2013年11月15日金曜日

一方「どンなに泣き叫ンだって、それを聞いて駆けつけてくれるヒーローなンざいねェ」 2

441 ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/09(火) 23:30:15.46 ID:wd2l4JCho



「……ここか」

午後八時。
目深に被ったキャップ帽に、薄手のズボン。
そして黒のTシャツを身に纏った侵入者が、病理解析研究所へと降り立った。
目前に聳える研究所を見据え、侵入者は深く息を吐く。
遂にここまで来てしまったのかと思うと、何となく感慨深いものがあった。

「…………」



だが、そんな感傷に浸っている時間などない。
侵入者はぎゅっと拳を握って自分に気合いを入れると、一歩前へと踏み出した。

間もなく戦場となるであろう、病理解析研究所へ。


442 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/09(火) 23:31:46.66 ID:wd2l4JCho

―――――



(そろそろ時間かあ)

研究所のダクト内。
爆弾を仕込んだ無数のぬいぐるみを弄びながら、フレンダは暢気に寝転がっていた。

とは言え、当然ながらその心中は穏やかではない。
何しろ、あの第三位がこれからここにやって来るのだ。
しかも自分は、それと戦うことになるかもしれない。

長い暗部生活のお陰で戦闘にはそれなりに自信があるが、それでも相手が超能力者となると不安を拭えないのは仕方のないことだ。
一応麦野は確率の低い方を割り振ってくれたものの、その低確率に当たって戦う羽目になる可能性は十分にある。

(ううう、怖いよう)

ぬいぐるみを抱き締めて、フレンダは身震いする。
こちらは相手のことを知っているし、大怪我をさせるつもりも無いが、あっちはそうとは限らない。
目の前に立ち塞がった初対面の人間相手に、一体どれだけ手加減をしてくれるのか。

ただ、第三位が人を殺すような人物ではないのは確実だ。
しかし、事情が事情。
その中で、彼女が何処までやってくるかは不明だった。
恐らく最悪でも寝たきりにされるくらいで済むだろうが……。

(どっちにしろ死……)

うっかり想像しかけて、フレンダはぶんぶんと首を振る。
この世界、使えなくなった人間に一体どんな処分が下されてしまうのか、彼女も重々承知していた。
だからこそ、何が何でも無事にこの場を切り抜けなければならない。
443 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/09(火) 23:32:20.96 ID:wd2l4JCho

(……あれ、これ結構ハードル高くない?)

かなり今更だ。
だが、もうここまで来てしまったのだから、あとは自分の戦闘センスと第三位の心優しさに期待するしかない。
……何とも情けない話だが、暗部の人間とは言え無能力者である彼女にはこれが精一杯だ。

(でも、結局頑張るしかないって訳よ)

ぐっとガッツポーズをして自らを奮起させると、何となく恐怖心が和らいだような気がした。
……と、その時。
彼女が寝そべっているダクトの真下から、かつん、かつんと何者かの足音が響いてくる。

「……え」

思わず声を上げかけて、フレンダは慌てて自分の口を抑える。
しかし、これは、間違いない。
侵入者(インベーダー)が、やってきた。

(えええええ!? 私ってばそんなに日頃の行い悪いかなあ!?)

だが、こんなところで嘆いていても始まらない。
フレンダはすぐに麦野たちへ信号を送ると、侵入者を迎え撃つ為に動き出した。


444 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/09(火) 23:33:15.80 ID:wd2l4JCho

―――――



病理解析研究所内。
侵入者は、監視カメラに映らないようにと物陰に隠れながら奥へ奥へと進んで行っていた。
目的は、最深部にあるデータの完全破壊。

見取り図は持っているので、後はそこに向かうだけではあるのだが。
流石にそう簡単に行くはずもないか、と思っていた矢先。

突然、天井に無数の光線が走った。

「!」

走った光線に沿うようにして切断された天井が、瓦礫となって落下してくる。
そしてそのすべてが、侵入者に襲い掛かろうとした。
が。
天井に向かって軽く手を振ると、たちまち瓦礫は侵入者を避けて床に突き刺さった。
その様子を、隠れて観察していたフレンダは小さく口笛を吹く。

(さっすが! あんなんじゃ何ともないかあ)

感心しながらも、導火線となるテープを張る手は止めない。
フレンダは侵入者からは完全に死角になっているところまでテープを張り終えると、錐のような形をした道具を取り出した。

(本来は、ドアや壁なんかを焼き切る為の道具なんだけど)

手の中で一回転させてから、フレンダは点火装置をテープに突き刺す。
途端、テープが発火して高速で床を焼き切り始めた。

(こんな使い方もあるって訳よ!)

発火したテープの向かう先は、侵入者の足元。
しかし侵入者はテープに気付くと、咄嗟に飛び退いて切断を回避した。
だが、そのテープの行く先には。
445 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/09(火) 23:34:07.57 ID:wd2l4JCho

(……ぬいぐるみ?)

疑問に思いながらも、侵入者は嫌な予感がして背後へと跳ぶ。
それとほぼ同時に、点火された人形が大爆発を起こした。

(爆弾!? ぬいぐるみに仕込むのが流行りなのか?)

爆風から顔を庇いながら、侵入者は爆弾から距離を取ろうとする。
しかし、その先にも更にぬいぐるみ=爆弾が無数に設置されていた。
導火線は、もうすぐそこまで迫っている。

(チッ)

侵入者は能力を使って瓦礫を引き寄せ、盾にしようとする。
が、その中身から時計の音が聞こえてきた。

(今度は瓦礫に時限爆弾! 動きが読まれてるのか?)

間一髪で瓦礫を遠くへと投げ飛ばし、爆弾を回避する。
けれど、それでは周囲に配置された無数の爆弾に対して無防備になってしまう。

(こうなったら……)

ぬいぐるみが爆発する、直前。
侵入者の身体が一瞬宙に浮いてから、一気に後方へと飛んで行った。
能力を駆使した強引な緊急回避だ。

(っ痛、やっぱりコレは調整が必要だな)
446 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/09(火) 23:34:40.51 ID:wd2l4JCho

この緊急回避は、自分への反動が大き過ぎるのだ。
精神的疲労で能力が上手く使えないこともあいまってか、かなりのダメージを負ってしまった。

(それより、相手は何処だ? 導火線を辿った先にいる筈……)

床や天井の裂け跡を追った、その先。
非常階段の中ほどに、金髪の少女が立っているのを発見した。

(アイツか)

一方、フレンダもまた自分の居場所が悟られたことに気が付いていた。
彼女は侵入者と目が合ったことに一瞬ぎくりとしたが、すぐに我に返って一目散に逃げ出した。

(むっ、麦野おおお! 私頑張ってるよね!? 頑張ってるよね!!)

あんなのとまともに戦ったところで、勝てる訳がない。
時間稼ぎだって、まともにできるかどうか怪しいものだった。
だからフレンダは、必死になって麦野たちのいる方へと向かおうとしているのだが。

(ううっ、いつものリモコン式ならもうちょっとくらいダメージ与えられたかもしれないのに!
 でも発電能力者相手だと逆に支配されかねないのよね……)

文句を言ったところでどうしようもない。
とにかく今は、侵入者を麦野たちの居るところまで誘導することを考えなければ。

「みぎゃあっ!?」

すぐ真横の壁に何かが当たった大きな音がして、フレンダは思わず変な声を上げてしまった。
壁が砕けた音がしたので、恐らく電撃か磁力で投げ飛ばした瓦礫が壁にぶつかった音なのだろう。
背後を見る余裕なんてもちろん無いので、確認はしていないが。
447 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/09(火) 23:35:11.49 ID:wd2l4JCho

(……外したか。後々ちょっかい出されても面倒だ、先に片付ける!)

フレンダを追い、侵入者が走り出す。
しかし、その向かう先にはまた時限爆弾が設置されていた。

時計が最後の一秒を刻み、爆散する。
内部から放たれた鋭い陶器のかけらが、侵入者に襲い掛かろうとした、が。
かけらはすべて何らかの能力の干渉によって弾き飛ばされ、侵入者にダメージを与えるには至らなかった。

(陶器爆弾も一蹴!? 発電能力者の応用の幅って本当にずるいよね!)

侵入者は、もう既にフレンダの走っている階段の真下まで迫っている。
暗いので顔はよく見えないが、尋常でない雰囲気を纏っているのはここからでもよく分かった。

(これ、やっぱり捕まったらタダじゃ済まないよね……)

逃げながら、フレンダは背筋を凍らせた。
彼女は階段の頂上までやってくると、ツールを取り出して手近にあったテープへと勢いよく突き刺す。

「頼むから足止めくらいにはなってよね!」

瞬間。
がぱっ、と凄まじい音がして、鉄の階段がバラバラに分解された。
階段に張り巡らせていたテープで、切断したのだ。
フレンダを追って階段を駆け上がっている最中だった侵入者は、それで下階に落下する筈だった、のだが。

「うえっ!?」

落下が始まるその直前に、侵入者は宙に浮かんだ幾つかの瓦礫を足場にして一気にこちらへと飛び込んできた。
恐らく、先程の緊急回避と同じ要領で適当な瓦礫に身体を引き寄せて渡っているのだろう。
448 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/09(火) 23:35:44.81 ID:wd2l4JCho

「ですよねー!」

フレンダが悲鳴のような声を上げながら逃亡を再開すると、先程まで自分の居た場所に何かが突き刺さる音が聞こえた。
走りながらも何度か足元の床が砕けたが、彼女は何とかそれを避けながら逃げ続ける、が。

(……あれ?)

そこで、彼女はようやく違和感に気付いた。
なんだか、行き先を誘導されているような気がする。
……つまり何が言いたいかと言うと、

(この先って行き止まりじゃなかったっけ)

気付いた途端、ざあっと血の気が引くのが分かった。
しかし、今更気付いたところでもう遅い。
既に後戻りできないところまで来てしまっているし、背後には侵入者が迫っている。

(麦野ぉー! まだー!?)

幸い麦野たちのいる筈の方向からはそうずれていないが、それでもフレンダを助けに来てくれるまでには時間が掛かるだろう。
と言うことは、それまで何とか自力で耐えなければならない。

(ええい、こうなったらやるしかない!)

覚悟を決めて、フレンダは袋小路となっている大部屋へと飛び込んだ。
それに少し遅れて、侵入者も部屋に入って来る。
フレンダは部屋の真ん中で立ち止まって振り返ると、表情だけは平静を装いつつこう言った。

「結局、ここまで追い込まれるとは思ってなかった訳よ」

「…………」

「覚悟はしてたつもりだったんだけど、やっぱりちょっと甘く見てたみたい。素直に称賛するわ」
449 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/09(火) 23:36:12.29 ID:wd2l4JCho

侵入者は何も答えない。
無言のまま軽く背後を振り返り、部屋のシャッター上部に向かって手をかざした。
瞬間、シャッターの留め金が破壊され、轟音を立てながらシャッターが落下してくる。
これで、自力では脱出できなくなってしまった。

(徹底してるなあ。当たり前だけど)

動揺を悟られないように表情だけは維持しながらも、頬を冷や汗が流れる。
しかし、まったく勝機が無い訳ではない。

(この施設の構造は知り尽くしてるし、念には念を入れてトラップを仕掛けまくってるもんね!)

フレンダが、足元に向けてツールを投擲する。
すると張り巡らされていたテープが一斉に発火し、部屋中を駆け巡って切り裂いた。
その範囲には、侵入者の頭上のダクトも含まれている。

「!」

切断されたダクトから、無数のぬいぐるみが降ってきた。
もちろん、中身には爆弾が仕込まれている。
ぬいぐるみがまだ点火されていないテープの上に落下すると、フレンダはそのテープに向けてツールを突き刺した。

「退路は塞がれ、身を守る盾も無し! 防ぎきれるもんなら防いでみなさい!」

発火した導火線は、もうすぐそこまで迫っている。
しかし、侵入者は少しも慌てた様子を見せない。
ただ、軽く床を蹴った。

途端、フレンダの初撃で切断された溝に沿って床が大きく持ち上がった。
それによってテープが断ち切られ、導火も止められてしまう。

(い゛っ!? 極度の疲労状態にあるって聞いてたけど、それでも超能力者ってここまでできるもんなの!?)
450 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/09(火) 23:37:01.82 ID:wd2l4JCho

驚いている内に、侵入者が持ち上げた床を飛び越えてこちらに向かってきていた。
しかし、今更こんなことで戸惑ったりはしない。
フレンダはスカートの中から小さな缶のようなものを取り出すと、栓を引き抜いて相手に悟られないように地面に落とす。

(でも……)

少し遅れて、侵入者もそれに気付く。
だが問題ないと判断したのか、構わずに突っ込んできた。

(その強すぎる力が、油断に繋がるのよね)

一歩後ろに下がり、帽子で顔を覆う。
同時、缶が……スタングレネードが炸裂し、途轍もない衝撃音と閃光を発した。
その予想外の攻撃を、侵入者はまともに喰らってしまう。

(くそっ、油断したか)

目と耳を潰され、侵入者はやむを得ず立ち止まる。
フレンダは帽子を被り直すと、今度はスカートの中からコーヒー缶ほどの大きさの砲弾を取り出した。

(ま、こんな小細工がどれくらい通用するか分からないけど!)

ランチャーに点火し、照準を定めて発射する。
結構な発射音がしたが、視覚と聴覚を奪われた所為でフレンダの動きが全く分からないのか、侵入者は避けようとする素振りさえ見せなかった。
そして。

「うっひゃあ!?」

着弾した途端、耳を劈くような爆音が轟き、息苦しく感じるほどの煙幕が上がった。
想像よりも威力が大きかったことに、フレンダの方が驚いてしまう。
451 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/09(火) 23:38:54.93 ID:wd2l4JCho

(あ、あれ? 弾種間違えた?)

慌てて手持ちの武器を点検してみると、案の定と言うかなんと言うか、やはり撃つ弾を間違えてしまったようだった。
本当なら、こんなに大爆発するのではなく煙幕と催涙ガスを噴出する弾を撃つつもりだったのだが、
形が似ていたのと焦っていたので取り違えてしまったらしい。

(…………、……まあ超能力者だし、大丈夫だよね。多分)

だらだらと嫌な汗を流しながらそんなことを願っていた、その時。
唐突に煙幕を裂いて、その中から人影が飛び出して来た。
無論、フレンダを目掛けて。

「うひゃっ!」

彼女はそれを紙一重で回避したが、それは殆ど経験による反射のようなものだった。
頭はそれどころではなく、混乱している。

(なっ、何で何で!? 盾になるようなものは置いてないし、目と耳は潰れてる筈なのに!
 どうして回避もしてない癖に無傷で、しかも私の位置が分かったの!?)

しかし、相手は考える暇など与えてはくれない。
間髪入れずにニ撃目、三撃目を叩き込もうとしてくる。
フレンダはその何れもをギリギリで回避し続けていたが、素人の少女とは思えない体捌きと威力に困惑していた。
452 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/09(火) 23:40:36.60 ID:wd2l4JCho

(こいつ、本当に第三位……?)

思いつつも、否定する。
それ以外の人間がいる筈が――――

「っ、とぉっ!?」

拳が眼前を掠め、金色の髪が数本宙に舞う。
だがフレンダは怯まず、相手の鳩尾に回し蹴りを叩き込んだ。

(っつぅ! 防がれた!?)

まるで固い壁でも蹴ったような感触に、フレンダは慌てて足を引いて体勢を整える。
見やれば、確かに侵入者は体の前で腕を交差して彼女の蹴りをガードしていたようだった。

(でも、それだけであんな感触に……?)

また数発の攻撃を避け、彼女は相手の顔面を目掛けて拳を放つ。
これも寸前で回避されたが、フレンダは相手が避ける為に体勢を崩した隙を突き、擦れ違うようにその背後に回り込む。
フレンダは相手の髪を掴むと、力任せに引っ張ってそのまま前方へと投げ飛ばした。



そしてその拍子に、侵入者のキャップ帽がひらりと舞い落ちる。


453 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/09(火) 23:42:59.45 ID:wd2l4JCho


「……え?」


一瞬見えたその色に、フレンダは思わず目を丸くしてしまった。
手の中に残った引き千切られた髪に、目を落とす。

……あの妹達のオリジナルなのだから、当然第三位の髪も茶色である筈なのに。
彼女の手の中にある髪の色は、


「白い」


風切り音。
殆ど無意識に反応し、フレンダは側頭部を狙って飛んで来た蹴りを右腕で辛うじて受け止めた。

「……ッ、くッ!」

何とか蹴りを押し返したが、右腕はじんじんと痛んでいる。
これは、罅が入ってしまったかもしれない。
だが、彼女の意識はそこにはなかった。それどころではなかった。

キャップ帽が無くなり、侵入者の顔が露わになっていた。
それは、とてもとても見覚えのある顔。
妹達を通してとか、間接的に知っているというのではない。何度も、直接会ったことのある人間だった。
忘れる筈が、間違える筈が、ない。

白い髪に、赤い瞳。
かの少女と大差のない、華奢な体躯と白い肌の、少年。

「アクセラ、レータ」



472 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/12(金) 22:51:09.51 ID:yZwgTcDLo




記憶喪失というものは、本当に厄介だ。
よりによって、他でもない彼が、この研究所を襲撃してくることになるなんて。



473 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/12(金) 22:51:46.46 ID:yZwgTcDLo

侵入者は、一方通行は、名前を呼ばれて顔を顰めた。
正体を明かされたからだろうか。
しかし、フレンダの方はそれどころではない。
彼女は今までになく混乱していた。

(どうしてアイツがこんなところに!? 結局、研究所を破壊して回ってるのは第三位じゃなかった訳!?)

いや、今まで研究所を破壊して回っていたのはその手口からして明らかに発電能力者――――即ち、超電磁砲だった。
ならばこれはつまり、彼も彼女と全く同じことを考えて行動を始めたということ。
しかもそれが、よりにもよって偶然にもこの病理解析研究所に当たってしまった。

(どどどどどうしよう!)

しかし、そうしておろおろとしている間にも一方通行は立ち向かってくる。
フレンダは飛んで来る攻撃を危ないところで避け続けながらも、心の何処かでこの状況に納得もしていた。

(ああ、でも確かにアイツなら記憶喪失になったんならこうするんだろうなあ)

それに、今まで感じていた違和感も、相手が彼ならば納得がいく。
体捌きや威力は、恐らく能力で補強した結果なのだろう。
先程攻撃を加えた際におかしな感触がしたのは、彼が反射を適用させて……

(……ん?)

そこで、フレンダは首を傾げる。
もし本当に反射が適用されていたのなら、あんなものでは済まない筈だ。

しかも彼女はあの時かなり本気で蹴ったので、反射なんてされようものなら最低でも骨折にはなっている筈。
にも関わらず、彼女の足は骨折どころか腫れてさえいない。
単に鍛えているお陰かもしれないが、少し痛くなっただけだった。
しかしフレンダは、すぐにその理由に思い至る。
474 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/12(金) 22:52:24.15 ID:yZwgTcDLo

(自分だけの現実が、不安定になってるのか)

かつて研究者たちが危惧していた通りに、度重なる過度な精神的負担を掛けられて自分だけの現実が崩壊を始めているのだ。
無能力者であるフレンダにはよく分からない感覚なのだが、これは相当に衝撃的なことらしい。

(暴風を操ったり、さっき床を持ち上げたみたいな大技を連発しないのは……)

もちろん、精神的疲労によってそれが難しい、ということもあるのだろう。
しかしそれ以上に、能力そのものが不安定になっているのだ。

(……大丈夫なの? コイツ)

とは思うものの、今はそれどころではない。
今は、一歩間違えれば自分が殺されかねない状況なのだ。

現在の一方通行がどういう性格の持ち主なのか、その詳細を彼女は知らないが、もし今の彼の性格が昔と大差ないのであれば、
見ず知らずの『敵』にはきっと容赦はしてくれないだろう。
実験の私設部隊の人間が虐殺されていたことを考えると、本当に殺されてしまう可能性もある。
その危険度は、第三位の比ではない。

(とにかく、何とかしない、とッ!)

一方通行の拳を捌き、カウンターを叩き込む。
確かにフレンダの方にも反動はあるものの、一方通行の反応を見るにダメージが通っていない訳ではないらしい。
胸を抑え、一瞬だけ苦しそうな顔をした。

(大技が使えないってのは助かるわね。能力で補強したとしても、体術ならこっちに分があるもん)

彼の動きが鈍った隙を見逃さず、フレンダは顎にアッパーを叩き込む。
身体が宙に浮き、身動きが取れないのを利用して更に追撃をしようとしたが、顎を打ち上げた手首を掴まれた。
475 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/12(金) 22:52:52.71 ID:yZwgTcDLo

「うえっ!?」

掴まれた手首が、みしみしと悲鳴を上げる。
体術では分があるのは事実なのだが、能力を使われている以上単純な力比べではあちらの方が遥かに上なのだ。

フレンダはもう片方の手で一方通行の手首に手刀をぶつけ、何とか振り払う。
危うく折られるところだった。

(やばいやばいやばい、本気だ! いや当たり前だけど!)

強い力で掴まれた所為で真っ赤になった手首を擦りながら、フレンダは一旦距離を取る。
一方通行の方も、体術では分が悪いことを悟ったのか無理に距離を詰めてきたりはしなかった。

(爆弾……、は通るのかな? さっきのロケット弾の時は無傷だったし……。集中する余裕さえあれば、完全な反射はできない訳じゃないのか。
 さっきみたいに近接戦闘してる時は、咄嗟にはできないみたいだけど)

蹴りによるダメージはそれなりに入っていたようだから、不意打ちで爆発なんてさせようものなら大怪我を負わせてしまいかねない。
それでは駄目だ。
説得出来れば一番良いのだが、この状況でそんなことができるとも思えなかった。

(そもそも、あっちにしてみれば私は初対面なんだし)

そんな人間の言葉に聞く耳を持ってもらえるとは思えない。
一応顔見知りの滝壺がいれば何とかなるかもしれないが、彼女は今麦野と一緒だ。

(……とにかく、麦野が来るまで時間を稼ぐか自力で何とかしないと!)
476 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/12(金) 22:53:28.85 ID:yZwgTcDLo

フレンダは懐から小型爆弾を取り出すと、一方通行に向かってばら撒く。
放たれた爆弾は、床や壁に当たった途端に弾けて無数の小爆発を起こした。
そして巻き起こった黒煙の向こうに、一方通行の姿が隠れる。

(ただの目くらましにしかならないだろうけど、こうしてちょっとくらい時間を稼げれば……)

ひゅん、と。
耳元を何かが掠めた。

少し間を開けて、背後で何かが砕けるような音が響いた。
嫌な予感がしてそろりと背後を振り返れば、抉れた壁と粉々になった床の残骸が。
恐らく、先の爆発によってめくり上げられた瓦礫だ。

(墓穴掘ったッ!?)

そして当然ながら、攻撃がこれだけで終わる筈がない。
瞬時にそれを悟ったフレンダは即座に真横に跳び、一瞬遅れて飛来してきた瓦礫を回避した。
瓦礫自体の大きさはそれ程ではないが、速度はちょっとした弾丸並みだ。
もしも当たれば、ただでは済まない。

(大技は使えないにしても、こういう使い方はできる訳ね! 距離を取ったのは失敗だったかなあ!)

近接戦闘では分が悪いと見てのこの攻撃だ。
今更近づこうとしたところで、そう簡単には近付かせてはくれないだろう。
そう言えば階段の時も似たような攻撃をしてきたのだから、迂闊に距離を取ったりするべきではなかった。
後悔しても、もう遅いが。

(えーとえーとえーと、何とかして距離を詰めるか何とかしないと!
 相手が第三位だと思って携行型AIMジャマーを持ってこなかったのは失敗だったなあ)
477 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/12(金) 22:54:04.32 ID:yZwgTcDLo

携行型AIMジャマーは通常のものと比べて効果範囲も効力も遥かに弱いので第三位の超能力者たる美琴には殆ど効果は無いし、
そもそも電力を大量に消費するという代物なので時間も長く続かない上、下手をすると美琴の方から干渉されてしまう可能性があったので
持って来なかったのだが、どうやら判断ミスだったようだ。

しかしそんなことを考えている内にも、次々と攻撃は飛んでくる。
持ち前の反射神経と動体視力のお陰でそのことごとくを回避してはいるが、このままでは埒が明かない。
どうしようどうしようと思っていると、ふとポケットの中に忍ばせた手の先に固いものが当たった。

(……これ、使えるかも)

フレンダがスカートの中から取り出したのは、透明な小瓶。
警戒してか、それを見た一方通行は身構えたが、立ち向かって来たり小瓶を破壊しに掛かってきたりはしなかった。

(集中すれば完全な反射ができるってことは、これも別に危険じゃないってことなのかな)

手の中で小瓶を弄びながら、フレンダは一方通行を見やる。
動かない。
現時点では間合いはそこまで空いていないので、この位置から彼女が小瓶を思いっ切り投げれば避けきれない程度の距離なのだが。

(っても、ダメージを与えることが目的じゃないから防がれても良いんだけど)

フレンダが、透明な液体の入った小瓶を宙に放る。
そしてすかさず点火用のツールを小瓶に向かって投擲した。

ツールは見事に小瓶に当たり、薄いガラスを砕き、同時に衝撃に伴い小さな火花を発する。
途端。
透明な液体に火花が引火して、大爆発を引き起こした。

「…………ッ!?」

小瓶程度の液体がここまでの威力を持つ爆発を起こすとは思っていなかったらしく、さしもの一方通行も驚愕する。
フレンダはその爆煙に紛れて巨大なパイプに近付くと、そのパルプを一気に全開にした。
途端、部屋中に張り巡らされ設置されたパイプの口から正体不明の気体が噴き出す。
478 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/12(金) 22:54:35.83 ID:yZwgTcDLo

「この……」

「学園都市特製の気体爆薬『イグニス』!」

宣言するかのような高らかなフレンダの声に、一方通行が動きを止める。
彼女は、不敵に笑った。

「この気体は人体には害が無いけど、放出後一瞬で拡散して空間を満たす。要するに今やこの部屋自体が巨大な爆弾って訳よ」

気体は無色で無臭だが、能力による空間把握によって既に部屋中に充満していることが分かる。
とは言え、これだけ一気に放出したのでは一瞬で拡散するなんて特性が無くてもあっという間に充満してしまうだろうが。

「香水瓶程度のサイズでさっきのあの威力。さっきみたいな攻撃の仕方をしてたら、すぐに火花が散って大爆発よ」

別のことに能力を使った直後では、反射だって上手く作用するか分からない。
そうでなくても、これだけ部屋中を気体爆薬で満たされてしまったら、爆発自体は防げても酸素を奪われてどうなるか。

(小賢しい真似を……!)

つまり、攻撃に能力を使うことはできない。
分の悪い接近戦に挑む他なくなってしまった。

(これで、何処まで行けるか!)

対応に迷って動きを止めている一方通行と、一気に距離を詰める。
彼ははっと我に返ると、飛んで来た蹴りを目の前で交差させた両腕で受けた。

「くっ!」

やはり咄嗟では上手く能力を作用させることができないのか、一方通行の表情が苦痛に歪む。
防御したのだが、それでも腕への衝撃で手が痺れるほどのダメージを負ってしまった。
479 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/12(金) 22:55:16.75 ID:yZwgTcDLo

(やっぱり分が悪ィ……!)

自ら退路を断ったのは失敗だったかもしれない。
逃げようと思っても、部屋中に爆薬を充満された状態で壁をぶち破ろうものなら当たり前に火花が散ってしまうからだ。
そうなってしまえば彼も彼女もお終いだ。

もしかしたら一方通行は命だけは助かるかもしれないが、それでは意味がない。
彼には、まだやらなければならないことが山ほどあるのだ。

(身体能力強化自体は問題ねェだろォが、能力で建材を操るのは摩擦が危険、反射も場合によっては火花が散りかねねェし、
 空気の動きが殆どない部屋ン中では風も起こせねェ。マズい、俺の能力が殆ど……)

フレンダの拳が、眼前を掠める。
散った前髪が邪魔で、一瞬目の前にいる筈の彼女の姿を見失ってしまった。
たん、と背後で軽い足音が上がる。

(後ろ!?)

反応が、遅れてしまった。
一方通行の横腹に、まともに回し蹴りが叩き込まれる。

その衝撃に彼は地面を転がり、更に響いた地面を蹴る音に反射的に顔を上げる。
跳び上がったフレンダが、もうすぐそこまで迫っていた。

「ぐ、……ッ!!」

横向きに起き上がり、彼は何とかフレンダの踏み込みを回避する。
床に着地した瞬間の凄まじい音に、一方通行はひやりと背筋が冷えるのを感じた。
あんなのに直撃したら、反射で保護していたって肋骨くらいは折れていたかもしれない。
いや、もしあれを反射していたら最悪火花が散っていた可能性も……
480 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/12(金) 22:55:46.86 ID:yZwgTcDLo

(ったく、自殺志願者かっての!)

そうだ、踏み込みの衝撃だって火花の一つくらいは起こしかねない。
にも関わらず、フレンダはそれを全く恐れることなく攻撃してくる。

疑問に思っていると、そこで隙が生じたのか今度は鳩尾に蹴りを入れられる。
一方通行の身体はいとも簡単に吹き飛び、壁に叩き付けられた。
その衝撃で呼吸がおかしくなり、激しく咳き込んでしまう。ただ、火花が散らなかったことに安堵していた。

(思ったより効果はあったみたいね。良かった)

身動きを取れずに必死で息を整えようとしている一方通行を眺めながら、フレンダは内心ほっとしていた。
この分なら、彼女一人でもなんとかできそうだ。

(とは言え、麦野がやって来た瞬間にばれるだろうけどね。こんな小細工)

現在、この部屋のシャッターは下ろされ、どうあっても脱出も侵入も不可能な状態にある。
そこで、内部の様子を知らない麦野はきっと能力でシャッターをぶち破って特攻してくるだろう。

……そんなことになったら、部屋は大爆発を起こしてしまうのではないか?
だが、フレンダはそんな心配などしてはいなかった。
何故なら。

(ま、爆薬なんて嘘っぱちだし)

ただし、もちろん最初に投げた爆薬は本物だ。
でなければ、ツールの火花が引火しただけであんな大爆発など起こりよう筈もない。
481 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/12(金) 22:56:20.34 ID:yZwgTcDLo

しかし、その後にパイプを通じて放出した気体。
あれの正体は、実は窒素なのだ。
それを知っているフレンダは何の躊躇もなく暴れることができる一方で、一方通行は火花を立てないように必死で自ら行動を制限している。
それが、彼女の狙いだった。

(一方通行はうっかり火花を上げないように能力の強さを調整するのに精一杯。どんなに暴れたって、爆発なんて起きないのにね)

騙していることに対する罪悪感をさっぱり感じないあたり、自分はやっぱり根っから暗部の人間なんだなあと思う。
そんなことを考えていると、地面に膝をついて息を切らせていた一方通行がようやく立ち上がった。

(さて、どれくらい持つかなーっと)

向かってきた一方通行の攻撃をひらりとかわし、首筋に踵を打ち込む。
そうして彼がふらついたのを見逃さず、無防備な体にフレンダは更に追撃を重ねた。

一方通行はその衝撃に吹き飛ばされかけたが、能力で重心を調整したのか何とか踏み止まって着地する。
彼女はそれに少し感心しながらも、体勢を整える暇を与えないように間合いを詰めようとした。
それに負けじと、一方通行も地面を蹴ってフレンダへと接近を試みる。
だが、僅かだけフレンダの方が早かった。

しかし。

確かに一方通行に突き刺さったはずの拳が、するりと擦り抜けた。
手応えが、ない。
それどころか、彼女の拳は一方通行の身体を突き抜けて虚空を切った。

(な、にこれ!?)

こんな能力の使い方は見たことがない。
過去の彼を知っているからと、油断していた。
これは光を歪ませて対象の位置を誤認させる、いわゆる偏光能力だ。
482 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/12(金) 22:57:08.90 ID:yZwgTcDLo

かつての彼はその強力過ぎる能力ゆえ、このような小細工を使ったことなど無かった。
だからフレンダは、彼の能力のこんな使い方を知らなかった。

(やば、)

すぐそばで、空気が動く音が聞こえる。
即席の偏光能力など、そこまで精密で応用が利くようなものではない。
つまり、見えないだけで一方通行はすぐ近くにいるのだ。


がごっ、と。
一瞬、上顎と下顎がずれてしまったような気さえした。
能力を使用した状態で、側頭部を蹴られたのだ。
身体を吹き飛ばされたフレンダはそのまま為す術もなく床に倒れ込む。
意識を失わなかったのが奇跡だった。

(いっだああああ!! でも私生きてる!? まだ動く!)

視界はぐらぐらしているし頭もがんがんしているが、まだ立ち上がることができる。
変なところを打ってしまったのか身体の動きがぎこちないような気がしたが、彼女は構わずにむりやり立ち上がった。
一方通行は、もう目の前まで迫っている。

(避けきれないか。ちょっと辛いけど、防ぐしか……!)

フレンダは顔の前で両腕を交差させ、一方通行の拳を受けようとした。
が、振り下ろされた拳は彼女になんの衝撃も与えない。
ただ、擦り抜けた。

(まっ、また幻!?)
483 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/12(金) 22:57:43.12 ID:yZwgTcDLo

彼女は慌ててガードを解くと、周囲を見渡して状況を把握しようとした。
しかし、回そうとした首ががっとホールドされる。
目の前には、白い腕。

「ぐぎッ!?」

気付いた次の瞬間、凄まじい力で首を締められた。
鶏を絞め殺した時のような変な声が出たが、一方通行は構わずにギリギリと締め上げてくる。

(な、なるほどこれなら衝撃なく相手を倒せ……ってこんなこと考えてる場合じゃない!)

フレンダは酸素が足りずに回らない頭で必死に考えて、現在何の防御もされていない筈の腹部に向かって思いっ切り肘打ちを叩き込んだ。
そこで一瞬込められた力が弱まったのを見逃さずに、彼女は回されていた腕を全力で引っ張った。

「う、おりゃああああああッ!!」

体重の軽い一方通行はいとも簡単に投げ飛ばされ、背中から地面に激突する。
その拍子に、フレンダの隠し持っていたツールもいくつか落ちて散らばってしまった。

「ぐッ」

息を詰まらせながらも、一方通行は何とか転がって立ち上がる。
フレンダも、激しく咳き込みながらも必死で息を整えようと苦心していた。

「わっ、悪くない考えだったけど結局は素人! 完全には……ゲホゲホッ! って訳よ!」

危うく意識を持っていかれるところだったが、振り払ってしまえばこちらのものだ。
偏光能力にしても、使ってくるタイミングを把握できれば何ということもない。
の、だが。
484 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/12(金) 22:58:22.61 ID:yZwgTcDLo

「……あれ?」

彼女は、自分が張った発火テープの真上に立っていた。
天井近くまで吹っ飛ばされていたらしいツールは、未だ宙を漂っている。
そしてそのうちの一つが、丁度その切っ先を彼女の真下にあるテープに向けて落下しようとしていた。
つまり、点火しようとしている。

(えっ?)

このテープは、ただの導火線ではない。
ただそれだけで鉄板を焼き切ることもできる、恐ろしい凶器だ。
そんな凶器の上に、靴の脱げた彼女の足が乗っている。
点火されれば彼女の足がどうなるかなんてのは、わざわざ語るまでもない。

(ちょ……)

チ、
リッ。
ツールがテープに突き刺さり、途端にテープが凄まじい勢いで発火した。

「にょわッ!?」

フレンダは、弾かれるようにして真上に飛んだ。
それに一瞬遅れて、彼女の足元に張ってあったテープが発火する。
あくまで接したものを焼き切る罠であってそこまで爆発力はないのが幸いし、彼女の足は何とか事なきを得た。

しかし跳躍の方向や力を自分で調整できなかった上に発火の衝撃で妙な方向に飛ばされてしまい、彼女はゴロゴロと地面を転がってしまう。
何だかよく分からない機械に頭をぶつけたところで漸く停止すると、彼女は頭をさすりながらよろよろと身体を起こした。

「い、ててて……。あっぶねーあぶねー、危うく自分の罠で下半身吹っ飛ばすところだったわ」

無残に焼き切られた床を振り返りながら、フレンダは額を伝う汗を拭う。
ひとまずは無事な自分の足を改めて確認し、彼女はほうっと息をついた。
485 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/12(金) 22:59:32.47 ID:yZwgTcDLo

「まったく自分の脚線美だってのに……」

彼女が無傷な自分の足を眺めて安堵している、と。
何処かからか何かが割れるような音が聞こえてきた。

「あ」

気が抜けた所為で、すっかり忘れてしまっていたが。
ついうっかり、火花どころか爆炎を盛大に上げてしまった。
……と、いうことは。

「あァ、そォかそォか」

こつ、こつ、と。
前方から、無機質な足音。
その主である一方通行は、その手に半円状に捻じ曲げられたパイプのようなものを持っていた。
奥では、彼が引き千切ったらしい電線がバチバチと凄まじい火花を上げている。

「そォいうことか。なるほどなァ」

曲がったパイプを上方に投げたり受け止めたりを繰り返しながら、一方通行が近付いてくる。
彼の顔には、気持ち悪いくらい楽しそうな笑みが張り付いていた。

「結局、俺も随分と初歩的なハッタリに引っ掛かってたって訳か」

「は……、ははは……」

一方通行が近付いてくるにつれて、フレンダもじりじりと後ずさって行く。
しかし、その背はすぐに壁にぶつかってしまった。

「てへっ」

頭を軽く小突き、ぎこちない笑顔で取り繕う。
が、おどけて誤魔化そうとしても無駄だ。
室内に甲高い音が響き、彼女は呆気なく敗北した。



492 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/17(水) 23:15:19.36 ID:US2bwjK/o

「トドメを刺さなかったのは、死なせたら寝覚めが悪い……とかじゃねェからな」

何処から拾ってきたのか、手の中でナイフのように鋭い金属棒を弄びながら一方通行が言う。
フレンダは片手と片足をそれぞれ半円状に曲げたパイプで壁や床に拘束され、身動きが取れない状態にあった。
何とかパイプを引き抜こうと努力はしているものの、ぐっさりと刺さったパイプは全く抜けてくれる気配は無い。

「まさか一人でここを守ってる訳じゃねェだろ。人数と、能力者がいるならそいつの能力も吐け。洗いざらいだ」

「…………」

フレンダがぷいとそっぽを向く。
一方通行はそれを見て僅かに眉を動かすと、ちょうど真横にあった機械をこすんと軽く小突いた。
瞬間、凄まじい轟音を立てながら機械が破壊され、紙屑のように崩れ落ちる。

「ッ……!?」

その光景に、フレンダは目を丸くする。
まだここまでの力を残していることにも驚いたが、これまでの戦闘ではやはりかなり加減をしていたことを思い知らされたからだ。
もしあんなのが一度でも掠っていたら、彼女はもっと早くに敗北していたに違いない。

「あァなりたくなかったら、三秒以内に答えろ」

(ひいっ!?)

冷酷な声音で発せられた言葉に、フレンダが顔を真っ青にする。
同時に、無慈悲なカウントダウンが始まった。

「3」

(うわあああどうしよう! 麦野まだ!? まだあ!?)
493 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/17(水) 23:15:48.01 ID:US2bwjK/o

辛うじて動く首を回して部屋の入り口を見つめるが、灰色のシャッターはうんともすんとも言わない。
足音や気配がしないことからも、助けの望みは絶望的だった。

「2」

(今の一方通行相手なら麦野でも敵う!
 と思うけど、流石に能力バレしたらキツいよね!? 麦野の能力の仕組みなんか教えちゃったら解析早くなるだろうし!)

一方通行は、今ひどく弱体化している。
仮に解析されたとしても、麦野の攻撃を反射によって完全にいなすことはできないだろう。
絹旗の話によると、あのテレスティーナの疑似超電磁砲でも相当の深手を負っていたようだから、
麦野の粒機波形高速砲が直撃しようものなら骨の一本や二本は余裕で折れる筈だ。

しかし、あの素早さで回避に回られると少々厳しいかもしれない。麦野の能力は、小回りが利かないし精度もあまり高くないのだ。
だからフレンダは、どうしても情報を吐くことができなかった。

「1」

(……ううっ、やっぱ駄目!)

一方通行の瞳は、ぎらぎらと凶悪に輝いている。
あの様子では、とてもではないが見逃してはくれなさそうだ。
つまり、黙秘イコール死。
でも。

(言えない)

彼女は、心を決める。
黙秘することを、自ら選び取る。
494 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/17(水) 23:16:21.23 ID:US2bwjK/o

「0」

そして、最後のカウントダウンが終わる。
フレンダは口を固く閉ざしたまま、じっと一方通行を見つめていた。

「……仲間は売れないって訳か」

「…………」

「そォいうの、嫌いじゃねェけどな……、?」

妙な気配がした。
その違和感に、一方通行が何気なくシャッターの方を見やる。

、と。
シャッターの一部が、変質していた。
嫌な予感がして咄嗟に背後に飛んだ一方通行の目の前を、ほんの一瞬遅れて発せられた極太の光線が横切って行く。
そうして二人の目の前を素通りした光線は、その先にあった壁や障害物を跡形もなく破壊した。

「これは……」

破壊された建造物や機械類、そしてシャッターを見て、一方通行は息を飲む。
すべて、溶かされたようになっていた。
光線をなぞるように円柱状に抉れた建造物は、そのことごとくがまるで最初からそう作られていたかのように綺麗に消失している。

「あんまり静かだから、殺られちゃったのかと思ったけど」

高らかな、足音。
シャッターに開けられた穴の向こうから、一人の少女が姿を現した。
495 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/17(水) 23:17:07.55 ID:US2bwjK/o

「危機一髪だったみたいね、フレンダ」

亜麻色の長い髪を靡かせて悠々と部屋に入ってきたその少女は、けれどその身体のあちらこちらが煤けていた。
まるで、激しい戦闘でもしてきたかのように。

「むっ、麦野ぉ!!」

顔を見た瞬間、一気に力が抜けて涙が零れてきた。
麦野はそれを見て呆れたように微笑んだが、すぐに一方通行に向き直ってきっと彼を睨みつける。

「ったく、記憶喪失だからってちょーっとおイタが過ぎるんじゃないかにゃーん?」

麦野の言葉に、一方通行がぴくりと反応する。
しかし麦野は構わずに、右手を真横に振り抜いて不敵に凶悪に笑った。

「オシオキカクテイだ。覚悟しろよ、クソガキが」


496 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/17(水) 23:17:34.69 ID:US2bwjK/o

―――――



「第十学区、か」

日常ではあまり見ることのできない、殺風景な学園都市を見回しながら美琴はぽつりと呟いた。
とは言え、美琴も超能力者なのでここに来たのが初めてという訳ではない。
第十学区は研究施設の多い学区なので、実験協力などの時にはたびたび訪れたことのある場所だ。

(久しぶりに来たわね。最近は実験協力の依頼も全然なかったし)

そんなことを考えながら、美琴はそこかしこに点在している研究所を確認し、PDAに目を落とした。
PDAには、書庫(バンク)をハッキングして手に入れた第十学区の地図が映し出されている。
第十学区は第二十学区のように学園都市の学生でもその詳細を全く知らない、という訳ではないのだが、
違法な実験を行っている施設も多いので本当に詳細な事項は隠匿されているのだ。

よって、彼女の目的を達する為には普通に公開されている地図では足りない。
そこで彼女はハッキングに手を染めたのだが、これがなかなか骨の折れる作業だった。

(まさかこんな時間まで掛かっちゃうなんてね。まあ、ついでに体力は回復できたから良いけど)

自分の胸に手を当てながら、美琴は深呼吸をする。
僅かとは言え休憩を取ることができたお陰で、体調も能力も安定しているように感じた。
これなら、まだまだ頑張れる。
そう自分に言い聞かせながら、彼女は手のひらをぐっと握った。

(さて、次のターゲットはっと)

今日のノルマは、八基。
本当ならもっと沢山の研究所を潰したいのだが、あまり最初に飛ばし過ぎると後から体力が持たなくなってきて、
最終的には目的を達成できなかった、なんてオチになり兼ねない。

それだけは絶対に避けたいので、彼女は余りにもひどい無茶だけは避けるようにしていた。
ただし、適度に無茶はしまくっているのであまり意味はないかもしれないが。
497 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/17(水) 23:18:10.10 ID:US2bwjK/o

(ここから一番近いのは……、あそこか)

最初のターゲットは、今立っている位置からも視認できた。
美琴はその研究所を睨みつけると、視線を逸らさないまま歩き出す。

(残り何基かなんて、数える気も起きないけど)

目を逸らさない。
ざり、ざり、とスニーカーが小さな足音を刻んでいた。

(それでも、無限じゃない。諦めなければ、いつか必ず何らかの変化は起きるはず)

美琴が、ぱちぱちと小さな電撃を纏い始める。
まるで彼女の意志に呼応するようにして、青白い光が弾ける。

(だから、私は挫けたりなんかしない)

バチン。
彼女の近くにあった監視カメラが一つ、煙を上げて破壊された。
どんなに巧妙に隠されていても、彼女は一つも見逃さない。

(どんなに小さな変化でも良い。その綻びから、救いを見いだせるかもしれない)

バチン、バチン。
美琴が通った後にある電子機器が、次々と動作を停止していく。
能力ですべてを感知して、能力ですべてを無効化して、能力ですべてを破壊する。

(……必ず。見つけ出してみせる)

目の前には、研究所の扉。
その中からは、まだ人の気配がする。
恐らく美琴が第七学区の研究所ばかり狙って潰していたから、第十学区はまだ大丈夫だと高を括って避難していないのだろう。
彼女は、そうやって警戒されて第七学区内の研究所の警備を強化されていたら困るから、わざわざここまで来たのだ。

作戦は成功。
ゲリラにはゲリラの戦い方があるということだ。

「さあ。行くわよ、御坂美琴」

この研究所のセキュリティは、既にすべて美琴の支配下に置かれた。
準備は、万端だ。

「絶対に、成し遂げる為に」


498 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/17(水) 23:18:41.93 ID:US2bwjK/o

―――――



轟音と共に、巨大なタンクが麦野に向かって撃ち出される。
しかし麦野は焦ることも驚くこともなく、ただ、タンクに向かって手を翳した。
まるで、片手で受け止めようとするかのように。

が、その途端。
彼女が触れた部分から、タンクがぼろぼろと崩れ出した。
内側から爆発でも起こったかのように。
そして完全にただの黒焦げたかけらと化したタンクは、粉々になって麦野の足元に散らばった。

(防がれ……、いや消し飛ばされた?)

麦野は服に付いた煤をさっとはらうと、そのまま流れるような動作で一方通行に人差し指を向けた。
その指先には、小さな光が。

「ッ!」

本能的に危険を感じ、一方通行は真上へと跳んで壁に張り付いているパイプを掴んだ。
一瞬遅れて、その真下で凄まじい破壊と爆煙が起こる。

(威力は超電磁砲以上か。『反射』が完全だったとしても、喰らったらただじゃ済まねェな)

一方通行は掴んだパイプと手近にあった適当な機械類を引き千切ると、それを麦野たちに向かって撃ち出した。
それを見て、すぐさま麦野はフレンダの拘束を能力で破壊する。

「あ、ありが……」

しかしフレンダが礼を言う暇もなく麦野は彼女の首根っこを掴み背後に放り投げた。
そして、手の中に光を発生させる。

「相変わらず、器用な真似をするわね」
499 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/17(水) 23:19:13.30 ID:US2bwjK/o

手の中の光を盾のように展開し、自分の正面に翳す。
一方通行の飛ばした機械類は、それに触れた途端最初のタンクのようにぼろぼろになって砕け散った。

「けど、それもいつまで持つかしら」

一方通行が表情を歪める。
麦野の言葉は、的を得ていた。

彼が能力を使える時間には、制限がある。
しかも精神的負担によってか、以前よりもその制限時間は短くなってしまっていた。
長期戦は、一方通行に不利なのだ。

(……不味いな。このままじゃ負ける)

相性が悪い。
相手は暗部の人間。よって、恐らく接近戦はフレンダと同等かそれ以上だろう。
そんな人間に対して接近戦を挑むのは些か無謀だ。
先程のフレンダとの戦いと同じことになってしまいかねない。

よって、能力を駆使した遠距離攻撃を試みているのだが、その何れも当たらないか防がれる。
攻撃手段が、ないのだ。

(厄介な……)

しかもあの光線の破壊力。
たった一度でも掠ろうものなら、大ダメージは免れないだろう。

反射があるので先程から彼女が破壊しまくっている建材のように穴を空けられたりはしないだろうが、衝撃だけでも致命傷になりかねない。
……ここまで来ると、相性が悪いなんてレベルの話ではない。
彼女とは、戦うべきではない。
500 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/17(水) 23:20:00.79 ID:US2bwjK/o

(癪だが、仕方ねェか)

一方通行は建材を抉り出すと、それを麦野の目の前の巨大なパイプに向かって投げ付けた。
途端、破れたパイプから大量の水蒸気が噴き出して彼女の視界を奪う。

(何? 目眩ましのつもり?)

水蒸気に巻き込まれないように後ろに下がりながら、麦野は怪訝な顔をする。
彼女には水蒸気を払う能力は無いので、自然に水蒸気が晴れるのを待たなければならないが。

(こんなの、すぐに晴れる。時間稼ぎにだってならないのに……)

すると、ゆっくりと水蒸気が晴れてきた。
水蒸気によって隔てられていた向こう側が露わになってくる、が。
そこに一方通行の姿は無かった。
ただ、最初に麦野が空けた大穴だけがそこに佇んでいる。

「……なるほどね。逃げたか」

腰に両手を当てながら、麦野は呆れたように溜め息をつく。
と、シャッターに空いた大きな穴から一人の少女がひょっこりと姿を現した。

「ごめんね。遅くなった」

「ん、滝壺」

黒い髪に、ピンクのジャージのズボンを履いた少女。
滝壺理后。
彼女は危うく穴に躓きそうになりながら部屋に入って来ると、のたのたと二人に近付いてきた。
501 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/17(水) 23:20:53.52 ID:US2bwjK/o

「やっぱりあくせられーただった?」

「ええ。アンタが間違える訳ないでしょ」

「そっか」

けれど、滝壺は暗い顔で俯いた。
そんな彼女を見てか、麦野も複雑そうな顔をする。

「ったく。何でここなのかしらね」

「私が、もうちょっと早くここに来れば良かったね」

「仕方ないわよ。フレンダが通信を怠った所為で位置探索に『能力追跡』を使ったんだから。
 それに私は『原子崩し』の逆噴射でここまで飛ばして来たんだから、アンタが追い付ける訳ないでしょ」

「うん。ごめんね」

「そ、それどころじゃなくて通信忘れてた……ごめん……」

「良いのよ別に、責めてやしないわ。最終的にここを守れれば、何でも良いし」

麦野がひらりとスカートの裾を揺らしながら、一方通行の入って行った大穴に向き直る。
そして懐から透明なケースを取り出すと、少し逡巡してからそれを滝壺に投げて渡した。

「……悪いわね。一度だけお願い」

「一度だけじゃなくても良いよ」

「駄目よ。リーダー命令」

「……、リーダー命令なら聞かなきゃだね」
502 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/17(水) 23:21:36.54 ID:US2bwjK/o

滝壺はやんわりと微笑むと、ケースから極少量の白い粉をふるい出した。
そしてそれを手の甲の上に乗せると、舌先でほんの少しだけ掬い上げる。
途端。
眠そうな目をしていた滝壺がかっと目を見開き、勢い良く顔を上げる。

「位置と大まかな進行方向だけで良いわ」

「ここから十一時の方角、絶対座標は2391,1990。進行方向は絶対座標を基点に八時の方角へ」

「チッ、やっぱり管制室か」

麦野は舌打ちすると、自分の開けた大穴に向かって歩き始めた。
フレンダと滝壺はその後について行こうとしたが、その直前で麦野が立ち止まってくるりと振り返る。

「ああ、アンタたちはついてこないで。ここで待機ね」

「な、何で!?」

「アンタたち、二人とも消耗してるでしょうが。アンタたちの歩調に合わせてたらアイツに追い付けない」

言い返せなくて、二人はぐっと言葉に詰まる。
麦野はそんな二人を見て小さく溜め息をつくと、ふと思い出したように口を開いた。

「あ、そうだ。滝壺、悪いけど念の為に管制室に先回りしてちょうだい。ゆっくりで良いから」

「管制室? ……どうして?」

滝壺が、こてんと首を傾げる。
一方通行は逃げながら管制室に向かっているので確かに急げば滝壺でも先回りできるが、当然ながら彼女は戦力にはなり得ない。
彼女を向かわせるくらいなら、まだフレンダを付けた方がマシだ。
503 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/17(水) 23:22:12.56 ID:US2bwjK/o

「念には念を、ってね。私がアイツを止められなかったら、アンタがアイツを説得して。
 アンタなら少なくとも攻撃されることはないでしょ。本当なら絹旗が一番良いんだろうけど、今から呼び出したんじゃ間に合わないし」

「……分かった」

「む、麦野……」

「大丈夫よ。今のアイツには負ける気しないし。
 それから確認したいんだけど、フレンダは施設のあっちこっちに爆弾を仕掛けてあるのね?」

「へ? そうだけど……」

「じゃあ、導火線も張り巡らされてる訳か。それなら、フレンダはここから援護して。ああ、もちろん爆弾の位置も教えてね」

「う、うん。じゃあこれ」

フレンダは麦野に駆け寄ると、小さなメモ帳を彼女に手渡した。
麦野はそれをさらっと確認すると、人差し指をこめかみに当てながら何事かを考え込むかのように目を閉じる。
と、唐突に彼女は目を開いた。

「覚えた。ありがとね」

そう言って麦野はフレンダにメモ帳を突き返すと、振り返りもせずに行ってしまった。
フレンダと滝壺はその様子を不安そうに見つめていたが、麦野の姿が穴の中に消えてしまうとそれぞれ自分の仕事へと取り掛かっていった。



512 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/21(日) 23:30:40.92 ID:QLeyxKywo

(あンなのを相手にするのは流石に分が悪ィ。施設の破壊を優先する)

一方通行は適当なところで麦野の開けた穴から外れると、管制室を目指して走り出した。
この施設を破壊する前に、あそこにある実験関連データを完全に削除しなければならないのだ。

(仮に追ってきても、管制室まで逃げ切っちまえば無闇に破壊力の高すぎるあの光線は撃てねェ筈だ)

麦野の『原子崩し』は、非常に加減が難しい。
その特性上、破壊するものと破壊しないものを選ぶことができないのだ。

即ち、彼女は重要なデータの詰まった管制室では能力を使うことができない。
もし一方通行が彼女の攻撃を回避してしまったら、当たらなかった光線はそのまま管制室に突き刺さってしまうからだ。
つまり、管制室にさえ逃げ込んでしまえば後はこっちのもの、ということ。

(管制室はあっち……)

と、その時。
床に着地しようとした足から唐突に力が抜け、彼はがくんと膝をついてしまった。

(不味い、能力を使い過ぎたか? 力がもう……)

上手く発動しない能力を無理やりに使っているのに加えて、彼はもう何日も眠っていなかった。
最後に寝たのがいつなのかさえ、もう曖昧だ。
眠れなくてもせめて休憩くらいはしておくべきだったか、と今更ながらに後悔する。

(……、管制室はそォ遠くねェ。このまま突っ切る)

自分を叱咤しつつ、一方通行は一歩前へと踏み出そうとした、が。
不健康に青白い光線が、彼の髪を掠めた。

「!?」

一方通行は慌てて身を引くと、光線が途切れるのを待って一気に前へと跳ぶ。
じっとしていると当たってしまう可能性があるからだ。
513 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/21(日) 23:31:30.69 ID:QLeyxKywo

(ランダムに迂回して移動してるってのに、どォしてここが分かった?)

そう考えている内にも、光線は次々と撃ち込まれてくる。
しかし、その何れも最初の一撃がまぐれだったかのように一方通行から逸れて着弾した。

(当てずっぽうか……? いや、それにしては最初の一撃が正確すぎる)

そもそも、一方通行がどの方向に逃げたのかを当てている時点で当てずっぽうとは考えにくい。
精密ではないが、確実に一方通行の居る範囲を当てて来ている。

(……来る)

首筋が、チリリと痺れるような感覚。
それに反応して一方通行は大きく跳ぶと、一瞬遅れて先程まで彼の居た場所に光線が撃ち込まれた。

(近付いて来てるな)

どんどん精度が高くなってきている。
光線が撃ち込まれる間隔も、狭まってきていた。
恐らく、既に音や気配でこちらの動きを察することができる程度には近づいてきているのだろう。

(ただ、行動パターンが読まれてる気がするのが懸念事項だな。
 ……つっても、ここは実験関連施設。その用心棒だから、そォいう資料が渡されていてもおかしくねェが)

そんなことを考えていると。
唐突に、床が直線状に火花を上げた。
その光景に見覚えがあった一方通行は、嫌な予感がして咄嗟に前へと転がる。
514 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/21(日) 23:33:17.54 ID:QLeyxKywo

「ッ!」

それに一瞬遅れて、背後で複数の爆発が上がる。
フレンダの仕掛けた爆弾だろう。
着地に失敗して床に叩き付けられながらもそれから逃れることのできた一方通行は安堵したが、
顔を上げた先に今にも爆弾に点火しようとしている導火線を発見してぎょっとした。

そして、目の前で爆弾が爆発する。
立ち上がる猶予も無かった。

周囲はもうもうと立ち上がる爆煙に包まれ、一方通行はあっという間にそれに呑み込まれてしまう。
爆弾を回避できず、彼は沈黙してしまったかのように思われた。
しかし。
煙が晴れた時、そこには無傷の一方通行が立っていた。

(反射、間に合ったか……。立ち止まってたのが幸いするとはな)

服に僅かだけ付いた煤を払いながら、一方通行は皮肉気に息を吐いた。
だが、そうしている内にも気配はどんどん近付いてくる。
やはり、あちらは彼の位置を把握しているようだった。そうでなければ、一度見失った相手をここまで追って来ることはできない。

(……間違いねェな。読心能力か透視能力か、とにかく俺の位置を特定する能力を持つ奴が向こうにいる)

けれど、それが分かったところでどうすることもできない。
今更あそこに戻ってその能力者を倒そうとしたところで麦野に遭遇してしまっては元も子もないし、そんな余力も残っていない。
そもそも、初撃以後は攻撃の精度が各段に落ちたことから、恐らく麦野とは別行動をしているのだろう。
戻ったところで、その能力者に追い付ける可能性は低かった。

(どちらにしろ、今は逃げるしかねェってことか)

後手に回ることしかできない自分に辟易しつつも、一方通行は再び逃走を開始した。
滝壺も向っている、管制室へと。


515 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/21(日) 23:36:04.12 ID:QLeyxKywo

―――――



(方向はこっちであってるはずだけど、一発も当らないなんてね)

自分で開けた穴を通り道としてくぐりながら、麦野は嘆息する。
片手に持った通信機は、フレンダと繋がっていた。

『麦野、どう?』

「今んとこ手応えなし。まあアイツは立体に動けるし、『一方通行』は感知能力でもあるから私の攻撃を察知してるんでしょうね」

『そっか……いぎっ!?』

突然妙な声を上げたフレンダに、麦野は溜め息をつく。
どうやら、麦野はその原因に心当たりがあるらしい。

「アンタ、骨折れてるでしょ」

『へ!? よ、よく分かったね……』

「そりゃあ、あんだけぎこちない動きしてたらね。
 そんなことよりあんまり無茶されて以降の任務に影響が出ても面倒くさいし、もう離脱しなさい」

『え、で、でも……』

「このまま行けばアイツに追い付けそうだから、もう加勢は必要ないでしょ。
 もし見失っても、管制室のちょっと前あたりで待ち伏せしてれば確実にぶつかるだろうし」

『そりゃそうだろうけど……』

「何よ、私がアイツに敵わないかもとか思ってるの?」

『そ、そういう訳じゃないよ! でも、弱体化してるからって甘く見たり油断したりしたら危ないってだけ!』
516 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/21(日) 23:36:43.36 ID:QLeyxKywo

「そんなの私だって分かってるわよ。腐っても第一位なんだしね」

『でも、本当に気を付けてよね! 勝ちそうになったら油断するの、麦野の悪い癖だよ!』

「はいはい。……それより、滝壺の位置分かる?」

『ん、ちょっと待ってね』

通信機の向こうから、暫らく電子音と機械音だけが聞こえてきた。
恐らく、フレンダが滝壺と連絡を取っているのだろう。
麦野は足を進めながらも、じっとその音に耳を傾け続けていた。

『うーん……、まだ管制室まで掛かりそうだって。やっぱりだいぶ消耗しちゃってるみたい』

「そっか。まあ今日はもう二回も能力使っちゃったしね、無理ないか」

『……やっぱり、もうちょっと急いでって言った方が良い?』

「や、大丈夫。あっちも消耗してるみたいだから」

『へ?』

「一方通行の移動距離がどんどん縮まってるのよ。この分なら、私が攻撃してるだけで十分な時間稼ぎになるわ」

話しながら、麦野は一気に三発もの極太の光線を放つ。
凄まじい破壊音が向こうにも響いたのか、フレンダが小さく悲鳴を上げた。

「それに、滝壺はあくまで保険だし。駄目なら駄目でも構わないわ」

『なら良いんだけど……』

「それじゃ切るわよ。で、アンタはさっさと離脱すること。じゃあね」

『うん。頑張ってね』

その言葉を最後に、ぶつりと通信が切断される。
麦野は物言わなくなった通信機をぞんざいに放り投げると、先へと進む速度を上げた。

管制室まで、あと少し。


517 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/21(日) 23:37:14.57 ID:QLeyxKywo

―――――



(攻撃が止ンだな)

静かになった廊下をひたひたと歩きながら、一方通行は訝しげな顔をする。
能力さえ使わなければ精神も体調も安定してくれるのか、そのお陰で体力はだいぶ回復させることができた。

(見逃そォって訳じゃねェだろォし、こっちの出方を伺ってンだろォな)

考えながら、一方通行は溜め息をつく。
つまりそれは、あちら側に彼を迎え撃つ準備があるということだからだ。

(……こっちの居場所を特定できる能力者がいたのは想定外だった。逃げたのは完全に裏目だったか)

しかし、だからと言って今更逃げ出すわけにはいかない。
今を逃してしまえば、恐らく次はもっと警備が強化されることになる筈だ。
現時点でさえこれだけ苦戦しているのに、これ以上何か対策をされようものなら手出しが出来なくなってしまう。

(つっても、あんな奴らとまともに戦って勝てる気はしねェな……)

言ってて情けなくなってくるが、多勢に無勢なのだから仕方がない。
せめて何か利用できるようなものがあればいいのだが、麦野のあの能力では普通の武器など通用しなさそうだ。
518 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/21(日) 23:37:47.24 ID:QLeyxKywo

「?」

ふと。
一方通行は、足元に張られた白いテープに気が付いた。

(これはあの金髪の……?)

そう、フレンダの使っていた発火テープだ。
これだけでも鉄板を切断できる程の威力を持つという代物だが、彼女はこれを導火線として使っていた。

(こンなモンをあっちこっちに仕掛けてたのか)

厄介な、と思いながら一方通行は眉を顰める。
どうせだから剥がしてしまおうと思ってテープに手を掛けると、彼はふとあることに気が付いた。

(……ン? つゥ事は)

彼は、延々と続いている発火テープを辿ってゆく。
そうしてずっと歩いていくと、一方通行はやがて爆薬の仕込まれているのだろう人形のもとへと辿り着いた。

(やっぱり、そォか)

少女を模した人形を、拾い上げる。
ずっしりと重い感触を確かめながら、一方通行はその人形をまじまじと見つめていた。

「……使える、か?」


519 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/21(日) 23:38:36.19 ID:QLeyxKywo

―――――



「うーん、ほんとに大丈夫かな」

麦野の指示通りに施設を出てキャンピングカーに戻ったフレンダは、シートに腰かけながらそんなことを呟いていた。
彼女たちを信用していない訳ではないのだが、相手はあの一方通行。
今は能力が不安定になっているとは言え、いったいどれだけの力を隠し持っているのか分からないのだ。

(そもそも第一位なんだし……。暴走でもされたら)

想像しかけて、彼女は身震いする。
自分だけの現実も能力の使い方や技術もかつてより遥かに劣化しているが、暴走なんてことになったらそんなことは関係ない。
それに不安定になっている以上、それは考えられない事ではないのだ。

(……結局、私はこうして待ってることしかできない訳だけど)

走行しているキャンピングカーの窓から、研究所の様子を窺う。
当然だが、こんな所から何かが見える筈もない。
ただ、時折聞こえてくる轟音は麦野の原子崩しによるものだろう。彼女の能力は、ちょっと派手過ぎるのが玉に瑕だ。

「……あ」

研究所を眺めながら、フレンダは非常に重要なことを思い出した。
そこかしこから立ち上る黒煙を目撃したからかもしれない。
それは、彼女の十八番である武器にも存在する共通点であったから。

そして彼女は、がたがたと指先を震わせながらこう呟いた。

「爆弾、回収すんの忘れてた……」

……しかし、時すでに遅し。
走り続けるキャンピングカーは、どんどん研究所から遠ざかっているのであった。


520 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/21(日) 23:39:55.06 ID:QLeyxKywo

―――――



暗闇の向こうから、足音が聞こえてくる。
大きな支柱に寄り掛かりながらその音を聞いていた麦野は、やがて暗闇の向こうから白い影が滲み出してくるのを見て顔を上げた。

「やーっと来たか。随分な重役出勤ぶりね」

しかし一方通行が手に持っているものを見て、麦野は僅かに表情を変える。
それは、ぬいぐるみの形をした爆弾。
フレンダがこの研究所のそこかしこに配置していた筈のものだ。

(フ・レ・ン・ダーッ!! 後始末しないで離脱しやがったのか)

フレンダのドジは最早恒例となりつつあるが、今回ばかりは冗談では済まない。
麦野は額に青筋を浮かべながら、今からフレンダにどんなお仕置きをしてやろうかと思案する。

「……他の奴らは?」

周囲を軽く見回しながら、一方通行が尋ねる。
フレンダが何処かに隠れていることを警戒しているのだろうか。

「下がらせたわ。アンタ相手じゃ足手纏いになり兼ねないし」

麦野は素直に答える。
そして彼女は、不敵に微笑みながらこう続けた。

「ね、一方通行」

途端、一方通行の顔が強張る。
しかし予想はしていたのか、動揺するというようなことは無かった。

(まァ、バレるよな普通)
521 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/21(日) 23:40:35.07 ID:QLeyxKywo

フレンダからの証言もあっただろうし、抑え目だったとは言えあれだけ能力を使ってしまったのだ。
仕方ないことではあるが、能力の概要を知られてしまったのは少々不都合か。

(だが、タイマン張るってンならこっちにとっても好都合!)

一方通行は爆弾人形をひとつ、麦野に向かって放り投げる。
そしてもう片方の手で鉄釘を一本掴むと、美琴が超電磁砲の時にコインを弾くのと同じ要領でそれを飛ばした。

(はぁーん、なるほど)

小さな鉄釘は、彼の能力によって莫大な力を加えられて銃弾の如き速さで人形に突き刺さる。
途端、麦野の目の前にまで迫っていた人形が起爆した。

けれど。

「力が落ちてる分を、フレンダの爆弾でカバーしようってか」

一方通行は、少なからず驚いた。
爆煙の向こうから、麦野の声。
そうして晴れていく煙の向こうに立つ彼女は、先程までと何ら変わらぬ様子だったから。

「でもそれじゃあ、自力では私に勝てないって白状してるようなものよ」

彼女の周囲には、透明な円盤のようなものが無数に展開していた。
恐らく、あれを盾にして爆発を防いだのだろう。

(あの能力、防御にも使えンのか。厄介だな)

一方通行は難しい顔をしながらも、二つ目の人形を宙に放り投げる。
それを見て、麦野は怪訝そうな顔をした。
522 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/21(日) 23:41:03.36 ID:QLeyxKywo

(? 何度やっても同じだってことはあっちも分かってるはずなのに……)

そう思いながらも、麦野は爆弾を防ぐ為の盾を構成しようとする。
と、麦野は視界の端で一方通行が身動きしたのを捉えた。

(なるほど、爆発で身動きを封じた隙に回る込むつもりか。私をスルーして本丸に突っ込んでくる恐れもある)

それだけは何としても避けなくてはならない。
少なくとも、滝壺が辿り着くまでは一方通行を管制室に行かせる訳にはいかなかった。

(けどまあ、仕掛けてくる前に)

盾を構成する為に翳されていた麦野の手のひらが、放られた人形に向けられる。
その手の中には、不健康に白い光。

(撃ち落としてしまえば良いだけ!)

麦野の手から、光線が発射される。
その光線は人形を貫き、彼女のもとに辿り着く前に爆発する、筈だった。
しかし。

「!?」

まるで人形自身が意思を持っているような動きで、人形が光線を回避する。
無傷の人形は、依然として麦野に向かってきていた。

(何ッ……!?)

これには、流石の麦野も驚いた。
そうしている間にも、人形はぐるりと有り得ない曲線を描きながら彼女に接近してきている。
523 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/21(日) 23:42:13.59 ID:QLeyxKywo

「何だ? 人形に何か仕込んで……」

言い掛けて、麦野は気付く。
風だ。
室内だというのに、風が吹いている。

(いや、アイツは無風状態の部屋の中じゃ大した風は起こせないはず……)

そして、はっとして一方通行の背後を見やる。
その向こうから、緩やかな自然の風が流れて来ていた。

(なるほどね、ここに来る前に施設を破壊しまくって風通しを良くしてくれたって訳か。ったく、こちとら必死で守ろうとしてるってのに!)

少しでも風があれば、それを増幅して人形を飛ばすことはそう難しくない。
いや、本当は相当に難しい芸当なのだろうが、一方通行の第一位としての演算能力はいまだ健在なのだ。
自分だけの現実(パーソナルリアリティ)は損傷しているものの、この程度は朝飯前らしい。

「相変わらず、厄介な奴ね」

麦野は半ば呆れながら、一度に複数の光線を撃ち出して人形を撃ち落とした。
流石に避けきれずに、人形は呆気なく爆発する。

「……数が少なけりゃ撃ち落とせるだろォが」

唐突に聞こえてきた一方通行の声に、麦野は少しぎくりとする。
人形の発した爆煙によって遮られていた視界が、開けた。

「手が回らないほど数があったらどォだろォなァ?」

一方通行の周囲、空中。
そこには、恐らく通路の陰に隠されていたのだろう夥しい数の人形が浮いていた。

「行くぞ、用心棒」

「……本っ当、どこまでも厄介ね。アンタって奴は」

麦野が、苦々しげにぎりりと歯を食い縛る。
けれど彼女は臆することなく、両手を目の前に差し出した。

「だけど。今回ばかりは譲れないわね」



537 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/25(木) 23:42:20.08 ID:MK5JSkuKo

中空を漂っていた人形たちが、一斉に麦野に襲い掛かる。
それに対して、麦野は差し出した両手から彼女の撃てる限りの数の光線を発射して迎え撃った。

しかし、それでも全ての人形を爆破させるには至らない。
彼女の能力は微調整が難しいし、的があまりにも小さく、そして多過ぎるのだ。
先程までとは打って変わって、麦野の方に分が悪い。

「チッ、小賢しい真似を……」

言いながら、麦野は絶え間なく光線を撃ち続ける。
けれどそれさえも避けて、いくつかの人形たちは麦野に接近していく。

(見たとこ、アイツの能力は弾幕を張れるよォなタイプじゃねェ。それなら……)

能力で身体能力を強化し、一方通行は壁を走る。
今は爆弾のお陰で麦野を翻弄できているが、それが切れたら自分に分が悪くなることを見越しての行動だ。
麦野から最も距離を取れる位置を保ちながら、彼は管制室を目指そうとしていた。
が。

「数で圧倒すれば押し切れる、とでも思ったか?」

その言葉と、ほぼ同時。
無数の小さな光線が、まるで部屋全体を串刺しにしようとするかのように襲い掛かった。

「ッ!?」

それが、小さく細い光線だったことが幸いした。
完全な反射には至らずとも、一方通行は光線を辛うじて弾くことができた。
多少のダメージは負ったものの、この程度ならば十分に耐えられる。
一方通行は足を止めると、部屋そのものを貫かんとする光線の嵐を見上げ、絶句した。
538 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/25(木) 23:43:05.01 ID:MK5JSkuKo

「な……」

それはまさに、光線の雨と表現するのが相応しかった。
それほどの膨大な数の光線が、次々と人形を貫いていく。これではあと数分も持たないに違いなかった。

一方通行が一瞬茫然としたその隙に、麦野は小さなガラス板のようなものを懐から取り出す。
彼女は三角形を重ねたような文様が刻まれているガラス板を上方へと弾き飛ばすと、それに向かって光線を放った。
途端、ガラス板を通った光線は拡散して無数の細い光線となる。
先程の攻撃を何とか逃れていた人形たちが、またいくつか撃ち落とされてしまった。

「拡散支援半導体(シリコンバーン)。弱点に対策を講じるのは当然だろうが」

何枚もの拡散支援半導体をトランプのように広げて見せながら、麦野は淡く笑う。

「『アイテム』を舐めるなよ。クソガキが」

麦野が、また拡散支援半導体を宙に放った。
拡散支援半導体ごしに、無数の人形たちが飛来してくるのが見える。

(フレンダのバカの所為で一手間増えちまったが、今のアイツじゃ出来てこの程度だな)

拡散支援半導体に向けて光線を放ちながら、麦野は目を細めた。
それは、落胆だろうか。
それが何に対しての、何を思っての落胆なのかは彼女にも分からなかった。

「……と、残りはあと三体か」

もう必要ないと判断してか、麦野は持っていた拡散支援半導体をぞんざいに投げ捨てる。
その片手間に放った光線が、またいくつかの人形を破壊した。
539 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/25(木) 23:43:36.66 ID:MK5JSkuKo

「どうした? まさかこの程度でもう打つ手なしなんて言うんじゃねえよなあ?」

人形たちの向こうに佇む一方通行は、俯いている。
しかし彼は俯いたままゆっくりと息を吸うと、意を決したように麦野に向かって駆け出した。

(捨て身の特攻か? くっだらねえ)

麦野が、一方通行の隣に一体だけ浮かんでいる人形を狙い撃とうとする。
しかしその前に、一方通行の方が釘を使って人形を爆発させた。

「オイオイ、しかも誤爆かよ。ほんっとお粗末……」

だが、麦野はそこで言葉を止めてしまう。
驚いたからだ。
既に全ての人形を爆発させたにも関わらず、もう一体の人形が黒煙の中から姿を現したから。

(何ッ!? どこから……)

けれど、麦野はすぐに気付く。
一方通行はすべての人形を飛ばしていた訳ではなかったのだ。
自分の身体を盾にして、もう一体を隠し持っていた。

(いや、まだ加害範囲には入ってない。落ち着けば十分撃ち落とせる……!)

人形の機動力は高いが、まだ距離はある。
拡散支援半導体は投げ捨ててしまったのでもうないが、集中して狙いを定めた上で複数の光線を放てば脅威ではない。

「……確かに、その状態でテメエは良くやった方さ」

不敵に笑いながら、麦野は人形に向かって手を翳した。
その手の中の光が放たれれば、この戦いは彼女の勝利にて終了する。

「残念だったなぁ? 一方通」


がこん。


540 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/25(木) 23:44:05.71 ID:MK5JSkuKo

―――――



「……意外と騙しやすくて助かったな」

気を失って床に倒れている麦野を見下ろしながら、一方通行は小さな溜め息をついた。
戦いは、一方通行の勝利で終わっていた。

「人形は囮。
 爆煙に紛れて、能力を使って加速した俺が既にすぐそばまで接近してることに気付けなかったのが、オマエの唯一のミスだった」

麦野のそばには、一方通行の能力支配下から外れた人形が一体、転がっていた。
彼女は結局、この人形を撃ち落とすことさえできなかった。
その前に、一方通行が彼女の意識を奪ったからだ。

(……、管制室はこの先か)

一方通行は落ちていた人形から視線を外すと、管制室へと足を向ける。
途中、ちらりと麦野を振り返ったが、それだけだった。

541 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/25(木) 23:44:34.57 ID:MK5JSkuKo

管制室に入ると、まず巨大なコンピュータのディスプレイが彼を出迎えた。
こんな状況でも稼働しているのか、ディスプレイは何かの計算結果やその過程をぽつぽつと映し出している。
一方通行はコンソールを操作して処理を中断させると、データベースを開いた。

(まずは内容の確認だな)

ディスプレイに映し出されたのは、夥しい数のファイル名。
普通ならそれを見ただけでも必要なデータの検索など諦めてしまいそうだったが、一方通行はそうしない。
この途方もない量のデータを、すべて調べるつもりでいた。

(っても、前の研究所で見たデータと同じ奴ばっかりだな。この辺は殆ど飛ばして大丈夫か)

本当にきちんと処理できているのかどうか疑わしいような速度で、一方通行はどんどん画面をスクロールさせていく。
暫らくそんなことを繰り返していると、すぐに調べるべきデータは残り数個にまでなってしまった。

(ン?)

すると。
データベースの、最下層。
その一番下に、一方通行は見たことのない動画ファイルを発見した。

「…………」

研究所の動画ファイルには、あまり良い思い出がない。
しかし、この状況ではそんな我儘も言っていられないだろう。

(何か、あるかもしれねェしな)

彼は少し躊躇ってから、恐る恐る動画ファイルをクリックした。
動画プレイヤーが立ち上がる。
そして少しのラグの後、動画が流れ始めた。
542 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/25(木) 23:45:18.96 ID:MK5JSkuKo

「……は?」

しかし。
その映像を見て一方通行が初めて上げたのは、間抜けな声だった。
それ以外の反応を、返すことができなかった。
何故なら。


『やあやあお二人さん! こっち向いてー!』

『あァ?』

『ん? 今日は何やってんだ、お前』


それは、実験映像なんかではなかった。


『いや、さっきそこでよさ気なデジカメ見つけちゃったのよねー。だからちょーっと使ってみようかと思って』

『かっぱらってきたのか』

『そうとも言う』


そこに映っている人間は、二人。
一人は、一方通行。
一人は、垣根帝督。

当たり前だが、撮影をしている人間の姿は見えない。
しかし、一方通行はその声に聴き覚えがあった。

543 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/25(木) 23:46:14.83 ID:MK5JSkuKo

『まー何でも良いけど。おっ、これ最新型じゃん。流石研究用』

『でしょでしょ? いやー良いもん見つけたわー』

『オマエ、後でどやされても知らねェぞ……』

『大丈夫だって、見つからないように盗ってきたし!』

『遂に盗ったって言いやがったぞコイツ』


垣根がカメラに近付いてくる。
その奥で、一方通行は呆れた顔をしながら二人の様子を眺めているようだった。


『つか、俺たちばっか撮ってて良いのかよ?』

『へ? 何で?』

『自分は撮んなくて良いのか?』

『あ、忘れてた』


画面ががたがたと揺れる。
恐らく、撮影者がカメラを動かしているのだろう。

そんな映像がしばらく続いた後、画面がぐるりと一回転する。
そして最初に映ったのは、白い額に掛かった金色の髪と青い帽子。
上手く自分を撮れていないようだ。

544 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/25(木) 23:47:31.41 ID:MK5JSkuKo

『オイ貸せ、俺が撮ってやる』

『おおっ、ありがと! 垣根ってば気が利くねー』

『見え透いたお世辞は気持ち悪いだけだぞ』

『そんなこと言わないでよ。ほらっ、可愛く撮ってね!』

『はいはい』


コンソールがかちかちと音を立てる。
何事かと、一方通行は手元を見下ろした。
自分の指が震え、キーにぶつかっている音だった。


『撮るぞ。良いか?』

『おっけーおっけー』


画面が一気に引く。
撮影者の姿が映し出される。

そして、一方通行は確信した。
やっぱり、そうだった。
これは、彼が戦っていた、あの、

545 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/25(木) 23:48:00.19 ID:MK5JSkuKo

『どうも! フレンダ=セイヴェルンでーす!』

『はいはい。他には?』

『えっ? えーと、暗部組織アイテムに所属してます! 無能力者です! 爆弾とか使って戦います!』

『ご趣味は?』

『鯖缶!!』

『そりゃ趣味じゃねェ。好物だ』


垣根が噴き出すのが聞こえた。
すると、画面外から誰かの足音が聞こえてくる。


『なになに、何してるの?』

『お、麦野。お前も自己紹介してみるか?』

『はあ?』


ぐるりと画面が回る。
今度は、茶色の長い髪を靡かせた少女が映し出された。


(…………俺、は、誰と)

546 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/25(木) 23:48:35.74 ID:MK5JSkuKo

それは、彼がついさっきまで戦っていた少女だった。
この手で意識を奪った。
その少女が、画面の中では楽しそうに自分たちと会話していた。


『何で自己紹介なんかしてんだよ』

『ノリ』

『アホか』

『良いから良いから、麦野もやろうよ! 結構楽しいよこれ』

『はあ?』


一応不機嫌そうな声を出しているものの、麦野は満更でも無さそうだった。
彼女はカメラの正面に引っ張り出されると、暫らく照れたように髪をいじくりながらもフレンダと同じように自己紹介を始める。


『……えー、麦野沈利。超能力者、第四位。原子崩し』

『それで、アイテムのリーダーやってまーす!』

『フレンダが紹介してどうすンだよ』

『で、趣味は?』

『しゅっ、趣味ぃ!? そんなもんねえよバカ!!』

『麦野はー、こう見えて意外と可愛いぬいぐ』


ちゅどーん、と凄まじい爆音が轟いた。
一瞬画面を白い靄のようなものが覆ったのは、恐らく垣根が衝撃波からカメラを守っていたのだろう。

547 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/25(木) 23:50:09.26 ID:MK5JSkuKo

『いい加減なこと言ってんじゃねえぞバカフレンダ!』

『ごごごごごごめんなさいいいい! 命だけは、命だけはあああ!!』

『フレンダも懲りねえなあ』

『あと麦野も鈍いよなァ』

『麦野が可愛いもの好きなことなんてみんな知ってるのにな』

『バレてないと思ってるのは本人だけだからな』


そこで、ぶつりと映像が途切れる。
あとは灰色の砂嵐が延々と流れているだけだった。

「……俺は」

その時。
こつん、と足音が響いた。

「ッ!?」

目を覚ました麦野が追って来たのかと思い、一方通行は驚いて振り返る。
しかし、そこに立っていたのは麦野ではなかった。
そこに居たのは、ここにいる筈のない人物。
いつも眠たそうにしていた瞳に今は違う光を灯した、黒い髪の少女。

「あくせられーた」

滝壺理后。
一方通行は言葉を失った。
何故、彼女がこんなところにいるのか。
548 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/25(木) 23:50:38.62 ID:MK5JSkuKo

「オマ、エ、なンでここに……」

「……私も。アイテムの一員だから」

「アイ、テム……?」

先程の映像の中にも出てきた単語だった。
アイテム。
暗部組織。
滝壺が、その一員。

「……じゃあ、絹旗も」

「そう。きぬはたもアイテム。私と、むぎのと、きぬはたと、フレンダの、四人でアイテム」

「オマエと、アイツらが……」

一方通行が俯く。
部屋は暗く電気が落とされていたので、彼がどんな表情をしているのかは分からなかった。

「ねえ、あくせられーた」

言いながら、滝壺がゆっくりと歩いてくる。
一方通行は俯いたままだった。

「お願いがあるの」

目の前までやってきた滝壷が、一方通行の顔を覗き込む。
彼女は、悲しそうな悔しそうな、とても不思議な顔をしていた。
549 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/25(木) 23:51:17.78 ID:MK5JSkuKo

「……あのね」

躊躇いがちに、滝壺が一方通行の手を取る。
包むように触れてくるその手は、とても暖かかった。


「この研究所を、壊さないで」


一方通行のてのひらが、強張ったのが分かった。
何か恐ろしいものでも見るような瞳で、滝壺を見る。

「……オマエは、何を」

「研究所を潰して回らないでほしいわけじゃないの。ここだけは、壊さないでほしいの」

「…………」

滝壺の瞳は、切実だった。
しかし一方通行は、理解できない、とでもいうような顔をしている。
そんな彼に対して、滝壺はやんわりと微笑んだ。
優しい顔だった。

「……あのね。ここは、私たちが初めて出会った場所なんだよ」

一方通行が目を見張る。
滝壺は寂しそうな苦しそうな顔をしながらも、話をすることをやめない。

「それでね、私たちはいつもここに集まって遊んでたんだ」
550 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/25(木) 23:51:46.44 ID:MK5JSkuKo

彼女がぐるりと管制室を見渡す。
それにつられて、一方通行も周囲を見回してみた。

(……見覚えが、ある)

先程見た、映像の中。
じゃれあっている自分たちが立っていた場所。
それが、ここだった。
……もしかしたら、見覚えがある理由はそれだけではなかったのかもしれないけれど。

「だから、お願い。ここだけは壊さないで。ここではもう実験関連の研究もさせないし、データも削除させるようにするから。だから……」

この感情は、何だろう。
滝壺が切願する程に、胸の奥からせり上がってくる、これは。

……彼女の言葉を、聞き入れるべきだ。
研究もしないしデータも削除するというのなら、ここを破壊する理由なんてない。
けれど。

「ね、あくせられーた」

滝壺は、懐かしそうに愛おしそうに部屋を見渡している。
だから、彼女は気付かなかった。
一方通行が、爪が食い込むほど強く拳を握っていることに。

「……あくせられーた?」

何の反応もない彼を不思議に思い、滝壺が振り返る。
そして、彼女は息を飲んだ。
時間が止まってしまったかのように、思考が凍り付いた。
……彼が、固く握ったその拳を高く振り上げているのを見て。
551 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/25(木) 23:52:22.19 ID:MK5JSkuKo

「え」

一方通行が、能力を使って本気で拳を叩き付けたりなんてしたら。
操作盤は粉々に砕かれ、中にあったデータは思い出の映像も含めてすべて破壊されてしまう。
それだけではない。
この部屋自体だって、きっとただでは済まない。
少なくともその一画は、崩れ落ちてしまうに違いなかった。

だから滝壺は、無駄だと分かっていてもそれを止めたくて彼に向かって手を伸ばした。
絶対に、この部屋だけは何としても守りたかったから。

「やめっ……」

がしゃん。
と。
音がした。

けれどそれは、滝壺が予想したよりもずっとずっと小さな音。
ただ、普通の拳が、操作盤に叩き付けられただけの音。

何も壊れたりなんてしなかった。
操作盤が、衝撃に少し音を鳴らしただけだった。
壊れたとするのなら、それは、

「……くそ」

叩き付けた一方通行の拳からは、血が滴っていた。
操作盤にぶつけた部分に、血が滲んでいる。
552 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/25(木) 23:52:53.82 ID:MK5JSkuKo

彼は、何の能力も使っていなかった。
彼の身を守る為の反射さえ。
だから、この部屋は、思い出は、何も壊されたりなんてしなかった。

「畜生……」

血で真っ赤になっているてのひらを、更に強く握り締める。
そこで、滝壺は漸く気が付いた。

自分の言葉が、彼女が幸せで暖かだと信じていた思い出が、どれだけ彼を傷つけていたのかということに。

「ごめん、なさい」

思わず。
そう、口にした。
それしか、彼にしてやれることがないと思った。
他にどうするべきか、思いつかなかった。

「ごめんなさい」

声が震える。
自分が、こんな風に悲しむ資格なんてないのに。

彼をその深淵に突き落したのは、他でもない自分自身なのに。
いちばんつらくてかなしくてくるしいのは、彼なのに。

「ごめんなさい」

一方通行は、応えない。
ただ、無言で立ち尽くしている。
553 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/08/25(木) 23:53:53.41 ID:MK5JSkuKo

「ごめん、」

「もういい」

滝壺が、びくりと肩を震わせて声を詰まらせる。
彼の声は、ひどく淀んでいた。

「……もういいンだ」

意味は分からなかったけれど、それはとても悲しい言葉のように思えた。
けれど滝壺は、それでも彼に掛ける言葉を見つけることができない。

彼女が言葉に詰まっている内に、一方通行が歩き出した。
滝壺の横を通って、出口へと。
何か言わなければならない気がして、相応しい言葉は見つからなかったけれど、それでも滝壺は言葉を絞り出した。

「あくせら、れーた」

名を、呼ぶ。
けれど、一方通行は振り返らない。

「弱くて、守れなくて、ごめんなさい」

暗闇の中へと消えて行った彼に、その言葉は届いただろうか。
滝壺は彼の足音が完全に聞こえなくなると、遂に耐え切れなくなってその場に崩れ落ちる。
スピーカーの吐き出す砂嵐の音だけが、部屋の中に響いていた。



582 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/09/07(水) 22:01:55.22 ID:ofxQ8f55o

『一方通行ー、一方通行ー』

『今度は何だ……、またカメラか』

『ちょっと来て』

『何で』

『良いから』

『俺は自己紹介なンてしねェからな』

『んー、それも面白そうなんだけど。取り敢えず来て』

『今コーヒー飲んでる』

『それどころじゃないんだってば』

『じゃァ何なンだよ……』

『麦野と垣根が喧嘩してる。そろそろ第十一学区の一画が更地になりそう』

『それを早く言えェ!!』


画面が切り替わる。


『オラァ!! さっさとくたばれや第二位ィィイイイ!!』

『冷蔵庫のプリン食ったぐらいでそんなに怒るなよ! 器が小さいぞ第四位!!』
583 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/09/07(水) 22:02:44.79 ID:ofxQ8f55o

『うるっせえ! 大体ちゃんと名前書いてあっただろうが!』

『確かに書いてあったけれども! 側面に書いてあるなんて普通気付かねえだろ蓋部分に書けよ!』

『書くスペースが無かったんだよ! 取り敢えず死ね!!』

麦野と垣根の大喧嘩を映していた画面が動き、すぐ傍に立っていたらしい一方通行を映し出す。
画面の中の一方通行は、何とも言えない微妙な顔をしていた。

『大体あんな感じ』

『くだらねェ……』

『勝手にプリン食べた垣根が悪いもん。一方通行だって楽しみにしてた缶コーヒー取られたら垣根ボコボコにするでしょ?』

『だろォな』

『でしょ?』

二人は勝手に共感しているが、そんなことをしている場合ではない。
こうしている間にも、どんどん第十一学区は更地へと変えられていっているのだ。

『……で、アイツらを止めりゃ良いンだな?』

『そうそう。じゃ、あとよろしく。上の方から許可は取ってあるから』

『上は何て?』

『『流石にやり過ぎだから思いっ切りお灸据えちゃって良いわよ』だって』

『了解』
584 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/09/07(水) 22:03:12.74 ID:ofxQ8f55o

言葉と共に、凄まじい音が轟いた。
同時に、がしゃんという音がして画面が砂嵐に覆われる。恐らく、衝撃に煽られてフレンダがカメラを地面に落としてしまったのだろう。
地面に落ちた衝撃で、勝手に録画停止ボタンが押されてしまったのだ。

「……あの頃は」

一人、管制室で映像を眺めていた滝壺が、ぽつりと呟いた。
次の動画の自動再生が始まったのか、画面には再び彼女たちの姿が映し出される。

「楽しかったな」

画面の中の彼女たちは信じられないくらい楽しそうで幸せそうで、仲が良さそうにしていた。
映像の画質が若干悪くなっているのは、先程カメラを地面に落とした衝撃で内部が損傷してしまったからだろうか。

「戻れたら、良いのに」

無駄と分かっていてもそう切願してしまう彼女の頬には、幾筋もの涙の痕が残っていた。


585 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/09/07(水) 22:03:49.09 ID:ofxQ8f55o

―――――



管制室からそう離れていない、研究所内の廊下。
一方通行に敗れ、そこに倒れていた麦野がゆっくりと目を覚ました。

「……?」

まだ寝惚けているのか、彼女の眼は虚ろだった。
しかし気絶する直前の記憶を思い出し、次々と現状を把握していくにつれ、彼女の表情は険しくなっていく。

「くそ。負けたか」

凭れ掛かっていた支柱から背中を離し、立ち上がる。
周囲を見回したが、先程の戦いによるもの以上の破壊が起こっている様子はなかった。

(滝壺は説得に成功したのか)

安堵すると同時に、胸には苦いものが残る。
つまり、一方通行は知ってしまったということだ。

「はあ。今回こそは勝てると思ったんだけどなあ」

勝ちが見えると油断してしまう癖は、どうも治ってくれそうにない。
今回だって、彼女がもっと油断せずに冷静に対応していれば勝てた勝負だった筈なのだ。
悔しい以上に、情けなかった。

「……畜生」

俯き、彼女は唇を噛み締める。
……と、彼女はそこで不思議なことに気が付いた。

(身体が……痛くない?)
586 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/09/07(水) 22:04:23.82 ID:ofxQ8f55o

気絶させられたとき、結構な力で殴られたので暫らくは痛みに苦しむハメになるだろうと思っていたのだが、それがまったくない。
いや、そもそも彼女は気絶した時そのまま地面に倒れた筈。
にも関わらず、どうして自分は支柱に凭れ掛かって眠っていたのだろうか。

「……あの野郎」

けれど、麦野はすぐにその原因に思い当たった。
だからこそ、歯軋りする。
あの、素直じゃないくせにどうしようもなくお人好しなあの少年の姿を思い浮かべる。

(わざわざ能力まで使って、人の怪我を直すとはな)

本当なら、他人に能力を使う余裕なんてなかっただろうに。
少しでも体力を温存し、他の施設の破壊に充てたかっただろうに。

(……これくらいの傷、日常茶飯事だっての)

暗部で働く彼女たちは、当然ながら危険な任務に就くことが多い。
これよりももっと酷い怪我をしたことだって、数えきれないくらいたくさんある。

しかし、そんな状況の中にあったとしても、手を差し伸べてくれる他人なんて居なかった。
そして彼女たちも、そんな境遇に慣れ切ってしまっているというのに。

(ったく……)

恐らく、これは彼なりの罪滅ぼしのつもりなのだろう。
ただただ思い出を守ろうと必死になっていただけの彼女たちを、傷つけてしまったことに対する罪滅ぼし。

「馬鹿が」

悪態を吐きつつも、麦野の表情は複雑だった。
気味が悪いくらいちっとも痛まない身体を動かして、彼女は歩き始める。
彼女の胸には、苦いものだけが残された。


587 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/09/07(水) 22:04:51.84 ID:ofxQ8f55o

―――――



「おっ」

特にやることがない……というよりも職務放棄したお陰で暇な垣根は、とある研究所でコーヒーを飲みながら寛いでいた。
我ながら暢気なものだと思うが、他にやりたいことも出来ることもないのだから仕方がない。
また、彼に率先して文句を言うような勇気のある研究員がこの研究所にいないことも彼にそういった行動を許している理由の一端であった。

「また減ってるな」

垣根が見ているのは、研究所の巨大ディスプレイに映し出されている学園都市の地図だった。
その地図の中には、ぽつぽつと明かりが灯っている部分がある。
しかし、点滅していたその中の一つがぽっと明かりを消してしまった。

「また1基、と」

明かりが灯っている部分は、すべて絶対能力進化計画に関する研究所の位置だった。
その明かりが消えてしまったということは、つまり。

「記念すべき50基目陥落か。第三位もよく頑張るもんだ」

この短期間にたった一人で、よくもこんなにたくさんの研究所を落としたものだ。
素直に称賛する。
けれど。

「……無駄に終わると思うけどなあ」
588 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/09/07(水) 22:05:30.14 ID:ofxQ8f55o

垣根は、横目でちらりと何らかのやりとりをしている研究者を見やる。
手には分厚い書類、相手にしているのはスーツを着た如何にも重役と言った風貌の男たち。
恐らく、あれは。

「次は何基になるのかね」

自嘲のような笑みを浮かべ、垣根はまた一口コーヒーを啜る。
そんな彼のすぐ傍で、研究者はにこやかな顔でスーツの男たちと握手をしていた。
契約が成立したらしい。

「すぐに、アイツも思い知ることになるだろうな」

コーヒーの苦みが強くなった気がして、垣根は顔を顰める。
彼はピッチャーを引き寄せると、コーヒーにミルクを注ぐ。砂糖も探してみたが、見つからなかったので諦めた。

「……諦めるのか、諦めないのか」

ティースプーンでコーヒーをかき混ぜる。
くるくると、黒いコーヒーの中に渦巻いていた白が溶けていった。

「諦めなかった場合、どうなるのか。……頑張って貰いたいところだけどな」

ミルクティーのような色になってしまったコーヒーを口にする。
そして彼は、口に広がる苦味の原因がコーヒーの所為ではないことを知った。


589 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/09/07(水) 22:06:05.06 ID:ofxQ8f55o

―――――



美琴の手から、PDAが滑り落ちた。
彼女の小さな手が、震えている。
全身から大量の汗が噴き出していた。

「なに、これ」

視線をのろのろと動かして、地面に落ちてしまったPDAの画面を見やる。
そこに映されていたのは、学園都市の地図だった。
先程まで垣根が見ていたものと、まったく同じもの。

……いや、少し違う。
地図上に点灯している明かりの数が、圧倒的に増えていた。

(何で? どうして? どうやってこんな短期間にこんな……)

自答し、しかしすぐに彼女は答えに辿り着いた。
何故なら彼女は、最初から知っていたから。
敵は、この学園都市そのものだということを。

(……学園都市が、全力であの実験を続けさせようとしている)

彼女は、改めて戦慄した。
学園都市の恐ろしさを、突き付けられた。

正直、なめていた、と思う。
ひとつの研究所を潰すだけでも、その被害額は凄まじいものになる。
だから100基も壊せば、あと半分頑張れば、流石に中止になるだろうと思った。
590 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/09/07(水) 22:07:00.85 ID:ofxQ8f55o

けれどその見通しはあまりにも甘過ぎたということを、彼女は思い知らされる。
その程度では、この実験は止まらない。

だって、増えた研究所の数は、

「1000基も増やすなんて、どうかしてる」

それまでの研究所の数と合わせようとして……、彼女は辞めた。
絶望するだけだ。

こんなの、止められるわけがない。
彼女の中のネガティブな部分が、彼女にそう囁きかける。
でも、諦めたくない。
美琴は後ろ向きな考えを振り払うと、落としてしまったPDAを拾い上げた。

(……でも、これまでのやり方じゃ通用しない)

どれだけ研究所を潰しても、増やされるだけなら意味がない。
それに、1000基も潰している時間は無いのだ。
それまでに上層部が一方通行の調整が完了したと判断し、実験の再開を決定してしまう可能性があまりにも高い。

(どうしたら……)

美琴は必死に考えを巡らせる。
どうしたら、この狂った実験を止められる?
誰も幸せになれない、この残酷な実験を。
どうすれば。

「……あ」
591 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/09/07(水) 22:07:31.76 ID:ofxQ8f55o

PDA上では、相変わらず赤いランプが煌々と輝いている。
異常な数の光。
満天の星空にも似た光景。
学園都市そのものが敵であるという証明の一つ。

「そうだ」

美琴が顔を上げる。
そして、空を見上げる。
学園都市は明るいから星はほとんど見えなかったが、それでも幾つか強い光を発している星が見えた。

「樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)だ」

そもそもが。
こんな狂った実験を発案したのは、樹形図の設計者なのだ。
ただの機械が、膨大な演算の末に生み出しただけの。

つまり、そこを逆手に取れば。
逆転の一手になり得るかもしれない。

(……でも)

空を見上げながら、彼女は身体が冷たくなっていくのを感じた。
夜風の所為だけではない。
彼女の身体の芯から、冷たくなっていくような。

(そこまで行ったら、もう戻ってこられない)

学園都市も、もう後には引けなくなる。
無論、彼女も。
もう二度と平穏な生活に戻ってくることは出来なくなってしまうだろう。
592 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/09/07(水) 22:08:05.32 ID:ofxQ8f55o

けれどそこまで考えて、彼女ははっとした。
そして、自嘲する。

(一万人も死なせておいて……、あんなに沢山の人を傷つけておいて、私は今更何を言ってるんだろう)

既に死んでしまった、一万三十一人の妹達。
そして、そんな彼女たちを救うべく傷つきながら苦しみながら戦ってきた一方通行をあんなに傷つけて。
自分だけは、保身に走ろうだなんて。

(醜いな。私)

例えば、ここで怖気づいてすべてを投げ出してしまったとして。
そして元の平穏な生活に戻ったとして。

一体、御坂美琴に何が残るというのか。
きっと、一生後悔する。
後悔しながら、二度と心から笑えることなく生きていく。
……そんなの、死んでいるのと同じだ。

(もう、後には引かないって。諦めないって、誓ったんだから)

胸に手を当てて、俯く。
まるで、自分の心音を確かめるように。
自ら心に問うように。

(救うんだ)

そして、美琴は覚悟を決める。
すべてを捨て、すべてを失くし、それでも前に進み続ける覚悟を。
もう、彼女は迷わない。
593 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/09/07(水) 22:08:36.35 ID:ofxQ8f55o

けれど。


「お姉様」


聞き慣れた声。
そして、もはや懐かしくさえなってしまった声が、背後から聞こえてきた。

「……黒子?」

恐る恐る、背後に振り返る。
その先には、恐れていた通りの、期待していた通りの、彼女の大切な後輩の姿があった。

「お姉様、こんな時間まで何処に行ってらしたんですの!? わたくしが一体どれだけ心配したと……」

「あ、う、えっと……ごめんね?」

上手い言葉が見つからず、曖昧な言葉で誤魔化す。
そんな彼女を見てか、白井ははあっと深い溜め息をついた。

「近頃は学校にも行ってらっしゃらないようですし。本当にどうなさったんですの?」

「うーん……、ちょっと野暮用でね。気にしないで」

「気にしないでって……無茶仰らないでくださいな。初春や佐天さんだってとても心配してるんですのよ?」

「あー、やっぱりそうだよねえ……」

例の情報の中身について初春は知らない筈だが、美琴の様子がおかしくなったのはそれからなので気にしてしまってもおかしくない。
そんな余裕はなかったとは言え、もう少し気を遣うべきだったかと今更ながら後悔する。
594 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/09/07(水) 22:09:11.26 ID:ofxQ8f55o

「それで、今まで何をなさっていたんですの? 今日と言う今日こそ洗いざらい吐いてもらいますわよ!」

「うん、それ無理」

「即答速攻大否定ですの!?」

「それはそうと、私これからまだやることあるからもうちょっと帰るの遅くなるわー。ごめんねっ」

「ええっ!? で、でしたらお姉様、どうかこの黒子も連れて行って……」

「だめだめ、プライベートなんだから。それにそろそろ門限でしょ? 私は大丈夫だけど、黒子はそろそろ帰らないと寮監に大目玉喰らうわよ」

わざと軽い調子で、いつもと同じを装う。
どうせ白井にはお見通しだろうと分かっていても、美琴はそう振る舞わずにいられなかった。

「……あ、そうだ。黒子に一つ訊きたいことがあるんだけどさ」

「なっ、何ですの?」

唐突な言葉に、白井が狼狽える。
美琴はそんな彼女を見て弱々しい笑みを浮かべると、わざと白井から顔を背けた。

「もし……、もし私が学園都市に災難をもたらすようなことをしたら、どうする?」

白井は、きょとんとした顔をした。
そして少し考えてから、首を傾げつつこう返す。

「故障自販機からジュースを失敬していることですの? アレは辞められた方が……」

「アレは新入生の時に私の万札を呑んだ自販機だから良いのっ!!」
595 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/09/07(水) 22:09:38.77 ID:ofxQ8f55o

思わずいつもと同じノリで返してしまった。
美琴は咳払いすると、すぐに元の真面目な調子に戻って言葉を続ける。

「……なんて言うのかな。もっと……、もっと学園都市の根幹に関わるものよ」

意味が分からないというように、白井は眉根を寄せる。
しかし彼女はゆっくりと目を閉じると、その言葉を胸の中で何度も反芻した。

「どういうおつもりでそのような事を仰るのか分かりかねますが……」

目を開き、美琴を見据える。
その眼差しは、とてもとても真っ直ぐだった。

「それがこの街の治安を脅かすなら、たとえお姉様が相手でも黒子のやることは変わりませんの」

……素直に。
強いな、と思った。

美琴は俯くと、白井には見えないようにそっと微笑む。
安心、した。
ただの言葉が、ここまで力強い響きを持つとは思わなかった。
596 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/09/07(水) 22:10:12.30 ID:ofxQ8f55o

彼女は俯いたまま掌で顔を覆う。
そして、僅かに肩を揺らした。

「うぅ……、どんなにお姉様お姉様言ってても、やっぱり所詮はその程度の関係よね……」

必殺泣き真似だ。
しかし白井には効果抜群だったのか、彼女はぎょっとすると慌てて取り繕おうとする。

「ち、違いますの! お姉様がそのような事を万に一つもなさる筈がないと分かっているから黒子は安心して……!」

「ほんと?」

「本当ですの!」

そう熱弁する白井に、美琴は思わず吹き出してしまった。
そこでようやく美琴が泣き真似をしていたことに気が付いた白井は、怒ったような呆れたような顔をして美琴の背中をばしばしと叩く。

(良かった)

背中を叩く白井の手から逃れようとしながら、美琴は心から笑っていた。
こんな風にじゃれ合うのはいつ振りだろうと思いながら、それでも彼女の頭の片隅には妹達のことがこびりついて離れない。
だから。

(計画の中止と引き換えに黒子に捕まるなら、それも悪くない)

……こんなやりとりも、もう出来なくなってしまうかもしれないけれど。
それでも、もう彼女に迷いが生まれることは無かった。



605 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/09/12(月) 23:15:39.99 ID:xf7ohefFo

Sプロセッサ社、脳神経応用分析所。
その一室で、一方通行は研究用コンピュータの画面をぼうっと見つめていた。

画面に映るのは、実験の映像。
ただ、ひたすらひたすら妹達が殺されていくだけの動画。
そんなものを、一方通行は焦点の合わない目でずっと眺めていた。
すると。

「Come now! なんてものを見ているの?」

不意に、背後から声。
聞き覚えのある声に振り返ると、そこにはギョロっとした目が特徴的な少女が立っていた。

「……布束砥信」

「あら。私のことを知っていたのね」

白衣を着てはいるが、その下に着ているのはいつか見たのと同じ長点上機の制服だった。
一瞬何故こんなところにいるのか、と思ったが、すぐにその理由に思い当たる。

「妹達から聞いてたンだ」

「indeed.では、あの時既に気付いていた?」

「オマエが去った後で気付いた」

一方通行は布束から目を逸らし、目の前の画面に視線を戻す。
何号かの妹達が、また殺されるところだった。
それを見て布束は珍しくむっとした顔をすると、コンピュータの電源を根っこから引き抜いて無理矢理映像を中断させた。
606 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/09/12(月) 23:16:08.07 ID:xf7ohefFo

「何しやがる」

「それはこちらの台詞よ。どうしてこんなものを見ているの」

「必要だからだ」

「why?」

布束は鋭い眼光を衰えさせぬまま、問う。
一方通行は臆さずに答えた。

「俺の記憶を補う為に」

布束が、ほんの一瞬だけ驚いた顔をした。
予想外の答えだったからだ。
しかし一方通行は構わずに言葉を続ける。

「今までは、記憶なンかどォでもイイと思っていた。けどそれじゃァ駄目だ。やっと気付いた」

「……どうして?」

「敵と味方を見分けられねェ。まずはそれをハッキリさせておかねェと話にならねェンだ」

引き抜かれたコードをコンセントに刺し直す。
そして電源ボタンを押すと、コンピュータのディスプレイに不可解な文字列が表示された。
どうやら無理な強制終了をしたお陰で、少しバグってしまったようだ。

「それに、別に殺されてるところを見てたわけじゃねェ」

「え?」
607 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/09/12(月) 23:16:52.66 ID:xf7ohefFo

「実験開始前に、少し妹達と話してるだろォが。それを聞いてた」

一方通行がキーボードで何事かを打ち込むと、コンピュータは正常に起動し始めた。
暫らくのラグの後、デスクトップ画面が表示される。

「それなら、言ってくれれば良かったのに」

「今言っただろォが」

「……変わらないわね、本当に。けれど、その映像を見るのは辛いでしょう。良ければ編集してあげるけれど」

「いい。それに、それはオマエも同じことだ」

フォルダを開き動画ファイルを再生すると、確かに実験開始直前に僅かだけ一方通行と妹達が会話している時間があった。
その内容は、実験の直前とは思えぬほど平凡なもの。
妹達の中には、微笑んでいる者さえいた。
けれど、だからこそ、こんなものを見るのは辛い筈なのに。

(やはり、アイテムと何かあったのかしら)

病理解析研究所の一件は、布束の耳にも届いている。
もちろん、彼がアイテムと交戦したことも。

(不運が重なってしまったとは言え、この子もあの子たちも運が無いわね)

あの一件以来、滝壺の様子も少しおかしくなってしまったらしい。
しかし流石に彼女たちは『仕事』もあるので、いつまでもそんな調子ではいられない。
他のメンバーの気遣いもあり、彼女の方はもうだいぶ立ち直ったそうなのだが。

(こちらはかなり重症なようね)
608 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/09/12(月) 23:17:24.49 ID:xf7ohefFo

布束は溜め息をつく。
何故なら。

「それなら、実験中のところは早送りしてしまっても構わないんじゃ?」

「……そォだな」

「…………」

一方通行は動画を止めない。
早送りもしない。
会話が終わり、実験が始まる。
先程まで楽しそうに彼と話していた妹達は、あっという間に殺された。

それはまるで、何かを再確認しようとしているかのように繰り返される。
じっと眺め続ける。

「それより」

「?」

「何か用があるンじゃねェのか。わざわざこンなところまで俺の様子を見る為だけに来たわけじゃねェだろ」

「ああ……」

言われて、ようやく布束は本来の目的を思い出した。
もちろん様子を見に来たというのもあるが、それは本来の目的のついでだったのだ。

「あなたを呼びに来たのよ。『調整』の為にね」
609 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/09/12(月) 23:17:58.67 ID:xf7ohefFo

「調整だと?」

「ええ。実験の再開に向けて、あなたの体調を整えておく必要があるの。精神の不安定も投薬なんかである程度改善できるし」

一方通行はきっと布束を睨みつける。

「……実験は再開させねェ。必要ねェ」

「sure.だけど、一応フリだけはしておかないと。
 妹達の生殺与奪を握っているのはあちらなのだから、ご機嫌を取っておくに越したことはないわ」

「刺激するなってことか」

「そういうことね」

苦笑いしながら言う布束を見て、一方通行は舌打ちをしながらも立ち上がる。
何しろ、相手は何を仕出かすか分からない狂人どもだ。
少しでも怒らせようものなら、妹達の一人くらい簡単に殺しかねなかった。

「協力的で嬉しいわ」

「うるせェ。やることが山積みなンだ、さっさと終わらせるぞ」

一方通行は布束の方を見もせずにそう言うと、すたすたと歩いて行ってしまう。
布束はそれを見て僅かだけ表情を緩めると、その後をついて部屋を出て行った。


610 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/09/12(月) 23:18:53.27 ID:xf7ohefFo

―――――



調整室。
その内部には、妹達調整用と思われる無数の培養器がずらりと並べられていた。
無論、その中には何も入っていない。
現存するすべての妹達は、既に調整を終えいつでも実験に投入できる状態にされているからだ。

そんな部屋の中で、一方通行は巨大なコンピュータ前の椅子に座らされていた。
傍では布束が無数のコードや薬剤の準備をしている。

「実験動物みてェだな」

ぺたぺたとコードを張られながら、一方通行がぼそりと呟く。
それを聞いた布束は少し意外そうな顔をした。

「知らなかったの?」

「……まァ、被験者と実験動物はほぼ同義か」

「Exactly.似たようなものよ」

そんなことを言われても、一方通行は無感動な瞳をしているだけだった。
横目でそれを見ながら、布束は薬剤を注射器に注入していく。

「注射は?」

「入院中に散々やられた」

「なら、問題ないわね」

淡々と言うと、布束は躊躇いなく一方通行の腕に注射器を突き刺した。
当の一方通行もそれに文句を言うことなく、ゆっくりと減っていく透明な液体をじっと見つめている。
611 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/09/12(月) 23:19:50.91 ID:xf7ohefFo

「どれくらい掛かるンだ?」

「そんなに掛からないわ。少し辛抱して頂戴」

布束は注射し終わると、一方通行が繋がれているコードの先である機材の画面を覗き込む。
彼も真似して画面を覗き込んで見たが、専門用語なのかさっぱり内容を理解することができなかった。

「……やはり、自分だけの現実の損傷が激しいわね。能力はどの程度?」

「集中さえすりゃ反射はほぼ完璧に展開できる。出力は以前の半分以下」

「ただでさえ記憶喪失の所為で出力が落ちているのに……」

「それだけでも、実験の再開は絶望的なンじゃねェのか」

それは、希望的観測を含んだ言葉だった。
だが、布束はそれを一蹴する。

「まさか」

「……」

「あなたへの負荷を考えないのならば、能力を取り戻す方法なんていくらでもあるわ」

言いながら、布束が僅かに眉を顰める。
専門的なことは何も分からないが、それは少なくとも人道的な方法ではなさそうだ。
しかし、そう思いながらも一方通行はまるで他人事のように平然としていた。

「それに」
612 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/09/12(月) 23:20:13.70 ID:xf7ohefFo

布束の言葉が続くとは思っていなかったので、一方通行は思わず視線を上げる。
すると、ちょうど彼女と目があった。

「あなたの記憶を取り戻す方法が、一つだけあるわ」

一方通行が、目を大きく見開いた。
そしてすぐに何かを言おうとしたが、それを布束に制される。

「あまり良い方法ではないわ」

「……どォいうことだ」

「以前の記憶を取り戻そうとすると、今の記憶は無くなってしまうのよ」

それだけ言うと、布束は彼から目を逸らして作業を再開した。
けれど、一方通行はじっと彼女を見つめ続けている。

「本来洗脳装置(テスタメント)はそういう使い方をするものではないから、融通が利かないの。
 一度、あなたの記憶を空白で上書きした後に……つまりもう一度記憶喪失にした後で、以前の記憶を更に上書きすることになるわ」

「空白で上書きしないまま以前の記憶を植え付けたらどォなる?」

「さあ? ただ、同一領域上に互換性の無い記憶を上書きすることになるから、記憶が混乱して最終的には人格が崩壊してしまうんじゃないかしら」

つまり、記憶を取り戻したいのなら今の記憶は絶対に失ってしまうことになる。
どちらか一方しか、選べない。

以前の記憶を取り戻したいという気持ちは、もちろんある。
ただ、今の記憶と引き換えにしてまで取り戻したいかと問われると、答えに迷う。
それに以前の記憶を取り戻すということは、即ち第一位の能力をほぼ完全に取り戻すということだ。
それが、実験の再開を加速させてしまうのではないかという不安もあった。
613 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/09/12(月) 23:20:46.95 ID:xf7ohefFo

「別に、今すぐに答えを出さなくても良いわ。どちらにしろすぐには取り戻せないでしょうし」

「どォしてだ」

「あなたの記憶のある場所と言うのが……、少し厄介な場所なの。
 まあ、あなたが記憶を取り戻すという意思表示をすればすぐに返してくれるでしょうけれど」

「?」

意味は分からなかったが、どうせすぐに答えが出せるような問題ではないので一方通行はそれ以上深く考えなかった。
布束は相変わらず画面を覗き込んでいる。
彼女が機械に何事かを打ち込むと、コードが取り付けられている部分がぴりぴりと痺れた。
それが何だかむず痒くて、一方通行は僅かに身動ぎする。

「能力にしても、今すぐに取り戻す必要はないしね。実験の再開まではまだもう少し掛かるでしょうし」

「どれくらい掛かる予定なンだ」

「一月ほど、かしら。それだけあれば、こうした調整だけでもかなり能力を取り戻すことができる筈よ」

布束はポートフォリオに何事かを書き込むと、救急ワゴンの上で薬の調合を始める。
一方通行はそれをじっと眺めていたが、暫らくすると布束が彼の身体に張り付けられていた電極を外していってくれた。

「はい、終わったわ」

「ン」

「それから、この薬を毎日三回飲んで。一種類につき二錠ずつよ」
614 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/09/12(月) 23:21:33.00 ID:xf7ohefFo

「面倒くせェ……」

「そう言わないで。妙な手段で無理やり能力を取り戻すことになるのは嫌でしょう? あなたの為なのよ」

「……分かったよ」

不満そうな表情を隠そうともしなかったが、一方通行はそれを素直に受け取った。
薬の入った袋の中身を見れば、かなりの種類の薬が入っている。
これでは薬だけで満腹になってしまいそうだ。
一方通行はげんなりしながら薬を袋の中に仕舞うと、ふと布束がじっと自分を見下ろしてきていることに気が付いた。

「あなたも、難儀な運命を背負ったものね」

「…………」

「他の研究者たちが言うには、あなたは相当な才能を持った能力者だそうだけれど。
 そんなあなたでも、通常の方法で絶対能力に到達するには二五〇年も掛かる。……絶対能力って、いったい何なのかしら」

「二五〇年、か」

口の中で、呟く。
、と。

「!」

一方通行が、がたんと音を立てて唐突に椅子から立ち上がる。
あまりにも突然の出来事だったので、流石に布束も驚いたようだった。

「どうしたの?」

「……いや。調整はこれで終わりなンだよな?」

「ええ。何か用事が?」

「そンなモンだ。ちょっと行ってくる」

それだけ言うと、一方通行はあっという間に調整室から出て行ってしまった。
それこそ、布束が声を掛ける隙もない程に。
残された彼女は茫然としながら、からからと開閉を繰り返す扉を見つめていた。

「……何だったのかしら」



623 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/09/22(木) 22:07:24.78 ID:F3zVuf3Co

とある研究者の資料室。

そこで、一方通行は山と積まれた資料を漁っていた。
ディスクだろうが紙媒体だろうが、関係ない。とにかく片っ端に、すべての資料の隅から隅までに目を通している。
彼の求めているものの在り処を、見つける為に。

(そォだ。施設を破壊して回ったンじゃ埒が明かねェ。今回みてェに、研究を引き継ぐ他の施設が現れるだけだ)

ファイルのページを捲りながら、一方通行はその内容を凄まじい速度で頭に叩き込む。
全てのページを見終わると、彼はまた新しいファイルを手に取った。

(だから、別の方法を探すしかねェンだ。もっと根本的に、この計画そのものの必要性を感じなくなるよォな……)

相手がこの実験に必要性を感じている内は、きっと計画を中止させることは出来ない。
何が何でも、それこそどんな手を使ってでも続けさせるだろう。
故に、強制的に計画を中止に追い込むのではなく、研究者たちが実験に必要性を感じなくなるようにする。
……例えば。

(代替案。妹達を殺さずに絶対能力になる方法を、提示する)

そのヒントは、計画の一番最初。
実験概要の項目に、既にあった。

(あの、二五〇年法。アレをなンとかして発展させられねェのか)

一方通行に通常のカリキュラムを施した場合、絶対能力に進化するのに二五〇年の月日を要する。
この方法は現実的ではない為、妹達を殺害して進化するという方法が編み出された。

(だが、確か寿命を克服したっつー論文を読ンだ記憶がある。絶対無理、って方法じゃねェ筈だ)
624 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/09/22(木) 22:07:58.22 ID:F3zVuf3Co

けれどその時は大して興味が無かった事柄だったからか、流し読みしてしまったらしい。
記憶が曖昧だった。
あの論文をもっときちんと読んでおけば良かった、と後悔しても今更だ。
何処で見たかも忘れてしまったその論文を、彼は探し求める。

(それなりに重要な論文として扱われてたはずだから、必ずこの資料室にもある筈……)

ページを捲る。捲る。捲る。捲る。捲る。
そして。
一方通行は、とあるページに辿り着く。

(あっ、た……!)

彼は、遂に見つけ出した。
一筋の希望。
唯一の手掛かり。
寿命を克服したという医者の、論文。

(……機械を、開発……生命維持装置……? これを……、負の遺産、寿命、いや生命さえ……)

食い入るように論文に見入る。
そこには、彼の求めていることが全て記してあった。
その医者が開発したという生命維持装置によって引き延ばせる寿命は、実に一七〇〇年。
必要なのは二五〇年なのだから、十分すぎるほどだ。

(これさえあれば、いや、これを作った奴の協力を得られれば……。寿命に関するヒントだけでも構わねェ。筆者は……、)

そこで。
一方通行は、凍り付いた。

知っている人間の名前が、そこにあった。
彼も、美琴も、上条も、御坂妹も、よく知っている人物。
だからこそ、一方通行は驚愕した。
まさかあんな善良を絵に描いたような人間が、こんな神への冒涜とも言える研究を行っていたことに。

(……マジかよ)

筆者の名前に釘付けになってしまっている一方通行の、背後。
一人の男が、近付いて来ていた。
しかし、一方通行は気付かない。
そうしている内にも、その男はゆっくりと彼の背後へと迫っていた。
そして。
625 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/09/22(木) 22:08:37.59 ID:F3zVuf3Co

「おいこらクソガキ、何勝手に人の資料漁ってやがる」

こすん、と。
それこそ、親が悪戯をした子にするように、軽く小突いただけ。
……だった、が。

「ッ!?」

一方通行は驚愕に目を見開き、後ずさる。
背後に立っていた木原数多から、距離を取るようにして。
まるで、唐突に現れた敵を警戒するかのように。

「…………」

「……あ、」

「チッ」

木原は舌打ちだけすると、一方通行に背を向けて部屋を出ようとした。
その後ろ姿に何か言葉を掛けようとしたが、何も出てこない。

何を言うべきなのか分からなかった。
記憶喪失の彼は、以前の自分が木原数多とどのような関係にあったのか知らなかったから。
しかし、そこに。

「おおっ、早速じゃれ合ってたのか? 久々だってのに流石は疑似親子だなー」

馬鹿みたいに明るい、垣根の声。
出入り口に現れた彼は、ちょうど木原の進路を遮る位置に立っていた。
だから木原も、部屋を出ようにも出ることができない。
626 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/09/22(木) 22:09:08.22 ID:F3zVuf3Co

「……ん? あれ? 何か雰囲気おかしくねえ?」

「…………」

「……え?」

「あれ? なんか俺変なこと言ったのか? 俺の所為? これ俺の所為?」

今更になってようやく違和感に気付いた垣根が慌てだす。
すると木原は再び舌打ちをし、出入り口の前に立ち塞がっている垣根を押しのけようとした。

「おいクソガキ二号、そこ退け」

「あ、悪い」

垣根は素直に道を開けると、すたすたと歩いて行ってしまう木原を茫然と見送る。
未だに何が何だか分かっていないらしいが、もっと混乱しているのは一方通行の方だ。

「今の何だ? どうかしたのか?」

「……いや。それより……、アイツは誰なンだ?」

「誰ってお前……」

垣根は困ったように眉根を寄せて……、そこでやっと気が付いた。
二人の間で、認識と対応が食い違っていたのだ。

「ああ、そういうことか。おっさんらしくねえな」

「だから、アイツは誰なンだよ」
627 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/09/22(木) 22:09:46.59 ID:F3zVuf3Co

「さっきも言っただろ。お前の親父……のような人。育ての親っつうの?」

「お……、親ァ?」

一方通行は自分の耳を疑った。
あの、顔に刺青を入れた如何にも怖そうな、しかもかつては彼を容赦なくぶん殴った研究者が自分の育ての親だと?
そんなことを考えていると、まるでそれを見通したかのように垣根はこう言った。

「ちなみにおっさんがお前をぶん殴ってるのはいつものことだったからな」

「……どンな親だよ」

「まあ厳しかったな。悪いことしたらすぐ拳骨だし。俺も良く鉄拳制裁に巻き込まれた。
 ああ、ちなみにおっさんがお前のぶん殴れるのはお前のことをよく知ってるからだそうだ。えーと、思考パターンを読んでるんだっけ?」

「それでどォやったら反射を破れるンだよ……」

「具体的には、反射膜に触れた瞬間に拳を引いてるらしい」

「……俺の反射は光だって無意識反射できるンだぞ? その反応速度に対応するとかどンな化物だよ」

「化物には違いねえな。何しろ、第一位と第二位を揃ってクソガキ扱いするような研究者だ」

言いながら、垣根は懐かしそうに笑った。
……しかしよくよく考えてみれば、木原もまた垣根と目的と同じくして――恐らくは一方通行の為に――行動していたのだ。
自分と垣根が親友だったように、木原ともそれに類する関係であったとしても何らおかしいことはない。

「で、お前何したの?」

「何って、なンだよ」
628 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/09/22(木) 22:10:18.23 ID:F3zVuf3Co

「すっげ気まずそうにしてたじゃねえか。超珍しいぞ、おっさんのあの顔」

「……あー」

一方通行がばつが悪そうに目を逸らす。
すると、垣根は興味津々といった風に顔を寄せてきた。うざったいのだが、かつてはこれが普通だったのだろうか。

「なになに?」

「…………。頭小突かれて、すげェ怯えた顔した……、と思う」

「あーそれは傷つくわ。俺だったら死にたくなるわ」

「ついこの間まで平気で攻撃してた奴が何を」

「お前なあ……。ま、アレは事情が事情だから仕方なかったんだよ。それに、俺はそういう切り替えできる人間だから」

「……木原は?」

「そりゃできるだろうさ。大人だからな。
 ただ、あっちはお前が自分に関する事情も知ってると思ってただろうから予想外な反応をされてばつが悪くなったっていうアレだ」

「……やっぱり悪いことしたか」

「まあおっさんも不用意だったから、お前が全面的に悪いわけじゃないが。これ以上気まずくなる前に手は打っといた方が良いだろうな。
 こういうのってずるずる続くし」

やけに詳しいが、実体験をもとにしているのだろうか。
そんなことを思いつつも、藪蛇になりそうな気がしたので一方通行はあえて突っ込まなかった。
629 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/09/22(木) 22:10:51.61 ID:F3zVuf3Co

「とは言え、次会った時にあっちが気にしてないようならそれで良いと思うぞ」

「ふゥン……」

「ところでお前、こんなところで何してたんだ? そんなに資料引っ繰り返して」

「あァ。実験を何とかする為の手掛かりを探してたンだ」

「手掛かりぃ? こんな所でか」

垣根が胡散臭そうに床に積まれているファイルを手に取る。
ここに収められている資料はすべてきちんとしたものである筈なのに、彼がどうしてそんな顔をするのか一方通行には分からなかった。
すると、垣根の方からその理由を教えてくれた。

「こんな資料室はおろか、書庫(バンク)や学園都市の最深部の情報を漁ったって何も見つからなかったんだぞ?」

「まァ、実験を止める方法はな」

「は? 実験を止める方法を探してるんじゃねえのかよ」

「……ひいては、そォするつもりだが」

「?」

垣根が首を傾げる。
一方通行はそんな彼を見て溜め息をつきつつも、二五〇年法について説明してやった。

「なるほどなあ。確かにそれはなかなか面白い方法だ」

「……試したのか?」
630 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/09/22(木) 22:11:22.15 ID:F3zVuf3Co

「いや。ただ、……まあ、な」

歯切れの悪い言い方に、一方通行は眉根を寄せた。

「何だ?」

「具体的に、どうするつもりなんだよ? 二五〇年も生きられねえだろ、お前」

「それについては……、何とかできる、かもしれねェ」

「……それに、仮に寿命を何とかできたとして、だ。あのマッドサイエンティストどもがそんな時間の掛かる方法を許すと思うか?
 自分が生きてる内に結果が出ない方法なんかで納得してくれるとは思えねえな」

「それは……」

「それだけじゃねえ。お前、こんな下らねえことの為だけに二五〇年も生き続けるつもりなのか。意味分かってるのか?」

一方通行が言葉に詰まる。
それを見て、垣根は深く溜め息をついた。

「……マッドサイエンティストどもを丸め込む方法なら、俺も木原も一緒に考えてやれるさ」

垣根は床に積まれているファイルをひとつ手に取った。
そして適当にそれを捲りながら、言葉を続ける。

「ただし、流石の俺たちでも二五〇年は生きられねえぞ」

最後のページまで捲ってしまうと、垣根はファイルを本棚に仕舞う。
そして、床からまた一冊のファイルを拾い上げた。
631 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/09/22(木) 22:11:50.36 ID:F3zVuf3Co

「いや、ぴったり二五〇年生きるって訳でもねえ。その後に絶対能力についていろいろ調べられるだろうし……。
 それに……、これはただの俺の想像だが、恐らく延長した二五〇年間、お前はまったく年を取らなくなるはずだ。
 今すぐ寿命を止めて二五〇年を経たのちに平均寿命の八〇歳まで生きたとして……、ざっと三一五年。……気が遠くなるな」

拾い上げたファイルを、今度は読みもせずに本棚に仕舞う。

「対して、俺たちが生きられる期間はあまりに短い。俺が今十七だから、お前と同じように八〇歳まで生きたとして残り六十三年だ。
 木原はもっと年食ってるから、お前と居られる時間は更に短い」

すとん、と小気味良い音を立ててファイルが本棚に仕舞われる。
一方通行はそれをじっと眺めていた。

「……それから、妹達もだな。アイツらは寿命の短いクローンだから、仮に生き延びることができたとしてもあと四〇年程度か?」

垣根も、一方通行を見つめ返す。

「お前は、あと二五二年も一人で生き続けるつもりなのか」

一方通行は、眉間に深い皺を刻んでいた。
しかし、彼としてもそういったことを考えていなかった訳では、無いだろう。
ただ、考えないようにしていた。
想像しただけで気が遠くなるような、胸が苦しくなってしまうような、そんな未来を。

「……仕方、ねェだろ。それしか方法がねェンだ。我儘なンて言ってられる状況じゃねェ」

「まあ、そりゃそうなんだが……」

「今更かもしれねェが。妹達の為なら、それくらいやってやる。むしろ、その程度で済むなら安いモンだ」

「お前な……。本当に分かってるのか? 死ぬより辛いかもしれねえぞ」

「構わねェよ」
632 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/09/22(木) 22:12:30.39 ID:F3zVuf3Co

一方通行は手に持っていたファイルを、本棚に収めた。
垣根もそれに倣ってか、まだまだ床に放置されている大量のファイルを持ち上げて本棚に仕舞い始める。

「……なァ」

「何?」

「ここ、後任せてイイか?」

「ん? どっか行くのか?」

「あァ、寿命を何とかできるかも知れねェ奴のとこにな。交渉しなきゃなンねェし」

「それなら別に良いぞ。どうせお前のことだから断っても押し付けてくだろうし」

「……前の俺はそンなに傍若無人だったのか」

「今のお前は親友の俺がびっくりするほど丸くなってるよ」

垣根が苦笑いしながら言うと、一方通行は少しむっとした顔になった。
かつて傍若無人だったことと今丸くなっていること、どちらに対してそういった顔をしたのかは分からないけれど。

「ま、行くなら行って来い。早い方が良いだろ」

「そォだな。あと頼む」

「おお」

垣根が返事をするより早く、一方通行は部屋の出口へと駆けて行く。
そしてその扉を開こうとしたところで、彼は唐突にこちらを振り返った。
633 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/09/22(木) 22:13:02.57 ID:F3zVuf3Co

「……それから」

「ん?」

「オマエ。……それ、不自然だぞ。作ってる感じがする」

垣根は一瞬きょとんとした顔をして、……ばつが悪そうに笑った。

……一方通行は、つまり。
わざと親しい風を装って、無理に『親友らしく』演じているのではないか、と。
そう指摘したのだ。
まるで、かつての絆を補おうとするかのように。

「ばれたか」

「前の俺は、そンなに鈍感な奴だったのか」

「……よく考えればそれもそうか。馬鹿なことしたな」

「別に。作ってるって分かってても、やりやすくはあった」

「そうかい」

垣根は情けない笑顔を浮かべると、出て行こうとする一方通行に向かって軽く手を振った。
一方通行もそれを横目で見ながら部屋を後にする。

……閉まりかけた扉の隙間から、ほんの少しだけ一方通行が手を振り返しているのが見えて、垣根は思わず笑ってしまった。



642 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/10/01(土) 21:19:57.88 ID:mplvooZ9o

夕暮れの赤に染まった学園都市は、とても美しかった。

第七学区を一望できる高台に、美琴は立っている。
特に、何を見ているという訳ではない。
ただぼんやりとそこに立ち、赤く色づいた学園都市を眺めている。

彼女は緩やかな風に髪を靡かせながら暫らくそこに立ち尽くしていたが、やがて懐から携帯電話を取り出した。
表示されている時刻は、PM6:38。
待ち受け画面には、美琴が友人たちとふざけて撮った写真が映し出されている。

(……みんな、私の友達だったからって変な目で見られないと良いな)

それは、これから彼女が失うことになるものだった。
それから。

(あいつも)

上条当麻。
彼とももう、これで最後になってしまうのだろう。

……惜しいとは、思う。
それでもこうする道しか、もう彼女には残されていなかった。
だから。

(…………)

目元を拭う。
何を拭ったのかは、自分でもよく分からなかった。
643 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/10/01(土) 21:20:32.66 ID:mplvooZ9o

『続きまして、週間天気です』

飛行船から、機械音声が聞こえてくる。
音がそこらじゅうに反響して、耳障りだった。

『樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)によりますと、今週は……』

樹形図の設計者。
気象データ解析という建前で学園都市が打ち上げた人工衛星『おりひめⅠ号』に搭載された、世界最高のスーパーコンピュータ。
月に一度、地球上のすべての空気の粒子の動きを完全に予測して一ヶ月分の天気をまとめて演算し、
他の日は学園都市に数多ある研究の予測演算に使われているという。
そして――――

「おっすー」

不意に背後から聞こえてきた声に、振り返る。
そこには、補習帰りといった様子の上条が立っていた。

「そっちも補習か? 御坂」

「ああ、アンタか」

つい先程まで彼のことを考えていたお陰で、一瞬ぎくりとしてしまったのは秘密だ。
コイツはどうせ鈍感だから、何にも気付いてなんかいないだろう。
いつもはイライラしてしまうようなコイツの悪いところではあるけれど、今だけはその鈍感さに感謝する。

「こんなとこで何してんだ?」

「んー……、別に何も。学園都市を眺めてるってとこかな」
644 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/10/01(土) 21:21:00.19 ID:mplvooZ9o

「学園都市を、ねえ……」

言いながら、上条も手すりに近付いてくる。
いきなり隣に立ってきた彼に少しどきりとしてしまったのは、気のせいだと思いたい。

「おっ、良い眺めだな」

「で、でしょ? 今はちょうど夕暮れだしね」

「たまにはこうしてのんびりするのも良いなあ」

暢気に景色なんて眺めている上条を見ていると、これからしなければならないことなんて忘れてしまいそうだ。
特に何をしているという訳でもないのに、何故か楽しくて、そして平和だった。
これが最後なのだと、強く意識しているからかもしれない。

「……あ、そう言えばさ」

「ん?」

「最近、妹の方見掛けないよな。お前なんか知ってるか?」

「ああー……」

もちろん、心当たりはある。
けれどそれを彼に言う訳にはいかない。

「あの子、ああ見えて忙しいからね。アンタも知っての通り生い立ちが特殊だし。って、前もこんな話しなかったっけ?」

「えっ、そ、そうだっけ?」
645 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/10/01(土) 21:21:30.93 ID:mplvooZ9o

「そうそう、あの子が忙しそうだなーって話。まあ適当に駄弁ってただけだし、覚えてなくても仕方ないけど」

上条が、ほっと胸を撫で下ろす。
学園都市を眺め続けている美琴はそれに気付かなかった。

「そう言えば、鈴科のことなんだけど……」

『八日は午前中は晴れ』

飛行船の機械音声。
再び聞こえてきた耳障りな音に、二人は空を見上げた。

『午後は十五時一〇分から五〇分までにわか雨が降りますので、この間は洗濯物を干すのは避け、外出する際は傘をご用意ください』

二人の真上を飛んでいた飛行船が、みるみる遠ざかって行く。
すると、飛行船を眺めていた美琴がぼそりと呟いた。

「――――私、あの飛行船って嫌いなのよね」

「あん? 何でだよ」

飛行船から美琴の方に向き直り、上条が不思議そうな顔をする。
彼からすれば、恐らく明日の天気を教えてくれる便利な代物でしかないのだろう。
アレに対する一般的な認識は、殆どそうだ。
それで、正しい。

けれど。
天気を完全に予報してくれる、便利なスーパーコンピュータ。
即ち、樹形図の設計者は。

二万人のクローンの製造と殺害を指示した超高度並列演算器(アブソリュートシミュレーター)でもあるのだ。

「機械が決めた政策に人間が従ってるからよ」

そう。
二度とあんなイカれた指示なんか出せないように、計画を改竄した上で破壊しなければならない。


646 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/10/01(土) 21:22:01.69 ID:mplvooZ9o

―――――



「……アイツ、どうしたんだろ」

美琴と別れ、一人で帰路に着く上条は、ふとそう零した。
何となく感じた、という程度のものでしかなかったけれど。
只ならぬ雰囲気だった、と思う。

そこまでは、いくら鈍感な上条でも気付くことができた。
お陰で、鈴科のことについて訊きそびれてしまったのだから。

「俺たち、友達なんだよな?」

それは、間違いない筈だ。
最初に会ったとき、美琴自身がそう口にしたのだから。
そして先程のやり取りを見ても、そこそこ仲の良かった友達なのだろうと思える。

「友達なら、相談してくれれば良かったのに」

そこで、上条は漸く今まで考えていたことが全て口に出ていたことに気が付いた。
幸い周囲に人はいなかったが、妙にこっぱずかしい。

(何か話しにくいことなのかなー。やっぱり女の子だし……)

しかも年下だ。
その上自分は異性だし、流石に相談しにくいことだって山ほどあるだろうが。

(結構、思い詰めてる感じだったしなあ)

一人で抱え込んでいて大丈夫だろうか。
心配ではあるが、詳細が分からないし自分が首を突っ込んで良いことなのかも分からない以上、手の出しようがなかった。
647 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/10/01(土) 21:22:38.41 ID:mplvooZ9o

(それから、鈴科。メルアドと電話番号を教えて貰ったのは良いけど、全然連絡付かねえし……)

やはり彼が想像した通り、喧嘩してしまったのか。
もしくは御坂妹のようによっぽど忙しいのか。
あるいは、上条のように携帯を壊してしまって、そのままになっているのか。

色々と想像はできるが、どれも直接鈴科という人物に会って確認してみないことには分からない。
せめて顔でも分かればいいのだが……。

(写真も前の携帯に入ってたんだろうなあ……。うう、やっぱりダメもとで通学路でも探してみようか)

確実に怪しまれることになるが、特徴くらいは訊いておくべきだったかもしれない。
上条もまた、それほどに追い詰められていた。
かつて友人だったらしい人間とこうまで連絡が付かないというのは、どうしても気持ちが悪い。
もしかしたら、鈴科の方でも何かあったのかもしれなかった。

(駄目だ。深みにハマっている……)

とは言え、誰かに相談できるような問題でもない。
上条は頭を抱えるが、そうしたところで何か名案が思い付くはずもなかった。

(やっぱり誰かに訊ければ楽なんだろうけど、それで記憶喪失がバレたら最悪だし……)

上条の懸念は、その一つのみに尽きた。
記憶喪失の露見。
それだけは、絶対に避けたい事態だった。

だからこそ彼はそのことについて臆病にならざるを得ない。
どんなリスクも避けるべきだった。
648 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/10/01(土) 21:23:10.97 ID:mplvooZ9o

(……そうだよな、やっぱり駄目だ。根気強く電話していれば、いつかほとぼりが冷めた頃にでも返事だってしてくれる筈だし。きっと)

脳裏に浮かぶのは、白い少女の笑顔。
あの笑顔だけは、何としても守り抜かねばならなかった。
だからどんなに心苦しくても、他の全ては後回しにしなければならない。
何故なら、それが彼の最優先事項だからだ。

(っと、もうこんな時間か。早く帰らないとな)

ちらりと携帯で時間を確認してみたところ、美琴と話していたからかもうだいぶ遅い時間になってしまっているようだった。
家ではインデックスが待っている。早く帰らなければ。

(あんまり遅れると噛み付いてくるからってのもあるけど、可哀想だもんな)

インデックスはこの学園都市に来たばかりなので、友人も殆どいない。
最近は隣人である土御門の妹と仲良くしているようだったが、彼女はエリートのメイド故に忙しいらしくそこまで頻繁に会えるわけではない。
よって、インデックスのまともな話し相手は自分くらいしか居ないのだ。

(せめて友達でも作ってあげられれば良いんだが)

しかし立場上学校に通わせる訳にはいかないらしいし、そもそも上条にそんな経済力もない。
その上インデックスは立場上とても狙われやすいので、無闇に外を出歩かせるのもあまり良くないだろう。
何より学園都市はちょっと路地裏に入っただけで世紀末状態なので、そんな場所を何も知らないインデックスに歩かせるのは上条の心臓に悪かった。

(何とかしてやれないかね……)

溜め息をつきつつ、帰路を急ぐ。
夕陽が既に沈みかけていた。


649 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/10/01(土) 21:23:45.90 ID:mplvooZ9o

―――――



バスが走っている。
その中の適当な席に座っている美琴は、ぼうっと外の景色を眺めていた。

『本日は学園都市観光バスをご利用いただき、誠にありがとうございます』

バスの中は人もまばらだった。
大覇星祭のような特別な期間以外に一般人が学園都市に観光に来るなんてことはまず無いので、観光客も圧倒的に少ないのだ。
美琴の隣の座席にも、誰も座っていなかった。

『当バスは第二十三学区宇宙開発エリア行きです』

だから美琴は、ゆっくりと物思いに耽ることができた。
色々な、本当に色々なことを考えていた。

『宇宙開発エリアはその名の通り宇宙産業を専門とする施設が多く集まり、最先端のロケット発射場を持つ学園都市宇宙センターです』

今までのこと、これからのこと。
そして、今まさに行おうとしていること。

『世界最高のスーパーコンピュータ『樹形図の設計者』との交信を行う情報送受信センターなどが……』

完全下校時刻が近かった。
その所為なのか道路には車が多かったが、バスは順調に走っている。
その、向かう先には。


650 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/10/01(土) 21:24:16.79 ID:mplvooZ9o

―――――



「暫らく来ることができずに申し訳ありませんでした、とミサカは謝罪します」

段ボール箱の中の猫が、応えるようにしてにゃあと一声鳴いた。
御坂妹は猫のそばにしゃがみ込むと、手に持っていた菓子パンを猫のそばにそっと置く。

「他の妹達に餌やりは頼んでいたものの、自重しない個体が多いので少し心配していたのですよ、とミサカはイヌに呼び掛けます」

すると、イヌと呼ばれた子猫はそれに返事するようにして鳴いた。
この猫は彼女たち欠陥電気の放つ微弱な電磁波に怯えない賢い猫なのだが、それでも電磁波が苦手であることは変わらない。
だから御坂妹はイヌのことを思って、いつもその様子を観察するだけに留めていた。

「とは言え、ミサカはもうすぐここに来ることができなくなってしまうかもしれません、とミサカは正直に告白します」

イヌはじっと御坂妹を見つめている。
彼女はそれを見て微笑むと、少し躊躇ってから、イヌの頭を優しく撫でた。
イヌは少し驚いたようだったが、逃げたりはしなかった。

「あなたがミサカたちを見分けられないことを祈ります、とミサカはおかしな心配をします」

イヌはにゃあと鳴くだけで、分かってるのか分かっていないのかなんて判断しようが無い。
御坂妹はイヌから手を離すと、菓子パンの空き袋を段ボール箱の中から拾い上げた。
651 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/10/01(土) 21:24:52.80 ID:mplvooZ9o

「短い間でしたがあなたと居られて楽しかったです、とミサカはイヌに感謝します」

「にぃ」

「ミサカが来なくなってもちゃんとご飯を食べるのですよ。元気でいてくださいね、とミサカはイヌの健勝を祈ります」

「みゃあ」

彼女の言葉が理解できたわけではないだろう。
しかし、イヌはその雰囲気から何かを感じ取ったのか、彼女を引き止めようとしているかのようにしきりに鳴いた。
いつもは大人しい猫なので御坂妹は少し驚いたが、再び淡く笑うとすっくと立ち上がった。

「それでは。運が良ければまた近い内に会いに来れるかもしれません、とミサカは別れの挨拶を口にします」

イヌはまだ鳴いている。
御坂妹は名残惜しく思いながらも、振り返ることなくその場を去る。

まだ、二度と会えなくなるわけではない。
今はまだ、きっと。


652 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/10/01(土) 21:25:25.34 ID:mplvooZ9o

―――――



去って行くバスを見送る。
しかし美琴はすぐに踵を返すと、とある大きな施設の方へと歩き始めた。
バス停に書かれている駅名は、情報送受信センター。

樹形図の設計者と情報をやりとりする施設。
彼女の、最終目的地だった。

「おや」

不意に聞こえてきた声に、振り返る。
そこには、施設の清掃員らしい人の良さそうな男性が立っていた。

「こんな時間に学生さんとは珍しいねえ」

さっそく見つかってしまった。
が、こんなのは想定内。
美琴はにこりと愛想の良い笑みを浮かべると、男性の方に向き直った。

「はいっ、夏休みのレポートで今日中に調べておきたいことがあって」

「そりゃ勉強熱心だねえ、感心感心。
 でも、間違ってもフェンスの辺りに近寄っちゃ駄目だよ、立ち入り禁止の機密区域だから。警備ロボに囲まれちゃうからね」

言いながら、男性がフェンスの方を指差す。
そこは有刺鉄線が設置されているだけでなく、確かに無数の警備ロボが配置されてあった。
美琴はそれをちらりと見やると、男性に軽く会釈する。

「はい。気を付けます」
653 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/10/01(土) 21:25:58.24 ID:mplvooZ9o

笑顔を維持したまま、清掃員の男性を見送った。
そして、男性の姿が完全に建物の中に消えて行った、瞬間。
美琴は振り返りざまに、電撃を放った。

電撃はフェンス周辺を巡回していた警備ロボに直撃し、途端に警備ロボは動作を停止してしまう。
美琴は故障してバチバチと音を立てている警備ロボのそばを素通りすると、一気にフェンスを越えた。
目指すのは、巨大なアンテナの設置された建物。

(樹形図の設計者情報送受信センター)

電撃を纏い、磁力を利用して壁を駆ける。
磁力で身体を引き寄せているのか、彼女は凄まじいスピードで走っていた。

(『樹形図の設計者』と定時交信を行う唯一の窓口)

壁を蹴った反動で足がじくじくと痛むが、気にしない。
時間を掛けていられない。
時間を掛ければ掛けるほど、見つかってしまう可能性が上がってしまう。

(ここからハッキングしてヤツに偽の予言を吐かせる)

その内容は、こうだ。

現在進行中の『絶対能力進化』計画に致命的なエラーを計測。
エラーは被験者『一方通行』の記憶喪失、および『一方通行』と『未元物質』が交戦した為に発生したものである。
修復は不可能であり、もはや『一方通行』の絶対能力者への進化は不可能である、と。

(これで、『樹形図の設計者』に頼り切っていた研究者たちはパニックに陥る筈。ことによると再演算を求めてくるかもしれない)
654 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/10/01(土) 21:26:28.43 ID:mplvooZ9o

樹形図の設計者に代わる超高度並列演算器は存在しない。
学園都市に現存するコンピュータで再演算することは出来ない。
だから再演算をしようと思ったら、必ず再び樹形図の設計者を使うはずだ。

(だからそういう事態に備えて、『妹達』とは無関係な予言を吐くように『樹形図の設計者』を設定する)

ハッキングをはじめとする情報操作や改竄は彼女の得意とするところだ。
しかし、専門ではない。
彼女よりもっと優れたハッカーや技術者なんて、この学園都市にはもっとたくさんいる筈だ。あの、初春飾利のような。

(こんな小細工、いつかばれるだろうけど……)

美琴が、施設の近くに着地する。
それと同時に施設周辺を巡回していた最後の警備ロボを破壊し、動作を停止させた。
そして悠々と施設を見上げる彼女は、にやりと不敵な笑みを浮かべる。

(その前に計画を破綻に追い込んでみせる。どんな手を使ってでもね)



663 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/10/09(日) 22:41:06.87 ID:RwEDl+k7o

(おかしい)

無事に送受信センターへの侵入を果たした美琴は、しかし途轍もない違和感に襲われていた。
物陰に隠れて監視カメラの目を避けながら廊下を進む彼女の表情は、固い。

(人の気配がまったくない)

人どころか、施設内には警備ロボの姿さえ見えなかった。
文字通り、人っ子一人いない。
美琴は嫌な予感に囚われながらも、ゆっくりと歩を進めて扉の電子ロックを操作する。

(ここは学園都市の頭脳と交信できる最重要機密施設。なのにこれは……)

電子ロックはすぐに解除された。
ガコンと大きな音を立てて扉が開かれる。

(……上っ面だけ取り繕って、中は殆ど素通りじゃない)

警戒しながら、歩き進める。
やはり、誰もいない。
よくよく観察してみれば、監視カメラや赤外線センサーも作動していないものがちらほらあった。

(ハッキングなんか不可能だって高を括ってるの?)

もはやただの高級なダミーカメラと化した監視カメラを眺めながら、美琴は更に歩を進める。
そして最後の電子ロックを解除した彼女は、遂に交信室へと足を踏み入れた。
が。

(……心臓部の交信室までもぬけの殻、ね。機材は動いてるけど……)
664 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/10/09(日) 22:41:38.86 ID:RwEDl+k7o

誰もいない交信室を、ゆっくりと見回す。
機材のディスプレイには何かの計算経過がひたすら表示され続けていたが、
誰もいないこの施設でそれが一体どれほどの意味を持つものなのか、彼女には分からなかった。

(逃げた? それとも罠?)

嫌な予感が過ぎるが、彼女はすぐにそれを自ら否定する。
無意味だからだ。

(いや、どちらにせよもっと他にやりようがあるはず。こんなところにまで踏み込ませるメリットはない)

何気なく、機材の操作盤に触れる。
そして。
彼女は驚愕した。

(ほ……こり……?)

思わず暫らく茫然としてしまったが、美琴はすぐに我に返るとポケットからハンカチを取り出す。
そしてそれで機材の表面を拭いてみると、かなりの量の埃がついてきた。

(これは……、どういうこと? こんなの、昨日今日で積もるような量じゃない。この施設はかなり前から放棄されている……?)

いくらなんでも、おかしすぎる。
最初に感じた嫌な予感が、胸の中にわだかまってどんどん大きくなっていくのを感じた。

(……腑に落ちない点はいくらでもあるけど、考えてる時間はない。今は陽動の手間が省けたと考えよう)

美琴は複雑な表情をしながらも、懐からPDAを取り出した。
そしてコードを機材の操作盤に繋げると、凄まじい速度で操作し始める。
しかし。

(……どういうこと?)

すぐに、美琴の表情が硬くなる。
画面に表示されたのは、思いもよらないメッセージだった。
665 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/10/09(日) 22:42:07.31 ID:RwEDl+k7o

(今日の交信件数0件!? 『樹形図の設計者』への依頼は日に数百件はあるものじゃないの?)

PDAを操作し、メッセージを下に流す。
そこには無数の英文がずらりと並べられていた。

(いや、申請の方はどんどんここに送られて来てる。なのにそれが全然処理されてないんだ。昨日もその前もずっと……、いつから?)

まどろっこしくなって、彼女は能力を駆使して一気に深部へと潜る。
負担が掛かっているのかPDAが妙な音を立てていたが、美琴は気にすることなくハッキングを継続した。
……と、PDAから小さな電子音が発せられる。

(これは……!)

PDAの画面に表示されたのは、とある報告書だった。
提出先は、統括理事会。
美琴はごくりと固唾を飲みこむと、ゆっくりと画面をスクロールさせる。

(……消息不明の『樹形図の設計者』に関する最終報告)

その内容は、こうだった。

七月二十八日〇時二十二分、衛星軌道上より『樹形図の設計者』の姿が消失。
同日一時十五分、第一次捜索隊を派遣。
同日二十一時四十分、発見された残骸(レムナント)の一部を回収。



――分析の結果、『樹形図の設計者』は正体不明の高熱源体の直撃を受け、大破したものと判明――


666 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/10/09(日) 22:42:36.40 ID:RwEDl+k7o

―――――



目の前に聳える、真白い病院を見据える。
幾度となく訪れた場所だというのに、こうして改めて見つめ直してみると不思議な威圧感を持っていた。
一方通行は門の前に立って軽く息を整えると、敷地内へと一歩踏み出す。

(ここに来るのも久しぶりだな)

風に揺られて、手に持った小さなメモがかさりと音を立てた。
そのメモには、例の資料の概要が走り書きされている。
そしてそこには、冥土帰しという名前も書かれてあった。
一方通行は確かめるようにそれを見つめると、再び病院へと目を向ける。

(……まさか、あの医者がな)

『寿命を克服する装置』を開発したのは、あの冥土帰しだったのだ。
最初は自分の目を疑ったが、噂に聞くあの医者の腕の良さを鑑みるならば有り得るような気もする。

ただ、そのような性格ではなかった筈であることが気に掛かったが、今はそのような事を気にしている場合ではない。
とにかく、その方法をヒントだけでも訊きに行かなければ。
恩人ではあるが、場合によっては手段など選んでいられない。

(ただ、どこまで話したモンかね……)

それ以前に、説得にも自信が無い。
妹達や実験のことにしても、まさか本当のことを包み隠さず話す訳にもいかないだろう。
今度は冥土帰しが妙な事件に巻き込まれかねないからだ。

(……、どォするか)

自動ドアが静かな音を立てて開く。
何となく待合室を見回してみれば、珍しく人が少ないようだった。
667 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/10/09(日) 22:43:07.36 ID:RwEDl+k7o

ちょうど受付の前にも誰もいなかったので、一方通行は受付で冥土帰しの居場所を尋ね、教えられた場所へと足を向けた。
白い廊下を、黙々と歩き続ける。
途中、かつての自分の病室の前を通ったが、彼は気にも掛けなかった。

(この部屋だな)

そしてようやく立ち止まった彼の目の前に立ちはだかる扉には、診察室と書かれてあった。
一方通行は一応ノックをすると、返事を待ってから中へと入る。
入ってきた一方通行の顔を見た冥土帰しは、いつもと同じ落ち着いた表情で彼を迎えてくれた。
受付の看護師からの連絡を受けていたのだろうか、などと思いながら、一方通行は勧められた椅子に座る。

「久しぶりだね? 噂には聞いていたけれど、まさか君の方から訪ねてくるとは思わなかったよ」

一方通行の方に向き直った拍子に、椅子がぎしりと音を立てる。
冥土帰しの人の良さそうな笑みを眺めながら、一方通行はどう切り出すべきか迷って口を開きあぐねていた。

「まさか挨拶しに来たわけではないだろう? 何か用がある筈だ。言ってごらん?」

「……寿命を克服したと聞いた」

それを口にした途端、冥土帰しの表情が一瞬強張った。
触れられたくない話題だということには薄々感づいていた、けれど。
今は、なりふり構っている場合ではない。

「俺の寿命を延ばす必要がある。オマエが作ったとかいう装置を寄越すか、出来る限りでも寿命を延ばす方法を教えろ」

「……どうしたんだい、突然?」

「悪いが事情は話せねェ。何も訊かずに教えろ」
668 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/10/09(日) 22:43:35.75 ID:RwEDl+k7o

殆ど睨みつけるようにして、冥土帰しを見据える。
しかし冥土帰しはすぐに落ち着いた表情を取り戻すと、少し沈んだ声でこう言った。

「悪いけど、あの装置を貸すことは出来ない」

「何故」

「アレはもう僕のものではないからね? 僕が好きに貸したりできるようなものではないんだ」

「……どォいうことだ」

「既に使っている人間が居る」

一方通行が少し意外そうな顔をした。
冥土帰しは、そんな彼の顔を見て自嘲するような微笑を浮かべる。

……寿命の克服、とは。
以前一方通行がそう考えたように、神への冒涜に他ならない。
にも関わらず、その方法を見つけ出しただけでなく、それを既に実践している人間が存在し、それを冥土帰しも黙認している。
そしてそれは、冥土帰し本人の協力なくしては為し得ないことの筈だ。

「だから、それを理解してくれると助かる」

「……装置が駄目だったことは分かった。同じものは造れねェのか」

「無理だね? 最初の一つ目を作った時に、装置を造る為の機材をすべて破壊してしまった。アレは、人が手を出して良い領域ではない」

「だったら、せめて寿命をなンとかする方法だけでも教えてくれ。一七〇〇年とは言わねェ、二五〇年ほど寿命を延ばせればそれで良い」
669 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/10/09(日) 22:44:03.80 ID:RwEDl+k7o

「…………」

「今更躊躇うことがあるのか。既に寿命を延ばしてる人間がいるンだろ」

冥土帰しが過去の行いを後悔していることは、理解している。
そして、もう二度とそれに関わりたくないと思っていることも。

しかし冥土帰しはその方法を編み出してしまい、しかも彼が言うには既にそれを実践している人間が存在する。
それが、彼の本意ではなかったにせよ。
もう、今更だと言えてしまうのではないだろうか。

「理由は、どうしても言えないのかい?」

「……。言えねェ」

「君のことだから、自分本位な理由でそんなことを言っているのではないということは分かる。誰の為かも、言えないのかい?」

一方通行が、俯く。
冥土帰しに誠意を見せる為にも、言うべきだと、思う。
けれど。

その名前を出して良いのかどうか、彼には判断が付かなかった。
それに、それが本当に彼女の為になることなのかどうかも、分からない。

間違いなく彼女の命を救うことには繋がるだろうが、心優しい彼女に余計な重荷を背負わせてしまうことになるかもしれない。
隠そうとしても、相手は一万人弱。
隠し通せるような事でも、ないだろうから。
670 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/10/09(日) 22:44:35.45 ID:RwEDl+k7o

けれど、それでも。
一方通行は、どうしても妹達の命を助けたかった。
そう、これは彼の我儘なのだ。
かつての自分と妹達が合意の上で行っていたことを、今の自分が覆そうとしている。
……今更なのは、どっちなのだろうか。

「…………、……だ」

「うん?」

「……御坂妹の命を救う為だ」

御坂妹の為、とは言わなかった。
言えなかった。
これはただの彼のエゴであって、恐らく彼女自身を、彼女の心を救うことには繋がらないだろうから、言えなかった。
けれど冥土帰しはそんな彼の意図を知ってか知らずか、厳しい顔をして一方通行を見つめている。

「そうか、もうそんなところまで……」

「……は?」

冥土帰しの発言の意図が掴めずに、一方通行が声を上げる。
そして、冥土帰しは信じられないことを口にした。

「実験のことは、僕も知っている」

自分の耳を疑った。
一方通行は何も言うことができなかった。
ただ茫然として、冥土帰しを見つめている。
671 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/10/09(日) 22:45:08.00 ID:RwEDl+k7o

「……い、つから知ってたンだ?」

「最初からさ」

「最初……、から?」

「初めて君がこの病院に運ばれてきた時だね。目立つ容姿をしているからすぐに分かった。君が一方通行だとね」

一方通行が言葉を失う。
最初から。
けれど。
どこから、どこまで?

尋ねようと口を動かすが、言葉にならない。
すると、冥土帰しの方から口を開いてくれた。

「僕が直接実験に関わっていた訳ではないから、最初から詳細なことを知っていた訳じゃない。ただ、概要くらいは知っていた」

「どォして黙ってた」

「妹達に頼まれていたんだ。理由は……、今の君になら分かるね?」

「……それは、分かる。だが、オマエはただの医者じゃねェのか? どォして学園都市の暗部のことまで知ってンだ」

「ただの医者が、寿命を克服する方法を編み出したりはしないね?」

何度目かの沈黙が降りる。
しかし、冥土帰しがすぐにその沈黙を破った。

「僕は君よりもずっと深い闇の底を歩いてきた。少なくとも君よりは、この都市のことについて詳しいよ」
672 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/10/09(日) 22:45:36.17 ID:RwEDl+k7o

一方通行は黙りこくっている。
もう、彼の中に渦巻いている感情を言葉にすることを諦めてしまったのかもしれなかった。

「君たちがどうしてこんなことになったのか、その顛末は妹達から聴いて知っている。同情するに値する境遇だとは思う」

「だったら……」

言いかけた一方通行を、冥土帰しが手で制する。
そして、彼はとても申し訳なさそうな顔をした。

「それは、できないんだ。君がどんな方法で妹達を助けようとしているのかは分からない。
 しかしそれに寿命の克服が不可欠というのなら、僕では力になれない」

「……力に、なれない?」

妙な言い方だと思った。
いや、言い回しとしては間違っていない。
もうこれ以上関わりたくない、だから協力したくない、という意味として言っているのだとしても通る言い回しだ。

ただ。
その口調が、表情が、自分のただの我儘で協力を拒んでいるのではないということを、何よりも雄弁に語っていた。

「……協力しようがないんだ。もう二度と、誰もあの領域に踏み込むことがないように、資料も薬剤も機材もすべて処分してしまった。
 あれからもう随分と時間も経ってしまったから、僕の頭の中にある情報だけではもうどうしようもないんだ」

「な……」

「本当に申し訳なく思う。今の僕では二五〇年分の寿命を延長するどころか 、一年だって寿命を伸ばすことはできないんだ」

冥土帰しは、本当に辛そうな顔をしていた。
だから、それが一方通行を諦めさせる為の方便でないことがよく分かった。
だからこそ。
673 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/10/09(日) 22:46:07.93 ID:RwEDl+k7o

「……それは、……本当なのか」

「本当だ。ここまで事情を知っておいて、知らん顔なんてできないさ。誓っても良い」

……希望が、断たれた。
今度こそはと、思っていたのに。
他に、もう手はないのに。

「…………。装置は、一つだけ残ってるンだよな」

「その通りだが、無茶だ」

「どォしてそンなことが言える」

「あの装置の現在の所有者は、この学園都市の統括理事長アレイスター・クロウリーだ。そして、アレは彼にとって必要不可欠なもの。
 素直に渡してくれる筈がない」

「……っ、…………」

「分かっていると思うが、彼は力づくが罷り通るような相手じゃない。
 それどころか、万が一にでも怒らせようものなら妹達の命どころの話じゃなくなってしまう。分かるね?」

手詰まりだった。
打つ手が無い。
もう、諦めるしかない。
こんな、呆気なく。

「……他に、寿命を延長する方法に心当たりはあるか?」

「僕の知る限りでは、無い」

「…………、……そォか」

「すまないね。僕は何も出来なくて」

一方通行は、何も言わなかった。
ただ黙って、席を立つ。

「何処に行くんだい?」

「…………帰る」

「……そうか」

落胆したような声に、一方通行がちらりと冥土帰しを見やる。
しかし、それだけだった。
一方通行は振り返りもせずに、診察室を後にする。
扉の閉じる音だけが、虚しく響いた。

「……すまないね」



687 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/10/18(火) 23:33:01.47 ID:WFkqhP5/o

飛行機が飛んでいる。
爆音が頭上を駆け抜けていった。

(『樹形図の設計者』は大破)

だだっ広い第二十三学区の通路を、美琴がたった一人で歩いている。
周囲には、誰もいなかった。

(高熱原体の所属は不明)

空には、無数の飛行機雲が刻まれている。
飛行機が飛び立つ音が美琴の鼓膜を打つが、それが彼女の意識に入って来ることはなかった。

(本件に関わる報道は学園都市の統制下に)

美琴のポケットからは、壊れたPDAが顔を覗かせていた。
ディスプレイとキーボードを繋ぐコードが、だらしなく垂れ下がっている。

(残骸をすべて回収すべく緊急の……)

彼女が歩くたびに、ポケットからはみ出たコードがゆらゆらと揺れた。
割れてしまったディスプレイの欠片がひとつ、零れ落ちる。

(…………)

また飛行機が飛び立ったらしい。
後方から巻き起こった風が、彼女の体を揺らした。

(どうして)
688 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/10/18(火) 23:33:31.34 ID:WFkqhP5/o

樹形図の設計者。
どうして壊れてしまったんだろう。
そんなに簡単に壊れるようなものではない筈なのに。
壊れてはいけない筈のものなのに。
壊れてはいけなかったのに。

敵対勢力に撃ち落とされた?
それともデブリによる事故?
どうしてだろう。

(アレ?)

そこで、彼女は首を傾げる。
ふわりと疑問が浮かぶ。

(それは問題じゃないんだっけ?)

じゃあ、何が問題だったんだっけ。
どうして壊れてはいけなかったんだっけ。

(ああ、そうだ)

かくりと空を見上げる。
そこには一筋の飛行機雲が刻まれているだけだった。

(問題は、計画を引っ繰り返す為の最後の一手が失われてしまったということ)

フェンスの足元に生える短い雑草が揺れる。
まだ夏だというのに、くすんだ黄緑色をしていた。
689 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/10/18(火) 23:34:16.60 ID:WFkqhP5/o

(そして)

フェンスに何かが書かれている。
いや、掛けられている。
この周辺の案内図のようだった。

(『樹形図の設計者』が無くなろうと、実験は計画通り続けられるということ)

案内板の横を、通り過ぎ、ようとした。
しかし、そこで彼女は立ち止まる。
虚ろな目で、案内板を見やる。

(……そう言えば)

案内板の隅。
そこには、とある施設の名前が書かれてあった。

(この間調べた計画の引き継ぎ先の中に、このブロックの施設が一つあったっけ)

その名前を、じっと見つめている。
そして、やがて、美琴は、口角を釣り上げた奇妙な表情を形作った。



「あはは」


690 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/10/18(火) 23:34:46.58 ID:WFkqhP5/o

爆音が轟いた。
施設が爆破された音だった。
建物自体が崩壊しかねない程の衝撃は、施設そのものを大きく揺らがせる。

研究室でいつも通りに仕事をしていた研究員たちは、その衝撃によっていとも簡単に吹き飛ばされた。
無数の悲鳴と怒号が飛び交う。
しかしその声は、すぐに沈黙に取って代わった。
粉塵の中に佇むその少女の姿を見た瞬間、恐ろしさに声を奪われてしまったのだ。

「例の……ッ!?」

誰かがやっとそれだけを絞り出した途端、研究員たちは魔法が解けたように一斉に逃げ出した。
けれど、電撃を纏うその少女はそんな人間になど見向きもしない。
彼女の濁った瞳は何も見てなんかいなかった。

(壊さなきゃ)

そうだ。
まだ終わった訳じゃない。

(諦めちゃ駄目だ)

単純なことだ。
ぜんぶ潰してしまえば良い。
今あるものも。
これから引き継ぐものも、ぜんぶ。


機材も資金も欲も野心も底を割って跡形もなくなるまで!

691 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/10/18(火) 23:35:51.91 ID:WFkqhP5/o


(そうすれば、いつか――――)

――――『いつか』?
その『いつか』って、いつ?
それまでに実験が再開されない保証はあるの?
どれ程の時間が残されているのかも分からないのに?

(…………ッ!!)

自分自身が囁く声だった。
その声はとても冷静だった。
それは、ただの事実だった。
動かしようのない。

ぎりりと歯を食い縛る。
爪に血が滲むほど強く拳を握る。

「うるさいッ!!」

電撃を叩き付ける。
叩き付ける。
叩き付ける。
頑丈に作られている筈の建物が、砂の城のように崩れていく。

「ならどうすれば良いってのよ!?」

壁が、床が、まるで紙のように簡単に貫かれる。
窓も照明も割れ、ガラスが周囲に飛び散った。

「計画を! 今! すぐに中止に追い込む!」

粉塵が舞う。
瓦礫が舞う。
炎が舞う。

「どんな方法があるっていうのよッ!!」

壊す。
壊す。
壊す。

そこにはもう、壊れていないものなんてなかった。


692 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/10/18(火) 23:36:21.40 ID:WFkqhP5/o

―――――



人通りの多い大通りを、御坂妹は一人で歩く。
こんなにも堂々と人通りのある道を歩くのは、本当に久しぶりだった。

(彼らと遊びに行った時以来かもしれません、とミサカは曖昧な記憶を辿ります)

道行く人が彼女の姿を見て振り返るが、気にしない。
彼らが見ているのは彼女ではないからだ。
彼女の姿に、彼女に良く似た別の人間の姿を見ているにすぎない。

(お姉さまは今頃何をしているのでしょうか……)

最後に会ったのはいつだっただろうか。
人伝に話は聞くものの、こうなってしまってからは一度も会っていない気がする。

しかし。
会うべきなのだろうか。
会わざるべきなのだろうか。
それが、彼女には分からなかった。

仮に会ったとして、どんな言葉を掛ければ良いのか、御坂妹には分からなかった。
美琴は今、とても傷ついている筈だから。
そしてそれは、彼女たちによって齎されたものだから。
今更どんな顔をして美琴に会えば良いのか、御坂妹には分からなかった。

(やはり最初は謝罪でしょうか、とミサカは思考を巡らせます)

考えて、一人で納得する。
それが良い。
巻き込んでしまってごめんなさいと、それは絶対に言わなければならない。
彼女たちが一目で良いから姉に会いたいと、言葉を交わしてみたいと、そんな欲を掻かなければこんなことにはならなかったのだから。
693 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/10/18(火) 23:37:03.96 ID:WFkqhP5/o

(それから……)

、と。
建物の陰から現れた人影を見て、彼女は大きく目を見開いた。
そこに、居たからだ。
彼女の姉が。

「あ……」

声を掛けようとして、言葉に詰まる。
そうだ、謝らなければ。
なのに何故かそれは言葉にならなかった。
理由は明確だった。

「お、姉、さま?」

御坂妹はその姿を見て、最初、自分が人違いをしてしまったのかと思った。
それくらい、美琴は変わり果てていた。
髪は振り乱したようにぼさぼさで、瞳は虚ろ、目は窪み、その下にはくっきりと隈が出来ていた。

最初に見かけたのは後ろ姿だったので、気付かなかった。
彼女がこちらを振り返って、初めてそのことに気付いたのだ。

「……妹?」

殆ど呟くような声だったにも関わらず、美琴は自分の名前を呼ばれたことに気付いたようだった。
御坂妹の方を見ると、こちらに向かって歩いてくる。

「こんなところで何してるの?」
694 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/10/18(火) 23:37:40.31 ID:WFkqhP5/o

声は嗄れていたが、口調はいつもと同じだった。
そのことに、御坂妹は安堵する。
やはり、彼女のお姉さまはお姉さまだった。

「あ、あの、とミサカは……」

「ん?」

「ええと……、申し訳ありませんでした、とミサカは謝罪します」

唐突に深々と頭を下げる御坂妹を見て、美琴は目を丸くした。
しかしすぐに、彼女はくしゃりと笑う。

「何をアンタが謝ることがあるのよ」

「その、巻き込んでしまったことを、謝罪しなければと……、ミサカは説明します」

「良いのよ、そんなの。半分は私が勝手に首突っ込んだようなもんなんだし」

「ですが……」

「そんな顔しないの。何も知らずに置いてけぼり食らうよりは、百倍マシだったと思ってるわ」

そう言う美琴の笑顔を見ながら、御坂妹はぐっと唇を噛み締める。
強く握ったスカートの裾がくしゃくしゃになってしまった。

「そんなことより、こんなところ歩いてるなんて珍しいわね。何処に行こうとしてたの?」

「あ……、その、彼の家に、とミサカは目的地を告げます」
695 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/10/18(火) 23:38:12.71 ID:WFkqhP5/o

「彼?」

ほんの少しだけ思案して、しかし美琴はすぐに思い当たった。
彼女たちが彼と呼ぶ人物は、そう多くない。

「……一方通行のこと?」

「はい、とミサカは肯定します」

「そっか」

美琴は、曖昧に笑うだけだった。
しかし少しの間を置いて、躊躇いがちに口を開く。

「……あのさ」

「なんでしょうか、とミサカは問い返します」

「私もついて行っていいかな?」

意外な言葉に、御坂妹は珍しく驚いた顔をした。
けれど、彼女はすぐに答える。

「構いませんが……、突然どうしたのですか? とミサカは首を傾げます」

「ん……、ちょっと興味があるだけよ」

「そうですか。ではミサカについて来て下さい、とミサカは先行します」
696 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/10/18(火) 23:38:47.44 ID:WFkqhP5/o

それだけ言うと、御坂妹は美琴に背を向けて歩き始めた。
美琴も、黙ってその後について歩いて行く。
通りすがった何人かが二人に奇異の目を向けてきたが、二人は構わずに歩き続けた。

そうして暫らく歩いていくと、御坂妹が路地裏に入った。
もちろん美琴もその後をついて行く。
そこからまた少し歩いたところで、唐突に御坂妹が足を止めた。
目の前には、学園都市では珍しい古びたアパートが聳え立っている。
どうやらここが目的地のようだ。

「ここです、とミサカは目の前の建物を指差します」

「……ここか」

お嬢様である美琴にはこうした建物が珍しいのか、彼女はじっとアパートを見つめている。
御坂妹はそれを横目で眺めながら、懐から真新しい鍵を取り出した。

「それは?」

「彼の家の鍵です、とミサカは淀みなく返答します」

「……どうしてアンタがそれを持ってるの?」

「……必要だったので。彼に隠れて複製させていただきました、とミサカは素直に白状します」

御坂妹は怒られることを覚悟していたが、美琴は以外にも小さく溜め息をついただけで何も言わなかった。
もう、怒る気力も残っていないのかもしれない。
やはり常と違う美琴の様子に御坂妹は目を伏せたが、すぐに顔を上げるとアパートの階段を登り始めた。
697 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/10/18(火) 23:39:18.04 ID:WFkqhP5/o

「彼の部屋は203号室です、とミサカは部屋番号を告げます」

「……? どうしてそれを私に教えるの?」

「覚えておいてください、とミサカはお姉さまにお願いします」

意味が分からずに美琴は首を傾げたが、御坂妹はそれ以上何も言わなかった。
そしてやがて御坂妹は203という札の掛けられた部屋の前で立ち止まると、躊躇いもせずに鍵を回した。

「どうぞ、とミサカはお姉さまを促します」

他人の部屋だというのに、御坂妹はやけに慣れた様子だった。
もう何度も訪ねたのかも知れない。
美琴はほんの少しの罪悪感を感じながらも、御坂妹について部屋の中に入っていった。

「……殺風景、ね」

「彼はここを殆んど使わなかったようですから、とミサカは説明します」

生活感のまったく無い部屋だった。
寒々しい、とも言い換えられる。
もともとの彼の持ち物が殆んど無いというのもあるだろうが、引っ越してきてから何も手をつけていないのではと思ってしまうほどだった。

「アイツはここで寝泊りしてるんじゃないの?」

「いえ。現在は研究所の方で寝泊りしているはずです、とミサカは彼の現状を報告します」

「研究所? ……大丈夫なの?」
698 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/10/18(火) 23:39:55.51 ID:WFkqhP5/o

「あそこは彼の敵ばかりというわけではないですから。それに、接触はしていませんが何人かの妹達もいます。
 上からの指示もありますし、少なくともここよりは快適なはずです、とミサカは研究所に対する誤解を解こうとします」

「そう……」

考えてみれば、あの布束砥信のような研究者もいるのだ。
他にはどんな研究者がいるのか美琴は知らなかったが、一人でも理解者がいるのならば独りでこんなところにいるよりかは気が楽になるはずだ。

「でも、アンタはどうしてこんな所に出入りしてるの? ……アイツに会いたい訳じゃないの?」

「今の彼がミサカに会っても、彼を傷つけるだけでしょう。ここの掃除に来ているだけです、とミサカは簡潔に答えます」

「掃除?」

「はい、とミサカは肯定します。
 見ての通りここには殆んど誰も出入りしていませんから、こうして定期的に掃除しておかないとあっという間に埃まみれになってしまうのです」

「…………」

周囲をよく見渡してみれば、確かにあちらこちらに薄い埃が積もっていた。
確かに、ここには誰も出入りしていないようだ。
美琴はこの部屋の寒々しさの正体はこれか、とぼんやりと納得した。

「それに、彼はミサカたちがこの部屋に出入りしていることに気付いていると思います、とミサカは推測します」

「えっ?」
699 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/10/18(火) 23:40:18.36 ID:WFkqhP5/o

御坂妹の言葉に、美琴は素直に驚いた。
あの一方通行が、自分の部屋に妹達が不法侵入しているのを黙って見逃していると言うのか。
だから美琴は率直に質問した。

「気付いてるのに、何も言わないの?」

「……それどころではないようですから、とミサカは曖昧に答えます」

美琴は再び質問しようとして……、しかしすぐに口を閉ざした。
予想がついたからだ。
……それはつまり、彼も彼女と同じように戦っているということ。

「……そうなんだ」

「はい。ですが状況は芳しくないようです、とミサカは淡々と続けます」

その答えも想像通りだったが、美琴はその事実だけで少し元気付けられたような気がした。
少なくとも、自分は一人で戦っているのではないという事実に。

けれど。
美琴は御坂妹がひどく無感動な瞳で自分を見つめているのを見て、ぎくりとしてしまった。
……何となく、彼女が何を言わんとしているのか、悟ってしまったのだ。

「もう無駄なことはお辞め下さい、とミサカは率直な意見を述べます」

何の感情も込もっていない声だった。
しかし、ただ、彼女は真摯だった。
切実だった。
最初から自分の命のことなど諦めてしまっていて、だからこそ本気でもうこんなことは辞めて欲しいと思っている。
700 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/10/18(火) 23:41:04.02 ID:WFkqhP5/o

「……何、を、馬鹿なことを言ってるの?」

「馬鹿なことをしてらっしゃるのはお姉さまの方です。
 どうして無駄だと分かり切っているのに往生際悪くこんなことを続けているのですか? とミサカは呆れた顔をします」

「無駄かどうかなんて、やってみなきゃ分からないじゃない」

「無駄なことです、とミサカは断言します。
 かつて、お姉さまよりも高位の超能力者が二人と第四位、『アイテム』という暗部組織、味方となってくれた大勢の研究者が
 力を合わせても駄目だったのですから」

そこで、美琴は遂に言葉に詰まってしまう。
彼女はまだやれることがある筈と、助けられる筈と思っているのに、言い返すことができなかった。

「やれることは全てやりました。全ての手を尽くしました。それでも駄目だったのです、とミサカは事実を告げます」

御坂妹はどこまでも冷静だった。
淡々としていた。

「ですから、お姉さま。これ以上辛い思いをなさる前に、ミサカたちのことは忘れて下さい。
 全ては時間が解決してくれる筈です、とミサカはお姉さまを諭します」

彼女は、本気で言っていた。
そういう瞳をしていた。
御坂妹の呆れさえ浮かばせた顔を見ながら、美琴は愕然とすることしかできなかった。




710 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/10/29(土) 13:40:02.11 ID:iQYQdK4Go





夢を見た。
昔の夢だった。




711 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/10/29(土) 13:40:36.73 ID:iQYQdK4Go

思えば、相当に恵まれた環境だったと思う。
たびたび怪しい実験に参加させられ、そのままずるずると暗部落ちまでして『スクール』という暗部組織のリーダーにまでなったものの、
幼少期は超電磁砲と変わらない程度に普通の環境の中で過ごした。
超能力者ということで多少敬遠されることはあったものの、持ち前のとっつきやすい性格のお陰で友達作りには苦労しなかった。

誰かが『超能力者は輪の中心に立つことはできても輪の中に入ることはできない』と言った通りに、
親友というものができたことはなかったけれど、それでも俺は満足していた。

超能力者の第一位、未元物質だったから。
この学園都市の頂点に立っているという自信が、何よりも俺を満たしていたのだ。


その時が来るまでは。


それは、正に青天の霹靂だった。
俺が中学に上がる直前のことだったか。
本当に唐突だった。

俺は第二位に降格させられたのだ。

理由は明白。
新しい第一位が現れたのだ。

納得がいかないと言って大暴れした挙句、俺はどさくさに紛れて新しい第一位についての資料を持ち出した。
新しい第一位とやらに、会いに行く為だ。
会って、文句の一つくらい付けてやろうと思った。
あるいは、あわよくば何とかしてそいつに打ち勝って、第一位に返り咲いてやろうと思ったのかもしれない。

聞けば、新しい第一位は十歳らしい。
俺より二つも年下だ。
上手くやれば勝てるかもしれない、なんて馬鹿なことを考えながら、俺は新しい第一位のいる研究所へと飛んで行った。

712 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/10/29(土) 13:41:10.59 ID:iQYQdK4Go

新しい第一位は、すぐに見つかった。
研究所の隣の公園で遊んでいたのだ。
たった一人で。

「おまえ、なにしてんの?」

想像よりもずっと幼い少年だった。
とてもではないが、超能力者の第一位、学園都市の頂点なんかには見えなかった。

その小さい子供は、広い公園にたった一人でうずくまっていた。
手に木の枝を持っている。
それで、地面に何か書いていた。


俺は、自分以外の超能力者に会ったことはなかった。
時々話には聞くが、どいつもこいつもやりたい放題の人格破綻者らしい。
俺もそうだ。
普段は他の奴らに混ざって馬鹿やったりしているが、今日みたいに些細なことで大暴れして平気で周囲をめちゃくちゃにする。
流石に同級生の前では控えていたが、研究者たちの前ではお構いなしだった。

やりたい放題、わがままが許されるというのはとても気持ちの良いものだった。
そういうこともあったから、俺は楽しく生きて来れたのかもしれない。
面倒で胡散臭い実験に散々参加させられたが、そうしたわがままが許されることによって不満は相殺されていたのだ。
だから他の超能力者たちも、俺と同じようにみんな幸せな奴らばかりだと思っていた。


けれど、そんな幻想はあまりにも呆気なく打ち砕かれた。
だってそうだろう?
713 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/10/29(土) 13:41:44.23 ID:iQYQdK4Go


こんな、地面に数式を書いて遊んでる子供を指して、幸福そうだなんて言えるわけがない。


「……誰?」

暫らくの間を置いて、小さな子供はようやく反応を示した。
初めて見た紅い瞳が虚ろに揺れている。

「なあ、」

だから、俺は。
確信したんだ。

「友達になってやろうか」

ああ、こいつと比べれば俺なんて全然マシな方だって。
こんな、この世の不幸を一身に背負ったような子供よりも、ずっと。

それは、第一位に対して感じた、優越感。
自分は第一位よりも恵まれているのだという、確信。
この甘美な優越感に比べれば、第一位の座なんて下らないものだ。
だって、俺は知ってしまったのだ。

第一位なんかよりも上の存在がいることを。
そして他でもない自分自身が、そこに立っている人間だということを。

「え……」

その紅い瞳が僅かに生気を取り戻したのを見て。
俺は、仄暗い感情が頭をもたげるのを感じた。


714 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/10/29(土) 13:42:13.17 ID:iQYQdK4Go

―――――



「…………」

目覚めは最悪だった。
垣根が苛立ちに任せて頭をがしがしと掻き毟りながら時計を見やると、時刻は既に正午を回っていた。

(嫌な夢見た……)

思えば。
確かに一般に想像されるようなお綺麗な出会いなどではなかった。
そもそも、彼らにそんなものが似合おう筈もないが。

(胸糞悪)

けれど、そちらの方が自分たちらしいとも思えた。
悪意と欺瞞に満ち満ちた学園都市暗部に生きる人間には相応しい。

(……不幸、か)

そう言えば、一方通行の友人だったというあの少年も、そんな言葉を口癖にしていたと思う。
一方通行の監視ついでに観察してみれば、確かになかなかに不運な少年だった。
いつだったかに見た連続不幸イベントを目撃した際には思わず吹き出してしまった程度には。

けれど。
それでもまだ、垣根にしてみれば可愛いものだと思った。
本当に不幸な人間を知っていたから。
どれもこれもドジや笑い話で片づけられる程度の不幸など、垣根にとっては不幸と呼ぶのも烏滸がましい程度のものだった。

結局、あの時一方通行に対して抱いた印象は、未だに変わっていない。
……一度は変わったことがあったかもしれないが、今また彼は地獄の底へと叩き落とされた。
そこからは、もう、誰も救い出せない。
715 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/10/29(土) 13:42:42.05 ID:iQYQdK4Go

(流石にもう諦めたかね)

昨日ちらりと一方通行を見かけたが、尋常ではない落ち込みようだった。
垣根がそう予想した通りに、駄目だったのだろう。

(まあ、装置の方はアレイスターが使ってるしなあ)

とは言え、一方通行とて装置の方をそのままどんと貸してもらえるとは思ってなかっただろう。
だからこそ、せめて方法だけでも、と言っていたのだ。
しかしその方法さえも教えて貰えなかったようだ。あのお人好しで有名な医者なことだから、何か事情があってのことだろうが。

(仕方ないか)

まったく期待していなかったかというと、嘘になる。
ただ、あれだけ手を尽くして駄目だったのだから、今度もどうせまた駄目だろう、という気持ちの方が強かった。
だから垣根は、一方通行のようにがっかりしたりはしなかった。

(……今更だしな)

そう言えば、昨日は御坂妹にも会った。
彼女は垣根を見つけるなりつかつかと歩み寄ってきて、唐突に

「お姉さまにもう無駄なことはしないようにと言ってきました、とミサカは報告します」

などと言ってきた。
どういうつもりなのかは知らないが、まああれは彼女なりの愚痴だったのだろう。
ついこの間まで敵対していた癖にそれが終わった途端にこれなのだから、やっぱり御坂妹という人間の考えはよく分からない。
確かに垣根は以前から何故か妹達の愚痴の吐き口のようになってはいたのだが。
716 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/10/29(土) 13:43:12.64 ID:iQYQdK4Go

(多分、超電磁砲を諦めさせたってことなんだろうが)

その程度で簡単に諦めるような潔い女ではなかった筈だ。
……いや。
垣根よりも遥かに美琴について詳しい御坂妹があそこまで言ったのだから、何か確証があってのことかもしれない。
よっぽどこっ酷く拒絶したのか。

(ってーと昨日のアレは、そういうことか?)

今更、自分たちの命を惜しんでいる訳ではないだろう。
だとすると、拒絶したことによって美琴を傷つけたかもしれないことに対して罪悪感を抱いたのだろうか。

(アイツらも、難儀なモンだね)

溜め息をつきながら、ベッドから立ち上がる。
ふと耳を澄ましてみると、真昼間だというのに妙に静かだった。
いつもなら、超電磁砲が壊し回っている施設からの通信や信号のお陰で喧しいったらないのだが。
恐らく垣根がこんな時間まで眠りこけてしまったのも、これが原因だろう。

(……で、効果は覿面と)

くしゃくしゃになってしまった服を着替えながら、垣根は苦笑いする。
遂にこの無意味な努力の繰り返しが終わるのかと思うと、不思議な気持ちが込み上げてきた。
果たしてその感情を何と呼ぶのか、彼には最後まで分からなかったけれど。


717 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/10/29(土) 13:43:42.54 ID:iQYQdK4Go

―――――



とあるビルの屋上。
その縁に、御坂妹は腰掛けていた。
手の中には、小さなPDA。
美琴と色違いのものだった。

まだ、彼女が美琴に接触する前。
まだ、彼女たちが幸せだった頃。

街で偶然見かけた美琴がPDAを持っているのを見かけて、どうしても同じものが欲しくて。
パソコン専門店の前で物欲しそうな顔をしていたら、一方通行が買ってくれたものだ。
残念ながらまったく同じものは無かったので色違いで妥協したのだが、それでもこれは彼女の宝物に相違ない。

(……そろそろ終わりのようですね、とミサカは冷静に分析します)

手の中のPDAを、愛おしげに撫でる。
彼女の宝物は、間もなく彼女の遺品になるだろう。

恐怖がまったく無い訳ではない。
ただ、それ以上の恐怖がその先に待っていることを知っていたから。
ここで、一足先に脱落させて貰おうというだけのこと。
彼女にとっては、本当にただそれだけのことだった。

(未練、は……)

無い訳ではない。
やりたいことは一通りやり尽くしてしまったけれど、それでも。

(果たしてミサカたち無しできちんとやっていけるのでしょうか、とミサカは今更ながら心配になります)
718 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/10/29(土) 13:44:12.74 ID:iQYQdK4Go

妹達を失ったことによる悲しみは、かつて彼女がそう言った通りに時間が解決してくれるだろう。
どれだけの時間を掛けることになるかは、分からないが。
彼女は、そう楽観していた。
癒えることのない傷などないと、そう思っていた。
自身がクローンといういくらでも代えのきく存在であるということも、彼女が自分自身を軽んじる理由の一端だった。

(ミサカたちが言わなければろくに食事もしないような人でしたから。放って置くと死んでしまいそうですね、とミサカは回想します)

今の彼もそうなってしまうかどうかは、分からないが。
念には念を込めて、誰かに彼のことを頼んでおく必要があるだろう。
誰が適任か少し考えて、御坂妹は肩を竦めた。
どいつもこいつもきちんとした生活を送っていない奴らばかりだからだ。

(これは遺書でもしたためておく必要があるかもしれません、とミサカは溜め息をつきます)

遺書の書き方など洗脳装置では強制入力されなかったが、これまでも何人かの妹達が遺書を書いたことがあったので、書き方は知っていた。
まさか、そんなものを自分が書くことになるとは思わなかったが。
何か残してしまうと彼を苦しめることになってしまうと考えていたので、本当はそんなものを残すつもりは無かったのだ。

(まあ、ミサカの生きた証を残しておくというのも良いかもしれませんし、とミサカは自分本位な理由があることを認めます)
719 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/10/29(土) 13:44:41.38 ID:iQYQdK4Go

一人で勝手に納得して、満足げに頷いた。
そして、さっそく遺書の内容でもまとめてみようとPDAを開く。
けれど慣れた手つきでメモ帳を開いたところで、ふといくつかのファイルが目に付いた。

(これは……)

ふと、彼女の眼差しが緩む。
懐かしいものを見つけた。
こうなってしまってからはPDAを触る暇なんて無かったので、こんなものがあることも忘れていた。

(懐かしいですね、とミサカは過去を振り返ります)

そこにあったのは、幸福だった頃には毎日つけていた日記のテキストファイル。
彼女がもはや忘れかけてしまっていた記憶の欠片だった。

(……少し、だけ)

まだ、もう少しだけ時間はある。
大丈夫。
彼女は改めて自分にそう確かめて、カーソルを真横に滑らせる。
そして、もう二度と開くことはないだろうと思ってた日記帳が、開かれた。




811 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/12/08(木) 01:06:44.93 ID:Nq8nMLBno



約一年前。
Sプロセッサ社、脳神経応用分析所。


812 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/12/08(木) 01:07:31.88 ID:Nq8nMLBno

―――――



「……アレが、例の妹達か」

「よく見えねえな」

「そりゃそォだ。人体のクローンなンつー国際法で禁止された技術、少しでも秘匿しておきたいだろォからな」

研究所の廊下で、二人の少年がそんな話をしている。
目の前には大きなウィンドウ。
その向こうに広がる大きな空間の中、様々な機材や構造物を隔てたずっと向こうに、大きな培養器が無数に並んでいた。

中には、何かがいる。
二人の居る位置からはそれが何なのかはっきりとは確認できなかったが、二人はそれが人間であることを知っていた。

「っても、たったあれだけなのか? 二万人ってーともっともの凄い数だったと思うんだが」

「あァ、ありゃあほンの一部だ。まァ他の場所にもこォいう製造施設はあるらしいが、殆どは既に製造完了してるらしい」

「なるほど。まあ、確かに一つの施設で二万人は無理があるからな」

先程から興味深そうにウィンドウの向こうを眺めている少年の名は、垣根。
そしてそれに淡々と答える少年の名前……いや、通称は一方通行という。

「にしても、わざわざ二万人も作る必要なんてあるのか? 戦うだけなんだろ?」

「何でも、それぞれに特別な調整が必要らしい。戦うたびに調整してたンじゃ時間掛かってしょうがねェンだと」

「ふーん。まあ、ただでさえ二万回も戦う訳だからなあ」

「そォいうことだ。しっかしそれでもクローンの単価十八万が二万体……研究者どもはよっぽど絶対能力とかいう代物にご執心らしい」
813 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/12/08(木) 01:08:01.14 ID:Nq8nMLBno

ウィンドウの向こうを覗き込みながら、一方通行が皮肉気に言う。
垣根はそれを横目で見ながら少し考えた後、快活に笑った。

「でもま、お前だって絶対能力に興味あるんだろ? それにこれ受けたら後はもう自由の身じゃねえか」

「まァ……、そォなンだけどな」

「なんだよつれねえな。流石に二万回も戦うのは面倒臭いのか?」

「それもあるかもしれねェ」

どうにも歯切れの悪い言い方に、垣根が首を傾げる。
一体何がそんなに気に食わないのだろうか。

「何だよ、最終的に承諾したのはお前自身だろ?」

「そりゃそォだが。……どうにも、話がうますぎると思ってよ」

「うますぎるって、研究者にしてもそれだけの旨味があるんだから相応の見返りがあるのは普通だろ?」

「……そりゃそォだが」

やはり、一方通行の難しい顔をしたままだ。
垣根はそれを横目に見ながら少し考えて……、何故かニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。

「お前、さては……」

「ン?」

「妹達に一目惚れしたのか? まあ可愛いもんなあ素体!」

「ぶふっ!?」
814 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/12/08(木) 01:08:46.57 ID:Nq8nMLBno

思いがけない垣根の言葉に、思わず吹き出してしまう。
そのまま一方通行が暫らく咳き込んでいる内にも、垣根はずらずらと戯言を並べ立て続けた。

「でもやっぱクローンは辞めといた方が良いと思うぜ? 寿命短いらしいし、人格も洗脳装置で画一化されてるらしいしさー。
 見た目が好みならオリジナルの方にしとけって!
 まー品行方正で人気者な常盤台の第三位とお前なんかが釣り合うとは思えないけどよ、やってみなくちゃ分からねえし!
 ああでも確かに好みの女と同じ顔した奴に攻撃するってのは結構キツ……」

「ヤメロ。ダマレ。それ以上言うとブッコロス」

一方通行にアイアンクローをかまされても、垣根はへらへらと笑ったままだ。
ただしあんまりやりすぎると酷い目に遭うということを彼は経験上非常によく知っていたので、それ以上無駄口を叩くのはやめたが。

「仕方ねえなあ、照れ屋なんだから」

「誰がだ! このまま潰されてェのか?」

「それはマジ勘弁。まあ確かに可愛い女の子を傷つけることに抵抗があるってのはよーく分かあいたたたたた」

「もォオマエホント黙ってろ」

頭蓋を思う存分締め付けてやった後、一方通行はようやく垣根を解放してやった。
垣根は暫らく蹲って変な唸り声を上げていたが、一方通行は素知らぬ顔だ。

「マジ……いてえ……ここまでするか? 普通……」

「オマエが妙なこと言うのが悪ィ」

「……案外図星なのか?」
815 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/12/08(木) 01:09:19.65 ID:Nq8nMLBno

「何か言ったか?」

「あ? 気のせい気のせい」

垣根は適当にはぐらかすと、頭を抱えながらもすっくと立ち上がった。
一方通行も本気でやっていたわけではないとは言え、ここまで回復が早いのはひとえに彼の持つ能力の防御力のお陰だ。
こうして一方通行とじゃれ合うたびに、垣根は自分が第二位の超能力者であることに感謝する。

「はー……、じゃあ何がそんなに気に食わないってんだよ」

「さァな」

「やっぱりそれだよ。っても、どっちにしろもう承諾しちまったんだから後の祭りじゃねえか。妹達の製造、殆ど完了してるんだろ?」

「……それもそォか」

一方通行は小さく溜め息をついて、遠くに見える妹達の培養器から目を逸らす。
納得はしていないようだったが、硬かった表情が緩んだのを見て垣根は満足そうに笑った。

「で、実験っていつからなんだ?」

「製造の後に実験用の調整もあるからな。かなり先だ」

「ふーん。それまでは何かあるのか?」

「俺も何かしらの調整を受けるらしいが、まァいつもの実験よか遥かに楽だ。体調管理程度だしな」

「へー、羨ましい……。俺はまた来週あたり実験協力だとよ」

「またか。流石に第二位ともなると引っ張りだこだな」
816 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/12/08(木) 01:10:04.78 ID:Nq8nMLBno

「第一位様に言われたくねえけどな」

「羨ましいのか」

「いや、全然」

一方通行の境遇をよく知っている垣根は、とうに第一位の座になど魅力を感じなくなっていた。
今となっては、何をあんなに執着していたのかよく分からない程だ。
どれだけ貴重で強力な能力だか何だか知らないが、徹底的に情報を秘匿されて研究所内に隔離するなど普通ではない。
大手を振ってとまでは行かないまでも、陽の下を歩けるだけ垣根は遥かに恵まれていると思っていた。

「じゃあ暫らくは引きこもり生活かー」

「近くのコンビニくらいまでは行ける」

「それも殆ど引きこもりだろ。大体それだってめちゃくちゃ監視付くじゃねえか」

「もォ慣れた」

「それはあんまり慣れない方が良いと思うぞ、異様な視線に無頓着になると奇襲に引っ掛かりやすく……ん?」

ふと、垣根が廊下の奥の方を振り返った。
一方通行もそちらの方に向き直ってみると、確かになんだか騒がしい。
……というか、その気配はどんどんこちらに近付いて来ていた。

「何だ? 侵入者?」

「まさか。ここ、どンだけ警備が厳重だと思ってンだ? それこそ超能力者級じゃねェと入れねェよ」
817 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/12/08(木) 01:10:36.95 ID:Nq8nMLBno

「じゃ、内輪揉めか」

「そンなとこだろうな、くっだらね……」

言いかけて。
一方通行は不意に足にとんと軽い衝撃を感じた。

「?」

疑問に思って見下ろしてみれば、そこには青い毛布にくるまった小さい何かが引っ付いていた。
一方通行の足に。

「……なンだこの怪人チビ毛布」

「すげえネーミングセンスだなそれ」

「か、匿って欲しいの! ってミサカはミサカはお願いしてみたり!」

「……あァ?」

小さい毛布が喋った。
どうやら中には人間が入っているらしい、が。
どう見ても、小さい。
この研究所にいる最年少の人間は一方通行であるはずなのに、その毛布の塊は明らかに一〇歳児程度の大きさでしかなかった。
垣根は首を傾げながらも、毛布を見下ろしながらそれに声を掛けた。

「何? 迷子?」

「んー、似たようなものかも。とにかくここから出たいんだけど、ってミサカはミサカはミサカの目的を大暴露してみる」
818 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/12/08(木) 01:11:17.46 ID:Nq8nMLBno

「出たいって……、ンなモンその辺の研究員に頼め。つゥか部外者立ち入り禁止だ」

「研究員さんに見つかったら捕まっちゃうんだってば、ってミサカはミサカは自らの複雑な立場を……」

「はァ? そりゃどォいう……」

「上位個体!!」

唐突に大きな声が聞こえてきて、途端に毛布は石みたいに凍り付いてしまった。
一方通行たちは声の聞こえてきた方向を振り返り……、驚いた。
そこには、他でもない一方通行がこれから二万回戦うはずの少女が立っていたのだ。

「上位個体、あなたという人は一体どれだけミサカたちの手を煩わせれば気が済むのですか、とミサカは上位個体を叱りつけます」

「うぐっ、な、何でよりにもよって10032号が……ってミサカはミサカは動揺を隠せなかったり……」

「……どういう展開だ? これ」

「知らン」

10032号と呼ばれた妹達は、毛布に向かってのっしのっしと歩いてくる。
それを見て恐れ慄いた毛布は一方通行の後ろに身を隠そうとしたが、その前に一方通行に毛布をふん捕まえられた。

「みぎゃー!? まさかの裏切り!? ってミサカはミサカは驚愕してみる!」

「いつ俺がオマエの仲間になったンだよ。つゥか何だこの毛布、この季節に暑っ苦しい」

「だ、だめー! これはミサカの旅の友(予定)なんだから……待って待ってほんとにほんとに駄目だってミサカはミサカはー!!」

毛布の抵抗も虚しく、その首根っこらしき場所を掴んだ一方通行はそのまま毛布を真上に持ち上げた。
819 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/12/08(木) 01:11:50.50 ID:Nq8nMLBno

と。

呆気なく毛布を奪われた毛布の中身が露わになる。
……それというのが。

「……は?」

「え?」

「あー……、とミサカはやっちまったぜという雰囲気を醸し出します」

一糸纏わぬ姿の少女だった。
文字通り。
少女は暫らく硬直したのち、現実に立ち返って身体を少しでも隠すべく勢いよく蹲った。

「き、きゃああああああ!? ってミサカはミサカはミサカはミサカはああああ!」

しゃがむ勢いで茫然としている一方通行の手から毛布を奪い取り、少女は再び毛布をかぶり直す。
しかしショックから立ち直れないのか、毛布をかぶったまま彼女は動かなくなってしまった。微妙に震えている気もするが。

「……え? 何? その年で変態なの? 露出狂なの?」

「その発想はありませんでした、とミサカは少年の解釈に驚きを露わにします」

「いやだって……え?」

「近頃の親は子供に服も買ってやンねェのか」

「いやだから違います、とミサカは更にツッコミを入れます」

「あ、いたぞ!」
820 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/12/08(木) 01:12:53.10 ID:Nq8nMLBno

そんなことをしている内に、廊下の奥からばたばたと何人もの研究員たちがやって来た。
彼らは一方通行たち……というよりも毛布の少女を取り囲むような陣形を取り始める。

「何の騒ぎだ?」

「お、お騒がせして申し訳ありません。妹達の制御装置が突如逃亡を図り……」

「制御装置?」

「そこの小さいののことです、とミサカは混乱している二人組に説明してやります」

言って妹達が指を指したのは、毛布の少女だ。
一方通行は眉を顰めながら研究員に尋ねる。

「制御装置ってことは、アンドロイドかなんかか。随分精密だな」

「いえ、クローンです。特殊な処理を施して他の妹達を統率できるようにしてあります」

「生きた制御装置ってことか? そりゃまた……」

そうは言うものの、垣根はあまり驚いた風ではない。
学園都市の最暗部で生きる彼にとっては、こうしたあまり人道的でない事柄は既に馴染んで久しいからだ。
そしてそれは、一方通行にとっても同じだろう。
いや、一方通行の方がそういうことをよく理解している筈だ。

「そ、そうですが」

「ふーん……」

「……み、ミサカはミサカは助けて欲しいの……」
821 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/12/08(木) 01:13:25.56 ID:Nq8nMLBno

いつの間にか、毛布の少女は再び一方通行の後ろに隠れていた。
どうやら“制御装置”としての処遇は、彼女にとってあまり良いものではないらしい。

「……はァ」

一方通行は盛大に溜め息をつくと、少女と目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。
当然思いっ切り目が合ったが、少女は一方通行の恐ろしい赤い瞳を見ても驚いたり恐れたりせず、真っ直ぐに見つめてきた。

「おい、クソガキ」

「な、なあに、ってミサカはミサカは返事してみたり……」

「オマエ、どォして逃げてきた?」

「……培養器が嫌だから。あの中で、ずっと浮いてるだけなんてつまんない。ミサカも他の妹達みたいに歩いたり喋ったりしたいもん、ってミサカはミサカは頬を膨らませてみる」

「…………」

一方通行は不機嫌そうに眉根を寄せて、立ち上がる。
そしてその赤い瞳を向けられた研究員は、ぎくりとしたようだった。

「オイ」

「な、何でしょうか」

「こいつは常に培養器ン中にいねェと駄目なのか? そこの妹達は普通に出歩いてるが」

「……その、妹達の司令塔である最終信号は我々にとっても非常に重要なものですので、万が一にも逃亡したり誘拐される可能性を少しでも排除したいのです。
 何せ二万人の妹達を一度に操作することも可能ですから、悪用された際に甚大な被害が……」
822 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/12/08(木) 01:14:51.00 ID:Nq8nMLBno

「だったら妹達の護衛でもなンでもつけりゃ良いじゃねェか。戦闘用に調整されてるし、数もありあまってンだろ」

「それは、その……」

研究員はまだ言いたいことがあるようだったが、一方通行の眼力に負けて何も言い出せないようだ。
しかし、このままではうやむやのまま少女が連れて行かれかねない。
どうしたものかと思っていると、唐突に研究員たちの後ろの方から女の声が聞こえてきた。

「良いじゃないの。そこまで言うんだったら彼にも責任を取って貰えば」

「は?」

言いながら研究員たちを分け入って進み出てきたのは、化粧っ気のない女研究員だった。
一方通行は今度はその女を睨みつけたが、女はまったく動じた様子が無い。

「どォいう意味だ」

「そのままの意味よ。あなたは最終信号……その子を自由に遊ばせてあげたいんでしょ?」

「あァ? そこまでは……」

「どっちにしろこのままじゃ納得いかないんだったら、あなたがその子の護衛をしてあげれば良いじゃない。第一位なんだから、実力は折り紙付きでしょ? ついでに第二位もいることだし」

「えっ俺も!?」

「でもまあお世話係までは流石に無理だろうから、そうね……10032号、最終信号のお世話係をお願いしても良い?」

「うっかり居合わせたばかりにとんでもない役目を押し付けられそうになってますがどうしましょう、とミサカは困惑します」
823 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2011/12/08(木) 01:15:29.32 ID:Nq8nMLBno

10032号と呼ばれた妹達は渋い顔で一方通行を見ている。
一方通行はそれを無視すると、自分にしがみ付いている少女の方に目を向けた。
彼女は、縋るような目で彼を見つめている。

「……はァ」

わざとらしいくらいに盛大な溜め息をつき、一方通行は頭を掻く。
そして暫く考えてから、重々しく口を開いた。

「緊急時の護衛だけだからな」

「やった! ってミサカはミサカは大喜び!」

少女は青い毛布が捲れるのも気にせずに飛び上がって喜ぶ。
その向こうで妹達は非常に苦々しい顔をしていたが、観念したように遠い目で溜め息をついていた。
しかし、そこで漸く今までフリーズしていた研究員が声を上げた。

「そ、そんな勝手に……」

「良いじゃない、あの第一位が護衛してくれるんだったら培養器の中よりも遥かに安全だわ。培養器のある部屋に能力者が乗り込んできたら私たちじゃ対抗できないしね」

「うっ……」

その後も女研究員は適当に他の研究員を言い包めながら去って行ってしまった。
他の研究員たちも、彼女の言にも一理あると思ったのかこれからどうすべきか会議しに行くのか、ぞろぞろとその場を去って行く。
そうして後に残されたのは、一方通行たちと妹達だけだった。

それを見送った一方通行は小さく息を吐くと、ちょんちょんと肩をつつかれたので振り返る、と。
そこには非常にニヤニヤと気持ちの悪い笑みを浮かべた垣根が立っていた。

「一方通行くんマジお人好し」

「垣根屋上」



860 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2012/02/13(月) 20:49:12.50 ID:VVErNlmYo

「ミサカは妹達の最終ロットとして製造されたの! 検体番号は20001号で、コードもまんま『打ち止め(ラストオーダー)』、ってミサカはミサカは自己紹介してみたり」

「へェー」

「このミサカはいわゆる妹達の司令塔的存在で、ミサカに特定の信号を入力して上位命令文に変換することによって
 全妹達に反抗不可能な絶対命令を下すことができるんだよ、ってミサカはミサカは説明してみる」

「ふーん」

「あ、でもイメージとしてはホストコンピュータよりもコンソールの方が近いかも。
 ミサカたちの脳波によって構成されているミサカネットワークに中心点っていうのは存在しなくて、
 ネットワークの中で特定の個体が『核』として存在することにはあんまり意味が無いの、ってミサカはミサカは講釈してみるんだけど……」

「そォなンだァ」

「…………」

「すげーなー」

「………………」

「それで?」

「……せっかくミサカが説明してあげてるのに全然聞いてないでしょ!? ってミサカはミサカは憤慨してみる! むっきー!!」

毛布の代わりに検査着を着せられた幼い少女、打ち止めは、両手をぶんぶんと振り回しながら怒りを露わにした。
が、机の対面に座っている一方通行と垣根は完全にスルーしている。
打ち止めの隣に座っている素体と同年齢程度の外見を持つクローンの少女も、器用に打ち止めの拳を回避しながら暢気に緑茶を啜っていた。
861 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2012/02/13(月) 20:50:11.59 ID:VVErNlmYo

「ってもそんな専門的な話されても俺ら分かんねーもん」

「要するにアレだろ? 外見はチビだけど上司なンだろ?」

「大体あってるけど! 大体あってるけど! せっかく細かく解説してあげたのにそんなに短くまとめられると一抹の寂しさを感じるかも!
 ってミサカはミサカは自らの複雑な心情を吐露してみる!」

「で、そっちのでかい方は何なンだ?」

「ミサカはただのミサカです、とミサカは簡潔に自己紹介します」

「ただのミサカとか言われても分かンねェよ、オマエら二万人いるンだろォが。名前とかねェのか」

「いやー、二万人も居るからこそ逆に名前とか無理な相談なんじゃないのかなー、ってミサカはミサカは非常な現実を突き付けてみたり」

「でもオマエは名前あるじゃねェか」

「まあミサカは特別ですから、ってミサカはミサカは胸を張ってみる。そもそも下位個体は個性がないから別個の存在として考えることに意味はないし」

「個性? 無いのか?」

「ありません、とミサカは即答します。実験の為だけに作られたミサカには、個性や感情といった代物は不要ですから」

「その割には……」

一方通行と垣根の視線が下位個体と呼ばれた少女に集中する。
少女は表情こそ変えなかったものの、僅かに眉を動かしたような気がした。
862 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2012/02/13(月) 20:50:32.65 ID:VVErNlmYo

「……何ですか、とミサカは物言いたげな二人に言葉を促します」

「んー……、いや、まあそうは言うけど意外と感情が見えるなあと」

「ミサカにはそのようなものは備えられていませんが、とミサカは首を傾げます」

「クローンっつっても人間は人間だからな。完全に無感情無個性って訳にはいかねェだろ」

「…………?」

尚、少女は眉を顰めて首を傾げている。

「まーそれは置いといて、何はともあれお前の呼称が必要だな。他の二万人とは違う名前が無いと流石に呼びにくい」

「名前ですか。その必要性を感じませんが、とミサカは切り捨てます」

「必要だろ。お前はチビの世話係で、こいつはチビの護衛係なんだから」

「…………………………そォいえばそォいうことになってたな」

「チビじゃないもん! 打ち止めだもん! ってミサカはミサカは必死に自己主張してみる!!」

先程まで大人しくしていた筈の打ち止めが再び暴れはじめた。
話が脱線に脱線を続けているので忘れかけていたが、そもそも打ち止めが自己紹介をしていたのはその為だったのだ。
これからそう短くない期間を付き合って行かなければならないのだから、まずお互いのことを知らなければならない。

「ったく、勢いに任せて余計なこと言うンじゃなかった……」

「その割には意外と満更でも無さそうだが」
863 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2012/02/13(月) 20:51:00.86 ID:VVErNlmYo

「何か言ったか垣根くゥン?」

「いーえー何でも御座いませんよー」

「一番のとばっちりはこのミサカですがね、とミサカは溜め息をつきます」

「偶然その場にいたってだけで世話係を押し付けられたんだからね! ってミサカはミサカは下位個体の苦労を労ってみる!」

「というか下位個体、いつにもましてハイテンションですね、とミサカは早くも疲れてきました」

「そりゃーだってあの培養器生活から脱出できるんだからハイテンションにもなるってもんですよー、ってミサカはミサカはまだまだテンション上昇中!」

「これ以上上げてどォする」

「じゃねーよ、名前だよ名前。どうすんの?」

「一応識別番号は10032号ですが、とミサカは便宜上の名称を提示します」

「ホントに便宜上だね、ってミサカはミサカはもっと良い名称は無いものかと頭を悩ませてみたり~」

「変な名前を付けられるよりかは数倍はマシです、とミサカは反論します」

「あー……、確かに」

「何故俺を見る」

「だってお前センス……」

「オマエだって人のこと言えンのか」
864 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2012/02/13(月) 20:51:46.13 ID:VVErNlmYo

垣根の動きが停止する。
そして二人は数秒間互いに顔を見合わせると、同時に少女の方に向き直った。

「10032号で」

「俺らには名付け親なんて大役は果たせそうにないんで」

「了解しました、とミサカは頷きます」

「二人のセンスが気になるところだけどここは黙っておくのが賢い選択かも、ってミサカはミサカは口を噤んでみたり」

「賢明な判断だ」

一方通行がやけに真面目ぶった口調でそういうと、打ち止めはわざとらしく怖がって見せた。
そんな二人のやりとりを、垣根が意外そうに眺めている。

「打ち止めって意外と肝が据わってるよな」

「へ? 何で? ってミサカはミサカは首を傾げてみたり」

「ふっつー学園都市第一位っつったらもうちょっと恐れ戦くもんだぜ。こいつ見た目も怖いし」

「さらっと悪口挟みましたね、とミサカは気安すぎる第二位に呆れます」

「今更その程度気にしてらンねェけどな」

「んー、人の見た目で怖いとか怖くないってよく分からないかも。ミサカ、ちゃんと人の顔を見たのってあなたが初めてだったし。
 むしろそれくらい特徴があってくれると分かりやすくて助かるよー、ってミサカはミサカは素直に白状してみたり」

「あー、確かに分かりやすくはあるな」

「背が低くとも遠目でも一目で分かりますね、とミサカは白髪赤眼の有用性に感心します」

「……遠回しに馬鹿にしてねェか?」

「そんなことはありません、と言いつつミサカはさり気なく目を逸らします」

「お前も大した肝の据わりようだよ……」

言って、呆れたような瞳を向けてくる垣根と憮然とした一方通行を見て、ミサカ10032号は何だか不思議に心が揺れ動いた、気がした。
斯くして、奇妙な『最終信号護衛隊』は結成されたのであった。


865 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2012/02/13(月) 20:52:12.07 ID:VVErNlmYo

―――――



……と、一息ついたのも束の間。
その三日後に、さっそく打ち止めが大騒ぎを始めた。

「外に行ってみたい! ってミサカはミサカは駄々を捏ねてみる!!」

そんな彼女の正面に立っているミサカ10032号は、ぐいぐい引っ張られるスカートを抑えながら小さく溜め息をついた。
下位個体である妹達ならいざ知らず、上位個体である打ち止めにはそのような調整はなされていない。
よって、打ち止めの要求はとてもではないが通る筈の無いものなのだ。

「あなたも理解しているでしょう。
 あなたはそのようなことができる身体ではありませんし、ミサカにそのような権限はありません、とミサカはばっさり切り捨てます」

「でもでもでも! 他のミサカたちは研修って言って外に出てるのにー! ミサカネットワークで色々流してくるのに!
 なんでミサカだけ外に出ちゃ駄目なのー! ってミサカはミサカは我儘を言ってみる!」

「そんなことをミサカに言われても困ります。研究員の方々に仰ってください、とミサカは突き放します」

「そんなの聞いてくれるわけないじゃん! ってミサカはミサカは既に実行して失敗した記憶を苦く思い返してみたり!」

「本当にやったんですか、流石の行動力ですね……とミサカは呆れを通り越して感心するしかありません」

「……何騒いでンだ?」

研究所の廊下のど真ん中で大騒ぎしている二人を見て、何処からか歩いて来た一方通行が不審者でも見るような視線を向けてきた。
すると一方通行に気付いた打ち止めが、期待に満ちた瞳を輝かせながら駆け寄ってくる。

「そうだ、あなたがいたら大丈夫だよ! 護衛だもん! ねっ10032号! ってミサカはミサカは一縷の希望に賭けてみる!」

「だからそもそもあなたにはそのような調整がされていないんですよ……、とミサカは諦めの悪い上位個体に辟易します」

「……何の話だ?」

「ミサカ外に出てみたいの! ってミサカはミサカは主張してみたり!」

打ち止めの言葉に、一方通行は眉を顰める。
そして彼女から僅かに目を逸らしながら、気まずそうに口を開いた。

「あァ……、そりゃ無理だ」

「なっ、何で? ってミサカはミサカはショックを受けつつも食い下がってみる」

「俺が外に出れねェからだ」
866 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2012/02/13(月) 20:52:40.86 ID:VVErNlmYo

予想外の返答に、打ち止めはきょとんとした。
鉄面皮のミサカ10032号ですら、少し驚いたような顔をしている。

「あなたが? 出れないの? ってミサカはミサカは目を丸くしてみたり」

「あァ。なンでも機密保持の為だとか何とか」

「……機密保持、ですか、とミサカは繰り返します」

打ち止めに引っ張られてしわくちゃになったスカートの裾を整えながら、ミサカ10032号もこちらに歩いてくる。
一方通行は軽く頷くと、言葉を続けた。

「面倒臭ェことに、学園都市第一位ってのは学園都市の技術の結晶みてェなモンだからな。
 俺一人のデータをほンの少しでも持ち出されて解析されるだけで、学園都市にとっては大打撃なンだそォだ」

「でもあなたがそんな簡単に襲われたりなんかするようには見えないけど、ってミサカはミサカは素直な感想を述べてみる」

「そりゃァな、ンなことすりゃ即刻スクラップだ。ただ、どォも俺がその場に残した毛髪や皮膚片だけでもアウトらしい。基本マークされてるらしいしな」

「ふおお、第一位って苦労してるのね……、ってミサカはミサカは驚愕してみる」

「……ですが、毛髪や皮膚片程度ならあなたの能力でどうとでもなるのでは? とミサカは疑問を差し挟みます」

「そォだが、そこまで気ィ使ってまで外に出てェとも思わねェし、他にいくらでもデータを取る方法はあるからな。流石に全部は対策できねェ。
 それに、機密レベルの高い学区内なら割かし自由に行き来できる。……オマエが行きたいと思ってるよォな、人の多い学区には行けねェが」

「若いのに苦労してるのねー、ってミサカはミサカは年寄めいたことを言ってみたり」

「……とにかく、俺には無理だから外に行くなら護衛は垣根辺りに頼め。アイツは自由だから」

「…………、……?」

ふと違和感を感じて、疑問を口にしようとミサカ10032号が口を開きかける。
しかしその時、ちょうど背後から掛かった声に彼女の疑問は掻き消されてしまった。

「よーう、そんなとこでなにしてんの?」

「カキネ! ってミサカはミサカは期待のこもった目を向けてみたり!」

ぐりんとこちらを振り向くなりキラッキラした瞳を向けてくる打ち止めに、流石の垣根も嫌な予感を察したらしい。
即座に回れ右して逃亡を図ったが、一番近い位置にいた10032号にあっさり捕まってしまった。
867 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2012/02/13(月) 20:53:11.27 ID:VVErNlmYo

「上位個体がいい加減五月蠅いので何とかしてください、とミサカは第二位に幼女の世話を押し付けます」

「外! 遊びに行きたい! ってミサカはミサカは再び主張してみる!」

「そ、外ぉ? そんな権限俺にねえって……」

「おーねーがーいー! ってミサカはミサカはー!」

体よく垣根に打ち止めを押し付けてきたミサカ10032号が、一仕事終えた顔で戻ってきた。
本人は無感情無個性を自称しているが、こうした感情の機微が伺えることから、やはり単に彼女たちが感情というものを理解していないだけのようだ。
一方通行はそんなことを適当に考えていたが、ふと先程の彼女の様子を思い出して口を開いた。

「そォいえばオマエ、さっき何か言い掛けてなかったか?」

「え? とミサカは先程の記憶を探ってみます」

「……その口癖面倒臭ェな」

「ミサカのアイデンティティです、とミサカは改める気が無いことを宣言します……というのは置いておきまして」

先程、確かに自分は何かを言い掛けていたような気がする。
が、垣根の登場と打ち止めの大騒ぎのお陰でそれが何なのかさっぱり分からなくなってしまったようだった。
彼女は傾げた首をまた反対方向に向け直すと、一方通行に向き直って眉根を寄せる。

「ミサカは何を言い掛けたのでしょう? とミサカは一方通行に問い掛けます」

「俺に訊くな」

「まあ忘れてしまったということは大したことのないことだったのでしょう、とミサカは結論付けます」

「それもそォか」

二人はそう考え直すと、再び垣根と打ち止めの大騒ぎに目を向ける。
騒がしいし鬱陶しいし面倒臭いが、こんな時間もそう悪くないものなのだということを、とミサカ10032号は初めて知った。


868 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2012/02/13(月) 20:53:45.43 ID:VVErNlmYo

―――――



結論から言うと。
打ち止めの外出は、認められなかった。

垣根とミサカ10032号が同伴することを条件に、流石に見兼ねた一方通行が研究員と交渉してくれたりもしたが、それでも駄目だった。
ここまでやって駄目となると流石に打ち止めも諦めざるを得ないことを悟ったのか、現在では先程の大騒ぎが嘘のように意気消沈している。
これにはミサカ10032号も同情を禁じ得なかったが、第一位でも駄目だったことをただの一クローンである彼女がどうこうできる筈がない。
彼女はしょんぼりしている打ち止めを適当に慰めながら、あちこち交渉しまわってぐったりしている二人組を眺めていた。

「第一位と第二位の二人掛かりでも機密レベルの壁は高かった……」

「……しつこいようですが、上位個体は外部の環境に適応する為の調整が行われていませんからね、とミサカは繰り返します。
 外出を許可するということは即ちその為の調整を行わなければならないという訳ですが、あの研究員たちがそのような手間を割くとは思えません」

「……芳川あたりならなンとかなると思ったンだが」

「無理だろ、あいつにそんな権限ねえし。そもそも上位個体の大幅調整なんて一人で出来るようなもんじゃねえ」

「大きな機材を複数使いますから、こっそりやるのも難しいですしね、とミサカは冷静に分析します」

言いながら、ミサカ10032号はちらりと打ち止めに目を向ける。
打ち止めは机にべったりと上半身をつけて項垂れながら、ぼけっと壁を見つめていた。

「ミサカは……ミサカは……」

「あちらはあちらで重傷なようですしね、とミサカは頭が痛くなってきました」
869 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2012/02/13(月) 20:54:17.91 ID:VVErNlmYo

「頑張れ世話係」

「護衛係もたまには働いてください、とミサカは不満を漏らします」

「まー研究所の中に引きこもってたんじゃ護衛っつってもやることないよな。基本安全だし」

「存外楽な仕事で助かってる」

「やることがないのでしたらミサカを手伝って下さい、とミサカは協力を要請します」

「つってもなァ」

一方通行も打ち止めを見やる。
打ち止めは机の上で上半身をごろごろと動かしながら拗ねていた。

「ガキの宥め方なンか知らねェぞ」

「ミサカだって知りません、とミサカは困り果てます」

「洗脳装置でそォいうのインストールされねェのかよ」

「実験に不要な知識ですので、とミサカは第一位の言葉を肯定します」

「詰まるところ、俺たちは誰一人としてガキ一人宥める方法も知らないってことだな」

三人はそれぞれ顔を見合わせると、はあっと盛大に溜め息をつく。
それが気になったのか、打ち止めが一瞬だけこちらに目をやったが、すぐに頬を膨らませてそっぽを向いてしまった。




885 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2012/04/24(火) 00:36:15.97 ID:JsxnDwzjo

雨の降り続く、ある梅雨の夜。
その晩は一際雨脚が強く、うるさい雨音の所為でミサカ10032号がなかなか寝付くことができない程だった。
寝るタイミングを完全に逸してしまった彼女はがばりと布団から上体を起こすと、隣でぐっすりと寝入っている打ち止めを恨めしげに見つめる。

(このミサカが眠れずに苦しんでいるというのにこんなに気持ち良さそうに寝ているとは……、とミサカは上位個体に八つ当たりをします)

ミサカ10032号は打ち止めの傍まで寄ると、打ち止めのほっぺを突いたり抓ったりして遊び始める。
しかし打ち止めは本当に深い眠りに入ってしまっているのか、ちっとも目を覚ます気配が無かった。

(……目を覚ましたら覚ましたで五月蠅いので構いませんが、とミサカは自らの矛盾した行動を認めます)

一頻り打ち止めのほっぺで遊んで満足すると、彼女は再び立ち上がる。
すっかり眼が冴えてしまった。
このまま再び布団に入ったところで眠れはしないだろう。

(夜の散歩でもしてみましょう、とミサカは思い立ちました)

思い立ったが吉日、と言わんばかりに彼女は扉を開く。
真夜中であるにも関わらず昼間と変わらずに明るい廊下の光が目を刺したが、彼女は目を細めながらも外へと踏み出した。


886 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2012/04/24(火) 00:36:43.73 ID:JsxnDwzjo

―――――



(とは言え流石にこんな時間では誰もいませんね、とミサカは当然の結論を出します)

廊下に出て暫らくは目が眩んであまり周囲が見えていなかったが、暫らく歩いている内に目が慣れてきた。
しかし周りが見えるようになっても、歩いている人間など一人もいない。
廊下が明るいと言っても、こんな時間に起きているのは徹夜で研究室に籠っている研究者くらいのものだからだ。
ミサカ10032号には何の為に廊下の電気が付けっ放しになっているのか理解できなかったが、考えても無駄だと思いそんな疑問はすぐに忘れてしまった。

(この先の自販機で暖かいものでも飲めば少しは寝やすくなるでしょう、とミサカは就寝の算段を立てます……、?)

ポケットの中の小銭を確かめながら歩いていたミサカ10032号が、立ち止まる。
妙な音がしたからだ。

ずる、ずる、と。
何かを引き摺っているような、粘ついた液体が尾を引いているような、そんな音。
嫌な音だ、と彼女は思った。

(侵入者でしょうか、とミサカは推測を立てます)

ミサカ10032号は無論丸腰だが、相手がただの人間であるならそんなことはまるで問題にならない。
いや、強能力(レベル3)程度の能力者であったとしても彼女の前には手も足も出ないだろう。
超能力者の第一位、一方通行と戦闘を行う為に生産された軍用クローン。それが彼女たち妹達だからだ。

(この研究所のセキュリティは他の実験関連施設に比べて甘いですが、それでもセキュリティを破ったことには変わりない。
 警戒しておくのが賢明ですね、とミサカは慎重な行動を選択します)

ミサカ10032号は壁に背をぴったりとくっつけて、じりじりと廊下の三叉路へと近付いていく。
気取られないようにそろりそろりと身体を動かし、彼女はようやく廊下の向こう側を覗き見ることができた。
そこには。
887 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2012/04/24(火) 00:37:24.75 ID:JsxnDwzjo

(…………?)

ずるり、と音を立てて赤く染まった服の裾のようなものが、壁の向こうに消えて行った。
しかしその真っ赤な何かの中にかすかに残っていた白に、ミサカ10032号は見覚えがあるような気が、した。

(あれは……、)

「おい」

唐突に背後から掛けられた声に、ミサカ10032号は飛び上がりそうになるほど驚いた。
肩に置かれた手を咄嗟に払い除けて勢いよく振り返る。
と、そこには一方通行が立っていた。

「いてェ」

「も、申し訳ありません……、って『反射』はどうしたのですか、とミサカは疑問を差し挟みます」

「こォいうことがたまにあるから切ってンだよ。クソガキもタックルしてくるしな」

「それは……、お気遣いありがとうございますというか申し訳ありませんというか……、とミサカは言葉を選びます」

「別に、気にすンな。それよりオマエ、こンなとこで何してンだ?」

「あっ、とミサカは本来の目的を思い出します」

「もォその口調に突っ込まねェからな」

一方通行の言葉を無視して、ミサカ10032号は慌てて廊下の向こう側に駆け出した。
しかし、そこにはもう誰もいない。
ただ、先程『何か』が引き摺られていったと思われる床には、真っ赤な血が擦り付けられた痕がついていた。
888 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2012/04/24(火) 00:38:05.82 ID:JsxnDwzjo

「ミサカは最初、侵入者が現れたのだと考えました。ですがこれは、まさか……」

「あァ。垣根だな」

あまりにもあっさりと告げられた名前に、ミサカ10032号は一瞬茫然としてしまった。
だが彼女はすぐに我に帰ると、難しい顔をする。

「……怪我をしているのでしょうか、とミサカは推測します」

「いや、返り血だな。アイツはンなヘマ踏む真似しねェ」

「只ならぬ雰囲気のようでしたが、彼はああいうときはいつもこうなるのですか? とミサカは首を傾げます」

「あー……、まァ、怪我はしてないにしろ何かあったンだろォな」

それだけ言うと、一方通行はミサカ10032号の頭を軽く叩いて彼女の前を歩き始めた。
もしかして今のは頭を撫でられたのだろうか、とミサカ10032号は認識すると、前方を歩く一方通行に声を掛ける。

「今の彼はそっとしておいた方が良さそうでしたが、とミサカは判断を下します」

「良いンだよ、俺は。機嫌を損ねたところで天地が引っ繰り返ったって殺されやしねェよ」

「……そうですか、とミサカは取り敢えず納得しておきます」

それはつまり一歩間違えれば殺しに掛かられるくらいの状態であるということだが、ミサカ10032号は深くは追及しなかった。
一方通行は止めたって聞かないだろうし、その行動の動機も理解しようがなかったからだ。
洗脳装置で情報を強制入力され、研究所に軟禁されていると言っても過言ではない生活をしている彼女には、そうした機微を感じ取るだけの精神が発達していなかった。
意図的に、そうした成長をしないように調整されているのかもしれないが。

「それから、オマエは暫らく垣根に近付くなよ。他の研究員どもにも伝えておけ」

「何故ですか、とミサカは疑問を口にします」

「そこは気にすンな。触らぬ神に祟りなしって言うだろ、アレは天使だが」

「取り敢えず、了解しました。お気を付けて、とミサカは一方通行を見送ります」

「大きなお世話だ」

一方通行はそれだけ言うと、ミサカ10032号に背を向けて歩き出す。
ミサカ10032号は暫らくその背中を見つめていたが、研究員たちに一方通行の伝言を伝える、という任務を与えられたことを思い出してすぐに踵を返した。


889 : ◆uQ8UYhhD6A[saga]:2012/04/24(火) 00:39:25.24 ID:JsxnDwzjo
投下してみると本当に短かったですね……、逆に居た堪れなくなってしまいました。
申し訳ありませんが、本日の投下は以上です。
もはや見捨てられてしまっても仕方ないレベルですが、次回の投下も気長に待っていて下さると嬉しいです……。
それでは、これにて。
890 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします[sage]:2012/04/24(火) 01:28:12.26 ID:ig0iyUJe0
乙 次もよろしくです
891 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(長屋)[sage]:2012/04/24(火) 06:47:03.53 ID:eACWKaOKo




910 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします[sage]:2012/07/15(日) 19:18:05.03 ID:ax3Ma6Uu0
諦めるなよ!
信じるんだ!!
911 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(京都府)[sage]:2012/07/22(日) 01:49:15.29 ID:76tPi53ao
ここまで期間が空くと絶望的か
912 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします[sage]:2012/07/24(火) 16:04:03.83 ID:aEnOy3gj0
待ってるよー 

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