- 438 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/12/20(月) 00:21:02.61 ID:Rs5RHhoo
- ○
上条が外出してから約30分後。
上条の寮室は、普段香らない焼きたての甘い匂いに満ちていた。
「なんでこんなに料理道具が少ないですか! お菓子つくるのも一苦労ですよ!」
呆れ半分の口調で言いながら、翠星石はテーブルの上に、焼きたての菓子が乗った大皿を置いた。
湯気とともに芳香を室内に広げるその菓子は、クッキーのようであって、そうではない。
冷蔵庫や戸棚を漁ってなんとか発見した砂糖や小麦粉などの食材をこね回し、炊飯器で無理やりでっちあげた『クッキーのような固形物』である。上条家のキッチン設備では、残念ながらきちんとした物を作ることは叶わなかったのだ。
とはいえまぁ、
「いただきまむもぐむぐっ」
花より団子なインデックスには、その辺りはあまり興味がないようらしい。
怒涛の勢いで菓子が次々に口の中に消えていく。ぽろぽろと落ちる破片は、膝の上のスフィンクスが舐めとっていた。
大皿に山盛りになるほどの量だったが、このままではもう一分もすればすべて平らげられそうである。
驚いたのは翠星石だ。
3人でも多いかもしれない、などと考えてしまうほどの量を作ったつもりだったが、皿を置く→テーブルに着くという動作のうちに、もう3分の1が―――そろそろ5分の2が―――なくなったのだから。
「ちょ、そんながっつくもんじゃねーです! 少しは落ち着きやがれです!」
大慌てでインデックスを窘めるが、その程度で止まるようであれば上条の財布はもう少し重く、この部屋の料理道具ももう少し充実していただろう。
「だから言ったでしょう? それぞれのお皿に分けたほうがいいわよ、って」
もうはじめから諦めていたらしく、真紅は菓子に手を伸ばす様子も見せなかった。
インデックスの大食いと早食いは小萌のアパートで目にしている。ついでにお見舞いとお菓子を天秤にかけて後者を選ぶところを考えても、こうなることは予測の範囲内である。
「納得したです……」
テーブル上のホーリエが「諦めろ」とでも言うようにチカチカと瞬くのを見ながら、翠星石は真紅の向かいに腰を下ろした。 - 439 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/12/20(月) 00:22:00.38 ID:Rs5RHhoo
- 「……」
真紅は、紅茶に満たされたカップを手に取る翠星石を見ながら、すっ、と息を吸い込んだ。
菓子に夢中なインデックスは元より、感受性が強く、周囲に敏感な翠星石にも気がつかれないほどの、小さな、しかし確実に存在する己の緊張を隠すための一息。
その呼気をゆっくりと吐き出す真紅。それから、手にしたカップを、ソーサーに置いた。
「ところで、」
口を開く真紅。
その拍子に、
「おかわりなんだよ!」
ラーメンのスープでも飲むようにして破片まで吸い込んだインデックスが、大皿をテーブルに置きながら物凄く真剣な表情で言った。
「……」
「……」
いきなり話の腰を折られた真紅と、作ったお菓子を瞬殺された翠星石は揃って沈黙。
きっかり三秒、真紅はインデックスのキラキラと光る期待の表情を見つめてから、翠星石に目を向けた。
「だ、台所の炊飯器の中で焼いてるところですぅ」
ガタッ! とインデックスが立ち上がる。
「あ、こら、まだ焼けてないですよ!?」
「待ってるだけなんだよ!」
言葉とは裏腹に、すぐにでも炊飯器を開けそうな勢いでインデックスはキッチンに消えていく。ドタドタと足音の後、ガタン、と椅子が揺れる音がした。座って待つつもりのようだ。
「……まるで犬のようですぅ」
今度こそ呆れた声で呟きつつ、インデックスの背中を見送る翠星石。
陶器のように美麗な頬を、たらりと汗が流れていった。 - 440 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/12/20(月) 00:23:49.09 ID:Rs5RHhoo
- 「……」
真紅はそんな翠の姉の横顔を眺め、はー、とため息をついた。
ゆっくりとカップを手に取り、僅かに残った紅茶を一口。しかしすぐにカップを置き、仕切りなおしとばかりに、改めて翠星石に顔を向けた。
「…ところで、翠星石」
「? なんですか?」
「っ……」
振り向いた翠星石の、何の含むところがないオッドアイを向けられ、真紅は沈黙する。
「……」
「……」
「……どうかしたですか?」
どちらかと言うと真紅らしくない仕草―――何かを言い淀むような仕草に、翠星石が首を傾げた。
真紅は小さく首を振る。そして、
「…少し気になっていたのだけど、貴女、私に助けを求めに来たのではなくて?」
と、言った。
「っ!」
見て取れるほど明確に、翠星石の表情が強張った。
それを見た真紅が、僅かに目を細める。
真紅は頭の中で組み立てていた台詞を、なぞるように言葉にし続ける。
「それに、元々人見知りだったけど……貴女、そこまで人間が嫌いだったかしら?」
「……」
「……」
「それと、あの子はどうしたの? 貴女の、双子の妹は」
言い切った。
同時に、沈黙が室内を支配する。 - 441 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/12/20(月) 00:25:26.89 ID:Rs5RHhoo
- 「……」
「……」
聞こえてくるのは、僅かに入り込む外からの音と、キッチンから微かに響いてくるインデックスの鼻歌だけ。
ややあってから、翠星石の肩が小刻みに震え始めた。
「っ…っ…」
ポロリ、ポロリ、と翠星石のオッドアイから、水の珠がこぼれ落ちた。
一度決壊した堰は、止まってくれない。
翠のドレスの膝に、次々と染みができていく。
「人間なんて…だいっきらい、ですぅ」
呟かれた言葉は、声こそインデックスに配慮してか小さかったものの、はっきりとしたものだった。
そしてそれは、
「……」
真紅にとって、予測していた台詞でも、あった。 - 442 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/12/20(月) 00:26:08.47 ID:Rs5RHhoo
- ○
翠星石は涙声で言葉を紡ぐ。
「……けて下さいです。妹は、蒼星石は、人質に取られたんですぅ…!」
対する真紅は、震えを抑えているような声で返答する。
「……それは、聞き捨て、ならないわね」
「助けてなんです真紅……」
「そうは言っても、翠星石……こうして貴女が動いていると言うことは、誰かの手で、ゼンマイを巻かれた、ということ。……貴女、指輪はどうしたの?」
「う……」
翠星石は、ゆっくりとその右手をテーブルの上に差し出し、開く。
「……」
真紅が目を細めた。
思ったとおり、だ。
そこにあるのは、薔薇を模した、翠色の指輪がひとつ。
「翠星石の指輪は、あんなやつにはあげないのです…!」
翠の言葉は続いていく。
「初めにゼンマイを巻かれたのは蒼星石です。その次に翠星石が目覚めた頃には、蒼星石はあの『悪いやつ』に騙されて一人で先に契約を結んでしまっていたです。二人はそれまで、何をするのも一緒だったですのに……」 - 443 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/12/20(月) 00:26:42.88 ID:Rs5RHhoo
- 「……」
「……あいつは言いました」
「……」
「これは、革命だって。翠星石と蒼星石は、そのために目覚めさせたのだって」
「っ!?」
(革命? 『復讐』ではなく…?)
「あいつは悪いやつです。薔薇乙女の力を悪いことに使おうとしてるです。だからそんなのイヤって言ってやったです。そうしたら蒼星石が」
『マスターの意向に従わないなら契約は不成立。ここは君のいるじゃあない。……さようなら翠星石』
「翠星石は悲しくなって悲しくなって、一人飛び出してきたんです……」
「……」
「お願いです真紅! 翠星石と一緒に蒼星石を助けてほしいです! このままじゃ前みたいに、蒼星石が……!」
バン、とテーブルを叩く翠星石。彼女のカップが倒れ、まだ残っていた紅茶がテーブルに広がっていく。
元々人形用のカップだ。中身はたいした量ではない。紅茶はテーブルの端から落ちることはなく、お互いのドレスが汚れることはなかった。 - 444 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2010/12/20(月) 00:28:02.19 ID:Rs5RHhoo
- しかし、
「……」
真紅は、紅茶の広がりに目も向けず、驚愕の表情で唇を震わせていた。
いま。
いま、翠星石は、なんと言った?
翠星石はいま確かに、『前』と言わなかったか?
「し、真紅? どうかした、ですか?」
紅茶が零れたことで我に返った翠星石だったが、今度は真紅の尋常ではない態度に対して驚いている様子だ。
しかし真紅はそれでもなお、紅茶にも、翠星石の驚きも意識に入らない。
「翠星石っ、貴女もしかして、」
記憶があるの!?
そう聞こうとして―――しかし、まるでそれを遮るが運命のごとく。
―――!
ホーリエが激しく明滅した。
「「!?」」
赤と翠が反射的に立ち上がる。
同時。
「よかった。まだ契約まではしてないようね」
女の声と、キン、と、結界が張られる音が、上条の部屋に響いた。
- 457 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/01/17(月) 00:50:49.20 ID:jjbp8hzdo
- 〇
掃き出し窓を背に、セーラー服ともう一人、制服姿の少女が立っていた。
閉まっていたはずの窓はいつの間にか半ば開いている。彼女たちはそこから入ってきたのだろう。
しかしここは一階や二階という低い階層ではない。屋上から壁伝いに降りると言っても、そんなことをすれば危険であるし、人目につかないわけがない。
いやそもそも――真紅や翠星石に気がつかれることなく、窓を開けて侵入してくること自体が異常である。
彼女たちはそこに『いきなり現れた』としか思えなかった。
「やれやれ、間に合ってよかったわ。もし契約なんかしてたら、契約者も取り込まなくちゃいけなかったから」
現れてから微動だにしない制服姿の少女とは対照的に、セーラー服が軽く肩を竦め、苦笑を浮かべる。
「でもそれならこの子を連れて来る必要はなかったかもね。まぁ、動作試験としてはちょうどいいかもしれないけど」
ポン、と己の隣に立つ少女の肩に、セーラー服は手を置いた。
「……」
手を置かれた少女はやはり無反応。
どこを見ているのかわからない光のない瞳が、ぼんやりと赤と翠に向いていた。
少女は、年のころは14、5才だろうか。
茶色のパンプス、白い靴下、そしてチェック模様のスカート。ベージュのブレザーの胸元には赤いリボンが咲き、茶色のショートヘアーを花を模したヘアピンで飾っている。
「……」
少女が左手に下げた学生鞄。
そこにくくりつけられた蛙のストラップが、開いた窓から入った微風に小さく揺れた。
「あ、あいつです真紅! あっちの、水兵みたいなあいつが蒼星石を騙したやつですぅ!」
翠星石が真紅のドレスの袖を掴み、逆の手でセーラー服を指差した。
「あら、薔薇乙女にしては行儀が悪いのね翠星石。そんな風に人を指差してはいけないわ」
クスクスと笑いながら首を傾げるセーラー服。
「う、うるせーです! 御託を並べる暇があったら、おとなしく蒼星石を返しやがれですぅ!」
「返すも返さないも、別に私が拉致したわけじゃないんだけど。そもそも貴女や蒼星石のネジを巻いたのは誰だったかしら? いま貴女がキーキー騒げるのは、私のおかげでしょう?」
「巻いてくれなんて頼んだ覚えはねーですよ!」
言葉とともに、ギリギリ、と翠星石の奥歯を噛み締める音が真紅の耳に響く。 - 458 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/01/17(月) 00:51:35.52 ID:jjbp8hzdo
- 「ま、そんなことはどうでもいいんだけど」
と、セーラー服。自身のショートカットをさらりと一度掻き揚げてから、
「翠星石。一応確認するんだけど、私のところに戻ってくるつもりはない? 今なら悪いようにはしないわよ?」
と、言った。
口調は完全に、承諾するとは思っていないものだ。
「ふ、ふ、ふ、ふざけんなですぅ! 寝言は寝て言え!ですぅ!」
「あはは、そうよね。貴女ならきっと、そう言うと思ってたわ」
「あたりめーですよ! 誰がてめーのところなんかに行くもんですか!」
「ですって。……どうしようかしらね、蒼星石?」
セーラー服がキッチンの方を見た。
「!」
弾かれたように、赤と翠がその視線を追う。
キッチンとリビングの境目。そこに、鋏を携えた蒼い人影が一つ。
「……」
刃先を床につき、取っ手の上に右手を置いた蒼星石が、僅かに目を細めて翠星石を見つめていた。
「蒼星石!」と、翠星石が叫んだ。
「ねぇ、蒼星石。貴女はどうしたいかしら? 翠星石は、やっぱり戻ってきたくないんですって」
セーラー服が、答えがわかり切っている問いを投げかける。
「……」
蒼星石の瞳に迷いのようなモノが浮かび、
「……マスターの命令に従います」
一瞬後、消えた。
セーラー服が笑う。その笑みは獲物を前にした蛇のような、愉悦に満ちたものだ。 - 459 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/01/17(月) 00:52:18.39 ID:jjbp8hzdo
- 「目を覚ますです蒼星石! あんな悪いやつの命令に従うことなんてねーですよ!」
「……」
蒼星石は、翠星石の言葉に反応しない。
代わりに、ハサミの取っ手の輪に腕を入れ、くるり、と持ち上げる。
真上を向いた刃が、蛍光灯の光にギラリと光った。
「そ、蒼星石……」翠星石が顔を歪めた。
「…貴女が蒼星石のマスターなのね?」
真紅が口を開いた。
顎を引き、身体を蒼星石に対して斜めに――攻撃がきても対処できるように――しながら、視線だけをセーラー服に向ける。
真紅が見ているのは、セーラー服の右手薬指。
そこにはまっているのは、蒼い薔薇の指輪だ。
「そうよ。貴女が真紅ね?」
「ええ、初めまして。私はローゼンが創りし薔薇乙女、第5ドールの真紅。それから、」
すっ、と右手を水平に上げ、手の平を上向ける。
テーブルから僅かに浮き上がっていた赤い光球が、その真上に移動した。
「こっちは人工精霊ホーリエ。よろしくお願いするのだわ」
「これはご丁寧に。貴女は淑女に相応しいわね」
「ありがとう。よければ貴女と、貴女の隣にいる人の名前を教えてほしいのだけれど?」
「ふふ、そうね。名乗った以上、私も名乗るべきなのでしょうね」
苦笑を浮かべるセーラー服。隣に立つ無表情の頬を、するりと撫でる。
「こっちのこの子はミコト。ミサカミコトよ。ああ、愛想がないのは許してあげて? 動きはじめて間がないからね」 - 460 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/01/17(月) 00:53:16.58 ID:jjbp8hzdo
- 「……」
真紅が目を細めた。
あの少女は人間ではない。
魔術を知らない真紅には、それが『偶像の理論』によって御坂美琴と共振して駆動している、ということまではわからない。
ましてや、美琴が水銀燈と戦うことによって得た『御坂美琴が薔薇乙女と戦った』という縁を用いてnのフィールドとの関わりを強化しているなど、知るよしもない。
ただ真紅の属性が、少女人形が自身と同様の『人形』であることを明確に理解させていた。
「ミコト、ね。わかったのだわ。じゃあ貴女は?」
「あー…ごめんなさい。悪いんだけど、そっちは内緒でいいかしら? 魔術師はおいそれと名乗らないものなのよ」
悪魔が真の名前を知られると支配されるように、魔術師が名前を漏らすことは己の弱点を晒すのと同義だった。
あらゆる生命は名前にその存在の一部を依存している。逆に言えば、名前から生命に対してアクセスすることが可能ということである。例をあげるなら――魔法陣には、引き出すべき力を持つ『天使の名前』を記述しなければならない。
天使ですら名前を用いられれば強制的に力を引き出されてしまう。それよりもずっと構造が簡単な人間であれば、意思を奪うことすら可能だろう。
魔術師が本気で戦うときに名乗る魔法名は儀礼上のものであり、本名を隠すという意味合いを持たせることで逆に能力を高めることすらできる。また仮に名前を名乗るとしても、何の対抗措置も講ずることなく言葉にすることは有り得ないのである。
「あら、それは礼儀知らずと言うのではないかしら?」
真紅は会話を続けようとする。
正直に言って、真紅からしてもセーラー服の名前などどうでもいい。それを敢えて問い続けるのは、この会話自体が隙を伺うためのものだから。
――蒼星石が背を向けている方向には、インデックスがいたはずである。
「……」
出来ることならばすぐにでもキッチンを確認したかった。彼女に何かあれば、上条に何と言えばいいのかわからない。
しかしその真紅の思考を読むかのように、
「安心なさい。そっちにいたシスターなら無事よ」
と、言った。
「っ」
真紅の瞳に動揺が走る。
くすくすとセーラー服が笑った。 - 461 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/01/17(月) 00:58:04.20 ID:jjbp8hzdo
- 「いまこの部屋には結界が張ってあるわ。中に入れたのは薔薇乙女と、私と、このミコトだけ、よ」
シスターは貴女たちが見えなくなって慌てているかもしれないけどね、と言葉を追加。
「……」「結界、ですか?」
真紅は沈黙し、翠星石が不思議そうに呟いた。
「……さて、貴女の懸念も私の懸念もなくなったところで、早速用事を済ませてしまいましょうか」
結界に対して疑問を現さなかった真紅にセーラー服は軽く眉をあげるが、すぐに取るに足らないことだと判断。少女人形の頬から指を離し、蒼星石に目を向けた。
「蒼星石」
「はい」
「貴女は翠星石を片付けなさい」
「わかりました」
頷く蒼星石。
「蒼星石……本当に、翠星石と戦うんですか?」
「それがマスターの望みだからね」
チャキ、と鋏の切っ先が翠を指した。
「翠星石」
真紅が翠星石を見る。
視線が、戦えるのか、と問うていた。
「っ」
翠星石は応えられない。
蒼星石が言葉を続けた。
「君のスイドリームは僕のレンピカが抑えている。加えて、君には契約者がいない。……結果の見えた戦いだ。抵抗さえしなかったら、せめて苦しまないようにするよ」
「蒼星石……!」
翠星石が泣きそうな声で、双子の妹の名前を呼んだ。
「…じゃあ、私は貴女と、そのミコトが相手、というわけね?」
蒼星石への警戒を緩めることなく、真紅が言った。 - 462 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/01/17(月) 00:58:41.90 ID:jjbp8hzdo
- しかし、セーラー服は首を振り、
「いいえ、貴女の相手はそれだけじゃないわよ?」
その言葉に、真紅が「え?」と聞き返すよりも早く、バサリ、と黒い翼のはためく音が響いた。
「お久しぶりねぇ真紅。昨日のお礼にきてあげたわよぉ」
同時に、銀色の髪を持つ者がベランダの手摺りに舞い降りる。
「!」
(蒼星石だけでもやっかいだというのに……)
水銀燈までいるとは。
その上、彼女は昨日のように遊ぶつもりもないようだ。すでにメイメイを従え、周囲には黒羽の渦。右手には長剣を提げている。
「水銀燈。悪いけど、ミコトも少し参加させるわよ? この子の動作確認もしたいから」
言葉と笑みに僅かな揶揄を込めてセーラー服が言う。
水銀燈は忌ま忌ましげに少女人形を見て、フン、と鼻を鳴らした。
「好きになさぁい。でも私の邪魔になるようなら、まとめてジャンクにするわよぉ?」
「数%って言っても元が元だからね。少なくとも邪魔にはならないと思うわ。じゃあがんばってね、ミコト」
ポン、と少女人形の肩を叩く。
すると、まるでスイッチが入ったかのように、無表情の顔が素早く真紅に向いた。
少女人形の前髪に、ジジ、と電気が走る。
「……」と、真紅。
セーラー服はいま、自分たちを取り込んだ、と言っていた。
だとすれば。
確認のために机の上に転がるカップに指を当てる。が、張り付いたようにまったく動かない。
この『結界』とやらがどういうものかはわからないが、昨日と同じものならば脱出は不可能だろう。あのとき、上条はドアを開けることも叶わなかったはずだ。
逃げられない。 - 463 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/01/17(月) 00:59:41.74 ID:jjbp8hzdo
- 「……」
それを悟ると、真紅は薄い笑みを浮かべながら、水銀燈に目を向けた。
「……いやだわ、水銀燈。貴女は昨日、嘘をついたのね。結界も魔術師も知らないと言っていたのに。それでも誇り高い薔薇乙女なの?」
「……なんですってぇ?」
挑発を多分に含んだ口調だ。容易に鼻白む水銀燈。
真紅は少女人形と蒼星石に意識を向けつつも、次に投げかける言葉を考える。少しでも水銀燈が言い返さなくては気が済まない言葉を。
時間を、稼ぐ。
結界の外にいるであろうインデックス。彼女の知識と、雛苺との一戦で見せた魔術。彼女ならあるいは、結界に干渉することができるかもしれない。
いまここにいない上条。彼の右手ならば、この結界を破壊することもできるだろう。
この戦力差で戦えば、守りに徹しても長くは保たない。
(当麻……!)
真紅の左手が、祈るように握りしめられた。 - 464 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/01/17(月) 01:00:36.43 ID:jjbp8hzdo
- 〇
インデックスの足元に、蹴倒されたイスが転がっていた。
蹴倒したのは外ならぬ彼女自身。
結界が張られた瞬間にスフィンクスをテーブルに座らせ、つい先ほどまで穴が空くほど見つめていた炊飯器には背を向けている。
目を閉じた彼女が探っているのは、『いまは誰もいなくなったリビング』だった。
「――――」
彼女の口からは、細く緩やかな歌声が奏でられていた。
決して大きな音ではないにも関わらず、周囲の生活音の影響をまるで受けないかのように上条の部屋全体に響く歌は、音階、曲調、歌詞など構成するすべてに魔術的な意味を持たせた、いわば声の魔法陣だ。
歌の反響――結界に『魔法陣』をぶつけることで発生する反応を吟味し、敵の使う結界術を解析しているのである。
「――――」
細部に見えるのは、ローゼンと同系統の魔術形式。雛苺と戦った時は余裕がなかったので解析していなかったが、あのときとまず、同一の結界であると思えた。
(っ!?)
そして魔術形式から、その結界の効果解析に入ったインデックスの表情が、
(これ……まさか……)
驚きに染まった。
(やっぱり、間違いないんだよ!)
禁書目録の知識と完全記憶能力が告げている。
(『黄金練成』……!) - 465 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/01/17(月) 01:02:08.25 ID:jjbp8hzdo
- あの夏の日に出会った、錬金術の最高峰。
それに類似した効果が、そこにはあった。
規模が極めて小さいこと、任意展開や進入者選別等の利便性を持たせたこと、その基盤にローゼンの用いた理論『nのフィールド』を使っていること等、こと細かく見れば、まったくの別物だ。
しかし『黄金練成』は『頭の中に作り出した世界を現実に引きずり出す』ことである。それは言い換えれば『精神の中に創り上げた現実並みの精度を持った世界を実現化する手法』と言えるだろう。
そして、ローゼンが見出したnのフィールドは『思念で構成された現実世界の裏側』だ。それを引き出していると言うことは、少なくとも『黄金練成』の基礎を踏襲していると言えた。
もちろん『呪文』を唱えていない以上、あらゆることを実現化させるのは不可能だ。
だがそれに代わる何か――思考に一定の方向性を持たせて裏側の世界構成を組み変えるような――言ってしまえば思考を誘導する『説得力』があれば、少なくとも結界内においては、ある程度の現実化は可能であると予想された。
そう、たとえば、
(現実世界で『この人がこうした』という結果があってから、それと似たような状況を結界内で作れば、そのままじゃなくてもそれに近い結果を得られるかも!)
科学実験において純度の高い薬物を使うべきところを、粗悪な代用品を使う、と言う感覚だろうか。
その代用品が純正に近ければ、高い精度の結果を得られるだろう。逆にあまりにも純度が低ければ、まったく何も起こらないに違いない。
しかし元々、『ある程度』の結果さえ求められればよい、と割り切って使ってしまえば。
万能とはとても言えない、それでも、使い方次第では極めて危険な術式だった。
(……これへの干渉は、)
禁書目録の知識と、音声魔術だけでは不可能だ。『強制詠唱』も『魔滅の声』も、人であれ魔術構成物であれ、対象が必要なのである。
「――――」
だからインデックスは目を閉じ、歌を歌い続ける。僅かな綻びでも見逃さないとでも言うように、結界の解析を続ける。
内部での動きや、何か別の要因があれば、あるいは結界をこじ開けることができるかもしれない。
仮にそれが叶わずとも、上条が帰ってきたときに『核』さえ見つけていれば、結界を破壊することができる。
「――――」
歌声が、響く。
(とうま、お願い……はやくもどってきて……!)
細く、長く、祈るように。
- 477 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/04/25(月) 00:25:36.15 ID:2giVhI+No
- ○
「ごめんなさいです、上条ちゃん、姫神ちゃん。それと、ありがとうございました。だいぶ良くなったのですよ」
小萌の第一声は謝罪と感謝で始まった。
やや広めの個室の窓際に据え付けられたベッド。その上半身側を斜めに起こして、ちょうど寄り掛かりと横臥と中間の姿勢な彼女は、いつもの笑顔を浮かべて上条たちを歓迎した。
だが彼女の顔色はやはり良いとは言えず、風邪の後のような雰囲気がある。言葉ほど回復していないのはすぐにわかった。
「それにしても情けないですねー。まさか酔いつぶれちゃうなんて思ってませんでした」
歳ですかねー、と外見に似合わないことこの上ない台詞に、上条はぎこちない苦笑を浮かべ、姫神は無言で目を伏せる。
小萌には倒れたときの記憶がない、と蛙顔の医師から聞いていた。
具体的には昨日、酒とツマミを買いに商店街に赴いたあたりでぷっつりと記憶が途切れているらしい。気を失っていた間のことは、闘いはもちろん、雛苺のことも覚えていないのだ。
目が覚めたら病院だった。
そんな状況のちょうどいい理由付けとして、二日酔いということにしておいたそうである。
当然のごとくその理由でも記憶を飛ばした経験がある小萌は、疑うことなくそれを信用していた。
嘘をつくことに罪悪感を感じないではないが、真実を告げることなどできない。
「どうしたのですか、二人とも」
妙な雰囲気の二人に、小萌が首を傾げる。
「そ、そうですか?」
「そんなことは。ないと思うけど」
慌てて取り繕う上条と姫神。
多少動揺の見て取れる上条と違って、姫神の方は完璧なポーカーフェイス。
見事である。
「いえ、ちょっとそんな感じに思っただけで」
そんな姫神の様子に、小萌も「あれ?」とばかりに首を傾げた。 - 478 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/04/25(月) 00:26:34.37 ID:2giVhI+No
- 「彼が不審なのは。いつものこと」と、姫神。
「それはそうなんですけど」と、小萌もすぐに頷いた。
「なっ、なんてことをおっしゃるのでせうか姫神さん! そして先生もひどい!」
「ごめんなさいです上条ちゃん。でも、悲しいことですけど、やっぱり普段の行いがですね」
「……そんなことよりも。お医者さまは。なんて?」
「あ、はい。えっと、それはですねー」
絶妙な間を掴んだ姫神の問いに、小萌はあっさりと話題を打ち切った。
隣で上条が「そんなこと……」とダメージを受けているが、とりあえずは放置。
小萌は子供や生徒に対してはかなり勘が良い。
忘れてはいけない。
小萌は、インデックスの一件でも、大覇星祭でも、魔術を目の当たりにしている。
彼にこれ以上喋らせていては、どこで感づかれるかわからなかった。
「……で、やっぱり二、三日は入院しなくてはいけないようなのですよ」
「そう。今日持ってきた服で。なんとかなる?」
「あ、はい、これだけあれば十分思います。わざわざありがとうございました、姫神ちゃん」
「いい。それで。部屋の鍵なんだけど」
女性二人の会話は続いていく。
内容は入院に関する質問や確認であるが、姫神は不自然にならないような話題を繋ぎ、かつ、決して入院の原因や記憶のことについて触れさせない。
発見された状況等に話題が波及しそうになると上手く話題を逸らし、いや、そもそもそんな話に極力ならないように、会話を繋いでいる。
(……こういうの、姫神うまいよなぁ)
ぼんやりとそれを眺めながら、上条は心中で呟いた。
あまりにも突出した変わり者が多い上条のクラスで、彼女は目立つ存在ではない。
本人もそのことを多分に気にしているようであるが、上条から見れば、こういったことに長けている姫神の方がずっと凄いと思う。
ここは彼女に任せるが得策。
そう判断した上条が、軽く息を吐いて椅子に座り直した、その時だ。 - 479 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/04/25(月) 00:28:32.61 ID:2giVhI+No
- 「っ?」
唐突に、左手薬指に熱を感じた。
反射的に左手に目を向ける。
(指輪が光って…?)
見れば薔薇の指輪が、僅かにだが紅色の光を放っていた。
何が起こったのか、と思うより先に、
「くっ!?」
身体から、一気に体力が奪われた。
全力疾走した直後のように、身体の芯を削られたような感覚。
それに上条は覚えがあった。
(昨日の、あの時の…!)
ビルの屋上で、真紅が薔薇の魔術を放った時と、同じ疲労感だ。
「上条ちゃん? どうかしたんですか?」と、小萌。
「……。」
一方の姫神は、軽い驚きに不安と予感がないまぜになった表情で上条を見た。
両者の視線を横顔に感じる上条。
指輪の光は一瞬で収まった。それこそ勘違いではないのか、と思えるような短い発光である。
しかし、身体に残った疲労感は本物だった。
「……」
上条は左手を握り、開く。それを二度繰り返した。
何も起きない。
再び指輪が光ることはなく、また、自分の部屋で体験したように、真紅からのテレパシーめいた魔術が飛んでくるわけでもない。
上条の胸に、それでもある種の予感が生まれる。 - 480 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/04/25(月) 00:30:10.52 ID:2giVhI+No
- 「……ごめん小萌先生。俺、用事があったの忘れてた」
言いながら立ち上がる上条。
我ながら下手な言い訳だと思うものの、他に言い様もない。
「……」
小萌は一息の間、沈黙。とてもただの用事、とは思えない上条の表情を見つめてから、
「そう、ですか。上条ちゃんも忙しいんですね」
と、にこりと笑顔を浮かべた。
小萌は上条をよく知っている。
この子がこの顔をしているときは、何を言っても止まらない。
この子がこの顔をしているときは、こうして笑って送り出すことが、自分がこの子に出来る、最大のこと。
あの時、銀髪の娘を連れてきたときと、同じで。
「すみません」
無論、上条とて小萌が本気で額面どおりに信じてくれたとは思わない。
それでも、今回はありがたかった。
「姫神、悪いけど、後を頼んでいいか?」
「……。」
姫神はほんの一瞬、何かを言いかけた後、「……うん。」と、頷いた。
「じゃあ俺、行ってくる。小萌先生。またお見舞いにきますから」
「いえいえー。上条ちゃんも気をつけてくださいね」
何に気をつけろ、とは言わないまま、パタパタと手を振る小萌。
バタン、と上条が病室を出る音が響く。
すぐに廊下を走る足音と看護士の注意の声が響き、次いで上条の謝罪が遠くに消えていった。
急速に静かになった病室。
上条の出て行ったドアを見ながら、姫神は、ゆっくり唇を噛んだ。
「……。」
何も、できない。結局、見送るしかない。
左手が――――昨日上条の右手をとった左手が、無意識のうちに封印の十字架を握り締めていた。
- 485 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/05/04(水) 12:44:28.24 ID:axCmA8+Uo
- ○
姫神の横顔を見た小萌は、眉根を、ぎゅっ、と詰めた。
「……」
こんなのは、よくない。
姫神秋沙は、普段から自信がある娘ではない。
それどころか、どこか自虐的な面を持っている少女である。
焼肉をしたとき――――まだ彼女が自分と同居していたときだ――――のように、時折見せる過激(?)な発言も、裏を返せば自虐の裏返しから来ているものだ。
それは彼女の担任だから、というだけでなく、短い間ながらも同居した経験からの確信だった。
助言が必要だ。
そう思った。
「……」
しかし、小萌の大きな瞳に迷いが浮かぶ。
きっと彼女のこの表情は、いましがたでていった上条の『用事』にまつわることにちがいない。そしてそれはきっと、いや、間違いなく危険を伴うのだろう。
もしかしたら、自分がこの病室にいることも、関わっているのかもしれない。
助言をすれば、必ず彼女は危険に近づいてしまう。
「……」
そんな小萌の迷いを晴らしたのは、いまだドアを見つめ続ける姫神の瞳だった。
上条の背中を見送り、そのままドアに固定された視線には、濃い諦観の色がある。 - 486 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/05/04(水) 12:45:38.97 ID:axCmA8+Uo
- 小萌は姫神の過去をよく知らない。
彼女が積極的に話さないことも理由であるし、小萌自身が無理やり聞きだすようなタイプではない(話しやすい環境は整えるが)ためだ。
しかしもし、小萌が過去の姫神を見たことがあったならば、こう思っただろう。
上条に救われる前――――村ひとつを潰したときと同じ瞳だ、と。
「……」
すうっ、と息を吸い込む小萌。
迷いを振り払い、これからの一言を、告げるために。
「姫神ちゃん」
と、小萌が言った。
「……な、なに?」
はっ、とした様子で、姫神が小萌に向く。
思わず自分の世界に没入していたことを焦っているのか、彼女にしては珍しく吃音が出ていた。
そんな彼女を真正面から見据え、
「姫神ちゃんは、行かないんですか?」
と、小萌は言った。
「!」
姫神の長い黒髪が、驚きにサラリと揺れた。
子供の危険を何より嫌がる小萌が、促すようなことを言うとは思っていなかったのだ。
「……。」
だが彼女の驚きも一瞬。
彼女は俯いて、ゆっくりと首を横に振り、俯いた。
「私がいくと。邪魔になるから」
十字架から離れた左手が、右手とともに膝の上で握り締められる。
「……姫神ちゃんは、それでいいんですか?」 - 487 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/05/04(水) 12:48:32.29 ID:axCmA8+Uo
「……。」
唇を噛む姫神。
良いわけはない。
それどころか、すぐにでも後を追い掛けたい衝動を押さえ込むので精一杯だった。
大覇星祭の後、インデックスの言葉と上条のお見舞いで、確かに心のつかえはひとつ、なくなっていた。
姫神秋紗という人間は、上条にとって大事な人の一人であるという、自惚れではないだけの確信はある。
あの時の喉を震わせるほどの歓喜は、鮮明に覚えていた。
だからこそ、
(私は。上条くんの邪魔になっちゃいけない)
振って沸いた危険から護ることと、自ら跳び込んだ危険から護ることでは、意味がまるで異なる。
上条は姫神に傷ついてほしくない。
だがそれは、姫神も同じだ。それこそ、上条が考えと同じように、彼の代わりに戦えるのならすぐにでも代わりたいのが本音だった。
それが出来ないのは、ただ単に自分が戦いの役に立てないからである。
信じて待つこと。
それが自分にできる唯一のことで、言ってしまえば戦いだ。
それはわかっている。
わかっては、いるのだ。
「……。」
わかっているはずの姫神の脳裏に、昨日一緒に小萌を助けに行こうと告げられたインデックスの笑顔と、さっき上条とじゃれていたときに見た御坂美琴の姿が浮かび上がる。
そして続いて持ち上がってくるのは、昨夜、公園で上条の負傷にも気がつけなかった、という事実。
「……。」
膝の上の両手に、さらに力がこもる。- 488 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/05/04(水) 12:49:50.70 ID:axCmA8+Uo
- 「上条ちゃんはですね」
不意に、小萌が口を開いた。
「え?」
「上条ちゃんは、おバカさんなのですよ」
「……。……。」
いきなりそんなことを言われても。
思ったことが顔に出ていたのか、それとも雰囲気から察したのか、あるいは小萌自身も思ったのか、見た目は小学生でしかない彼女は「いえいえ」と手を振った。
「あ、もちろん、学校の授業の話じゃ……ないこともないんですけど、そういう意味じゃなくてですね」
「……。」
「上条ちゃんは、こうだ、と決めたら、迷いませんし止まりません。誰も巻き込まないように、誰かの力を借りなくちゃいけないときでもなるべく自分でなんとかしようとしちゃいます」
「……。」
「見方によってはとっても頼りがいのある男の子なんですけど、でも、ある意味じゃあ自分勝手って言えると思うのです」
「……。」
「だからですね、上条ちゃんの周りにいるお友達には、無理やりにでもあの子の力になってあげてほしいのです」
「……。」
「姫神ちゃん。貴女は貴女の一番やりたい方法で、上条ちゃんの力になってあげてください」
「……彼は。私を巻き込みたくないって」
「無理やりにでも、って言いましたよね? 上条ちゃんはいま、物凄く身勝手してます。姫神ちゃんにそんなお顔をさせるくらい心配をかけて、先生にも何も相談せずに」
「……。」
「そんな身勝手さん相手なんですから、こっちも身勝手さんにならなくちゃ、手助けなんてできないのですよ」
「……。」
「もしもそれで上条ちゃんが怒っちゃったら、先生に教えてください。先生が上条ちゃんの過去を穿り返して、逆にお説教しちゃいますから」
「……彼が。それで自分勝手をやめるとは。思えないけど」
「そ、それはそうかもしれませんけど」
小萌が自信なさそうに言った。
おそらく、過去に何度も何度も何度も何度も同じようなことを説教しまくってきたに違いない。もっとも、今を見る限り効果はなかったのだろうが。
痛いところを指摘された、とばかりに慌てた彼女に、姫神の口元が緩んだ。
いまの小萌に重なって、昨夜の上条の慌て顔が思い起こされる。
そうだ。
彼だって、決して全てを救えるわけではない。約束を守れないことも、確かにある。
つまりそれは誰かを護り切れなかったり、あるいは、自分自身ですらも――――
「……。」
左手が持ち上がり、再び十字架を握りしめた。今そこにあるのは、何かを耐えるためではなく、何かを決意した力強さだ。 - 489 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/05/04(水) 12:52:12.24 ID:axCmA8+Uo
- 「……小萌先生」
「はい、なんですか、姫神ちゃん」
「ごめんなさい。私も。用事があった」
「はい、わかりました」頷く小萌。
「でもひとつだけ約束してください」
「なに?」
小萌は、じっ、と姫神を見てから、
「連休明けには、絶対に遅刻しないようにしてくださいね。あ、休んだりするのも、先生許しませんよ?」
と、言った。
その瞳に浮かぶのは、いままでとは打って変わった、泣きそうなほどの心配。
ただでさえ生徒思いの人物だ。そのうえ、姫神はつい先日、まさしく死の瀬戸際を見せたばかりである。
「……」
そのとおり。
小萌は不安だった。心配だった。
上条の『用事』も、姫神の『用事』にも、きっと何かの裏がある。それも、危険を伴う何かが。
本当のことを言えば絶対に行かせたくない。姫神はおろか、上条だって。
しかしそれでもなお、姫神があんな顔をするのは間違っている。上条の背中を、あんな風に見送るなんてことが良いことだなんて、絶対に思えない。
「約束、できますか?」
胸がはちきれそうな心配を無理やりに押さえこんで、小萌は言った。
「わかった」
力強く頷く姫神。
「約束、なのですよ?」
確認ではなく、祈るような小萌の声。
そして姫神は立ち上がる。 - 490 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/05/04(水) 12:53:27.38 ID:axCmA8+Uo
- ○
戦闘は継続していた。
ブン、と音をたて、水銀燈の剣が真上から迫る。
「くうっ!」
鋭さと重さを持つ一撃を、真紅は召還したステッキで受けとめた。
ガギッ! と鈍い音が響き、微かに火花が散る。
しかし、武器そのものの質が違う。断ち切る刃と、本来の用途とは異なる杖。さらに水銀燈の攻めに対し、真紅は完全に受けの姿勢である。威力差は歴然だ。
さらに、
「糧となりなさぁい!」
バサリ、と水銀燈の翼がはためき、推進力が剣圧に変換される。
「っ!」
支えきれない。
そう判断した真紅はステッキの先端を左下に傾け、さらに左に床を蹴った。
受け止めるのではなく、受け流す。
ステッキの表面を滑り、剣は真紅の左側を通り過ぎた。取り残されたドレスの一部が、布切れになって上条の部屋に舞う。
チュイン、と刃がステッキの先端から離れ、高い音が鳴った。
「はあっ!」
その瞬間に身をひねる真紅。背中側に一回転、遠心力を加味した横薙ぎを――正確には左袈裟を、水銀燈にたたき付ける。
「!」
剣を振り下ろした姿勢の水銀燈は、咄嗟の動きで刃を引き戻し、受け止めた。
しかし、絶対的な重量はともかく、相対的に彼我の体重差は小さい。さらにこの一閃は、回転を加えた一撃である。
「くうっ!?」
予想外の重さ。
水銀燈は再び翼をはためかせ、反作用を持ってステッキの勢いを殺し、支えきった。
だがそれは、真紅の目論みのうちだ。 - 491 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/05/04(水) 12:55:42.19 ID:axCmA8+Uo
- 「っ!!!」
真紅はさらに身体をひねる。
水銀燈の剣に支えられて水平になったステッキに左肩を押し付け、ほんの一瞬だけ、自重の全てを乗せる。同時に右手を離し、更なる回転。
ちょうどステッキの上を転がるようにして、
「はあああっ!」
真紅の拳が、彼女から見て左から右に、水銀燈から見て上から下に振り下ろされた。
「!?」
予想外の、さらに予想外。
水銀燈は避け切れない。
右の拳が、水銀燈の左肩をしたたかに打ち付けた。
「きゃあっ!」
宙に浮いている水銀燈が弾き飛ばされた。
ほぼ同時に重力が真紅の身体を捉え、床に引き落とそうとする。
しかし真紅は打撃の反作用そのものを土台として、さらに身を捻った。
体勢を制御し、空中にいるうちに振り返る。先ほどまで背中を向けていた方向に正体して、左手を床に着きながらも両脚で着地した。
そこにいるのは、
―――!
胸元の両手に電撃を溜めた、少女人形。
真紅は躊躇うことなく右手を開き、力を集中。
腕に巻き付くように薔薇が召喚され、
「薔薇の尾!」
突き出され腕から、一群の花びらが流れとなって少女人形に向かった。 - 492 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/05/04(水) 12:58:36.78 ID:axCmA8+Uo
- 真紅は見ていたのだ。
少女人形が、水銀燈と鍔ぜる自分に向けて、攻撃の準備を整えていたのを。
少女人形は表情をまったく変える事なく、両手の稲妻を解放した。
一瞬だけ紫電が走り、赤い花びらは消滅。後に遺るは白い灰のみだ。
しかしその一瞬は、真紅にとって重要な時間として計上される。
「ホーリエ!」
―――!
メイメイと衝突を繰り返していたホーリエが、突然方向を変えて矢のように翔けた。
赤い光の尾を引きながら、向かった先は、上条の部屋の隅――――そこに追い詰められた翠星石の眼前に立つ、蒼星石だ。
契約もなく、人工精霊も押さえ込まれている翠星石には武器がない。いやそもそも、翠星石は戦いそのものを望んでいないのである。
逃げ回るしかない翠に鋏を振り下ろそうとしていた蒼に向けて、赤い光球が突っ込んだ。
「っ!」「きゃあ!」
慌てて跳び退る蒼星石と、直近を掠めたホーリエに身を縮める翠星石。
ホーリエは部屋の壁に直撃し、そのままボールのように上方に方向変換。さらに天井を跳ね返り、蒼星石には目もくれず、少女人形に向かった。
―――!?
三次元的な動きに翻弄された少女人形が、一瞬の逡巡を見せて構え直す。
遅い。
再び電撃を溜めるよりも、回避するよりも、ホーリエの方が速い。
狙いは頭部。
頭を破壊されれば、いかに人形とはいえ無事にはすむまい。
さらなる詰めとして、真紅が床を蹴り、ステッキの先端を少女人形に向け――――だが。 - 493 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/05/04(水) 13:00:37.77 ID:axCmA8+Uo
- 「しぃんくぅ!」
不覚の一撃をうけた水銀燈の、怒りの声が響いた。
「―――っ!」
反射的に振り返った視界一杯に、鋭い黒羽が広っていた。さらにホーリエの相手から解放された紫の人工精霊が突っ込んできている。
慌てて身構えなおすが、体勢が悪すぎた。
どちらかを避ければ、どちらかが直撃する。
―――!
ホーリエが攻撃よりも己の主を優先した。
水銀燈の黒羽は光槍で残らず迎撃し、メイメイはその身をもって受け止める。
だがそうして生じた隙に、
「ジャンクになりなさいっ!」
―――!
水銀燈が炎を、少女人形が雷を放つ。
挟み打ち。
「くっ!」
真紅が左手を真上に振り上げ、同時に右手のステッキを雷に投げ付けた。
床から巻き上がった薔薇の花びらが炎を受け止めた。雷は避雷針代わりのステッキに受け散らされる。
間髪いれず、真紅は振り上げた腕を振り下ろした。
ごうっ! と花びらが召喚され、ドームのように彼女自身を覆い隠す。
剣を構えた水銀燈の舌打ちが、焦げた薔薇の香りに混ざった。 - 494 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/05/04(水) 13:01:40.67 ID:axCmA8+Uo
- 「ふ、ん」
―――……
薔薇の壁に遮られ、水銀燈と少女人形はいったん追撃の手を緩める。
それでなくても、完全に押している側だ。無理をする必要はない。この薔薇のドームにしても、回避しきれないと苦し紛れに召喚したものに違いない。
その思考を証明するように、バラバラと薔薇の壁が解け、消えた。
「はあっ、はあっ、はあっ」
ドームの中から現れた真紅は、床に手をついて息を荒げている。白い人工の肌が、力の使いすぎで青ざめていた。
「不様ねぇ真紅。美しくないわぁ」
その姿を見て溜飲が下がったのか、水銀燈が嘲笑を浮かべ、剣を構え直した。少女人形は無言のまま、全身に電気を溜め始める。
「っ」
言い返す余力もなく、床に転がったステッキに手を伸ばす。すい、と不可視の力に引き寄せられ、黒い杖が手元に戻った。
ステッキを文字通り杖として立ち上がる真紅。
ふらつく脚で、無理やりに構えをつくった、そのとき。
その彼女の真後ろやや上方で、ガキィ! と甲高い鈍音が響いた。
「!」
「きゃああっ!」
一瞬遅れて翠星石が真紅の目の前の床にたたき付けられた。
「!」
真紅が目を見開く。
「チェックだよ、翠星石、真紅」と、ヒラリと水銀燈の横に着地する蒼星石。
「さっきのホーリエには驚いたけど、牽制だけじゃ意味がない。僕が回避した瞬間を狙って攻撃していれば、わからなかったけど」
まぁそうしたら君が水銀燈の攻撃を受けていただろうね。
そう言いながら、蒼星石は、くるり、と鋏を回し、その先端を真紅に向けた。 - 495 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/05/04(水) 13:03:07.12 ID:axCmA8+Uo
- 「翠星石…!」
真紅が呼び掛けるが、
「うっ、うぅ…」
翠のドレスをボロボロにした彼女は、俯せに倒れたまま立ち上がることができない。
ダメージもあるが、それ以前に、もうゼンマイが限界なのだ。
真紅が苦しそうに顔を歪めた。
蒼星石のチェックという言葉は、いまの状況を的確に顕している。
いままで蒼星石が翠星石を追うことで辛うじて保たれていた均衡が、これで崩れてしまう。
「よくやったわ、蒼星石」と、ベランダ側の壁にもたれ、戦闘にも参加していなかったたセーラー服が言った。
「ありがとうございます」
「後は真紅を片付けなさい。翠星石はもう、後でもいいでしょう」
「……わかりました」
能面のような無表情で、頷く蒼星石。
「あはははは、大変ねぇ真紅。この後は蒼星石も遊んでくれるわよぉ?」
「……」
真紅は言葉を返さず、かばうように、翠星石の前に立った。
赤い彼女の表情は、こんな絶望的な状況下であっても、いまだ勇ましさを保っている。
そんな彼女の表情に、水銀燈が不快げに眉を顰めた。
「じゃあ行くよ、真紅」
鋏を握りなおす蒼星石。少女人形の前髪が、バチリ、と音をたてる。
それらを横目に、水銀燈が口元に、再び嘲笑を浮かべた。
「ほぉら、惨めったらしく足掻いて見せなさい!」
黒と蒼が同時に斬りかかった。
命を削りあう舞踏が、再び始まる。 - 496 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/05/04(水) 13:07:42.20 ID:axCmA8+Uo
- ○
朝の残り香も完全に消えた道で、上条はガードレールに手をついて荒い呼吸を繰り返していた。
普段の彼は、我流であるがかなり綺麗なフォームで走ることができる。
不幸な事態からの回避や、スーパーのバーゲン等、彼は長距離を可能な限り早く走るための下地があり、その上に、この数ヶ月に及ぶ科学と魔術の戦いである。専門の訓練を受けたものでない限り、単身における走力で上条に勝る者は稀だと言えた。
しかし、その彼がいま、腰ほどの高さのガードレールに手をつき。そのまま、体重をかけるようにして、ぜーぜー、と荒い息をついていた。
病院を出てほんの数百メートル。普段の上条であれば、余裕をもって疾駆を続けていられる距離である。
(くっそ……!)
上条の奥歯が、ギリッ、と鳴った。
消耗の原因が指輪であることは疑いようがない。
陽光の中でははっきりとわからないが、左手薬指の薔薇を模した指輪は、先ほどから何度も発光を繰り返していた。
その度に、彼の身体から体力がごっそりと削られていく。
意味することはひとつ。
そうしなければならないほど、真紅が危険にさらされているのだ。
「待ってろ真紅、インデックス…!」
こんなところで止まってはいられない。
ガードレールを押し込むようにして身を起こす上条。
その途端に頭がクラリとするが、無視。一息、空気を呑み、彼は再び走り出した。
病院の近くだからだろうか。道を行く人の数は少ない。ややふらつきながらも誰かにぶつかることはないだろう。
これならば全力で駆けることができる。自分の持てる最速で、彼女たちの危機に向かうことができる。 - 497 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/05/04(水) 13:09:21.18 ID:axCmA8+Uo
- しかし。
「くっ、はっ!」
再び上条の呼吸が乱れた。
意識的に規則正しい呼吸をすることでなんとか保っていた疾走のバランスが崩れる。
グラリと身体が揺れ、ガードレールに接触する。
「がっ!」
そのまま弾かれ、道路で前転するようにして倒れた。
「はあっ、はあっ、はあっ、くっ!」
(休んでなんかいられねぇってのに……!)
仰向けに空を見上げながら、両手を握り締める上条。
意思はまったく萎える様子はない。
しかし、彼も一個の人間だ。意思に身体は反応すれども、消耗が回復するわけではないのだ。
それでも、小刻みに震える身体を無理矢理起こしーー
「上条くん!」
その耳に己の名前が響く。
「!?」
(姫神!?)
呼び掛けられた声は、つい先ほど病室に残っていたはずの友人のもの。
声のした方を見る。
路肩に止まったタクシー。その後部席のドアが開き、姫神秋沙が厳しい表情でおりてくる。
「な、んで」
ここに?
息切れで続かない言葉を視線で問い掛ける。
「きっと。走っていくと思った」
姫神はその視線を無視。
片膝をついた姿勢の上条の右腕を、ぐい、とひっぱり、肩に担いだ。
機関銃のように呼吸する上条にわざと目を向けないまま、肩を貸して立ち上がる。
●
「まったく。昨夜あれだけ言ったのに。貴方は相変わらず無茶をする。そもそもここにはバスで来たのに。走って帰るのは時間の無駄」
「それ、は、そう、だけど」
確かに金欠万歳な上条にはタクシーを使うという発想はまったくなかった。というか、走って帰る以外の選択肢を思いつかなかったのだから、反論のしようもないものだ。
姫神は重そうに上条を担ぎ、タクシーに向かう。彼も自力で立とうとするのだが、残念ながら一度切れた集中力は、おいそれと力を戻してくれなかった。
「つか、姫神、おまえ、まさか」
ついてくる気か?
この状況下、彼女の性格で上条だけをタクシーに押し込むとはとても思えない。
危険だ。安全なところで待っててくれ。
彼の視線の意味が変わる。
だが姫神は、
「約束」
と、言った。 - 498 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/05/04(水) 13:10:59.26 ID:axCmA8+Uo
- 「や、くそく?」
「そう」
コクり、と頷く。
「絶対帰ってくる約束。上条くんは約束を護らなくちゃいけない」
「それ、は」
忘れてなんかいない。
それに元々、帰って来ないなんて選択肢も思考も、彼の中にはない。
上条がそう言おうと、姫神をここに留め置こうと、言葉を重ねようとする。
しかしそこで姫神は脚をとめ、上条の顔を見た。
「でも。こんなに疲れたままで戦ったら。約束を護れないかもしれない」
強い視線。上条の声が止まる。
向けられたのは昨日、小萌を助けに行くと主張したインデックスと、同じ瞳だった。
「……約束をしたのは上条くん。だけど。約束を持ちかけたのは。私」
視線を正面に戻す姫神。
「だから私も。上条くんが約束を護れるように。頑張らないといけない」
- 509 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/08/18(木) 23:28:50.21 ID:ivATNVgBo
- 〇
順調だ。
上条の部屋で広がる光景に、内心で笑みが浮かぶ。
激しく争う赤と蒼と黒。そして床に転がっている翠。
桃がいればベストだったが、それも些細な変化だ。
そうは言っても、桃が逃走を図ったのは予想外だった。
完全に掌握しているはずなのだが、それでもなお自我に影響を与えるとは、流石はローゼンの最高傑作というところか。
だが、問題はない。
この程度のズレは想定の範囲内と言える。それに元々、この計画そのものが不完全さを逆手に取ったものだ。
『薔薇乙女』たちは、それぞれが最低限の用さえこなしてくれたらいい。
「そろそろきつくなってきたでしょう? 諦めて降参したらぁ?」
「っっっ!」
剣戟の音が繰り返され、赤が徐々に追い詰められていく。
佳境に差し掛かかる『薔薇乙女』たちの闘いを見ながら、再び内心で笑う。
順調、なのだ。 - 510 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/08/18(木) 23:29:50.36 ID:ivATNVgBo
- ○
甲高い音をたてて、真紅の右手からステッキが零れた。
水銀燈の剣に弾かれたステッキは、その下端を床と接触させて一度だけ跳ねてから、カラカラと転がった。
「くっ……!」
その行方を横目に真紅は歯噛みするが、手を伸ばすことはしない。
いや、できないのだ。
右腕、両足首、そして胴体に、黒い羽の群れが纏わりついている。身を捻って抜け出そうとはしているが、まったく外れる様子はなかった。
唯一黒羽から逃れている左腕は、しかしこちらも動かせない。
蒼星石の持つ大鋏が、緩く挟み込んでいる。
「ふふふ、つーかまえたぁ。またこうなっちゃったわねぇ、真紅」
ニヤリと笑う水銀燈。
勝鬨を謡うように翼を広げ、空中から見下す彼女の笑みは侮蔑に満ちていながら、それでもなお美しい。
「おっと。させないよ、真紅」
「っ」
薔薇の召喚を試みようとした真紅の左腕に、鋏が僅かに食い込む。
ジリ、と、ドレスに浅く入った切れ目が、動けば腕を落とすと告げていた。
「真紅ったらホントお馬鹿さぁん」
水銀燈が視線だけ動かし、床に倒れたまま動かない翠星石を見た。
十数分前に蒼星石に打ち倒された彼女は、そのままゼンマイが切れてしまったようだ。僅かにしていた身じろぎも、もう見られない。
ただそこに在るように、人形として転がっている。
「あんな足手まといを引き連れてるからこうなるのよぉ?」
シュン、と黒が剣を振るった。
真紅のスカートの裾――両脚の間の布が左右に裂かれ、球体関節を持つ右脚が膝まで露となった。
「っ!」
真紅が声ならぬ声をあげる。
「剣で裸にして、羽根で飾ってあげましょうかぁ? それとも、このまま一気に楽になるぅ?」
艶かしく唇を舐める。
ゆっくりと持ち上げられた刃先の腹が、真紅の頬を撫でた。
「……」
頬の丸みを楽しむように動く感触は冷たく硬いにも関わらず存外に優しい。
だがその感触はそのまま、首を落とすことも可能な代物なのだ。 - 511 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/08/18(木) 23:30:54.39 ID:ivATNVgBo
- 真紅は逆転の糸口を探し、人工精霊に目を向けるが、
―――! ―――!
赤い光球はメイメイに圧し掛かられるようにして床に押さえつけられ、発光を繰り返している。
単体としての力は各々の人工精霊にそこまでの差はない。それがこうもあっさりと押し切られているのは、ひとえに真紅の消耗が原因である。
能力を行使するには契約者の体力を消費するが、だからと言って薔薇乙女自身もまったく消耗しないわけではないのだ。
「何を企んでるのか知らないけど、無駄よぉ? 頼みの人工精霊もあの有様。貴女が必死にかばった翠星石はもうお人形さん。ぜーんぶ無意味だったわねぇ?」
クスクスと笑いながら、水銀燈が真紅を覗き込んだ。
「……」
しかし返ってきたのは無言と、強い視線。
焦りはあれども諦観も絶望もない、生きた瞳だった。
「何よ、その眼……」
ザワザワと水銀燈の背筋を、苦々しい何かが上ってくる。
彼女が自分に向けてくる視線は、負の感情に彩られていなければならないはずだった。敗北の屈辱に塗れていなければならないはずだった。
この妹は、過去に自分を『壊れた子』と呼んだのだ。
それだけでも憎いというのに、つい昨日、あろうことか『御父様』の意思であるアリスゲームも否定している。
首を落とす。
ローザミスティカは噛み砕く。
自分が『御父様』と出会った暁には、真紅という妹を薔薇乙女から忘れてもらう。
それほどの憎しみが、胸中に渦巻いている。
その彼女の、絶望と諦めに殺された表情が見たかったというのに。
「気に入らない、気に入らないわぁ……」
水銀燈が目を細め、苛立たしげに呟く。かみ締めた唇の奥に、舌がちらりと覗いた。
――しかし彼女は気がつかない。
いくら冷酷な部類に入る水銀燈とは言え、普段の彼女ではありえないほど、醜い思考と表情をしていることに。
「……」
「……」
赤と黒のやり取りに、蒼は無言を貫く。窓際で腕を組んだセーラー服も同様だ。
まるで興味がないというような無機質な視線を、二人の応酬に注ぎ込んでいた。
「水銀燈、貴女は」と、真紅が口を開いた。
貴女は、自分をおかしいと思わないのか。
そう問おうとした彼女は、一瞬だけ迷ってから、
「寂しいと思わないの?」
と、言った。
「……なんですって?」
「……」
問いを放ったにも関わらず、何も問うてない真紅の瞳が、水銀燈を映し続ける。
「っっっ」
黒い翼が彼女の感情に応じてバサリとはためいた。 - 512 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/08/18(木) 23:32:05.35 ID:ivATNVgBo
- 「……貴女、自分の状況がわかってるのぉ?」
ヒタリ、と剣先の腹が首筋に当たる。
「貴女は負けた。貴女の命は、もう私の気分次第なのよぉ?」
「……」真紅は沈黙も、視線も崩さない。
水銀燈の奥歯が音をたて、剣先が揺れる。
真紅の首に、髪の毛一筋ほどの傷が刻まれた。
「負けてはいないわ」と、真紅。
「負けて、いない?」
「私はまだ生きている。そして、当麻が助けに来てくれる。私と当麻は、負けてなんかいないのだわ」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……ふ、」
「……」
「あっはははは! あはははははははは! 何を言うかと思えば! 言うに事欠いて、結局は人任せなのぉ?!」
「……」
「信じられないわぁ。不様ねぇ。醜悪ねぇ。それでも誇り高い薔薇乙女なのぉ? そこで転がってる翠星石の方が余程にマシねぇ」
一息。
瞬転、
「このっ、淫売が!」
パァン、と水銀燈の右手が、真紅の頬を打った。
「っ……」
僅かに漏れた真紅の悲鳴に混ざって、剣が床に落ちた金属音が響く。
「……私は哀しいわ、真紅。アリスになるために、貴女のローザミスティカが必要なこと、そのものが」
「私は誰かの手を借りることを恥ずかしいとは思わないのだわ!」
「黙りなさい」
水銀燈の右手が、真紅の首を掴んだ。
その足元で、床に転がった剣が、先端から黒羽と変わっていく。
剣から転じた黒羽は重力に逆らってふわりと浮き上がり、真紅の右前腕に絡みついていく。
水銀燈の意思に反応し、黒羽が動く。
右腕が、ぐい、と前に引っ張られる。
「っ!」
見覚えのある光景に、真紅の胸中にえぐり込むような恐怖が生まれた。
身動きがとれず、右手を引き伸ばされる。
あの時――ジュンのいた世界で右腕を切断されたときと、同じ状況だ。
「ジャンクになって死になさい」
ぐっ、と首を掴む水銀燈の手に力が篭った。
上腕に纏わり付いた黒羽は動かず、前腕だけがギリギリと引き伸ばされていく。 - 513 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/08/18(木) 23:33:03.67 ID:ivATNVgBo
- 「くっ、ぐっ……!」
「いいこと? 真紅」
黒の右手に力が篭もる。
赤の右手に軋みが走る。
「う……くっ……」
「水銀燈は、私は、」
黒の右手に力が篭もる。
赤の右手に軋みが走る。
「貴女みたいに、壊れた子なんかじゃあ」
「くあっ……うぅ……!」
黒の右手に力が篭もる。
赤の右手に軋みが走る。
「ない……!」
水銀燈がニヤリと笑い、、
「あああっ!」
真紅が絶望的な声をあげ、
ミシリ
と腕が軋む音が、自身の耳にまではっきりと届いた。
そしてついに、その肘部分から、右腕が折れ - 514 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/08/18(木) 23:33:50.17 ID:ivATNVgBo
ガンッ!
- 515 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/08/18(木) 23:34:26.91 ID:ivATNVgBo
- 「「「!?」」」
ハンマーで鉄を叩いたかのような鈍音が響いた。
同時に、上条の部屋が、否、上条の部屋に張られた結界が大きく揺れる。
水銀燈が驚きに顔をあげ、真紅の右腕に纏わり付いていた黒羽の動きがとまった。
セーラー服が驚愕に目を見開き、もたれていた壁から背を離す。
一秒に満たない時間をおいて、音が余韻を残し消える。
だが、
ガンッ!
ガンッ!
ガンッ!
ガンッ!
ガンッ!
ガンッ!
ガンッ!
ガンッ!
ガンッ!
ガンッ!
音はとまらなかった。
「なんなのっ!?」
セーラー服が目を見開いて、周囲を見回した。
結界内に変わった様子はない。
つまりこれは、ありえないはずの、外からの干渉だ。 - 516 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/08/18(木) 23:35:57.22 ID:ivATNVgBo
○
同刻。
「うおおおおおっ!」
上条が右手を振るう。
一撃。
二撃。
三撃。
何度も。
何度も何度も。
何度も何度も何度も。
リビング入口。
インデックスに指示された場所。
視認することはできない透明な壁に向けて、固い拳がたたき付けられる。
手応えはあった。
三沢塾の時とは違い、幻想殺しが確実に結界に影響を与えている、そんな手応えが。
本来この種の結界は、幻想殺しと言えども触れるだけで解除はできない。
核を破壊するか、術者を倒すか、あるいは成立させている魔力になんらかの障害を与えるか。
それがいま、なぜ効果を顕しているのか。
「―――」
上条の隣で響く、インデックスの歌声。それが答えだった。
彼女の歌声が結界にぶつかり、震動を与えている。幻想殺しが作用しているのは、その震動に対してだ。
通常認識できないはずの空気の存在を、大音量の音波で感じる、という感覚に近い。
インデックスは――――禁書目録は、三沢塾で本物の黄金錬成を体験している。正確に同一のものでなくとも、こと魔術に属する範囲での代替であれば、彼女の分析を阻むものではない。
その上、上条が帰還するまで歌声による分析は続けられていた。
どんな歌声を、どのタイミングでぶつければ結界に影響を与えられるのか、把握するだけの時間があったのだ。
「ひらけっ! このっ!」と、上条が拳を振るい、
「―――」インデックスが、歌を奏でる。
一撃一撃が、一声一音が、確実に結界を破壊に導いていた。
もちろん通常であれば不可能な話。普通の結界であれば、幻想殺しは震動している部分のみをたちどころに削り取ってしまうだろう。
いまそれが可能なのは、皮肉にもこの結界の強固さゆえ。
その強固さは、歌声による震動を結界全体へと響かせてしまっている。
幻想殺しによる打ち消し効果をのせたまま、全体へと。
「ふざっ! けんじゃっ! ねえええええっ!」
拳を振い続ける上条。
病院からここまで。
奪われながらも休息に努めることで僅かに残った体力を、全てぶつけていた。
度重なる戦いで培った彼の直感が告げている。
ここで惜しめば、必ず後悔する、と。- 517 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/08/18(木) 23:36:31.26 ID:ivATNVgBo
○
ガンッ! ガンッ! ガンッ!
発生源が不明の音と衝撃が連続する。
一撃ごとに響く音は大きくなる。一撃ごとに結界の揺れが大きくなる。
そして、
「おおおおおおお!」
セーラー服と蒼星石には覚えのない、水銀燈には聞き覚えのある、そして真紅には待ち望んでいた声が、結界内に割り込んだ。
―――!!!
それに応ずるように、ホーリエが赤光を放つ。
その直後。
ガラスが割れるような音とともに、リビング入口に突然人影が現れた。
「まさか!?」
驚愕するセーラー服。
破られるはずがない結界が、破られたのだ。
彼女の視線の先に現れた人影は三つ。
長い黒髪を持つ人影。
白い修道服を纏った人影。
そして、
「真紅!」
右腕を振り抜いた姿勢の、ツンツン頭の人影。
「当麻…!」
それは、真紅が待ち望んでいた人影だった。
- 523 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/09/05(月) 00:45:29.91 ID:S80mhRzpo
- ○
「てめぇ!」
捕われた真紅を見て、即座に駆け出そうとする上条。
だが、
「!?」
踏み出した脚がガクリと崩れた。
「上条くん!」
反射的に姫神が上条を抱え込んだ。
走る勢いを残したままの彼に引っ張られ、たたらを踏んでしまう。
二歩の動きをもって、なんとか支えきった。
「ちっくしょ…!」
腕の中で彼は立ち上がろうとしているが、身体にまったく力が入っていない。
これ以上は無理だ。
姫神はそう判断した。
しかし目の前には、危機が続く真紅の姿がある。
自分たちの真向かい。ベランダ側の壁近くで、驚きを残したセーラー服が右手を振り上げのが見えた。
「っ」
攻撃の予備動作。
思わず身体が強張る。
上条は動けず、自分には闘う術がない。
いまは、三沢塾の時とは違う。
全てに絶望していたあのときとは違い、いまの姫神は、死を恐れるだけの理由があった。
呼吸がとまり、脚がひとりでに一歩だけ、後ろに後ずさる。
しかしその彼女の腕の中で、上条がなお戦おうと――真紅の元に駆け寄ろうと、身もがいた。 - 524 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/09/05(月) 00:46:21.91 ID:S80mhRzpo
- (――!)
逃げるのか。
上条がこうまでも護ろうとするモノを見捨てて。
逃げないのか。
闘う術のない自分が、唯一上条を護れる手段なのに。
胸中に浮かぶ二律背反。
姫神の脚が下がるのやめ、だが、決して前には進まない。
「あいさ! とうまを連れてそのまま下がって!」
そんな彼女の脇をぬけ、インデックスがリビングに跳び込んだ。
息を呑む姫神を背後に室内を目視。
己の正面にいる存在全てに共通する『人形』属性を見て取ると、すぐさま大きく息を吸い込んだ。
「しんく、すいせいせき、ごめんなんだよ!」
その一言を枕言葉に『魔滅の声』が放たれる。
「「「「!!!」」」」
空気が爆発したかのように鳴動し、真紅が、ホーリエが、水銀燈が、メイメイが、蒼星石が、少女人形が、そしてセーラー服が一息に弾き飛ばされた。
黒羽から解放された真紅が床に、水銀燈は開いたままだった掃出窓からベランダにそれぞれ転がった。蒼星石はセーラー服、少女人形とともに壁にたたきつけ られる。動いた空気が、ゼンマイがきれているために影響がなかった翠星石の髪を大きく揺らした。二つの人工精霊が色を失うまで減衰して、高度を落とした。
「っ…っ…っ…!」
ビクビクと痙攣する薔薇乙女と少女人形。
塵は、塵に。
人は死すれば土に還る――あるべき姿に戻る、と言う言葉が、物言わぬはずの『人形』に強く作用する。
だが、その中でたった一人、即座に動いた者がいた。 - 525 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/09/05(月) 00:46:50.31 ID:S80mhRzpo
- 「ぐううっ!」
セーラー服だ。
彼女は、何が起こったのかわからない、と言う表情で上体を起こすと、自分に寄り掛かるように倒れている少女人形に右手を当てた。
「なんで?!」
目を見開くインデックス。
『魔滅の声』の効果は、すぐさま解けるようなものではない。
しかし現実にセーラー服は動き、彼女の唇は素早く言葉を紡ぎだす。
魔術。
―――!
それを阻止するように、床に墜ちたホーリエが発光した。
光槍でも放とうとしたのか、渦状に集まった赤光は、しかしあまりにも弱かった。
赤光は形をとることなく、ただ空気に巻かれ、消える。
その隙に少女人形が起動した。
力無く垂れていた頭が、かくっ、と持ち上がり、光のない無機質な瞳が上条たちを捉えた。
『魔滅の声』の影響は失われていない。しかし注ぎ込まれた魔力が、矛盾による拘束を振り払っていた。
古い映画のコマ取り動画のような動きで、少女人形が立ち上がる。
(御坂妹!?)
「クールビューティ!?」
叫ぶ体力さえない上条がそう思い、インデックスがそれを代弁した瞬間、少女人形の前髪に青白い閃光が走った。 - 526 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/09/05(月) 00:48:08.22 ID:S80mhRzpo
- 「!」
電撃が、くる。
上条は疲労で動けない。
姫神もまた――彼女は動けない。
インデックスは迎撃手段がない。
真紅とホーリエは『魔滅の声』の影響をまともに受けている。
防ぐ手段がない。
彼らをまとめて殺すには不十分だが、重傷を負わせることは十分可能な電撃が、少女人形の前髪から放たれようとした。
―――!?
突然、少女人形の動きが止まった。
上条を見る少女人形の表情に驚きが浮かび上がっている。
今までの凍り付いた無表情が嘘のように動揺を顕す少女人形の前髪で、紫電が瞬き、消えた。
チッ、とセーラー服は舌打ち。
少女人形の原動力である『御坂美琴との結び付き』が裏目に出た。
どうやら彼らの中に御坂美琴と親しい人間がいるらしい。
セーラー服が、まだうまく動かない両腕で床を強くつき、身体を浮かせる。その隙間に折り曲げた脚を滑り込ませて、強引に立ち上がった。
「退くわよ!」
結界が破られるという想定外の状況下。少女人形と蒼星石の戦闘不能。
これ以上、翠星石の破壊にこだわるのは危険だ。
錆び付いているかのようにぎこちなく持ち上げられた蒼星石の手を掴み、セーラー服がベランダに跳び出した。それを追い、少女人形も身を翻す。 - 527 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/09/05(月) 00:49:30.21 ID:S80mhRzpo
- (待、)
『妹達』ではないのか。
美琴に何をしたのか。
今朝、美琴の肩に水銀燈の黒羽がひっかかっていたことと、何か関係があるのか。
いくつもの疑問をこめ、上条が手を伸ばそうとするが、届くわけがなかった。
一方、ベランダに出たセーラー服は、傍らに転がる水銀燈を一瞥。
いまだ『魔滅の声』の影響下にある彼女に鼻を鳴らして嘲笑を浴びせる。
協定は、あくまで共闘だけの話だ。危険を冒してまで水銀燈を助ける義理はない。
「……っ……っ……っ!」
役立たず。
そう語る視線に、水銀燈は鋭い視線を返すが、誇りある第一ドールである彼女は、それがゆえに動くことができない。
左腕に蒼星石を抱えたセーラー服が、走る勢いそのままに、右手を添えてベランダを跳び越えた。
上条の部屋は決して低い階層ではない。生身で落下すれば、運がよければ死なないかもしれない、という高さがある。
自殺行為だ。
「ミコト!」
跳び越えたセーラー服の身体が、重力に引き落とされるほんの一瞬前。
上昇と下降のつり合った、浮かび上がった刹那の瞬間に身を捻り、セーラー服を追ってベランダに出たところの少女人形に右手を伸ばした。
セーラー服の手首に、ゆるく巻かれたブレスレッド――鉄製の、ブレスレッドがゆれる。
少女人形が、タン、とベランダを跳び越えた。
続いてセーラー服に右掌を向け、能力を発動。
『超電磁砲』にはまるで及ばない、しかし人一人を引っ張るには十分な電磁力が発生する。
鉄製のブレスレッドに引っ張られ、セーラー服が空中で大きく体勢を崩す。しかし、問題ない。そもそもここから落下すれば、どう着地しようと無事では済まないのだ。
彼我の質量差ゆえに、逆に少女人形が引っ張られる形でセーラー服の手を握った。
後は電磁力をもって、落下の衝撃を逃がすのみ。そうすれば、肉体的には常人と変わらない上条たちに直ちに追う術はない。 - 528 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/09/05(月) 00:51:02.75 ID:S80mhRzpo
- 「!」
インデックスが大きく息を吸い込んだ。
薔薇乙女や少女人形、セーラー服の密集度が下がってしまったため、『魔滅の声』が使えない。
ならばとばかりに『強制詠唱』で少女人形とセーラー服の間の魔力伝達を封じようとしたのだが、しかし、声を放つことを躊躇った。
少女人形の動きを阻害することはすなわち、彼女たちの自由落下を意味する。
十字教は敵対者へは容赦をしない。
土御門やステイルのようなエージェントは極端にしても、必要な闘いで敵に対して甘い態度を見せないのは、宗教戦争の歴史から明らかだ。
それにここで彼女たちを逃がせば、被害に遭うのは自分たちだけでは済まない可能性も高い。
しかし、インデックスは十字教徒であるとともに、インデックスという人間だった。
セーラー服の正体はわからないが、蒼星石が砕ければ真紅と翠星石は哀しむだろう。美琴に関係していると覚しき少女人形が倒れれば、本人に何らかの影響を及ぼすかもしれない。
「っ、っ、っ!」
『強制詠唱』は詠唱されない。
―――!
迷うインデックスの傍らで、ホーリエが再び発光した。
先ほどよりも回復したのか、強く放たれた赤光が網状に広がり、ひと数人を抱え込めるような網を形作る。 - 529 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/09/05(月) 00:52:39.97 ID:S80mhRzpo
- 「命令よ!」
否。
インデックスよりも、ホーリエよりも、セーラー服の魔術の方が早かった。
首だけを巡らしたセーラー服の視線が、翠星石を捉える。
「防ぎなさい、翠星石!」
翠星石が糸に引き上げられるように立ち上がった。
「「「!?」」」
上条たちが息を呑む中、翠星石らしからぬ無機質な瞳が、インデックスを映しこむ。
予想外の『敵』に、慌てて身構えるインデックス。
翠が床を蹴った。
ダン!という音を置き去りに、一瞬でインデックスの眼前に迫る。
翠星石の構えた左手刀の先端。いわゆる貫き手が、インデックスの左目に向けて槍のように突き込まれた。
―――!
ホーリエの光網が翠星石に向けて放たれる。
右足に絡んだ光網が翠のバランスを崩し、結果、貫き手の狙いが逸れた。
銀髪が数条、空を舞う。
インデックスは身を捻った勢いのままに素早く一回転、
「I I R A N R A!」
振り向きざま『強制詠唱』を翠にたたき付けた。
がくっ、とバランスを崩し、前のめりに倒れる翠星石。
その場から一足だけ跳びのいてから、インデックスは翠星石を注視。
逃げているとはいえセーラー服から目を逸らす行為がいかに愚かかは重々承知。しかし、いままともに戦えるのはインデックスただ一人。
そこにある危機の消滅を確認しなければならないのだ。 - 530 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/09/05(月) 00:53:51.67 ID:S80mhRzpo
- 翠星石は動かない。
元々時間稼ぎのためだったのか、セーラー服からの追加の命令も飛んでこなかった。
半秒。
翠星石がもう動かないことを確認したインデックスが視線を戻した時には、すでにセーラー服たちの姿はない。
飛び降り、そして着地に成功していたなら、すでに駆け出しているだろう。今から階下に降りたところで追いつける見込は薄い。
それにセーラー服は薔薇乙女を連れていた。
インデックスにも全容は判然としないが、デパートの屋上で雛苺が見せたように空間を転移する能力があるとすれば、もうこの辺りにいない可能性が高いだろう。
それにもう一つ。
すぐに追うことができない理由がそこにできあがっていた。
「メイメェイ!」
ベランダで水銀燈が立ち上がっていた。
大きく翼を広げた主の呼びかけに、メイメイが弱々しくも浮かび上がり、その元に向かう。
―――!
ホーリエが強く発光。
メイメイを捕らえようと言うのか、再び光網を作り上げた。
しかしそれは放つことは叶わない。
「させないわよ!」
水銀燈が翼を一振り。
ゴウッ、と音をたて、大量の黒羽が室内にいた全員に襲い掛かった。
「くっ!」
上条が動こうとする。
しかし仮に彼が健在であっても、右手はひとつ。多数点の攻撃は防ぐことは不可能だ。ホーリエの光網は防御のためのものではなく、こちらもすべての黒羽を迎撃できない。 - 531 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/09/05(月) 00:55:55.99 ID:S80mhRzpo
- 「当麻、ごめんなさい!」
「うぐっ!?」
真紅が叫び、上条の膝が崩れた。彼の左手薬指に、赤い光が灯る。
「上条くん!?」「とうま!?」「薔薇よ!」
姫神とインデックスの声に、真紅の言葉が重なり、同時にリビングの床一面から、薔薇の花びらが巻き上がった。
上向きの花吹雪。
幻想のような光景が黒羽を残らず吹き散らす。
だがその隙に、メイメイを手元に戻した水銀燈がベランダから跳び出した。
「真紅! 人間たち! おぼえてらっしゃい! 超電磁砲ともども、必ずジャンクにしてあげるわ!」
先のセーラー服と異なり、翼持つ彼女は重力に囚われない。跳躍の最高点からそのまま飛翔に移り、あっさりと離脱していった。
「……」
はためく音を最後に、室内に静寂が響く。
インデックスは周囲を索敵するが、遺していったような魔術らしきものもない。
戦場は、唐突に上条の部屋に戻っていた。
- 538 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/10/31(月) 00:15:15.63 ID:D7CD/ot1o
- ○
「……終わった、のかも」
「っ」
インデックスの言葉と同時に、上条の全身から力が抜けた。
「きゃあ!」
支えきれず、姫神がよろめくが、
「あいさ!」
インデックスが駆け寄り、姫神の逆側から手を貸したことで、なんとか転倒だけは免れた。
わりぃ、と上条。
「無理しないで。少し。休まないと」
「大、丈夫だ……。それより、御坂に連絡しないと……」
「御坂……超電磁砲?」
「さっき水銀燈が、超電磁砲ともども、って言ってた。それに朝、あいつの服に、黒い羽が、くっついてたんだ」
水銀燈の、さっきの羽だ。間違いない。
あの時は見間違えかと思った。あるいは、烏か何かの羽かと思った。
だが、吹き落とされて床に落ちた黒羽と、朝に見た美琴のそれとは、同一のものとしか思えなかった。
それだけではない。
朝という不自然な時刻に、美琴が来ることが考えにくい学区。
美琴と見間違うほどそっくりで、かつ、『妹達』ではない存在。
いまにして思えば、何をしているのかと問うたとき、美琴はやけに慌てる様子を見せていた気がする。
彼女は一方通行相手に自殺の決意を固めた時でさえ、上条にそれを悟らせることがなかった。
そんな人間が動揺を見せたということは。
何かに巻き込まれている。
そして、傍証を見る限り、それはこの事件である可能性が高かった。 - 539 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/10/31(月) 00:16:54.22 ID:D7CD/ot1o
- (あいつ、また命を張るかもしれねぇ……!)
『妹達』に纏わる事件。上条の脳裏に、あの鉄橋で見た美琴の顔がはっきりと思い起こされた。
「俺が、行かなきゃ……」
力が入らないにも関わらず、立とうとする上条。
美琴の電話番号を彼は知らない。連絡を取るには、探し出すしか方法がないのだ。
だが。
(あ、れ――?)
突然、すう、と目の前が暗くなっていった。
映画館で上映が開始される直前のような急激な変化に戸惑いを覚える。
目眩でも起こしたのか、と頭を振ろうとするが、首がうまく動かない。
「上条くん!?」
「と、とうま、しっかりして!」
左右から聞こえる声が、やけに遠く感じた。
(やべ、俺……)
気を失いかけている。
「当麻!」
真紅の声が届くが、もうどこから聞こえてきたのかもわからない。
(そうだ、真紅は……)
あいつら全員を相手にしていたはずだ。
無事なのか。
怪我はないのか。
「……っ」
そう思考したが、そこまでだった。
持ち上げようとした頭が、意思に反してガクリと下がる。
完全に視界が黒に染まり、上条は意識を失った。 - 540 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/10/31(月) 00:20:16.55 ID:D7CD/ot1o
- ○
人形がいくつも転がる、薄暗い一室。
アジト、と呼べるだろうその部屋に帰り着いたセーラー服は、糸が切れたように膝をついた。
舞い上がった埃がスカートの裾を白く染める。
隣に立つ少女人形は、セーラー服を気遣うような様子を見せない。
最初は『薔薇乙女との戦闘』を。撤退時に『帰還』を。
与えられた命令を消化した少女人形は、すでに物言わぬ人形へと戻っていた。
「マス、ター」
少女人形の逆側。
抱えられている蒼星石は、いまだ動ける状態ではなかった。
まるで身体に力が入らないのか、完璧に、だらり、とした格好だ。
「無理に動かなくていいわ」
そっと蒼星石を床に寝かせる。それからセーラー服は己の身体を確認した。
全身にぎこちなさが残っているが、外傷はない。
ダメージを肩代わりしてくれるはずの自分の人形も、ここから見える範囲で大きな損壊はなかった。何度か魔術を行使したため、部分部分が爆ぜていたが、それは想定の範囲内である。
シスターの少女にかけられた魔術がなんなのかは、わからない。
しかし状況から察するに、『人形』に対してのみ効果があったように思える。それも、その純度が高いほどに効力を増すようだ。
蒼星石がいまだ動けないのもそこに起因しているのだろう。
ローゼンによって究極の人形の一端として設定された彼女だ。色濃く影響を受けても不思議ではない。
少女人形が即座に動けたのは、セーラー服からの直接魔力供給と命令付与があったこともだが、何より人形としての純度があまり高くなかったことが大きかったに違いない。 - 541 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/10/31(月) 00:22:44.60 ID:D7CD/ot1o
- (…私が影響を受けたのは)
おそらく、ダメージを代替わりしてくれる人形たちのせいだ。
『偶像の理論』は決して一方通行ではない。似せて創られたものは、それがゆえに本物にも影響を与え返してしまう。
相手が神や天使等の強大な存在ならそんなものは無視してしまうが、セーラー服は無能力で、魔術も長けているわけではない。
自分に合一させた複数の人形から、『人形』属性を受けていてもなんらおかしなことではなかった。
「……」
右手を持ち上げて目の前に。
指を一本ずつ曲げようとするが、小刻みに震えてうまくいかない。両膝もふわふわとしており、さきほどベランダを乗り越えられたのは、相当に賭けだったようだ。
(……体幹部はある程度回復しているけれど、末端は駄目ね)
蒼星石を見る。
彼女も徐々に回復はしているのか、指先や足首を動かし始めていた。
「……」
状態を考えれば、ここは回復に努めるべきだ。 - 542 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/10/31(月) 00:24:32.67 ID:D7CD/ot1o
- しかし、
「…行かなくちゃ」
ぎこちなさの残る腕を床について、セーラー服が立ち上がった。
膝を伸ばした拍子にふらりとバランスを崩し、数歩たたらを踏む。とても本調子とは言えなかった。
だが、行かなくてはならない。
今夜の標的は、御坂美琴に近しい、あの少女。
白井黒子だ。
人形は完成している。ならば、もう待つという選択肢はありえないのだ。
「っ!」
ギリリ、と奥歯がなった。
昨日目撃した、美琴と白井。目に見える信頼関係に結ばれた姿を思い起こすと、コールタールのようにドロドロとした憎悪が胸に湧きだしてくる。
能力に関する記憶だけではすませない。御坂美琴に関することを、すべて。 - 543 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/10/31(月) 00:27:02.71 ID:D7CD/ot1o
- 「絶対に認めない……全部、全部奪ってあげる……」
右手を、すい、と動かし、隣に立つ少女人形の髪に添えた。
表情と、胸に渦巻く昏い感情と裏腹に、ゆっくりと、愛でるように少女人形を撫でるセーラー服。
『御坂美琴が薔薇乙女と戦ったこと』
その“なぞらえ”を使って動く少女人形は、薔薇乙女以外の戦闘には使うことができない。
何より御坂美琴と信頼関係のある白井黒子を襲うのだ。仮に動かすことが出来たとしても、先ほどのように親しい者――ツンツン頭かシスターか黒髪の少女かわからないが――が相手では、逆に作用することにも成りかねなかった。
戦力は自分と、蒼星石のみ。それも、シスターの魔術の影響を受けたまま、だ。
「立ちなさい蒼星石。……行くわよ」
それでもセーラー服は躊躇わない。
「は、はい…」
小刻みに震える腕を支えに、蒼星石が身を起こした。
「……」
ギラリ、とセーラー服の双眸が光る。
彼女の指の震えは、いつの間にか止まっていた。
- 551 :上条と真紅[sage saga]:2011/12/03(土) 17:23:23.19 ID:Mpqpbi4Ho
- 上条をベッドに寝かせ、姫神は大きく息をついた。
上条は標準的な体型だが、気絶している人間は自重を支えるということしないため、やたらと重く感じる。大の大人でも結構な苦労であり、非力な姫神にとっては落とさなかったのが不思議だ、と言ってもよい作業だった。
「……」
まるで人形のように横たわる上条に、薄い夏用掛け布団をかける姫神。
冷えないよう、肩まできちんと被せようとすると自然、上条の顔を覗き込む形になる。
眉を詰めた険しい表情。疲労が深いのだろう。その額には汗がいまも滲み出ていた。
「……」
ポケットからハンカチを取り出し、彼の額に浮かぶ汗を拭う。
そっ、と離したハンカチを確認すると、汗と土、それから頬の擦り傷から滲んだ血液が移っていた。
「……」
胸の前で一度、それを握り締めてからポケットに。それから、肩越しに背後を振り返った。
「ごめんなさい……ごめんなさいですぅ……」
「気にすることはないのだわ翠星石。あの女は、お父様と同じような力を持っていたのだから」
闘いの爪痕が残るリビング中央では、二人の薔薇乙女が向かい合わせに立っている。
いや、正確には、立っている赤に、翠が縋り付いている、という状況だ。
俯き、泣いている翠星石を真紅が抱きしめ、子供にそうするように、ポンポンと背中を叩く。
ゼンマイ切れで真紅の脚を引っ張ったことは元より、あろうことか敵に操られたという事実がかなりショックだったらしい。何が起こったのかを説明してからこっち、翠星石はずっと泣きっぱなしだった。
「……」
その傍に立つインデックスは、心配そうな表情で、二人を見つめている。
シスターとして心苛む者を抱きしめるべきだが、インデックスでは翠星石にはおそらく逆効果だ。
自分では救いにならず、救える者が別にいるのであれば、無理にその役目を奪うことはない。
彼女が操られた事実を聞けば、ショックを受けるのはわかっていた。しかし、翠星石もセーラー服と対峙する可能性がある以上、どんな魔術を使うのかを知っておく必要がある。
告げないわけにはいかなかった。
「私の方こそごめんなさい」真紅は一瞬だけ姫神に視線を向け「……私に、もっと力があれば」と、言った。
姫神からの視線に対し、目を伏せることで応える。
翠星石を抱きとめる彼女には、インデックスに知られることなく、姫神に謝意を伝える方法が、他に思いつかなかったからである。 - 552 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/12/03(土) 17:24:55.25 ID:Mpqpbi4Ho
- 「っ」
はっ、とした表情で、姫神が真紅から顔を逸らした。
無意識のうちに、真紅に対する視線がきつくなっていたらしい。
「……」
真紅はそれ以上、何の反応もせず翠星石の背を撫で続ける。
対する姫網は、視界の端に映る真紅の表情――努めて無表情を装ったもの――を見ていられず、上条に向き直った。
「……」
再び視線を戻した先の彼は、変わらず、どこか険しい表情。
その原因の一端は、紛れもなく背後にいる赤い彼女だ。
だが、姫神は首を横に振った。背中まである長い黒髪が揺れる。
彼女は悪くない。
むしろ、共に戦うことも、先程のように彼のために逃げを選択することもできない自分こそ、何をしにここに来たのか、と真紅に責められておかしくないのだ。
闘いも、逃げも選択できない自分。
それどことか、死を恐れるようになった今では、彼の代わりに死んでしまうことだって、選択できないかもしれない。
そんな、自己嫌悪さえ感じる自分が、彼のために何かしようとすることは、おこがましいことなのかもしれない。
「……」
ポケットから再びハンカチを取り出し、もう一度上条の額を拭った。
「……か」
不意にポツリと、意識のない上条が呟いた。
「!」
反射的に手を引き、彼の顔を見る。
しかし上条は眠ったままだ。 - 553 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/12/03(土) 17:25:50.78 ID:Mpqpbi4Ho
- (空耳……?)
余りにも小さな声は、姫神もはっきりと聞こえたわけではなかった。
後ろを見れば、真紅も翠星石もインデックスも、上条の声に気がついていない。
空耳か、と思い、上条に視線を戻すと、
「……て」
彼の口元が、何やら動いているのが見えた。
「……さか、……る」
声は小さく、言葉は途切れ途切れ。うまく聞き取れない。
耳を近づけ、息を潜める。
すると、今度は聞こえた。
「……みさか、無茶するな。……待ってろ」
(――っ)
彼が呟いたのは、超電磁砲の名。
冷たく暗い感情で胸の中がザワリと疼き、頬が強張るのがわかった。
気を失ってもなお美琴を心配する彼に、胸の奥から沸き上がる感情を抑えきれない。
昨夜の公園の自分たち。
朝に見た彼ら。
護られるだけの自分と、戦う力を持つ『超電磁砲』
陰と陽を顕すような対比に、胸が痛んだ。 - 554 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/12/03(土) 17:27:53.77 ID:Mpqpbi4Ho
彼は誰にだって、こんな顔をする。
彼は気を失っても、こんな顔をする。
それが彼だ。
彼が命をかけて救い出す相手はみんな、彼のこんな表情を知っている。
そう思うと、悔しくて仕方がなかった。
インデックスも。
きっと、超電磁砲も。
上条にとっては、誰が特別というわけでもなく、逆に言えば、みんなが特別だから、命をかけて他人を救おうとする。
彼が自分を助けたことも、まったく特別なことではない。
「……」
昨日と今日でわかったことは、大覇制祭の病室で覆したはずの劣等感は、未だ胸に巣食っているということ。
自分は何もできない。
そんな己の根底に流れる考えは、いくつかの影響を受けながらも、未だ完全に払拭さることはできていなかった。
自分は何も成長していないのだ。
二度も死に掛けて――――いや、確実に死んでしまうはずのところを奇跡に助けられても、なお。- 555 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/12/03(土) 17:29:04.58 ID:Mpqpbi4Ho
しかし、それでも。
- 556 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/12/03(土) 17:30:45.31 ID:Mpqpbi4Ho
- 起きる様子のない上条の顔を見ながら、すう、と息を吸い込む姫神。
目を閉じ、息を止め、それから、ゆっくりと呼気を吐き出した。
「……」
再び開いた姫神の視線は、いま、つい半秒前までとはまるで別人のように、まっすぐ強く前を見据えていた。
命の恩人だから。村の皆を殺したことを知っていても彼は優しいから。三沢塾で何をされていたかを伝えても、彼は自分を嫌わないから。
しかし詰まるところ、自分が彼を想うのは、誰が相手でも、彼がこんな顔をするからだ。
そんな彼だから、大切に想う。
彼のために何かしたいと願う。
誰でもできることであっても――――自分が、彼に報いたいと思う。
「……」
姫神は上条の顔をもう一度見つめてから振り返った。
薔薇乙女たちと、インデックス。
「あいさ、どうしたの?」
と、インデックスが問うた。
その声につられ、まだ涙を浮かべている翠も、どこかぎこちない無表情の赤も、姫神を見る。
時刻は、まだ昼を過ぎた程度。夏夜は帳が下りるまで時間はあるが、状況が状況だ。
探しにいくとしても、一人では手が足りず、また、先のように襲撃される可能性がある以上、複数で動くことが望ましかった。
しかし倒れた上条を放って行くわけにもいかない。
誰に、彼を任せるべきか。
―――無念。ローゼンの傑作である薔薇は、すでに昇華されていた。別の方法を探さなければならない。
真紅への疑念となった言葉が、頭の中を過ぎていく。
あの錬金術師が、何の得にもならないのに、自分に嘘をつくとは思えない。
だが――
「……真紅。貴女は、看病の経験は、ある?」
と、姫神が言った。 - 557 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/12/03(土) 17:32:22.11 ID:Mpqpbi4Ho
- ○
アスファルトが、二人の踵を鳴らしている。
「今日はありがとうございました白井さん。おかげで助かりました」
片方の踵の持ち主、初春飾利が、隣を歩くもう片方の踵の持ち主、白井黒子に笑顔を向けた。
昨夜発生した電撃使い襲撃事件。
現場である寮及びその周辺の調査が、今夜の風紀委員の任務であった。
もちろん昼間にも調査は行われていたが、それをわざわざ夜間にも行った理由は二つ。
襲撃時と同一条件の確保――夜間にのみ発揮できる能力も存在するため、その残存情報が得られないか、ということと、いまひとつは、多くの風紀委員を夜間に出動させることで、事件の防止や発生時の対応を早くしようという試みだった。
その中で初春の任務は、電子計算機関係の精査だ。寮内が主な検証場所であることから回線越しの調査ではなく、現地まで赴いたわけである。
「仕事ですから。お礼を言う必要はありませんのよ?」
どこか申し訳なさそうな初春に苦笑を返す白井の方は、調査のための精密機械の運搬業務。
僅かな振動も好ましくない精密機械の移動に、彼女ほどの適任はいないのだ。
「でも白井さん、昨夜も遅かったのに…」
「そこはまぁ、風紀委員の宿命、というところですし」
白井としては、今日の仕事に不満はない。
大能力者ゆえに荒事対応が多いとはいえ、別にそれを好いているわけではなかった。
初春がどこか居心地悪そうにしているのは、風紀委員でも限られた高レベル空間移動系能力者を、運送業代わりにさせた、ということがひっかかっているのだろう。彼女的に言えば、リソースの無駄遣いをさせた、というところか。
白井としては、気にするものではない、と思うのだが、そこは性格というものだ。
横目で見れば、花飾りの友人は、まだどこか申し訳なさそうな顔。
だから白井は、言葉をつなげた。
「それに、」
さらり、と髪を指でとかす。
「たまにはこんな風に歩くのも、悪くないですの」
と、言った。 - 558 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/12/03(土) 17:33:59.39 ID:Mpqpbi4Ho
白井は遠隔地での単独任務が圧倒的に多いため、仕事帰りにこうして誰かと歩くこと自体が稀だった。
初春を気遣っての発言だが、割と本気で思っていたことでもある。
「そうですか」
初春が微苦笑。
白井の言葉にこめられた思いに、幾分か心が軽くなったようである。
それを見た白井も友人に向ける柔らかな微笑を浮かべた。
十数秒間、アスファルトが鳴らした踵は、彼女たちの心持ちを現すように、どこか軽やかな響きを帯びていた。
しかしその音も長くは続かない。
「……いつまで続くんでしょうかね、これ」
初春の顔が再び曇り、踵が重くなる。
電撃使い襲撃事件。
今夜の調査は、ほぼ空振り。
目撃情報で上がった『セーラー服の女』は、寮内外の防犯システムには映っていなかった。
犯行時間帯の映像は今までと同様に砂嵐という有様で、入退寮を管理する各種セキュリティシステムも、稼動を妨害されている。
初春も考えられるシステムチェックを施したが、判明したことは今までと同様に『犯人はなんらかの手段でシステムやカメラを撹乱している』ということだけだった。
結局、有力と思われた目撃情報は裏付けが取れないために参考情報に格下げされてしまっている。これでは次の犠牲者が出るのを待つばかりだ。- 559 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/12/03(土) 17:35:52.65 ID:Mpqpbi4Ho
- 「大丈夫ですの」と、白井。
「え……」
「わたくしたちが、必ず捕まえてみせます。絶対、逃がしてはおきません」
真っ直ぐ正面を見据え、白井が断言した。
「……」
ぽかん、と初春が白井を見る。
それはなんの根拠もない言葉だ。手掛かりもなく、いたずらに犠牲者が増えるだけの中、気休めにもならない文字の羅列に過ぎない。
もちろんそんなことは白井にだってわかっている。いやむしろ、こう言った根拠のないことを口にすることは、彼女の矜持に反する――とまではいかないが、そぐわないものだ。
しかし、彼女の瞳が語るのは、また別の言葉。
諦めないのは当然だ。手掛かりがないなら、探し出せ。誰かが襲われるならば、身をていして助けろ。
一片の諦観だって抱いてはいけない。それは土壇場で、己を殺す刃と化す。
自分を護れ。何よりも、大切に想うモノ全てを、護るために。
白井は、そう言っている。
「そうですね。そうですよね」初春が、ゆっくりと笑顔を浮かべた。
自身のもっとも得意とする分野で、完全な空振りが続いていることが、自信を揺らがせていたらしい。
見つからない、と思っていては、見えるはずのモノも見えなくなってしまう。何があっても、よい方向へ進める意思を失ってはいけないのだ。
「ありがとうございます、白井さん。ちょっと弱気になってたみたいです」と、初春が言った。
「お礼を言われるようなことではありませんの」
一方の白井は、腕を組んで、つい、と目を逸らす。何気ない仕草を装っているが、照れて赤く染まった頬を隠そうとしていることは明白である。
らしくないことを言ってしまった。しかも、
(……わたくしも少々、あの方に毒されましたか)
4トンを超える瓦礫を跳ね退け、自分を助けるに至った彼。そのとき耳にした単純極まりない彼の動機にここまで影響があるとは、なるほど、美琴がノボセテしまうのも無理はない。
(もっとも、だからと言って容認するつもりはありませんけれど)
それなりに認める気持ちはあれども、それとこれとは話が別である。 - 560 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/12/03(土) 17:37:05.45 ID:Mpqpbi4Ho
- ――と。
「あれ?」
不意に初春が脚を止め、振り返った。
「なんですの?」
数歩先で白井も立ち止まる。
「いえ、いまそこの路地に人影が……」
「人影?」
こんな時間に、路地に?
スキルアウトか何かだろうか。
どちらにしてもこの時間帯にそんな所をうろうろする者は、注意をしなくてはならない。
「ちょっと注意してきます。貴女はここで待っていて……」
そう言いかけた白井に目を向けないまま、初春が首を横に振った。
「いいえ、白井さん」
「?」
初春は横顔に緊張を走らせながら、
「白い、セーラー服だったんです」
「!」
白井の表情が一瞬で引き締まった。
初春、電話で応援を。
白井がそう言おうとした、その瞬間だった。
「!」
ゾクリ、と白井の背筋に悪寒が走った。
殺気。
(真上!?)
能力ゆえに持っている空間への鋭敏さと、天性の勘が、白井に襲いくる敵の位置を知らしめる。
「危ない!」
「きゃっ!?」
演算している暇はない。
頭がそう思った時には、反射が身体を動かしていた。
白井は初春にタックルでもするようにして、共に路地に飛び込んだ。
明暗の差から一瞬だけ視覚を失った白井の耳に、ジャキン、と鋏が綴じるような音が響く。
「くっ!」
想像以上に近く、大きな音に、白井が身を捻って路地の外――――いましがたまで自分たちが歩いていた大通りを見た。 - 561 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/12/03(土) 17:38:16.73 ID:Mpqpbi4Ho
- 「……」
そこにいたのは、人間のようで、人間ではない。
闇夜にも上質とわかる服を纏うは、幼児とも言える体躯。
紅葉と見違う小さな両手が握る、冗談のように大きな鋏。
陶器のごとく整った顔に浮かぶオッドアイが、白井の視線と真正面からぶつかった。
「――っ!」
その瞳に宿った紛れも無い害意に、白井の手が太股の鉄針に伸びる。
「ひゃあ!? しししししし白井さん!?」
「!?」
だが胸元からの泡食った声と妙に柔らかな感触に、その手が止まった。
反射的に鉄針を掴もうとした手は、反射的であるがゆえにいつものようにしか動かない。
最短コースを辿った右手は、その軌道上にいた、抱きかかえている初春の制服胸元に突っ込まれていたのだ。
鉄針を掴もうとした指が、あるかなしかの膨らみを掴んでいた。
「や、やん! 白井さん! 私は御坂さんじゃありませんよ!?」
「ち、違いますの!」
初春からしてみれば、突然抱きしめられた上に胸を揉まれた状況だ。その上、いつもの白井を知っている。
彼女が一瞬にして鳥肌をたてたのが、奇しくも胸元に突っ込んだ手から伝わってきた。
(こ、こんなことをしている場合では……)
暴れる初春にバランスを崩されながら、鉄針は諦めて視線を戻すと、オッドアイはすでに鋏を構え直していた。
左右取っ手それぞれの輪を掴み、両腕を水平にまで拡げた姿勢。
彼我の間合いはさ2メートルもない。踏み込まれたら刃が届く。
「敵ですのよ!」
「へ!? きゃん!」
極めて簡単に状況を伝えた白井は、初春の胸元から手を抜くことなく、彼女を強引に抱えて身を翻す。
右手がブラジャーの隙間に入り込み、膨らみの先端に触れている気がするが、構ってなどいられない。 - 562 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2011/12/03(土) 17:40:50.37 ID:Mpqpbi4Ho
- 「そこはだめで……きゃあ!」
白井が地面を蹴ると同時に、ジャキン! と、再び鋏の音。
先程より近い。
歯噛みする白井。同時に初春の身体が強張ったのが、文字通り手に取るようにわかった。視線を動かした拍子に、彼女にも敵が見えたらしい。
初春とともに『空間移動』することは可能だが、路地は暗すぎた。転移先に何があるのかわからない状況下でそうすることは、危険を通り越して自殺行為に近い。
振り向いてもう一度大通りを視界に入れようとするものの、オッドアイが両腕を振り上げ、90度まで開いた鋏を大上段に構えている。
白井と初春が並んで走ることもできないような狭い路地だ。加えて先の一撃を回避した時に、路地奥に入り込んでしまっている。
壁と鋏とオッドアイに隠され、大通りが見通せない。
「――っ」
真上を見あげる。
だがそこは、不幸にも雑居ビルの間だった。ささやかなベランダが邪魔になり、こちらも転移するには危険が過ぎた。
逃げるしかない。
「走りなさい初春!」
「はははははい!」
相手に背を向ける屈辱を味わいながら、白井は駆け出した。
半ば白井に抱きかかえられたまま初春も慌てて自分の脚を動かし始める。
まるで二人三脚のように走る彼女たちの背を。
鋏が鳴く音が、追いかける。
- 569 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/01/09(月) 20:06:53.15 ID:HxMoiHH+o
ジャキンジャキンと甲高い音が連続する。
「くっ!」
「きゃあっ!」
白井はその度に自ら身を沈め、あるいは初春の背を押し、襲いかかる刃を回避する。
すでに間合いは詰められていた。
狭い路地は、幼児のごとき体躯のオッドアイには障害にならない。
白井と初春の脚は鈍り、オッドアイは全力で動ける。
打ち振るわれる刃の一撃一撃は、回避に失敗すれば即座に首や腕を飛ばすだけの威力がある。
時折、白井が牽制に放つ蹴りや、路地脇に転がるバケツ等に邪魔されて追撃が緩むが、気休めにしかならなかった。
狭い路地の他、彼女たちにとって不幸だったのはここがビル街であったこと。
すぐに大きな通りに出られるかと思っていたが、ビルと闇夜が作り出す迷路は、そう容易く二人を解放してくれないらしい。
白井は頭の中に広がる地図と持ち前の空間把握能力で現在位置と進行方向を割だそうとするが、
ヒュン!
「っ!」
耳に響く斬空の音。
白井は脳内に展開していた地図を破棄し、音に集中する。
音の源泉と速度、種類を瞬時に聞き分け判断し、斬撃の方向と狙いを特定した。
袈裟架け――初春の首筋。
白井は両手で隣の彼女を引き寄せて地面を蹴り、さらに右の壁を蹴りつけた。
振り下ろされた鋏の先端は、ギリギリで初春の背中を傷つけない。
しかし。
「痛っ!?」
「白井さん!?」
白井の後ろ右上腕に焼け付く痛み。
掠った。だが浅い。
その事実を流れ出した血液の感触で把握した白井は、左側の壁を蹴ってさらに前へと跳躍。着地と同時に初春を抱えたまま、全力で走り出す。
鋏を振り下ろした姿勢のオッドアイはすぐに追撃に移れない。
歩数にして5歩ほど稼いだ。- 570 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/01/09(月) 20:07:44.09 ID:HxMoiHH+o
「白井さん、怪我したんですか!?」
「ただのかすり傷ですの! それより現在位置を!」
「は、はい!」
初春がポケットから携帯電話を取り出す。待受画面の明かりが、ぼう、と彼女の顔を浮かび上がらせた。
しかし逆にそれが災いする。
ビュン! と今までとは異なる風斬り音。
「!」
(投擲!?)
頭が考えるより先に、生存本能と経験が白井の身体を動かした。
左手が一瞬でポケットから携帯電話を取り出す。
小さな棒状のそれを手の平に保持したまま、下から上に手を振り上げた。
衝撃が響き、手の中で金属が砕ける感触。
だがそれを代償に、空を割った鋏は弾かれ、回転しながら深々と壁に突き刺さった。
『空間移動』では刃と手の接触タイミングが計れず、素手では手首ごと持って行かれ、鉄針を抜き出したのでは間に合わなかっただろう。- 571 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/01/09(月) 20:08:48.55 ID:HxMoiHH+o
バラバラと手に纏わり付く携帯の残骸を振り落としながら、白井は初春に言った。
「携帯は駄目ですのよ!」
「で、でもそれじゃあ位置が……!」
内勤専門で空間系能力者でもない初春に、頭の中の地図で対処しろ、というのは酷な話だ。
だから白井は位置把握を諦めた。
初春を責める気持ちはまったくない。白井とて、いまこの場でハッキングしろと言われても不可能なことと同じなのだから。
(ならばいまは逃げるだけですの……!)
大通りに出られるか、あるいは、もう少し明るいところに出られれば、状況も好転する。
そう判断し、白井は彼我の距離を確認するため、背後を振り返った。
そこには追い掛けてくるオッドアイが――
(!?)
白井が目を見開く。
オッドアイは、追い掛けてはきていなかった。
いや正確には、追い掛けようとして、失敗していた。
さきほど弾いた鋏。壁に突き刺さったそれを、駆けながら引き抜こうとして、抜け切らずに後ろに引っ張られ、たたらを踏んでいた。
それでもオッドアイはなんとか引き抜くことには成功したようだ。多少のけ反っただけで、すぐに追跡を再開する。
コントのような、テレビで見れば思わず笑ってしまいそうな光景。
しかし白井の頭脳は、回転を始めた。
(……一息に引き抜けない、ということは)
狭い路地を苦にしない。小さな体躯。
僅かな力で白井の身長以上に達する跳躍力。
何より、ビルの屋上から飛び降りたとしか思えないような、最初の一撃。
「……」
駆け続けながら、白井の表情が変化した。
それは世界において、決意という意味を顕したもの。
「し、白井さん?」
突然無言になった白井に、不安そうな声をかける初春。
白井は、あまりにも光源が少なく、この距離でしか顔が見えない仲間をさらに抱き寄せた。
その耳元に、唇を寄せる。
「……初春、反撃しますわよ」
と、白井は言った。- 572 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/01/09(月) 20:09:58.85 ID:HxMoiHH+o
○
状況は変わっていなかった。
金属音が響き、二人の少女が時に身を沈め、時に翻す。
しかし変化がないわけではない。
鋏の音と、少女たちの回避の機会が、徐々に増えていっていた。
無理もない。
少女たちは走っているのだ。いくら鍛えているとは言え、体力は無限ではない。
このままでは、いずれ完全に追いつかれ、捉えられる。
狭い場所での近接戦闘では、攻撃を防ぐのは回避ではなく防御にならざるを得ない。
それは少女たちにとって、圧倒的に不利な勝負。
しかしついに、その時はやってくる。
体力の限界か、ツインテールの少女の脚が乱れた。
靴の裏が地面を噛み損ね、前のめりに倒れ込んだ。
辛うじて膝と右手を突いたが、完全に動きが止まる。
ツインテールの左腕に抱え込まれていた花飾りの少女も、ほぼ同様に地面に手を突いていた。未だ握り締められ、そして転倒の拍子にその手から離れた携帯電話が地面に転がり、待受画面が表示される。
それは暗闇の中、大きな光源となった、背中から迫る者の影を、壁に映し出した。
そしていまこそ、鋏を構えた死神が、飛び掛かる。- 573 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/01/09(月) 20:10:55.87 ID:HxMoiHH+o
○
「いまですの!」
白井の合図に従って、初春が身を捻った。
背中から回っている白井の左手。
白井が一息に引っ張りあげるその左手を両手で握り締めて、さらに自らも跳ねることで重力に抗する。
結果として浮き上がった初春の身体は、文字通り空転して仰向けに切り替わった。
敵の位置はわかる。真上。跳んでいる。
携帯電話のバックライトで形作られた影が、教えてくれる。
「はいっ!」
初春の両足が、カウンターの蹴りを繰り出した。
「――っ!?」
予想外の攻撃を、反射的に鋏で受け止めるオッドアイ。
しかし、追うことに有利なオッドアイの小さな身体は、そのまま一つの枷ともなる。
質量差。
体重が軽い初春の、不完全な体勢で放たれた、不得意な格闘技術による蹴撃。
それでもオッドアイは身体を浮かされてしまう。
体勢が完全に崩れ、両足が空を掻く。
瞬時に立ち上がる白井。
初めからそのつもりで転んだのだ。体術に長けた彼女に、そのくらいは造作もない。
「っ!?」
オッドアイがかち上げられた鋏を引き戻し、防御体勢を取る。
否。
「遅いですのよ!」
白井の方が遥かに早い。
立ち上がる勢いそのままの左横蹴りが、斜め下から叩きこまれた。- 574 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/01/09(月) 20:12:32.06 ID:HxMoiHH+o
「がっ!」
靴の裏が顔面を直撃し、大きくのけ反るオッドアイ。
「初春!」
「わかってます!」
さらに白井は、蹴り脚を引きながら、右手を後ろに差し伸ばした。
初春はその手を取り、自身に引き寄せながら立ち上がる。
蹴りの衝撃と初春の牽引でバランスを崩す白井だが、
「っ」
今度は初春がその白井を抱き留める。
そのまま、ワルツを踊るように、クルリと半回転。
白井が路地奥側に。初春がオッドアイ側に。
しかし舞踏は続き、武闘への繋ぎと成る。
回転の間に、初春は自ら倒れ込むようにバランスを崩し。
「――!」
白井は、それを支えとして、己のバランスを取り戻した。
そして、
「!」
白井は初春を背中側――先ほどまでの進行方向に向けて、躊躇いなく振り捨てた。
反動はそのまま踏み込みへと転ずる。
白井の身体が、完全な攻撃体勢を再構築し、オッドアイに肉薄した。
「っ!」
路地の壁にたたき付けられた初春の声なき声を背後に、
「しぃ――やあっ!」
右の掌底をオッドアイの腹に叩き込む!
「ぐふっ!」
至近距離で一瞬だけ見えた、その調った顔には似合わない声が響き、オッドアイは大きく弾き飛ばされた。
壁にぶつかり、地面に叩きつけられ、ボーリングのようにバケツに突っ込む。- 575 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/01/09(月) 20:13:14.06 ID:HxMoiHH+o
(勝機!)
ここしかない。
白井はオッドアイの手から離れ、未だ空中にある鋏を左手で掻っ攫うように掴んだ。同時に大地を蹴る。
オッドアイはもがくが、身を起こすことができない。
顔と腹へのダメージに加え、身体比率的な大きく重いバケツとその中身が、オッドアイの動きを疎外している。
それでも地面に手をつき、上体を――
「このっ!」
「ぐっ!」
仰向けのオッドアイの左脇腹に、靴のつま先が叩き込まれた。ビクリと震えるオッドアイ。
さらに白井は鋏を持ち上げ、先端をオッドアイの細く白い首に向けた。
「っ!」
ギラリと光る己の武器を見て、ダメージの中でもオッドアイが動こうとする。
しかしそれより早く、
「チェックメイトですの!」
躊躇いなく、白井が鋏を突きこんだ。- 576 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/01/09(月) 20:14:44.85 ID:HxMoiHH+o
○
ズン、と鈍い音とともに、僅かに地面から持ち上がったオッドアイの腕が、
「……」
ゆっくりと、ゆっくりと、巻き戻すように落ちていった。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
小さな手の甲が再び地面につくと同時に、鋏に体重を預ける白井。
荒い呼吸。
白井にして、体力の限界だった。
しかしそれでも彼女は目を閉じたり、鋏から手を離したり、ましてや身を起こそうともしない。
当たり前だった。
「動かない方が、あなたの、身のためですの」
と、荒い呼吸の合間に白井が言った。
「……」
息切れもしていないオッドアイが、無言のまま見上げてくる。
約45度に開かれた刃は、オッドアイの頭の両脇に先端を食い込ませていた。
刃はオッドアイの首ギリギリの位置にある。鋏の取っ手を少しでも開けばバランスが崩れ、倒れ込む形でその首を切断するだろう。
さらに白井の右手が、オッドアイの左肩を押さえ付けていた。少しでも動けば、真横にある壁に中に転移させることも可能だ。
だが敵を完全に無力化したわけではない。
しかし、こちらの戦術的勝利が確定し、さらに相手が抵抗の様子を見せないため、これ以上の攻撃を加えることは、風紀委員として不可能だった。
それにどんな能力か知らないが、オッドアイは重要な証人か、あるいは証拠品だ。
可能な限り傷をつけないことは、今後のためでもある。
「初春、通報をしてくださいまし」
だから白井は、背後にいる仲間に呼び掛ける。
いまの正確な位置はわからないが、今夜は出動している風紀委員が多い。通報すれば、すぐに駆け付けてくるだろう。
ましてや『電撃使い襲撃事件』に重要参考人(あるいて重要物件)を確保したとあれば、それこそ最優先で応援が送られるはずだ。
(……?)
そこまで考えた白井の胸に、僅かだけ違和感が生まれた。
なんだろうか。
何か、重要なことを見落としているような……。
だがそれが形を持つ前に、
「……」
オッドアイが無言のまま、僅かに身じろぎした。- 577 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/01/09(月) 20:16:03.41 ID:HxMoiHH+o
「動くなと言ってますの!」
ギリ、と鋏の取っ手を押しながら警告を発する白井。
(いまは考えている場合ではありません。それよりも応援を……)
しかし、初春からの返答がない。
「初春、どうしたんですの?」
問い掛けるが、顔はオッドアイに向いたままだ。
圧倒的に有利であっても、視線を外すのは危険だ。
だが、返答がない。
「初春?」
もう一度呼び掛ける。
それでもなお、返答はなかった。
まさか、さきほど突き飛ばした拍子に、どこか怪我でもしたのかもしれない。
はっきり言って、ソフトに投げ飛ばす余裕などなかった。
おまけにこの狭さ。頭を打った可能性は十分にある。
「初春! 初春!?」
呼ぶ白井の声に、心配の色が混じり込む。
気絶だけならまだいいが、打ち所が悪ければ危険だ。
それでも視線を向けられない。オッドアイは、まるでこちらの隙を伺うように、冷たい瞳を白井に注いでいるのだ。
「初春! 返事を……」
「呼び掛けても無駄よ?」
突然、まったく異なる声。
「!」
予想外のことに、警戒も忘れて思わず振り返る白井。
「だって意識がないもの」
視線に、クスクス、と笑う声が応えた。- 578 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/01/09(月) 20:17:44.20 ID:HxMoiHH+o
そこにいたのは、闇夜の中でもはっきりと見える白い、海兵のようなセーラー服。
俯せに倒れた初春の傍らに片膝をつき、その首筋に指先を当てている。
先の反撃で投げ出された携帯電話のバックライトが、セーラー服の微笑みをはっきりと浮かび上がらせていた。
昨夜の目撃談。
セーラー服の女。
敵だ。
「……っ!」
白井は、己の失態を悟った。
なぜ忘れていたのか。
初春は、路地の先に白いセーラー服がいる、と言っていたではないか。
なぜ、自分たちの前にも、敵がいる可能性に思い当たらなかったのか。
狭い路地は二人並んでは走れないが、一人なら問題なく走ることは、今の今まで走り続けてきた自分が一番よく知っているではないか。
何より、こういう場所での最も基本的で効果的な戦術は挟撃であると、散々習い、経験してきたではないか。
「う、ういは……」
ピクリとも動かない花飾りの彼女。
まさか、という思いが、白井の胸中に沸き上がった。
その瞬間。
ドゴッ! と白井の腹に強烈な蹴りが突き刺さった。
オッドアイが、先ほどの初春のごとく、その両足を以って白井を蹴りあげたのだ。- 579 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/01/09(月) 20:18:50.46 ID:HxMoiHH+o
「がはっ!」
身体が浮き上がるほどの衝撃に、白井の口から空気の塊が吐き出される。呼吸が止まる。
「!」
右手がオッドアイの肩から、左手が取っ手から離れ、鋏にかけられていた圧力も消えうせた。
即座にオッドアイが、己が顔の両脇に突き立つ刃を真下から殴り付けた。
地面に浅く食い込んでいただけの先端は容易に外れ、入れ替わるように取っ手部分がオッドアイの胸の上に倒れてくる。
(しまっ……)
壁にたたき付けられた白井が右手を太ももの鉄針に伸ばそうとするが、ダメージで腕が動かない。
一方、オッドアイは伸ばした脚で反動をつけ、一息に立ち上がった。
バックライトに照らし出された、鋏を構えた影は、まるで死神のよう。
壁に背中を擦りながら地面に尻もちをついた白井に、その先端が向けられた。
(まずい……ですの)
呼吸ができない。立ち上がれない。頭をあげ、相手を見るだけで精一杯。
壁を背にしている以上、おそらく相手は突いてくる。自ら横向きに倒れれば、次の一撃はかわせるかもしれない。だがそこまでだ。
バックライトの明かりがある今なら『空間移動』が使えるかもしれない。しかし白井自身が演算できるような状態ではなかった。
チェックメイト。
つい先ほど、自分がオッドアイに告げた言葉が頭を過ぎる。
そして予想どおり、オッドアイが突きの形に鋏を構えた。
(どこかに突破口は……!?)
自身は動けない。助けは期待できない。
それでもなお、白井は諦めない。
自分を護り、初春を助け、目の前の敵を倒し、事件を終わらせる。
その意思は、まったく萎えてはいなかった。
しかし現実は非情。
攻撃の予備動作として、オッドアイが半歩踏み込んだ。
「っ」
白井が奥歯を噛み締める。
諦めない。
回避のため、自ら身体を横に倒し――- 580 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/01/09(月) 20:20:03.58 ID:HxMoiHH+o
「待ちなさい蒼星石」
「!」
セーラー服の言葉で、蒼星石が動きを止めた。
「!?」
すでに回避行動に移っていた白井は、そのまま左を下に地面に倒れる。
ドサッ、という音が響いて消えた。
一瞬だけ、染みるような静寂が、路地に横たわる。
「……今、この娘たちを殺すのは簡単よ? でも駄目。それじゃ駄目なのよ」
その挟み込まれた静寂を破り、いつの間にか立ち上がっていたセーラー服が、白井に歩み寄った。
その両腕の中には、いまだ力のない初春が抱えられている。
頭をガクリと落としたままの初春の表情は白井からは見えない。しかし、
「ん……ぅう……」
セーラー服が歩いたことが刺激になったのか、初春の口から呻きが漏れた。
生きている。
だが、白井の胸に浮かんだ安堵の感情は、続くセーラー服の言葉に打ち砕かれた。
「殺しても、御坂美琴は絶望しないわ。死んだ方がマシなくらいの、生きた悲劇が目の前にあるからこそ、人は絶望するの」
蒼星石の前に立ち、白井を見下ろす位置まできたセーラー服が、にぃっ、と醜悪に頬を歪めた。
昏さそのものを湛えた瞳が、白井を射抜く。
狂気。
「……っ!」
挙がった名前と、吐かれた言葉と、浮かんだ感情。
目を見開いた白井が、なんとか身を起こそうとして――- 581 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/01/09(月) 20:20:59.34 ID:HxMoiHH+o
「何を立とうとしているの?」
ズドッ、とまったく容赦なく、白井の腹にセーラー服の靴の、その爪先がめり込んだ。
「!!!」
あまりの衝撃に、声の代わりに胃液が喉を駆け上がってくる。
それを吐き出さなかったのは、苦痛に驚いた全身が、無意識に篭めた力が食道を塞いだからに過ぎなかった。
「貴女はそこで這いずり回ってから、私の言うとおりにすればいいのよ」
ズドッ。
「っ!」
「聞こえてるわよね? 意識飛ばしちゃってないわよね?」
ズドッ。
「っっ!」
「まぁ聞こえてないならそれでもいいわ。きちんとメモを残してあげるから――貴女の頬に蒼星石の鋏で、ね」
ズドッ。
「っっっ!!」
「ああ、それから安心していいわよ。この娘に、貴女が考えてるようなことはしないから」
ズドッ。
「っっっっ!!!」
「まぁ言うとおりにしなかったら別だけど、でも、私は貴女にだけ用があるの」
ズドッ。
「ぐぶあっ!!!」
一撃ごとに喉を競り上がってきていた胃液が、五回目で口から溢れた。
吐いたというよりも吹き出したに近い勢いで、手の平一杯ほどの液体が、路地の地面に染み込んだ。- 582 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/01/09(月) 20:22:00.88 ID:HxMoiHH+o
「ふ……ん」
セーラー服が目を細め、感心したように鼻を鳴らした。
自分を見上げてくる白井の瞳には、苦痛の色はあれども、確かな怒りの意思に彩られている。
「まだ意識があるのは驚いたけど、それでこそってところかしらね」
セーラー服が白井から離れた。
そして左手で胸ポケットからメモ用紙を取り出す。
「一時間後にここにいらっしゃい。もちろん一人で。さもないと……わかってるわよね?」
紙を離したセーラー服の指が、動かない初春の頬を擽った。
淀んだ空気の中を滑空した紙が、ハラリと白井の目の前に落ちる。
しかし白井は動けなかった。ダメージが大きすぎる。呼吸すら、満足にできていない。
ただ、視線だけは依然、セーラー服に向けていた。
セーラー服は、その視線を無視。
「じゃあ私たちは行くけれど、貴女もいつまでも寝転がっていない方がいいわよ?」
ヒラヒラ手を振りながら背を向け、
「『人払い』がなくなっちゃうからね。スキルアウトにでも見つかったら、貧相な貴女でも一時間じゃ離してくれないんじゃない? 風紀委員さん?」
と、言った。- 583 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/01/09(月) 20:22:58.42 ID:HxMoiHH+o
○
初春を連れたセーラー服と蒼星石の足音が闇の中に消えてから、約二分。
「かふっ! がっ! げえっ! がはっ!」
辛うじて回復した呼吸で白井が最初に行ったのは、口喉に溜まったモノを吐いてしまうことだった。
「はあっ、はあっ、はあっ」
ひとしきり咳込んでから、大きく肩を上下させる白井。ツンとした臭いが鼻をつくが、構ってはいられなかった。
「くうっ……!」
ずっしりと重く感じる腕を無理矢理動かし、自らの吐瀉物に塗れたメモ用紙を拾う。
震える指に摘まれた紙には、ボールペンか何かの走り書きで、住所しか書いていない。
おそらく、一般人ならば、コンピュータで検索しなければ、どこかなどわからないだろう。
しかし白井は、その住所地を知っていた。
夏の終わりに不可解な瓦解をしたことで、風紀委員でも調査対象に挙がっていた施設である。
管轄外……というか、能力の適性外だったため調査に参加していない白井だが、結果として瓦解は内部抗争が原因で不審点はなかったと聞いていた。
それをわざわざ、なぜ指定してきたのか。
セーラー服が何かの因縁を持つのか、それともただ隠れ家として適当だったのか、それはわからない。
だが今、白井にそこに向かわない選択肢はなかった。
罠かもしれない。
仲間を呼ぶべきかもしれない。
美琴に連絡すべきかもしれない。
しかし――
――さもないと……わかってるわよね?
「……」
あの目は、本気だ。- 584 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/01/09(月) 20:24:07.42 ID:HxMoiHH+o
壁に手をつき、ふらふらと立ち上がる白井。
「うっ!? ぐぶっ! うああぁぇぇぁぁ……!」
両膝が伸びたところで、猛烈な吐き気を催し、白井は身を折って顔を伏せた。
ビチャビチャ、と水音が響く。
「がはっ、はっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ」
ひとしきり、出たがっていたモノが出てしまうと、白井は ぜーぜー、と息を荒げながら、ぐい、と手の甲で口元を拭った。
――殺しても、御坂美琴は絶望しないわ。死んだ方がマシなくらいの、生きた悲劇が目の前にあるからこそ、人は絶望するのよ
「ふざけんじゃないですの……!」
血と胃液の混じった唾を吐き捨てる。
あのセーラー服は奪うつもりだ。
何を、ではない。
白井が大切にしている、何もかもを。
「待っていなさい初春……必ず助けてみせます……!」
再びあげた白井の顔は、九月半ばのあの日――『座標移動』に敗北し、バスルームで傷を手当していた時と、同じ表情。
その表情のまま、白井は向かうべき場所を、その方向を、闇夜の中でヒタと見据えた。
三沢塾。
そこが、セーラー服が指定した場所だった。
- 591 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/03/11(日) 20:34:12.24 ID:3SiprW5Go
- ○
第十七学区は、暗い地区だ。
オートメーション化の影響というべきか、障害というべきか。
人口比率が極端に少なく、ゆえに街灯はほとんどなく、そのために余計に人は近づかない。
それも最終下校時刻を過ぎようかという時間帯になれば、工業製品製造に特化した地区に踏み入る者など、それこそ仕事であるか『そこに行く以外の選択肢がない』者くらいだろう。
そしていま、何もなかったはずの空間に不意に出現した少女――白井は、果たしてそのどちらなのか。
「……」
現在時刻において数少ない十七学区に立つ学生である白井は、眼前にある背の高い建物を見上げ、目を細めた。
夜の空に透かして見える四練のビル。
三沢塾だ。
廃墟と呼ぶにはまだ見目新しく、かと言って空きビルというには沈黙し過ぎたそこは、かつて三沢塾と呼ばれたシェア一位の進学塾の学園都市支店だった場所である。
圧迫感すら感じる大きさだが、そこには人の息遣いはいっさい感じられない。ところどころ割れた窓が見えることもあって、受ける印象は『死んだ巨人』と言うところだろうか。
中途半端に能力開発を知ったがために選民的思想を持ちはじめ、風紀委員でも俄に注意対象になりかけていたこの塾は、夏の終わりに突然学園都市から撤退している。
調査に依れば、この学園都市支部経営陣で何やらゴタゴタがあったとのこと。
特別な不審点がなかったためか、調査はそこで終わっていた。
今はもう誰も顧みることのなく、白井自身ももう記憶の端に追いやっていたことだ。
「……」
見上げていた視線をおろし、そのまま周囲を見回す白井。
月明かりの中、見えるのは狭い歩道と、広い車道だ。人通りや、車どおりも、いまはない。
人の気配は、いっさいない。
それはある意味当然。
ここは学園都市でも有数の無人地区であり、何より、白井自身が誰も自分に気がつかないようにここまで移動してきたのだから。
セーラー服は、一人で来いと言った。
仮にそれが無関係の、ただ方向が一緒だっただけの人間であっても、自分以外の誰かがここにいるのはまずい。セーラー服が約束を違えたと思ってしまっては同じことである。
そんなことになれば初春が危ない。
――自分の大切なものが、危ない。
『風紀委員』の仲間に応援を呼ばないのも、腕章を外したのも、極力人目につかないように移動してきたのも、すべてはそのためだった。 - 592 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/03/11(日) 20:34:43.59 ID:3SiprW5Go
完全に自分が単独であることを確認してから、白井はようやく視線を正面に移した。
建物一階部分を隠すように立入禁止のフェンスがぐるりと囲こみ、さらに主要な出入口は鎖で厳重に封鎖されている。スキルアウトのたまり場にならないように、との措置である。
もっともこれがどこまで効果があるのかわからないが。
しかしざっと見る限り、ここはそう言った不法占拠には晒されていないらしい。あまりにも目立ちすぎる建物であったことや、調査に『警備員』と『風紀委員』が双方とも出張ったことが影響しているのだろう。
「……」
おもむろにポケットを探る白井。
そこから携帯電話を――初春のものだ――を取り出し、右手の中でくるりと一度回転させる。
この機種には、ライト機能がある。
サイドスイッチで起動した光線を、まずは目の前に立ち塞がるフェンス上部に当てた。
所詮は携帯の付加機能。強力ライトには較べものにならないほど弱いその一条は、しかし、必要な情報を白井に与えてくれる。
浮かび上がったのは、なんの変哲もない工事用の黄色のフェンス。高さは身長の2倍にはやや少ない程度か。
遮蔽物も危険なものもない。
「……」
白井の姿が掻き消えた。同時にその身体はフェンスの上に。
土踏まずの位置にフェンス上端の感触を得つつ、バランスを崩す前にライトを下に。
光円が地面の黒をえぐったかと思えば、次の瞬間にはそこに白井の姿があった。
同様の手順で鎖で戒められた出入口にライトを向け――
「っ!」
そこで白井の顔に、初めて変化があった。- 593 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/03/11(日) 20:36:01.64 ID:3SiprW5Go
苦痛だ。
腹を押さえて膝を折る白井。
「くっ……ぐっ……」
地面に突いた手がコンクリートを引っかき、額に脂汗が浮く。
鈍いが重い痛みと、立ち上がる吐き気。
セーラー服に蹴りこまれた場所は全て腹部。幸い、肋骨に異常はないが、内蔵の何処かに損傷が出ているかもしれなかった。
本来なら適切な手当を必要とするであろうダメージ。
しかし白井は、呼吸にして八回分の間うずくまってから、顔をあげた。
顔色は青ざめていたが、いまは夜で、周囲は無人。
気遣う者はいない。
「借りは……必ず返しますの」
呟きながら膝に手をつき、ゆらりと立ち上がる。
携帯電話のライトを鎖で施錠された自動ドアに向け、その向こうにあるロビーを浮かび上がらせた。
掻き消える白井。
閉鎖されてからは誰も歩くことがなくなったロビーに積もった埃が僅かに舞い上がった。
ロビー。
「……」
ざっと周囲を見回す。
暗闇が深く、ほとんど視界は0だ。
しかしごく直近にある壁にはとっくの昔に申し込み期限の切れた模擬試験案内が貼られっぱなし。有名校のパンフレットも、虚しく並べられたままである。
かつては賑わったに違いないロビーは、久方ぶりの客人を無人と無言で出迎えていた。- 594 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/03/11(日) 20:37:14.39 ID:3SiprW5Go
(やはりアイツはここから入ったわけではなさそうですわね)
背中にある出入り口から白井に立つ位置まで、うっすらと床に積もった埃に乱れているところはない。
つまりセーラー服もここを通ってはいないということだ。
ここではないどこかのフェンスの切れ目か何かを使っているのか、それとも、なんらかの能力でこの建物に侵入しているのだろう。
(おそらくは後者ですのね……能力としては空間干渉系と考えられますか)
セーラー服は立ち去る際、人払いがどうのと言っていた。それを考えると、あの路地での戦闘はセーラー服の意図によって誰にも気がつかれないようにされていた可能性が高い。
白井がいまここに立っていることも、あるいは知覚しているのかもしれなかった。
「……」
白井は腕時計を見た。発行塗料が薄く塗られた文字盤が、辛うじて時刻を教えてくれる。
セーラー服が指定した一時間はもう間もなく。
急がなければ。
白井は目を閉じ、意識を集中。ちょうど『空間転移』する直前のように、空間把握能力を高めていく。
停滞する淀んだ空気の流れ。
自身すらも持ち上げられないほど微かな埃の震え。
あるいは、その埃の体積の濃淡すら把握できるほどに、研ぎ澄まされる感覚。
やがて白井は目を開き、感じ取った『違和感』に視線を向けた。
離れているため、肉眼では捉えられない位置。しかし白井は、以前に見た資料を思い起こしながら、迷うことなくそちらに歩を進めた。
はるか前の試験情報が貼られた掲示板の前を横切る白井。
靡いたツインテールの先端が、試験情報に隠されるように掲示された館内図を掠める。
『最上階:第一講堂』
白井は、そう記された場所への最短ルートである階段に向かっていた。
「……」
セーラー服の居場所がわかったわけではない。
距離にして十メートルほどを歩いてから脚をとめた白井は、手の中の携帯電話のライトを目の前の床に向けた。- 595 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/03/11(日) 20:38:11.79 ID:3SiprW5Go
そこに落ちていたのは、見覚えのある一枚の花びら。
- 596 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/03/11(日) 20:39:39.36 ID:3SiprW5Go
瑞々しさを失っていない花びらは、埃の上に転がり、そして埃を被っていない。
そして花びらは点々と階段へと伸びている。目を凝らせば、段差の上にも数枚、道しるべのように落ちていた。
「……白兎の次はヘンゼルですの?」
そうなると、白井の役どころはグレーテル、と言う事か。
魔女め、と吐き捨てる白井。
この花びらは階段に誘い込むための罠ということも考えられた。事実お菓子の家は、魔女の仕掛けた罠だったのだから。
三次元的な戦闘では、基本的に上から攻撃する方が有利になる。白井はその制約を無視できる能力を持っているが、階段は狭く、暗い。
不意を撃たれたら、とても回避できないだろう。
「……」
だが、白井は力強く脚を踏み出した。
敵のテリトリーの中。
孤立無援で。
人質を取られ。
罠が仕掛けられているとしか思えない状況の中。
彼女は絶対に罠などないことを、半ば確信していた。
その根拠はたった一つ。
白井を見下ろしたときの、あの狂気。
あれは、
(わたくしが倒れるべきは自分の足の下、と決めている瞳ですの)
路地裏で、実際に足元に転がしておきながら、トドメをさせる状況でありながら。
にも関わらずここに呼び出した真意は、おそらく――
――殺しても、御坂美琴は絶望しないわ。
「……」
白井は、階段をあがり続ける。力強く、脚を踏み鳴らす。
胸に湧き上がる、不安という名の魔物を、踏み潰すように。
- 609 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/06/02(土) 17:58:34.26 ID:U4C20G8bo
最上階にある第一講堂。
スイング式観音開きのドアが、勢いよく開かれた。
重厚な造りゆえに相応に重いドアはしかし、完全に開き切った後で両脇の壁にそれぞれ当たり、バンと音を立てる。
ドアが反転して返って来るまでの間に、踵を鳴らして中に踏み込む白井。
奇襲をしかけるならば静穏を保つべきだが、おそらく無駄だ。
初春の花飾りを使ってまでここに誘い込んだセーラー服が、それを想定していないわけがないだろう。
「……」
電源が死んでいるため、講堂は暗い。しかし天井に設置された採光用の窓から差し込む月明かりが、薄明かりとなって視界を確保してくれる。
まるで映画館のように階段状に設置された椅子。その椅子とともに見下ろす視線の先はステージで、中央にある演台。
わざとそういう風に作られているのか、そこだけスポットライトか何かのように一条明るい月影が差し込んでいた。
浮かぶのは、演台に腰掛けた白いセーラー服の姿だ。
「時間どおり、ね。素直な様子で大変結構。褒めてあげる」
「……」
投げ掛けられた言葉と笑みは明らかな嘲笑。
セーラー服は出入口から入ってきた白井を見上げる形ながらも、立場上位者であることを示すかのように、余裕な仕種で脚を組み直した。
それと時を同じくして、開け放した瀟洒なドアが、白井の背後で音もなく閉まる。
一瞬だけ、外界から隔絶された、シン、という音が講堂に染み渡った。
「……初春は何処ですの」
彼我の距離は高低差はあれども、直線距離にすれば約30メートル。しかしここはもともと、声を響かせるための講堂設備。加えて夜間と無人。
怒りを抑えた小さな声でも、十分に届く。- 610 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/06/02(土) 17:59:12.21 ID:U4C20G8bo
「ああ、あのお花畑? 彼女なら」
ちらり、とセーラー服が己の腰掛ける演台の裏側に目を向けた。
「ここに転がってるわ。もっともお花畑の花は、貴女も知ってのとおり使っちゃったけどね」
「……無事なのでしょうね」
白井のところから姿は見えない。
「あら心外」
芝居がかった仕草でセーラー服が肩を竦めた。
「貴女が言ってたじゃない」ニヤリと笑う。「ヘンデルに手を出したら、魔女は殺されてしまうって」
「……」
対照的に白井は目を細めた。
階段を上がるときの、こちらの呟きを知っている。
数ある能力の中には、空間干渉系と言う系統がある。
例えば『任意空間の酸素濃度を低くする』『限定された空間を他者に認知できないようにする』というような能力だ。
主として干渉可能な範囲でレベルが決まるとのことだが、ここまで強力な物は聞いたことがなかった。
一階から最上階までの空間を己の認識下に置く力。加えて、路地裏の攻防を他者に認識させないという応用も可能。
(レベルにすれば間違いなく4。下手をすれば、あの女のようにニアレベル5ですの)
白井の脳裏に、つい最近対峙した能力者の姿が思い起こされた。
彼女は己の転移が苦手という理由でレベル4に留まっていたが、実質はレベル5だった。
「……」
白井は軽く両手を握り込んだ。
掌は薄く湿った感触を返してくる。- 611 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/06/02(土) 18:00:09.94 ID:U4C20G8bo
「さて、じゃあ始めましょうか」
と、セーラー服。
続けて彼女は、床に置いたビニール袋でも拾うような仕種で、ひょい、と上向けた右掌を持ち上げた。
同時に、キン、と金属的な音が響く。
(……)
空気――いや、空間の何かが変わったのを感じ、僅かに眉をひそめる白井。
対するセーラー服は、余裕の笑みでそれに応える。
「そうそう」
ふと思い付いたように、セーラー服が言った。
「もしも空間移動で何かしようと思ってるのなら、それはオススメしないわよ?」
「……どういう意味ですの?」
「単純よ。いま、この建物には結界を張った。結界を貴女がどう解釈するかは任せるけど、もうこの三沢塾は私の影響下にある。普通の空間とは違って、貴女の能力はまともに機能しないわ」
「それはそれは、丁寧なご忠告痛みいりますの」
言いながら白井は右手をスカートのポケットに突っ込んだ。
そこに入れている、対能力者用手錠に指が触れる。
同時に能力を発動。
転移先はセーラー服。その両手首。
しかし。
「無駄だってば」
セーラー服が肩を竦めた。
彼女の眼前5メートルに出現した手錠が、ガチャリ、と音をたてて、床に落ちる。- 612 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(岡山県)[sage saga]:2012/06/02(土) 18:01:24.02 ID:U4C20G8bo
「……」
目を細める白井。
演算にミスはない。そして距離30メートルそこそこならば精度的にも問題ないはじだった。
しかし現実に手錠は、いつもの白井からすれば大きすぎる誤差を持って転移している。
「ね? 言ったとおりでしょ? 私の方が有利なんだから、わざわざ嘘なんかつかないわよ。まぁ、これでもまだ諦めないって言うなら私は無理に止めろとは言わないけど」
セーラー服は一度言葉をきった。
「ただ、こっちのお花畑さんに当たらないように気をつけてね」
「……そうですわね」
頷く白井。動きの疎外となる太ももの鉄針を固定帯ごと外す。
床に落ちた鉄針が、ガチャリと音をたてた。
これがどういう能力なのかを把握することはできないが、ひとつ確実なのは、能力を封じられたということ。
どこに転移するかわからない――能力で攻撃すれば、初春に被害が出るかもしれないのだ。
「……」
笑みを変えないセーラー服。しかしその口元がごくごく小さく動いた。
「……蒼星石、出てくるときにお花畑を引っ張って出てきなさい」
白井にも聞こえないような声。すぐに背中側から「はい」とこれまた小さな返事が聞こえた。
実際のところセーラー服の結界には、白井の空間移動を自由自在に阻害するような力はない。
結界内に呼び出したNのフィールドが空間に異常をもたらすのは事実だが、それは単に白井の能力が空間に大きく依存するからに過ぎないのだ。実際、電撃使いとの戦いや、それこそ昼間の戦闘では、なんの影響も与えることができていない。
今の手錠だって、結果として目の前に転移されただけである。下手をすれば自分の頭に手錠が生えていたかもしれないのだ。
先にそれを告げたのは、転移の失敗を『セーラー服による阻害』と印象付けるためだった。
『自身の演算ミス』とばかりに何発も鉄針を発射されれば防ぐ手段はない。その内一発でも当たれば、そしてそれが致命傷になれば、セーラー服の負けなのだ。
もしこれでいつまでも人質の姿を隠蔽すれば、それこそやけっぱちで能力を行使される可能性だってある。
「ふふっ、せいぜいがんばってね? 蒼星石、遊んであげなさいな」
余裕を顔に張り付かせたセーラー服が指を鳴らすと、演台の裏側からオッドアイが――蒼星石が歩み出た。
右手にぶらりと下げた鋏が、月の明かりでギラリと光る。- 613 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/06/02(土) 18:03:38.25 ID:U4C20G8bo
「……」
だが白井はその凶器を見ていない。
白井が見ているのは鋏の逆――左手が掴んだ襟首を引っ張られて演台から覗いた、初春の顔だ。
「うぅん……」
苦しかったのか、初春が眉を潜めて呻いた。
「初春……」
白井の声と顔に僅かに安堵が浮かぶ。
気は失ったままだが、少なくとも生きている。
「大丈夫って言ったじゃない」と、セーラー服。
無言で蒼が初春を放し、鋏を両手で握り直した。
「……卑怯者らしく初春に鋏を向けて、動くな、とでも言えばどうですの?」と、白井は言った。
「そんなことしないわよ。私の勝ちは決まってるもの。それに無抵抗の貴女をいたぶっても、楽しくないじゃない」
わざわざ言わなくても大丈夫よ。
そうとでも言うように、苦笑まじりにセーラー服が返した。
(……)
表情は動かさず、内心で息を吐く白井。
見抜かれていたのは癪だが、うまくいったのは助かった。
もっとも、セーラー服の言葉に保障などない。いや逆に間違いなく、人質に使わないという言葉は嘘だろう。
一度劣勢になれば、遠慮なく初春に刃を向けるに違いない。
もちろん、そうなる前に初春を救出するつもりだ。その上で二人を制圧しなければならない。
だがおそらく、セーラー服もこちらのそう言った意図を見抜いているだろう。
「……」
「……」
上滑りするような、化かし合いの空気。- 614 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/06/02(土) 18:04:21.54 ID:U4C20G8bo
「手加減はしませんの」
その中で白井は腰を落とし、身構えた。そして全身に緊張感を行き渡らせ、神経を研ぎ澄ませる。
能力も武器も増援もない。
しかし絶対に負けられない。
強い意思の視線が、セーラー服と蒼星石に向けられた。
「……」
それを受け止めたセーラー服は。
(……どうする?)
後ろについた右手を、なにげない仕草でポケットに入れた。
指に触れるのは、このために用意した白井黒子の人形。
レベル4の電撃使いすら倒した、必殺の『人形破壊』。
確実に勝ち、背中側で倒れている花飾りの少女と同じように『御坂美琴に関する記憶』をすべて削り取るには、いますぐに行うべきだろう。
強い視線が、セーラー服を射抜いている。
「……」
僅かに迷ったセーラー服の指が、人形に触れるから、人形を掴むに変わる。- 615 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/06/02(土) 18:06:21.19 ID:U4C20G8bo
あの瞳は危険だ。
あの瞳に浮かぶ意思は危険だ。
彼女が浮かべる意思は御坂美琴の隣に立っても遜色のない光に思える。
花飾りの少女から奪った記憶でも、御坂美琴と白井黒子との関係は対等で素晴らしいものだと認識されていた。
蒼星石を通じてみた記憶にあった、隣立つ二人。
御坂美琴が一人より、二人揃った光景は美しかった。
白井黒子といる御坂美琴は、御坂美琴一人よりも美しかった。
白井黒子がいるおかげで。
あの瞳を浮かべた白井黒子がいるおかげで。
美しく見えた。
美しかった。
美シカッタ。
ウツクシカッタ。
「っっっっ!」
セーラー服は右手をポケットから引き抜いた。
その手には、蒼い薔薇の指輪以外、何もない。
セーラー服は右手で、白井を指差した。
そして叫ぶ。
「いきなさい蒼星石! あの瞳が気に入らないわ!」
白井の記憶と意思を刈り取れという命令。
「はい、マスター」
突如の主人の激高にも、蒼星石は無表情で応ずる。
「ふっ!」
白井が駆け出した。
「いくよっ!」
蒼星石が跳躍する。
講堂に響く足音は、すぐに戦闘音へと変化した。
- 618 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/06/13(水) 23:20:51.58 ID:8+2NxqUno
(見つからない……!)
姫神は脚を止め、周囲を見回してから、手近な店の壁に寄り掛かった。
顔を上向かせ、激しくはない、しかし荒い呼吸を繰り返す。
上条の寮から常盤台中学校の寮まで。
途中、学生が好みそうな店を覗きながら往復すること四半日。
晩夏の季節であっても、もはや陽は落ち、夜になる時刻に至っていた。
それでも美琴は見つからず、手掛かりも手に入っていない。
「む、無理するなです髪長人間。ちょっとは休みやがれですぅ」
姫神の両腕に抱えられ、ただの人形の振りをしている翠星石が小声で言った。
約6時間。
姫神は、ただの一度も休憩らしい休憩を取っていない。
せいぜい今のように脚を止め、店の壁や信号柱に背を預ける程度。それすら、数えるほどの頻度でしかなかった。
額に浮いた汗は前髪を張り付かせ、頬を滑った汗は襟元に染みていく。
「わかってる。でも。休んでいられないから」
姫神は小さく首を横に振った。
その拍子に、パサリと烏の濡れ羽のような黒髪が一房、巫女服の衿にかかる。
翠星石まで届いたそれは、長い時間外風に晒されたせいか僅かに艶を失っていた。
上条を真紅に任せてから、インデックスはホーリエとともに、そして姫神は翠星石を伴って美琴を探しに出ている。
組み合わせに恣意はない。魔術の素人である姫神が、人語を操れないホーリエと組むのは難しいと判断した結果だった。
問題は、ホーリエと翠星石は元より、インデックスも姫神も美琴のことはほとんど知らないということ。
インデックスはせいぜい風斬氷華の件や大覇星祭で会話した程度。姫神に至っては、今朝がほぼ初対面である。
立ち寄り先も知らない状態で美琴を探し出すことは不可能に近かった。- 619 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/06/13(水) 23:21:46.20 ID:8+2NxqUno
幸いだったのは、彼女の通う常盤台が全寮制だったということくらいか。
姫神は巫女服に着替えた後、まず寮に向かい、在不在の確認をすませ、寮監という女性へ自分への連絡先を渡している。美琴が帰宅すれば連絡があるだろう。
しかし平日ならば、学校によっては最終下校時刻も過ぎる時刻だが、休日の街はまだ活性を保っている。
連絡の期待はするが、当てにはできなかった。
「ただでさえ。着替えたせいで時間を無駄にしてる」
背中を壁から離し、歩き出す姫神。しかしその脚取りは疲労ゆえか、重く、遅い。
踏み出し脚に纏わり付く赤い袴が邪魔だ。ついでに言えば、洋服と比較して分厚い巫女服の布地もだ。
もちろん姫神は、意味なく着替えたわけではない。
わざわざ己の部屋に戻ってまで巫女服を纏ったのは、自分自身を目立たせるためだった。
単純な話、『西洋人形を持った少女』よりも『西洋人形を持った巫女』の方が、目と耳をひくだろう。
妙な巫女が必死に探しているという状況があれば、どこかでそれを聞いた美琴が、逆にこちらに接触してくることも期待できる。向こうがこちらを探す際でも、巫女服というのは大きな目印になる。
探し回ること。
それ自体が、美琴を探す方法のひとつなのだ。
だがそれを説明してもなお、翠星石は膨らませた頬を戻そうとしない。
「そもそもこんな広くて人の多いところなのに、おめーとシスターだけで人を探そうってのが無茶なんですぅ。ちょっとは助けを呼ぶとかしやがれです。友達の一人二人、いねーんですか?」
バシバシと周りに気付かれない程度に、己を抱える腕を叩く。
その様子に姫神は、ふっ、と微笑みを浮かべた。
「心配してくれて。ありがとう」
「へっ!?」
翠星石は一瞬ぽかんとした表情を見せたと思うと、すぐに、ぷいっ、と顔を背けてしまった。
「か、勘違いするんじゃねーです。翠星石はおめーら人間なんか大嫌いなんですぅ。ただ単に、いまおめーに倒れられたら、翠星石だけじゃ真紅の家に帰れないから、ちょっと言ってやっただけですぅ」
しかし長い髪から覗く耳が赤く染まっているその様子は、とても言葉の内容に沿ったものではなかった。
思わず、微笑が苦笑に変わるのを止められない。- 620 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/06/13(水) 23:23:06.28 ID:8+2NxqUno
「……」
――無念。ローゼンの傑作である薔薇は、すでに昇華されていた。別の方法を探さなければならない。
(どういうこと。なんだろう)
姫神は、アウレオルスが言っていた言葉を、改めて思う。
彼が『偽・聖歌隊』を使って黄金練成を構築する以前に求めていたのが、この『薔薇乙女』たちだ。
アウレオルスが何故『薔薇乙女』を探していたのか、当時の姫神は知らなかったし、興味もなかった。
姫神自身が知っていたのは、彼が呟いた言葉と周辺から漏れ聞こえた断片情報だけ。
それらと昨日インデックスから聞いた話を総合するに、どうやらアウレオルスは『薔薇乙女』が究極に至るまでの道程――人形という存在を超えるための技術を知りたかったのではないか、と思われた。
あれほど人ならぬ身を求めていた彼だ。
ただ行方不明というだけで必要な物を諦めるとは思えず、そしてアウレオルスが、当時協力者だった自分に対して嘘をつくとも思えない。
「……」
そして、そんな彼の言葉を信用するならば『薔薇乙女』は、もう存在しないということになる。
姫神が今まで危惧していたのは、ここに顕れた『薔薇乙女』たちの真偽だった。
昨日から、上条の身に降りかかっている争い。
その発端になったのは彼女たち『薔薇乙女』だ。
上条は真紅の言葉を信じて、彼女たちの争いに身を浸している。
だがもし。
もしも、その『薔薇乙女』自体が、すべて罠だったとしたら。
――魔術師の基本は秘密であること。とうまが『ない』って決めつけてることを狙ってるかもしれないんだよ!
インデックスが小萌の家で、外ならぬ上条に告げていた言葉だ。
インデックスとアウレオルス。
双方ともに、魔術世界のエキスパートだ。適当な事など、絶対に告げないに違いない。
ある程度は魔術側を知っている、言い換えればある程度しか魔術側を知らない姫神が考えても、『禁書目録』と『上条の右手』は重要極まりない存在だ。
そしてこの事件は、上条のところに薔薇乙女が飛び込んだことから始まっている。
『薔薇乙女』同士の争いではなく、彼と彼女を狙った謀の可能性も、十分に考えられた。- 621 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(岡山県)[sage saga]:2012/06/13(水) 23:24:30.58 ID:8+2NxqUno
「……」
でも、と姫神はさらに思う。
それでも、上条を心配する真紅の横顔や、こうしてこちらを心配する翠星石の横顔は、偽りの物には見えなかった。
表情、感情、仕種。
抱える手に響く感触はやや人より硬くとも、温もりは先ほど抱えた上条となんら変わらないのだ。
三沢塾に監禁され、謀略と利用の中にいた姫神から見ても、とても上条を騙しているとは思えない。
だからこその違和感。
アウレオルスの言葉の真偽。そこから派生し、拭いきれない不審。
単にアウレオルスが『薔薇乙女』を見つけられなかったというだけなら、まだいい。
もっとも危惧すべきことは、『薔薇乙女』が偽者で、なおかつ、彼女たちすら騙されている場合だ。
もしもそうなら、この状況がすべて、相手の思惑通りだということも――- 622 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(岡山県)[sage saga]:2012/06/13(水) 23:26:01.91 ID:8+2NxqUno
「っ」
そこまで考えたところで、突然腕の中の翠星石が身を震わせた。
「?」と、姫神。
この道中なんどかあった、科学の何かに驚いた、というわけではなさそうである。
その証拠に姫神が見る限り周囲におかしなところはなく、そして翠星石が泡食った様子で質問してこないからだ。
「どうしたの? なにか。あった?」
彼女の耳に口を寄せて姫神が問うた。
「蒼星石の気配……」
「え……」
蒼星石というと、先程上条の部屋で戦った蒼い薔薇乙女か。
翠星石が顔をあげる。
「蒼星石が、夢の扉を開いてるです! また、誰かを襲うつもりですぅ!」
切迫の声。
「!」
姫神は思わず周囲を見回した。
まだ人通りは多い。しかしあのセーラー服は魔術師だ。
実力はわからないが、少なくとも結界を張れるだけの技量がある。
夢の扉が何を意味するのかわからないものの、翠星石の口調から穏便なことではないだろう。- 623 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/06/13(水) 23:31:24.62 ID:8+2NxqUno
「……っ」
姫神の胸に、焦りと恐怖がないまぜになった感情が渦巻いた。
インデックスが放ったなんらかの魔術でダメージを受けていたので、まさか今日は動かないだろうという無意識の安心があったことに、いま気がついたのだ。
しかしそんな保証は、どこにもない。
いまは戦闘のできない姫神と、完調には程遠い翠星石。
襲われたら、一たまりもなかった。
翠星石を抱く腕に力が篭る。
「蒼星石は。近くにいるの?」
「そんなに遠くってわけでもねーですが、近いってこともなさそうですぅ。でもこのままじゃ、急がないとまた翠星石たちの力が悪いことに……」
翠星石が哀しそうに呟く。
どうやら狙いは自分たちではないようだ。
しかし誰かが、あの鋏の切っ先を向けられているのに相違ない。
「……」
どうする?
上条に連絡をすべきか。
いや、あの状態の上条を引っ張り出すわけにはいかない。再びセーラー服と戦闘になれば、ただでさえ負担のかかっている上条がさらに疲弊するだろう。いくら彼が頑健だとは言え限界はあるし、人は疲労だけでも命を失うこともある。
しかし、姫神と翠星石が向かったところで、何ができる?
上条の部屋で見た、水銀燈の黒羽と真紅の薔薇。
相手は同じ『薔薇乙女』だ。あれと同等の力を持っていてもおかしくなく、翠星石が自ら戦うことは苦手だと、上条の部屋を出るときに零していた。
ではインデックスと合流するか。敵を多大な影響を与えた彼女の魔術があれば、対抗できるかもしれない。
いや、だめだ。もしも美琴にそっくりの敵がいれば、それこそ打つ手がなくなってしまう。あの敵はインデックスの魔術を受けてなお、即座に反撃の態勢を取っていたはずだ。- 624 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(岡山県)[sage saga]:2012/06/13(水) 23:32:49.31 ID:8+2NxqUno
「……」
姫神は奥歯をかみ締めた。
諦めるしかない。
どこの誰が犠牲になるかわからない。
しかしいま助けにいけば、それこそ犠牲者が一人と一体増えるだけで――
――ごめんなさい。私にもっと力があれば……
「……!」
どうしてか耳に、上条の部屋で聞いた真紅の言葉が響いた。
「……」
そのとき見た、真紅の顔が目の前に浮かぶ。
三沢塾で感じた哀しさが胸に甦る。
「……」
いま腕の中の、翠星石の顔。
大覇制祭で感じた哀しさが胸を抉る。
「……」
そして、気を失いながらも美琴を気にする、上条の顔。
昨日、小萌の病室で感じた哀しさが、胸の奥で蠢いた。
「……!」
姫神の、翠星石を抱く手に再び力が篭る。
しかしそれは、先程のように不安を伴ったゆえ、ではなかった。- 625 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/06/13(水) 23:33:47.50 ID:8+2NxqUno
姫神は翠星石に問う。
「貴女は。あの結界に入れるの?」
「へ? 結界、ですか?」
「うん」
「け、結界がなんなのか翠星石にはわかりませんけど、夢の扉経由なら蒼星石の近くにいけるのは間違いないです」
「一度入って。その後。抜け出ることはできる?」
「絶対とは言えねーですけど、それくらいならなんとかなるはずです。翠星石があの女から逃げるときも、そうやったですから」
「そう」
ひとつ頷き、
「じゃあ。行こう」
と、姫神は言った。
「え、ど、どこに、ですか?」
「蒼星石を。止めに。今からなら。間に合うかもしれない」
「な、お、おめーは人探しが……」
「いい」
首を振る。長い黒髪が大きく揺れ、夜の中でなお黒い軌跡を描く。
「上条くんなら。きっとこうするはずだから」
実際問題、自分に何ができるかはわからない。
蒼星石と対峙しれば、逃げ出すことしかできないだろう。セーラー服相手に『魔法のステッキ』が通じると考えるほど楽天的ではない。
しかし姫神でも、襲われた者を抱えて逃げることはできる。怪我した者を手当てするくらいはできる。一人で逃げるしかなくても、助けを呼ぶことはできる。
「で、でも」
「それとも」姫神は翠星石の言葉をさえぎった。「貴女は。蒼星石を。助けたくないの?」
「なっ!」
絶句する翠星石。
しかしその直後に、噛み付くように返ってくる答えは決まっている。
「……」
一秒後に。
翠星石と頷きあい、巫女服の袴を翻し。
姫神は走り出した。
- 629 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/06/20(水) 20:18:09.96 ID:Godl8wnfo
- ○
同刻。
ホーリエを修道服の胸元に入れたインデックスは、歩き続けていることが原因の汗とは異なる汗を、たらりとかいていた。
「ま、迷っちゃった……かも」
周囲を見回す。
まだまだ元気な各種飲食店や、そろそろ店じまいを考え始めている服飾屋等、おそらく、商店街と呼称すべき場所だろうということは推察できた。
しかしここが何処で、どっちに行けばいいのかと言ったところがわからなかった。
完全記憶能力を持つインデックスは、本来どんなところに行っても迷うことはない。
一度通った道を覚えることは言うに及ばず、図形的かつ立体的に情報を整理することで頭の中に詳細な地図を描くことができるはずだった。
しかしこの学園都市ではその情報処理が正確に働かない。記憶そのものは蓄積されるのだが、情報として上手く結合できないのだ。
もしこの現象を土御門あたりが聞けば、AIM拡散力場とインデックスの脳に巣くった魔術との干渉が原因だろう、という程度には考えたかもしれない。
しかしインデックスにしてみれば、細かい理屈などどうでもよかった。
いまは道に迷ってしまったという事実と。
いまだ美琴が見つからないという事実と。
そしてそろそろお腹が空いてきたという事実が、重要なだけである。
「こ、このままじゃ、まずい、かも」
ポツリと呟くインデックス。
上条の家を出てから約6時間。そして最後の食事からは7時間が経過しようとしている。
自身がどれくらい空腹に弱いかくらいは自覚していた。
―――人よりほんのちょっと、弱いくらいだ。
だがそうであっても今は障害になってしまう。食べ物の匂いに気を取られて、美琴の探索が疎かになってしまう可能性があった。
もっとも、上条辺りに言わせれば可能性どころか確定事項なのであるが。 - 630 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/06/20(水) 20:19:47.85 ID:Godl8wnfo
(短髪……短髪……あ、おにぎり屋……ううん、短髪……あ、クレープ屋……)
夜の商店街を歩くシスターはかなり目立っていたし、人通りもそこそこあった。しかし虚ろな目付きでフラフラしている様から、なんとなくアンタッチャブルな雰囲気を感じ取り、誰も声をかけようとしない。
「短髪……ごはん……短髪……ごはん……」
周囲を見回しながら懸命に歩くインデックス。決して不真面目ではない。彼女は大まじめだ。
千鳥足のシスターが進む先は、まるでモーゼのごとく人ごみが割れていく。
――と。
―――!
ひゅん、といきなり、インデックスの胸元から光球が飛び出した。
「ほーりえ?」
探索に出てから時折話しかけても鈍く光るだけだった人工精霊の突然の動きに、インデックスの思考は追いつかない。周囲を歩く者たちも何事かと目を向けるが、彼女はそれにも気づいた様子がなかった。
ホーリエは数回インデックスの周囲を旋回した後、その目の前に滞空。
一瞬の静止の後、概ね球形を保っていたその形状を一気に変化させはじめた。
グネグネと不定形に揺らいだ後、いきなりウニのように鋭い刺状の球に形を変える。
突き出した何本もの刺。ホーリエはそのままさらに動いた。
それぞれがまったく同期を取ることなく、ある刺は伸び、ある刺は縮み、を繰り返す。
それはまるで、360度に何かを探すかのような動きで――
―――!
やがて一本の刺が、大きく大きく突き出した。
その先端が指す先には、商店街の一角にある大きめのビル。
「!」
刺につられて視線を動かしたインデックスは、その出入口からつい今しがた出てきた人影を見て、半開きだった目を見開いた。
ホーリエが一度、紅く発光する。
その人影は、赤毛で、花の髪飾りをつけていた。- 631 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/06/20(水) 20:21:25.99 ID:Godl8wnfo
○
美琴が背後から強烈なタックルを受けたのは、仮眠をとったビジネスホテルから出て、数メートル歩いたところでだった。
- 632 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/06/20(水) 20:22:57.75 ID:Godl8wnfo
「短髪!」
聞き覚えのある声に聞き慣れない呼称。
「は?」
と振り向きかけた美琴の視界に、何やら白い塊が見えた瞬間。
「見つけたんだよ!」
「げふあっ!?」
頭から思いっきり脇腹に突っ込まれ、身体をくの字に折り曲げて色気のない悲鳴をあげた。
0.5秒の慣性力を伴った滞空の後、インデックスの下敷きになる形で倒れる。
「げっほげほげほっ! あ、あんたぁぁぁぁ! いったいぜんたい何考えてんのよ!」
倒れ込む瞬間に電磁力で怪我だけは防いだ美琴が咳込みながら上半身を起こすと、腰に腕を回したインデックスがずずい!と顔を寄せてくる。
「探したんだよ短髪! 怪我はない!? どこか痛いところは!? 誰かにいきなり襲われたりとかなかった!?」
「あんたが並べ立てたことはあんたに今されたわぁ!」
ぐいっ! とインデックスの頬を押しつつ、美琴は叫ぶ。
「んむおぉ、お、押さないでほしいんだよ。それにまだ魔術の痕跡を調べてないから、ちょっとこのまま調べさせてほしいかも」
「はぁ? 何よ、調べるって?」
「大丈夫、すぐすむんだよ。まずは正座してほしいかも」インデックスが身を起こし、そのまま美琴の手を引っ張った。意外に強い力。
立ち上がろうとしていた美琴もそれに逆らうことはなかったが、上半身を起こしたところで今度は両手を握られた。
「え?」
結果として女の子座りの美琴と跪いたインデックスが手を握り合っている状態になる。
「じゃあはじめるんだよ。一応『歌』に集中する感じで目を閉じてくれると助かるかも」
「ちょ、ちょっと待ちなさいあんた!」
「心配しないで短髪。はじめるからね」
美琴の抗議の声には耳を貸さず、逆に安心してくれとでも言うように、改めて両手を優しく握るインデックス。
そして目を閉じ、天を仰ぐように顔を上向かせた。- 633 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/06/20(水) 20:24:51.92 ID:Godl8wnfo
「……」と、美琴。
あまり付き合いがあるわけではないが、不意にインデックスが浮かべた、今まで見たことのないほど厳粛で静かなその表情に、思わず言葉と動きを止めてしまう美琴。
インデックスの、透明さすら感じさせるシスターとしての顔。さらに彼女が元々持っている幼さが、その透明さに純真無垢という単語を当てはめていた。
その唇から、小さく珠のような声で『歌』が紡ぎだされ始める。呼気はインデックスの髪を揺らし、それに乗った甘い香りが美琴の鼻腔をくすぐった。
小波のような、或いはそよ風のような『歌』は不思議な振動を美琴の身体に伝えてくる。繋いだ両手から、インデックスの高めの体温がダイレクトに伝わってきた。
「……」
声を荒げることも身動きをとることも憚られて、さらにが耳に響く『歌』の心地よさに、身体に入れていた力が抜けて――
――ちゃらり~ん、という携帯電話の写真撮影の音。
「……はっ」
その瞬間、美琴は正気に戻り、そして状況を再認識した。
ここは商店街。
夜でもいまだ多い人通り。
学園都市では珍しいシスターに、そこそこ有名人の自分。
「「「……」」」
完全無欠に注目を浴びていた。
「ま、まてまてまてまてぇっ!」
インデックスの手を払いながら立ち上がる美琴。
「ひゃ!」
インデックスがそれにつられて道路に尻餅をつく。
「い、痛いかも。短髪、動いちゃだめなんだよ」
「ああああああんたが悪いんでしょうが!」インデックスに構わず周囲を見回す。好奇の視線。「~~~~っ! ああっ、もう! ちょっとこっち来なさい!」
耐え切れなくなり、さっきとは逆に美琴がインデックスの手をとって引っ張り立たせた。
そのまま踵を返し、集まっていた人の輪を弾く勢いで走り出す。
後ろで「わっ、わっ」とか言っているインデックスを横目で見ながら、
(~~~~っ!)
美琴は、赤くなった頬に空いている左手を当てた。- 634 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/06/20(水) 20:25:29.61 ID:Godl8wnfo
○
「……で、どういうつもりなのよあんた」
道すがら、駆け込む勢いで入ったカラオケボックスの中。
美琴は四角いイスに腰掛けて腕を組み、向かいに座るインデックスを見た。
最初は路地裏に駆け込んだのだが、インデックスが再び『歌』い始めたので、やむなくカラオケボックスに入ったのだ。
「安心してほしいんだよ。短髪には魔術の兆候も残滓もなかったし、人形からの揺り返しも見つからなかったから」
つい今、『歌』い終わったらしいインデックスが、むしろ自分が安心したような表情で言った。
「だからなんなのよそれは。なに? 魔術? 私にわかるように説明しなさいよ」
大覇星祭のときにも少し思ったが、どうにもこのシスターとは話が食い違う気がしてならない。
“あのバカ”に関係することで、あまりいい関係が築けていないことや、そもそも人種に依る文化の違いのせいかとも思っていたが、それ以外にも根本的に何かが異なるようだ。
美琴にもそれがなんなのかよくわからないが、如何せん相手のほうがその差異を気にしていないのだからやっかいだ。追求しても、綺麗な答が返ってこない原因である。
「わかったんだよ。えっとね」
と、インデックスが口を開きかけた、その時。
―――!
ひゅん、と街角で美琴を見つけたときと同じように、ホーリエが胸元から飛び出した。
「わっ!」
美琴が驚いて仰け反る。
「な、なによこれ。あんたの能力か何か?」
一瞬驚いたものの、すぐに平静を取り戻す美琴。
能力の中には、己の五感の一部をこんな風に『飛ばす』能力もある。過去にそれを悪用した覗き魔を白井が逮捕したとも聞いたことがあった。
逆に魔術の存在を当然と認知しているインデックスは、美琴が驚かないことに驚かない。
「ホーリエ!? どうしたの!?」
相互の知識空白によってホーリエの存在を疑問に思わない中、インデックスが問う。
それと同時に。
Prrrrr
電子音。
携帯の、着信音だ。- 635 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/06/20(水) 20:27:45.33 ID:Godl8wnfo
「「!」」
電子音に、インデックスが己の胸元を見た。
「あ、わ、え、えっと」
あわあわするインデックス。
「……いいわよ、でても」
それを話をしなくていいのか、という葛藤だと解釈した美琴が、右手をヒラヒラとさせた。それにあわせるように、ホーリエが、ボウ、と鈍く発光する。
「う、うん」
実際は滅多にかかってこない電話にどう対処すればいいのかよくわからないゆえの動揺だったのだが、美琴にそれがわかるわけもない。
インデックスは胸元に手を突っ込み、上条に持たされている携帯電話を取り出した。
(か、簡易ケータイ……珍しいわね)
インデックスの触る携帯を見て、美琴が内心で呟いた。実際、通話とメールしかできないこの手の携帯は、学園都市ではほとんど見かけないのだ。
却って珍しい携帯電話を思わず見てしまう美琴の前で、なんとか通話ボタンを押したインデックスが、おそるおそる携帯を耳に当てた。
『やっと繋がった。よかった』
「あいさ!?」
直後、携帯電話から響いた声にインデックスが驚きの表情を作る。
「……」
(あいさ? どっかで聞いたような)
ふと首を傾げる美琴。
その名前には覚えがあった。
(確か、今朝会ったあの娘よね)
“あのバカ”と一緒にお見舞いに行くと言っていた、あの大和撫子だ。
クラスメイトということだったので、インデックスと面識が会ってもおかしくはない。
「……」
あの時のことを思い出し、なぜかまたムカムカとしてきた。
ジジジ、と前髪がなる。- 636 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/06/20(水) 20:29:24.40 ID:Godl8wnfo
「あいさ、走ってるの?」
携帯電話の通話でいっぱいいっぱいのインデックスは、目の前の紫電には気がつかない。
むしろ電話の向こうから聞こえる緊張した姫神の声と、連続して聞こえる足音の方が気になった。
美琴はいま、自分の目の前にいる。それを知らない姫神が走っているのは不自然ではないが、この声の緊張はなんだ。
インデックスの胸に嫌な予感がわき、
『手短に言う。あの蒼い薔薇乙女が。誰かを襲ってるらしい。翠星石が。気がついた』
「!」
そしてそれは的中とは言わずとも、近い形で実現していた。
『私はこれから。翠星石の案内でそこに向かおうと思う。悪いけど貴女は超電磁砲を……』
「短髪は今見つけたんだよ!」
『え? 短髪? 超電磁砲?』
「そうそれ!」
「あんたねぇ……」
会話内容は聞こえないが、なんとなく流れで『それ』扱いされたことを察した美琴が頬を引きつらせた。
『そう。じゃあ上条くんに。伝えるのも任せる。私はこのまま。その人を助けにいくから』
「だ、だめだよあいさ! 相手は魔術師なんだよ!? わたしも行くからちょっと待ってて!」
『大丈夫。無理は絶対にしない』
「でも!」
『貴女が。逆の立場だったら。どうするの?』
「っ!」
その問いにインデックスが言葉を詰まらせた。
- 637 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/06/20(水) 20:31:07.35 ID:Godl8wnfo
『……』
電話の向こうから、小さく『ごめんなさい』と声。
『着いたら。また電話するから』
あわててインデックスは叫んだ。
「ちょっと待って! あいさ、そのままデンワーは繋げてて!」
『なぜ?』
「いいから! 絶対切っちゃだめだよ!?」
それだけ言い含めてから、
「短髪!」
とインデックスは美琴を見上げた。
「な、なによ」
「ケイタイデンワー持ってる!?」
「は?」
何を言っているのかこのシスターは。
この街で携帯電話を持っていないのは、赤子くらいなものである。
「そりゃ持ってるけど」
「貸して!」
「え、いやよ。あんた自分の持ってんじゃない」
「だめなんだよ! これをこのままにしてれば、結界を摺り抜けられるかも!」
「結界?」
「線で繋がってるデンワーは空間的な連続性を確保し続けるから、結界の抜け穴になり得るの! ほんとはこういうケイタイデンワーじゃ駄目なんだけど、蒼星石と対になる翠星石がいれば、もしかしたら大丈夫かも!」
「え、ちょ、ちょっと待ちなさいあんたが何言ってるのかちょっとよく…・・」
「お願い短髪! 後で私の晩御飯半分あげるから貴女のケイタイデンワー貸して!」
「どんな取引よそれは!」
とは言い返しつつも、あまりの危機迫った様子に、
「ったく、ちょっと待ちなさい!」
ポケットから携帯電話を取り出し、インデックスに手渡す。
「ありがと! 半分あげるね!」
「いらないわよ!」
実はそれが前代未聞空前絶後の稀有な取引であったことは、当然知る由もない。- 638 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/06/20(水) 20:32:08.88 ID:Godl8wnfo
「あいさ! きこえる!?」
『うん』
「わたしは今から短髪に借りたケイタイデンワーでとうまに連絡するから、あいさのケイタイデンワーはこのままにしておいて! このままだったら、結界を破れるかも! それから、絶対無理しちゃだめだからね!?」
『……わかった』
インデックスはひとつ頷き、携帯の通話ボタンを何も押さないまま、胸元に戻した。というか彼女は切り方を知らない(いつもは上条側が切っている)のだから、いつもどおりである。
そして今度は美琴から受け取った携帯電話を開く。
「あ、言っとくけど通話だけよ通話だけ! それ以外はダメだからね!? あと変なところ触んじゃないわよ!?」
美琴の注意を聞いているのかいないのか。
インデックスは真剣そのものの表情で、しかし待ち受け画面を見たきり、動かない。
(ボ、ボタンが多いんだよ)
操作がさっぱりわからない。
適当に押してもいいが、なにぶんこれは他人のものだ。その上、変なところを触るな、とまで言われている。
「……あのね、あんた何がしたいの?」
よくわからないが、なにやらのっぴきならない状況のようだ。見かねて口を挟む美琴。
「とうまとお話したいんだよ!」
「へっ!?」
「短髪を見つけたことと、あいさが危ないことを伝えないと!」
「な、なんでアイツが私を探してんのよ!?」
「さっき短髪にそっくりの人形がいて戦ったんだよ! そしたらとうまが、短髪が危ないかもって」
「!?」
美琴の顔色が変わった。
自分にそっくりの、人形のようなモノ。
それが上条と戦った……?
「あんたそれ詳しく聞かせなさい!」
「ちょ、ちょっと待ってほしいかも!」
インデックスが美琴を気にしつつも焦りに満ちた表情で携帯を見つめ続ける。
しかしその瞳は相変わらず迷いしか映していない。
「ああもう貸しなさい!」
インデックスから携帯を取り上げる美琴。
インデックスは一瞬だけ「あっ」と声をあげたが、携帯を操作する美琴を見て、伸ばしかけた手をとめた。
「あのバカの番号は!?」
美琴は上条の電話番号を知らない。
たたき付けるように問うと、インデックスは「えっとね」と、今までの拙い操作とは裏腹に、すらすらと番号を告げた。
諳んじることが出来るほど何度もかけているのか、と正体不明のモヤモヤが美琴の胸に去来するが、とりあえずは無視。
美琴は一秒強で電話番号を入力して、素早く通話ボタンを押した。- 639 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/06/20(水) 20:33:24.07 ID:Godl8wnfo
○
携帯電話を耳に当てる美琴と、通話開始を待つインデックス。
二人とも、電話に集中している。
そんな彼女たちの、頭上で。
―――……
ホーリエが、あたかもその様子を観察するかのように、じっと、滞空している。
- 645 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/09/15(土) 01:41:21.38 ID:FsTN+OYbo
- ○
自分の体温が上昇する感覚。
それは同時に、意識の覚醒を意味していた。
「……ぅ」
暗い視界の中に真横一線の切れ目が入る。
瞼を開いているのだ、と自覚すると同時に、差し込んできた光に顔をしかめた。
「ん……ぐ……眩し……」
右手を目の前に翳す。指の間から天井が見えた。
学生寮の天井だ。
(あれ……?)
自分の部屋には違いないが、逆に見慣れない光景である。
(俺、なんで……)
ベッドに寝てるんだ、と思う上条。
普段の自分の寝床はバスルームのはずで……、
「目が覚めた?」
「!」
真横からの声で思考は中断された。
「真紅?」
驚いて向けた顔の前。頭の真横。
ベッドの端の僅かなスペースに正座した真紅が、心配八分安心二分の表情で上条の顔を覗き込んでいた。
「身体の調子はどう? どこか辛いところや、痛いところはない?」
「いや、少しだるいだけで大丈夫だけど……。というか、え、なんで俺、ベッドに寝てんだ?」
内心で首をかしげながら、ふと視線を真紅から逸らすと、閉められたカーテンが見えた。
その隙間から見える外は暗い。 - 646 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/09/15(土) 01:42:12.75 ID:FsTN+OYbo
「夜?」
上条は一度不思議そうに呟いてから、
「――っ!」
目を見開いて一気に上体を起こした。
掛け布団が跳ね退けられ、突然持ち上げられた頭がクラリと揺れる。
奥歯を噛み締めて眩暈をやり過ごした上条は、再び真紅に顔を向けた。
「真紅! 俺は何時間くらい寝てたんだ!?」と、上条は言った。
「約6時間よ」
「……御坂!」
上条がベッドを下りようとする。
「待ちなさい当麻!」
だがその直前、真紅が上条の肩を掴んだ。
しかしその身体は赤子のような小さい。
とても抑え切れるものではなく、逆に立ち上がりかけた上条に引っ張られて「きゃっ!」真紅がベッドに倒れ込んだ。
「!」
慌てて上げかけた腰を降ろす上条。
右手を伸ばしかけて――しかし、彼女に届く前に引っ込めた。迂闊に触れば真紅を殺してしまう。
「す、すまん。大丈夫か?」
と、気まずそうに上条が言った。
大丈夫、と真紅は返し、身を起こす。それから乱れてしまった髪とドレスを整え始めた。
そしてその手を止めないまま、なおも焦りの様子を隠せない上条を見上げ、
「少し落ち着きなさい」
と言った。- 647 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(岡山県)[sage saga]:2012/09/15(土) 01:43:07.30 ID:FsTN+OYbo
「御坂美琴さんだったら、シスターと秋沙が探しに行っているわ。まだ連絡がないけれど、見つけたら貴方のケイタイデンワに連絡があるはずよ」
「あいつら、なんで」
「貴方の身を案じて、そして、貴方の意を汲んだからなのだわ」
真紅は言葉を切り、微かに気まずそうな表情を浮かべた。
「覚えているでしょう? 貴方は昼間の戦闘が原因の疲労で意識を失った。……少しでも身体を休めなさい。貴方が探し回る側で、この部屋にシスターや秋沙がいたとしても、安全ではないことはさっきわかったでしょう?」
「だったらなおさらほっとけねぇだろ!」
安全ではないのなら、それこそ手は多い方に越したことはない。
いやむしろ、どこにいても危ないと言うのであれば、せめて自分が同行するべきだろう。
だが真紅はその考えを読んだように、首を横に振った。
「シスターにはホーリエが、秋沙には翠星石がついている。何か危険があれば私にはそれを把握できるのだわ」
ホーリエは言うに及ばず、翠星石とも擬似媒介として『繋いで』ある。
あのような結界に放り込まれたなら真紅に危険を知らせてくるだろう。
インデックスと上条ならば結界を破壊できる。
そして翠星石の方は――昼間の戦いではそのような時間も余裕もなかったが――元々夢に出入りできる彼女だ。
nのフィールドと同質のあの結界からであれば、脱出することも不可能ではないはずであった。
「で、でもよ」
なおも言い募ろうとする上条に、はぁ、と真紅はため息をついた。
「なら仮に、いま貴方が探しに行ったとして、その御坂美琴さんを見つける算段はあるのかしら? この時間によく行く場所を知っているとか、今なら確実にここにいる、とか」
「それは……」
そんなものはない。
なにしろ携帯電話の番号だって知らないのである。
よく考えれば普段、美琴と出会うのは街角で行きあったとか、公園で見かけたとか、そういう偶然に依るものばかり。そして出会えば決まって追いかけっこだ。
知っていることと言えば住んでいる寮くらいのものだが、帰っていなければそれも無意味である。そしてインデックスはわからないが、姫神ならばまず最初に寮に向かっているだろう。
連絡がないことを考えれば、結果は推して知るべしだ。
「……」
上条は沈黙するしかない。- 648 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/09/15(土) 01:44:16.00 ID:FsTN+OYbo
「だったら手当たりしだいということでしょう? それなら今、シスターと秋沙が代わりにやってくれているのだわ」
「それでも俺は」「当麻、もう一度言うわ」
上条の声を遮る。
「なぜ、あの二人が、疲労で倒れた貴方の代わりに探しに出て行ったと思っているの?」
彼女たちの気持ちが本当にわからないのか?
いま感じている心配を、彼女たちが自分に対してしているということも理解できないのか?
真紅の瞳は、そう真正面から問うていた。
「……」
「……」
「……わかった」
不承不承、という風情で頷く上条。
ベッドに座り直した彼はいまだ心配を色濃く残しているが、飛び出していく気はなくなったようだ。
それでもどこか気忙しいような、そんな雰囲気は隠しきれていない。
「……」
真紅が見る限り、彼は不満というよりも不安なのだろう。
他の誰かが危険かもしれない状況をわかっていながら、自分が動いていないということ自体が。
それはとても危険なことなのだと、真紅は思う。
彼はきっと自分を大事にしない。
誰かが傷つくくらいなら自分が矢面に立つ。
そんな人間だ。
今も、彼は自分の休養のためではなく、インデックスや姫神の気遣いを無駄にしないために、動いていないにすぎない。
真紅は、上条の横顔見る。彼の眼差しを、見る。- 649 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/09/15(土) 01:45:46.94 ID:FsTN+OYbo
(まるでジュンのようなのだわ)
彼は、まったく似ていないにも関わらず、なぜかジュンを思い起こさせた。
上条とジュンは、まったく種類の異なる人間だ。
かたや猪突猛進、かたや五里霧中。
周囲を引っ張るスタンスと、状況に巻き込まれるスタンス。
あらゆる幻想を殺す力と、失われた魂を呼び起こすことのできる力。
しかしそれでも、大事なものを放っておくことのできない頑なさは共通している。
(ジュンはどうなったのかしら)
自分がここにいる。
つまり、ジュンをマスターとしたアリスゲームは終わったということだ。
どのような結末になったのか、真紅は何度も思い出そうとした。
しかしどんなに掘り返そうとも、まるで霞みがかったかのように記憶を見通すことができなかった。
「……」
記憶の欠損。
昨日インデックスや秋沙と初めて会った部屋で感じた違和感と、昨夜鞄の中で感じた予感と、そしていま改めて味わった実感。
(私は、失っている。ジュンとともにあった時の記憶を)
右腕を見る。
先の戦闘で、水銀燈に引きちぎられかけた部位だ。
しかしあの瞬間に感じた悪寒は、部位欠損に対する恐怖だけではない。
あの時と同じ、という、予感を伴った畏れだった。
『前回』の記憶に間違いない。
左手で右腕に触れた。
この右腕はかつて一度、切断されている。
(だったらなぜ、元通りになっているの?)
一度外れてしまったパーツを繋ぎ合わせることは容易ではない。というよりも、ほぼ不可能だ。
それはローゼンと同等の腕前――『神業級の職人』であるということなのだから。- 650 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/09/15(土) 01:47:42.35 ID:FsTN+OYbo
(ジュンにもそこまでの力はなかったはず)
誰が、修復したのだろう。
(彼に会うことができれば、いえ、本人に会えなくても、子孫が何かを聞いていれば、記憶の欠損を取り戻せるかもしれない)
真紅が見る限り、ジュンのいた時代と今の時代は、極端に離れていないように思えた。
あるいは彼は、まだこの時代に生きているのかもしれないが、それは甘い考えだろう。
真紅にはジュンが何処に住んでいたのかすらわからないのだ。それは記憶の欠損かもしれないし、元々の知識として知らないのかもしれない。
「……」
あれから何があったのか。あの戦いの結末はどうだったのか。
思い出せない。何も浮かんではこない。
だが、最後に何か大きな決断をしたような、そんな気がする。
敗北を意味するような――契約を自分から解除するとでも言うような、それほどまで強い決断を。
(……)
「どうしたんだ?」
思考は横から割り込んだ上条の声に遮られた。
「な、なに?」と、真紅。
首を傾げる上条の顔が目に入る。
「いや、なんかいきなり黙ったからさ」
「……」
「なんか心配事か?」
「……」
「真紅?」
「……心配事……心配事、ね」
らしくなく、どこか虚ろな口調でつぶやく。
そして訝しげな上条に、またもらしくなく力無い笑みを向けた。
両膝を胸元に引き寄せて座り、そこに顔を乗せる。
それはいつか、右腕を失った時と――ジュンに背を向けていたときと同じ仕種だった。
「私は、」
「あ、ああ」
すう、と真紅は息を一息呑み、続けた。- 651 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/09/15(土) 01:49:15.29 ID:FsTN+OYbo
「私は壊れているのかも、しれない」
「は?」
「……」
「ど、どういう意味だよ」
「……記憶」
「え……」
「私の記憶は、不完全なのだわ」
「なっ」
妙な声を出した上条に目は向けないまま、真紅は己が両の手を覗き込んだ。
不安を色濃く映した横顔。見れば彼女の両手は小さく、小さく、だが確実に震えを刻んでいた。
「全部なくなったわけじゃないの。前の契約者――ジュンのことは覚えている。あのとき何があって、どんな戦いがあって、どう暮らしていたかも、全てではないけれど思い出すことができる」
「……」
「でも」
真紅は両手を握り締めた。
そこにあるはずの、あったはずの何かを掴むように。
「デパートの屋上で雛苺と戦ったときまで、私は忘れていた」- 652 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/09/15(土) 01:50:37.51 ID:FsTN+OYbo
「雛苺は、もういなくなっていたのに」
「雛苺から、ローザミスティカを託されていたのに」
「彼女の想いを、雛苺の意志を受け取ったはずなのに」
- 653 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/09/15(土) 01:51:41.07 ID:FsTN+OYbo
「私は、忘れていたのだわ。忘れているのだわ」
真紅の口調はまるで、罪を告白する咎人の様。
「いまもまだ、思い出していないことがある」
それは何も雛苺のことだけを告げているのではなかった。
ジュンと共に在ったこと。
雛苺や翠星石と、そしてきっと他の薔薇乙女とも結んでいただろう日々。
自分なりのやり方を、その先に見ていた日々を、ほんの一部でも創り出せていたはずの記憶。
それをなぜ覚えていないのか。
なぜ忘れてしまったのか。
なぜ失ってしまったのか。
なぜ、思い出せないのか。
……あの時の想いは、その程度でしかなかったのだろうか。
口が止まらなかった。
堰を切ったように哀しさと罪悪感が湧きあがり続ける。
昨日から自分の中で誤魔化し続けていたナニカが、不意に形となって自分自身を苛んでいた。- 654 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/09/15(土) 01:53:14.37 ID:FsTN+OYbo
「……真紅」
「私はもう」
弱弱しい声。
「真紅」
「きっと『壊れて』しまって……」
「真紅!」
「っ!」
嗚咽のような真紅の言葉が止まる。
「……」
「……」
「……」
「……」
「……やめるんだ。そんなこと……自分が壊れてるだなんて、思うことない」
「……」
ゆっくりと、真紅が見上げてくる。
その瞳は泪こそ湛えていないものの、まるで迷い子のように、弱々しい。
握り締められていた彼女の両手は再び開き、しかしそれは、まるで縋る何かを探しているように震えていた。
「……」上条は、一度、確実に、迷いの素振りを見せた。
しかしすぐに彼は息を吸い込み、目を閉じる。
「……、……俺は」
再び瞼を開いた彼の表情には、迷いは残ったままだが――決意の色で固められていた。
「俺も、記憶がないんだ」
と、上条は言った。- 655 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/09/15(土) 01:54:31.07 ID:FsTN+OYbo
「え……」
「この夏より前の記憶が一切ない。覚えてないんじゃない。忘れたんじゃない。無くしちまったんだよ、俺は」
「……」
「俺はインデックスを助けた、らしい。俺自身は覚えてないけど、ステイルっていうインデックスの知り合いから教えてもらった」
彼は右手を包むように、胸の前で手を組んだ。
「記憶をなくしたのはその時だって、医者が言ってた」
それはその右手を誇るようであり、逆に、救いを求めて神に祈るかのような、そんな仕種だ。
「……でも俺はインデックスとなんで知り合って、なんで助けたのか、知らない。わからない」
調べることも出来ない。あの白い少女の笑顔を護りたいから。
「でも俺は思うんだ」
組んでいた手を離す。
右手を、力強く握りこんだ。
「もしインデックスを助けたら記憶がなくなるってことが先にわかっていたとしても」
「……」
「絶対に俺はインデックスを助けたって、そう思ってる。そうだって言える」
拳を胸に当てる上条。
「インデックスと出会った『俺』はもういない。取り戻すことだってできない。でもきっと、その『俺』が今もいたら、絶対同じことを考えてるはずだ」
「……」
「俺の――上条当麻の根っこは、記憶のあるなしで変わっちまうもんじゃないんだ。記憶があるからとか、記憶がないからとか――そういうもんじゃ、ない」
「……当麻」
「俺には前のお前がどういう『真紅』なのかわからない。でも、」
上条が真紅を見た。
「俺には、お前が真紅に見えるよ。きっと『俺』も、お前が真紅だって言うはずだ。間違いない」- 656 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/09/15(土) 01:56:10.40 ID:FsTN+OYbo
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……ふふっ」
部屋に満ちた沈黙を破ったのは、真紅の笑い声。
「真紅?」
「当麻。貴方のその説明、残念だけれどなんの慰めにもなっていないのだわ」
と、真紅は言った。
「え、っと……」
あのね当麻、と真紅は前置きしてから、続ける。
「今の貴方が貴方であっても『貴方』であっても、見える私は今のこの私でしかない。貴方の記憶の有無は客観的に観測できる人がいて、そういう事実があるのかもしれないけど、私にはそれがない。なのに『私』を保証されても、意味がないのだわ」
「そ、そりゃそうだけどよ」
「それだけでも無意味だと言うのに、くわえて徹頭徹尾感情的。安心させる根拠もなければ話の中に論理的なものもない。あれでは慰めになる要素はカケラもないのだわ」
「それは、おっしゃるとおりなのでせうが……」
「まったく。説明もヘタクソなら、慰めるのもヘタクソなのだわ。これではシスターも秋沙も苦労しそうね」
はぁ、とため息。
「……も、申し訳ございません」
なぜここでインデックスや姫神の名前が出るのかはわからなかったが、言われて見れば真紅の言うとおりだ。
比較対象もないのに、以前と今に差異がないと保証されても、言われる側からすれば意味がない。
(もっと勉強しとけばよかった……)
がくん、と肩を落とす上条。
こんなところで普段の成績を後悔することになるとは。- 657 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/09/15(土) 01:57:18.40 ID:FsTN+OYbo
「……でも」
真紅の右手が、そっと上条の左手に重ねられた。
「ありがとう」と、真紅が言った。
「え」
ベッドに腰掛けたままの上条に寄り沿うようにしながらも、彼の顔を見ないよう――彼に顔を見られないよう、視線を落とす。
「私に、貴方のとても大切なことを教えてくれて。自分自身を傷つけてまで、私を護ろうとしてくれて」
この告白は彼にとって、とても勇気のいることだったに違いない。
「辛いことを聞いた。辛いことを言わせてしまった」
その証拠に、告げる直前に彼は、確かに迷いを見せていた。
告げている間の声にも、迷いが見えていた。
「当麻。私は貴方に感謝するのだわ」
今も、重ねた彼の左手には動揺の名残を遺すかのように、力が入っている。
「……約束したろ?」
と、上条が言った。
「え?」
思わず俯かせていた顔をあげる真紅。
見上げた彼は、気恥ずかしいという言葉を知らないように、真紅を真正面から見つめていた。
「お前を――真紅を護るって。俺の誇りにかけて、真紅を護るってさ」
――誓いなさい。薔薇の指輪と、貴方の誇りにかけて。私のローザミスティカと、私の意志と、私自身を護ると
一瞬、呆気にとられたような表情を浮かべる真紅。
彼が告げた『約束』は、あの時の儀式の言葉。
だがそれは契約を促す時に告げる、定型文のようなものだ。
にも関わらず、それを彼は心から誓ってくれていた。
いま、ではなく、あの時から。- 658 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/09/15(土) 01:58:56.62 ID:FsTN+OYbo
「……」
真紅は無言のまま再び顔を伏せた。
そしてゆっくりと、額を彼の腕に押し当てる。
長く艶やかな髪が、サラリと上条の二の腕にかかった。
「し、真紅?」
今更ながらに自分と彼女との体勢を意識したのか、上条が動揺の声を漏らした。
しかし真紅はそれに構うことなく、目を閉じた。
胸の中に、とても温かい感情がある。
そしてそれ以外に、思い出したことも。
(そう、これはあの時と同じ)
思い出したのだ。
唐突に、突然に。
右腕を失いジャンクになったと嘆いた自分を、ジュンは不器用でも必死に慰めてくれた。さらには、自身の辛い記憶をえぐり出してまで、この右腕を取り戻してくれた。
ちょうど、今の上条と、同じように。- 659 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/09/15(土) 02:00:26.34 ID:FsTN+OYbo
――私が私でいるための大切な要素
――水銀燈だって他のどんなドールだって
――ジャンクなんてどこにも居ないのかもしれない
- 660 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/09/15(土) 02:02:18.07 ID:FsTN+OYbo
「……」
なぜ、こんな大切なことを忘れていたのか。
右腕を失った事実のみを残し、自分の中に埋もれていた記憶。
それがいま、はっきりと甦った。
あの時、腕をなくしていても感じた、幸せな感情とともに。
「私は誇り高い『薔薇乙女』第5ドール」
ポツリと呟く。
上条の左手に重ねた右手。その人差し指を、すいと動かした。
「そして幸せな、貴方のお人形」
薔薇の指輪に、小さな指を這わせる。
「誓うわ」
彼女の口元に浮かぶのは、柔らかな微笑み。
「私は」
顔をあげる。伏せていた眼を開き、上条の顔を見つめる。
そして告げた。
「私の意思と誇りを持って、貴方と貴方の大切なものを、護るのだわ」
- 661 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/09/15(土) 02:03:44.91 ID:FsTN+OYbo
○
順調だ。
上条の部屋で広がる光景に、内心で笑みが浮かぶ。
『幻想殺し』と、赤い薔薇乙女。
欲を言えば、翠の薔薇乙女も『幻想殺し』と契約していれば、さらに事は容易に運んだに違いない。
まぁ、それはいい。元々の予定にない行動は、計画を根本から崩す可能性がある。
問題はない。
『薔薇乙女』たちは、ほぼ期待通りの動きをとってくれていた。
あとは『人形』が先に潰れてしまわなければ、舞台は整うだろう。
『幻想殺し』と赤い薔薇乙女の絆を感じ取りながら、再び内心で笑う。
Prrrrr
上条の部屋に、不意に電子音が響いた。
携帯電話。
御坂美琴からの、着信だ。
役者は揃う。
幕が、上がろうとしていた。
- 669 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/12/02(日) 22:56:55.65 ID:5u8O7Fkno
○
浅く斬られた右頬から溢れた血液が顎の先から珠となって落ち、絨毯敷きの床に花を咲かせた。
「はっ、はっ、はっ」
肩で息をする白井。
激しい呼吸にあわせて、両方のリボンを失って解けた髪が背中で揺れる。所々が裂かれた制服には、血が滲んでいる箇所が幾つも認められた。
そんな彼女の、眼前。
3メートルほどの間合いをあけて鋏を構えるは、蒼い短身――蒼星石。
蒼もまったくの無傷ではなかった。
打撃によるものか、帽子を跳ばされ、上着の袂には解れが見える。
しかしそれは互角を意味しない。
なお無表情を崩さない蒼に対して、白井の顔にははっきりと消耗が浮かんでいた。
「もう限界でしょう? ジタバタせずに大人しくすればこれ以上怪我もしないわよ?」
と、セーラー服が言った。
戦闘開始からの約一時間、演台に腰掛けたまま動いていない彼女は、見せ付けるように脚を組み替える。
「……」
白井は無言。
言い返すだけの余裕はなく、仮にあったとしても花飾りの少女の身を考えれば迂闊な発言はできなかった。
しかし、
「……」
その瞳に浮かぶ意思は小揺るぎもしない。
ただ、諦めない。
――もしも自分が諦めれば、優しすぎるあの人が哀しんでしまう。
そんな確信に値する確かな想いが、白井から戦意を失わせなかった。- 670 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/12/02(日) 22:57:29.65 ID:5u8O7Fkno
目に見えるような毅然とした態度に、セーラー服は舌打ちした。
おそらくは蒼星石に注がれる視線も、同様に鋭さを保っているだろう。
苛立たしげにもう一度脚を組み直しつつ、さらに言葉を重ねる。
「能力は使えず、増援もない。遠からず限界もくる。この期に及んで何を期待しているのかしら?」
「……」やはり返答は無言。白井は視線も向けない。
「……」
ギッ、とセーラー服の奥歯が鳴った。
……絶望に染まる白井の表情が見たい。
それも力及ばずというだけではなく、諦めた悔恨と、それでもなお諦めきれない悔恨を顔に浮かべた白井が。
簡単に見ることができると思っていた。
見せかけだけの均衡と、それに甘んじながらも打破できない状況。
絶望感のある閉塞の中に浸されれば、人はたやすく地金をさらす。
あるいは、
……花飾りの少女を傷つければ。
「……」
セーラー服が目を細めた。
そうだ。
何をこだわっている。
約束を反古にすることに、戸惑うことなどないだろう。
あの娘は御坂美琴に群がる害虫でしかない。
そう、虫だ。
虫が何をわめこうが、こちらが傷つくことなどない。
「……蒼星石」
花畑を斬れ。
そう言おうとした。
その直前だった。- 671 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/12/02(日) 22:58:23.51 ID:5u8O7Fkno
バン!
と音をたて、唐突に講堂への出入口が開いた。
「「「!」」」
セーラー服が顔をあげ、白井が振り返り、蒼星石が鋏を向ける。
集まる視線。
薄闇の中に浮かびあがったのは。
白と赤。
そして翠。
「っ!?」
蒼の顔が驚きに揺れる。
同時に、
「翠星石!?」
セーラー服が叫んだ。
「――はっ」
赤と白――姫神は、駆け上がってきたために乱れた呼吸を一息に吐き捨て、最上段から講堂を見下ろした。
蒼星石。
対峙する傷ついた少女。
そして奥の演台に腰掛けるセーラー服。
その足元に倒れ伏す、花飾りの少女。あの腕章は『風紀委員』か。
「翠星石!」
助けるべきは誰なのかを一瞬で把握した姫神は、腕の中の薔薇乙女の名を呼びながら花飾りの少女を指差した。
「任せるです!」
応じた翠星石が、姫神の指先を追うように右手を伸ばす。
ほんの一瞬、翠星石の全身が翠の光を放った。
「!」
セーラー服が目を見開いた。
目の前に人の腕よりもなお太い植物の茎が突如出現したのだ。- 672 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/12/02(日) 23:00:07.26 ID:5u8O7Fkno
その元は、眼前で倒れる初春飾利の髪飾り。
花飾りたちが翠星石の力を受けて、爆発的にその身を成長させたのである。
あ、と言う間もなく初春の身の丈を越えるほど成長をとげた花たちは、さらに各々が寄り集まるように茎を束ねあわせ、一本の巨大な植物へと姿を変えていた。
そして転瞬、意思持つかのようにその茎を『く』の字に折り曲げて、
「やっちまうです!」
翠星石の声とともに、横殴りの一撃がセーラー服に襲い掛かった。
ぶんっ、と空気を大きく切り裂いた植物を、セーラー服は回避できない。
直撃。
弾き飛ばされ、演台に背中をたたき付けられる。
「かはっ!」
口から声とも呼気ともつかぬ音が漏れ、そのまま横倒しに倒れる。
直ぐさま起き上がろうとするが、
「っ、っ、っ!?」
動けない。
打撃そのもののダメージだけではない。
一撃によって打撃面から伝達した魔力がセーラー服の全身を伝播し、内部にまでダメージを与えていたのだ。- 673 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/12/02(日) 23:01:27.58 ID:5u8O7Fkno
「!」
好機。
白井が花飾りの少女に向けて走り出した。
巫女服の少女も、蒼星石に似た娘の正体もわからない。
セーラー服の敵対者が、必ずしも白井に益するわけではない。あるいは、彼女たちも白井黒子の世界を害する存在かもしれない。
だが白井は己の直感に賭けた。
巫女服と翠を信じ、彼女は全力で駆ける。
「マスター!」
それを追うように蒼星石が床を蹴った。
彼女の跳躍力ならば、一足で白井に刃を届かせることは造作もない――「させねーですよ蒼星石!」翠星石の声とともに、蒼の足元が円形に光り、幾本もの植物が出現した。
「なっ!?」
茎がまず蒼星石の足首を搦め捕り、続けて腕を、胴を、首を拘束する。
倒れ込む蒼星石。
「くっ、このっ」
蒼星石は即座に鋏で植物を切断しようとする。
だがそれよりもはやく、
「そこまで。」
巨大な鋏にコツンと触れる何かがあった。
顔をあげる蒼。
姫神。
その手にあるのは、彼女呼称における魔法のステッキ。
実態は高出力スタンロッドだ。
それが何なのか蒼星石にはわからない。
だがすぐにわかった。
姫神の右手が、躊躇なく通電のスイッチを押し込んだからである。
「うああああっ!!!」
蒼星石が背中をのけ反らせて悲鳴をあげた。
「……っ!」
姫神の左腕に抱えられた翠星石が、ビクビクと震える蒼星石の姿に泣きそうな表情を浮かべ、しかし、身を拘束する植物を緩めない。
蒼星石に悪いことをしてほしくなかった。今も、してほしくない。
妹への想いが、翠星石にとって最も忌避したいはずの闘いを躊躇わせなかった。- 674 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/12/02(日) 23:03:23.99 ID:5u8O7Fkno
「ぐっ、くっ……!」
一方、枝による攻撃でいまだ立ち上がれないセーラー服が、ようやく床に手をついて膝立ちになった。
翠星石の力は精神の樹木に介入すること。
強い敵対心を持たれているセーラー服は、動かなくなってしまえ、という翠の意思をまともに受けてしまっている。
重い頭。顔は伏せたまま。
それでもなんとか顔を起こそうとして、
「形勢逆転、ですの」
その床だけ映った眼前に、女の靴が、ざっ、と音をたてた。
「白井、黒子……!」気力で顔をあげるセーラー服。
奥歯をギリリと噛み締め、見下ろしてくる少女――白井を睨みつける。
そんな憎悪そのものの視線を、白井は真正面から受け止めた。
そこから目を逸らす事なく、白井は拾い上げた手錠をセーラー服に示した。
「風紀委員に対する公務執行妨害の被疑者。そして電撃使い襲撃事件の容疑者として、貴女を拘束しますの」と、白井は言った。
「っ!」
彼女は、初春飾利の無事を確認するよりもセーラー服の拘束を優先し、そして『風紀委員』の通例を忘れず警告を与えている。
憎悪を見返す白井の瞳には、欠片の私怨もない。
あるのは誇り。
御坂美琴が隣に立つことを認めた、誇り高い視線が、セーラー服を貫いた。
「……なによ」
顔を歪めるセーラー服。
「なによ、なによ、なによ」
床についた手が、握り締められた。- 675 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/12/02(日) 23:04:31.48 ID:5u8O7Fkno
「なによなによなによ……なによおっ!」
- 676 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/12/02(日) 23:06:14.56 ID:5u8O7Fkno
語尾は叫びに変わり、セーラー服が立ち上がった。
「なぜ貴女が私を見下ろしているの! なぜ貴女が! 奪ったのに! 無くしてるはずなのに!」
「……」
「貴女なんて、」
セーラー服は大きく息を吸い込み、
「貴女なんて、もう御坂美琴の顔も思い出せないクセに!」
講堂に響き渡る声で、セーラー服が言った。
「確かに、そのとおりですの」
しかし白井は、その事実をあっさりと肯定した。
電撃使い襲撃事件の被害者が、なぜ能力を使えなくなったのか――それを彼女は文字通り身をもって感じていた。
蒼星石の鋏は、記憶を削り取る。
おそらくこの力で、被害者は能力に関する記憶を奪い去られのだ。
必須演算式の記憶や、それを補強する経験を奪われてしまえば、通常どおりに能力行使できなくなって当然である。
だがいま白井が奪われたものは、能力に関するものではなかった。
いまの白井は、美琴の顔を思い出せない。
美琴の声を思い出せない。
美琴との会話を、美琴との日々を、美琴との思い出を、何もかも思い出せない。
先ほどの戦闘で、一太刀受けるごとに、白井の中から大切な記憶がなくなっていったのだ。
しかし、だ。
白井はセーラー服を見た。
襟足にかかった髪を、左手で払いあげる。
そして言った。
「でもそれが、どうかしまして?」
「!」
誇りも意思もまったく衰えていない声が降り注ぎ、セーラー服が一度、大きく震えた。- 677 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/12/02(日) 23:08:05.21 ID:5u8O7Fkno
「貴女は何を勘違いしているんですの? わたくしは、わたくしの誇りの元に、この胸にある敬愛を抱いているんですのよ?」
白井は胸に手を当てた。
記憶は奪われている。
しかし想いは、確実にそこにあった。
御坂美琴という名前を聞いて浮かんだ、言いしれない温かなモノ。
それをしっかりと感じながら、セーラー服を見据える。
「これは、貴女には絶対に理解できないことだとわたくしは断言しますの」
「っ!!!!」
セーラー服は蒼星石を振り仰ぐ。
「蒼星石ぃ! 何をしているの! 立ち上がりなさい! そしてこいつを、白井黒子を殺しなさい! 早く!」
植物に拘束され、電撃に痺れ、まともに動ける状態ではない蒼星石に、喚くような命令を投げかける。
セーラー服にとって、蒼星石はただの捨て駒だった。
ローザミスティカも、アリスゲームも知ったことではない。
御坂美琴を己が望む存在にするために使える、ただの戦闘人形。
それだけだ。
だから、己の望む命令を発する。それがどんなに見苦しいことか、気がすることなく。
「マス、ター……!」
そんな彼女を見てもなお、立ち上がろうとする蒼星石。
しかし、
「そんなことさせねーです」
姫神の腕から降りた翠星石が、妹を背中に、セーラー服の視線を遮った。- 678 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/12/02(日) 23:10:54.11 ID:5u8O7Fkno
「!」目を見開く蒼星石。
「蒼星石は翠星石が護るですよ。たとえ、」
翠星石は、肩越しに妹を見る。
「蒼星石を壊してでも、護るです。絶対」
矛盾しながらも確固たる想いの元、再びセーラー服に降り注ぐ翠の視線には、これもまた強固な意思が称えられていた。
「!!!」
ビクリと震えるセーラー服。
ザッ、と靴の擦過音。
「!」
弾かれたように視線を戻せば、白井が一歩、脚を踏み出していた。
「貴女の、負けですの」
セーラー服の身体は、まだ、思うように動かない。
「だ、黙れ……」
白井がさらに一歩、踏み出した。
「黙れ、黙れ」
白井がまた一歩、踏み出した。
「黙れ……黙れ黙れ黙れえええぇぇぇ!」
セーラー服が激高した。その表情が怒りに彩られた。
右手を無理矢理動かし、スカートのポケットから『人形』を取り出す。
振り上げた。
「! 抵抗をやめなさい!」
白井には魔術の知識はない。
だからセーラー服が取り出した物が人形であることは認識していても、それがどれだけ危険なものなのかまで把握できていなかった。
『空間移動』には先だって不安を植えつけられているため、白井は駆け出すことでセーラー服との間合いを詰めようとしていた。
「遅いわよ!」
『人形』をたたき付ければ、白井は倒れる。
そうすれば白井を人質にして、翠星石と巫女服の女も抑えられる。
形勢は再び逆転するはずだ。
セーラー服の手が、『人形』を床に叩き落とす――- 679 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/12/02(日) 23:12:46.11 ID:5u8O7Fkno
バチィ!
と空気を叩く音が、講堂に響き渡り、
「きゃあっ!」
同時に走った一条の紫電が、セーラー服の右手首を撃ち抜いた。
衝撃、ダメージ、電撃による痺れ。
それはセーラー服が『人形』を手放すには十分すぎる要因。
『人形』は重力に引かれるままに床に落下した。
「な……」
手首を抑えながら、セーラー服が呆然と電撃が飛んできた方向に目を向けた。
気を失っている初春の、ちょうど真上。
一群の薔薇の花びらが突如として出現し、渦を巻いている。
電撃は、渦の中心から放たれていた。- 680 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/12/02(日) 23:13:28.72 ID:5u8O7Fkno
「黒子の言うとおり、無駄な抵抗するんじゃないわよ」と、渦の中から声が響いた。
- 681 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2012/12/02(日) 23:14:30.71 ID:5u8O7Fkno
「ぁ……、……」
その声を白井は知っている。
「な、そんな……なぜ、結界を……」
セーラー服もまた、その声を知っている。
「……。」
姫神は、その声に聞き覚えがある。
彼らと、姫神と、翠と蒼の視線が集まる中。
花開くように、薔薇の渦が四散した。
その中から現れた、赤い薔薇乙女を左手に抱えた人影が、初春を背中にかばうような位置に着地する。
ジジ、と人影の前髪が、微細な電気を走らせた。
人影は、初春を見て、姫神を見て、翠と蒼を見て、セーラー服を見て、そして、白井に視線を向ける。
口元には、笑み。
「よくがんばったわね、黒子」
と、人影が――御坂美琴が、言った。
- 701 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/02/09(土) 23:43:43.18 ID:oNEmuR9xo
- ○
「「「……」」」
全員の注目が集まる中、美琴はゆっくりと、左腕に抱えていた紅い人形――真紅と名乗ったか――を床におろした。
小さいが上等と一目でわかる靴が講堂の床板に接し、コツ、と音をたてる。
「あんたね、最近『電撃使い』を襲いまくってるやつってのは」
儚い音が消えてから、美琴は床に落ちた白井の人形に視線を移し、言った。
ハッキングで得た情報の中には、現場の状況も詳細に記されている。
何かの破片が――西洋人形等に用いられる陶器の破片が検出されたという、分析結果があったのだ。
「ど、どうやって、ここに?」
美琴の質問に応えず、震えた声でセーラー服が問うた。
その震えの意味を『超電磁砲』と相対した恐怖、あるいは――こうなることを望んでいただろう犯人であれば――武者震いであると判断し、警戒しながらも美琴は肩を竦めた。
「さぁ? 悪いけど、その辺りはこっちのこの娘に聞いて。私も驚いてんだから」
真紅は明らかに人間ではないにも関わらず、まるで人のように動き、話し、そのうえ白井のお株を奪うようにテレポート系の能力まで発現させてみせた。
美琴の常識で言えば、真紅は精神系能力の一派である『憑依』か、あるいは操作系能力での産物。そしてテレポートはこの場にいる誰か――消去法でいけば巫女服の少女に依るアポートだろう。
つい十数分前、電話で指定した場所で上条と落ち合った時は、思わず目を疑った。
何しろ彼と共に来た者が、昨夜戦闘になった水銀燈――美琴が『幻想猛獣』ではないかと疑いを持っている相手――と、よく似ていたからである。
本来ならば是が非でも問い詰めたいところだったが、今朝バス停で知り合った姫神とそれに同行している翠星石と言う人物に危険が迫っているというので、真紅や水銀燈については後で必ず説明するということを条件に、とりあえず疑問は飲み込むことにしていた。
美琴にして軽いものではない事実であるにも関わらずその結論に至った要因は『多才能力』や『幻想猛獣』という単語に彼等のいずれもが本気の疑問付を浮かべたことや、そして決して美琴は認めないに違いないが――上条が真紅は敵ではないと保証しているのも、大きい。
「私と翠星石は擬似媒介として繋がっている。そして翠星石は私を通じて当麻から力を得ることが出来る」
美琴の言葉を引き継いで、真紅が口を開いた。
「逆に言えば、私も翠星石の力を借りることができる。これだけの条件が調っていれば、私でも夢を渡ることが出来るのだわ」
「それでも100%の保証はないですよ。無事に来れてよかったです」と、翠星石。
「ええ、ありがとう翠星石。それから秋沙。貴女たちのお陰よ」
契約者を持つ薔薇乙女――真紅と、その真紅と擬似媒介で繋がった翠星石。
通話状態を保持した――外界との結び付きを持ったままにしてあった姫神の携帯電話。
結界内で気を失っている――夢を見る眠りと同義な状態の初春飾利。
力の源と、夢を渡る能力と、綻びと、通り道。
実際のところは、言葉ほど簡単なことではない。これだけ要素が揃っていても、夢渡りは真紅にとっても賭けに近かった。
当初は自分とホーリエだけで先行する予定だったのであるが、携帯電話から知り合いの声がする、と言ったため、美琴も共に転移したのだ。
もっとも上条はそもそも転移できず、さらにインデックスは上条が結界を破壊する際に『歌』を奏でてもらわねばならなかったので、同時に転移するのであれば美琴以外にいなかった、という事情もあったが。
- 702 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/02/09(土) 23:44:30.85 ID:oNEmuR9xo
「まぁ詳しい説明は後でじっくりとしてもらいなさい。私もまだワケわかんないことの方が多いんだから。話を聞ける場所は、留置場の中だろうけどね」
「っ……っ……っ……」
言葉に押されたようにセーラー服が一歩後ろに下がった。青白い顔で視線をうつろわせる。まるで逃げ道を探しているような表情。
「アンタが何を考えて電撃使いを襲ってたり、私に水銀燈をけしかけてきたのか、黒子や初春さんにちょっかいをかけてきたのかは知らない。でも、こうなることはもちろん覚悟の上よね? ……今更逃げようとしてんじゃないわよ!」
轟、と美琴の周囲に、一瞬で電撃の力場が出現した。
真紅と、白井と、初春。
周囲にいる味方を完璧に避けながら青白い閃光が渦巻き、空気を引き裂く。
「だ、だめですの!」だがそれを見て、白井が叫んだ。
「!?」美琴が視線を向ける。
その視線に――相手の名前を思い出せないもどかしさを感じながらも、白井は言わねばならないことを言った。
「今この建物はその女の能力内にありますの! 詳細は不明ですが空間干渉系で、能力の制御を乱す効果があります! わたくしの能力もきちんと機能しませんでしたの!」
「空間干渉……?」
ちっ、と舌打ちする美琴。
『電撃使い』という系統は、発電だけならそこまで繊細な演算を必要としない。しかし美琴は扱う力の桁が違いすぎた。一歩間違えれば、この講堂にいる全員が黒焦げになるだろう。
電撃が急速に収まっていく。それに伴って浮かび上がっていた前髪が、ゆっくりと元の位置に戻った。
「っ!」
その瞬間を見計らって、セーラー服が踵を返した。
講堂演台の脇にある暗闇――おそらく控え室と出入り口があるだろう方向に向けて、一気に駆け出した。
「逃がすか!」
だんっ! と美琴が床を蹴った。- 703 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/02/09(土) 23:45:23.71 ID:oNEmuR9xo
超能力者の演算はすなわち学園都市の常識外と言ってもいい。
「きゃっ!?」真紅の驚声を置き去りに、体内電流を操作した踏み切りが『超電磁砲』の主の身体を一気に3メートルほど移動させ、セーラー服の真横に並ばせた。
そしてセーラー服が反応する前に脚払いを一閃。走り出しかけたセーラー服にそれを回避することなどできなかった。
「あっ!?」
両脚を綺麗に払われたセーラー服は、大きな音をたてて床に転がった。
「マスター!」
階段列に伏した蒼星石は立ち上がろうとするものの、
「大人しくするですよ!」
反射的に振り向いた翠星石が植物の拘束を強め、
「動かないで!」
姫神が再びスタンロッドを背中に押し当てて動きを封ずる。
「これでも喰らいなさい!」
美琴が右手を、どこかの誰かのように強く握りこみ、セーラー服の背中に向けて打ち下ろした。
拳にはスタンガン並みの電撃が纏わりついている。なんの防護もなく受ければ一両日は目覚めない。
美琴の姿にただでさえ動揺を見せていたセーラー服だ。その上不意な転倒とあれば、繊細な演算は不可能。仮にピンポイントに能力制御を乱す力があっても、それを発揮することはできないだろう。
美琴の勝利は確定した。
だが。
―――!!!
拳がセーラー服の背中に触れるよりも早く、左真横から伸びた腕が、その手首を掴んだ。- 704 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/02/09(土) 23:46:28.82 ID:oNEmuR9xo
「!?」
美琴が目を見開く。
絡んだ指は細い女性のもの。
しかし驚いたのはそこではない。
掴まれた手首は拳ほどではなくとも十分な量の電気が帯電している。また、手首を掴んだ者はその接近を美琴に悟らせなかった――美琴の電磁レーダーを掻い潜ってきたのだ。
これはつまり、相手が美琴とほぼ同質の電撃使いであることを示している。
いやもっと正確に言えば、美琴と全く同じ性質を備えた電撃使い。
反射的な動きで美琴は妨害者の顔を見た。
茶色のパンプス、白い靴下。細い脚と、チェック模様のスカート。
ベージュのブレザーに、胸元には赤いリボン。
ショートヘアーに、ヘアピン。
全て美琴には見覚えがある。いや、ありすぎだ。
「『妹達』!」と、美琴が叫んだ。
鏡で見たように自分と瓜二つの存在。自分と同じ顔を持つ少女の右手が、こちらの右手首をガッチリと掴んでいた。
普通であれば己の偽者を疑うべき状況だが、美琴にとっては違う意味を持っている。
事前にインデックスから断片的にだけ聞いていたが、この光景は信じたくなかった。
なぜ『妹達』の一人がセーラー服に協力しているのか。
その疑問を彼女が口にするよりはやく、
「ミコト!?」
予想していない方向から驚きの声があがった。- 705 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/02/09(土) 23:48:10.60 ID:oNEmuR9xo
床に伏せ、身をひねるようにして見上げているセーラー服。
驚愕はセーラー服も同様。
講堂に少女人形を呼んだ覚えはない。生贄代わりの己の人形を置いてある部屋に待機させていたはずだった。
美琴に親しい白井との戦闘を想定していたため、先の戦いのように躊躇する可能性のある少女人形を連れてくるわけにはいかなかったのである。
もちろん、この戦いに介入するような命令は与えていない。
それがなぜ、ここにいるのか――
――!!!
少女人形が美琴の顔面の向け、左拳を振るった。
美琴にはとても及ばない規模の電撃を纏った拳。
「っ!」
右手は掴まれている。左手はフリーだが、迫りくる拳は向かって右側からだ。
だから美琴は防御を諦め、回避に集中。
膝を崩すようにして曲げ、頭を下げるのではなく、腰を沈めて攻撃の軌跡から外す。
ブン、と音をたてて、拳は動きについていけなかった美琴の髪を数本掠めていった。
同時に纏わりついていた電撃が髪を電導線にして流れようとするが、瞬時に『超電磁砲』の発する電撃に溶け込むようにして消えた。
――!
少女人形はさらに踏み込み、回避直後で体勢の崩れた美琴に対し、再び拳を――
「だ、だめよ、やめなさいミコト!」
切迫したセーラー服が叫んだ。
――!!!
主の声に少女人形は即座に反応した。
拳を止め、右手を離し、一足で美琴から距離をとる。
「っ!」
同時に美琴も強く床を蹴った。
相手を追うためではない。
正面を向いたまま、背中側に跳び、白井をかばう位置に着地した。- 706 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/02/09(土) 23:49:37.40 ID:oNEmuR9xo
数秒の攻防を終えた講堂に、美琴が床板を蹴った音が大きな音が響き、余韻を残して消える。
不利になったのは、あくまでセーラー服側。
美琴の位置からであれば、演算の負荷を考慮しても電撃を外さない位置にセーラー服は転がっており、また、少女人形の参入があってもその能力は限定的だ。
『超電磁砲』に比肩するものではなく、パワーバランスは何も変わっていない。
にも関わらず、
「はっ、はっ、はっ、はっ……」
息切れを起こしているのは、美琴の方だった。
心臓がドクドクと大きく動いている。
動揺によるものだ。
「どういうことよあんた……!」
美琴の声に本物の怒気が混ざる。
自分そっくりの人影に対してではない。セーラー服に対しての、だった。
自分と『妹達』が敵対するなど、悪い冗談としか思えなかった。
だが、鋭利な刃物を想像させる、美琴の視線への返答は、
「ごめんなさい御坂美琴! 貴女じゃないの! 私が呼んだのは貴女のファーストネームじゃないの! そこの、その紛い物のことよ!?」
予想外の、泡食った謝罪であった。- 707 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/02/09(土) 23:50:55.19 ID:oNEmuR9xo
「は……?」美琴の口から声が漏れる。
セーラー服の言葉は続く。
「ごめんなさい! 申し訳なく思っているわこんな紛い物に貴女の名前をつけてしまって! でも許して! そうじゃないと駄目なの! これを使わないと、貴女を素晴らしくすることができないのよ!」
美琴が予想していたのは、第3位の弱みを手にし、自分を脅迫できるだけのを材料を有した自信の顔だった。
にも関わらず、敵はまったく見当違いのことを言い放っている。
「それに、駄目よ御坂美琴! 貴女が私をそんな目で見ては! 貴女が私をそんな風に構っては! 貴女が私みたいな矮小な存在を敵だなんて認識しては!」
月の光が差し込む採光用窓を見上げるように顔をあげ、天井を仰ぎ、それから顔を両手で覆って俯いた。
その様はまるで許しを乞う罪人のよう。
「私のことなんか考えなくていい! ううん、私のことなんか覚えないで! 私なんか見ないで! 私なんか、意識しないで!」
そしてセーラー服は祝福を受けるように、両手を胸の前で組んだ。
「貴女は美しくて、気高くて、孤高であるべきなの! 私なんか視界に入ることすらない、素晴らしい存在でなくてはならないのよ! ああ、ああ、わかってる わ! 私はわかってるの! 私がこんなことを考えること自体が分不相応なことだって! でも許して! 我慢できないのよ! 貴女がそんなところに甘んじて いることが! 貴女が白井黒子のような者と並んでいることが! 貴女がレベル0やレベル1と共にいることが! 貴女が有像無像の電撃使いの頂点だというこ とが!」
美琴を、見る。
まるで幻想の中にいるような、当然とした瞳で。
「貴女は『電撃使い』であるべきなの! 『超電磁砲』のような能力名じゃない! 『電撃使い』はすなわち貴女を現すような、そんな存在でなくてはならないのよ!」
(な、なんなのよコイツ……!)
ゾクリ、と美琴の胸中に寒いものが走り、
「っ……!」
背中で、白井が息を呑むのがわかった。
狂気。
親愛と敬愛を情愛を煮詰め、煮詰め、煮詰め、煮詰め、煮詰め、コールタールのようにどす黒くドロドロになったかのような、粘質の狂気だった。- 708 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/02/09(土) 23:52:24.46 ID:oNEmuR9xo
いつのころからかわからない。
気がつけば虜になっていた。
気がつけば、彼女のことばかりを考えるようになっていた。
彼女の異名や噂を聞くだけで、心が疼いた。
他人から彼女への賞賛や妬みを聞くたびに、そんな口で彼女を語るな、と強く思った。
彼女の隣に立ちたいと思い、自分のごとき存在がそうすることすら恐れ多く思い、自分以外の誰かが立つことを憎らしく思った。
だから魔術にすがりついた。
だから『薔薇乙女』を使った。
だから『電撃使い』を襲った。
全ては、理想の御坂美琴のために。
- 709 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/02/09(土) 23:55:37.21 ID:oNEmuR9xo
「だから待ってて? 大丈夫よ? すぐだから。すぐに貴女は変わることが出来るから! ちょっとずつ、ちょっとずつだけど、貴女は変わることができるか ら! この、出来損ないの紛い物の人形と私の魔術があれば、いらないものをそぎ落として、貴女は理想に向かって進んでいけるから!」
中性的な魅力すら見て取れるセーラー服は、口元に歪んだ笑みを、瞳に歪んだ光を浮かべ、他の誰にも目を向けることなく美琴を見て、言葉を重ねる。
「そして私と蒼星石、この都市の電撃使いは片付けた暁には、貴女は最高にして唯一無二の電撃使いになれる! ただひらすらに美しい、この現代社会で必要不可欠なエネルギーの女王になれるのよ!」
「な、なに言ってんのよアンタ!」
白井から向けられる少し行き過ぎた親愛表現とはワケが違う。
混じりっ気のない純然たる狂気を当てられた美琴の声色に、僅かに怯えが浮かんだ。
(……)
一方、初春を護る様に立っている真紅は、セーラー服の様子に目を細めた。
この狂気。この執念。この視線。
いずれも、ごく最近見たことがある。
――上条の部屋で腕を引きちぎられそうになったとき、水銀燈が浮かべていた自分に対する憎悪だ。
冷酷な水銀燈であっても、これまでのアリスゲームで一度も見たことのなかった狂気の妄執。
あの時の彼女が浮かべていたモノと、セーラー服のそれは、気のせいとは言えないほど似通っているように思えた。
そしてさらに、
「……。」
離れた位置で蒼の背中にスタンロッドを押し付けながら、姫神は胸の中に、奇妙な考えが浮かんでくるのを感じていた。
セーラー服の狂気に当てられた、のではない。
その狂気を吟味した結果、思い当たる一つの顔があったからだ。
自らの考えが、何一つ間違っていないと信じている顔。自らをオリジナルと信じて疑わなかった、その男の顔。
あくまで直感だ。なんの根拠もない。ただ単に、己の中にある感傷と記憶が、似たような顔をしているセーラー服と重なっただけかもしれない。
それでも姫神は怖気を感じ、そして、その男の名前が、脳裏に浮かぶのを止められない。
アウレオルス=ダミー。
自分を本物と信じ、そして裏切られ、それでもなお足掻いていた、あの紛い物の男の顔が、セーラー服に何故かだぶって映ったのだ。
「……。」
姫神の視線の先では、彼女の内心に関係なく壇上の叫びが続いている。
その様は、まるで芝居の様だ。- 710 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/02/09(土) 23:56:53.02 ID:oNEmuR9xo
「だからだめ。今はだめ。今は捕まれない。あと少し待って。貴女が女王になったら、私は自分で命を絶つから。貴女の記憶なんかに絶対に残らないから。だから、だから……ごめんなさい!」
セーラー服が、スカートがまくれるのも気にせず立ち上がった。同時に少女人形の全身から、紫電が発せられる。
「くっ!!!」「お待ちなさい!」
歯噛みする美琴に、駆け出そうとする白井。
少女人形程度の電撃であれば、たとえ直撃しようとも『超電磁砲』で無効化できる。
しかしそれ以前に、美琴にはセーラー服と己の間にいる少女人形が『妹達』ではないという確証が持てなかった。
そして一方白井は、
「がっ!?」
不意に全身に走った電撃による痺れに、駆け出そうとした矢先にその膝をつき、先のセーラー服のごとく床に転がった――少女人形の身体から床を這って走った電撃が、床に落ちていた白井の人形を一撃していた。
美琴が動けず、白井が転び、初春は目を覚まさず、思考の内にあった真紅の反応は遅れ、翠星石と姫神は遠く。
そうして出来た一瞬の隙に。
セーラー服が、掌を向ける。
蒼星石ではない。
「え……」
翠星石に、だ。- 711 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/02/09(土) 23:58:46.85 ID:oNEmuR9xo
「きゃああっ!!!」
途端、翠星石が頭をのけ反らせて悲鳴をあげた。
「翠星石!?」姫神が叫ぶ。
「あはははは! 油断したわね翠星石!」
駆け出しながら哄笑するセーラー服。
ここはnのフィールドを土台とした『なぞらえ』を現実化する結界の中だ。
薔薇乙女で、双子で、隣り合うローザミスティカから生み出された、翠と蒼。
蒼の契約者の命令は、特異な結界の作用によって、翠に対しても影響力を与えていた。
「ああっ、くあっ、うぅぅ……!」
翠星石はイヤイヤとするように頭を抱え、そして、
「なっ、そんなっ、だめっ……に、逃げるです髪長人間!」
狼狽の声をあげながら、振り向き様に水平に右手を奮った。
一瞬だけその身が翠光を放ち、同時に、蒼星石に纏わり付いていた植物が、主が命令に従ってその拘束をやめ、敵を解放する。
その代わりとばかりに、次に植物が拘束対象として選んだのは、
「っ!?」
姫神。
彼女は目を見開き、その場から離れようとした。しかし間に合わない。
手足と、首に植物が絡みつき、その自由を完全に奪い去る。
我に返った美琴と真紅が動こうとするが、
「動かないで! 動けばあの女の命はないわ!」
――!
セーラー服の声に真紅が、戦闘の構えを見せた少女人形に美琴が、いずれも凍りついた。- 712 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/02/10(日) 00:00:03.35 ID:Pi1WW8jxo
セーラー服は壇上を飛び降り、そのまま階段状の椅子の列を駆け上がる。
「くっ、こ、このぉ、ですぅ……!」
翠星石が頭を抑えながら、近づいてくるセーラー服を睨みつけた。しかし身体が思うように動かない。
不正な命令に対する拒否と強制力が鬩ぎあっているのだ。
「立ちなさい蒼星石! 逃げるわよ! 夢の扉を開きなさい!」
切迫したセーラー服の言葉。
「……」
蒼星石が身を起こし、鋏を構えなおした。
「だ、だめです蒼星石っ、悪いやつのっ、言うことを聞いちゃ……っ」
「……」
泣きそうな顔で見つめてくる翠星石にちらりと視線を向けるが、何も言わないまま大きく鋏を振り上げる。
「くっ……!」
唇を噛む姫神。
おそらく鋏で自分を打ち据え、意識を失わせて夢の扉を開こうというのだろう。
必死に腕に、そして脚に力をこめる。だがその程度で魔術の植物を引きちぎることはできなかった。
(私のせいで。逃げられる……!)
結局、助けに来て脚を引っ張るしかないのだ、自分は。
それが悔しくて堪らない。
「……」
そして、蒼星石が一息に鋏を振り下ろし――- 713 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/02/10(日) 00:01:26.53 ID:Pi1WW8jxo
――姫神を拘束している植物を、断ち切った。
- 714 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/02/10(日) 00:02:47.92 ID:Pi1WW8jxo
「「「え……」」」
蒼星石を覗く全員が、吐息のような声を漏らした。
「なっ……何をやっているの蒼星石っ!」
思わず脚をとめ、セーラー服が叫ぶ。
「蒼星……石……?」解放された姫神が、しりもちをつきながら蒼を見た。
蒼星石の顔に浮かんでいるのは、無表情ではなかった。
唇を噛み、眉根を詰め、しかし何かを決心した顔。
それはまるで、蒼を止めるためなら蒼を破壊するとまで言い放った、翠の悲壮な決意の表情に似ていた。
「……」
蒼星石は、鋏を振り下ろした姿勢のまま、大きく、息を吸い込んだ。
それから顔をあげる。
視線は、契約者であるセーラー服に向いていた。
「もう……もうやめましょうマスター!」
と、蒼星石が言った。
- 718 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/03/02(土) 20:58:54.66 ID:8rtvewvXo
○
「な……」
セーラー服は信じられないものを見る目つきで蒼星石を見た。
彼我の距離は5メートルもない。薄闇の中であったが、セーラー服の位置から蒼い薔薇乙女の表情ははっきりと見て取れる。
悲痛。しかし、決意。
本気だ、と受け取れる表情が、自分に向いていた。
「もう、やめましょうマスター……」
鋏を力なく右手に下げたまま、蒼星石は言葉を繰り返す。
「僕はこれ以上、今のマスターに協力するわけにはいきません……」と、蒼星石が言った。
「ふっ……ふざけないで! 貴女は私の言うことを聞いていればいいのよ! 私との契約がなければ動けない操り人形の分際で、何をわけのわからないことを言っているの!?」
一気にまくし立てるセーラー服。
「――っ!!!」
翠星石が一瞬、噛み付くように言葉を発しかける。
しかし、視線ひとつでそれを止めたのは、他ならぬ蒼星石だった。
「僕は……僕も同じだった」
蒼星石が語り出す。
翠星石に向けていた瞳を、セーラー服に戻しながら。- 719 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/03/02(土) 21:03:25.97 ID:8rtvewvXo
「半身なんかじゃない、本当の自分自身になりたくて」
「もがいて、あがいて」
「そうして本当の自分を探すあまり、気づけば自分自身の影にがんじがらめに縛られていた」
- 720 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/03/02(土) 21:05:13.87 ID:8rtvewvXo
彼女の口元以外は動く物も者もない中、声は講堂によく響く。
セーラー服は、自分のことなどどうでもよい。
ただの使い捨ての道具であり、手駒。アリスゲーム自体にもさしたる興味はないのだろう。
そんなことはわかっていた。承知していた。
それでも蒼星石が彼女をマスターとしていたのは、
「貴女は、僕に似ている。僕は、貴女に似ている」
一度目を閉じ、眉根を詰める。
それから再び、両の眼で己が契約者を見据えた。
「っ」
セーラー服が息を呑む音が響く。
視線は冷たく、熱く、まるで研ぎ澄まされた日本刀のよう。
「僕にとっての翠星石が、貴女にとっての御坂美琴というだけ。僕の願い――翠星石のコピーではない本当の僕が在って欲しいと思う願いが、貴女にとっては御坂美琴が自分の想うミサカミコトで在って欲しい、と言うだけ」
セーラー服が抱く御坂美琴への想い。
それは、蒼星石が持つ姉への感情に、どこか通じる。
自分と瓜二つであり、自分の影と言える存在。いや、影となっているのはむしろ自分の方であるというコンプレックス。
それを言い換えれば、本当の存在が、理想の存在が別にいる、ということ。
蒼星石は、自分がその存在になりたかった。セーラー服は、その存在を自分が創れたら良かった。
脅迫観念に近いセーラー服の情念は、蒼星石のそれと方向性が逆というだけで、同質のものだ。
「……だから僕は貴女の望みを叶えてあげたかったんだ。そうすることで、僕自身も抜け出せる気がして」
目覚めてから蒼星石はずっとセーラー服を見続けている。
目覚めた直後、あのセーラー服自身の複製がある部屋で計画を語られてから、ずっと。- 721 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/03/02(土) 21:06:34.97 ID:8rtvewvXo
『超電磁砲』は唯一無二であるべきだ。
他の誰も追随できず、他の何者も頼らない。
そんな気高い存在であるべき――あってほしい。
- 722 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/03/02(土) 21:08:53.67 ID:8rtvewvXo
『電撃使い』として評価される全てを打倒し、さらに御坂美琴本人を孤高の存在とし、その上で学園都市全域に『侵入できる電撃使いは超電磁砲のみ』という制約を持った結界を張り巡らせる。
もちろんこの制約で展開できる結界範囲など極僅かだ。
しかし一時的にでも『超電磁砲』=『電撃使い』という図式を学園都市で確立してしまえば、後は結界自体が持つ『なぞらえ』の力が、それを後押しする。
僅かずつでも結界の数を増やしていけば、それに応じて結界そのものが強化される。
そうした正のループの果てに、いずれは学園都市を覆おうことができるだろう。
どのくらいかかるかわからない。反面、どのくらい危険かは想像に難くない。
だが完成すれば、学園都市において『超電磁砲』に他の『電撃使い』が追いつくことは不可能になる。
科学しかないこの町に魔術を理解することは出来ず、従って結界も破られない。
『超電磁砲』の唯一無二は、達成されるのだ。出来るのだ。
そのためには、学園都市を覆う『能力』とは異なる力が必要だった。だから、魔術を手に入れた。
そのためには『超電磁砲』の心を変えなければいけない。だから、少女人形を作り出した。
そのためには『電撃使い』を倒さなくてはいけない。だから蒼星石を目覚めさせた。
彼女のために、彼女の周囲を、彼女の住む世界を、彼女自身すら作り変えようとする意思。
それは歪んでいた。
人間ではない蒼星石から見ても、セーラー服の想いは人が人に抱く感情とはかけ離れ、歪みすぎていた。
「貴女の想いは、僕にとって救いだった。きっと貴女は、理想になれなかったときに、僕がしたかったことを、やろうとしていたのだから」
しかしそれは歪んでいたが、同時に透き通るほど純粋だった。
そんな荒唐無稽極まりない計画を考えるだけならまだしも、実行に移す。
純粋な想い以外が、どうやって原動力となるだろうか。
翠星石の影に怯えていただけの蒼星石には、その想いと意思があまりにも眩しく、だからこそついていこうと決めていた。たとえ、セーラー服が自分自身を駒としか見ていなかったとしても。
「でも、もしそれが貴女自身を壊してしまうというのであれば」
蒼星石の声に、力が篭った。
鋏を握る手に、力が戻る。
「っ!」
声に押され、セーラー服の顔が強張る。- 723 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/03/02(土) 21:11:28.72 ID:8rtvewvXo
だが今、彼女の想いは彼女自身を壊そうとしている。
『超電磁砲』が現れ、この場の戦況が悪くなったから、という意味ではない。
セーラー服は、自分で命を断つ、とまで言い放った。
御坂美琴を見上げる自分すら許さない。
そんな境地にまで、想いは達していた。達してしまっていた。
「貴女自身が、貴女自身を壊す結果を生んでしまうというのなら!」
――それはきっと自分が姉に対して生み出す結果と同一であり、そして、
「僕は、そんな結果を認めるわけにはいかない!」
蒼星石の声に意思が篭った。
鋏を握る手に、意思が満ちる。指輪に、蒼い光が灯る。
- 724 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/03/02(土) 21:13:09.56 ID:8rtvewvXo
「やめなさい……やめて……」
首を横に振り、一歩、二歩と後ずさる。
その顔には、今まで浮かんでいなかった感情――恐怖が浮かんでいた。
恐怖の対象はたった一つ。
自分の中にある想いに鋏を入れられること。
自分を支えてきた想いが、断ち切られるかもしれない。
ここまで自分を翔らせた想いが、消え去ってしまうかもしれない。
蒼星石には、その力があるのだ。
「み、ミコトっ!」
助けを求めて、少女人形に視線を向けるセーラー服。
――……
だがどういうわけか、先ほど御坂美琴にすら自動的に立ち向かった少女人形は、一切動こうとしない。
虚ろな視線と横顔を、何が起こっているのかわからないという風情の御坂美琴に、向けたままだ。
そして今こそ、蒼星石が、大きく鋏を振りかぶった。
「だめです、蒼星石!」翠星石が叫ぶ。まだ『命令』の影響で動きづらい腕を必死に伸ばす。
しかしそれと同時だった。
「僕は、貴女を、貴女自身から救いたい!」
鋏を振り下ろするのが。
誰であろう彼女自身の契約者であり、生命線でもあるセーラー服に向けて、鋏が振り下ろされるのが。
「待っ……!」
セーラー服が、救いを請うように手を伸ばす。
その声を掻き消すかのごとく、ガラスの割れるような音――鋏が心を破る音が、響き渡った。
- 728 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/03/08(金) 21:43:40.69 ID:S9bgLiwio
○
「かはっ!」
蒼星石が鋏を振り下ろした姿勢から大きくのけ反った。
二歩、ふらりと背中側に歩を進め、それから、横倒しに倒れる。
主を救うために一旦は鋏を握り締めた右手は再び力なく開かれ、小さな金属音が、床を鳴らした。
「っ!」
続いてその真正面、間にして5メートルの距離にあったセーラー服が、胸を押さえて両膝を床に落とした。
彼女の左手薬指で蒼光を放っていた指輪にヒビが入り、
パキン
と、小さな音をたてて割れた。
「そ、蒼星石ぃ!」
砕けた指輪がセーラー服の膝と同様、床に達すると同時に翠星石の声が響く。
「蒼星石! しっかりするですよ! 蒼星石!」
翠は未だ震える脚を無理やりに動かして蒼に近寄ると、その上体を抱えて顔を覗き込んだ。
「……」
能面のような、まぎれもなく人形のような顔。閉じられた目が薄く開き、頬に添えられた翠の右手に、そっと蒼の左手が重なった。
「また、泣いているの……」
左薬指の蒼薔薇の指輪。
対となる主の指輪が砕けた今、従の指輪もまた砕けようとしている。
ポロポロと表面が剥がれ落ち崩れゆく指輪は、そのまま蒼星石に残された時間。- 729 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/03/08(金) 21:45:00.31 ID:S9bgLiwio
「っ!」
翠星石の目元に、大きな雫が浮かび上がり、指輪の破片とともに蒼星石の頬に落ちた。
「涙……? ……そうか、僕はまた、翠星石を泣かせちゃったんだね」
「そっ……せっ……せき……」
手を握り締める翠。しかし強くなるのは片方だけ。
指輪が砕けていく。
「君の泣き顔は……僕の……鏡の素顔を見ているようで……」
声はどんどん先細くなり、薄くだけ開いていた眼もまた、儚く閉じられていく。
「僕は……も……闘えな……」
ポウ、と蒼星石の胸から、にじみ出るように何かが飛び出した。
虹色に光るそれは、蒼と翠の眼前で不定形に揺らぎ、次の瞬間、急速に収束する。
淡い蒼光を纏った、虹色の石の欠片。
「君の……勝ちだ……僕を……君の……一部に……」
「……!」
イヤイヤと、翠星石が首を横に振った。
振り落とされた涙が、虹色を照り返す。
指輪が砕けていく。
- 730 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/03/08(金) 21:46:33.57 ID:S9bgLiwio
「「「……」」」
月明りだけの薄暗闇の中、幻想的に浮かび上がる二人の姿に、動く者は誰もいない。
セーラー服は言うに及ばず。
少女人形と相対した美琴も。
床に倒れ臥した白井も。
植物から解放されて尻餅をついた姫神も。
その中にあってただ一人、真紅だけが。
「っ……!」
言いようもない不安が急速に膨れ上がる胸を、右手で握り締めるように押さえた。
嫌な予感がする。
ザワザワと背筋で何かがざわめく。
危険な予感がする。
ジリジリと胸を何かが焼く。
危機の、予感がする。
ゾワゾワと脚を何かが上ってくる。
「っ、っ、っ!」
だが、その正体がわからない。
焦る真紅の視線の先で、しかし不安な状況が流れていく。
- 731 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/03/08(金) 21:47:53.74 ID:S9bgLiwio
「マス、ター……」
蒼が契約者――元契約者を呼んだ。
「……」
顔をあげるセーラー服。
その顔はまるで幽鬼のよう。
蒼星石の顔が僅かに曇り、しかし、次の瞬間には微笑んだ。
「僕は……知っている……貴女の樹は……少し枯れかかっていた……けど……」
言葉を紡ぐために息を吸う。
呼吸を必要としないはずの身体が、いまは息苦しい。
指輪が砕けていく。
「美しい樹を……貴女はちゃんと……持っている……」
一度言葉を切り、また呼吸。
指輪が砕けていく。
唇が重い。終わりが近い。
「貴女も……翠星石も……一人で歩ける……強さをもう……ちゃんと持ってるんだ……」
「……」セーラー服は応えない。虚ろな瞳も、虚脱の身体にも、力は戻らなかった。
彼女は刹那だけ蒼を見つめてから、また床へと視線を戻す。
「……持っている、から」
独り言のように呟いて、蒼星石が息を吐いた。
身体から一気に力が抜ける。
「っ!」
涙で喉が詰まった翠星石は両手で蒼の手を握り締めた。
オッドアイは――妹と左右が逆なだけのオッドアイが訴えることはただひとつ。
その眼差しに、ふっ、と笑う蒼星石。
「大嫌い……だけ……ど……誰より……」
「……や……やぁ……ですッ蒼……せ……」
妹の最期の言葉を止めようとする姉。
しかし、妹は微かに首を横に振った。
指輪が砕け、ポトリと、床に音もなく落ちた。
「大……好……だ……よ……」
ふっ、と蒼星石が目を閉じる。
- 732 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/03/08(金) 21:49:33.42 ID:S9bgLiwio
「――っ!」
真紅の頭の中で、いよいよ警鐘が鳴り響いた。
(とめなければ……あの時、あの時に、たしか……!)
胸の中が熱く、頭の中が焼けるよう。
この危機感の原因は、間違いなく失われた記憶。
――……!
主の感情に引っ張られてのか、それとも自身にも何か感ずるものがあったのか、真紅の傍で待機しているホーリエもまた鈍く光を放った。
赤光に浴びながら、胸のドレスを握り締める。
叫び出したい。
この予感だけでも。
具体的な何かを告げずとも、大声をあげれば、それだけで少なくとも美琴と姫神は臨戦態勢に戻るに違いない。
「っ! っ! っ!」
だが、できなかった。
何かが真紅の口を塞いでいる。
何かがひっかかって、真紅は言葉を発することができない。
まるで、何かに邪魔されているかのように。
思い出せ。
私は、何を忘れている……!?
ぽう、と虹の中に新たな紅い光。
ホーリエの光を押し退けるように灯ったのは真紅の左手薬指。
契約の紅い薔薇。
全力で記憶を掘り起こす。
必死に心を研ぎ澄ませる。
全身全霊で、想いに呼び掛ける。
紅い光が大きくなり――
「――!」
―――真紅の中に厳重に封じられた記憶の鍵が、破れた。
記憶が甦る。
「あ――」
その瞬間だった。
- 733 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/03/08(金) 21:51:21.65 ID:S9bgLiwio
「御坂!」「短髪!」
出入口が乱暴に開かれた。
結界への、三度目の闖入者。
「「「「「!?」」」」」
全員の視線が講堂の出入口に集中する。
その隙を突かれた。
いや、それはただの結果であって、このタイミングで上条がここにたどり着こうが着かまいが、そうなることは決まっていたに違いない。
それほどの、自然さを以って。
ゆら、と黒羽が舞った。
「っ!」
翠星石っ! 蒼星石のローザミスティカを取りなさい!
視界の端でそれを捉えた真紅がそう告げるより早く。ずっと早く。
真上。
月影と虹が創りだしていた影の中から、黒い薔薇乙女が空翔ける。
「水銀燈!?」
電磁センサーと持ち前の動体視力でその影を認識した美琴が叫んだ。
はっ、と顔をあげる翠星石。
涙で滲んだ視界に、白い手が横合いから割り込んだ。
そしてその手が、蒼い虹の石を――蒼星石のローザミスティカを、手の中心で掴み取った。
「!!!」
発光体が掌で隠され、一気に講堂の光量が落ちる。
「あはははははは!」
握られた右手指の隙間から蒼虹光を漏らしながら、水銀燈は黒翼を大きくはためかせた。
哄笑とともに一気に上昇し、講堂演台の真上天井付近で静止。
はらりと、数枚の黒羽が献花のように蒼星石の胸に落ちた。- 734 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/03/08(金) 21:52:31.67 ID:S9bgLiwio
「うふふふふふ、貰っちゃったぁ、貰っちゃったぁ、蒼星石のローザミスティカ貰っちゃったぁ」
黒羽を捧げられた蒼とは対照的に、虹色の色を胸を押し当て、水銀燈が笑う。
虹に淡く照らされたその表情は、彼女にして驚くほど柔らかく、少女のように楽しげだった。
「か、かえして……返してぇっ! 水銀燈!」
もう動かない妹の身体を抱きしめ、翠星石が叫ぶ。
涙声を浴びた水銀燈は、愛らしい笑みを一転、嘲笑に歪めて翠を見下ろした。
「やぁよう……これは私の……ずっとこの時を狙っていたんだもの……」
「水銀燈っ! やめなさい!」
真紅が叫んだ。
彼女の顔に浮かぶ焦燥は水銀燈の出現に対してのものではない。
このあと彼女がどう動くかを知っている。
そんな類の顔だ。
「このっ!」美琴が電撃を放ち――「だめですぅっ! 蒼星石のローザミスティカが!」――「!?」翠の叫びの悲痛さに、意味がわからないまま動きを止めた。
「いえ美琴、いいからはやく――」と、真紅が促そうとするが、
――!
ホーリエが不意に真紅の前に躍り出た。
まったく予期していなかった行動に真紅の言葉が止まる。
と同時に、ガギッィ! と鈍い音がして、目の前で赤光が弾けた。
何かをホーリエが打ち落とした――そんなタイミング。
「悪いわねぇ……おまぬけの蒼星石……もう聞いてないわね」
一方、真紅を意に介さず、クスクスと笑う黒。
そして視線をちらりと二人の闖入者――上条とインデックスに向け、
「ありがとうねぇ、お間抜けたちさぁん。貴方たちのおかげで上手くいったわぁ」
と言った。
- 735 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/03/08(金) 21:53:57.39 ID:S9bgLiwio
「水銀燈……!?」「第1ドール!?」
状況が全く理解できないまでも『敵』の姿を認めた上条が拳を握り、インデックスが嘲笑う薔薇乙女を識別する。
彼らの背後で両開きの扉が閉まり、講堂の空気を僅かにかき混ぜた。
届くわけがないその風に押されたように、セーラー服が顔をあげた。
「……」
ぼんやりと、セーラー服が水銀燈を見上げる。
その視線には、なんの生気も宿ってはいない。
まるでもはや何の用もなくなった、とでも言うような表情。
「うふふふふ……」
虚ろな視線の先で、右手を口元まであげる水銀燈。
「あぁっ!」
翠星石の悲痛な声は、何の静止にもならない。
黒の喉が一度、コクリと動いた。
途端。
「「「「「!!!!」」」」」
ブワッ! と空気が鳴動し、水銀燈の胸が蒼光を放ち始めた。
蒼光は一度見る間に大きく膨れ上がり、しかし、ほんの一瞬の間に、墨を流したかのごとく一気に黒く染まる。
「すごいわ……なんて……気持ちがいいの……力が……溢れてきちゃう……」
己が身体を抱きしめ、夢を語るように呟く水銀燈。
少女の表情。
「ねぇ……よく見て……」
しかし、転瞬、再びの嘲笑。
黒翼が左右に開いた。
増した力を象徴するように、黒翼はまるで悪魔のように肥大している。
撒き散らされた黒羽は、昨夜美琴に向けられ、昼間に上条の部屋で放たれた分を軽く数倍はした数量だ。
ナイフと見間違う先端がギラリと光り、一斉に眼下にいる全ての存在に向けられ、
「しぃんくゥゥ!」
放たれた。
- 736 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/03/08(金) 21:56:55.83 ID:S9bgLiwio
「!」
インデックスを椅子の陰に突き飛ばし「きゃあっ!」身を護る術のない姫神に向けて走り出す上条。
だが人の脚が黒羽に勝る道理はない。
「ちっ!」
美琴が舌打ちと共に能力演算。
飾利と白井、上条とその友人である姫神、真紅とその眷属であろう翠星石、そしてセーラー服と少女人形――『妹達』とその関係者かも知れない者。
この場にいる全員の防護を目的とした電撃結界を創り上げた。
青白い電撃が講堂を埋め尽くし、黒羽を残らず消し飛ばす。
微かに煙をあげ、元は羽根だった墨がバラバラと床に落ちた。
「す、すまん御坂。助かった」上条が言った。
自分を盾にするつもりだったのか、姫神に覆いかぶさるような姿勢から、彼は立ち上がる。
「……個別の演算が面倒だっただけよ」
心の中のモヤモヤを憎まれ口にして返答する美琴。
「……まったく、やるものねぇ」
若干の呆れと焦りの口調で水銀燈が言った。
だが口元に笑みを浮かべながら、続ける。
「でも、今のが本気と思ってもらっちゃ困るわぁ」
「はん、昨日大口叩いて逃げ帰ったやつの台詞じゃないわね」
挑発を混ぜて返す美琴。
しかし、その胸中には驚愕が渦巻いている。
(どういうこと? 前とは段違いに強い……!?)
消し飛ばすのに必要な電力が、昨夜とは比べ物にならないほど多い。
未だ敗北を予感させるものではなかったが、無視できるほどか弱い変化ではなかった。
- 737 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/03/08(金) 21:58:31.71 ID:S9bgLiwio
(あの虹色の石を呑んだのが原因みたいね)
ちらりと倒れた蒼い人形を見る。次に翠。そして自分の近くにいる赤。
おそらく全員、水銀燈の同族。
どういう理論で能力かは知らないが、倒されれば、同様に虹の石を奪われてしまうのだろう。
あるいはあの石が『幻想猛獣』にもあった核なのかもしれないが、先のやり取りを思うととてもそうとは思えなかった。
どちらにしても、たった一つの石を取り込んだだけでここまでの変化を及ぼすのであれば、あと二つ加味された時の力はどうなるのか。
(……ここで仕留めないと、まずいわ)
逃げられてしまえば、水銀燈が圧倒的に有利になる。
相手は真紅や翠の隙を見つけるだけでいい。対する上条側は常に緊張を強いられる。
結果は火を見るより明らかだ。
問題は、そこに水銀燈が気づいているか否か――
「じゃあ昨日の続きをしましょうか。今度は無様に逃げ出したりなんかしないわよね?」
敵対者として、未だ力を残している少女人形――彼女は水銀燈が出現してからマネキンのように身動きをしていない――を視界の隅に収めつつ、美琴が言った。
「うふふふ……」
唇の端を吊り上げ、笑う水銀燈。
ギクリと美琴の心臓が跳ねた。
「ざぁんねぇん! ここは退かせてもらうわぁ!」
翼を再びはためかせ、黒羽を周囲に撒き散らす。
ふわりと宙に滞空する羽根の中、水銀燈が身を翻し、採光用の天窓に向いた。- 738 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/03/08(金) 21:59:59.12 ID:S9bgLiwio
(まずい!)
黒羽が来れば美琴が迎撃する他ない。そうなれば水銀燈への追撃が遅れる。
先の攻防の感触から、生半可な電撃では行動不能にまで持ち込むのは難しいのはわかっている。
しかし超電磁砲を撃つには僅かな溜めが必要で、黒羽を防いでからでは水銀燈の離脱の方が早い。
「待って水銀燈!」
真紅が叫ぶ。その声に含まれるのは敵愾心ではない。
だが水銀燈は真紅の言葉を無視。
侮蔑の視線を一瞬だけ浴びせ、そのまま飛び去り――だが。
――!
主の意思も命令も受けていないはずのホーリエが、光の尾をひいて水銀燈に突撃した。
「ホーリエ!?」
狼狽の声をあげる真紅。
だが紅い人口精霊はそれを省みることなく、紅い尾を引いて黒に迫る。
「お馬鹿さぁん! 人工精霊ごときで今の私をなんとか出来ると思うのぉ!?」
振り返りながら右掌をホーリエに向け、水銀燈が鼻で笑った。
ローザミスティカが二つ。単純計算でも倍の力を得ている。
片手で十分受け止められる。
絶対の自信があった。
ホーリエが、水銀燈に突っ込む。そして、
ドン!
という音と共に、水銀燈の哄笑が途切れた。
- 739 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/03/08(金) 22:00:58.73 ID:S9bgLiwio
「は……?」
水銀燈の呆けた声と、
「え……」
目を見開いた真紅の声が重なる。
それは水銀燈も、そして真紅も、まったく想像していなかった光景。
黒い羽とともに、散らばる破片とドレスの切れ端。
水銀燈の胸を、ホーリエが貫いていた。
右腕を真正面から砕き。
蒼星石のローザミスティカを得て、この場にいるどの薔薇乙女より強くなったはずの。
水銀燈の、胸の、ど真ん中を。
ホーリエが。
- 743 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/03/17(日) 22:37:43.10 ID:5YyyBKk3o
「……?」
水銀燈は、己の胸に開いた穴を、何が起きたのかわからないという表情で見つめた。
しかしドレスが破れ、胴体部分のギミックが覗き、パラパラと毀れていく破片を見れば、何が起こったのかを把握するのは容易だ。
「かっ!? っ!? ぐっ!?」
すぐに目を見開き、何か言おうとする水銀燈。
が、言葉にならない。
穴は大きかった。
見上げている真紅からでも、彼女の向こう側――水銀燈が目指していた採光窓と、そこから差し込む月光と、そして穴を穿ったホーリエまでが見えるのだ。
当たった場所がもう少し上だったら、首を跳ばされていただろう。そんな状態で、まともに発声できるわけがない。
「す、水銀……燈……」と、黒の代わりに、呆然とした声で翠星石が言った。
「っ……」
空中で静止したまま、水銀燈がゆっくりと後ろを振り返る。
背後約1メートルの位置に滞空している紅い球体に、問うような視線を向けた。
しかし球体は何も応えない。
しゃべることが出来ないから、ではなく、無言を示すかのように、ただ、浮いている。
- 744 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/03/17(日) 22:38:55.49 ID:5YyyBKk3o
「ぁ……ぐ……」
言葉にならない声を発しながら、黒がホーリエに手を伸ばす。
薔薇乙女の中ではもっとも大きな体躯――比して長い腕――であったが、震える指先は届かない。
それでも、彼女は手を伸ばした。
何故。
どうして。
なんで。
負けるのか。
手に入れたのに。
蒼星石のローザミスティカを手に入れて。
この場にいるどの『薔薇乙女』より――いや、ここにいない他の姉妹たちを含めて、自分が一番強くなったはず。
それなのに、なんで、
「はっ、うっ、ぐっ」
真紅の、御父様を否定するような出来損ないの『薔薇乙女』の人工精霊なんかに、こんな目に遭わされるのだろうか。
何故だ。
どうしてだ。
納得できない。
教えなさい。
こたえなさい!
なぜ私が!!
お前なんかに!!!
- 745 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/03/17(日) 22:39:47.36 ID:5YyyBKk3o
「な……で……!」
言葉に成らない声と火を吹くような視線がホーリエにたたき付けられて、
「必然。それは貴様の役目が終わったからだ」
傲岸な響きを持った男の声が、それに答えた。- 746 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/03/17(日) 22:41:26.93 ID:5YyyBKk3o
「「「!?」」」
セーラー服と少女人形を除く全員が、声のした方に目を向ける。
いや、正確には向けてはいない。
向ける必要がなかったのだ。
「ホ、ホーリエ……?」と、聞き覚えのない声の発生源を見た真紅が、鈍く呟いた。
「アウレオルス!?」と、かつて聞きなれるほど聞いた声に、姫神が鋭く呟いた。
「なっ!?」と、覚えのある声と、姫神が言った男の名前に、上条が息を呑んだ。
「っ!?」と、まったく知らない男の声で、予想もしなかった言葉を、しゃべるはずのないホーリエから投げかけられた水銀燈が、目を見開いた。
その瞬間、ホーリエが蹴り付けられたサッカーボールのように空を翔けた。
薄暗闇に紅い線が走る。
その進行方向は先ほどの真逆。角度はやや上。
水銀燈の、顔の位置だ。
胸に穴を穿つ威力だ。頭に直撃すれば結果は明白。
「避けなさい水銀燈!」真紅が叫ぶ。
しかし、
- 747 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/03/17(日) 22:42:42.88 ID:5YyyBKk3o
「ぁ――」
水銀燈は反応できなかった。
目の前に迫りくるホーリエにも、己が負ける現実にも、彼女は追い付くことができなかったのだ。
上条の視線の先で紅い光球が通りすぎ、水銀燈の頭が消えた。
直後に銀色の後れ毛だけがふわりと舞い、続いて、豪奢なドレスを纏った身体が落下する。
0.5秒ほどの間をもって、布に包まれた陶器の砕ける音が講堂に響いた。
微かな音の余韻を残し、それで終わった。
あっけなく、儚く、水銀燈だったモノは、バラバラのゴミになって床に散らばっていた。
シン、と講堂に静寂が満ちていく。
- 748 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/03/17(日) 22:44:35.71 ID:5YyyBKk3o
「……どういうことだよ」と、上条が言った。
それは全員の意思を表した言葉だ。
誰もが状況について行けていなかった。
蒼星石が己が主を裏切り、水銀燈が薔薇の欠片を奪い、ホーリエが水銀燈を殺す。
一連の流れ全ては、上条も、美琴も、白井も、インデックスも、翠星石も、そして真紅も、予想の片隅にすらない出来事だった。
「どういうことだよ! こたえろテメェ!」
左腕で姫神を抱えたまま、ホーリエに向けて叫ぶ上条。
それに応ずるように、ホーリエは音もなく舞い降りた。
残像が弧を描き、そして降りた先は美琴の正面――蒼星石が反旗を翻してから一切の動きがなかった、少女人形の眼前だ。
「!」
『妹達』かもしれない存在に水銀燈をなんなく屠った存在が接近したせいで、美琴が身構えた。
だが彼女が電撃を放つことは出来なかった。
それよりもずっと早く、紅い光球は少女人形の胸に張り付き、そのまま、染み入るように少女人形の中に消えていったからである。
紅光が残滓も残さず消えると同時に、無感情そのものだった瞳に明確な意思の光が宿る。
そして『そいつ』は淀みのない仕草で上条に視線を向け、
「眼前。目の前にある光景が事実だ、少年。『黄金練成』のような、想像の産物とは違う」
と、美琴の外見をそのままに、しかしどこか男性的な雰囲気を持つ眼差しを浮かべた少女人形が、男の声――紛れもない、アウレオルスの声で、言った。
- 752 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/04/05(金) 23:22:09.06 ID:cLD3b1w0o
「!」
上条は目を見開き、そして確信した。
この声は間違いない。
あの夏の日に、この三沢塾北棟最上階で向き合った、錬金術師アウレオルス=イザード。
その者の声だ。
「……なんでテメェがここにいるんだ?」
咄嗟に姫神を背中にかばい、上条が美琴の姿をしたアウレオルスを睨む。視界の端にかかった姫神の表情にも、上条と同じ驚きが浮かんでいた。
彼はあの事件の後、記憶を失い顔を変えられ、もはや別人として生きているはずである。
インデックスの安寧を望むステイルの言だ。少なくとも、彼が彼のまま、自分たちの目の前に立つ事はありえない。
上条の鋭い視線を遮るように、アウレオルスは髪を掻き揚げた。
「否、私はアウレオルスであるが、その本人ではない」
「本人じゃない? じゃあテメェはあのダミーってやつか?」
「さらに否。私は本人でもダミーでもない。ついでに言えば」と、美琴を見るアウレオルス。
「……」美琴は自分の顔で話す『見たこともない男』に、驚きの表情を浮かべている。
アウレオルスは肩を竦めた。
「超電磁砲の『妹達』とも関係がない。私の都合でこの姿の人形を使わせてもらっただけだ」
「ど、どういうことよ!?」
「説明する必要はあるまい」
「ふっ、「ふざけんじゃねぇ! 何が目的だ!」
激昂した美琴の声に被せて上条が問う。
上条は一度しかアウレオルスに会ったことはないが、確かにいま目の前にいる男は、あの時に対峙したダミーとも本物とも異なる印象を受けた。
そもそもアウレオルスが『妹達』のことを知っているはずがない。
本人でもダミーでもない、というのは本当かもしれない。
だがそんなことはどうでもいいことだった。
問題は上条の知る彼が、インデックスを救うために世界を敵に回し、用済みとあればその手段であった姫神すらも簡単に殺してしまう人物だったということだ。- 753 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします2013/04/05(金) 23:24:31.12 ID:cLD3b1w0o
「少年、貴様にも用がないわけではないが……今優先すべきは、そこの薔薇乙女の方だ」
と、アウレオルスは上条から真紅に視線を移した。
「素晴らしい。真紅。お前は私の望みどおりの有様になった。今このときばかりは賞賛と感謝を送ろう」
パン、と両手を叩くアウレオルス。
その視線を受け止める真紅の顔に動揺はない。
「貴方なのね。私たち『薔薇乙女』を、ここ――学園都市に集めたのは」
と、詰問ではなく、確認の口調で真紅が言った。
「肯定。もっとも私自身ではなく、本物が集めていたのを再利用しただけだが」
「……真紅、知ってたのか?」
「いいえ。でもそうとしか考えられなかっただけよ」
真紅は思う。今更ながら、いや、今だからこそ、考えることができる。
そして改めて考えれば、疑問だった。
なぜあのセーラー服の女は、nのフィールドに由来するーー薔薇乙女に由来する『結界』を使えるのだろう。
いやそれ以前に、なぜ水銀燈や雛苺が、あのセーラー服と同じ結界を使っていたのか。
それになぜ、この『結界』に闖入者が相次いだのか。
――いまこの部屋には結界が張ってあるわ。中に入れたのは薔薇乙女と、私と、このミコトだけ、よ
上条の部屋で、セーラー服は言っていた言葉だ。
あれを信用するならば『結界』には決められたモノしか侵入できないはずである。
だが、自分は侵入できた。それも、美琴を伴って、まるで素通りするように。
上条とインデックスも侵入した。それも結界を破壊することなく。上条の部屋では『幻想殺し』と『歌』を何度もぶつけなければならなかったのに。
水銀燈に至っては、術者であるセーラー服に気がつかれることなく侵入している。彼女は当初『結界』のことなど知りもしなかったはずなのに。
疑問は絶えない。
なぜ水銀燈は、目覚めたばかりの真紅を捕捉できたのか。まるでそれを狙ったようなタイミングで襲撃し、上条が契約しなければならない状況が出来上がったのか。
初めてインデックスと姫神と会話をしたアパート。翠星石に過去の記憶について尋ねようとした瞬間。記憶の欠落に手をかけようとする度に、あまりにも都合のよいタイミングで戦闘を知らせ、遮っていたのはホーリエではなかったか。
雛苺を見失ったと報告し、まるで代わりのように翠星石を連れてきたのはホーリエだった。
インデックスの言葉によれば、先ほど美琴を発見したのはホーリエだという。
そして――蒼星石のローザミスティカを取り込んで強化したはずの水銀燈をあっさりと葬ったのも、ホーリエ。- 754 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/04/05(金) 23:26:17.64 ID:cLD3b1w0o
そもそも最初からおかしな話だったのだ。
ホーリエが契約者を選ぶに当たって、触れただけで真紅を殺すような相手を選択するだろうか。
例えば戦禍にある地域へ『薔薇乙女』が出現すれば、下手をすれば契約前に破壊されてしまう。そうならないように、契約者は人工精霊に選別されているのだ。
上条と真紅が引き合ったと言えばそれまでだが、それにしても危険が過ぎる。
例を挙げればキリがない。
なによりも、今、これだけのことが真紅の中で疑問に浮かぶこと。
先ほど、記憶の封印を振り払ったと同時に出来るようになったことだ。
鈍く発光していたホーリエの光を指輪の光で打ち払った直後に、記憶が蘇り――これだけの疑問が、波のように胸に浮かび上がってきたのだ。
これはつまり――
パン、とアウレオルスが再び手を叩き、頷いた。
「君の考えているとおりだ。私は君が『薔薇乙女』になれるよう、手を配したに過ぎない。もっとも『結界』の後押しがあってのことだが」
「……じゃあやっぱり」真紅は視線を動かし、セーラー服を見る。
いまだ床にへたり込んだままの彼女は、この状況にまるで反応していない。
まるで、用済みになったと言われた者のごとく“糸の切れた人形のように”呆然としたまま、だ。
「彼女もその仕込みのひとつだ。この状況を作り出し、前に進めるための道化が必要だったのでね」
そこでアウレオルスは一旦言葉を切り、
「もう用済みだ。余計なことをされても面倒なので、ついでに処分するとしよう」
と、言って、人差し指と親指を伸ばしてその他の指を握った右手を、彼の言う『用済み』に向けた。- 755 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/04/05(金) 23:28:07.03 ID:cLD3b1w0o
「……」
虚脱状態のセーラー服は、ゆっくりとアウレオルスを見た。
アウレオルスの右手に電撃が蓄積する。人差し指の根元辺りに置かれているのは、美琴が超電磁砲を放つときに使用する、一枚のコインだ。
それは美琴の目には、その電撃がレベル2上位か、レベル3相当のものに見えた。
その程度の電力で超電磁砲は放てないが、コインを人の頭蓋骨にヒビが入るか否かという程度の威力であれば、射出することが出来る。
「……ミコト?」と、セーラー服が呟いた。
「待っ、やめなさい!」
しかし真紅が叫ぶと同時に、ドン! と鈍い音が響く。
続いて、パラパラと細かく砕けた陶器が宙に舞った。
「え……?」と、声を漏らしたのは美琴。
驚きと呆然。
対極に位置しながら混然となった感情を口から声として漏れた。
「……?」
何が起きたのかわかっていない表情で、セーラー服が胸に開いた穴に指で触れる。
指に伝わる感触は、人間のように柔らかなもの。
しかし皮膚の中にあるのは血を溢れさせる肉ではなく、ただの空洞だった。
まるで風斬氷華のような、体組成。
人間ではない。
「え、え……」
と、セーラー服が、ホーリエに胸を貫かれた時の水銀燈のような表情を浮かべた。
自分は人間のはず。
御坂美琴を敬愛し、彼女がこの学園都市で唯一無二になるため行動をしてきた、学園都市の能力者だ。
自分は、人間のはずだ。
魔術を使えば拒否反応が起きた。超能力者だからだ。そして超能力は、人間にしか宿らないはず。- 756 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/04/05(金) 23:30:30.28 ID:cLD3b1w0o
「……なに、これ」
それなのに、この感触はなんだろう。何故、自分の身体が空洞なのだろう。
これではまるで――魔術を使うために設えた、自分を模した人形のようではないか。
もう一度、身体の中をくるりと指で探ってから、セーラー服がアウレオルスに顔を向けた。
「唖然。なんの疑いも抱いてなかったのか」と、アウレオルスが言った。
「わ、わた、しが……わたし……は……?」
肩を竦めるアウレオルス。
「貴様はただの人形だ。私の望みを叶えるために用意した駒に過ぎない。貴様の『超電磁砲』への想いも、私が創りだした紛い物だ」」
自我を持たせたのはなんのことはない、万一学園都市の『読心能力』で痕跡を読み取られても『超電磁砲』への思慕を強烈に印象づければ捜査活動はまずそちらを優先するからだ。
アウレオルスの存在が明確になれば、必ず学園都市は『魔術側』に連絡を取る。そうなればまずい。
「……!」
パクパク、と涙を浮かべた瞳を美琴に向け、だが一言も発することが出来ず、横倒しに倒れるセーラー服。
あっけなく。
彼女は、物言わぬ人形に還った。
- 761 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/05/21(火) 01:33:27.12 ID:BCdppM12o
セーラー服が倒れた瞬間、上条は自分の奥歯が鳴った音を聞いた。
セーラー服の少女は敵だった。
水銀燈と手を組んで真紅と翠星石を襲っただけではなく、他にも多くの襲撃事件も起こしていると美琴から聞いている。
だが、目の前で人形そのものとして倒れたセーラー服の表情は、驚きと哀しみに満ちたもの。
自分が人間ではないことを突き付けられ、今までのあらゆる想いを否定された――エリス事件の風斬氷華のように、絶望に彩られたものだった。
顔をあげ、壇上に立つアウレオルスを見る上条。
美琴の姿をしながらなお男性的な佇まいのアウレオルスは、あたかも本物の彼であるかのごとく、冷静で、平静で、彼の口癖でいえば当然と言った視線を、セーラー服だった残骸に向けていた。
その口元が薄い笑みを浮かべる。
「塵は塵にか。まさしくそのとおりになったな」
「!!!」
言葉に、上条の頭に一瞬で血が上った。瞬間的な動作で右手に力を篭め、脚が床を蹴る。
「アウレオルスーっ!」
椅子の列を一足に飛び越え、その背を足場にさらに跳躍。弾丸のように壇上のアウレオルスに向かう。
壇上へ。
眼前へ。
そこに至って、ようやくアウレオルスの視線が上条に向く。
遅い。もはや絶対にかわせない距離。
文字通り手が届く位置にまで瞬く間に接近した上条は、己の胸の中の衝動をぶつけるかのごとく、右の拳を突きこんだ――だが。
アウレオルスのその前髪が、まるでオリジナルのごとく、電撃を走らせる。
拳が鼻に触れるか触れないか。
直撃の紙一重前に、前髪から放たれた極微細な電流が、上条の右肩の筋肉に突き刺さった。- 762 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/05/21(火) 01:34:50.31 ID:BCdppM12o
「!?」
人間の身体行動は、電気信号で制御されている。
肩の筋肉が上条の思惑とは反対方向に動き、アウレオルスの眼前ギリギリで拳が停止した。
(なんでこいつが超能力を!?)
攻撃を無効化された刹那にも満たない時間の中、胸中で上条が叫ぶ。
錬金術師とは言え、彼は魔術側に身を置くはず。少なくとも上条の知る限り、その境目は厳然と存在しているはずだ。
いやそもそも、少女人形に憑依して出現したアウレオルスは、魔術の産物でしか有り得ない。
しかし上条の疑問はそこで途切れる。
「ふんっ!」
右腕を中途半端に止めた状態で隙だらけとなった上条の腹に、お株を奪うように握り締められたアウレオルスの拳が叩き込まれた。
「げぶっ!!!」
美琴と同じ大きさの拳が水月へ容赦なくめり込み、上条が身体をくの字に曲げて吹き飛ばされる。
「上条くん!」
ノーバウンドで壇上から落ちる上条を姫神が受け止め、もつれ合うように倒れた。
「とうま!」
それを見てインデックスが椅子の陰から跳びだした。
入り口から演台まで続く階段状の講堂を、白いシスター服が駆け下りる。
「厳然。禁書目録か」
右肩を押さえながらアウレオルスが言った。「現段階で接触するのは好ましくないな」外れた肩を一息で戻しつつ壇下を見下ろす。
彼が見たのは、椅子と椅子の間にある通路を駆けるインデックスではなく、いまだ蒼星石を抱きかかえたままの、翠星石だ。
「ひっ」と目があった翠星石が震える。
妹を抱きしめる手に力が込められ、キシキシと蒼の身体が鳴いた。
「翠星石」と、アウレオルス。「命令だ。禁書目録を拘束しろ」
「ぁ……」
言葉が響いた瞬間、翠星石の大きな瞳から一切の意思が消えうせた。- 763 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/05/21(火) 01:36:40.62 ID:BCdppM12o
力が抜けてだらりと垂れた両腕から、蒼星石だった人形がガタリと落ちる。
「……」
長い髪をたなびかせ、幽霊のようにゆらりと立ち上がる翠星石。
意思なき瞳がインデックスを映し、直後に翠星石の身体が翠光を放った。
(ま、まずいかも!)
危険を感じ、インデックスはヘッドスライディングのごとく身を投げ出した。
足元を何かが掠める感覚。一瞬前まで彼女がいた場所で、召喚された植物が空を掻く。
「……」
遠く、再び翠光が弾ける。
床を押してうつぶせた身体を反転。胴体があった場所に茎が絡むのを横目に即座に立ち上がり、
「P I O B T L L!」
相手を見ないまま『強制詠唱』を放った。
ここは講堂。声は響くように作られている。これだけ離れていても十分な効果は認められるはず。
「……」
だが翠星石はまるで意に介さず、ゆらん、と両腕をインデックスに向ける。
(やっぱり完全自立駆動!)
さらに跳びすさるインデックス。その足元を植物が掠める。
(でもどうやってローゼンの霊装に割り込みを!?)
インデックスの予想では、ローゼンの目的は『人形の究極進化』だ。つまり自我を内包した人形が必要であり、その独立性は何よりも優先されている。
それをここまで完全に押さえ込み、さらに自立駆動させるということは、紛れも無くアウレオルスが翠星石を――『薔薇乙女』を掌握していることを意味している。
ただでさえローゼンは正体不明で書物を遺していない。その中でも最大のブラックボックスと言える『薔薇乙女』に割り込みをかけるなど、構造のわからない爆発物を改造するに等しい。
どんな術式を構築しているのか。あるいは今のアウレオルスの技量が、かのローゼンすら凌駕しているということか。
いずれにしても『強制詠唱』の効かず、『魔滅の声』が使えない今、翠星石に対抗する手段はなかった。- 764 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/05/21(火) 01:38:59.01 ID:BCdppM12o
「……」
飽くことなく植物を召喚し続けていた翠星石が、不意に両腕を頭上に掲げた。
僅かな溜めを挟んでから、勢いよく振り下ろす。直後、インデックスの周囲に大量の植物が立ち上がった。
「!」
疲労で動きが鈍り始めていたインデックスは、その囲みから逃げ出すことができなかった。
植物の円柱が、インデックスの周囲360度を取り囲んだ。
慌てて植物を叩くが、網のように絡み合ったツルや茎は、柔らかく歪んで衝撃を吸収してしまう。刃物でもなければ脱出できそうになかった。
「翠星石、やめなさい!」
真紅が叫び、翠星石に駆け出そうとして、「動くな真紅」アウレオルスが命じた。
「――っ!」
踏み出しかけた脚が強制的に停止。紅いドレスが、つんのめった勢いのままゴロゴロと転がる。
『薔薇乙女』に対する介入は、翠星石に限られたものではないのだ。
「ぐっ……くっ……!?」
それでも翠星石とは異なり、真紅の顔から意思は失せていなかった。
身を起こそうと身じろぎしながら、必死の形相で翠星石に目を向ける。
ふむ、とアウレオルスは肩をすくめた。
「流石。ローゼンの創りし器は伊達ではないな。偽りのローザミスティカならばともかく、然るべき成長を遂げた魂が篭められた以上、完全に私の思い通りにはならぬか。……それでこそ私が求めたモノと言えるのだが」
「にげ、ろ真紅……!」
姫神に抱きかかえられたまま、上条が声を搾り出した。腹への一撃のダメージが大きすぎて立ち上がれないのだ。
「当麻……!」
しかしそれは真紅も同じ。
命令を逆らおうとしても、両手両足は動こうとしてくれない。まるで脳と身体を繋ぐ糸の大半を引きちぎられたかのようだった。
アウレオルスが難無く真紅に歩み寄り、
「待ちなさいよ」
バリッ!と空間を焦がす音が響いた。- 765 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/05/21(火) 01:40:36.60 ID:BCdppM12o
背中側、距離7メートル。
少女人形とやりあった位置にいる美琴が、嫌悪感と怒り顔全体に、電撃を身体全体に纏わり付かせ、アウレオルスを睨みつけていた。
「何が何だかワケわかんない。なんでアンタが私そっくりの人形を動かしているのかもわからない。けど、あんたは『妹達』なんかじゃなくって、しかも襲撃事件の黒幕ってことよね!?」
鋭い怒気。
「私にちょっかいかけるだけならともかく、黒子や初春さんまでひどい目にあわせて、おまけに何? 私の真似? ……気持ち悪い真似してくれちゃって」
いったん言葉を切り、
「絶対に許さないわ!」
全身から電流が溢れ出た。
美琴は己の演算力を全解放。他人の身体に流れる生体電流すら把握できるほど、能力の精度を高めた。
敵がどんな能力なのか見当もつかない。少なくとも『人形操作』『電撃使い』『空間干渉』を同時に使うことができる、非常識な存在だ。
『多重能力者』とかつてやりあったことのある美琴は、その危険性を文字通り実感している。手加減や遠慮をしている場合ではない。
先手必勝。
美琴が両掌を前に突き出した。
その中心に渦巻いた紫電が薄暗闇の中で美琴の顔を照らし、
「くらいなさい!」
一条の光線として打ち出される!
「第3位、か。貴様にも用があるのだが」
しかしアウレオルスの顔に動揺は浮かばなかった。
学園都市でトップから3番目の攻撃を前にしても、それこそ『妹達』のごとく無表情を貫いているアウレオルスは、目の前の虫を払うかのように、左手を振った。
手を一振り。
ただそれだけで、美琴の放った電撃の束は、その左手に絡まるようにして、あっさりと向きを逸らされた。- 766 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/05/21(火) 01:42:31.23 ID:BCdppM12o
「なっ……!」
予想もしていなかった防御に言葉を失う美琴。
『超電磁砲』は他の電撃使いの電気さえその制御下に置く。逆に言えば『超電磁砲』の制御を奪えるのは『超電磁砲』以外にない。
その電撃を制御できるとすれば、
(私以上の電撃使い!? まさか!)
第三位のプライドと自信が驚愕に揺らぎ、精密を旨とする電撃姫の演算に狂いが生じた。
それは致命的な隙。
アウレオルスの脚が、強く強く床をけりつける音がした。
「!」
美琴の姿を模したアウレオルスの身体は、本物の肉体ではない。つまり、どれだけ身体能力を開放しても、損傷を気にする必要はなかった。
そして美琴の身体は暗部の人間と五分以上にやりあうことができるほど高性能なものだ。
爆発的な一投足。
(こ、この!)
一瞬で懐まで滑り込まれた美琴は、即座に電磁バリアを展開。精神的な影響どころか、物理的な衝撃まで遮断できるだけの反発力を己の周囲に作り出す。
しかし、
「厳然。無駄だ」
詰まらなさそうな言葉とともに放たれた拳は、電磁バリアをあっさりと貫通した。
再びの予想外。
目を見開く美琴の胸に、アウレオルスの右拳が叩き込まれた。
「かっ!」
全体重に突進力を加えた一撃に、美琴の脚が床から浮き上がる。
弾き飛ばされた先はさっきまでセーラー服が座っていた演台。
背中からたたき付けられ、それでも打撃の勢いを殺しきれなかった少女の身体は、横倒し気味に床に落下してから、2回3回と転がり、ようやく停止した。
「この姿に意味を問わなかった貴様の負けだ、第三位よ」
気を失ったのだろう。ピクリとも動かない美琴に対してアウレオルスが言った。
寸分違わぬ御坂美琴の人形である身体は偶像の理論によって『超電磁砲』をアウレオルスに与え、加えて、多くの『妹達』の存在を持つ御坂美琴は、同一事象を後押しする『結界』の作用を、より強く受ける状況にある。
まさか自分の能力の一部が敵に宿っているとは思いもしていなかった学園都市第3位は、ただの一撃で敗北した。- 767 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/05/21(火) 01:44:32.72 ID:BCdppM12o
「お……ねぇ、さま……!」
未だ少女人形から受けた電撃の影響で動けない白井が、倒れたままアウレオルスを睨み付ける。
「まだ意識があったか。貴様は確か、瞬間移動を使えたな」
アウレオルスの前髪が音を立て、白井の悲鳴が一声、響く。
白井が意識を失ったのを確認し、アウレオルスは再び真紅に向き直った。そのまま真紅に近づこうとして、その眉が持ち上がる。
「『吸血殺し』?」
真紅を背に、巫女服の少女がスタンロッドを構えてアウレオルスを睨みつけていた。
「よせ……姫神……!」「だめ、逃げなさい、秋沙!」
上条と真紅が叫ぶ。
上条は瞬間的に立ち上がりかけたが、膝にまったく力が入らず、すぐに倒れてしまった。
「唖然。この有様を見ても、まだ抵抗するか。だが少年の忠告に従ったほうがいい。貴様の力量では足止めにもならない。大人しく真紅を渡せ」
「……」
しかし姫神は、上条の、真紅の、そしてアウレオルスの忠告のいずれも無視して、大きく踏み込んだ。
長い髪をはためかせて、スタンロッドを振り下ろす。
「遅い」
しかし、アウレオルスは余裕の動きで回避。
すぐさま懐に踏み込んで、顎先を掌底で打ち抜いた。
「うっ!」
悲鳴をあげることも出来ず、あっさりと膝から崩れ落ちる姫神。黒髪が、俯せた背中にふわりと舞い降りる。- 768 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/05/21(火) 01:46:18.86 ID:BCdppM12o
「所詮は『吸血殺し』か」
ふっ、とため息を吐き、続ける。
「とはいえ舌を噛み切るだけと告げたあの時とは少し異なるのは評価しよう」
彼の口調には、僅かに共感と喜びがあった。
だがそれ以上の感慨は見せず、倒れた姫神のわきを抜け、真紅の前に立った。
「到達。予想以上に手間取ったが、一緒に来てもらおうか真紅」
「……お断りするわ」
動けずとも、真紅の眼光は衰えない。
「ならば無理にでもつれていく」
アウレオルスが手を伸ばし、真紅の腰に手を回した。
「まち……やがれ……!」
よろよろと、上条が立ち上がった。
演台から落ちた上条は、震える膝に両手をついて、アウレオルスを見上げ睨み付ける。
「少年。貴様の虚勢に意味はない。そこから貴様がここまであがってくるのと、私がこのゲートに入る。どちらが早いと思う?」
「うるせえっつってんだよ! 真紅を離しやがれ!」
「拒否。私の目的はこの人形だ。貴様の要求に応ずる義務はなく、そのつもりもない」
「――っけんじゃねぇ!」
上条がついた手で膝を強く押す。反動をつけて上半身を持ち上げる――だが。
「邪魔だ」
バリッ! とアウレオルスの前髪が電撃を放った。
宿った『超電磁砲』の力は、オリジナルの10%にも満たない。しかしそれでも『欠陥電気』と同等以上。
右手で掻き消すことも出来ず、上条は空間を走った雷の槍に身を打たれた。
「っ……」
彼は再び倒れ伏した。
「当麻「黙れ真紅」……っ!」
手足に続いて、真紅の唇が彼女の制御下を離れる。
豪奢なドレスがふわりと浮き上がり、真紅はアウレオルスの腕の中に納まった。
客観的に見れば、中性的な風増の少女は、西洋人形を抱いているだけの状況だ。
しかしその実態はまるで異なる。
上条、美琴、白井、姫神は動けない。円柱の内側からは未だインデックスの暴れる音が聞こえてくるが、脱出に繋がる様子は見られない。
もはや動けるものはいない。アウレオルスの勝利は確定したと言える。- 769 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/05/21(火) 01:48:24.78 ID:BCdppM12o
「――っ!」
それでも真紅は叫ぼうとするが、命令の効力ゆえに声がでない。
小刻みに身体を震わせていることから、命はある。しかし立つ事は出来そうになかった。
アウレオルスの目的が真紅自身だとすれば、彼に敵対する上条たちを生かしておく理由はない。
そして先ほどからの会話から推察するに、アウレオルスと上条は過去になんらかの因縁があるようだ。それも友好的とは、とても言えそうにない、因縁が。
殺されてしまう。
しかし――
「翠星石、撤退だ。『吸血殺し』の夢を渡る。扉を開け」
と、アウレオルスは命じた。
「!?」
驚き、唯一動く瞳でアウレオルスを見上げるが、アウレオルスはその視線を無視。
「……」
インデックスを無力化したと同時に棒立ち状態になっていた翠星石は、次の命令に従って倒れた姫神に歩み寄った。
傍らに膝をつき、小さな手を姫神の頭に添えると、アウレオルスの眼前に煙のようにぼやけた円形のゲートが出現する。- 770 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/05/21(火) 01:49:38.79 ID:BCdppM12o
-
上条が意識を取り戻したとき。
三沢塾の講堂に、真紅の姿はなかった。
- 774 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/06/04(火) 20:13:50.00 ID:pKbsmVrKo
○
目を覚ました真紅が最初に思ったことは、自分がいつから気を失っていたのか、ということだった。
アウレオルスに抱えられたまま『夢の扉』に入ったところまでは覚えている。
しかし、その後はぷっつりと記憶がない。
(……当麻!)
慌てて周囲を見回す。
手足は動かないが、首は動いた。
瞳が捉らえたのは、コンクリート打ちの床面、四辺を囲む金網フェンス、直方体に金属のドアがついた出入口。
どこかの屋上だろうか。
夜の帳が降りている。暗い。
いずれにしても上条が三沢塾と呼んでいた建物ではないのは明白だった。
次にわかったのは自分の状態だ。
屋上中央に冗談のごとく生えた、一本の樹木。
その幹に喰われるかのごとく四肢を搦め捕られ、タッケイを受けているかのように拘束されていた。
翠星石の能力に違いない――彼女はまだアウレオルスの制御下にあるのだ。
ぐいぐいと腕を動かそうとしても、木がわずかに軋む音をたてるだけ。とても脱出できなかった。
「目が覚めたか、真紅」
「……」
そして、最後にわかったのは、自身が一人ではないということ。
目の前に立つ、二つの人影。
御坂美琴の姿をしたアウレオルスと、生気のない瞳をこちらに向けて佇む翠星石だ。
「……当麻たちは?」
冷静な口調で問う。
聞きたいことは山ほどある。
だが取り乱すような醜態を晒すつもりはなかった。
「不識。夢渡りを行ってからは私の既知とするところではない」
アウレオルスの声は淀みなく応える。
「ここはどこなの?」
「蓋然。ここは『吸血殺し』の住居、その屋上のようだ。彼女の夢の出口がここだったというだけで、私が選別したわけではない」
再びアウレオルスは迷いなく応えた。- 775 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/06/04(火) 20:15:25.53 ID:pKbsmVrKo
- 「……」真紅訝しげな表情で一瞬だけ沈黙。だがすぐに、「……なぜ、トドメを刺さなかったの?」と、続けた。
「あの状況下では、私が敗北する畏れがあった。私のオリジナルは、彼らを、三沢塾で、ギリギリまで追い詰めた、その後に敗れたのでな」
「どういうこと?」
「厳然。私が使用した『結界』には、同一条件下において過去に起こった結果に状況を『なぞらえ』る機能がある」
人は、不明という状況より、結果のわかっていることを望む傾向が強い。
ローゼンの見出だした、人の精神に干渉する世界である『nのフィールド』。
オリジナルのアウレオルスが実現させた、人の思考を現実化する『黄金錬成』。
そして世界の法則である『偶像の理論』。
それら複合である『結界』は、内部の状況を「過去に起こった状況」や「伝説・伝承・逸話」へなぞらえる力がある――乱暴に言えば、状況そのものに『偶像の理論』を適用させる術式である。
だが、それにも弱点があった。
口元に苦笑を浮かべるアウレオルス。
「先程は、過去にオリジナルが敗北した状況に酷似していた。あのまま戦えば、こちらの勝ち目は薄い」
つい先程アウレオルスが上条たちを追い詰めながら決着を避けたのはそのせいである。
三沢塾において、幻想殺しが傷つき、吸血殺しが倒れ、禁書目録が無力化され、白井という治安維持のエージェントが動けない。
それは勝利が目前であると同時に、逆に敗北条件が整いつつあったと言っていい。 - 776 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/06/04(火) 20:17:21.21 ID:pKbsmVrKo
理解したか、とアウレオルスは真紅を見る。
「……」
妙だ。
真紅はアウレオルスの態度に違和感を抱いた。
今のアウレオルスには、情報を隠そうとする意思がまったく感じられない。
いやむしろ、積極的に情報を与えようかと言うほど、返答に躊躇いがなかった。
「……」
そしてさらに、答えを返したアウレオルスは、質問を促すかのような視線を向けてきている。
まるでこの問答に意味があるかのように。
「あなたはナニモノなの?」
誘いに乗るようだが、真紅は問い掛けを続けた。
「錬金術師アウレオルス=イザート。その模造品と言うべき存在だ」
「……」
「釈然。残念だがそれ以外に表現の仕方がない。私は、アウレオルス=イザートが幻想殺しに敗北したあの日に生まれた。なぜか、というのは予想がつくが、それを語ることに意味はない」
「なぜ私たち『薔薇乙女』を使った……私たちを利用した理由はなに?」
「私の目的のためだ」
「……貴女の目的は、何?」
「死なないこと。生きること。それも、永遠と名前が付けばさらによい」
「永遠の命、と言うわけ?」
「そのとおり」
「そんなものは存在しないわ」
眉を顰め、真紅が切り捨てた。
「かもしれぬ」
あっさりと頷き、しかし、
「だが少なくとも、その断片は見出だした」
アウレオルスは目を細め、僅かに語気に力を篭めた。
屋上を照らすライトの陰影が微妙に変わり、美琴を写し取った表情が、一瞬だけ男性と見間違う――アウレオルスそのものの表情を作り出す。- 777 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/06/04(火) 20:19:19.55 ID:pKbsmVrKo
「ローザミスティカ。お前たち『薔薇乙女』の根源だ」
ローザミスティカが永遠の命かと言えば、答えはノーである。
真紅たちとて、その存在は有限だ。
他の『薔薇乙女』にローザミスティカを奪われれば、そうでなくても身体が朽ちてしまえば、その活動は停止する。
だが逆に言えば、そうでなければ存在が滅することはない。
永遠ではない。しかし、永きモノだ。
「……ローザミスティカが目当てなら、なぜこんな手間のかかることを?」
「残念ながら私には――というよりも、オリジナルにすらその合成は叶わなかった。『黄金錬成』を使えば可能だったのかもしれないが、悄然、それでは順番が逆になる。オリジナルは作り出す意味を見い出なさかった」
「順番?」
「オリジナルの目的は禁書目録の解放。そのために必要な永遠を得るために、当初は『薔薇乙女』とローザミスティカを求めたのだ。……もっとも、その時にはすでに『薔薇乙女』は昇華されていたので、諦めたようだが」
『薔薇乙女』は永い時を生きる。すなわち蓄積される記憶は人間を遥かに声、禁書目録がかつて陥っていた状況を覆す可能性を持っていると言えた。
ローザミスティカも、解析次第では永遠に至る道のりを得ることが出来たかもしれない。
いずれも、アウレオルスが吸血鬼に求めたものを備えている。
「でも、あなたはローザミスティカを作成できた、というわけね」
「否。作り出したのは私ではない」
アウレオルスは一旦言葉を切り、
「真紅、お前だ」
と、言った。- 778 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/06/04(火) 20:20:48.18 ID:pKbsmVrKo
「オリジナルが収集に成功していた『薔薇乙女』の身体――ローザミスティカを『命』に昇華する器に、私の一部を埋め込んだのだ。器はその機能のまま、中身を命に変えようとする。たとえそれが、偽りのものであっても」
科学変化や数学、物理と同様の理論だ。極端な近似値であれば、それは真値と見做すことができる。
ただしそれは、それこそ極端でなければ成立しない上、現実世界においては取り扱う数字が極大になればなるほど誤差も大きくなる。
その誤差を修正しなければ、ローザミスティカを生み出すことはできないだろう。
「……『結界』はそれを補正するためね?」
「明察」
頷くアウレオルス。
大きくなるだろう誤差を埋めるために、アウレオルスが行ったのは、至極単純なこと。
水銀燈との戦闘と、その過程での契約。
契約者を喰い殺しかけた雛苺との闘い。
水銀燈と組んだ蒼星石。腕を失う危機。
そして、蒼星石との決戦と、水銀燈の勝利。
その過程をいずれも『決界』の中で行うことだった。
『結界』はその作用により、偽りの真紅と、真の真紅を同値にしようと働き掛ける。
「三沢塾の屋上に到達した時点で、お前はほぼ同値になっていた。そして過去、真の真紅は蒼星石との決戦で生まれ変わりに近い経験をしている」
真の真紅は一度腕を失い、蒼星石との決戦時に再生されていた。
製作者以外の手によってパーツを繋ぎ直される――人形にしてみれば、それはほぼ生まれ変わることと同義である。
だが、そうなるはずの器が、すでに生まれ変わったものであったならば。
「あの状況下では、『結界』はお前の中でもっともオリジナルと程遠い部分――偽りのローザミスティカを真なものに変えて均衡を得ようとするだろう。そうしなければその状況の再現ができないのだから」
ようやく、納得がいった。
今まで感じていた記憶の違和感。
それは器である身体に染み付いていた『昇華された自分』の記憶と、アウレオルスに都合よく改変された偽りの記憶との、齟齬だったのだ。- 779 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/06/04(火) 20:23:24.36 ID:pKbsmVrKo
そしていま、彼がここまで詳細な話をする理由も、真紅は察することができた。
偽りが真に変わり、記憶をすべて取り戻したせいか。
いやおそらく、己の中に篭められた偽りのローザミスティカが、外ならぬ眼前の存在の一部であったからだろう。
「この問い掛けも、あなたの計画の一部ね?」
「再度明察」パン、と両手を胸の前で合わせる。
「この会話により、お前は自分自身が元々私の一部であったと確信を得ただろう。その認識は、私との同化を後押しする力となる」
数歩、アウレオルスが前に出る。それだけで真紅の頬に手が届く位置。
もはやすべきことを終えたという風情で、アウレオルスは真紅に手を伸ばした。
「ローザミスティカを頂こう。否、元々私の一部だったのだから、還ってきてもらう、と言うべきか」
「……最後の質問よ。なぜ、私だったの?」
その手を睨みつけながら、真紅が問うた。
「『薔薇乙女』であれば誰でもよかったが……お前がもっとも、幻想殺しと相性が良さそうだったのでな。ホーリエとしてお前たちを見ていたが、間違いではなかったと確信している」
簡潔に、本当にただそれだけ、としか言えない答えと同時に、右手が真紅の頬に触れる。
「それでは始めようか」
と、アウレオルスが言った。
- 791 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/10/15(火) 22:53:08.33 ID:wDeJ7wZ0o
三沢塾の講堂は、先程までの闘いが嘘のように静けさを取り戻していた。
戦闘の舞台となった講堂に、目立つ破損は見当たらない。
いやそれどころか、戦闘の痕跡たる水銀燈や蒼星石、セーラー服の身体も消えうせていた。
n のフィールド――精神世界の影響が色濃い『結界』は、内部での出来事が外部へ反映されにくいという性質を持つ。
アウレオルスたちが夢の扉を渡り、『結界』が消えうせたのと時を同じくして、煙のように消えていたのである。
ただし、彼らが何らかの方法で持ち去ったのか、それとも水銀灯たちすら『結界』の効力で投影されていたのかまでは、わからなかったが。
「説明、しなさいよ」
と、演台に背を預けながら美琴が問うた。
声には苦しさと悔しさが滲んでいる。己と同じ顔をしたアウレオルスに殴られた腹を、右手が庇っている。
「……」
無言を返す上条。
だが無視をしているわけではないのは、迷いに満ちたその表情から伺えた。
確かに美琴には、後で必ず説明する、と伝えてある。しかし今それをすることは、この後の戦いに巻き込むことに等しいのだ。
『アウレオルス』も『薔薇乙女』も魔術側の話だ。美琴には関係がない。
沈黙が十秒を経過し、痺れを切らした美琴が再び言葉を放とうとしたところで、
「巻き込みたくない、とお考えですの?」
「黒子?」
美琴が振り返る。
いまだ意識が戻らない初春の手当をしていた白井が、いつの間にか傍に立っていた。- 792 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/10/15(火) 22:55:04.90 ID:wDeJ7wZ0o
「あんた大丈夫なの?」
「はい、ご心配をおかけしました。けれど、もう大丈夫ですの。初春も大きな怪我はありません」
白井は解けた髪を予備のリボンで結び直しながら答える。
美琴の問い掛けは全身これボロボロの状態や電撃を受けたことに対することだったが、白井の返答にはそれ以上の意味が篭められていた。
記憶は、すでに戻っている。
先ほど蒼い人形――蒼星石といったか――が倒れた瞬間に、奪われていた記憶が甦ったのである。おそらく初春も同様だろう。
電撃のダメージもないではないが、いつも美琴に受けるものに比べれば軽い方だ。慣れとはおそろしい。
「まぁ、わたくしのことはともかく」と、白井は髪をツインテールに戻し、一度首を振る。
左右の重さが均等で、演算に支障がないことを確認してから、上条に向き直った。
「上条さん。貴方がお姉さまやわたくし達を巻き込みたくないとお考えでしたら、残念ながら順序が逆ですの」
「逆?」
「電撃使い襲撃事件、というのをご存知で?」
「いや、知らねーけど……」
電撃使いという単語から美琴に目を向けると、彼女は僅かに顔を顰めていた。どうも知っているらしい。
続いてインデックスと姫神に目を向ける しかし二人は首を横に振った。
(……やはりお姉様にも連絡がいっていたようですね)
上条の視線を追った白井がそれぞれの表情を読み、内心で息を吐いた。
美琴がここにいる時点で察しはついていたが、自分たちの情報統制がどれくらい脆いかがよくわかる。
だが今はそれを嘆いている状況ではなかった。
コホン、と咳ばらいをして、続ける。- 793 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/10/15(火) 22:56:22.20 ID:wDeJ7wZ0o
「電撃使い襲撃事件というのは、ここ最近風紀委員や警備員で捜査されている案件ですの。そして事件の名前からわかるように、お姉様もまったくの無関係ではありません」
無関係どころか、セーラー服の口ぶりから美琴が文字通りの本命であったことは疑いない。
狂気に満ちたセーラー服の言葉を思い出したのか、美琴が曇る。
「その主犯の目撃情報は、白いセーラー服の少女でしたの」
はっ、とした顔で上条がセーラー服を――その破片があった場所を見る。しかしそこには、ただただ絨毯敷きの床があるだけだ。
「彼女が人形であったのならば、少なくとも人形操作を担当する能力者と、これは後でお話ししますが、記憶を奪う精神系能力者がいるはずですの。仮にさきほ ど、お姉さまの人形を動かしていた者を捕らえたとしても、もう片方が残ります。そしてむしろ、この事件の要は精神系能力者の方ですの」
白井は言葉を切り、改めて上条を見た。
「お話、いただけませんか? これ以上の被害者を出さないために」
真剣な瞳。初春のものを借りたのか、左腕で『風紀委員』の腕章が揺れる。
上条は、ぐっ、と息を詰まらせた。
「先程、逆だと言いましたのはそれがためですの。セーラー服の件が先にあり、上条さんたちが巻き込まれたのです。ここで上条さんが口をつぐんでいたとしても、わたくしたちは捜査を続けます。その結果、わたくしや初春のように、危険にさらされようとも、です」
卑怯な物言いだ、と思う。
上条の気遣いを無駄どころか、捜査の妨げ――ひいては他者の危険に繋がると、わざわざそう聞こえるように言っているのだから。
しかしこうでも言わなければ、彼は事の真相を語ろうとしないだろう。
それに何より、上条たちから事情を聞かなければ、そして彼らだけで事を納めることになったとしたら、この件は迷宮入りだ。
自分や美琴が最後まで関わるには、いまここで説き伏せるほかない。- 794 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/10/15(火) 22:57:43.68 ID:wDeJ7wZ0o
「……、……」
「とうま」
声をかけたのはインデックス。
双眸に厳しい色を称え、上条を見ていた。
ごまかさず、きちんと教えるべきだ。
昨日、小萌の部屋で問い詰められた時よりも、はっきりとインデックスの瞳は言っている。
「……」
それに押されたように、姫神に視線を移す上条。
アウレオルスとの闘いを語るなら『吸血殺し』にも言及しなくてはならない。
それは彼女の古傷を掻きむしることと同義である。
いいのか、と問い掛けに、
「構わない」と、姫神は頷いた。
それから彼女は、まだダメージを引きずった脚を動かし、上条の隣に立った。
「全て始めから説明するには時間がないけど」
美琴と白井に向き直り、
「でも質問してくれれば。それに答える。聞きたいことがあるなら。手短に聞いて」
と、言った。
- 795 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage saga]:2013/10/15(火) 23:01:23.47 ID:wDeJ7wZ0o
- 2ヶ月ほどの中断していましたが、復活です。
少し短いですが、小説形式が久々なので軽めに。
さて、これで三沢塾シーンは終了。
後はこの物語で当方がもっとも書きたかったシーンである、最終決戦です。
それでは、次回。
- 796 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします[sage]:2013/10/16(水) 10:18:50.52 ID:+eYq+DhZo
- 乙です
- 797 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします[sage]:2013/10/16(水) 10:52:03.86 ID:bBhSORPMo
- 乙でした!
- 805 :上条と真紅 ◆zEntDqWLlc[sage]:2013/11/15(金) 00:47:41.46 ID:2Vvi4UYPo
- 一ヶ月経過したので、生存報告です。
長い上に遅い投下でも乙してくださることに感謝です。
- 806 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします[sage]:2013/11/15(金) 19:53:06.39 ID:MmoqIyvEo
- 乙
舞ってる
2014年2月21日金曜日
上条「まきますか? まきませんか?」 2
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