになり、バスに乗り遅れてしまう。

 一気にバスに駆け込み運転手に左手を上げると 運転手の方も上条たちが乗るのを待っていたくらいなので、すぐに、プシュ、とドアが閉まった。

 ブロロロ、とわざわざ設定されている発進音を響かせながら、バスが走り出す。

「はー、やれやれ……」

 緩やかな慣性を感じながら、上条は一息。

 背後からビリビリとやられるかとも思ったが、なんとか無事だった。珍しく運がいい。

 もっとも、

「なんで朝からこんなに疲れるんだ……」

 この時点ですでに不幸である、というのかもしれなかったが。
436 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/12/20(月) 00:18:25.17 ID:Rs5RHhoo
「……あ、あの、」

 嘆息する上条に、後ろから、声。

「?」

 振り向き、視線を下げれば、長い黒髪を僅かに乱した姫神がこちらを見上げていた。

 顔が、赤い。

「その……手」

 そんな長い距離走ってないはずなのに、等と思いかけた上条であったが、彼女の言葉を聞いてようやく得心した。

 バスに乗り込もうとして、思わず手を引っ張ったのだった。

「あ、ごめん姫神。痛くなかったか?」

 ぱっ、と手を離す上条。昨夜のことを思い出すとか、気恥ずかしさがあるとか、そういった感覚はどうもないようで、未練も照れもないのが彼らしい。

「う、うん、大丈夫」

 一方の姫神は、離された左手をバス停までの道中のように、右手で包み込み、俯いた。彼女としては、彼から手を握られた事実の方が大きい。無神経さはもう織り込み済みなのだ。

「?」

 いきなり俯いてしまった姫神に上条は首を傾げるが、彼にはそれよりも気になることがあった。

 ガラスドアの向こうに目を向ける上条。

 姫神越しに見える外では、美琴が目を逆三角形にしながら前髪に電気を纏わりつかせているのが見えた。
437 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/12/20(月) 00:19:37.66 ID:Rs5RHhoo
「……」

 ヒクヒク、と上条の口元が引きつる。

 まさか超電磁砲を撃たないだろうか、と本気で胃の痛い上条は、いざとなったらガラスドア突き破ってでも打ち消さないと、悲壮な決意を固めた。

 右手も痛そうだが、懐にも痛そうな決意である。だがさすがにバス相手に喧嘩を売るつもりはないのか―――喧嘩になったらおそらく美琴が勝つだろうが―――そら恐ろしいほどの視線を投げかけてくるだけで、それ以上のアクションはない。

 やがてバスが加速し、彼女の前を通り過ぎ―――

「!」

 そこで、上条は目を見開いた。

 すぐさま両手をドアに突き、顔をくっつけるようにしながら、目をこらして美琴の方を見る。

 だが、加速度的にスピードが上がっていくバスは、上条が見ようとしたものをすぐに景色の一部として押し流してしまった。

「……」

「……上条くん?」

 ほんの一歩傍で、姫神が不思議そうに上条を見た。

 彼は反応しない。

「……」

 彼は、そんな彼女の視線にも気がつかないまま、眉をひそめ、『いま見えたもの』について考えていた。

 美琴は気がついていなかったに違いない。

 そして、このタイミングで落ちてしまったのも偶然なのだろう。

 しかし彼は気がついた。

 美琴の着る、制服の襟。



 彼女とバスがすれ違う拍子にこぼれ落ちた―――いままでそこにひっかかっていたのであろう―――1枚の羽根。



「…………」

 見覚えのある、黒い羽根だった。
 

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