- 532 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/26(土) 00:35:43.16 ID:7JZrLjMN0
人は、自分より不幸な誰かがどこかにはるはずだと思いこむことで心の均衡を保つ。
ステイル=マグヌスが己の人生を顧みた時、そこには夥しい数の焼死体が並ぶ。
欲深い者、残虐な者、卑劣な者、死にたがる者、生きたがっていた者、家族を待たせていた者。
一切の区別など差し挟まず、焼いて焼いて焼いて焼いて焼いて焼いて焼いて焼き尽してきた。
屍が織りなす道をさかのぼっていくと最後に待ち受けているもの。
即ち、ステイルが最初に殺した者。
“少女”。
大量の死体の山を築いてでも護りたかった少女の『死』がその道程のはじまりに在るとは、
乾き笑いさえ沸いてこない特級の皮肉である。
それでも、ステイルは己を取り巻く悲劇の渦に酔ったことはなかった。
ステイルが燃やした屍の中には、ステイルよりよほど無残な末路を辿った不幸者もいたであろう。
相変わらず口にするのも忌々しい名だが、『上条当麻』とてその一人だ。
出会って間もない少女のために苦しんで傷付いて、そして死んでいった少年。
見慣れた煉獄の中の彼らに較べればステイルはいま、果報にもほどがある幸せ者であった。
では、真に不幸な者とはいったい誰なのだろう。
あいつよりはマシだ、こいつに較べれば何てことはない。
そんな連鎖を辿った先にいる正真正銘の、世界一の悲運を背負った者とは、どこの誰なのだろう。
- 533 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/26(土) 00:36:14.55 ID:7JZrLjMN0
やはり上条当麻だろうか。
しかしあの男は、普段から『不幸だ』『不幸だ』と連呼する割には人生を悲観していない。
ステイルもここ一年で叫ぶ機会に恵まれた――見舞われた、と言うべきか――から分かるが、
人間本当に辛い時はなかなか言葉が出てこないものである。
加えてあの男は、己が身に降りかかる不幸を誇りに思っている節すらある。
真性の被虐嗜好なのかもしれない。
一方通行、打ち止め、御坂美琴、『妹達』、垣根帝督、浜面仕上、麦野沈利。
エツァリ、ショチトル、トチトリ、シェリー、ヴィリアン、アニェーゼ、サーシャ、神裂火織。
苛烈な境遇に身を置いた者の名が次々に浮かんでは消えるが、誰もが最後は一様に笑顔だった。
彼らは『生』きているからこそ幸福を掴めたのだろうか。
ならば真の不幸とは、『死』にほかならないのか。
だが、死人はなにも感じない。
泣かないし、笑わないし、怒らないし、悲しまないし、喜ばない。
十字教に属する身としては異端審問ものの思想だが、ステイルが思うに、死者はそれ以上
不幸になどなりようがない。
そこまで考えて、思い至った。
なぜだか、本当にどういう訳か忘却の彼方にあった女性の顔に、連なる鎖のように
引っ張られてきた“あの男”の顔。
ステイルは一つの結論を出す。
- 534 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/26(土) 00:37:11.23 ID:7JZrLjMN0
真の不幸者とは。
世界一報われぬ者とは。
『生』きながらにして『死』者になってしまった人間である。
- 535 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/26(土) 00:38:08.93 ID:7JZrLjMN0
---------------------------------------------------------------------------
七月二十七日、午後九時。
手近なレストランで夕食を済ませたステイルは、ロンドンで住居とするフラットに
帰宅すると外套も脱がずに安普請のベッドに寝転がった。
目線をなんとなしに、部屋のあちこちにせわしなく走らせる。
最低限の生活必需品だけ揃えられた質素なワンルームの内観はなにも、イギリス国民の
血税を糧にしているから、などという殊勝さに結びつくわけではない。
単純に『眠る』用途だけを満たせればそれで十分だったからだ。
ステイルはこの一年、朝日が昇る前には起きて日付が変わった時分に帰る、単調な
生活サイクルをほとんど乱していない。
それでも日々がまるで色褪せない理由は明々白々、論ずるに値しなかった。
彼女が、側に居てくれるから。
しかしこうして一週間をインデックスから、任務から遠のいて過ごしてみると、
不便に感じたことなどないねぐらが何やらみっともなく思えてきて仕方がない。
ベッドに対面するように木製のクローゼット(中身はほぼすべて普段着の黒い神父服)、
その隣に特大の姿見が掛けられベッド脇には大型のネストテーブル、上にはメモ帳と万年筆。
それと、それから――――
- 536 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/26(土) 00:39:16.51 ID:7JZrLjMN0
それで、まるっきり全部である。
魔術師のアトリエ的体面を保つべく壁紙や家具のあちこちにルーンが散りばめられて、
涙ぐましい自己主張をしてはいる。
しかし、そういった“異常”を四捨五入するという条件式を加えてしまえばあら不思議、
ほかに描写するべき点などみじんも見当たらなかった。
当然、インデックスはおろか土御門や神裂ですら招いたことはない。
インデックスが住まいとする最大主教官邸とは比較するもおこがましい。
あれでも一応あっちは、前任者が残した装飾過多のインテリアをかたっぱしから売り払って
華美に過ぎる内装の改善を図ったのだが。
(最大主教は、いまごろ『ランベスの宮』だろうか)
この忙しい時期に護衛を離れたのは申し訳なかったとは思う。
だがステイルも、一世一代の大勝負に向けて一心精進するだけの暇が欲しかったのだ。
――――昨日までは。
いま現在ステイルの脳裏を占めているのは、
『インデックスはどんな答えを返してくれるのだろうか』だの、
『そもそも待ち合わせ場所に来てくれるのだろうか』だの、
『ランベスを一人で出奔させるのは、あまりに考えなしだったのではないか』だの、
そんな女女しく弱弱しい思考ではなかった。
……いや、確かに今日の午前中までは延々と胃をキリキリ言わせて思い悩んでいたのだが。
だがそれらを全て、ほんの九時間前に火織がもらした一言が吹き飛ばした。
- 537 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/26(土) 00:40:06.48 ID:7JZrLjMN0
(明日……か)
明日。
四次大戦の主要参戦国が、毎年持ち回りで行うと定められた慰霊祭の日。
今年は英国女王リメエアの主宰で、最大主教が鎮魂の儀を執ることが決定済みである。
ちなみに日本からの国賓は皇室のみで、学園都市勢は今回訪英していない。
終戦記念日。
すなわちアレイスター=クロウリーが、上条当麻に敗れ消失した日。
それが偶然――――
『四次大戦の終戦記念日が、“あの”七月二十八日と重なるだなんて』
ステイル=マグヌスと神裂火織にとって、途方もなく特別な意味を持つ一日。
七月二十八日に“偶然”重なった。
(偶然。偶然だと?)
そんな偶然などあるはずがない。
ローラから『禁書目録』の真実を知らされた今となっては、そうとしか思えない。
(…………なぜ、いままで気が付かなかったんだ)
四次大戦の終結したまさに三年前、その偶然の存在を見落としたわけではない。
しかし当時のステイルが有していた情報量では、その一致を偶然の産物と見なすほかに
解釈のしようがなかった。
- 538 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/26(土) 00:41:11.46 ID:7JZrLjMN0
ふと思いついて時計を見る。
果てのない思索に耽るうちに、あっという間に三十分が経過していた。
少し早いが、ここで悩んでいるより『指定場所』へ向かおうかとステイルが考えたとき、
「…………ん? 土御門…………?」
味気ないベル音が、曲者からの着信を告げた。
「なんだい」
『今どこにいる?』
土御門は開口一番、常日頃の煩わしい前口上も挟まずそう問うてきた。
「ロンドンの自宅だ、いきなりどうした? 君はもうこっちに帰っているのか」
『俺はまだ日本だ。だが、“ある男”がロンドン入りしたとの情報を入手したんでな』
「…………なんで現地にいる僕より情報が早いんだ、君は」
『まあそれは土御門さんの人徳のなせる……悪い、いまはふざけてる場合ではなかった』
切実な態度に、ステイルも即座に頭を切り替える。
同時にロンドン中に張り巡らせた渾身の防衛探知網に魔力を流し、一瞬で起動を終えた。
「よほどの危険人物と見えるね。今のところ『守護神』には何も引っかかっていないが」
『危険、か。ある意味ではそうなのかもしれん』
「対象の特徴と現在地は?」
- 539 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/26(土) 00:42:24.43 ID:7JZrLjMN0
プロの魔術師として淡々と要点だけを抜き出そうとするステイル。
対する舌鋒鋭き稀代の説客、土御門元春の歯切れは奇妙に悪かった。
「どうした土御門、さっさと情報を寄こせ。手早く“済ませて”しまいたいんだよ、僕は」
苛立ちを舌の裏にひそませて、努めてそっけなく促す。
できれば『天罰』からの遠隔爆撃で片付けてしまいたいが、そのような驕りが時に死にすら
直結するとステイルは嫌になるほど知悉している。
焦燥からの拙速がインデックスの涙の呼び水となるようでは、それこそ本末転倒だ。
理性は言う。
(彼女に、断りの連絡を入れるべきかもしれないな)
しかし、本能と人が呼ぶであろう脳のどこか一部分が、その選択に激しい警鐘を鳴らし
続けている。
正体のまるで知れぬ途轍もない恐怖感を、根拠もなくステイルは抱いていた。
すると突如として土御門が沈黙を破る。
『いいか、落ち着いて聞けよステイル』
声を出していなければ顔も見せていない。
だと言うのにこちらの不可解な懸念を見通したかのように、土御門元春はそう言った。
ついつい語勢が不自然に強くなる。
「僕は、至って、冷静で――――」
- 540 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/26(土) 00:43:13.67 ID:7JZrLjMN0
『いま、「 」がロンドンにいる』
「―――――――――――――」
次の瞬間、ステイルはドアを蹴破るようにして夜の倫敦へと駆け出していた。
- 541 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/26(土) 00:44:19.67 ID:7JZrLjMN0
「…………ハァ、ハァッ……………!」
走る、奔る、疾る。
『霧』の名を戴く魔都は、その実めったにお目にかかれない濃霧に濡れそぼっていた。
『奴の、この十一年間の足取りはいまだ掴めてはいない。確かなのは、つい先ほど
ロンドンに出没した、というその事実だけだ』
薄気味悪い水気が鬱陶しく全身にまとわりついてくる。
しかしそれらを気にも留めずステイルは、人気もまばらなロンドンを一直線に駆け抜ける。
『すべてを“思い出した”のか? それとも断片的に? はたまた全くの偶然なのか。
それもわからない』
到底信じられない名を、『この世のどこにもいない』はずの男の名を、土御門は告げた。
言葉を失う、などという生易しいものではなかった。
『だが、ハッキリと言葉では言い表せないんだが、異常なまでに嫌な予感がする。
こんな事を言えばお前は嗤うかもしれんが…………強いて言えば、スパイとしての
“勘”ってヤツがな、どうしようもなく囁いてくるんだ』
嗤うものか。
たとえ全力疾走していなかったところで、この胸を打つ早鐘は緩みはしないだろう。
- 542 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/26(土) 00:46:02.53 ID:7JZrLjMN0
『…………本来ならば、お前に報せるべきではなかったのかもな』
一理ある。
ステイルでは“あの男”に対して、良かれ悪かれ私情が入る可能性は十分にあった。
イギリス清教には他にも手練はいるのだから、とてもではないが合理的判断とは言い難い。
しかしステイルは土御門の“情”に感謝していた。
“あの男”が生きていたのならば、どんな形であれ決着をつけるのは自分でなければならない。
理由などなくとも、使命感にも似た情動にステイルは突き動かされていた。
「はっ、はぁ、彼女に、は…………言っ、て、いない、だろうな……」
『さすがに、こればかりはな。教えたところで、何がどうなるというものでもない』
「そこだけは、っはぁ、懸命な判断で、たす、かる、よ」
『俺にも、これから事態がどう推移するかさっぱり読めん。だからこれだけは言っておくぞ。
――――――いいか、絶対に、死ぬなよ」
「!」
『お前はもう、インデックスと生きることを迷わないんだろう? だったらわかるな』
「…………ああ」
『良い返事だ。なにかあったら必ず連絡しろ』
“仲間”の声に短く、しかし力強く応えて通話を切る。
心臓が胸を突き破らんばかりに、激しく脈打っていた。
- 543 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/26(土) 00:47:20.79 ID:7JZrLjMN0
指定された通りに到着すると、ステイルは魔力探知を始め――――
「ロンドンの神父、か。…………いや、いまは私こそが異邦人なのだな」
――――ようとして、すぐに止めた。
- 544 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/26(土) 00:48:40.77 ID:7JZrLjMN0
落ち着いて辺りを見渡せばそこは、閑散とした住宅街だった。
休日の昼間なら家族連れで賑わうであろう自然公園も、この時間帯では見る影もない。
コインの表と裏。
そんなイメージがとっさに浮かんだ。
「こうも素早く察知されるとは。イギリス清教の魔術師も、存外馬鹿にできんものだ」
声の主はメインストリートの中央に所在なさげに佇んで、夜空を仰いでいた。
霧に覆い隠されてしまった月を必死でさがそうと暗中模索している。
ステイルにはそう見えた。
挑発的な内容とは裏腹に『男』の声はただただ哀しげで、感情を持たぬ人形が台本を
読むように一本調子だった。
「生きて、いたんだな」
問い掛ける声が掠れた。
四肢には粘りのある湿気が絡みついているというのに、喉は乾ききっていた。
いま
「“必然”。彼女の現在を見届けぬ限り、私は死んでも死にきれん……おそらく、な」
「…………それが、君の目的なのか」
- 545 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/26(土) 00:49:50.79 ID:7JZrLjMN0
そうしてステイルは、『生』きながら『死』んだ男の名を、確かめるように呼んだ。
「アウレオルス=イザード」
- 546 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/26(土) 00:52:13.46 ID:7JZrLjMN0
ステイル=マグヌスは少々不幸な人生を歩んできた。
上条当麻もやや不運の多い道を辿ってきた。
客観から見ればそう評価が下るであろう。
ならばステイルの眼前に立つ、この男はどうなのだろう。
彼自身の主観からすれば、おそらくではあるが、不幸ではなかったのではないだろうか。
他人の主観を『だろう』で語るなど失笑ものだが、ステイルにはそう的外れな推測とも思えない。
なぜならこの男は、筆舌に尽くし難い“最悪”の記憶を綺麗に喪失してしまったのだから。
ゆえにこの男は、考え得る最悪の不幸には触れないままにこの十年を送ってきたのだろう。
不幸を知らず。
苦しみを忘れ。
しかし――――――救われなかった男。
客観的に見て、世界でも有数の、とびきりの不幸に見舞われた『生ける死者』。
ステイルの認識下におけるアウレオルス=イザードとは、そういう男だった。
Passage4 ――もう一人の失敗者―― END
- 553 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/26(土) 22:28:58.30 ID:7JZrLjMN0
――Passage5――
虚空に視線を彷徨わせる男を、ステイルはじっくりと観察する。
一瞥して目に留まるのは服装だった。
ダークグレーのかっちりした高級スーツを見事に着こなす様からは男の品の良さが、
そしてこの十一年をどのように過ごしてきたかが窺える。
少なくとも金銭的、経済的な『不幸』からは縁遠い。
しかし視線を徐々に持ち上げていくにつれ、そんな『幸福』が彼にとっていかに
無味乾燥としたものだったのか、自然とステイルは悟った。
闇よりなお濃く、その表情に落ちる影。
諦観者に特有の絶望が染み込んだ、昏い瞳。
この世の底に繋がっていると錯誤させるほどに、深く深く窪んだ眼窩。
「………………なるほど」
つぶやきは、自身に宛てたものだった。
“十一年前の面影を残す”その風貌を視界に入れてようやく、ステイルは強烈な
視野狭窄に陥っていた自己を自覚した。
- 554 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/26(土) 22:29:46.02 ID:7JZrLjMN0
「二、三、質問がある。答えてもらおうか」
土御門はロンドンへの来訪者をアウレオルスであると断定してステイルに連絡を入れて
きたが、その事実からしてそもそも矛盾している。
なぜなら十一年前にステイルが敗北した錬金術師を野に放ったとき、彼は在りし日の
面影を完全に失い、別人の顔を手に入れていたからだ。
そして変わり果てた『アウレオルス=イザード』を本人と同定できるのは、この世で
ただ一人その『顔』を目撃したステイルだけであるはずなのだ。
しかし。
「“その顔”は、一体どうしたことだ?」
彼は、彼を知る者ならば誰もが一目見てそうだと断言できるほどに『アウレオルス』だった。
上条当麻や姫神秋沙なら、確実に遠目でも判別が付くであろう。
ならば、ステイルが最後に見た『別人の顔』はどこに消えたのか。
なかばまで真相を看取しながらも、ステイルは鋭く詰問した。
「……ルーンの魔術師よ。私の身に何が起きたのか、知っているのなら教えてはくれないか」
だが、返ってきたのは見当違いの懇願だった。
- 555 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/26(土) 22:32:34.37 ID:7JZrLjMN0
「呆然。私自身、なぜこの場所に立っているのか、明瞭には説明ができないでいる」
「そんな義理、僕にはない。僕がすべきは」
そう言いかけてステイルは口を噤んだ。
ならばいったい、自分はこの男をどうすべきなのか?
その問いに明確な回答を為せない自分に気が付いたからだった。
「…………私を、殺すか?」
「っ!」
そうだ、殺すべきだ。
アウレオルス=イザードはローマ正教に追われる大罪人である。
今後の外交関係を考慮すれば百害あって一利なし、最低でもその身柄はバチカンに
引き渡されて然るべきである。
「毅然、それが運命ならば受け入れよう…………ただ、その前に一目」
ステイルがカードを構える姿に声を荒げるでもなく、アウレオルスは抜け殻そのものだった。
指先から炎の柱が生まれる。
腕を一振りすれば、無抵抗の錬金術師はあっけなく骸と化すだろう。
そしてステイルは何事もなかったかのように日常に戻り、“彼女”に愛を告げ――――
- 556 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/26(土) 22:33:11.26 ID:7JZrLjMN0
「私はただ、あの子の幸せそうな姿を、一目見られればそれで良い」
ステイルは束の間、呼吸すら忘れて立ち尽くした。
全力疾走に困憊した細胞の、酸素を求める悲鳴さえどこか遠い。
――――――ああいったい、この男はどこまで――――――
かつての敵対者の前であることも忘れて、ステイルは瞑目する。
そして、亀のような動作でのろのろとルーンを仕舞いこんだ。
よりにもよって、この日。
“明日”を目前にしてしまった今日という日にこの男を殺すことなど。
ステイルには、到底無理だった。
- 557 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/26(土) 22:34:04.24 ID:7JZrLjMN0
Passage5 ――Anniversary――
- 558 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/26(土) 22:35:01.84 ID:7JZrLjMN0
「……言ったはずだよ、質問がある、とね。その前に勝手に死なれては僕が困る」
「………………そうか」
殺すならば、十一年前にやっておくべきだったのだ。
しかしあの日ステイルは、『寝覚めが悪いから』などという愚にもつかない言い訳を
こねてこの男を見逃した。
可笑しな話だ。
炎の魔術師が造り上げてきた何百何千という屍がいまさら一つ余分に積み上がった
ところで、罪悪感が云々などとはちゃんちゃら可笑しい。
ましてやアウレオルス=イザードを生かす選択に現実的なメリットなど何一つない。
だったらなぜ、ステイルはこの惨めな男を生かしてしまったのだろう。
この男を見逃してしまったいつかの夜以来、時折自問しては振り払ってきた疑問。
それが十一年後の今にして、ようやくわかった気がした。
「会わせることは、できない。一目、遠くから。許可できるのはそこまでだ。
気が済んだらどこへなりと消えろ」
きっと、ステイルはまぶしかったのだ。
- 559 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/26(土) 22:36:06.62 ID:7JZrLjMN0
ステイル=マグヌスとアウレオルス=イザードは等しく『失敗者』で。
しかしアウレオルスは同じ『失敗者』でも、諦めなかった『失敗者』で。
ステイルはそこに、天涯のさらに上と、海溝の底の底ほどの差を感じて、悔しくなった。
彼女がすでに『成功者』に救われていたとも知らずに、無関係の学生や姫神秋沙を
巻きこんでまでインデックスを助けようとした。
十一年前、ステイルはそんな彼の無様を存分に嘲笑ってやった。
だが心のどこかが、うらやましい、と耳元で囁きかけてきた。
ステイルがへし折れ、絶望のうちに諦めた『成功』をなりふりかまわず追い求める男の姿。
アウレオルスが晒した醜態と絶望は、そのままインデックスへの愛の裏返しだった。
自分もああするべきだったのではないか。
益体もない思考のループに嵌まる前に攻撃的な挑発を繰り返した。
己のインデックスに対する想いが、眼前の錬金術師に劣っていると見せつけられたようで
堪えられなくなったから。
決して認めたくはないが、ステイルは、きっとそんなアウレオルスに対して。
――――同情すら飛び越えて、憧れを抱いてしまったのだ。
- 560 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/26(土) 22:37:49.23 ID:7JZrLjMN0
「…………果然。それでも構わない」
だから、なのであろうか。
ステイルは現在のアウレオルスがぶら下げる、人間味のない微笑が腹立たしくてたまらなかった。
なんだ、その覇気の無い面は。
貴様は諦めなかった男じゃあないのか。
彼女を愛しているんじゃあないのか。
それではまるで一昔前の、物分かりの良い“ふり”をしていたステイル=マグヌスではないか。
時刻を確かめると十時をすでに回っていた。
間違っても、インデックスとの逢瀬までに時間的猶予があるなどとは嘯けない。
一刻も早くこの野暮用を片付けるなり後回しにするなりしなければ、彼女を待ちぼうけ
させてしまう。
しかしステイルは腹を固めていた。
「僕の推理でよければ、話そう」
「……感謝する」
わからせてやる。
彼がインデックスに全身全霊をつぎこんだ過去は、無価値などではなかった。
たったいまこの街にアウレオルスが在るという現在は、無意味などではない。
アリバイ
錬金術師の現世不在証明を、完膚無きまでに崩してやる。
ステイルは現実的なメリットなどなに一つない選択肢を、不退転の決意とともに指差した。
- 561 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/26(土) 22:38:50.61 ID:7JZrLjMN0
まずは真実の追究だ。
アウレオルス=イザードの『十一年間の真実』を解き明かし、理解しないことには
この男の負った絶望の爪痕を、『塞ぐ』も『抉る』もできたものではない。
「『三沢塾』を覚えているか?」
「必然。私にとっては二つ目の、逃れ得ぬ悪夢の牢獄だ」
「先月、彼女と二人でそこを訪れたよ」
「……彼女とは、インデックスのことか?」
臆病者の自分がいまだに紡げていない『インデックス』をあっさりと口にされて、
ステイルは思い切り苦虫を噛みつぶした。
質問にはっきりとは答えぬまま先を急ぐ。
「十一年前、君はいつの間にやら『三沢塾』内に彼女の身柄を確保していたが……?」
「靄然、あれは確か………………彼女の方から、あのビルにやってきたのだ。
おそらくは神父、貴様のルーンに込められた魔力残照をたどったのだろう。
玄関ホールで三年ぶりに、と言っても私から見ればだが、とにもかくにも再会した」
「つまり彼女は、あのビルの外観を目撃していることになるね」
「至極、自然の成り行きだな」
ステイルは嘆息する。
おおかた上条当麻の身でも案じたのであろう。
だがその結果『悪い魔術師』に拐かされているのでは、角を矯めて牛を殺すどころか
牛に殺される牛飼いのごとき愚昧ではないか。
そういうところが自信過剰だというのだ。
- 562 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/26(土) 22:39:57.68 ID:7JZrLjMN0
無用の憤慨に没入しそうになってステイルは額を叩く。
本題を眺望するための高台は、当然まったく別の角度にあった。
「しかし、彼女は覚えていなかった。周りの景色を少し見渡せば違ったのかもしれないがね」
「…………なに?」
「学園都市第一七学区、『三沢塾』の存在していたビル。その跡地には現在まったく別の
建築物がそびえているのさ。知らなかったのかい?」
極東の島国特有の梅雨が雨傘をしとしとと打つ、鬱然とした音色が思い起こされる。
『けっこう“新しく”て綺麗なビルなんだよ! ねえステイル?』
青髪キツネ目の変態に道端で出くわして、案内された先。
『……ああいや、確かに新しいビルだね。“最近建て直した”のかい?』
あの時の会話は、一言一句に至るまで精密に回想できる。
『なかなか勘がええなぁ。実はここ、“十年ぐらい前から”怪談スポットとして有名な
廃ビルだったんや』
それほどに深く、印象に焼き付いていた。
「泣く子も黙るおもちゃシェアナンバーワン、って知ってるかい? 錬金術師のかつての
アジトはいま現在、金ではなく夢を創る生業で賑わっているんだよ」
- 563 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/26(土) 22:41:17.17 ID:7JZrLjMN0
あの日、『Delight Measure』営業主任、青髪ピアスは言った。
――――もちろん目の前のコレは二年ぐらい前に建て直した新品――――
『三沢塾』が二年以上前に取り壊されていた。
それを聞いたステイルは、一つの可能性が現実となったのではないかと睨み、
密かに情報を集めはじめた。
なぜなら、思い出したからだ。
ローマ正教の裏切り者を排除するために送りこまれた十三騎士団の一部隊が、
高位魔術『グレゴリオの聖歌隊』の直撃をあのビルに浴びせたことを。
アルス=マグナ
そしてそれが『黄金錬成』によってあっけなく『元に戻され』た、あの衝撃的な光景を。
「俄然、わからんな。それがいったい、私の身に起きた事象にどう繋がるのだ」
「上条当麻の『右手』。もちろん忘れていないだろうな」
「断然、できることなら忘れたいがな。しかしあの少年によってインデックスが救われた
という事実もまた、無視するわけにはいかん」
「きっぱり無視して逆上丸出しで襲いかかってきただろうが…………まあいい、昔の話だ。
重要なのは『幻想殺し』が『黄金錬成』を無効化したという、その点さ」
- 564 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/26(土) 22:42:28.06 ID:7JZrLjMN0
いくら『黄金錬成』が術者の思いのままに世界を歪める前代未聞の大魔術だとは言っても、
魔術であるという現実からは逃れられない。
『無効化』は有効であったし、術者の精神状態次第でなにかの拍子に解呪され得るのだ。
十一年前ステイルは、アウレオルスが上条に敗れて記憶と魔術を失った時点で効力は
失われたのだとばかり思いこんでいた。
しかし、それならば。
「上条当麻の『右』が炸裂した時点で、あのビルは崩壊を始めていなければおかしいんだ。
なにせほんの一刻前に、『グレゴリオの聖歌隊』で真っ二つにされたばかりだったんだからね」
ステイルは一つの仮説を立てた。
“アウレオルスが意識を飛ばしたあの時点では、『黄金錬成』は解除されていなかった”
導ける結論は、やはりただ一つきりである。
“『黄金錬成』の効果は『三沢塾』という目に見える形で、学園都市に残存し続けていた”
少々常識の通用しない結論ではあるが、『黄金錬成』は『禁書目録』でさえ解析の
叶わなかった空前絶後。
『右方のフィアンマ』による『融合』を直視した現在のステイルからすれば、あり得ない
ことなどでは決してあり得なかった。
そして、結論の上に事実を積み重ねる。
- 565 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/26(土) 22:43:40.94 ID:7JZrLjMN0
“二年以上前に『三沢塾』は取り壊された”
壊された、と青髪はそう言った。
しかしステイルは別の可能性に思い当たり、数年前の情報にサーチをかけた。
はたして、『結論』を補強する根拠は意外なほどあっさりと見つかる。
『元進学塾の廃ビル、丑三つ時に謎の倒壊!! 受験戦争に散った敗残兵の怨念!?』
三年前に刊行された、くだらない三流のゴシップ記事。
だが、それで十分であった。
モノクロ写真に描き出されていた『かつてビルだった物』は、ステイルの十一年前の
記憶そのままの崩落を、時を越えて遂げていた。
事実と結合した結論は、とうとう真実の姿を映し出す。
「…………廃ビルだったのが、不幸中の幸いだったね。人死にが出たという記録は無かったよ」
即ち、『黄金錬成』の八年越しの解呪。
- 566 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/26(土) 22:45:02.46 ID:7JZrLjMN0
かつて錬金術師の思いのままに歪められた『現実』は、引き絞られた弓矢が戻るように、
猛烈な反動をともなって『現在』を穿ち貫いていた。
かくして真実に到達したステイルは、その原因を――――
「――――術者の正真正銘の『死』に求めた、というわけさ。僕は君がどこかでついぞ
のたれ死んだから『黄金錬成』が解けたのだと、そう推理した」
軽く息をつく。
「しかし君は五体満足でこのロンドンの地を踏んでいる。正直な話、幽霊を見たとでも
思いこみたくなったよ」
アウレオルス=イザードは生きて、此処にいて、呼吸をして、心臓を拍動させている。
ご丁寧に、生来の顔かたちと記憶までしっかりと取り戻して。
つまるところ、『黄金錬成』の解除は彼の死がトリガーではなかったのだ。
では、一体?
ステイルは感情を押し殺した低い声で話題を転換する。
- 567 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/26(土) 22:46:09.88 ID:7JZrLjMN0
「アウレオルス。君はなぜ、今日。よりにもよって今日という日にロンドンに現れた?」
「“今日”…………? 憮然、なんの話をしているのだ」
「惚けるな。今日は……いや、あと二時間もしないうちに訪れる“明日”は」
一旦そこで区切った。
正体不明の恐怖と根拠のない自信が、同時に沸き上がる。
「七月二十八日、だ」
ステイルには、アウレオルスがこの日付の指し示す“一致”をどう捉えるのか、
聞かずとも分かった。
「………………ふ、はは、なんと。これも神の思し召しというものか」
錬金術師が力ない笑みをこぼす。
利き手で顔面を覆い隠し、天を振り仰いで、きっとこう言う。
「起こり得るのだな、こんな“偶然”が」
- 568 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/26(土) 22:47:17.53 ID:7JZrLjMN0
偶然。
偶然、偶然、偶然偶然偶然!
大声を上げて高笑いしたいのはこちらの方だ。
あり得るか、そんな偶然が!
(あり得ない)
なぜなら『三沢塾』の倒壊を報せた件の記事は、こう書き出されていたのだから。
『“七月二十八日”未明、学園都市第一七学区に轟音が響いた――――』
「もう一つ、質問に答えてもらうぞ」
殺気すらほとばしらせて、ステイルは男につかつかと詰め寄る。
対してアウレオルスは己が身に降りかかった運命の残酷さを嘆き、虚ろに笑うばかりだった。
「答えろッ!! アウレオルス=イザードッ!!」
その胸倉を思いきり掴んで引っ張り上げ、生気の削げ落ちた相貌を真正面から睨みつける。
「貴様はいったい、どうやって記憶を回帰した!! 『アウレオルス=イザード』に
帰ったその瞬間、どんな状況だったッ!」
- 569 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/26(土) 22:48:19.44 ID:7JZrLjMN0
偶然などではない。
運命などという使い古された文句で済ませるつもりもない。
疑いを差しはさむ余地など微塵もなく、これは“作為”だった。
“誰か”が、目的をもって『死者』を生き返らせたのだ。
「誰か……誰かがッ! 近くにいたりはしなかっ」
「私は、突如として目覚めた」
頬骨が引きつるその動作が、発声のための筋肉収縮だと気が付くのにしばらくかかった。
本当にその男が発した声なのかと、半信半疑で表情を窺いたくなるほど薄弱な響きだった。
目が合った相手は、亡霊だった。
ステイルは一瞬本気でそう信じた。
それほどまでに、アウレオルスの双眸には一切の光も見受けられなかった。
「ある朝目覚めると、唐突に、なんの前触れもなく『アウレオルス=イザード』が、それまでの八年を駆逐するかのように、脳の内側に現れた。鏡の前に立つ と、慣れ親しんだそれではないのに、懐かしいと思える顔がその向こう側に在った。私は、気が付いたら鏡を叩き割っていた。近隣の住民が物音を聞きつけて何 事かと姿を見せた。すると彼らは、示し合わせたように私を指差してこう言った」
『あんたはいったい誰だ? この部屋の住人はどこにいった?』
「違う。私は、私だ。貴様らの隣人だ。しかし同時に……私は、アウレオルス=イザードだった。ならば、アウレオルスとは何者だ? 当然、その疑問に私は答えようとする。そこで私は」
- 570 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/26(土) 22:49:29.98 ID:7JZrLjMN0
「アウレオルスとは何者なのか、なんのために生きていた存在なのか、ただそれだけを思い出した」
焦点の合わない瞳は、虚空の一点に固定されてびくとも動かない。
淡々とした独白の中に底知れぬ狂気を垣間見た気がして、ステイルは身震いした。
「記憶の彼方のインデックスの笑顔は、色褪せてはいなかった。しかしそれ以外がすっぽりと抜け落ちて戻ってこない。矢も盾もたまらず私は、真っ先にイン デックスの安否を探った。彼女はイギリス清教に戻っているらしい、それは存外あっさりと知れた。差し当たり、安堵した。良かった、生きている。生きてい る…………生きている? 何故だ? 彼女は救われたのか? あるいは、死の連環にいまだ囚われたままなのか? 私は、成功したのか? …………成功とは、 なんだ? 私は、なにを為そうしていたのか?」
もはやその視線と意識は、胸ぐらを掴む神父など置き去りにしていた。
ひとつひとつ、魂を吐き出すような自問に、答えを返す者など当然いない。
この三年間、ずっとそうだったのだろう。
『自分だった』男の八年間を理不尽に、唐突に否定されて、アウレオルスはまたひとりになった。
それはなんという、果てなき無間の孤独なのだろう。
「そこから、だ。そこから先の記憶を回帰するのに、実に三年の時を費やした。脳裏にかすかに蘇る残像を手掛かりに、ひたすらに世界を彷徨った。一番はやは りローマ正教に戻ることであったのだろうが、すんでのところで己が背信者の咎を負っているのだという過去が帰ってきた。故に余計に時間をくった……否、も しかしたらなんの因果関係もないのかもしれん。私の脳のどこかで破壊された記憶の櫃を修復したのは、時間以外の何物でもなかったのだから。やがて……やが て、としか表現しようがないが、ただただ時間に後押しされて、私は思い出した。吸血鬼。永遠の生命。吸血殺し。三沢塾。侵入者。黄金錬成」
血走った眼が限界まで見開き、ようやく至近距離にいるステイルを捉えた。
- 571 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/26(土) 22:54:01.41 ID:7JZrLjMN0
「そして、いま。貴様が語ってくれた真実が、閉ざされたままだった最後の扉を
こじ開けてくれた」
「なにが言いたい」
「七月二十八日。私の人生があまりにも目まぐるしく、大きな転機をむかえた日だった」
ステイルは、辛いのは貴様だけではない、と声を大にしようとして思いとどまった。
誰がどう見ても、この男は自分よりはるかに暗く冷たい地獄をくぐっている。
「………………僕だってそうだ」
そう思うと、それ以上の言葉を継げなかった。
「人生最悪の一日、か?」
「間違いないね、忘れられないよ。終わりの見えない絶望に負けて、へし折れた
あの日のことは」
「そうか、そうか………………必然、当然、自然。当たり前だな…………ふふ、ふは、
ふははははっはははははははははっ!!!!!!!」
哄笑が狭霧の漂う空気に風穴をあけるように、高らかに吹き抜けた。
- 572 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/26(土) 22:54:58.55 ID:7JZrLjMN0
「しかし私には、あるのだ! “七月二十八日”を越える、甘美なる絶望に浸った一瞬が!!」
狂気の先に隠れていた絶望。
絶望が呼ぶ狂気。
「私がどうしても思い出せなかったのは、記憶を失う、まさにその刹那の事だった。
しかし、回帰できなくて当然だったのだ。私は、まさしくその記憶を封じ込めて
しまいたくて」
無限の連鎖に絡め取られた錬金術師の満身を。
「自らに、『黄金錬成』を、能動的に、発動したのだから」
色の無い絶望が染め上げていった。
- 578 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/27(日) 21:17:07.61 ID:kmGBCeEf0
死にかけた心で錬金術師は笑う。
魔術師にできるのは、その肉体を乱暴に引きずり上げることのみだった。
「やはり意図的だったのか、あの時の、最後の黄金錬成は…………!」
「眼前に、得体の知れぬ異能の持ち主。背後では貴様があの子を抱き上げて、勝ち誇る
ように笑っていた。もういやだ、なにも考えたくない、忘れてしまいたい!
……忘れる? そうか、忘れてしまえばいい」
アウレオルスの四肢から力が抜ける。
しかしステイルは、掴みかかった腕を離さずにその全体重を支えた。
折れるんじゃない。
言外にそう伝えようと、ステイルは渾身の力を掌にこめた。
「私は…………絶望に向き合えず、すべてを忘れてしまいたくなった。身も心も、
インデックスとのかけがえのない過去すらも打ち捨てて、別人になりたくなった。
あそこまで、落ちるところまで落ちながらなおも掬い上げたかったはずのインデックスを」
しかし、声なき声は届かない。
錬金術師の悲嘆の、その最果てにあったものは――――
- 579 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/27(日) 21:17:43.70 ID:kmGBCeEf0
「私はあの瞬間、絶望に負けて、己が身よりも下に置いたのだ」
――――望まざる真実だった。
「黙れ」
「もうあの子の事などどうでもいい。疲れた。楽になりたい。はは、ははははは…………
笑え、ステイル=マグヌス。私はあの時、そんな事を考えていたのだ。あらゆる犠牲を
厭わず、インデックスを救おうとした筈の私は、あろうことか己が身可愛さにあの子を
投げ捨てたのだッ!!」
「黙れ……!」
「そんな私には、あの子を視界に入れる資格すらない」
握り拳が出かけたが、すんでのところで自制した。
「黙れと言っているッ!!! 資格だと? 戯言をぬかすな!」
- 580 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/27(日) 21:18:28.14 ID:kmGBCeEf0
インデックスを諦めなかった男が、なにを無力に崩れ落ちようとなどしているのだ。
彼女に懸けた己の過去をも乏しめるその諦観は、なによりもインデックスに対する侮辱だ。
納得などできるはずがなかった。
そんなステイルに、薄気味悪く男は笑いかける。
「蓋然。理解できぬか、ステイル=マグヌス。貴様は言ったな。
『黄金錬成は、なぜだかは知れぬがすべて解除された』と。
ならば思い出してみろ。私が『黄金錬成』を行使した、すべての事跡を」
狂乱と憂愁を行き来するアウレオルスに気圧され、言われるままに回想する。
ステイルと上条の記憶を、一部分だが改竄した。
『グレゴリオの聖歌隊』を反射した。
姫神秋沙を――――殺した。
ステイルを宙に舞い上がらせ、世界一グロテスクなプラネタリウムに化けさせた。
…………上条の迫真の演技の副産物として事なきを得たとはいえ、記憶のアルバムから
絶対に引き出したくない一枚だったのだが。
次々に凶器を生み出して、上条当麻の右腕を切り飛ばすにいたった。
脳内に生まれた『勝てない』イメージに負け、自滅し“全て”を喪失した。
「現然、もう一つあるではないか」
「もう、一つ…………?」
眉をひそめても答えは出ない。
アウレオルスの自虐じみた笑みがいっそう深まるだけだった。
- 581 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/27(日) 21:19:37.40 ID:kmGBCeEf0
「『死者蘇生』だ」
「…………っ!!」
ついに、ステイルの手がスーツの襟口から離れた。
唇を強く噛む。
真実の裏側に隠れていた血腥い罪過の色は――――鮮やかな赤だった。
グレゴリオ・レプリカ
「私が『偽・聖歌隊』で操作し、『黄金錬成』の多重同時詠唱を行わせた『三沢塾』の
学生たち。その数およそ二千人、だった。能力者であるにも関わらず超高位魔術を
行使し、一人残らず哀れな骸と変わり果てた彼らを、私は十一年前、『元に戻し』た」
ステイルは思わず後ろを、自身の過去を顧みた。
「さて、ロンドンの神父よ。私が『元に戻し』たビルには三年前、何が起こったのだったか?」
首を戻して、アウレオルスの後背を覗きこむ。
二人の男の歩んできた道は、等しくある“もの”に埋め尽くされていた。
「私はそこまで、徹頭徹尾猛悪兇徒になどなりきれん。彼らには何の罪もなかった。
十三騎士団のように私の邪魔立てをするべくはだかったわけでもなければ、姫神秋沙
のようにすべてを承知の上で協力したわけでもない。そんな彼らが、『黄金錬成』の
解けたその瞬間どうなったのか、想像に難くないだろう」
- 582 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/27(日) 21:21:05.59 ID:kmGBCeEf0
死。
死、死。
死、死、死。
屍の、死体の、骸の山。
「愁然。さらばだ、ルーンの魔術師よ。私は贖罪せねばならん……偽善者ぶりたいわけ
ではない。だが自らの心が、錆付ききっても辛うじてまだ動く“信念”が、罪なき命
を意味も価値もなく摘みとった、その事実を赦すわけにはいかないと叫ぶのだ」
錬金術師は神父に背を向けた。
H o n o s 6 2 8
『我が名誉は世界のために』。
しんねん
アウレオルスが、かつてたった一人の少女のために歪めた『魔法名』。
それに従って、男は踵を返す。
――――もと来た道を、地獄へと。
「待て…………待てッ!! まだ話は終わっては」
追いすがる黒衣の魔術師。
その背中に。
- 583 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/27(日) 21:21:43.52 ID:kmGBCeEf0
「すている………………そのひと、だぁれ?」
「…………………………え」
とうとう、時計の針が追いついた。
- 584 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/27(日) 21:22:31.38 ID:kmGBCeEf0
薄闇に泥む霧の都で、その一か所だけが月光に照らされているようだった。
月輪そのものが降りてきたようだった。
「イ…………イン、デック、ス?」
ただしそれは極限まで輪郭を失った、真っ暗な新月だった。
純白の聖衣をまとう聖女が放つのは、黒い月明りだった。
錬金術師が震えながら呻く。
「あなたは、わたしのことをしってるの?」
ビッグベンが鳴らす十二時の鐘は正午のみ。
宵闇には決して響かない。
「ああそっか、そのひと“も”そうなんだ」
だがステイルの鼓膜は、ありもしないウエストミンスターの鐘の音を確かに受け取った。
ステイルにはそれが、弔鐘にしか聴こえなかった。
- 585 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/27(日) 21:23:03.53 ID:kmGBCeEf0
「そのひとも――――――――わたしが『ふこう』にしたひとなんだ」
- 586 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/27(日) 21:24:16.83 ID:kmGBCeEf0
ステイルは立ち尽くすことしかできなかった。
ほんの一時間後に愛を告げようと決めた女性は、たったいま何を言った?
不幸。
アウレオルス=イザードが、不幸。
「すべて、聞いていたのか?」
返事はなかった。
ステイル自身も混乱の極みの真っただ中だった。
そもそもどうしてインデックスが此処にいるのだ。
すっかり手慣れた『人払い』を、この期に及んで怠るような蹉跌を犯した覚えは――――
(っ! 馬鹿か、僕は……!)
アウレオルスの名を聞かされてからこっち、いかに自分の焦燥が深かったのかを
ステイルは思い知らされた。
確かに人避けのまじない自体は、錬金術師に対面した次の瞬間には発動させていた。
その点に関してミスはない。
しかし二人の『失敗者』の血腥い対話に、間違っても立ち入らせてはならなかった
人物とは誰なのか。
(そうだ…………ついさっきも、僕は確かめたばかりじゃないか)
十一年前、上条当麻を案じてステイルのルーンをたどってしまった少女の軽率な行い。
それを鑑みれば、現在のインデックスがロンドン市内で行使されているステイルの魔術を
感知してどのような行動に出るのかなど、火を見るより明らかだったではないか。
- 587 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/27(日) 21:25:21.02 ID:kmGBCeEf0
激しい目まいに吐き気すら感じた。
兎にも角にも、今はインデックスになにかしら声をかけねば。
たとえあと一秒でも彼女にあんな、絶望に満ちた貌をさせていたくはない。
絶望。
背後の錬金術師がどっぷりと肩まで浸ってしまった闇と同種の銷魂。
しかし同時にまったく未知の――――――正体不明の絶望。
満月に照らされた学園都市の一角で、彼女の身体を抱きしめた時と同じ。
いまにも此処ではない何処かへ消えてしまいそうだった震える身体をこの世に繋ぎとめ
たくて掻き抱いたあの日と、インデックスは同じ表情をしていた。
「――――――――――――――――――い」
「最大主教、まずは僕の話を……………………、な?」
パタン。
軽やかな物音がした。
ステイルは聖女のいるべき方向に目を向ける。
しかし誰もいない。
消えた。
インデックスの姿が忽然と消え去っていた。
馬鹿な、どこへ。
ステイルは狂ったように三六〇度くまなく、長髪を振り乱して愛しい人の痕跡を求める。
そういえばさっきの物音はなんだろう。
ふと思いついて不審音の発生源に向き直ると。
- 588 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/27(日) 21:26:23.61 ID:kmGBCeEf0
「何故だ」
地べたに屈むグレーの三つ揃いが認められた。
自らの長身が災いしたのか、あるいはアウレオルスのことなど頭から吹き飛んでいたからか。
ステイルはうずくまるる男の存在を、ぽっかりと空いたデッドゾーンに置いてすっかり
無視していた。
「どうしてだ?」
錬金術師の傍らに白い塊。
なんだろう、あれは。
人間ほどの大きさだ。
人間で言う四肢の部分に、丁度人間の手足ほどのパーツが伸びている。
人間で言う胸の部分が、深呼吸するかのように緩やかに上下している。
人間、まさしく精巧な仏蘭西人形のような端整でいて愛らしい顔だちが、瞑目し紅潮している。
人間?
ああ、人間だ。
インデックス=ライブロラム=プロヒビットラムは、疑いようもなく人間だ。
「最大主教?」
倒れ込んでいた。
ステイルの守るべき人が、今度こそ守り通さなければならない女性(ひと)が。
頬を赤らめて、胸部を上下させて、唇を濡らして、口から荒く呼気を吐き出して。
- 589 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/27(日) 21:27:05.27 ID:kmGBCeEf0
「え?」
ステイルは知っていた。
眼前で繰り広げられる光景が、拭い難い悪夢のリバイバル上映だと、はっきりと。
これは、これは、これはこれはこれはこれはこれはこれはこれはこれはこれはこれはこれはこれはこれはこれはこれはこれはこれはこれはこれはこれはこれはこれはこれはこれはこれはこれはこれは
「答えろ、ステイル=マグヌス。これは――――――『発作』ではないか」
「……………………あ…………え…………?」
足取りが覚束ない。
時の流れに対して、自身の置き場がいずこなのか把握できない。
右往左往し、前後不覚になり、上下に揺すぶられる。
そんな感覚を一分か、十分か、はたまた永遠に等しい時間、味わってから。
ステイルは胸ぐらを誰かに掴まれて、ふいに現世に帰還した。
「なぜだッ!!? 彼女は救われたと、貴様はそう言ったではないか!?
私の行いなどなにもかも無意味だったと、私を嗤ったではないか!?
なのに、なんで、なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでッ!!!」
無様に唾をまき散らし、涙や鼻汁にまみれた男を嘲笑う精魂など、今のステイルには
なかった。
「どうして、インデックスは死にかけているッッッ!!!!!??」
- 590 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/27(日) 21:27:45.22 ID:kmGBCeEf0
彼女が死ぬ。
--------------------------------------------------------------------------
『君はたとえ全てを忘れてしまうとしても――――』
さようなら、と笑顔で死んでいった一人目の彼女。
『ごめん、ごめんごめんごめん』
『僕たちは、また君を助けられなかった』
忘れたくない、と泣きながら死んでいった二人目の彼女。
『僕が、わかるかい?』
- 591 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/27(日) 21:28:26.09 ID:kmGBCeEf0
『生』まれて最初に視界に入った少年の苦渋を見てとって、なぜと問うよりも先に
その瞳を濡らす雫を拭おうとした、三人目の彼女。
彼女は何度『死』んでも、変わらぬ“彼女”であり続けた。
『なかないで』
いつ何時も、誰かの涙を止めようとする優しい少女だった。
『あなたがなんで泣いてるのか、わたしにはわからないけれど』
そうか。
何度死んでも彼女は“彼女”なんだ。
次に失敗したって、きっとまた“彼女”に逢えるはずだ。
なら今回また、精一杯頑張ればいいじゃないか。
なあに、恐れることなどなにもない。
次に彼女が『死』んでも、そのまた次がある。
何度でも何度でもあがいてもがいて。
- 592 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga !red_res]:2011/11/27(日) 21:28:56.52 ID:kmGBCeEf0
-
仕方がないから、失敗するたびに“彼女”には『死』んでもらおう。
- 593 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/27(日) 21:29:40.49 ID:kmGBCeEf0
『っ、あ?』
そんなことを考えている“なにか”を、ステイルは見つけた。
見つけてしまった。
――次は頑張るよ――
――方法なんていくらでもあるはずさ――
――――だから今度の一年も、辛いだろうけど我慢してくれ――――
ミュータント
護ると誓った少女の遺影に向かって、そう語りかける 怪 物 の存在に。
『ああ、う、っあああ゛あ!!』
少年は、気が付いてしまった。
- 594 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/27(日) 21:30:26.64 ID:kmGBCeEf0
『もしかしたら、あなたの力になれるかもしれないんだよ』
“彼女”と同じ姿、同じ声、同じ顔をした彼女が優しく声をかけてくれる。
二人の少女の死を、仕方のないことだった、と過去形で済ませようとした少年に。
この先も増え続ける少女たちの死体を、仕方のないことだな、と割り切ろうとした少年に。
どこまでも慈悲深く、どこまでも穏やかに、どこまでも――――――残酷に。
『――――――あなたが誰なのか、わたしにはわからないけれど』
『あああああぁぁぁぁぁああああぁぁああああああああああああああ!!!!!!!!』
- 595 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/27(日) 21:31:23.88 ID:kmGBCeEf0
そうやって過去、たった二回の失敗で少年の心はへし折れた。
-------------------------------------------------------------
「なんだ、それ」
そして、現在。
「どうして、こんな…………………っ!」
打ち砕かれたはずの死の連環が――――『首輪』が蘇り、再び彼女を縊り殺そうとしている。
「なんだ、それはぁぁあああああぁぁぁぁああああぁああああっっっっ!!!!!!」
圧しかかる絶望が青年の膝を折る。
カラン。
無機質な音を立てて懐中時計が懐から滑り落ち、衝撃で蓋が開いた。
二つの針に導かれる“今”が、刻一刻と“今日”と“明日”の境界線へ迫っていく。
(ああ、そうだ)
もうすぐ明日が、七月二十八日がやってくる。
そういえば、明日は、“あの子たち”の
- 596 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/27(日) 21:32:30.56 ID:kmGBCeEf0
Passage5 ――Anniversary――
Passage5 ―― Anniversary――
- 597 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga !red_res]:2011/11/27(日) 21:33:03.61 ID:kmGBCeEf0
-
め い に ち
Passage5 ――Death Anniversary――
- 598 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga !美鳥_res]:2011/11/27(日) 21:33:40.46 ID:kmGBCeEf0
-
----------------------------------------------------------------
よかったじゃあないか、ステイル=マグヌス
十一年ぶり、四度目の選択肢の到来だ
君は知っている
君が逃げ出した答えに、必死で向き合った主人公の存在を
彼の選択を
いまこそ、ヒーローになるチャンスだよ?
立ち上がれないのならば私がいくらでも手を貸そう
では思う存分、心ゆくまで
――――――絶望しようか
Passage5――――END
- 607 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/30(水) 00:40:16.29 ID:hSErwGdl0
――Passage6――
どこの国のいずことも知れぬ場所。
星屑が瞬き、日輪が輝き、大海がさざめき、大地が蠢く。
この世のものとも思えぬ景観。
宙空に、一人の“人間”が漂っていた。
「さあ見せてくれ、ステイル=マグヌス。君の選択を」
男はこの世の存在ではなかった。
さらに言えば、男がたゆたうこの空間こそが『この世ならぬ世界』そのものだった。
男は三年の間、ただただ下位世界たる『現象』を眺めていた。
日々移ろい、しかし何者にもまつろわざる世界の在り様を観察し続けていた。
だから、男はひとりだった。
いや。
ややもすると、男がひとりでなかった瞬間など彼の人生にはなかったのかもしれない。
たとえ――――
「随分と楽しそうね。まさか“ここ”が、貴様の楽園(イデア)というわけでもない
でしょうに」
その背を、ひしひしと殺気をまとった来訪者の視線が貫いていようとも。
男は闖入者を振り返らない。
空を切り取って描き出された真四角のスクリーンに、男の視線は釘づけだった。
- 608 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/30(水) 00:41:40.94 ID:hSErwGdl0
「モニタ越しでない邂逅は何時以来だったか……どうだ、君も観ていくかい」
歪な劇場、歪んだ脚本。
紗幕に投影された悲劇は絶望の度合いを加速度的に深め、中心でうずくまる赤髪の神父の
悲嘆をあますことなく伝えてくれた。
男の望んだ結果が、いま正に訪れようとしている。
「あの子になにをした」
闖入者の声色は不自然に、ローラーでもかけたように平坦に均されていた。
「私が返せる答えは一つだけだ、『ローラ=スチュアート』」
応じる男の声はといえば、愉悦を隠そうともしていない。
しかしそれは同時に無機質な響きを伴って、どこか空疎にも聞こえた。
視線の交わらぬままに、言葉だけが交わされる。
「なにも」
男――――アレイスター=クロウリーは、ただそうとだけ言って、かすかに笑った。
- 609 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/30(水) 00:42:43.27 ID:hSErwGdl0
-------------------------------------------------------------------------
ローラはずっとずっと、アレイスター=クロウリーの背中を追い求めて生きてきた。
英国清教の利権だの、勢力伸張の先にある世界の覇権だのは、“そこ”に至るまでの
過程で必要だったから手中に収めた、というだけのものだった。
いまこの場所に己が居る事実さえあれば、もはや路傍に打ち捨てても構わない過去。
彼女の人生は、この瞬間のためだけにあったと言って過言ではなかった。
「惨めな姿に成り下がったものね。かつて0と1では描写しきれぬ異界の住人であった
貴様が、いまではあろうことか、その『0と1の世界』でしか生きられないなんて」
この七十年というもの、寝ても覚めてもローラの頭を占めるのは彼への、
アレイスターへの――――――焦げ付くような憎悪だった。
「よく、この場所がわかったものだ」
「あの錬金術師がロンドンに現れたと聞いたわ。貴様が一枚噛んでいるのなら、
必ずやその『目』で見るためにここに“いる”と」
「そちらではない」
だから、なのだろう。
かつて『フィアンマ』の口を封じるべく、自ら出陣した彼をいち早く探知できたのも。
『右方』に、青年自身にすらそれと悟らせず『プラン』を受け渡した、彼の計画を察知
できたのも。
このばしょ
「よく、私が『滞空回線』にいるとわかったな」
現在のアレイスター=クロウリーの玉座が、この電脳空間であると突きとめられたことも。
きっとすべてローラの執念が、怨念が辿りつかせた境地なのだ。
- 610 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/30(水) 00:44:09.34 ID:hSErwGdl0
三年前、四次大戦終結の日。
アレイスターの失踪とほぼ時を同じくして、計ったかのように流出した技術があった。
アンダーライン
最悪の大魔術師にして科学へ傾倒した背徳者の魔眼、『 滞 空 回 線 』。
それは現在の学園都市統括理事長たる親船最中の手をすり抜けて、東京の大コンツェルン
にいとも容易く渡る。
現在は『アイテム』という若者たちの活躍もあって健常な管理下に置かれているが、そこ
には埋めがたい『数年の空白期間』が厳然と存在していた。
ローラは事のはじめから、そのあまりに鮮やかすぎる手際に疑念を抱いていた。
戦争という異常事態に長年君臨したワントップの蒸発も重なり、確かに当時の科学サイドは
揺れに揺れていた。
流出の危機にあった非人道的応用性の高い技術は、他にもごまんとあっただろう。
しかし、ことが『滞空回線』となれば話は別だ。
あの忌むべき悪魔の目は、ほかでもないアレイスター自身が運用していた肝入りの『科学』である。
おいそれと外部の人間が、内部の人間を出し抜いて集中管理システムを掠めとれる代物ではない。
『第四次世界大戦での彼の敗北は、アレイスター=クロウリーの「プラン」の一環だった』
――――内部の者の手引きでもない限りは。
- 611 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/30(水) 00:45:12.77 ID:hSErwGdl0
ローラ自身が導いたステイルの仮説――ローラは真実だと確信しているが――に従うならば
『滞空回線』の流出もまた、アレイスターの『プラン』の一翼を担っていたと見て間違いない。
財閥との間に密約を結んでいたか。
あるいは“誰か”にそうしたように、必然的に『目』が外へと移動する状況を作り上げたか。
ローラは後者だと踏んでいる。
知らず知らずのうちに他者を利用して、己の画餅を現実のものとするその手腕。
誰かさんにそっくりだ、とローラは毛の先ほどの自己嫌悪に似たものを感じて苦笑した。
いま現在、『滞空回線』のホストコンピュータは学園都市の『アイテム』社内に在った。
真に子供たちの行く末を案じる為政者のもとにある限り、その科学力が妄用の憂き目に
遭うことは二度とないだろう。
だが彼らがすべての『目』の所在を把握しているのかと問われれば、ローラは疑問符を
浮かべざるを得ない。
なにせ『滞空回線』を構成する一つ一つのユニットは、わずか70ナノメートルのシリコン塊。
数年間、外部の研究機関の支配下に置かれていたという未知の領域(ブラックボックス)も
見逃せなかった。
もちろんコントロール中枢が学園都市きっての武闘派、『アイテム』の監視に二十四時間
さらされている事実を照らし合わせれば、物理的なコンタクトはおろかネットワーク上でも
侵入は困難を極めるだろう。
しかし『アイテム』が『滞空回線』を奪取した時点で、すでに“中”に何者かが侵入して
いたとしたら?
桁外れの情報集積力と機密保持性は、そのまま“中”に隠れ棲む者の安全を保障する巨大
なセーフティネットへと早変わりである。
- 612 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/30(水) 00:45:59.70 ID:hSErwGdl0
斯くしてアレイスター=クロウリーは。
『存在』を規定する肉体と引き換えに、『意識』を規定する知識へと永遠の恒常性を与えた。
それが、ローラの出した結論だった。
- 613 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/30(水) 00:47:08.64 ID:hSErwGdl0
「そういえば君は、どうやってここに来たんだ。『原子崩し』以下、『目』を守る幾多の
能力者を屠ってこの電子の海に飛び込んできたと、そういう解釈で構わないかい」
相変わらず目線はスクリーンに落としたまま、アレイスターはそう問うてきた。
「そのような些事、捨て置きなさい。これから消える者には関係のないことよ」
アレイスターが依然観賞を止めない大スクリーンにはくず折れるステイルと、狂気に
駆られて泣き喚くアウレオルス。
そして、死に魅入られたインデックスの姿が映っていた。
すなわち二人が“いる”このちっぽけなシリコン塊はいま現在、ロンドンの空を漂流
していることになる。
「“ここ”、ロンドンに繋がる回線はすべて遮断したわ。あとは街中に散らばるユニットを、
余さず物理的に破壊してしまえば」
アレイスターは、今度こそ世界から消滅する。
三年前に、そして七十年前に死してしかるべきだった亡霊を、今度こそ。
「しかしそれでは、君も同じ憂き目を見ることになる。電気信号に変換(コンバート)
された君の意識と人格は学園都市の肉体には戻れず、霊魂さえ残さず削除(デリート)
されることになるが?」
宙を舞う男の声色には危機感の欠片もなかった。
できるはずがないと、高を括っているふうでもない。
ローラは冷え切った腹の底の塊をうかつに溶かさぬよう、一度深呼吸をした。
「もとより覚悟の上よ」
- 614 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/30(水) 00:47:55.90 ID:hSErwGdl0
ローラが脱出のための回線を復活させた瞬間。
そこを突かれて、この男を電子の海に逃す可能性はなんとしても潰しておかねばならなかった。
ゆえにローラは。
「私と、共に消えてくれるのか?」
確実に、堅実に、絶対に。
この男を滅ぼすための道を選ぶ。
「反吐の出る思いではあるけれど、これしか手段がないのなら。いずれにせよ、
私はもう長くない」
一つには、学園都市に残した肉体の安否だった。
アレイスターの言うように屍の山を築いたわけではないにしろ、ローラがこの場所に到達する
ために通過した道は、とてもではないが穏便なルートではなかった。
ローラは『神の右席』がそうしたようにもっとも警備の手薄となる時間帯、つまり日の昇る
直前を狙って、強行的に『アイテム』ビルへと突入したのである。
主力である『原子崩し』や『窒素爆槍』を欠いた警備チームをちぎっては投げちぎっては投げ、
安々とホストコンピュータへの侵入を果たす。
ハッキングには三月のインデックスの誕生日、『妹達』が贈った特別製のチョーカーにヒント
を得た、特注品のデバイスを用い。
そして肉体は――――――置き去りにしてきた。
今頃は報せを受けて到着した『アイテム』の中心メンバーが、抜け殻と化した
『ローラ=スチュアート』を取り囲んでいることだろう。
- 615 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/30(水) 00:48:37.10 ID:hSErwGdl0
だが肉体を襲っているであろう絶体絶命の危機も、もはや些細な忘れ物だった。
『ローラ=スチュアート』という女は死んだのだ。
「ほう? ローラ=スチュアートともあろうものが、悲観的観測だ」
私をその名で呼ぶな。
そう吼えてしまいそうになって、ローラは唇を真一文字に固く固く結んだ。
アレイスターの茫洋とした眼差しが、かすかに細められる。
「………………やはり、覚えてはいないか」
わかっていない。
わかっていたことではあったがやはり、この男はわかっていなかった。
ローラが百年以上慣れ親しんだ肉体を投げ捨てた、もう一つの理由。
肉体。
実の親から貰った、かけがえのないからだ。
「もうすぐ、実の娘の天命が尽きるというのに。それすらも覚えていないのね、貴様は」
- 616 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/30(水) 00:49:39.57 ID:hSErwGdl0
初めて、アレイスターが口を噤む。
やかましい鼓笛音のような不自然な静寂が、対峙する男女の狭間を通り抜けた。
「いいのかローラ=スチュアート、いつまでもこんな場所に居て?」
しかしそれも束の間のことで、男は何事もなかったようにまるで別な話題を振ってくる。
ローラには、動揺は見てとれなかった。
「見るといい、君の大事な大事な『禁書目録』が死に瀕している。君にとっては実の娘
のような存在だろう」
ローラは思わず笑い出したくなった。
なにを言っているのだ、この男は。
インデックスは、ローラにとって“娘”などでは断じてない。
それを、ほかの誰でもないこの男が、知っていないはずなどないのに。
「“娘”、ですって? 笑わせるわね」
「しかし、彼女に死なれては困るだろう」
「だからこそ、私は此処にいる」
さくじょ
この隔絶された逃げ場のない空間で、アレイスターを 『殺』 してしまえば――――
「『遠隔制御霊装』を破壊して、彼女を救える――――かな?」
ローラの肩が、よく観察してはじめてそれとわかる程度にだが、弾んだ。
- 617 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/30(水) 00:51:34.80 ID:hSErwGdl0
『遠隔制御霊装』。
イギリスという国家が『禁書目録』に最低限の人権を保障するべく設けた、この世にたった
二つの『安全装置』。
一つは三次大戦の折に上条当麻の右手によって塵と消え、もう一つは長年ローラが自身の手
で保管してきた。
三つめなどまかり間違っても存在し得ない、インデックスの生死をも左右する禁忌のトリガー。
ローラはこれまでごく一部の権力者や魔術師にだけ、まことしやかなトップシークレットと
してそう告げ知らせてきた。
しかしそれこそが。
“どこにもない”はずの三つ目の『遠隔制御霊装』こそが。
ローラがアレイスター=クロウリーを追い求めた、“現在における”最大の理由だった。
「重ねて言うが」
ついに男が、女を振り返って向き合った。
ごくごく自然な角度に口の端が吊り上がる。
ローラにはそれがかえって、下手な憫笑よりよほど隠微に思えた。
「私は、なにもしていない」
ギリ、と自らの奥歯があげる軋み声を、ローラははっきりと聴いた。
- 618 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/30(水) 00:52:39.90 ID:hSErwGdl0
「ぬかせ。ならばあの子の、インデックスの現状を、いったい誰が招くことができる」
「さてね。少なくとも私ではない」
「いけしゃあしゃあと、貴様」
「ローラ=スチュアート。君はこの場所で、彼らの結末を坐して見届けるほかない。
『滞空回線』の動作には外部からの電脳干渉か――――」
景色が急転した。
星々のきらめきが弾けるように四散し、天蓋に現れた黒渦に吸いこまれていく。
やがて光源は悲劇を映し出す銀幕のみとなり、空間に仮初の闇夜が訪れた。
なにもかもが男の意のままに姿を変える矮小な世界に、ローラは小さく舌を打った。
「この、『ロンドンの滞空回線』を掌握する私の許可が不可欠だ。さて、君の肉体の
傍らにその干渉を施してくれる“誰か”はいるのか?」
そんな人間はいない。
事ここに及んで、ローラは他者の助力など借りてはいない。
この男だけは、ローラが自らの手で殺さなければ意味がないのだから。
「君と私は、等しく舞台を降りた『観客』だ」
アレイスターが特等席を分かち合おうと手を差し伸べてくる。
ローラは忌々しげに苦汁を飲みながら、男を睨みつけることしかできなかった。
- 619 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/30(水) 00:54:03.61 ID:hSErwGdl0
「――――――さあ。ともに、観劇に興じようじゃあないか」
- 620 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/30(水) 00:57:51.40 ID:hSErwGdl0
⇒ TO BE CONTINUED ……
やだ……☆がまるでラスボスみたい……
最近は原作でも「っべープラン狂ってるマジっべー」状態らしい☆さんを
当スレでは全力で黒幕として推進していきます
ではまた木曜あたりに
おやすみなさいませ- 621 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(新鯖です)(関西・北陸) [sage]:2011/11/30(水) 07:36:57.89 ID:mSg8BA6AO
- 乙
☆は本来ならこれくらいラスボスしててもおかしくないんだけどな…
新訳はどうしてこうなった - 622 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/30(水) 18:43:21.43 ID:hSErwGdl0
インデックスが死ぬ。
このまま跪いていては、それが現実になるのは時間の問題だった。
発作的に、突如として襲いかかってくる、意識を保っていられないほどの高熱。
間違いなく十一年前、ステイルや神裂が『脳容量のパンク』だと思い込んでいた
現象そのものだった。
しかし、ステイルはすでに知っている。
“これ”は完全記憶能力者がみな一様に背負った悲しき宿命、などでは決してない。
“これ”は『魔術師』が少女を縛るために、恣意的に嵌めた『首輪』だ。
そして十一年前、『主人公』によって粉々にされた『幻想』でもある。
『幻想』で、あるはずなのだ。
だが現実は。
現実にインデックスは苦しんでいる。
呻いている。
喘いでいる。
死にかけている。
死。
死?
――――――死だと?
- 623 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/30(水) 18:43:52.70 ID:hSErwGdl0
(なにをやっているんだ、僕は)
彼女が、インデックスの命が危うい。
ならばステイル=マグヌスがなすべきことなど決まりきっているではないか。
なにを一人身勝手にへし折れようとなどしているのだ。
絶望などしている暇があるのか。
土御門に言われたではないか。
『お前はもう、インデックスと生きることを迷わないんだろう?』
神裂と約束したではないか。
『その際は、必ず二人で、ですよ?』
ローラに啖呵を切ったではないか。
『………………なるほど。もう、あなたも子供ではないのね』
一方通行に諭されたではないか。
『じゃあ、それが答えだろ』
- 624 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/30(水) 18:44:32.64 ID:hSErwGdl0
上条当麻に、そして『上条当麻』に、託されたではないか。
ヒーロー
『後は頼んだぜ、主人公』
――――誰もが望む最高なハッピーエンド、期待してるぜ――――
湿ったアスファルトに着いた膝に、全身に、滾るような活力が帰ってくる。
すくと立ち上がった。
両の手の五指を見据え、強く握ってからほどく。
「ああ。やってやるさ、ヒーロー…………ッ!」
- 625 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/30(水) 18:45:08.77 ID:hSErwGdl0
ああ、大丈夫だ。
これなら闘える。
自分はまだ、折れていない。
いや。
もう、二度と折れはしない。
「そこを退け、アウレオルス」
「な…………?」
狂気に満ちた喚声やまぬ錬金術師の肩を乱暴につかんで押し退け、インデックスの表情が
よく見える位置に屈みこんだ。
いま一度だけ、彼女に顕れた症状が己の海馬に刻まれた悪夢と同一のものなのか検める。
十二年前も十三年前も、飽きるほどに眺めては己が無力を味わったそれ。
「…………見間違えるはずもない、か。やはり『首輪』だ」
結論はすぐに出た。
奥歯を割れんばかりに食いしばる。
「どういうことだ、魔術師」
「時間がない。この進行状態だともってあと二時間弱だ。説明を聞く気があるなら黙れ」
「質問をしているのは、私の方だ」
アウレオルスのうなり声をみなまで聞くことなく、ステイルは端末を左手に握った。
- 626 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/30(水) 18:45:48.99 ID:hSErwGdl0
やってやる。
どんな手だろうと使う。
利用できるものなら、なんだろうと利用する。
「はっ。わからないのか、天才錬金術師?」
たとえ、かつて死を賭して対峙した敵手が相手であろうと、だ。
表情筋は十八番の皮肉気な笑みを完璧に再現できているだろうか。
鏡が欲しいが、贅沢を言ってばかりもいられない。
「彼女の再びの『死』に抗う気力があるならば協力しろと、そう言っているんだよ」
使用可能な『手』を休むことなく矢継ぎ早に探りながら、ステイルは右腕一本で聖女の
華奢な身体を抱き上げる。
十一年前もこうしてこの男の目の前で、意識のない彼女を腕の中に閉じこめたことを思い出す。
錬金術師の眼が一瞬、瞳孔までも大きく開かれた。
アウレオルスもまた、ステイルが回顧したそれと同じ光景を瞼裏に蘇らせたらしかった。
「私は………………わ、たしは」
返答を悠長に待っている暇などありはしなかった。
アウレオルスがうな垂れる間にも、ステイルは携帯電話のキーに指をかけては耳に当てる。
その動作を三度繰り返してのち、黒衣の神父は先刻とは正反対に、掠れ声で呻く男に自ら
背を向けた。
- 627 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/30(水) 18:46:24.50 ID:hSErwGdl0
「過去の失敗にすくみ上がっていたければ永遠にそうしていろ。僕は闘う。彼女を救う。
今度こそ――――――『成功』してみせる」
底なし沼の奥底でもがく男を置き去りにして、ステイルは一歩足を踏み出した。
膂力に自身があるとはお世辞にも言えないが、いまは喉の、肺の、血管の、心臓の、
脳の、命の内側から全身へなみなみと注がれたように力が漲っていた。
“科学的に言えば”ノルアドレナリンとやらの異常分泌でも起こしているのだろう。
(絶対に、助ける)
それにつけても軽い身体だった。
日頃の大食で蓄えたエネルギーの行き先と結び付けて考えると、暗澹たる心地がする。
四肢から伝わるまるで重みのない感触が、女の生命を見舞った奇禍の深刻さを如実に
表しているようで。
自然とステイルの歩幅は広くなる。
一刻も早く、魔術的環境の整った聖堂なりに連れて行かなければ。
ここから一番近いのは聖ジョージ大聖堂だ。
速くなった足取りは、やがて弾むようなそれへと変わり――――
「――――――待て」
変わる寸前で、ぴたりとその動きを止めた。
無粋で不躾な制止を、ステイルは不思議な高揚感とともに背で受けた。
- 628 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/30(水) 18:46:53.65 ID:hSErwGdl0
その瞬間、ステイルはきっと歓喜していた。
「敢然…………断然、断々然ッ!! …………私に、見過ごせと言うか! ふざけるな!!」
そうだ、立ち上がれ。
「貴様にばかり任せられるか! 私は、インデックスを救うためだけに生きてきた男だぞッ!!」
それでこそ、愚かしいまでに一途に彼女を想って、幾千の人間を振り回した不世出のエゴイストだ。
「貴様が知る限りの情報を寄こせ。協力してやる……違うな。貴様が、私に協力しろ」
――――それでこそ、インデックスを諦めなかった男だ。
ステイルは一八〇度反転し、濃霧をものともせずにそびえ立つ錬金術師の姿を視界に、
- 629 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/30(水) 18:47:29.75 ID:hSErwGdl0
「っ、と……?」
入れようとして、突如として平衡覚を失いよろめいた。
- 630 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/30(水) 18:48:09.41 ID:hSErwGdl0
一歩二歩とたたらを踏んでから、体幹を駆使して体勢を立て直す。
状況が状況なだけに、かなりばつが悪かった。
案の定、錬金術師の尖った罵声が飛んでくる。
「なにをしているのだ、貴様は……! ただでさえ重篤のインデックスの身に、
これ以上余計な」
しかしそれは唐突に途切れて、代わりに静寂が顔を出す。
不審に思ってアウレオルスの表情を見やると、男の眼球はステイルの両腕を凝視していた。
正確には、腕の中の救うべき人を――――人を――?
「馬鹿な…………馬鹿な馬鹿な馬鹿な、ステイル=マグヌス、貴様ッッ!!!」
そのとき初めてステイルは、身を翻した己がバランスを崩した原因を察した。
当然といえば当然のことであった。
つい先ほどまでステイルは、人一人分の体重を二本の腕に託していたのだ。
それがなんの前触れもなく、忽然と、一切の重みを残さず。
「あの子は――――――インデックスは、どこに行った!?」
腕の中から掻き消えてしまえば、当然のことだった。
- 631 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/30(水) 18:48:43.98 ID:hSErwGdl0
「っ………………な…………ぁっ!?」
ステイルがインデックスから意識を切ったのは、アウレオルスに背後から呼び止められて
振り向くまでのほんの五秒ほどのことだ。
いくらアウレオルスに注意を割いていたからといって、謎の第三者の接近を許し、彼女を
奪われるほどの隙を晒すはずがない。
ましてや彼女を抱く腕を緩めるなど言語道断、そんな男はステイル=マグヌスではない。
ならば、ならば――――?
(立ち止まるな、思考を止めるな、お前は魔術師だろう、ステイル=マグヌスッ!!
………………魔術師。このタイミングで? いや、考える前に動け!)
『禁書目録』を狙う魔術師が、彼女を攫った。
ステイルの意識は即座に、ロンドン全域を網羅する『守護神』のそれへと切り替わった。
現下この街で、ステイルの築いた陣地内で、魔力を精製している者。
その中でも、これ以上ない明確な『敵意』をもって魔術を行使している者――――!
必ずいるはずだ、いないはずがない。
探す、捜す、搜す、さがすさがすさがす!
――――――そして。
- 632 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/30(水) 18:49:18.78 ID:hSErwGdl0
「そういう、ことか」
走査を終えたステイルは、星屑瞬かぬ夜空を呆然と振り仰いだ。
「なにを言っている、インデックスはどこだ、どうなったのだ」
苛烈な焦燥を隠そうともしない錬金術師が縋りついてくるが、すぐには返答できそうになかった。
脳を莫大な量の電子が駆け廻り、次々と記憶の端と端とを橋渡ししてゆく。
この十一年でステイルが経験し、目撃したすべて。
すべてが一本の線で繋がった。
理解した。
「これが、貴様の『プラン』だったのか」
結局は、踊らされていたにすぎなかった。
“奴”が欲しかったのは、きっとこの結末だったのだ。
「これで満足か、楽しいか、思い通りか…………っ!」
肺の底で、どうしようもなく煮え滾るマグマの胎動を感じた。
そう思った次の瞬間には、ステイルは咆哮していた。
溢れんばかりの激情に火を点け、魂を――――いや、己のすべてを噴き出すかのように。
- 633 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/11/30(水) 18:50:02.33 ID:hSErwGdl0
「アレイスター=クロウリーィィィッ!!!!!」
夜天に響いた名の持ち主が、空の彼方でにんまりと笑ったことなど、知る由もなく。
- 639 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/02(金) 23:21:44.21 ID:7522mIOh0
ローラは内心の動揺を押し殺すことに全精力を傾けていた。
ローラはインデックスの『首輪』が再発動する、まさにその瞬間は目撃していない。
その時はまだ、ネットの大海でアレイスターの所在を突き止めようと漂流している最中だった。
だから“言い訳”が利いた。
アレイスターは自分の目の行き届かぬ時機に、インデックスになんらかの干渉をした。
そう解釈する余地が残されていた。
「………………なぜ」
しかし。
たったいま、インデックスがステイルの腕の中から朧のごとく消えた瞬間。
「なぜ…………貴様は、なにもしていない?」
「異なことを。私に、なにかしてほしかったのか」
アレイスター=クロウリーという男の一挙手一投足を、存在を、概念を、意識を。
全神経を注ぎこんで瞠っていたはずのローラは、アレイスターが“なにかした”
刹那を見極められなかった。
否。
認めざるを得なかった。
アレイスターはインデックスの身を突如として襲った『死』に、少なくとも直接的な
関与は行っていない。
していたならば、ローラが見逃したはずがない。
- 640 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/02(金) 23:22:58.66 ID:7522mIOh0
ローラは数十年ぶりに腹の底から困惑しきっていた。
目の前――現在のローラに目はおろか肉体もありはしないが――の、黒幕の中の黒幕が
糸を引いているのでなければ、いったいあの現象は何を意味するというのか。
「おや、君はまだ要領を得ないか。ステイル=マグヌスは、すでに『誘拐犯』の正体を
見破っているというのに」
ますますもって意味不明だった。
ステイルは確かに何事か察した風ではあったが、その口から飛び出たのはアリバイの
成立した、決して『犯人』ではあり得ない男の名である。
「十二時の鐘もそう遠くはない。灰かぶりの魔法が解けた瞬間、なにが起こるか
楽しみじゃないか。君はどう思う、ローラ=スチュアート?」
その言葉に閃くものがあった。
十二時、すなわち、零時。
今日と明日の、今と未来の、そして過去と現在の、“境界線”。
「………………貴様が、なにもしていないはずがない」
そうだ、なんの関わりもないなどという詭弁が許されるはずがない。
なぜなら明日は――――七月二十八日ではないか。
「ほう?」
「七月二十八日は、貴様の作為だ。ロンドンで起こっているすべての現象も、元を糾せば
貴様のせい。たとえ直接手を下していないにしても、貴様の……仕業でなければならない。
そうでなければ辻褄が合わない」
- 641 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/02(金) 23:23:45.25 ID:7522mIOh0
とんだ強弁だった。
根拠も証拠も示さぬままに、ただ『そうであってほしい』という願望の透けて見える糾弾。
ローラが自身で採点するなら、論ずるまでもなく落第点ものの弁論。
神経のまともな被告人なら、取り合おうともしないであろう見苦しいこじつけ。
「そういえば」
しかし、ローラの対敵はアレイスターだった。
「『七月二十八日』を最初に“観測”してくれたのは、他ならぬ君だったか。あの頃は
まだ滞空回線も初期不良を頻発していた時期だったからな。君が観測してくれていな
かったら現状はなかっただろう。礼を言うよ」
目的のためなら、『プラン』のためなら。
世界の理さえも大真面目に変革しにかかる、正真正銘の狂人だった。
「いったい………………いったいなんなの、貴様はっ……!」
遂にローラの声が、抑えきれぬ激情を滲ませて震えた。
理解できなかった。
数十年間、憎悪を焚きつけて夢想してきた男の表情。
夢の中で何度も何度も、八つ裂きにして切り刻んで叩き潰して首を刈って手足をもいで眼球をくり抜いて性器を削ぎ落して水責めにして串刺しにして磔にして逆さ吊りにして毒を呷らせて焼き尽して、何度も何度も何度も殺してきた。
そうまで焦がれた男の正体を、なにひとつ理解できていなかった。
その事実が、何故だかはわからないが、ローラには途轍もなく悲しかった。
- 642 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/02(金) 23:24:48.45 ID:7522mIOh0
「七月二十八日、か」
動揺を露わにして瞑目したローラに、アレイスターはなんら感慨を見せることもなく
独りごちた。
「たとえば、そうだな。こう仮定してみよう。もしも今年の慰霊祭が日本で行われて
いたら、君はなにが起こったと思う?」
返答の有無を気にもかけず、男は続ける。
「イギリス清教と学園都市の友好条約が、式典に託けて締結されていた可能性は高い。
『神の右席』とやらを名乗る四人の男女の襲撃はその建前上、この日にずれこむわけだ。
…………すると、不思議なことに」
彼らの計画は、おそらくではあるが成功していた。
アレイスターは、囁くようにそう告げた。
「七月二十八日には、かくの如き意味がある。彼らはその特異点に選ばれなかった。
…………否、掴みとれなかった、と言うべきだな」
流れるような演説を、ローラは半ば聞き流していた。
無気力に覆われかけた脳の片側半分が、取得した聴覚情報の受け取りを拒否する。
その一方でなお消えぬ復讐の鬼火が、大脳皮質を再活性させるべく燃えあがってもいた。
- 643 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/02(金) 23:25:33.56 ID:7522mIOh0
「……………………そうまでして、なぜ七月二十八日にこだわる? その日付に、
いったい如何なる魔術的記号が存在し得る? あるいは、科学的見地から?」
なにより、知りたかったから、なのかもしれなかった。
ステイルにありったけの真実を受け継がせたローラにさえ窺えぬ、真実の奥の更なる真実。
闇の中深く埋められたそれに光を当てられるとすれば、もはやこの男しかいない。
「先ほども言わなかったかな。私の返せる答えは、常に一つだけだ」
だが、狂人はただひたすらにうっすらと笑うのみ。
「なにも」
諦めたように微笑し返したローラに向かって、アレイスターの紡いだ短い言の葉は。
「その日付に、特に意味はない。単なる偶然、だ」
端的にして、しかし究極の説示だった。
- 644 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/02(金) 23:26:11.34 ID:7522mIOh0
---------------------------------------------------------------------------
ギギ、と観音開きの大扉が蝶番を軋ませながらゆっくりと開いていく。
その雑音をどこか遠くに聞きながら、ステイルは空間に一歩脚を踏み入れた。
清浄感に満ちた荘厳な空気を靴音が裂く。
中央を貫通するように設けられた通路を迷わず進んだ。
左右には数人掛けの長椅子が整然と、十脚、二十脚と並んでいる。
普段なら祈りを捧げる会衆で立錐の余地もなく埋まるそこには人の子一人おらず、
荒涼とした寒々しささえ感じさせた。
長椅子の列が途切れた地点で、ステイルは立ち止まってわずかに顔を上へ傾げる。
ステンドグラスの聖母が見下ろす祭壇に、ぽつりと佇む人影。
ステイルは目を凝らした。
インデックス=ライブロラム=プロヒビットラムが。
命よりも大事だとつゆかけらも迷いなく断言できる愛しい人が、確かに“そこ”にいた。
「十年ぶりですね、ステイル=マグヌス」
――――――その“前”に立ち塞がっている、『犯人』と共に。
- 645 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/02(金) 23:27:03.75 ID:7522mIOh0
「やはり、君だったのか」
あと三十分もしないうちに、喪われた記憶と過日の罪に苦しみ続けた男女が、
ある一つの決着を見るべく向かい合うはずだった場所。
「やはり、とは?」
ここ――――――聖ジョージ大聖堂で。
「君だと、思っていたよ。いや、君でなくてはならなかった、と言うべきなのかな」
男と『犯人』は実に十年ぶりに、女の生命を懸けて対峙した。
- 646 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/02(金) 23:28:48.61 ID:7522mIOh0
犯人は、感情を一切まとわず淡々と言の葉を紡ぐ。
「“私”の魔力の精製痕を、記憶していたのですか」
「その前に」
片手を挙げて遮って、ステイルは最優先事項を確認する。
「『首輪』のタイムリミットをはっきりさせておきたい。君なら知っているんだろう。
精緻な『死亡時刻』を、それこそ秒単位で」
「貴方の見立てどおりです。現時点から約一時間と三十七分後。
午前一時丁度に――――――この子は死にます」
「僕の見立てを聞いていたのか」
「はい」
事務的な、と言うよりも機械的な返答に、ステイルは刹那視界が霞むほどの苛立ちを感じた。
何度聞いても慣れる気のしない、ステイルにとって世界で一、二を争うほどに、腸をグツグツ
煮え繰りかえしてくれる呪わしい声。
単調に事実を作文するためだけのその言語機能の存在を、ステイルはかねてから蛇蝎のごとく
嫌ってやまなかった。
「知っているかい? 以前本で読んだんだが、『強烈な印象や刺激を伴う記憶は忘却されにくい』
らしい。だとしたら、“君”の魔力の波形を僕が忘れるはずがないだろう」
だが腹を据えてかからなければならないこの場面で、感情に身を委ねた暴走は許されない。
ステイルは先刻、脳を駆け廻ったシナプスの結合を言葉にすることで、自らに平静をもたらす
べく徐に口を開いた。
- 647 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/02(金) 23:30:56.91 ID:7522mIOh0
「もっとも、たとえ忘れていたところで。僕は必ずこの場所に…………君に辿りついていた
だろうがね」
「……大層な自信ですね」
「自信なら当然あるとも」
抑揚のない『犯人』の声に、かすかに淀みが生じた。
「君が彼女の『電話相手』だったというところまで含めて、僕には揺るぎない確信がある」
「なぜです」
わずかに鋭さを増した、詰問とかろうじて呼べそうな疑問がすかさず返ってくる。
ステイルの知る『犯人』は、常に一定のペースを崩さず流暢に言葉を発していた。
「六月の頭だったか。学園都市へと渡って、上条家に宿泊した最初の夜のことだ。
あの夜、君と彼女は“会話”をしているな? 君ともあろうものがまさか、
『記憶に無い』なんて駄弁は吐かないだろうね」
「だとしたら、どうだと言うのです」
「僕がアホ夫婦の罠にはめられて彼女の部屋に踏み入ってしまったとき、彼女はすでに
ぐっすりと眠っていた。たっぷり三分は硬直してから、僕は気が付いた。彼女は、
携帯電話を握りながら眠りに落ちていたんだ」
これはまずい、とは思った。
いますぐに踵を返して、愉快犯夫婦の寝室に怒鳴りこむべきだと理性が訴えてきた。
だが、ステイルは知的好奇心に負け――――その判断が、思わぬ結果を生んだ。
- 648 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/02(金) 23:32:02.98 ID:7522mIOh0
「もうしわけないとは思ったが、通話履歴を覗かせてもらったよ」
その日を境に、ステイルの心中に真実を求める欲求が明確に芽生えた。
ローラに『電話相手』の存在を示唆された時点ではまだ頭の片隅を間借りしているに
すぎなかったそれは、日増しに膨らんでいった。
『犯人』とインデックスが“会話”したとおぼしき日は、ステイルが推測可能な範囲内
では五回あった。
まずは「0715」当日の朝六時、上条美琴が目撃した一回。
『さっきに起こしに行ったら誰かと電話してたわよ』
その四日前、冥土返しの診察を受けた日に、病院のロビーで一回。
『ごめんなさい、ステイル。ちょっとお花摘みに行ってくるね』
先述した上条家寝室で一回。
ロシア成教総大主教が電撃訪問をかました日の夜半過ぎに、一回。
『うん……うん……じゃあ、またね』
さらに去年のクリスマスミサ、ステイルがインデックスに口を利いてもらえなかった時期。
彼女を説得に行った神裂が、それらしき場面を目撃している。
『失礼します。…………? 電話中でしたか?』
日付も時間帯もすべて判明している。
とくれば、次に為すべきは。
「電話会社に残された通話記録を、調べたのですか」
- 649 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/02(金) 23:34:33.80 ID:7522mIOh0
直近の三回分のデータを入手することは、そう難しくはなかった。
しかしステイルは100%を保証してくれる、確固たる証拠を求めた。
電話会社のサーバーには過去数ヶ月分の通話記録が保管されているが、それ以前の、
半年以上前のデータは消去されている。
インターフェース上で一見消去されたかに見えるデータを復元することは理論上不可能
ではない、とステイルの拙いコンピュータ知識は教えてくれたが、それを実現してくれる
敏腕ハッカーがいなければ机上の空論――――
そこまで考えて初めてステイルは、初春飾利の顔を思い出したのであった。
「彼女にはいくら礼を言っても言い足りないよ。もちろん十分な謝礼は弾んだがね」
話を持ちかけた当初は浮気調査がどうのこうのとさんざん揶揄されたが、ステイルが本気
だとわかると初春は多くを聞かずに調査を引き受けてくれた。
懐に手を差し込む。
「ちょうどいま、ここにその『結果』がある。見るかい?」
偶然持ち歩いていたわけではもちろんない。
これは『証拠品』だった。
ステイルは今宵、この場所で、愛を告げたのち、その口で。
- 650 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/02(金) 23:36:56.82 ID:7522mIOh0
インデックスを、糾弾するつもりだったのだ。
「十二月二十五日、午後九時前後。一月十八日、午後十時半すぎ。六月七日、午前零時前。
七月十一日、午前十一時前後。七月十五日、午前六時ごろ」
味気ないコピー用紙の左端に順に記された数字は、すべてインデックスが『電話相手』と
連絡をとったと推測される時間だ。
視線を紙切れの右半分に移す。
そこには通話相手の名義と総通話時間がはっきりと、こう記録されていた。
「通話相手、無し。通話時間、零分」
- 651 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/02(金) 23:38:10.35 ID:7522mIOh0
「彼女は、電話なんてしていなかった」
余人が見れば不可解な『結果』であろうが、ステイルはその意味するところを即座に理解できた。
インデックスが用紙に綴られた時間帯に、電話口に何事か語りかけていたのは動かし難い事実だ。
ならば、真実は一つ。
「彼女はただ、携帯電話を耳に当てて、誰かと電話する“ふり”をしていただけだった」
すべてがインデックスのさもしい一人芝居だったのかといえば、それは違う。
「あれは、周囲へのカモフラージュだったんだ。君と彼女は、電話などなくとも
いくらでも“会話”できたんだ」
逆に言えば、電話ではどうしても“会話”できない相手だったのだ。
そして会話の事実を身近な者にも――――ステイルにも、悟られたくない相手だったのだ。
これら諸条件を同時に満たす『適格者』を、ステイルは一人だけ、ただ一人だけ知っていた。
それこそが、眼前の『犯人』に他ならなかった。
- 652 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/02(金) 23:41:47.68 ID:7522mIOh0
「君は、彼女がほかの誰にも打ち明けようとしなかった悩みを、すべて彼女自身から
聞いているな? ほかに誰も知り得ない彼女の絶望の正体を、一から十まで何もかも
知っているな?」
愛する人にやんわりと叩きつけられるはずだった弾劾は標的を変え、本来よりもはるかに
増した苛烈さを伴って『犯人』を貫く。
この相手を尋問することでインデックスの懊悩を暴けるかもしれないのだ。
自然、ステイルの語調は次第次第に速まっていき、律動は最高潮に近づく。
「そしてその悩みこそが、彼女を死に至らしめようとして――――」
「否定します」
突如、だった。
押し黙るばかりだった『犯人』が、硬い声で反駁の口火を切った。
「なに?」
「貴方がたったいま示した記述は、何の証拠にもなっていません。
貴方が空想で割り出した『会話時間』と、『記録の残っていない記録』。
そのようなもので、貴方が私に辿りついたなどと……私は否認します」
「………………?」
- 653 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/02(金) 23:44:08.01 ID:7522mIOh0
ステイルは眉をひそめた。
『犯人』の言い草は、自らが『電話相手』その人であること自体への否認よりも、
インデックスを攫った『犯人』の特定方法への非難に重きを置いているように
ステイルには思えてならなかった。
しかし『犯人』がこうしてステイルの前に身を晒してしまった今になって、そこを
否定することに何の意味があるというのか。
推理の道筋に無理があったとしても、『犯人』が現行犯である以上虚しい反論ではないか。
まるで、そう。
「貴方に――――――いえ、貴方の立証は不十分です」
ステイルの思考過程や人格、ひいては存在そのものを、否定したがっているようだった。
「…………なにを苛立っているのか知らないが。いいだろう、付き合ってやるよ。
僕の“WHODUNIT”には別のルートもあるんでね」
ステイルは『犯人』を穴があくほどにねめつけながら、細く長く息を吐いた。
『犯人』は冷淡な眼差しで応じてくるが、口は開かない。
まだ対話を続ける意思はあると、そう見て良さそうだった。
それならそれで、ステイルには好都合である。
- 654 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/02(金) 23:48:01.86 ID:7522mIOh0
「さて…………僕がロンドンに仕掛けた『守護神』、あれをどう思う?」
「つまらない二流魔術師の、鼻で笑いたくなるような二番煎じです」
あんまりな物言いである。
だがステイルはと言えば、怒りよりも驚愕が勝っていた。
字面だけ見れば敵愾心剥き出しだと言うのに恬淡とした口調はまるで変わらず健在で、
そこに醸し出された筆舌に尽しがたいアンバランスは、ある種滑稽ですらある。
「端的かつ辛辣な講評ありがとう。本家ヴェントの『天罰術式』ならまだしも、僕程度の
術者が解釈を再定義した術式など、確かに“君”にすればお笑い草かもしれないね。
…………しかし、これは誰にも言っていないことなんだが」
口の端を、意識的に持ち上げる。
「『天罰』には本来、崇敬対象となる上位存在が必要だ。術式の構造的には、顔を思い
浮かべた状態で『敵意』を抱くとたったそれだけで昏睡状態に陥ってしまう相手だね。
本家本元の『天罰術式』では、それが術者たる『前方のヴェント』本人だった」
ステイルの言わんとするところに気が付いたのか、ごくわずかだが『犯人』が目を瞠った。
三月のロンドン事変で『半端者』は、陣地に入った瞬間に次々と苦悶に膝をついた。
しかし『半端者』たちは全員が全員、術者本人に『敵意』を抱いていたのだろうか?
一応はイギリス清教の主力に数えられるステイル=マグヌス。
その顔を知っていた者は決して少なくはなかっただろうが、末端構成員にいたるまで
ことごとくが、というのはさすがに考えづらい。
と、いうことは。
「対象を、書き換えたのですか」
- 655 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/02(金) 23:50:33.33 ID:7522mIOh0
「ご名答。もともと大幅にいじくって威力の下がった術式なんだから、どうせなら
とことん都合のいいように歪めてやろうと思ってね」
「いったい、誰を」
ステイルの吊り上がった口許が、もう一段角度を増した。
ステイル=マグヌスの義務はロンドンの守護だ。
そしてもう一つ、ステイルの誓いは、“彼女”をなにがあろうと守り抜くことである。
守るべき義務と、果たすべき誓い――――いまでは、叶えるべき夢。
ならば『守護神』の中核に据えるべき『人間』など、最初から一人しかいない。
「決まっているだろう。最大主教、本人だよ」
インデックスは最大主教への昇叙以来、メディアへの露出がすこぶる激しかった。
ゆえに三月の時点で、『イギリス清教=インデックス』という図式はすっかり成立していた。
つまり『イギリス清教が庇護した原典』を狙う第三世界のテロリストたちは、必然的に
頭のどこかで清教派の象徴たる彼女の姿を思い浮かべ、少なからず『敵意』を抱く。
結果、ステイルの思惑通り『半端者』は、飛んで火に入るなんとやらと相成ったのであった。
「それにしても、だ。こんなこじつけくさい、遠回しな『敵意』だけでも七、八割は
武装解除が可能なんだ。だったらもし、最大主教を“直接”手にかけんとする輩が
この術式にかかったら、いったいなにが起こると思う?」
唇を引き結び、眼光を鋭く尖らせる。
いよいよ、ここからが論証の核心だった。
- 656 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/02(金) 23:51:38.19 ID:7522mIOh0
「オリジナルの『天罰術式』と同じように運用すれば、最低限“意識を奪い”ぐらいは
してもおかしくはない。僕が何を言いたいか、もうわかっただろう?」
閉めきられた聖堂に、生温かい風が吹き抜けたような気がした。
「僕はさっきから君の話をしているんだよ、『誘拐犯』」
ステイルはインデックスを誘拐された直後、間髪いれずに『守護神』を起動させ
ロンドンの探知網に意識を向けた。
魔力反応がたったいま自分のいる場所から聖ジョージ大聖堂へと“事もなげに”
移動しているのを感知したとき、ステイルは『犯人』の正体を悟ったのだった。
魔力を精製する者が彼女をさらったのにも関わらず、『天罰』を安々とくぐり抜ける。
そんな異常事態を説明できる可能性はいくつか考えられるが、さっきの『通話記録』と
あわせて推理すれば答えは明々白々である。
「この『犯人』は、彼女に『敵意』などみじんも抱いていなかった」
つまり『犯人』は、いつかの上条刀夜と同質なのだ。
ステイルは指先にそっと炎を宿した。
「……というより、抱くことが“できなかった”。この方が的確だ。なぜなら、
『犯人』の存在理由は」
- 657 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/02(金) 23:54:47.69 ID:7522mIOh0
腕を軽く左右に振った。
聖堂中に設けられた燭台に次々に火が点り、聖堂に佇立する“ただ二人”を照らし出す。
「彼女を、『禁書目録』を、守ることだったんだから。そうだろう――――」
『犯人』は沈黙を返答に選んだ。
事実上の首肯と考えて間違いなかった。
ギラギラした蝋燭の熱気に、その涼やかな風貌が浮かび上がる。
ステンドグラスの聖母にも見劣りしない、宵に融けるような銀糸。
一億ドルの宝玉よりもなお現実感の薄い、不透明な瞳の色彩。
硬質な言の葉の数々を紡ぐ、形の良い唇。
そしてなにより、天使をも凍りつかせるその表情の冷たさ。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
神父の暗赤色の瞳から延びる視線が、『犯人』のくすんだエメラルドグリーンと交わった。
- 658 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/02(金) 23:55:25.77 ID:7522mIOh0
ヨハネのペン
「『自動書記』」
- 659 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/02(金) 23:56:09.72 ID:7522mIOh0
「いや、違うか」
Passage6 ――十六番目の失敗者――
「『魔女』と、そう呼んだほうがいいのかな」
――――END
- 666 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/03(土) 23:09:57.92 ID:drgyhk2A0
――Passage7――
ステイル=マグヌスは、彼女の瞳の色が昔から大嫌いだった。
愛する少女の色と酷似しているにもかかわらず、まるで温度を異にする暗い濃緑。
インデックスの翠が燦々と射す木漏れ日を透かした若葉色なら、彼女の緑は鬱蒼と茂る
樹海の闇そのものだった。
「十年……いや、十一年前もこの場所だったね。君と闘ったのは」
「私の行為に戦闘という意味が付与されることはありません。私は『禁書目録』を防衛
するため、障害となる万象を『排除』するのみです」
「…………その憎らしいまでの無感情。それでこそ『自動書記』だ」
『自動書記』。
それはイギリスという国家が『禁書目録』に仕掛けた魔術。
『首輪』が時に絞首台のロープと化す『時限爆弾』だとすれば、さながら防護服の役割
をも同時に果たす、きわめて強固な『拘束衣』。
そして絶望と無力に塗れたステイルと神裂の三年間を、象徴するような存在だった。
- 667 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/03(土) 23:10:39.81 ID:drgyhk2A0
「“私”の健在程度なら知れているとは思っていたましたが。貴方への評価を少々
改めなければならないようです」
「馬鹿にしているのかい。さすがにそれぐらいは、ね」
ステイルはこの六年で、何度もインデックスの中に“いる”『自動書記』の痕跡を
目の当たりにしてきた。
たとえば、『図書館』から情報を直接読み込む際の、特徴的な瞳の輝度の低下。
たとえば、魔力を持っていないはずなのにきっちり阻害されていた、『心理定規』や
『心理掌握』らの精神感応系能力。
そして極めつけは。
「だいたい、だ。七月十五日に『アドリア海の女王』を発動する時、僕は最大主教から
魔力を借りている。あれは君のものだったんだろう?」
「……はい。あれは私を構成、維持している魔力を一時的にカットして確保したものです」
「その節は大変世話になったね、礼を言うよ」
ステイルの慇懃無礼への返答は、冷たく細められた瞳が代弁した。
神父も負けじと眼光を鋭くし、視線を真正面からかち合わせる。
ステイルのなにが気に入らないかは知らないが、そんなことは今は些事である。
「なぜ、彼女を僕から遠ざけた? このままでは彼女は死ぬんだぞ」
「死なせません」
『死』という単語に反応したかのように、『自動書記』が間髪入れずに返事を被せてきた。
- 668 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/03(土) 23:11:16.72 ID:drgyhk2A0
「死なせない、だと? 彼女を縛っている鎖の分際で、一丁前に内側の虜囚を救おうと
言うのか。泣かせるね」
そんな彼女をステイルは嗤った。
『自動書記』がステイルを疎んじているのなら、逆もまた真。
この女が気に食わない――――などと、可愛いレベルで済まされるものではなかった。
「…………いけないのですか」
脳を焦がすような情動を抑えつけていると、静かな声がステイルの耳朶を打つ。
「私が、この子を守りたいと思ってはいけないのですか」
まもる?
守る、だと?
「君が、彼女を守るだと? それが君の、建前上の存在意義だということは認めよう。
僕の感情面は間違っても納得などできはしないが、いまこの時だけは飲み込もう」
ふざけるな、心がそう哮った。
しかし、飲み込む。
- 669 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/03(土) 23:12:45.41 ID:drgyhk2A0
「飲み込んでやるから、彼女をこちらに“渡せ”。『首輪』を解除しなければ、
君の存在理由は露と消えるんだぞ」
はたしてステイルごとき凡百の魔術師に、『首輪』を外すことができるかは定かでない。
だが今は、できるできないの問題を議論している暇などなかった。
インデックスが死に瀕している現実がある以上、尽くせる手は尽くす、当然のことだ。
もちろんステイルはベストを尽すことが肝要である、などという堕落したスポーツマン
シップの成れの果てを標榜するつもりはない。
『成功』は100%の既定事項でなければならず、そのための手はすでに打っている。
――――しかし。
「拒否します」
「……現状を把握できないほど卑小な思考回路の持ち主だとは知らなかったよ。いいか、
これは依頼でも嘆願でも陳情でもない、“命令”だ。今すぐ彼女の身体を明け渡せ」
「拒否、します」
「拒否して、どうする。その先になにがある。君が『首輪』を解除するのか?
やれるものならやってみろ。十五年の間に幾度もあった『死』を乗り越える
チャンスを、すべて坐して見すごした君に。できるものなら、な」
『首輪』と連動していた『術式』にかける言葉としてはあまりに不当な、
そして無意味に辛辣な罵声だった。
- 670 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/03(土) 23:13:58.03 ID:drgyhk2A0
『自動書記』に自我などない。
当然のことだ。
彼女は組み込まれた術式に従って『禁書目録』を生命の危機から遠ざけ、『首輪』への
干渉があれば世の魔術師をあざ笑うかのような圧倒的な力で侵入者を排除する、
ただそれだけの――――そうであれと定められただけの存在である。
そこに、存在必然性のない感情が介在する余地など、あるはずがない。
だが眼前の光景はどうだ。
「簡単なことです。『首輪』の解除方法は、“最初から設定されているもの”を用います」
彼女はステイルの目から見ても、『人間』だった。
「貴方は、ただ見ているだけでいい……いえ、貴方になど任せるつもりは毛頭ありません」
己の根源に設定された真の存在意義に逆らい、インデックスを救う方法を
“曲がりなりにも”提示する彼女は。
- 671 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/03(土) 23:14:49.11 ID:drgyhk2A0
「“私”が、この子の記憶を、十一年間生きた“インデックス”を殺します」
ただその事実だけでも、『人間』と呼ぶに相応しいのではないか。
「私が、十六番目の『失敗者』になります」
「…………もしかしたら、と予測はしていたが。その上で、この言葉を贈らせてもらうよ」
- 672 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/03(土) 23:15:51.25 ID:drgyhk2A0
人間である彼女は。
「ふざけるな」
人間だからこそ、ステイルとぶつかりあっているのではないか。
「繰り返す気なのか、あんな事を。それで彼女が救われるとでも思ってるのか」
「――――――っ」
人間が息をのむような音吐を、確かにステイルの耳は拾った。
「彼女はすでに、“知っている”んだぞ。“忘れられなかった”んだぞ」
「……を……な」
『上条当麻』の一度目の死。
無限にも思える死の連鎖を壊せなかった、ステイルと神裂と、アウレオルスの存在。
直面したインデックスは知識として、感情として、情報として蓄えてしまった。
「人一人の記憶を殺し尽くすことがいかに残酷で、その運命を歪めるのか」
「し………………くな……!」
記憶を失う前の愛した人を、記憶を失った別人に重ねてしまうことの痛みを。
記憶を失う前の自分を、記憶を失った自分に重ねられる苦痛を。
「それでどれほどに残された彼女が苦しんだのか、知らないなどとは言わせないッ!!」
- 673 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/03(土) 23:16:32.13 ID:drgyhk2A0
「 知 っ た よ う な 口 を 利 く な ッ ! ! ! ! 」
- 674 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/03(土) 23:18:13.55 ID:drgyhk2A0
起こりえるはずなどない、死火山の爆発を目の当たりにしたようだった。
おそらく一人目の『上条当麻』や神裂ならそう評するだろう。
『自動書記』の感情無き殺意にさらされた経験のある者なら、誰でも驚愕に顎を外すだろう。
「貴方がこの子の何を知っている!? たかだか十四年外側から見守っただけの男が、
この子の“幸せだったほうの”半生しか知らない男が、この子の内側の果てなき懊悩の、
私のどうしようもない歯痒さの、いったいなにを知っていると言うのですッ!!」
激情。
眦をつり上げ、白磁のような歯を軋ませ、月光を浴びた柔肌がなおも紅く照る。
怜悧で無感情だったはずの女の美貌が、これでもかと憤怒一色に染め上げられている。
それはこの上ない、感情の昂りの顕れ。
彼女がインデックスの『電話相手』であることの、なによりの証明。
同時にステイルはその爆発を冷静に、沈着に、『人間』の証明として捉えることができた。
「知っているとも」
なぜならば、知っていたからだ。
「少なくとも君の認識下における『ステイル=マグヌス』より、僕はよほど多くを知っている」
ステイルが渡された真実が、インデックスの闇のすべてを解き明かせるのかはわからない。
しかしステイルは知ってしまった。
知ることを欲したがゆえに。
「僕は、『魔女白書』を知った」
- 675 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/03(土) 23:19:44.51 ID:drgyhk2A0
ここで時計の短針を、七周ほど巻き戻す。
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- 676 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/03(土) 23:20:25.39 ID:drgyhk2A0
聖ピエトロ大聖堂のとある一室。
「それ以前はかのシステム、いえ、“プラン”は、こう呼ばれていたのよ」
金ピカの刺繍が所狭しとばら撒かれたクロスと、それに覆われた卓。
挟んでステイルの向かい側。
ローラ=スチュアートが勿体ぶって一呼吸差しこみ、笑みをいっそう不気味に深める。
「『魔女白書』計画、とね」
静寂――――
――を破ったのはカリッ、という顆粒を噛み砕いたような小気味いい破砕音だった。
「うん、美味だ」
「………………あのー?」
ステイルはテーブルに置かれたバスケットから固焼きのビスコッティを摘まんで、
『ローラ様スペシャルティー』にちょん、と浸してのち口に運んでいた。
こうでもしないと、コンクリートのような硬度を誇るこの菓子には歯が立たないのだ。
- 677 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/03(土) 23:21:26.71 ID:drgyhk2A0
「…………す、ステイルくーん、どうしたりけるのかしらー?
もっとこう、『なんだ、なんなんだ、それはッ…………!!』
みたいなリアクションをいみじく期待しておったのだけれどー?」
「そう言われましても。ああ失礼、この一枚を食べ終えるまで待っててください」
「うう、あなたの中でのローラちゃんの優先順位がよく知れる発言なりしよ……」
よよよ、と白々しく指で“の”の字などなぞって嘆くローラをステイルはきっぱり無視した。
予告通り紅茶に浸けていた一枚を、たっぷりと時間を浪費し、咀嚼し終えてから顔を上げる。
「『魔女白書』なんて言葉を、いかにも仰々しそうに持ち出されましてもね。
こちらとしても反応に困りますよ」
魔女とは読んで字のごとく『魔術を使う女』のことであって、それ以上のものではない。
異端狩りに特化した性質を持つ『必要悪の教会』所属魔術師として立脚すれば、確かに
そこそこ重要なワードだと解釈できなくもないだろう。
しかし実際問題、魔女の称号を自他の是非を問わず頂戴している女などイギリス国内だけ
でも数千人はくだらないはずだ。
インノケンティウス八世が権威を振るった暗黒の時代など、今は昔の御伽草子なのである。
「そんなありふれた存在に関する記述など、記録して何になると言うんです」
自分達は『禁書目録』の正体について語り合っているのではなかったのか。
この言葉が字面そのままに真実を表現しているとしたら、拍子抜けもいいところである。
- 678 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/03(土) 23:22:27.42 ID:drgyhk2A0
「んもう、あまり失望させてほしくなきことよ、ステイル。『魔女狩り』などという
高尚な趣味の持ち主たるあなたならいと易くわかりけるはずよ」
「誰が火あぶり刑を眺めて愉悦に浸る危険人物だ!」
「そこまで言ってなきにつき候」
「もう目茶苦茶じゃないっすか」
まあ当然、ステイルは“これ”が単なる入口だとは理解している。
少々腹立たしかったから、意趣返しに焦らしプレイを挟んだだけのことだ。
なにが腹立たしいのかと言えば、結局はいつもの迂遠でまやかしじみた、くどい説明
タイムに入ったローラ=スチュアートその人がである。
「ステイル。『魔女狩り』が中世ヨーロッパで繰り広げられた惨劇を指すだけの
言葉でないことは、もちろんあなたも知っているわね?」
あっさり気を取り直したらしいローラが、紅茶を一口すすって微笑む。
ステイルも茶番はここまでとばかりに表情を引き締め、顎に手を当てて考え込む。
『魔女狩り』。
ステイルの切り札の由来でもある、焔の時代の謂れなき異端狩り。
偉そうな口を利けた身の上でもないが、それはステイルのちっぽけで、薄っぺらく、
青臭い――――しかし絶対に譲れない『正義』とは、相反するものである。
神裂やインデックスにさえ語ったことはないが、自らの『魔女狩り』は誰かを守るため
だけに執行されるものでなければならないのだと、ステイルはそういうルールを密かに
己に課している。
そこを曲げてしまえばステイルはきっと、永遠に立ち上がれなくなっていただろうから。
- 679 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/03(土) 23:23:02.08 ID:drgyhk2A0
閑話休題。
とにもかくにも『魔女狩り』はそこから転じて、ある一定のコミュニティやソサエティ
内での謬見に基づく差別や排除行為を表す暗喩として――――
「…………ああ成程、そういう事ですか」
ステイルは頤から手を離して、理解した事実を飲み込むようにゆっくりと頷いた。
『魔女』は時代や国を問わず、『排除されるべき異端』を表す隠喩として扱われてきた。
つまるところ、これは単なる喩え。
もう少し魔術的な用語を用いて説明するなら『言霊』を見立ての対象に据え、なんらかの
異なる意味合いを付加する『偶像の理論』の特殊応用、といったところか。
「『魔女白書』と言うワードもなにかしらの『異端』の比喩にすぎない、ということか」
「奴に自らを異端と称してへりくだるような、殊勝な心があったとは思えないけれど」
「奴?」
「…………兎に角、『魔女』とはただのメタファーよ」
「何のメタファーなのかが、話の上でもっとも肝要なんですがね」
「せっかちも行きすぎると、馬鹿を見るのは他ならぬあなたよステイル。主に男女関係で。
ここまではまだまだオープニングトークにすぎないわ♪」
「司会者が延々とくどい前口上に時間を費やすようなバラエティ番組なら、僕は五分で
切る自信がありますよ」
- 680 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/03(土) 23:24:36.50 ID:drgyhk2A0
ステイルは腰をソファから浮かしかけた。
ローラはさも慌てたかのように振る舞って、諸手のジェスチャーで座れ、座れと促してくる。
煙草が懐にないのが残念でならなかった。
「……コホン。では、さっきのあなたの疑問に、順に答えていきましょうか。最初は
“一〇三〇〇〇冊”についてだったわね」
「…………ちっ」
隠そうともせず、盛大に舌を打った。
この絶妙なカードの切り方は、どこまでいってもステイルのよく知る女狐の手管である。
弾力性豊かな高級ソファに再び、身を投げるようにしぶしぶ腰を下ろす。
「僕が提示したのは、第一に『いかにして“一〇三〇〇〇冊”まで蔵書数を増やしたのか』
という疑問。第二に『なぜある時点から“一〇三〇〇〇冊”が増えていないのか』です。
完全な回答を、今度こそ期待してよろしいんですね」
魔道書の原典(オリジン)が世界中に散らばっている以上、一年間でインデックスが記録
可能なのはよくて千冊強、といったところだ。
そしてインデックスは、ステイルが初めて出会った十四年前、十二歳の時点ですでに
十万冊を有していた。
1000×12=103000?
いずれかの変数に錯誤がなければ成立し得ない数式である。
これが、第一の疑問。
- 681 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/03(土) 23:25:42.74 ID:drgyhk2A0
そして第二に、十一年前のアウレオルス=イザードの発言だ。
『一〇三〇〇〇冊もの魔道書を一身に背負い、決してその呪縛から逃れることのできぬ少女』
アウレオルスがインデックスのパートナーであったのは、ステイルや神裂の一年前だ。
当然、彼が『禁書目録』に言及する際口にする冊数は、ステイルたちがインデックスと
初対面を果たした時点での数字と一致している――――はずなのだ。
ステイルたちの二年間を彼が逐一監視していた、という可能性は万に一つもあり得ない。
光の世界から身を隠し世情に疎くなったがゆえに、あの男は『すでに救われていた』
インデックスを救うべく、噴飯ものの悲喜劇の舞台にのぼってしまったのだから。
導出可能な結論は、至極単純なものだ。
要するに最低でも『禁書目録』は、アウレオルスの手を離れた時点から一冊たりとも
増加していないのである。
これらの疑問点を完璧に解消できる真実こそが、ステイルの要求だった。
「ステイル、あなたの言う通りよ。あの子は、インデックスは」
そう切り出したローラを見ると、はっとするほど真剣な顔つきをしていた。
われ知らずステイルが居住まいを正すと、女は『第一の虚構』を暴露した。
「二十六年前に生まれた時点で、既に“一〇三〇〇〇”冊を持っていた」
- 682 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/03(土) 23:27:07.60 ID:drgyhk2A0
「………………彼女は、二十六年前に産まれた。それは間違いないのですね」
「ええ、安心なさい。正真正銘、彼女は二十六歳の乙女。あなたが危惧するように、
ウン百歳のおばあちゃんなどではないわ」
「貴女とは違って、ね」
「一言多し!」
軽口で返したものの、内心ステイルは安堵していた。
インデックスが実は自分よりはるか昔から呼吸して、原典の蒐集を行っていたのではないか
という仮説は確かにステイルの中にあった。
『1000×12=103000』の内の、『12』こそが誤謬だったのではないか、と。
まあそれも大した問題ではないのかもしれない。
彼女が何歳であろうと、たとえば実年齢二百五十歳の媼であっても、ステイルの愛は永遠に、
絶対に、朽ちはしないのだから。
「しこうして、それでも歳が近きに越したことはないでしょう?」
「まあ、それはそうなんですが……って言ってる場合かっ! 話を進めますよ!!」
思わずポロリと本音が漏れて、ステイルはまたも顔を赤くした。
ローラは素敵に無敵にそんな神父を笑い飛ばす。
「ふふ…………でもね、ステイル。間違っている数字が『12』だというのは、
大正解なのよ?」
――――不発に終わった爆弾の導火線に、楽しげに火を付けながら。
- 683 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/03(土) 23:28:17.11 ID:drgyhk2A0
「………………なにを言っているんです?」
「この式はね、『12』の部分に本来はいかな数値が入るのか、という点こそが肝心なの。
試しに『X』を置いて変形してみましょう。ミドルスクール時代を思い出して、さぁ♪」
「通ったことないんですけどね、僕」
1000×X=103000.
X=103000÷1000.
「先ほど言った通り、インデックスの生誕前に一〇三〇〇〇冊は出来あがっていたわ」
よって、右辺に26を加算する。
X=103000÷1000+26.
X=129.
「百二十九…………?」
「『X』の単位はなんだったかしら、ステイル?」
「百二十九、“年前”。十九世紀終わりから、二十世紀初頭……?」
「ピンポンピンポーン♪ より正確に言えば――――――“一九〇六年”」
ステイルはとっさに懐のカードに手を伸ばしていた
家庭教師然とした鬱陶しい注釈を加えてきた声音の温度が、“その”数字を境に
急激に零下まで落ちこんだからだった。
- 684 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/03(土) 23:29:23.72 ID:drgyhk2A0
「『魔女白書』計画のそもそものはじまりは、この年だった」
「し、しかし…………その時代にはまだ彼女は影も形もなかったと、貴女自身がたった
いま断言したではないですか!」
「確かに、そうね。でも」
インデックスはまごうことなき二十六歳。
一九〇六年に彼女はまだ生まれてすらいないと、ステイルはそう声を荒げる。
対する、『第二の虚構』に手を掛けたローラ=スチュアートの表情は――――
「インデックスはね、“三人目”なの」
瞳を潤ませているでもないのに、涙を溢れさせてもまるで不思議でない、そんな表情。
後悔か、哀悼か、苦痛か、遠い過去のなにがしかの感情に裏打ちされた、壮絶な表情。
しばしの間、ステイルはローラの相貌にばかり視線を奪われ呆然とした。
だから、その言葉の意味するところへと、即座に意識を向けられなかった。
柱時計がごおん、と唸って十時を回ったと告げる。
同時に、今度こそステイルは、掛け値なく全身を大きく震わせた。
「さ…………ん……?」
- 685 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/03(土) 23:30:22.07 ID:drgyhk2A0
「一九〇六年は、“一人目”が、“彼”の最初の娘が死んだ年よ」
一人目と彼。
彼とは誰だ。
一九〇六年に、一人目が死んだ。
彼と一人目は、親子で――――
気が付けば拳を、砕かんばかりにマホガニー製の頑丈なテーブルに叩きつけていた。
「ま、さか?」
縋るような目でステイルは、ローラに恐る恐る目線を移す。
わかってしまった。
点と点が思いもよらぬ結合をした結果、理解してしまった。
だがそれを、叶うことなら明確に否定してほしい。
言葉には出さずそう告げる。
するとローラは、微笑むでも身悶えるでもなく、無表情に首を縦に振った。
- 686 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/03(土) 23:31:59.28 ID:drgyhk2A0
「娘の名はリリスと言ったわ。リリスは実の父親の手によって原典の毒を次々に脳内に
注ぎ込まれて、狂乱の果てに、世にもおぞましい死を遂げた」
淀みのない口調と、正常そのものの顔色が、逆に異様だとステイルは感じた。
「第一次計画は見事に失敗。しかし“彼”は無論、そこで諦めるような男ではなかった」
完膚なきまでに、百人見れば百人が断言するであろう程に、ローラは正気だった。
・ ・ ・
「リリスと同形質の遺伝子を持つ、彼女の妹、二番目の娘に、リリスの死後脳から
抽出した、電気信号となった原典を移植した」
どこまでも正気のまま、ローラは刻薄なる狂気を口にしていた。
「それが――――――」
見るに堪えなかった、のかもしれなかった。
熱に浮かされたようにステイルは、囁き声でその先の言葉を引き取っていた。
「ローラ=ザザ」
- 687 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/03(土) 23:33:27.14 ID:drgyhk2A0
「貴女が、『禁書目録』だった?」
男は、認めがたきを認めるかのように呻吟した。
Passage7 ――姉妹――
「あなたはやっぱり優しい子ね、ステイル」
女はまたしても、泣きそうな顔で微笑していた。
- 697 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/04(日) 20:05:16.13 ID:alZg/OVZ0
ステイルは混乱を収めるべく瞑目し、必死で頭の中身を整理していた。
一世紀以上も遡った時の果てですでに胎動していた『プラン』。
“彼”の娘、リリス。
一人目の『魔女』。
リリスは原典の毒に絶えること叶わず、死んだ。
そして『図書館』は受け継がれた。
瞼を開く。
ステイルの差し向かいには遠い目で、格子窓の外側の闇を見るともなしに眺めている女。
ローラ=スチュアート――――いや、ローラ=ザザ。
彼の娘にしてリリスの妹。
そして、二人目の『魔女』。
より正確には、魔女だった女。
「一つずつ、疑問を潰させてもらいましょうか。リリスが原典の毒に侵された、とは?
彼女の父親が原典の危険性を理解していなかった、などという阿呆なオチはまさか
つかないでしょうね」
「無論、あり得ない話ね。彼は当時はおろか、人類史上でも随一の大魔術師なのだから」
ならば何かしらの対策をリリスの側になり、原典の側になり、施していたということだろうか。
そして、それが思いがけず不発に終わったからこそ――――
「いいえ。彼は、リリスになんの策も打たぬままに、数冊の原典を渡したらしいわ」
「な…………?」
- 698 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/04(日) 20:06:48.37 ID:alZg/OVZ0
ぽかん、と口を開いて阿呆面をさらしてしまった。
それではリリスは、死ぬべくして死んだというだけではないか。
「これが彼の単なる知的好奇心の走りにすぎなかったことを、『ローラ=ザザ』は
はるかのちに知った。娘が、リリスが、偶然『完全記憶能力』を持っていたから。
ただ、ただそれだけの理由で……あの男は稚い実の娘を利用して、自らの知識欲を
満足させようとしたのよ」
好奇心? 知識欲? 満足?
それでは、まるで。
「それではまるで――――実験ではないですかッ!」
ステイルは、飲み込みがたい憤りから吼声を上げた。
実の娘を、九割九分命を落とす狂気の沙汰のモルモットにしたというのか、“彼”は。
そんなものは狂気以外の何物でもない。
ローラは、力なく口の端を歪めた。
「『ローラ=ザザ』も、そう言った。そして彼は、こう返した」
――――失敗を積み重ねてこその、成功だ――――
「彼は『失敗』が何を意味するのか、理解しているのかも怪しい軽い語調でそう言った」
そうして“彼”は、『ローラ』を次なる被験体に選んだ。
- 699 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/04(日) 20:08:24.22 ID:alZg/OVZ0
「……………………失礼、話を先に進めましょう」
ステイルがこの場で如何に義憤にかられようと、すべては歴史の彼方に遠ざかった、
決して手の届かない一ページだ。
第一、所詮は血塗れの大量虐殺者であるステイル=マグヌスが、ご立派な倫理観を
振りかざして正義をのたまったところで虚ろに響くだけである。
「リリスは、最大主教と同様『完全記憶能力者』だった。彼女の死後脳から原典が
電気信号として取り出された。そして、ローラ=ザザに受け継がれた」
男は一息に、入手した情報を簡潔に羅列する。
質したい事柄のオンパレードであった。
「脳から情報を、電気信号として抽出…………こんなことが百年もの昔に可能だった
などとは、にわかには信じがたいのですが」
「でもねぇ、ステイル。生体電気や神経系が人類の歴史上で発見されたのは十八世紀の
出来事なのよ。意外に古いでしょう?」
脳科学、という言葉が一般人にも抵抗なく受け入れられるようになったのはここ三十年
ほどの話だが、脳に関する研究という観点で見ればそれ以前から大脳生理学という名で
日進月歩、進化は続いていた。
さらに十九世紀末には、言語処理の中枢を担うブローカ野や、知覚性言語中枢とも
称されるウェルニッケ野が次々に発見されている。
十九世紀末。
それは正に、“彼”が活動を開始した時期と重なるではないか。
- 700 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/04(日) 20:09:19.56 ID:alZg/OVZ0
「ましてや。“彼”が不世出の大魔術師であると同時にどのような肩書を負っていたのか、
まさか知らないわけではないでしょう」
「…………そう、でしたね」
電気信号がどうの、脳神経がどうのというテーマは明らかに魔術の領域ではない。
中枢に原典という“魔術”の神秘の結晶を据えておきながら、この計画は厳然と
――――“科学”にその屋台骨を支えられている。
「しかし、原典の継承につきまとう問題点は依然として多々残ります」
そもそもの始まりからして、リリスは『完全記憶』を有していたから被験者とされたのだ。
つまり、『魔女白書』計画はその能力なくして前進し得ない。
『ローラ=ザザ』にも、それが備わっていたとでもいうのか。
「そんな偶然はあり得ない……そうでしょう」
「もちろんないわ。『ローラ』の完全記憶は後天性よ」
ローラが何でもないように放った一言。
示されたのはすなわち、『完全記憶』の移植。
「それこそ、無茶苦茶な話だ! 記憶ならまだしも、『能力』を移植するなど……」
息せき切ってまくし立てようとして、ステイルは唐突に言い淀んだ。
浜面理后のぼんやりとした顔つきを、思い出してしまったからだった。
- 701 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/04(日) 20:10:27.19 ID:alZg/OVZ0
「サヴァン症候群のメカニズム自体は、すでに学園都市の研究機関によって解明が
成し遂げられているのだけどね」
サヴァン症候群。
狭義には自閉性障害者に稀に見られる、限られた分野に対して異様な能力を発揮する症状。
たとえば、特定の年の特定の月日の曜日を瞬時に言い当てられる。
たとえば、航空写真を少し見ただけで、細部にわたるまで描き起すことができる。
たとえば、並外れた暗算をすることができる。
たとえば、読んだ書籍を一言一句に至るまで、精緻に脳味噌というハードディスクに
保存できる。
彼らの能力の根源は、そのことごとくが“脳”にある。
脳開発の最先端たる学園都市は数年前、長年原因物質と目されてきたテストステロンに
変わる新物質を発見したと発表した。
既成の脳を弄りまわす方法など、あの科学の街にはいくらでもある。
というよりも、学園都市とはそのための箱庭だった。
垣根帝督の『人助け』などは、まさしくそれを裏打ちするものと言えるであろう。
「意外と詳しいのね」
「誰かさんのおかげで、脳について詳しくならざるを得なかったんですよ。
十一年前から、暇を見ては逐一知見を蓄えていたものでね」
ステイルはこれ見よがしに、憎々しげに吐き捨てた。
- 702 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/04(日) 20:11:33.22 ID:alZg/OVZ0
大脳生理学の初歩の初歩を些かばかり、公共のごく普通の図書館でかじった。
それだけで己の筆舌に尽くしがたい愚劣さを思い知らされた、うだるような十一年前の夏。
眼前の女狐に対する、凍るような、冷たい殺意の炎を胸に抱いたあの日。
その後十一年を経て、いまこの瞬間もなし崩しに熱を失っていく、仄暗い灯。
ステイルは顎に手を伸ばし、今朝の髭の剃り残しを探るように撫でた。
「…………あの街の研究チームが何年もかけて見つけた新物質と利用法は、その実一世紀
前の“彼”の手柄だった、と?」
手柄とはこの場合、後天的な、強引な、非人道的な『完全記憶』の植え付けを指す。
そしてその対象は。
「まあ、彼らをこき下ろすのは酷というものよ。当時からかの魔術師が駆使する
“科学”には、これでもかとふんだんに“魔術”が入り混じっていたのだから」
実の父親に実験動物同然の扱いを受けた、哀れむべき少女は。
「血縁者に効果を限定するような、一種の制約条件を課すことで性能を底上げするタイプの
魔術があるでしょう。『ローラ=ザザ』にもそれが用いられたわ。血液中の魂の情報を
共有して、脳内物質の作用が『リリス』同様の箇所を肥大化させるよう、方向性を与えた」
学生のレポートを採点するかのような平坦な口調を崩そうとしない、この女なのだ。
十年前から隙あらば、状況さえ許せば、焼き殺してやりたいと願ってやまなかった、
ローラ=スチュアートその人なのだ。
- 703 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/04(日) 20:13:06.26 ID:alZg/OVZ0
「脳内物質の作用箇所を、魔術で操作……またしても、『融合』ですか」
「当時はまだ、科学と魔術の境界線が決定的なものではなかったの」
近現代の組織にはとある不文律が存在していた。
曰く、組織は魔術か科学、いずれかに勢力に傾倒していなければならない。
その法則を破るものに世界は容赦せず、“彼”もまた、狭間をたゆたったからこそ
世界を敵に回した――――
(…………本当に、そうなのか?)
突如としてステイルは、根拠もなくそんな思考に脳を支配された。
融合を推し進めた男。
世界などという得体の知れない力によって線引きされた地図。
そして、そこから弾きだされた男。
肺の裏側に張り付いてこそぎ取れないような微細な違和感が、ステイルの呼吸を
わずかに乱す。
なにか、この先になにかがあるのか――――?
「…………ステイル?」
「っ!?」
びくり、と全身を小さく跳ねさせた。
焦点を思索の果てから現実世界に合わせ直すと、ローラが身を乗り出してステイルの
顔を覗きこんでいた。
狐に化かされたのかと思うほどに、その表情が真摯にこちらを慮るものだったため、
ステイルは今度は呼吸の仕方を忘れてしまった。
- 704 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/04(日) 20:14:20.50 ID:alZg/OVZ0
「……………はぁ」
深呼吸を一度。
時計の針の現在地を確認する。
インデックスは今も、マタイと和気藹々とした談笑にふけっているのだろうか。
「マタイには、私たちが向こうに行くまでインデックスを引きとめておくよう
強く“お願い”してあるわ」
「…………なにも言ってませんよ、僕は」
紫煙の滞留する閉鎖空間が恋しい。
こういう些細な、人の心理を見透かしたような心臓に悪い一言が日常茶飯事のように
飛び出てくるから、この女との会話は気が滅入るのである。
右手の人差し指と中指を二本、立てたまま口許に運ぶ。
鉤爪のように、そこにはないシガレットを求めて二指が空を虚しく切った。
- 705 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/04(日) 20:15:14.26 ID:alZg/OVZ0
「それよりも、まだ『毒』の問題があります」
「それは別段、いまさら不思議がることでもないと思うのだけれど?
インデックス本人に訊く方がよほど早いと思うわ」
ステイルは顔を露骨にしかめた。
ローラの言わんとするところは理解できる。
なぜかといえば単純明快、インデックスが生きている、その事実があるからだ。
その上残留思念レベルの些細なものとはいえ、インデックスはショチトルの『毒』を
取り除くことにも成功している。
――――だからと言って、それ以前の『手法』については話が別だが。
「原典の毒を遮断するために、彼女がどんな調整を施されたのか。神裂とも、あまり
積極的には交わそうとはしてこなかった話題ですね」
それはまごうことなき逃避の一種だった。
自分も神裂も、インデックス本人さえも知らない彼女の過去がどれほどに壮絶なもの
だったのか。
ステイルはずっとずっと、その先を知ることを怖がって逃げ続けてきた。
しかし、いつまでも無知な少年のままでいいはずがない。
否、いつまでも“そう”であれたのなら如何ばかり幸せだったろう。
「私も“彼”がとった手法については、詳らかには聞かされていない。ただ、原典には
ある特性が存在するでしょう? それを利用した、らしいわ」
魔道書の原典はすべからく、『自身の知識をより広める者に協力する』性質を有している。
いつだったか酒の肴に、アステカの皮被り魔導師が関連性のある武勇伝を披露してきた、
こともあったような気がしないでもないような。
- 706 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/04(日) 20:16:10.87 ID:alZg/OVZ0
「エツァリの話では、原典を騙すことは不可能ではない、ということでしたが」
「記録する側の脳に細工をした、と私は考えているわ。なにせ『ローラ』は、
父親の手を離れて以降も愚直に蔵書数を増やし続けたのだから」
「…………“離れた”、ですか」
おざなりながら、ステイルの三つの疑念は一応晴れた。
いよいよ、物語のゴール地点が水平線の彼方に霞んで見えてきた、ということらしかった。
「親子は、リリスの死を優秀な……とびきり秀逸な反面教師として、その後四十年間
『魔女白書』計画を前進させ続けた。その間二人の外見は、正常な人間なら等しく
訪れて然るべき“老い”を置き去りにした」
ステイルは、ローラの若々しい肢体を髪先からつま先まで眺めた。
およそ三メートルにはなるであろう、馬鹿馬鹿しいまでに長ったらしいブロンド。
いったい何年間伸ばし続けるとこうなるのだろう、と場違いにもそう思った。
「そして今からおよそ七十年前。イギリスの片田舎に居を構えて、終わりなき実験に
明け暮れていた、そんないびつな日々の一ページ。ついに、決定的な事件が起きた」
そこから先は年表にも載っている、周知の『史実』だ。
「彼が科学に傾倒している事実が、明るみに出たというわけですね」
- 707 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/04(日) 20:17:20.73 ID:alZg/OVZ0
『世界最高最強の魔術師』は一転、『世界で最も魔術を侮辱した魔術師』と誹りを受けて
世界中の魔術師という魔術師を敵に回し――――その数年後、公式にはイギリスの片田舎
ヘイスティングスで一人寂しい最期を迎えた。
「『ローラ』にとって何にも代えがたい屈辱だったのは、魔術世界に暴露された彼の
『実験』が、彼女の知るよりはるかに多岐にわたっていた、ということだった」
ローラが目を束の間伏せ、わずかののちに虚空を見上げた。
ステイルは、われ知らず目を瞠った。
「人間としての尊厳を実の父親に傷付けられ、地獄の底を歩き続けてきた己の人生が、
数ある『対照実験』の一つにすぎなかったと知り、娘はついに父親の許を出奔した。
本当の“最悪”がその後に訪れるなどとも知らず、追われる恐怖からただ、ひた駆けた」
今日一日で、ステイルは“生まれて初めて”を何回体験すればいいのだろう。
手の甲で瞼を幾度も擦って、眼前の光景が現のものかどうかを、思わず確かめていた。
「父は、娘を追ってはこなかった」
- 708 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/04(日) 20:17:58.32 ID:alZg/OVZ0
「一晩経って、二回目の夜が明けて、三度朝日が昇っても、父は娘の前には現れなかった。
一週間後、ようやく『ローラ』は悟った。何ということはなかった」
ローラの瞳の奥に、火が在った。
「彼にとって『ローラ』は、『スペアプラン』ですらなかった。手掌からこぼれ落ちて
しまったところで、拾う価値すら見出さぬ、その程度の代物だった」
ちりちりと、ゆらゆらと揺れる憤怒の情炎。
血液を燃料に、心臓での奥で滾る恩讐の怨火。
寝ても覚めても消えなかったであろう鬼火。
「だから『ローラ』は――――“私”は」
ローラが胸に抱えて離さなかった『生きる理由』を、ステイルはそこに見た気がした。
「残りの人生を、父親への復讐のためだけに費やすと、そう決めた」
- 709 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/04(日) 20:19:05.97 ID:alZg/OVZ0
「それからおよそ四十年間を、私は世界に散らばる原典の蒐集に注いだ。そこに紛れも
ない、絶対的な『力』が宿っていると信じていたから。…………滑稽な話ね。父への
恨みを晴らすために、当の父親のプランに縋ったのだから」
「…………ローラの、いえ、“あなた”の復讐は、結果どうなったんです?」
言ってから、意味の無い問いかけだと気が付いた。
ローラの復讐の成否は、その後の歴史の流れから火を見るより明らかである。
「二十六年前、運命の日。世の原典のほぼ九十九%にあたる一〇三〇〇〇冊を揃えた
私は、単身父親と思われる男の根拠地に乗り込んだ」
「“思われる”、とは?」
不可解な言い回しをステイルが聞き咎めると、ローラは軽く爪を噛むような仕草を
見せてから語りだすが、どこか理路整然としておらず、良く要領を得ない。
二度、三度と聞き直して整頓すると、次のようになる。
彼女は父親と四十年のあいだ一切の接触を断っていた。
その間に“彼”が己の父であるか証明はできなくなっていた。
なぜなら、科学へと身をやつした“彼”は著しく存在の根本が変わり果てていたから。
もはや娘である『ローラ』にも、“彼”が本当に自分の父親なのか自信が持てなかった。
「無理やり理屈付けすると、そんなところかしら」
「だから、イギリス清教には“彼”を――――『ローラの父親』をサーチする術式が
あった? にしても、無茶苦茶だ。真に復讐の対象なのかどうか、確信もないままに
殴り込みをかけたわけですか」
「私に文句を垂れないで頂戴。それは『ローラ=ザザ』に言ってあげて」
「都合の悪い時だけ『ローラ=スチュアート』に戻らないでください」
- 710 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/04(日) 20:20:41.26 ID:alZg/OVZ0
兎にも角にもローラは、その身に蓄えこんだ魔術の極地ともいうべき力で、立ちふさがる
障害をことごとく薙ぎ払った。
ローラは“その日”を回想して恍惚としていた。
「楽しかったわ……たとえ父親が無価値だと切り捨てたとしても、原典が有する
『力』の脅威は、間違いなく私の内側に、形として、暴力として、確かに在った」
ステイルの聞く限りでは『竜王の殺息』の、そのまた原点のような力、そんな風に思えた。
幾重にも折り重なった純魔力の束が数千の光子を内側から生み、一つ一つが異なる性質を
帯びて対敵の抵抗を無に帰す。
十一年前に“上条当麻抹殺”を目的として選択されたかの術式は、その圧倒的すぎる
性能から絶対的多数に対抗する鬼札としても十二分に機能したことであろう。
「科学がいかなるメカニズムで私の行く手を阻もうとも、すべて一蹴できた」
飛び散る脳漿、噴き出す鮮血、土くれに帰る死体の山。
上半身を吹き飛ばされた哀れな骸、消えた己の下半身を絶叫とともに探し求める贄の姿。
そしてその中央を、血と死に彩られた花道を、ステイルの向かいで今まさに披露している
魔女のごとき嬌声を響かせて、優雅に横行濶歩するローラの血塗れの背中。
なにもかもすべて、ステイルには容易く想像できた。
「…………最終的には、どうなったんです」
ステイルはそんな彼女から目を背け、素っ気なく先を促した。
幼子のような無邪気な笑い声がどこか泣いているように聞こえて、見ていられなかった。
- 711 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/04(日) 20:21:51.48 ID:alZg/OVZ0
神父の態度に無言の戒めを感じとってか、魔女はほのかに頬を染めてうつむく。
その表情が論戦に負け、赤くなって黙りこくるインデックスにあまりにも瓜二つで、
ステイルは手の甲の柔肉を後先考えず力の限りつねった。
「……よく、覚えてはいないの」
「っつつ…………なんですって?」
理屈に合わないことを言うではないか、とステイルは訝しんだ。
当時のローラには『完全記憶』があったはずである。
しかし滔々と物語る声は止まず、事実が列挙されていく。
当時は未完成だった『ビル』に突入して、物資搬入用のエレベーターを使って上へ上へ。
最上階に辿りついて、一面を『力』で焼き払う。
内壁を片の端から吹き飛ばしていくと、どうしても破壊できない部屋が見つかる。
薄緑色に輝く壁に取り囲まれた空間。
扉があった。
前に立つと独りでに、音もなく開いた。
躊躇わずに飛び込む。
途端に、視界が歪んで上下左右がバラバラになった。
肩に鈍い痛み。
倒れこんでいることに気が付く。
懐かしい声が聴こえた、ような気がして顔を上げた。
記憶に残る最後の景色は――――逆さまの、笑い顔だった。
- 712 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/04(日) 20:23:11.07 ID:alZg/OVZ0
目が覚めると視界が黄ばんでいた。
全身に得も言われぬ浮遊感。
実際に身体が浮かんでいた。
ローラはビーカーの中の標本だった。
意識を取り戻した瞬間ローラは、あらゆる現実の認識を置き去りにして真っ先に、
モルモットに戻ってしまったのだと、どうしようもなく実感したと言う。
巨大な試験管の中で、裸に剥かれて薬液に浸されている無力な己。
世界を実験場に見立て、矮小な好奇心を満たす“彼”と大差などないと、自傷と中傷を
同時に、器用にこなしながら、彼女は意識を失う直前にそうしたように再び面を上げた。
対面に、もう一つ、同型の――――空っぽのビーカー。
タイミングを計ったかのように満たされはじめるオレンジ色の薬液。
無数に繋がれた太いパイプ。
それはやがて細いチューブに連結されて、試験管の内側のローラの“脳”まで届いた。
「そうして私は、ビーカー越しに目撃した」
ステイルは唾を飲み込むのも忘れて、物語のクライマックスに没入していた。
テーブルについた握りこぶしが小刻みに震えている。
誰かが鼓膜の内側から囁いてきた。
これ以上は聞くな。
取り返しのつかないことになるぞ。
引き返すなら今のうち――――
鈍い音。
三センチほど浮かせた拳が振り下ろされて、木製の卓の鈍重な悲鳴を呼んだ。
鼓膜の奥からの、煩わしい怯懦の声が消える。
その間にもローラは休まず、丁寧に己が体験した情景を描写していた。
- 713 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/04(日) 20:24:08.77 ID:alZg/OVZ0
泡立つ液体。
時を同じくしてローラの頭の中から、致命的な“何か”が抜け落ちていく
自分の傍にずっと一緒に居てくれた、“誰か”が去っていくような感覚。
悲しみの正体も杳として知れぬままに、現実は無慈悲に時計の針を進める。
試験管の中心に、微小な肉塊が生まれた。
やがてそれは、時間を掛けて、徐々に徐々に、悠長に、緩慢に、穏やかに次第次第にゆっくりとゆるゆるとのんびりとじわじわと、人の形を成すように生長していく。
そして、数百年の月日が流れた。
少なくとも、当時のローラの主観ではそうなる。
- 714 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/04(日) 20:25:52.80 ID:alZg/OVZ0
「私は、写真立ての向こう側にしか見たことのなかった“彼女”を、肉眼で見た」
後で計算したところによれば――そう、ローラの人生はこの後も続くのだ――およそ
一ヶ月、彼女はこの世のどんな『死』よりも無情な『誕生』を、是非もなく見届け
させられたらしい。
長いのか短いのか、ステイルには判断がつきかねた。
確かなことといえば、ローラは間違いなく狂いかけていた、ただそれだけだ。
「かつて喪った姉とまったく同じ姿形をした少女が、目の前でゼロから形成されていく
様を、この眼で見た」
父親が娘を生き返らせた。
文章に起こすとそういうことになる。
道義性、倫理性を軽視すれば、美談と言えなくもない。
「二、三歳程度の、リリスが死んだ時分と寸分たがわぬ少女が、すやすやと私の目前で、
幸せそうに眠っている。流れるような銀糸、無垢な幼い肢体」
最大の問題は、そこにどんな感情と目的が介在していたか、だ。
喪った娘をその手に取り戻すため、狂気の研究に没頭したマッドサイエンティスト。
そういう美談を好き勝手に脳内で仕立て上げられれば、ローラは如何ばかり幸せだったろう。
- 715 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/04(日) 20:26:47.96 ID:alZg/OVZ0
だがしかし、ローラは悟ってしまった。
これは『実験』だ、と。
四十年前の、『魔女白書』の続きなのだ、と。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「きっとその瞼の裏には、父親譲りの翠色が隠れているのだと、私は疑わなかった」
ステイルの顔面は、頭髪の色合いと鮮やかに対照が際立つような、蒼白に染まっていた。
「……………………三…………人目………………?」
- 716 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/04(日) 20:27:56.04 ID:alZg/OVZ0
『インデックスはこの通り、何も気にしてなきよ?』
『ふふふ。結局、ローラなら大丈夫な訳よ』
『こうして見ると、“姉妹”のようだねぇ』
『……それは、安全なんだよね?』
『あ、ご、ごめんなさいこもえ! その、“学園都市を信じられない”、ってわけじゃあ』
『乱暴に言えば、クローン体ね』
『“クローン”…………』
『つ、ついにみことのデレ期がとうまとまこと以外にも解放されたかもぉ!』
『そういうこと言うともう呼ばないわよ!』
『やだやだ、もっと“お姉ちゃん”って甘えて欲しいですの!』
『ただそうだな、彼女は時折、思い出したように年上のお“姉”さんぶってくるんだ』
- 717 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/04(日) 20:29:50.36 ID:alZg/OVZ0
「そう。私が『禁書目録』と名付け、あなた達が『インデックス』と呼ぶ女性」
「彼女は、私の“姉”で」
「“彼”の最初の娘、リリス=クロウリーの遺髪から生まれたクローン人間で」
ムーンチャイルド
「同時に“彼”――――アレイスター=クロウリーの魔力から産まれた、『人造人間』よ」
Passage7 ――姉妹―― END
- 724 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/06(火) 22:44:39.38 ID:lZs3emjR0
――Passage8――
科学と魔術は、相容れ得るのか。
それは三月の事件以来、ステイルの頭を悩ませてきた題目だ。
イギリス清教と学園都市は、手を結びあうことで一つの回答を世界に示した。
一方で第三世界の『半端者』は破滅を体現することで、やはり一つの答えを世界に
見せつけた。
そして、こんなにも身近にまた、一つの回答が。
ステイルの愛する女性は、『科学』と『魔術』の融合領域で“創られた”存在だった。
目を瞑る。
ステイルは反芻しながらこめかみを押さえた。
ローラの姉、アレイスターの娘、創られた人間。
脳の容量が圧迫されたでもないのに、頭が痛くなるような質量のある事実だった。
だが。
だが――――
(それが、なんだ。だったら、どうしたって言うんだ)
- 725 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/06(火) 22:45:31.98 ID:lZs3emjR0
人は誰もがみな、等しく造物主の創造物である。
ステイルも上条もローラもアレイスターも、誰もがそうである。
聖書の記述に従うならば、インデックスとて――――
(……違うだろう、ステイル=マグヌス)
それは言い訳だ。
インデックスの存在を十字教の教義に照らし合わせて正当化しようとする。
そんな思考に身を任せるということは、裏を返せば彼女を、本能のどこかで認めて
いないと認めるようなものではないか。
そうではないだろう。
頭でっかちの理屈をこねようがこねまいが、ステイル=マグヌスにとっての愛する
人は微塵も色褪せないはずだ。
深呼吸。
肺に燃料を供給し、全身の縮み上がった筋肉を燃やす。
瞼に隠れた紅玉を外気にさらし、酸素と結ばせ焚きつける。
口腔を開いて、凛と呼気を吐いた。
「十二時の鐘を聞く前に、寝床に就きたいものですね。続きを」
「…………本当に、あなたは強くなったわね」
対面の女の眼差しは、子を抱く母の腕(かいな)のように優しかった。
「だから……あなたに成長を見守られた覚えなど、前々世まで遡ろうと断じてありません!」
見守られたかつての少年は顔を背けて悪態をつき、しかし自分でも気づかぬ間に微笑んでいた。
- 726 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/06(火) 22:46:00.91 ID:lZs3emjR0
Passage8 ――魔女と神父――
- 727 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/06(火) 22:47:34.08 ID:lZs3emjR0
咳払いを一つ。
熱を帯びる眼球とは裏腹に、ステイルの脳は努めて冷徹に検めるべき疑念を発させた。
「アレイスターのホムンクルス理論はパラケルススのそれを否定するものであると、
『ムーンチャイルド』の偽書版でそう読んだ記憶がありますが」
「赤子の肉体を用意して魂を招き入れる、という手法ね。だからこその、クローン工学
との『融合』だとは思わない?」
クローン。
その存在に関していまさらあれこれと述べる必要もない。
ステイルはほんの二十四時間前に、創られた女性が創りものではない幸福を掴みとるために
刻んだ、大事な大事な一歩を見届けたばかりだった。
「『魂』を招く、ね…………それが肝というわけですか。冒頭に僕が並べた疑問のうちの
片割れについて、そろそろ答えをいただきたいのですが」
「『何故、「禁書目録」は人の身に記録されなければならなかったのか?』」
即座に返ったローラの山彦に、ステイルはこくりと小さく頷いた。
魔道書の原典を電気信号変換することが可能だというのならそのまま、比喩でもなんでもなく
ハードディスクに保存してしまえばよい。
人間に搭載するデメリットは先刻ステイルが言及したようにはっきりしている。
『首輪』と『自動書記』という二重の防衛ラインを張って守護を万全なものにしたところで、
所有者の寿命までは無視できない。
『リリス』から『ローラ』に、『ローラ』から『インデックス』に継承されたように半永久的
な保存は可能だとしても、反逆の意思なき鉄の塊に保管させる以上のメリットはごく限られる。
あるいはそれは――――アレイスターが彼女たちを、機械同然に見ていたことの証明、
なのかもしれなかった。
- 728 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/06(火) 22:48:48.12 ID:lZs3emjR0
ステイルの腹の底に、容認しがたい黒い怒りが滞留をはじめる。
ローラは神父の裏側の激情を胡乱な眼で見透かしていた。
「奴は魔道書の中身そのものよりも、魔道書に触れる『魂』にもたらされる変化にこそ
着目したに違いないわ。…………推測を超えるものだと断言ができないのは、私が
アレイスターから『魔女白書』の真に到達すべき終点を教えられていないから、よ」
奸智に長けた女狐らしからぬ、無知の露呈だった。
『実験材料』が『実験』の行き着く臨界点を知る必要などない、ということだ。
この世で一、二を争うほど気にくわない女が哀れな使い捨ての駒にすぎなかった証拠に
あやかったというのに、ステイルの頭上にかかる暗澹とした黒雲は晴れてはくれない。
鮮烈な事実を突きつけられてなお、『禁書目録』の真実はいまだ遠かった。
「脳から何かが抜け落ちる感覚。これが『禁書目録』の継承の瞬間だったと考えても?」
「よろしいわ。その日を境に“一〇三〇〇〇冊”は私の手を離れた」
「アレイスターは最初から、あなたから最大主教への譲渡を意図していたのでしょうか」
憎悪と怨念にとりつかれた『二人目』に見切りをつけ、『三人目』へとリセットすること
でより御しやすい『禁書目録』――彼にとっては『魔女白書』――を手中に収めようとした。
アレイスターならばやりかねない、ステイルは苦い思いで結論付けた。
「……真実がどうであれ奴は、『禁書目録』を再び放棄したのだけれどね」
「……そういえばそうでしたね」
- 729 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/06(火) 22:49:39.66 ID:lZs3emjR0
アルバムのページをめくるまでもない。
『ローラ=ザザ』はこの数年後には『ローラ=スチュアート』として、そしてステイルも
よく知る怪女としてイギリス清教に君臨し、『三人目』は『インデックス』として歴代の
パートナーと終わらない死に絡め取られる。
歴史がそれを証明している、と言えばやや大げさだが、すなわちローラとインデックスは
こののち、アレイスターの掌中を脱するという偉業を成し遂げていることになる。
「リリスの姿をした少女の誕生に呆けていた私に、背後から声がかかった」
意気消沈した、あまりにも人間じみた落胆の声だったという。
お気に入りのおもちゃを壊して途方に暮れる、少年のような声だったという。
――やはり、『魔女白書』は失敗だったか――
ローラは声の主を顧みようと、全身に力を込めた。
しかし、チューブの檻に縛られた身体は脳の指令を聞きいれてくれなかった。
いますぐにでもその喉を掻き切ってやりたかった。
衝動的な願いと、束縛される現実との狭間でもがき苦しむローラを、次に耳を打った
一小節が完全に狂わせた。
――――まあ、仕方のないことかな――――
それはローラの全人生を、完膚なきまでに否定する一言だった。
視界のみならず、全身に走る神経系の一本一本が弾けるように真っ白になった。
- 730 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/06(火) 22:51:00.25 ID:lZs3emjR0
「仕方のないこと…………か」
耳に痛い言葉だった。
それはステイルが十二年前、インデックスから逃げ出す切欠となった“諦観”の象徴である。
「つまりアレイスターは、そこまでしても彼の望む結果を拾えなかった、と」
話を聞く限りでは、何が失敗だったのかまるで理解できないが。
元より狂人の思考など辿るだけ無駄なのかもしれない。
「そして、『仕方ないこと』だと割り切って再び目を背けたのよ、あの男は」
失敗したプランに興味を失った――――のかまでは、窺い知れない。
その前に、怒り狂ったローラがすべてを破壊し尽くしたからだ。
「『禁書目録』を奪われた後で、よくもまあそこまでの『力』を振るえたものですね」
- 731 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/06(火) 22:52:17.95 ID:lZs3emjR0
ローラは自慢げに、しかし自嘲気味に笑む。
「奪われたのは『知識』のみ。世界最悪の魔術師の直系たる『魔力』は健在だったのよ」
脳漿が沸騰したかのような怒りに身を任せたローラは一切の術式を通さず、純然たる
マナを放出して虎口を脱した。
立ち昇る蒸気と白煙を合図に、再び阿鼻叫喚に満ちた地獄へと変わる『窓のないビル』。
みしりと音を立てる肉体に鞭打ち、ローラはとっさにリリスの小さな体を抱えあげ――
「……まさかいまさら、“姉”に情が移ったなどとほざくんじゃないだろうな」
今度こそ水を差すまいと固く黙りこくっていたステイルだが、たまらず冷えた文句が
口をついた。
「当然、と言ったらあなたは怒るでしょうけど、私の胸先には打算が多分にあったわ。
…………ただ、信じてほしいとは言わないけれど。損得勘定以外のなにかがあの日
私を突き動かしたのも、また事実だった」
「当然、と言ってもあなたは怒らないでしょうが、信じませんよ」
- 732 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/06(火) 22:53:46.44 ID:lZs3emjR0
不機嫌に顎を軽く振って、ステイルは先を促した。
ローラは苦笑するばかりで、やはりいささかの憤りも顔には表さなかった。
「あなたにとって、ここからはさらに興味深い話になるはずよ」
再び、舞台を『窓のないビル』に戻す。
脱出口を求めてさまよったローラの視線が、材質の計り知れぬ奇妙な床に転がる白衣を捉えた。
このとき初めて、ローラはその空間に数人の科学者が同席し、この一大『実験』の挙行に
携わっていたのだと気が付いた。
彼女はアレイスターが動きを見せる前に散らばる研究者の白衣を探り――――
「“これ”を二つ、掴みとった」
しばし懐を探ったローラの右手が、“ある物体”をステイルに向かって差し出した。
視界に入れた途端に汗が噴き出る。
奇怪な紋様がところどころに刻まれた、乳白色をした円筒状の霊装。
十一年前にもステイルは、“これ”がローラの手の内で弄ばれているのを目撃している。
――――早く動かないと、“こいつ”を使うぞ――――
「彼女の『遠隔制御霊装』……!?」
- 733 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/06(火) 22:54:58.10 ID:lZs3emjR0
ステイルの脳裏に絶望と挫折の日々が蘇る。
苦みばしった酸味が舌を刺したように感じたのは、きっと気のせいではない。
近づいては遠ざかる過去を俯瞰で眺めるうちに、ステイルはローラがひた隠しにしてきた
『第三の虚構』の正体を悟った。
「…………『自動書記』は」
腰を椅子から浮かし、身を乗り出して女に詰め寄るステイル。
ローラの瞳に映る己の白目は血走っていた。
・ ・ ・
「清教派と王室派の合意の下で、貴女が彼女に掛けた魔術ではなかったのか……っ!!」
彼女が生まれた段階でアレイスターの手元に『遠隔制御霊装』があった以上、そうなる。
インデックスの出自に直結する『虚構』を知らされたのとは、驚愕の質がまるで違った。
より肝を冷やされたのは前者だが、後者は自分や神裂の三年間の苦悶と密接に関わってくる。
はいそうですかと聞き逃すには、ステイルにとってあの三年間はあまりに苦すぎた。
「王室までも束になって、僕らを、彼女を、二重に欺いていたというのか!」
「結果としてはそうなるけれど……エリザード様の名誉のためにも言わせてもらえば、
“現在の”王室派の面々は一切この件を関知していないわ」
- 734 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/06(火) 22:56:26.72 ID:lZs3emjR0
『ビル』を逃れたローラは、今後の復讐を武力ではなく権力で果たすと決めた。
幸いにして彼女の手には、脳内の“一〇三〇〇〇冊”と引き換えに手に入れた素晴らしい
手駒が二つもあった。
「感嘆すべきバイタリティだ、あやかりたいですよ」
唾をかけたい苛立ちを抑えてそう吐き捨てた。
要するにその後三十年に渡って繰り広げられたローラとアレイスターの『高度な政治的
駆け引き』は、地球をチェス盤に見立てて繰り広げられた壮大な親子喧嘩だった、
ということではないか。
「祖国イギリスにどうにか帰り着いた私は当時の女王、つまりエリザード様の母上にとある
取引を持ちかけた。悲しいかな、彼女の女王としての器は娘には遠く及ばなかったわ。
なぜなら」
くるり、ローラの手の中で『霊装』が一回転する。
こ れ
「世界に二つしかない『遠隔制御霊装』と引き換えに、私に『最大主教』の座と
『ローラ=スチュアート』の名を、いともあっさり渡してくれたのだから」
「それはそれは、よほど真摯な“お願い”に聞こえたことでしょうね」
超能力者の脳さえ凌駕する資産価値が『禁書目録』にはある。
というより、それこそが『魔道図書館』の本来的な価値であるはずだ。
「畢竟貴女とて、彼女に道具以上の価値を見出していなかったんでしょう。十一年前、
最大主教をやけに簡単に上条当麻に預けた理由も、ここまでくれば想像がつく」
「あら、そう?」
- 735 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/06(火) 22:58:29.81 ID:lZs3emjR0
「アレイスターの鼻先に、かつて廃棄した『プラン』をぶら下げて出方を窺った。
……………そんなところでしょう」
「そして奴は五年間、『魔女白書』に見向きもしなかった。実りの少ない『実験』
だったわね」
ローラの物言いは、いつの間にか『ローラ=スチュアート』のそれに染まっている。
いちいち怒り狂うのにも疲れて、ステイルは彼女の言う“五年間”を回想してみた。
インデックスが学園都市に在住していたあの時期。
確かにアレイスターはひたすら彼自身の『メインプラン』に邁進するばかりで、
『幻想殺し』の隣に常にあった彼女に対してはなんらアクションをかけていない。
ゆえにステイルも二人に血縁があったなどとは露知らず、上条当麻の家族であることこそ
彼女の幸福なのだと思い込んでいた。
アレイスターと『禁書目録』の間に、目に見えるような繋がりなど何一つない。
もしあったなら、世界中の魔術師がその関係性に疑惑の眼差しを向けていたはずだ。
「…………いや」
と、そこまで考えてステイルは気が付いた。
接点なら一つあるではないか。
アレイスターの『プラン』にどこまで関係してくるかは不明瞭だが、この際疑念は
すべてぶつけておくべきだ。
「十一年前の、『法の書』事件についてですが」
「あら、懐かしい」
それはある意味では、ステイルとインデックスのリスタートの端緒となった事件の名だった。- 736 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/06(火) 22:59:16.88 ID:lZs3emjR0
ローマ正教のシスター、オルソラ=アクィナスがエドワード=アレクサンダーの著書たる
第一級の原典、『法の書』の解読法を発見したことに端を発し、イギリス清教
(プラス一般人約一名)、天草式十字凄教、ローマ正教の三つ巴となったあの争奪戦。
最終的には、ことの初めから真実を知った上で事態を静観し、見事神裂火織(せいじん)
の枷となる天草式(くびわ)を手中に収めたローラの一人勝ちに終わる。
「……というのが、事件直後の貴女の説明でしたね」
「よく覚えているわね」
「しかし、それですべてだったのですか?」
「ほう?」
ローラ=スチュアートは清教派の、ひいては自己の利権を最優先に戦略行動を決定していた。
清廉であるべき聖座に身を置くこの女の行動原理は、むしろ魔術結社のそれに近いものがある。
だとするならば、真実に対してほぼ100%に近い確信がない限り、オルソラと『法の書』
という世界を揺るがすワンセットの総取りを狙わないのはやや不自然である。
変革を恐れたローマ正教とは違って、ローラが『十字教の時代』に固執していたとも思えない。
「起こらなかった『たとえば』の話は虫が好きませんが……もしも十一年前、オルソラの
解読法が真実を的確に突いたもので、かつ『法の書』が天草式の手に渡っていたと
したなら、貴方は」
「必要なかったわ」
ローラの回答は簡潔なものだった。
ステイルはやはり、と溜め息をついた。
- 737 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/06(火) 23:00:16.83 ID:lZs3emjR0
「それは、つまり。貴女が『法の書』を……」
「かつて“持っていた”から、に他ならない。さらに言えば、断片的な内容も知っていた」
『法の書』の著者、エドワード=アレクサンダー。
またの名をアレイスター=クロウリー。
彼が『魔女白書』に注入した原典の中には、当然のことながら自らの著作もあったはずだ。
そしてローラの目的はアレイスター勢力への妨害、牽制、究極的には復讐。
水と油とまではいかなくとも、親和性はさほど高くはなさそうだった。
「なるほど…………しかし、毒を持って毒を制す、という考え方もあったでしょう。
最大主教をそう扱ったように、ね」
「“アレ”の中身を知らないからそんなことが言えるのよ。『法の書』の記述をもとに
動いたところで、アレイスターを喜ばせるだけの結果に終わったでしょうね」
ローラはステイルの推測を、珍しく明快に否定した。
ローラが『禁書目録』という撒き餌を鼻先にぶら下げて相手の出方を伺ったことに対する、
アレイスターなりの意趣返しだった――――というのは、流石に穿った見方にもほどがあるか。
あの事件にアレイスターが関わっていたなど、証拠はおろか痕跡の欠片すらもないのだから。
- 738 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/06(火) 23:01:23.53 ID:lZs3emjR0
「それにつけても、『ローラ=スチュアート』の滑り出しは笑いたくなるほどに順調
だったわ。脆弱な借り物とはいえ権力基盤を手中に収め、なにより『ローラ=ザザ』
以上に『禁書目録』を自在に制御する術がある」
込み上がる喜悦を抑えきることができずに、ローラはくつくつと哂った。
その表情が一瞬、偽悪ぶった舞台女優の仮面に見えてしまった事実を、ステイルは意図的
に無視した。
無視せずとも、寸刻も待たずに意識の彼方に吹き飛んでだろうが。
「順風満帆そのもの。そんなときだったわね、『七月二十八日』がやってきたのは」
「――――――っ!」
その日付の意味するところは極めて明白だった。
『首輪』。
『自動書記』と併せてインデックスを縛っていた鎖。
十一年前、イギリス清教が覆い隠してきた『虚構』に触れたステイルと神裂に対して、
ローラが行った説示とは完全に食い違う真実だった。
「『首輪』までもが、アレイスターの仕掛けだったと言うのか……!」
「最初の七月二十八日はまさに間一髪だったわ。記憶の消去がトリガーであると霊装で
強引に『自動書記』から聞き出したときには、すでにリミット寸前だったもの」
「……っ、さも彼女を救ったかのような面でのたまうな!」
二つの鎖で四肢を縛り、『魔道図書館』としての人生を選択の余地のないものにした。
イギリスという国家全体でそう仕向けた。
「――――あれらがすべて、『よくできた作り話』だったとでもいう気かッ!!」
- 739 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/06(火) 23:02:59.67 ID:lZs3emjR0
とうとう激昂をあらわにして食ってかかったステイルに、ローラは小さく、
しかし明確に頷いた。
「『よくできた作り話』だった。それ以上でも以下でもないわ」
荒い息を吐いて顔を振るほかに、ステイルにできることはなかった。
「貴様はどこまで僕らを、彼女を弄べば気が済むんだっ……!」
「…………ごめんなさい」
「謝るなッ!! どんな事情が、どんな真実が貴女の裏側にあったのだとしても、僕は
貴女を赦す気など断じて、永遠にないッ! 謝罪するならなにより先に、最大主教に
向き合うのが筋で」
「それは、もう済ませたわ」
ステイルの憤怒にさらされ加熱していく空間に、唐突に『第四の虚構』が降ってきた。
「………………え?」
それは、ローラがステイルを欺いて生まれたものではなかった。
- 740 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/06(火) 23:04:58.42 ID:lZs3emjR0
「私は歴代のインデックスに対して、あなたにしたのと同じ説明を十度以上繰り返して
いる。だってそうでしょう? 一〇三〇〇〇冊の矛盾を私がどう取り繕ったところで、
彼女はすぐに気が付いてしまうのだから」
一〇三〇〇〇冊の矛盾。
世界中を廻ったにも関わらず増えていない蔵書数。
言われてみればそうだった。
いくらステイルを、神裂を、アウレオルスを欺いたところで、当のインデックスの蔵書量
に対する認識までは誤魔化しようがない。
――――ならば、まさか。
「あの子たちは…………“覚えたふり”をしていた……? でも、なんで、そんな」
なぜそんな、無意味な真似をしたのだ。
「インデックスは、自分の運命を受け入れていた。私は、そんな彼女に――――」
ローラが顔を背けて押し黙った。
なにか言いかけたようだが、正直なところステイルにはどうでもいいことだった。
『第四の虚構』が覆い隠していたのは、これまでで最もささやかで、他愛もない真実。
“インデックスはステイルに嘘をついていた”
- 741 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/06(火) 23:07:21.53 ID:lZs3emjR0
ただ、それだけのことだった。
ただそれだけのことが、ステイルには。
「……………………ない」
「どうしたの、ステイル」
アスファルトと擦れたような声とも呼べぬ掠れ声が、かすかに漏れた。
「……あの子たちは、なにも悪くなんかない」
「そう、かもしれないわね」
「あの子たちは、良かれと思ってやったんだ。僕らを騙すなんて、そんなつもりはきっと
なかったんだ」
「きっとそうなのでしょうね」
「だいたい、そうしろと強要したのは貴女だ。僕らを、すべてのパートナーを欺けと、
貴女が吹き込んだ、そうだろう。だからあの子は」
「ええ、そうよ」
「だから――――――」
- 742 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/06(火) 23:09:49.76 ID:lZs3emjR0
大きく吸いこんだ酸素はきちんと肺に辿りついてくれたのだろうか。
そう疑いたくなるほどに、呼吸が苦しくて仕方なかった。
肺臓を裏側から引っ張られたような痛みが走る。
「だから、だからだからだからッ!!! あの子が僕らに、永遠に隠したままだった
事実があったとしても、それは、あの子のせいなんかじゃない!!」
愛した少女が、信頼を寄せてもらっていたと少なからず自惚れていた相手が、
空の上まで――少女に墓標はない――持っていってしまった秘密が存在した。
「そう、悪いのは私。だからステイル、そんな顔はお止めなさい」
悲しかった。
そしてそれ以上に悔しくてたまらなくて、ステイルは目を片手で覆った。
少女の真の苦しみを結局自分は見過ごしていたのだと思うと、己が身が惨めでならなかった。
- 743 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/06(火) 23:10:58.01 ID:lZs3emjR0
十一時の鐘が鳴り響いた。
ステイルは目を伏せたまま言葉を発した。
「このことは、“最大主教”にも?」
「もちろんあの子にも、学園都市からロンドンに帰ってきたのちに、この事実を伝えたわ。
本来なら十二年前にしておくべきだったのだけど、あなたたちが私の許可を得ずに『敵』
になってしまったことで、その機会は長らく失われていたから」
「…………それはどうも、申し訳ありませんでした」
あれはいつの事だっただろうか。
インデックスとローラはステイルたちの反対を振り切って、余人を交えず一対一で対話している。
四次大戦が終結した後しばらくしてのことだったから、おそらく二年ほど前だったはずだ。
つまり“現在のインデックス”もまた、この秘め事を打ち明けてくれなかったことになる。
上条当麻にしこたま呑まされた酒席で、ステイルは彼女の『貯蓄癖』に言及したが――
『彼女は事が深刻であればあるほど、相手が親密であればあるほど、相手が彼女を
心配すればするほど、自らの胸に悩みを仕舞いこんでしまう。彼女がようやく
相談してくれるのは、ある程度自分の中でその問題を消化してからだ』
裏を返せばそれは、インデックスの中で消化しきれていない問題だった、という証にもなる。
- 744 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/06(火) 23:12:19.98 ID:lZs3emjR0
「聞かされた彼女は、どんな反応を?」
「…………………………驚くほど、“いつもの”あの子と変わらなかったわね」
“いつもの”とは要するに、ローラの暴露した衝撃的な事実を、何度も何度も新鮮な思いで
受け入れたであろう歴代のインデックスのことであろう。
吹きつける豪雪のような厳しい現実にさらされ憔悴するステイルは、“インデックス”に
言及するローラが、寸刻言い淀んだことに気が付かなかった。
「彼女は、貴女を」
「インデックスは、内心の動揺を表に出さずに綺麗に微笑んで、私を赦した」
「…………くそっ」
何故だ、と叫びたかった。
同時に、やはり、とも思った。
やはり何度『死』んでも、彼女はしなやかで美しい聖女のままであり続けた。
「自分がクローン人間だと知らされようと、私の姉で、奴の娘だと聞かされようと、
“いつものように”真実を、ありのままに受け入れた」
- 745 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/06(火) 23:16:05.46 ID:lZs3emjR0
インデックスはローラを受け入れた。
愚直に受け入れたまま、整理しきれない現実に押し潰されようとしているのではないか。
「…………ステイル。いまからあなたに、『最後の虚構』を伝えるわ」
「まだ、あるんですか」
ステイルもまた、受け入れがたい現実を次々に肩に載せられて、膝を折りたかった。
だがステイルは、もう決めたのだ。
「嫌なら、耳を塞いでいても構わなくてよ?」
「聞きます」
インデックスと幸せになることを諦めない。
そのためならどんな地獄を潜ることも厭わない。
最後に彼女と笑っていられるならば、他になにもいらない。
だからこそ、どんな残酷な現実でも受け入れてみせる。
そしてインデックスを隣で支える。
そういう男になると、決めたのだ。
- 746 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/06(火) 23:16:29.36 ID:lZs3emjR0
「―――――――――」
「―――――――――――――」
「―――――――――――――――――」
「―――――――――――――――――――――――――」
- 747 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/06(火) 23:17:07.18 ID:lZs3emjR0
ステイルは深く深く深呼吸し、テーブルの陶器に手を伸ばそうとする。
喉がカラカラだった。
「あら? 『ローラ=スチュアート産の紅茶』には口を付けない主義でしょう?」
言葉に詰まって唇を噛む。
愛する人の妹なのだと知ったところで、最悪の魔術師に振り回された被害者なのだと
悟ったところで、長年培った憎悪は消えてくれはしない。
忌々しい底知れぬ微笑が、常通り女の頬に張り付いている。
「…………やはり貴女は、生粋の“魔女”ですよ」
そう、ステイルは思った。
Passage8――――END
- 755 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/08(木) 22:38:15.44 ID:TOSg5uqg0
――Passage9――
そして時計の短針は七周進み。
---
-------
-----------
------------------
-----------------------------
-------------------------------------------
------------------------------------------------------
『十一』と『十二』の間へ戻ってくる。
- 756 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/08(木) 22:39:01.47 ID:TOSg5uqg0
Passage9 ――魔女裁判――
- 757 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/08(木) 22:39:52.22 ID:TOSg5uqg0
七月二十七日、午後十一時三十分、聖ジョージ中央大聖堂。
煌々と照りつける魔力の灯に、浮かびあがる二つの人影。
一人は金刺繍の入ったベールで銀髪を隠し、純白の聖衣を炎圧にたなびかせる女。
いま一人は燃え上がる炎以上に盛る灼髪の、漆黒の神衣をまとってそびえたつ男。
舞台装置は女の背後の窓から射す月明り。
霧の街の濃霧は止んでいた。
男の辺縁を取り囲む赤い揺らめきもステージを彩る。
男を包む湿気は弾けていた。
女には、守りたいものがあった。
男には、譲れないものがあった。
二人が同じ方向を見て、同じ人のために手を取り合えない理由は。
二人が互いに向き合って、迸るような敵意を衝突させる理由は。
突き詰めれば、ただそれだけのことだった。
- 758 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/08(木) 22:40:42.63 ID:TOSg5uqg0
「…………君は」
口火を切ったのは焔の魔術師だった。
ステイル=マグヌスは一週間前ローラに暴露された真実を、インデックスに質す目的で
今日この場に立つはずだった。
「なんでしょうか」
ステイルの目前に立つ女は息を荒げていた。
それでいて、冷静さを保とうと必死で身を固くしていた。
仕草の一つ一つに至るまで人間を想起させる、『術式』にすぎぬはずの女。
ほんの一週間前までは、ステイルの認識下において『プログラム』でしかなかった存在。
「自分が術式などではなく、れっきとした一個の人間であるという自覚が、あるのか?」
ウ ソ
彼女に向かってステイルは、ローラの言うところの『最後の虚構』を叩きつける。
「自分が『リリス』だったという記憶が、あるのか?」
硬い声で、虚構そのものである女に、虚構の中身をぶちまけた。
- 759 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/08(木) 22:41:34.88 ID:TOSg5uqg0
ローラ=ザザは言った。
アレイスターの目的は『魂』を原典に触れさせて、彼の望む形に精錬することだった。
ローラ=スチュアートは疑問を抱いた。
なぜローラの『魔女白書』は、父の望む形に『魂』を変じさせられなかったのか。
ローラは推測した。
必要なのはきっと『リリス』だったのだ。
だからインデックスはリリスの身体を与えられた。
そして、肉体と同時に『魂』を注ぎ込まれた。
「認めたくはないが、君と最大主教の関係は『羊』と『羊飼い』ではなかったのだと、
ローラ=スチュアートの言い分を信じるならそういうことになる。君と彼女は」
それこそが『自動書記』――――
「解離性同一性障害で言うところの、『主人格』と『交代人格』だったんだな」
――――否、『リリスの魂』だった。
- 760 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/08(木) 22:42:16.55 ID:TOSg5uqg0
一方通行はいつだったかステイルに言った。
『魂などという得体の知れないモノの扱いは、魔術の領分だ』と。
まったくもってその通りだった。
一例を挙げるなら――――ブードゥーの死霊崇拝などが、まさにその最たるものである。
『自動書記』は鎖などではなくインデックス同様、魔術によって『外に出る条件』を
強制された虜囚(にんげん)だった。
それを知ってもなお、ステイルにとって彼女は本能的に受けつけがたい存在なのだが。
「…………この子は一度だって、私を『リリス』と呼んだことはありません」
激情を鞘に無事収め終えた、涼やかな音色が耳朶を打った。
束の間物思いにふけっていたステイルに語りかけたものかは定かでない。
独白、のようにも聞こえた。
「確かなことは、ただ一つ。この子が、インデックスが――――『ヨハネのペン』と、
私にそう呼びかけてくれたから」
怜悧なエメラルドにかすかな温度が宿った。
ステイルは刹那そこに、母性の胎動を見たような気がした。
「私は、この子の命を守りたいと、そう“感じた”のです」
- 761 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/08(木) 22:43:33.46 ID:TOSg5uqg0
それは何物にも代えがたい無垢だった。
自意識の存在しなかった希薄な人格が、十一年の時をかけて主人格と触れ合ったからこそ
真っ白なキャンバスに描き得た、尊く純粋な愛そのものだった。
だが。
「君は、踊らされているぞ」
それこそが“彼”の『予備プラン』が求める実りなのだと、ステイルはそう確信していた。
「アレイスター=クロウリー、ですか」
「そうだ。奴は必ずやどこかで、この状況を好奇の目で観察しているぞ」
七月二十八日を目前にして、何の前触れもなくロンドンに出没したアウレオルス。
裏側にアレイスターの作為が働いていると、ステイルは信じて疑わなかった。
「君が『最大主教を守る』という意思をもって力を振るったとき何が起こるのか。
十一年かけて練磨された君の『魂』がもたらす実験結果を、腹立たしいほど
楽しげに覗き見ているはずだ。わからないか? この状況をつくったのは、奴だ!」
アウレオルスが『禁書目録』に携わったことでいかに悲惨な運命を辿ってしまったか。
それをインデックスに目撃させ、生気を根こそぎ奪うことで『首輪』を発動する隙を生んだ。
聖女の絶望を喚起し、『誘拐犯』の焦燥を誘い、魔術師と対立させて『力』を解放させる。
ステイルの推測するアレイスターのシナリオはこんなところだ。
- 762 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/08(木) 22:44:36.54 ID:TOSg5uqg0
このままではなにもかもがアレイスターの思う壺だと、ステイルは『自動書記』に呼びかける。
「………………たとえ彼女が、僕が最初に出会った少女ではなくても。創られた命でも。
そのはじまりにあった存在理由が、アレイスターの欲求を満たすためだったとしても。
いまの僕には、関係などない!」
なぜなら、ステイルはインデックスを愛している。
どれほど陳腐な文句だろうが他に言葉はない。
「僕は彼女に生きていてほしい。傍にいてほしい。君とてこの十一年で彼女を愛おしく
想ったんだろう。ならば僕たちは同じ方向を向いて、手を取り合えるはずだ」
科学の巨人の野望になど負けはしない。
圧し掛かってくる絶望を跳ね退けるだけの力が、いまのステイルにはある。
浅薄な子供だましの啖呵だと笑わば笑え。
すべての原動力が愛する人への熱情から生じている限り、ステイルはどこまででも青臭く、
薄っぺらで、継ぎ接ぎの『正義』を掲げて闘える。
「手はすでに複数打ってある。僕一人を盲目に信じろとは言わない。だが僕が譲れない
もののためにならどんな手でも使う男だということだけは、疑ってくれるな。僕は
アレイスターに、彼女を絡め取った死の環に、今度こそ打ち克つ。今度こそ成功する」
ステイルはちっぽけなプライドを丸めてかなぐり捨て、頭を深々と下げた。
世界で一番気に食わない、インデックスを直接縛り続けた女に平身低頭する。
こんな屈辱は譲れない一線と天秤にかければ、犬はおろか鼠の餌にしようがなにほどの
こともなかった。
「だから………………頼む。彼女に身体を返してくれ。その後は、必ず僕が」
- 763 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/08(木) 22:45:36.67 ID:TOSg5uqg0
「――――――――――――――――――あはっ」
- 764 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/08(木) 22:46:18.64 ID:TOSg5uqg0
生きたまま全身の皮を剥ぎ取られたような、凄まじい悪寒が背筋を駆け抜けた。
「あは……ははっ!」
先刻の激昂にも、確かに驚愕はさせられた。
彼女が『人間』であるという予備知識を得ていたおかげで、幾ばくか冷静に対処できたと
ステイルは自負している。
だが“この光景”は決定的に、徹底的に予想外だった。
『自動書記』に“この”感情が存在するなどとは、完璧に慮外だった。
あたかもテレビの向こうで笑顔をふりまくハリウッドスターを眺めるかのように、ステイルは
眼前の情景を現実感のない異世界の出来事なのだと、一瞬自分を納得させようとしてしまった。
「あはは、あはははははははははっっ!!!!」
それは哄笑を飛び越えた狂笑だった。
まるでそうするのが当たり前だとばかりに、『自動書記』は心底から高笑いしていた。
歓楽、愉悦、欣喜。
ステイルが彼女に備わっているはずなどないと、そう高を括っていたものに突き動かされて、
『自動書記』は感情を爆発させていた。
- 765 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/08(木) 22:46:59.08 ID:TOSg5uqg0
やがて、狂笑がぴたりと止まる。
「やはり、なにも解っていないではないですか」
それでも女は『ステイルが無知である』という事実を受けて、なお美貌を喜悦に歪めていた。
- 766 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/08(木) 22:48:21.52 ID:TOSg5uqg0
--------------------------------------------------------------------------
「彼女のあの表情を眺めていると、いかにかつての自分が愚かだったか思い知らされるな」
確たる光源もないのに男女の姿だけがくっきりと、切り取られたかのように闇の中に
浮かびあがっていた。
映像を流しているにも関わらず光を発しているように見受けられない不可思議な
スクリーンを、ローラは唇を真一文字に結んで睨んでいた。
「『自動書記』……彼女が、誘拐犯?」
「その通りだ。これで、私が『遠隔制御霊装』を使用していないと立証できたのではないか」
「…………」
ローラがアレイスターを探し求めた短期的な要因はまさにそこにあった。
インデックスの真の生みの親であるアレイスターが、ローラが二十六年前に回収した以外の
『霊装』を保有している『1%』は否定しきれなかった。
ゆえに迫りくる肉体のリミットを前に拙速を心がけた彼女は、可能性を根本から叩き潰すべく
父親を捜しだすのだと決心した。
どうやら結果は、徒労に終わったようだった。
「しかし、リリスが『首輪』を仕掛けてあの子を殺す動機などない」
「まだご納得いただけないようだ」
「……そもそも、どうして『首輪』が必要だった?」
その疑問はローラが十年以上、ステイルや神裂から詰問されては胡散臭い笑顔で
受け流してきた苛烈な憎悪と、まったく同一のものだった。
- 767 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/08(木) 22:49:50.41 ID:TOSg5uqg0
「君のような輩に『図書館』を持ち逃げされる可能性を想定したリスクヘッジ、
ではいけないかな」
機密情報が外部に漏れることを防ぐための時限爆弾だとアレイスターは言うが、
「機密情報もなにも、貴様は『ローラ=ザザ』を四十年以上野放しにしていたでしょう」
「……ああ、そういえばそうだった」
頭に上る血の巡りが激化するのをローラは感じた。
この父親は家出娘にも、彼女が持ち出した“一財産”にも目をくれず、ひたすら七十年間
科学に明け暮れたのだ。
「…………ではこういう観点から切りこもう。脳科学では一個の人間を構成する要素を
『記憶』、『意識』、『人格』の三つに大別している。このうち電気信号の交換運動
による“科学的な”存在証明と作用メカニズムの解析が『インデックス』誕生時点で
完了していたのは記憶だけだ」
科学者アレイスターは、滔々と語り始めた。
ローラは、モニタの向こう側の男女から目を離さず返答した。
「『意識』や『人格』がどこに存在するのか、という議論はおよそ思想的、哲学的……
そして“宗教的”問題に帰結せざるを得ないわ」
「いかにも。私は“魔術的”に言うところの『魂』こそが『意識』であると定義し、
『魔女』の誕生にあたって『人格』は不要なものだと考えた。魂の精錬を感情が
阻害するのではないかとね」
「だがあの子にはれっきとした人格が、感情がある。誰からも平等に愛される、才能と
でも呼び換えるべき清い心が」
「……才能か、言いえて妙だ。しかしだな、ローラ=スチュアート」
- 768 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/08(木) 22:50:41.11 ID:TOSg5uqg0
げんてん たましい
『魔女白書』に必要なのは、『記憶』に触れる『意識』だけで十分だった。
かんじょう
だから、『人格』という異物が混じってバイアスがかかることは可能な限り避けたかった。
ゆえにアレイスターは――――
「『インデックス』の人格にも私の手が加わっていると言ったら、君は驚くか」
「…………!?」
極限まで、実子と同じ顔をした命のかたちを、『実験』のために弄んだ。
「――――ぬ、かせ。あの子の、インデックスの人格は誰かに方向性を与えられた
ものではない。あの子自身が、必死で生きてきた十一年の中で育ててきたものが、
貴様ごときに箍められていたなどと……っ、侮辱も、ほどほどにしておきなさい」
叫び声を上げなかったのはほとんど奇跡だと、ローラは思った。
- 769 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/08(木) 22:51:48.30 ID:TOSg5uqg0
・ ・ ・ ・ ・
「だがその証拠に、君も彼女に随分と感情移入しているようだ。仕方がないことなのだが。
さぞ辛かったろう……『自動書記』も『首輪』も自分の仕業ではないのだと、本意では
ないのだと、ステイル=マグヌスにもっと早く打ち明けたかったのではないかい?」
そんな彼女に、“父”は優しく語りかける。
「私の敗北と失踪など待たずに、冷酷非道な魔女の仮面などかなぐり捨ててあの子を
抱きしめたかったんじゃないのか。復讐などさっさと諦めて、愛する男のもとに
走りたかったんじゃないのか」
父性を凝縮したような声に、ローラは耳を塞いだ。
「私の『ビル』から逃れて、最初の『七月二十八日』が訪れるまでの三ヶ月間。
生まれて初めて家族と、“姉”とかけがえのない時間を過ごして、最後に己が
手で彼女を“殺した”あの日」
電脳空間では無意味な行為だと知りながら、塞いだ。
「君は、たった一回で折れたのだろう。逃げたくなったんだろう。だからこそ
勿体ぶった理由を捏造し、記憶の消去役を歴代のパートナーたちに押しつけ」
「――――――――黙れ、貴様ァァァッッ!!!!」
- 770 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/08(木) 22:53:23.43 ID:TOSg5uqg0
絶叫に従って、アレイスターはあっさりと口を閉じた。
ローラはこみ上げる虚脱感に抗いながら呼吸を整えようと胸を押さえて、
「……………………“その証拠に”……?」
その手を、胸部から口許へと当てなおした。
黙する狂人は、出来の良い生徒を見る目で眦を下げた。
「君は、子猫を飼ったことはあるかな。彼ら愛玩動物は、どのような仕草で擦りよれば
人がほだされるのか本能的に知悉している。それと同じことだ」
「貴様、そんなこと」
餌を必死でねだる小動物は愛らしく、それだけで普遍的に庇護の対象となり得る。
それと、同じこと。
――――おなかいっぱい、ご飯を食べさせてくれたら嬉しいな――――
インデックスもまた、誰彼かまわず可愛らしい“おねだり”をしては無条件に愛を
返してもらえる『小動物』なのだと、アレイスターは事もなげに言った。
ローラはその酷薄な事実を、頭の片隅で納得し消化しかけている己を見つけて
激しくかぶりを振った。
「万人を愛し、万人に愛される、天賦の才。それは私が彼女を産みだす際に先天的に
付与した――――『才能』だ」
- 776 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/10(土) 22:35:22.13 ID:RZTZJE4J0
誰もがインデックスの“特別”になりたがった。
アウレオルス=イザードも、上条当麻も、その他大勢の『失敗者』も。
身の栄達をはるか彼方に捨て去ってまで、愛くるしい聖女の“何か”になりたがった。
「この上なく強力な『呪い』だっただろう? なにせかつての魔女、ローラ=スチュアート
ですら無意識に懐柔し、籠絡したのだから」
ローラは男から思わず目線を逸らした。
アレイスターの指摘は的を射ていた。
“姉”の姿をした少女が毎年のように黄泉路をさまよう様を見ていられなかった、
というのも大きな要因ではある。
しかしそれ以上にあの無邪気で無垢な笑顔を傍に置いていると、彼女を利用してまで
果たそうとする復讐が途端に無味乾燥としたものに思えてきてしょうがなくて。
『ローラ』という人間の根本を成すアイデンティティを跡形もなく破壊されてしまいそうで。
そうしてローラは少女を遠ざけるべく、『失敗』をパートナーたちに押しつけた。
「恥じることはない。彼女の本質に触れてしまえば誰であろうと、嫌でも、例外なく
“そうなることになっている”のだ」
「…………まさか貴様が、学園都市に半ば放置状態だったインデックスにあの五年間、
見向きもしなかったのは?」
「ご名答。リリスの『才能』は産みの親である私ですら――――いや。父親である私
だからこそ、この身と心を強く惹きつけるであろうとわかっていたんだよ。そうなれば
『プラン』に修正誤差を上回るひずみが生じかねない」
- 777 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/10(土) 22:36:18.26 ID:RZTZJE4J0
心にもないことを。
そう毒づく一方でローラは、アレイスターその人に内容物を弄ばれた脳を回転させた。
父親譲りの優秀な頭脳が導きたくもない真実を導くのに、画面の中の蝋燭が一滴、
融け落ちるほどの時間もかかりはしなかった。
アレイスターは『誕生』の段階からインデックスを手元に置くつもりなど毛頭なかった。
それは、つまり――――
「私が、あの子を連れて『ビル』を逃れたのは……!」
「……ああ。あれは、私の仮想したルートの中でもまさしくベストアンサーだったよ。
さすがは我が娘、私の期待に違わぬ行動をとってくれた」
「――――ッ!!」
舌を噛み切りたい思いだったが、電子の身体に血液は流れていない。
そのくせ心の痛みだけはいやに忠実に再現してくれるのだな、とローラは呪わしい
電脳世界を恨んだ。
「もともと『魔女白書』計画の再出発(リエンター)は君の学園都市襲撃が発端だった」
つまりは計画外のイレギュラーだ。 ことり
しかし、わざわざ籠の中に飛び込んできた『原典』を無為に放してしまうのも惜しい。
「とうの昔に打ち捨てた、片手間の『予備プラン』再開のために『メインプラン』の
進捗を疎かにしたくはなかった私は、どうすればこの閃きと資源を有効活用できる
のだろうと考えて」
- 778 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/10(土) 22:37:19.01 ID:RZTZJE4J0
嫌だ、聞きたくない。
聞いてしまったら、壊れてしまう。
ああしかし、ステイルはこんな苦痛にも耐えた。
あの子の前で微笑を崩さなかった自分が、ここで折れる訳には。
でも、でも、でもでもでも。
『やはり、『魔女白書』は失敗だったか』
『まあ、仕方のないことかな』
積み上げてきた憎悪の土台が、よりにもよって――――
「君を挑発(コントロール)して、リリスの親代わりになってもらおうと結論した」
憎悪の対象の作為によって築かれたものだった、などと。
全身から力が抜け落ちる。
身を焦がす復讐心を“有効活用”された哀れな女は、膝から崩れる四肢を支えられなかった。
- 779 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/10(土) 22:38:10.02 ID:RZTZJE4J0
「そう自分を責めることはない。仮に君がリリスを連れて再び家出していなければ、
私はあの娘を処分するつもりだったのだから。誇りたまえ、君は今日(こんにち)
世界から愛されるまでになったあの聖女を、間一髪のところで『悪の科学者』から
救いだした『正義の魔女』というわけだ」
怠惰な無気力感に全身を支配されかけていたローラは、アレイスターの口上をほとんど
耳に入れていなかった。
与えられた人生の“理由”を七十年前に否定され、そして今また掴みとった“理由”を
利用されていたのだと思い知った。
燃え上がるような復讐心。
ひたひたと積もる怨念。
首まで浸かった絶望。
吹き荒れ狂う憎悪。
それらすべてが、無意味で無価値なものだったと思い知らされた。
ローラ=スチュアートの、ローラ=ザザの生きる理由が薄れていく、消えていく。
瞼を閉じて、プレスされたようなのっぺらぼうの呼気を吐いて。
なにもかもが嫌になって、ローラは考えることを止めた。
- 780 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/10(土) 22:38:53.17 ID:RZTZJE4J0
- 781 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/10(土) 22:39:55.62 ID:RZTZJE4J0
――――そっか。じゃあ私は、ローラのお姉ちゃんなんだね!――――
その時、思い出した。
「…………ぁ」
- 782 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/10(土) 22:40:59.10 ID:RZTZJE4J0
生と死の境界線をたゆたっているはずの“姉”の声を聴いたような気がして、ローラは
もはや永遠に持ち上げるまいと決断したばかりの瞼をこじ開けた。
それはローラがインデックスに二年前、秘したまま九年がすぎてしまった真実を、
ありのままに伝えた時の優しい、慈しみの声だった。
――――ふふーん、じゃあじゃあ、お姉ちゃんって呼んでくれると嬉しいな!――――
「…………ぁあ」
――――あ、あはは。正直に言えば、複雑な気分なんだよ。でも――――
「あぁ、ああ」
――――心が、あったかいの。私にも、血のつながった家族がいたんだって――――
「あぁあああっ……」
――――私は、ひとりぼっちなんかじゃなかったんだって――――
「…………インデックスっ、インデックス……!」
- 783 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/10(土) 22:42:13.72 ID:RZTZJE4J0
うずくまり呻く女を、無感情に見下ろす男という構図。
しばらくの間女の嗚咽だけを拾っていた男の耳が。
「……………………まだ最初の質問に答えてもらっていないわ」
突如として。
くびわ
「今まさにインデックスをとり殺そうとしている『凶器』の正体を、仔細洩らさず吐け」
――――覇気に満ちた、『魔女』のソプラノトーンを捉えた。
「……それで、私になにかメリットが?」
「無い」
「では、交渉は始まりもしないな」
「ええ、始まらないわ。これは交渉ではなく」
女が指を鳴らす。
一条の斜光が男の瞳孔を刺激して狭めた。
色相なき暗闇が歪んで渦を巻き、渦の底から光が生まれ出ずる。
「略奪だもの」
アレイスターの世界に、彼自身の意思以外では昇らないはずの太陽が、昇っていた。
- 784 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/10(土) 22:43:39.86 ID:RZTZJE4J0
父は娘との対話を開始して以来、最高と言ってよいほど上機嫌に目を細めた。
「君がこの回線のマスターシステムをクラッキングできるほど、科学に関する知見を
深めていたとはな」
ちから
「お忘れかしら。私にはあなたから貰った『完全記憶』がある」
「…………素晴らしい。では、もう一つ聞くが」
心底からの好奇に突き動かされてアレイスターは口を開く。
「君には、なんのメリットがある?」
そして、端を歪めて吊り上げる。
「これは芳情から言うのだが、『首輪』に秘められた真の意味を理解したところで
『魔女白書』を救う手立てには繋がらないと、私はそう思う」
ローラはわずかに首を下に傾げる。
返答は静寂に塗り替えられた。
「よしんば足がかりをつかめたところで君の意識は電子の海(ここ)に在って、
君の肉体は学園都市(むこう)に在る。これではロンドンで進行している彼女の
『死』には間に合わない。干渉などできはしない」
アレイスターは無情に、しかし嘘偽りのない現実を押し並べる。
相対するローラは――――
- 785 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/10(土) 22:45:21.85 ID:RZTZJE4J0
「……それでも」
一度は見失った生きる理由を、どうしてこんなにも簡単に取り戻せたのか。
ローラ自身にもよくわかってはいなかった。
ただ、愛しい家族の声が聴こえたから。
ただそれだけで、ローラはこうして青臭い“理由”に弾き飛ばされ、再び立ち上がった。
「それが、何もせずに坐して、のうのうと傍観者を気取っていていい理由にはならない」
たとえローラ=ザザが復讐のために積み上げた一〇三〇〇〇冊が、彼女の人生を決定
づけてしまったとしても。
たとえローラ=スチュアートが、復讐のための道具として彼女を利用していたとしても。
無数の罪を、ローラが彼女に対して負っているのだとしても。
「それがあの子を諦めていい理由になど、なりはしないッ!!」
- 786 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/10(土) 22:46:55.40 ID:RZTZJE4J0
「私は是が非でも、貴様が胸の内に秘めたありったけの真実を暴く」
“今日”が最期と定めていたはずのローラ=ザザの人生に。
「真実をインデックスとステイルに、必ずや伝えてみせる。あの二人がどうして
苦しまねばならなかったのか、なぜ幸せになるべきなのか、私の口から」
父と刺し違えることも辞さないと、覚悟を決めていたローラ=スチュアートの人生に。
「それが私の“理由”よ」
新たに“明日”を生きる理由が、生まれた。
「…………理由が果たされる前に、彼女は死んでいるかもわからないが」
「インデックスは、ステイルが救う」
「他力本願か。なんとも君らしく、清々しい話だ」
「なんとでも言いなさい。私の役目は他にある」
- 787 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/10(土) 22:48:31.21 ID:RZTZJE4J0
「アレイスター。私は貴様の雁首を、インデックスの目前に引きずりだす」
ローラ=ザザでもローラ=スチュアートでもなくなった女は、それでも彼女の父である
という因果を断ち切れぬ男に向かって、凛と声を張る。
「…………きっとあの子は貴様をも赦すでしょう」
「貴様が与えた『才能』が、きっと貴様を許してしまう」
「それでもインデックスには貴様を断罪する権利があって、その機会は公正に、誠実に
設けられるべきだわ」
「貴様一人でとは言わない。私も、もう一度あの子の眼を見て」
息を大きく吸う。
「『魔女』として、あの子に裁かれる」
- 788 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/10(土) 22:49:11.71 ID:RZTZJE4J0
「さあ」
女は、凄絶に笑っていた。
「互いの罪を、指折り数え合いましょう」
男は、もう笑ってはいなかった。
「…………ああ。いいだろう、“ローラ”」
しかし男は、なおも喜ばしげだった。
- 794 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/12(月) 22:42:39.66 ID:j+pF/QzM0
「さて、どこまで話したのだったか…………私が『魔女白書』の人格に手を加えた、
そこまでだったな」
魔女と怪物の対決は怪物の一言によって、対話という形で再開した。
武力の行使をも視野に入れていたローラは、正直に言えば拍子抜けだった。
「そこまで巻き戻すか…………まぁ、まどろっこしいのは嫌いではないわ。これも父親
譲りの性分なのかもしれないわね」
しかし魔女は妖艶に唇を舐め、そう応じた。
寿命を目前とした残りわずかな生に新たな“理由”を見出した女は、ほんの十分前とは
別人かと疑うほどに血色が良くなっていた。
「貴様が言うところの『魔女』の誕生に、癖の強い人格は邪魔だった。『魔女』の
正体がいまだ漠然としているのが歯痒いけれど、まあそこは置いておきましょうか」
「性急も行きすぎると、馬鹿を見るのは他ならぬ君だからな」
「まったく、その通りね」
軽いジャブのような皮肉に肩をすくめるローラ。
オーバーに頭を左右へと振りながら、スッと軽快になった脳を回転させる。
「ふむ…………バイアスによる結果の歪みを恐れるのなら、最初から外的要因たる『人格』
を取り除いてしまえば良いだけの話ではなくて?」
- 795 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/12(月) 22:44:18.36 ID:j+pF/QzM0
『意識』と『記憶』はあるが、『人格』の存在しない人間。
仮にインデックスがそんな少女だったらと思うと身の毛がよだつが、ローラはその寒気
すら表情をふてぶてしい冷笑へと固定するための力に変えた。
「言っただろう。脳“科学的”に人の構成要素は三位一体。人格だけをゼロとして、
ないものとしては扱えない」
「人体における人格の存在箇所は、二十六年前の時点で“科学的”証明がなされて
いなかった。これも貴様が言ったことよ、アレイスター」
互いの肉を刺し、骨を抉るような言葉の応酬。
ローラは得も言われぬ高揚感を覚えていた。
「起源説、というものが魔術世界にはある」
『起源』。
生命は生物学的発生段階よりもはるかに根本的な誕生の段階で、aという存在を
aたらしめる一定の方向性を与えられて生まれてくる、とする理説のことである。
「科学で為せない部分を魔術で補う。要するにまた『融合』ね。大科学者殿はよほど、
世界地図に引かれた大小様々の境界線がお嫌いだったと見える」
「私が嫌いなのは、どちらかと言えば十字教そのものなのだが……旧約聖書における
『不朽の愛』という一節が私の目的に合致していたので、忸怩たる思いで採用した」
「不朽の愛、アガペ…………それを、インデックスの『起源』として埋め込んだのね」
- 796 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/12(月) 22:45:42.17 ID:j+pF/QzM0
インデックスは誰でも味方にしてしまう。
その心根に深く接触した上で、それでも敵対という茨道を選べる人間は極めて希有である。
世界のすべてを愛して、世界のあまねく人に愛されて。
そうしてこの世のことごとくを、『自分の味方』という円線で囲ってしまう。
「しかしそれは逆に言えば、世界をただ二つに分けている、とも解釈できる」
「…………『自分』と、『それ以外』…………」
聖女は愛に見返りを求めない。
なぜならアガペとは、神のみが持つ『無償の愛』でもあるからだ。
聖女は目に映るすべてを救おうと奔走して、しかし他者からの救いを是とはしない。
聖女は自らの心の内側に、本当の意味で他者を踏み入らせようとは、決してしない。
「ゆえに『魔女白書』は、真に他者と魂の交流を図ろうとはとしない。彼女が触れるのは
決して消えずに己の隣に寄り添い続けてくれる『記憶』のみだ」
そしてそれでこそ、アレイスター=クロウリーの『サブプラン』は達成され得る。
「しかしこの広くて狭い地球という盤面には、少なからずその道理を破壊する例外と
いうものが存在し得る」
ローラはまばたきを一つ終えるか終えないかという間に反論を練った。
例えばそれは、地獄の底でもがき苦しむ少女の心に、強引に割って入った主人公。
「『幻想殺し』か。『予備プラン』と『メインプラン』が交差したあの日のことは、
流石に私といえども感嘆の吐息を禁じえなかったよ」
- 797 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/12(月) 22:47:23.68 ID:j+pF/QzM0
少女は少年を愛してしまった。
その鮮やかで真っ直ぐな魂に触れてしまった。
上条当麻に出会ったインデックスがそうであったように、アウレオルスの隣にいた彼女が、
神裂やステイルと過ごした彼女が“そう”ではなかったのだと、いったい誰が断言できようか。
「ご心配には及ばない」
しかし断言できる“誰か”がこの世に存在するかと問われれば、ローラは眼前の男こそが
そうであると、一点の曇りもなく答えるだろう。
「そういう時のために、『首輪』があるのだから」
眼前の『怪物』アレイスターの一言で、『魔女』ローラはすべてを悟った。
「そうか………………そういうこと、か」
かんじょう
「『首輪』は、『人格』のリセットボタンだったのね」
- 798 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/12(月) 22:48:39.22 ID:j+pF/QzM0
リセットボタン。
まさしくそれは、リセットボタンだった。
テレビゲームで言うところの『システムデータ』を残し、『シナリオデータ』のみを
消去する行為に似ている。
この場合、消去される『シナリオデータ』とは人格にバイアスをかけてしまう
『エピソード記憶』であり、残る『システムデータ』は魂を磨く『意味記憶』となる。
あるいは『強くてニューゲーム』、そう例えてもいいかもしれない。
インデックスは毎年決まった日、強制的に『強くてニューゲーム』を選択させられては
記憶(ストーリー)を振り出しに戻して、記録(レベル)だけは継続する。
「ふふ、ふふ…………アレイスター、貴様はとことん狂人ね」
こんな気狂いじみたゲームの登場人物に、己が娘を据えられる人間がこの世にいるのか。
ローラはある種の感動すら覚えて戦慄し、虚ろに笑った。
「ほう。『0と1で描写しきれる』存在になった私にも狂気と呼べる感情が在るのだと、
君が保証してくれるのか。ありがとう、観測者。君のおかげで、私はまだ『人間』と
呼べる代物であるらしい」
「どういたしまして。御高説を垂れているところ申し訳ないのだけれど、ではいったい、
“あれ”はどういうことなのかしら?」
淑女らしからぬ仕草で親指を立てて、くい、と世界の端にたたずむモニタを指す。
四角形に切り取られた近くて遠い別世界では、いまなお『自動書記』と神父がいつ終わる
とも知れぬ対峙を続けていた。
- 799 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/12(月) 22:51:58.44 ID:j+pF/QzM0
「リセットボタンを壊されたことで、白紙のページになに不自由なく記されてきたあの子の
感情。それを貴様は満足げに観察していた…………あらあら、おかしいわね。感情(それ)
は貴様にとって邪魔なモノだったはずでしょう?」
そしてなにより、インデックスは蘇った『首輪』に殺されようとしている。
あれはいったい誰の仕業なのか。
アレイスターでないとするなら、『殺人犯』は誰なのか。
「いまとなっては『首輪』に大した存在意義はない。と、言うより」
男は、珍しく消沈したような相貌を前面に押し出してきた。
その仮面の裏側に何がひそんでいるのかなど推して知るべし、だが。
「結論から言えば、最初から『首輪』に大した意味などなかった」
「…………言葉は、良く考えて選びなさい」
ローラのハイソプラノが、ぐっと低く重いものになる。
「だから私は先刻、かつての己を愚かだったと認めたのだ。『感情』が『魂』の精錬を
阻害するというのは、私の魔術解釈上の誤謬だった。有り体に表現すれば」
アレイスターの声には、対照的重みがまるでない。
男は夕餉のメニューを問い質すような気楽さで――――
- 800 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/12(月) 22:53:20.80 ID:j+pF/QzM0
「判断ミス、だ」
ステイルとインデックスの苦悶に満ち溢れた十数年を、失敗した原稿のように丸めて
屑籠に投げ捨ててみせた。
- 801 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/12(月) 22:54:44.51 ID:j+pF/QzM0
パァン。
乾いた音が閉じた世界に何重にも反響して、やがて消えた。
「…………あなたの辞世の句に、良い候補が見つかったわ。インデックスに、
面と向かってこう懺悔なさい」
ローラは開いた右の手のひらを、身体の左側に寄せた状態でそう告げた。
アレイスターは、向かって左側から衝撃を浴びたような格好で、顔を逸らしていた。
「『私があなたに仕掛けた「首輪」は、私が無能な魔術師で、かつ低脳な科学者だった
がゆえに起こった間違いでした。あなたの二十六年を、私のミスで目茶苦茶なものに
してしまいました』」
冷え切ったブルーサファイアが、凍った炎を内に秘めて細められる。
魔女はその名に恥じぬ冷酷を体現し、無表情に男を蔑んだ。
「もしも仮にインデックスが、それに対して一片の怒りでも見せたら。私は貴様を、
その電子の体にとって考え得る限り最も残忍な方法で苦しめて、悲鳴を上げさせ、
然るのちにこの世から抹消してやる」
実の娘に頬をはたかれた父親もまた、別段感情を顕わにするでもなく呟く。
「………………検討しておこう」
- 802 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/12(月) 22:56:33.79 ID:j+pF/QzM0
「そもそも私は、貴様が『殺人犯』でないという供述に納得したわけではない」
「ほう? それは何故だ」
「…………アウレオルス=イザードよ。決まっているでしょう」
アレイスターがリセットボタンの発動日と定めたのが、明日である。
ステイルとインデックスが過去に決着を付けようとしたのが、明日である。
アウレオルスがふらりとロンドンに迷い込んだのも、明日を目前にした今日である。
「これらがすべて偶然の一致を見た、ですって? 馬鹿馬鹿しい……さらに付け加える
なら、四次大戦の終結日が七月二十八日だったことも、私は貴様の恣意だったと確信
している」
三年前の七月二十八日、上条当麻とインデックスは『窓のないビル』でアレイスター=
クロウリーと直接対峙した。
そしてアレイスターは敗れ、世界から消えた。
もう一つおまけに、ステイルがインデックスへの告白に七月二十八日を選んだことも
『首輪』に密接な関わりがあるのだと、ローラは知っていた。
四分の三の“偶然”にアレイスターが少なからず関与している以上、残り四分の一の
偶然――――アウレオルスの彷徨にもこの怪物の作為が働いていると推測することは、
至極自然な推移であった。
「ああ…………懐かしいな。そうだな、そこは認めよう」
ローラは内心の緊張を億尾にも出さず、冷たく父親を睨みつける。
するとアレイスターはあっさりと、あまりにもあっさりと、白状した。
- 803 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/12(月) 22:58:59.51 ID:j+pF/QzM0
アレイスターは語る。
『メインプラン』の破綻が避けられない情勢となっていた当時、彼は苦し紛れ――――
まさしく苦し紛れ以外の何物でもなく、『予備プラン』を生かせないかと思索を巡らせた。
その時アレイスターの視界に入ったのは、上条当麻の隣に立っていたインデックスだった。
そして彼はほんの、本当に些細な気まぐれの産物として。
「私に向かって振りかぶられた『幻想殺し』をわずかだが、世界のどこかで生きていた
“かつてアウレオルスだった男”に横流ししたのだ」
「……なにゆえ、そんなことを」
「魔がさした、としか言いようがないな。すまないが、私が世界に働きかけた“作為”は
正真正銘それが最後だよ」
要するにアレイスターの突飛な思い付きで、アウレオルスは三度までも人生を狂わされた、
ということらしい。
さしもの魔女も憐憫の情を禁じえなかったが、その双眸はさらに先を見据えていた。
「耄碌したか、アレイスター? それではアウレオルスが、見計らったような時機に
ロンドンを訪れた理由にはなっていないわ」
「君こそ、私を失望させないでくれよ。すでに何度も繰り返したように、上条当麻に
敗れて以降私は世界に対して『なにもしていない』」
「………………ちっ」
- 804 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/12(月) 23:00:16.17 ID:j+pF/QzM0
魔女の辛辣な語勢が止まった。
『なにもできない』と言った方がより正確であることを、悔しいがローラは察していた。
『滞空回線』は確かに悪魔的な技術と思想のもとに設計されたシステムではあるが、
あくまで用途は情報の蓄積と収集にすぎない。
外側でその情報を受け取り活用する人間がいるからこそ意義のある発明であり、内側に
“棲む”電子データに神のごとき全知全能を約束するような代物では決してない。
つまりアレイスターはこの箱庭に居る限り、外の現実に干渉できない。
それはローラが現在、身をもって体感している真っ最中だった。
「本気で、『偶然だ』などと主張するつもり?」
問うと、アレイスターは顎に手をかけてしばし目を瞑る。
「観測結果から事実を推理するしかないのが辛いところだが」
そして目を見開くと話題を九十度直角に、急激に転換した。
「七月二十八日は『記憶』が『絶望』の呼び水となり、『絶望』が『禁書目録を殺す』
日になった」
「はっ。貴様がそう仕向けたことでしょう」
「誰の意図だったか、というのはこの際重要ではない。問題は“これ”が十五度にも
渡って繰り返されることで君や歴代のパートナーたちの絶望が積もりに積もって、
『七月二十八日はそういう日なのだ』と世界に認識された点にこそある」
- 805 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/12(月) 23:02:25.19 ID:j+pF/QzM0
ローラは乾いた笑いを科学者に贈った。
突拍子がないにもほどがある。
「根拠なき仮説だ。笑って聞き流してくれても、まあ構わないがね」
「もとよりそのつもりよ、この狂人が」
「とにかく。『禁書目録を殺す』という結果を実現するべく『アウレオルスが現れる』
という原因が、帳尻を合わせるために差しこまれたのだと私は見ている」
「ナンセンス。穴だらけの論理ね」
毎年のようにインデックスが死に瀕する、そんな因果が発生するのならば、去年の七月
二十八日についてはどう説明する。
ステイルから懐中時計を贈られたのだと、インデックスが幸福感いっぱいの笑顔でローラ
に自慢してきたのが昨日のことのようだ。
第一、『アウレオルス』と『インデックスの死』に因果関係が成立しているとも思えない。
ローラはアレイスターのロジックに潜む欠陥を一つずつ拾い上げて、思うさまつついてやった。
「確かに、やはり仮説は仮説だ。真実には程遠いのかもしれない」
勢い込んだ女の反論を、男はしかしさしたる動揺も表に出さずに受け止める。
「だが感情ゆえに現状があるのもまた事実だ。かつて私は、君が私に抱く『憎悪』こそが
『魔女白書』の完成を妨げているのだとばかり思い込んでいたが、それは間違いだった
らしい」
リセットボタン
感情が邪魔だったから、アレイスターは『首輪』を付けた。
その『首輪』が数多の人間の絶望を創ったからこそ、ステイルとインデックスはいまこの
瞬間も苦しんでるというのに、それでも。
- 806 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/12(月) 23:07:20.02 ID:j+pF/QzM0
「『自動書記』のあの絶望に満ちた、素晴らしい魂のかたちが見えるかい? 必要なのは
“あれ”だったのだと、恥ずかしながら今にして悟ったよ」
――――それでも怪物は、再び笑った。
「……そんなこと、証明は不可能だわ」
理解不能の怪物を前に、かろうじて人間である女は小さく洩らす。
「そう、まさにその点だけが未練と言えば未練だ。しかし私はもはや科学者でもなければ
魔術師でもない、一介の聴衆だ。そんなことを大真面目に考察する必要はない」
人間をやめ、『0と1でしか描写できなくなった』怪物は、抑揚なき悦びに天を仰いだ。
誕生日を目前にした子供のような声だ、とローラは思った。
だが、ローラは知らない。
家族に生誕を祝われるという実体験の乏しさゆえに、知らない。
「さあ。因果の収束まで、あと半刻だ」
この世には『プレゼント』を前に単純な喜悦のみを覚える子供ばかりではないのだと、
まだ知らない。
- 807 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/12(月) 23:08:44.01 ID:j+pF/QzM0
---------------------------------------------------------------------
「貴方にとって、この子は何者ですか」
ほとばしるような“感情あふれる”殺気に、ステイルは気圧されていた。
説得は失敗に終わったと、そう判断せざるを得なかった。
「何者、とはどういう意味だ」
「一〇三〇〇〇冊の魔道図書館。イギリス清教が誇る最大主教。
アレイスター=クロウリーの娘。ローラ=ザザの姉。上条当麻の家族。
あるいは、Index-Librorum-Prohibitorum。“どの”彼女ですか?」
ステイルは鼻を鳴らして強がった。
そんなことはハナから決まりきっている。
「どこの誰だろうと関係がない。いま目の前にいる彼女が、上条当麻を愛した彼女が、
僕と共にこの六年間を生きた彼女が、僕にとっての彼女だ」
ローラに面と向かって切った啖呵を、ステイルはローラの“姉”に繰り返した。
「だから、立ち塞がる障害がいかに高く険しかろうと、それも僕には関係がない。
たとえそれが『世界最悪の魔術師』の仕掛けた罠だろうと、僕は」
「――――ほら、また『アレイスター』が出てきた」
- 808 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/12(月) 23:10:10.53 ID:j+pF/QzM0
無表情に回帰した『自動書記』は、鬼の首をとったような文句を侮蔑とともに放った。
不揃いなパーツが組み合わさって、ステイルへの嫌悪感をより顕著に表現する。
「どうしても貴方はアレイスター=クロウリーを、この舞台に黒幕として上げたいよう
ですね」
「“上げたい”もなにも、それが事実で……」
唾を飲む音が、静寂の中でいやに大きく心臓を打った。
「…………違うの、か?」
ステイルの表情が見る間に一段険しくなる。
『自動書記』はそれを見やって満足げに頷き、同時に苛立ち混じりの嘲笑を浮かべた。
ステイルの『不正解』が嬉しくてたまらない様子だった。
「この子の苦しみは、外側から干渉した“誰か”が“何か”をしたから。結局は貴方も、
そうやって大所高所からこの子を見下ろしているというわけですね」
「なんだと……!」
「事実以外の何物でもないでしょう。アレイスタ=クロウリーやローラ=スチュアート。
巨悪の大それた陰謀に振り回される、哀れな子羊としか見ていないではないですか。
そこで思考が停止しているではないですか」
カッとなって感情任せの罵詈を吐きそうになるも、続く『自動書記』の糾弾にせき止められた。
そうではないと断言することを、ほんの一瞬でもためらってしまった。
そんな自分を恥じて、反論が口をついてくれなかった。
- 809 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/12(月) 23:10:56.18 ID:j+pF/QzM0
ステイルが押し黙ったことを契機に、『自動書記』が語調を著しく速める。
「この子は、世界を揺るがすような巨大な企てのためにしか苦しんではいけないのですか?」
彼女ははたして『禁書目録』なのか、『魔女白書』なのか。
「人々の救済などという、高尚な大義名分のためにしか悩んではいけないのですか?」
最大主教なのか、尊き聖女なのか。
「好きな男性を想って、涙を流してはいけないのですか?」
上条当麻という男を、愛した女なのか。
「だから、貴方はなにも解っていないと言うんですよ」
ローラに意味深長で重苦しい真実の欠片を与えられて以降、“そういう”視点からしか
インデックスの内面を慮ろうとしなかった男だと責められて、またそれが事実であると
認めざるを得なくて、ステイルは口を噤むほかなかった。
「…………だったら」
だが、それでも。
- 810 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/12(月) 23:13:11.04 ID:j+pF/QzM0
「だったらどうして、彼女が死ななきゃならないって言うんだ!! 君がその理由を
しかと知り尽くしていると言うのなら、なぜ君は諦めて彼女の記憶を殺すなどという
逃げに走る!?」
ステイルがいかに浅慮で考えなしの粗忽者だとしても、それとインデックスの死を
座視することは、まったく別の話だ。
「答えろ、『自動書記』ッ!! どうして彼女の心を、諦めようとする!?」
男の獅子吼を真正面で観察していた女は、長い溜め息を聖堂の冷たい床にこぼした。
その呼気が帯びる色が次第に『嘲り』から『妬み』へ、そして『憎しみ』へと染まっていく。
四方に配置された蝋燭を燃やす赤が、怖気ついたように一度大きく揺れて火勢を弱めた。
まじょ
壇上に立つ聖女が、ステイルには瞬刻いやに背の高い巨人に見えた。
舞台が、姿を変える。
再び彼女がステイルと視線を交えた瞬間――――
「いいでしょう。貴方は、いい加減に自覚するべきです」
――――魔女が神父を裁くための裁きの庭が、重々しく開かれた。
- 811 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/12(月) 23:14:51.81 ID:j+pF/QzM0
「『誘拐犯』は私でした。それは認めましょう」
「しかし、この子を殺す『殺人者』は私ではない」
「アレイスター=クロウリーでも」
「ローラ=スチュアートでも」
「アウレオルス=イザードでも」
「『リリス』でもない」
「貴方です」
「この子を殺そうとしているのは、私ではなく貴方です」
「それを骨の髄まで思い知るべきだ、貴方は」
- 812 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/12(月) 23:16:04.52 ID:j+pF/QzM0
「さぁ――――貴方の罪を数えてあげましょう」
Passage9 ――魔女裁判―― END
- 819 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/14(水) 21:19:55.18 ID:ky54UWEJ0
――Passage10――
福者マザー・テレサは言った。
『愛の反対は無関心である』と。
関心こそ、愛のはじまりであるのだと。
ならば、目に映る世界すべてを脳に刻んでしまうインデックスは――――
- 820 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/14(水) 21:20:59.14 ID:ky54UWEJ0
Passage10 ――死に至る病――
- 821 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/14(水) 21:22:02.83 ID:ky54UWEJ0
「この子の愛は膨大すぎると、そう思ったことはありませんか?」
裁く者の冒頭弁論は、裁かれる者に対してそう発話された。
アガペ
「まるで、そう――――『無限の愛』のごとく」
アガペ
『無限の愛』。
旧約聖書における『不朽の愛』。
かつて救世主が弟子たちに向けて、無限であり無償であると説いた『神の愛』。
『愛の六類型』研究を行った心理学者ジョン=アラン=リーが百を越える被験者の中に、
真の意味でそれを有する者を発見できなかったという『愛他的な愛』。
インデックスがそれを有する稀有な存在であるのかと問われれば、ステイルは迷わず
首を縦に振るだろう。
「しかしリーが定義するところの『愛他的な愛』と、この子がかつて上条当麻に対して
見せた嫉妬や…………貴方への態度は、根本的に矛盾してはいないでしょうか」
要するにアガペとは、『相手が幸せなら自分も幸せだ』などという、舞台の上のヒロイン
のみが持つ浮世離れした愛である。
- 822 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/14(水) 21:34:10.66 ID:ky54UWEJ0
しかしインデックスはれっきとした人間だ。
嫉妬もすれば、駄々をこねもする。
「そんなものはあくまで、学者が類型したタイプにすぎない。一個の人間の人格を
学術的な型に当てはめて、そこからはみ出したら異常だなどと……思考が固着的に
すぎるぞ」
「ですが現に、なぜだか彼女は有しているのですよ。無垢で、純粋で、誰をも平等に
愛し、誰にも平等に愛される、ひのき舞台で煌めくヒロイン然とした『人格』を」
否定はできなかった。
ステイルが愛したのは紛れもなく、そんな彼女だったのだから。
「…………そんな彼女がある日、『上条当麻』に出会いました。『生』まれて初めて、
この子はただ一人に向けるための狂愛(マニア)などというものがこの世に、自分の
中に存在するのだと知ったのです」
それはステイルとて十分承知していることだった。
インデックスの愛は本来世界すべてに注がれる尊いものだ。
そんな巨大な愛をたった一人の男に集約する方法が、彼女にはわからなかった。
わからないから、持て余した。
そうしてぬるま湯のような家族としての生活が一年続き、二年を越え、五年が経って。
インデックスは、御坂美琴(こいがたき)に敗れた。
彼女は己が内の『無限の愛』ゆえに、愛する男を別の女に奪われてしまった。
- 823 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/14(水) 21:35:43.67 ID:ky54UWEJ0
「傷心を隠して学園都市を去った彼女の胸中には、その実ほんの小さな安堵が在った
のだと、後日インデックスは私にそう語りました」
これで、愛に狂わずにすむ。
上条当麻と御坂美琴を祝福できる女になるための、時間を稼げる。
傷付いた誰かに手を差し伸べることを、迷わない自分でいられる。
「…………彼女が、そんなことを」
「ロンドンに渡ったインデックスは失恋の痛みを掻き消すように、『禁書目録』の
編纂作業に生きがいを見出して没頭しました」
防衛機制でいうところの昇華にあたる行為、だった。
「やはり、君もあれに力を貸していたのか」
ステイルは嘆息した。
六年もの昔から、インデックスは自分ではなく『自動書記』にこそ信頼を寄せていた。
『電話相手』の正体を悟った日からわかってはいたことだが、歴然たる事実として付き
突けられると、やはり胸が締めつけられるように苦しかった。
「ええ。私は、それでこの子が救われるならと『偽書』編纂への協力を惜しみませんでした」
そうやって『無限の愛』を再び確立したインデックスは、やがて生来の才能をもって
『聖女』と内外から崇敬の念を集めるようになっていった。
のちにローラが最大主教位を退いてインデックスを独断で後継に指名した際、この
時期に築いた民衆からの圧倒的支持が反対勢力を封じ込めることになる。
- 824 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/14(水) 21:37:22.64 ID:ky54UWEJ0
「……そこで終わっていれば、この子はこんなにも苦しまずに済んだというのに」
上条当麻への愛を無理矢理“忘れた”インデックスに、日常が戻りつつあった。
神裂火織をはじめとした友人たちと、笑顔で日々を送れるまでになった。
このままいけば、なんの問題もなくインデックスは平和に健やかに生涯を終えられた。
「なのに…………なのにインデックスは、貴方に気が付いてしまった!」
嫌味な台詞を吐くだけの一同僚にすぎない大男が、時折自分を悲しげな眼で追っていることに。
普段はぶっきらぼうな仕事仲間が、自分の身の安全をどんな時でも第一に考えていることに。
自分の恋の終わりを知った彼が、矢も盾もたまらず上条当麻を殴りに行ったことに。
自分とステイルの間に、永遠に取り戻せない過去が横たわっている事実に。
「この子は貴方に興味を抱いてしまった。同情してしまった!」
『同情は、慈悲っていう心の、いちばん初めの一歩なんだよ』
インデックスがいつか、垣根帝督に掛けた言葉だ。
インデックスはステイルに興味を抱いた。
関心を引かれると同時に、同情を覚えた。
それらはやがて渾然一体となって混じり合い、彼女の中に狂おしい愛が帰ってきた。
そして同時にインデックスは、上条当麻を思い出した。
- 825 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/14(水) 21:39:36.81 ID:ky54UWEJ0
それは緩やかな清水の湧き続ける、巨大なホースの口を思いきり絞ることに似ていたの
かもしれない。
インデックスの愛はただ一人の男に向けるにはあまりに莫大で、甚大な激流だった。
彼女は無意識にもう一人の男に、上条当麻に愛を分散させた。
だから“口”は二つあったのだ。
ゆえにインデックスは煩悶し、懊悩し、やる方ない愛惜の果てに上条当麻と向き合った。
そして、“口”を閉じてしまった。
その先に、不義の愛に焦がれる以上の絶望が待ち受けていることなど、思いもよらずに。
「決定的な契機が訪れたのは、ほんの二週間前のことです」
「二週間前……『0715事件』か!」
思い当たる節はステイルにもあった。
あの日以降、インデックスの挙動は目に見えて奇矯なものとなった。
ステイルと滅多に目を合わせなくなったし、身体的な接触もぐんと減った。
そして何をおいても七月十九日。
一方通行との激闘で辛うじて命を拾った直後に彼女が見せた、落涙、自失、銷魂。
あの涙の理由がまるでわからなくて、ステイルは――――
「なにを他人事のようにのたまっているのですか」
「な…………?」
- 826 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/14(水) 21:41:22.23 ID:ky54UWEJ0
考えにふけっていたところを邪魔されて、ステイルは間抜けな声を漏らしてしまった。
『自動書記』は魔術師に、射殺すような視線を浴びせていた。
「まさか、気付いていなかったのですか? あれは他の誰でもない、貴方のせいです」
「なにを言って……だったら僕に直接、不満なりなんなりぶつければいいだろう」
「言いました」
「は?」
「インデックスは間違いなく、しっかりと貴方に“お願い”しました。覚えてませんか、
天才魔術師?」
お願い。
お願い?
七月十五日、インデックスがステイルにしたお願い――――
「……………………あ」
「ようやく、解ったようですね」
「ちょ、っと、待て。そんな……そんな、ことで?」
「信じられませんか? しかしこれが真実です。いかに他愛なく、くだらないことだと
貴方が思ったとしても、これだけが真実なのですよ」
- 827 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/14(水) 21:42:35.12 ID:ky54UWEJ0
『お願い、死なないで。私は、あなたが生きててくれればもう』
- 828 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/14(水) 21:43:14.67 ID:ky54UWEJ0
『アドリア海の女王』発動を目の前にして、敵の奇襲を受けた時のことだ。
紆余曲折を経てステイルはインデックスを守るべく、文字通り盾になった。
「あの日この子は、考えてしまった」
『もうやめて、やめようよステイル』
「目の前の男性さえ生きていてくれれば、他の連中なんてどうでもいいから」
『やめよう、後はしずりやフィアンマたちに任せて、ロンドンに帰ろう?』
「なにもかも見捨てて逃げ出そう――――そう、思ってしまったんですよ」
それは、聖女が聖女でなくなった瞬間だった。
- 829 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/14(水) 21:44:21.50 ID:ky54UWEJ0
「じゃあ彼女は、そんな自分を恥じて……?」
「まだ言いますか、この愚か者が」
痛烈な糾弾にステイルは二の句を継げなかった。
『自動書記』はもはや、たぎる激情を制御しようともしていなかった。
「貴方のような臆病で愚かな男に、どうしてこの子は惹かれてしまったのか……私には、
まったく納得できない。先刻とてそうです。貴方が『人払い』を行使した気配を敏感に
察知して、この子は走り出した」
アウレオルスとの対話を“聞かせてしまった”時のことだと、ステイルはすぐに理解できた。
『自動書記』がどれほど押し留めても、インデックスはステイルの身になにか災いが
降りかかってはいないかと、それだけを考えていたという。
「なのに…………どうして、どうしてそこまでこの子に強く想われている貴方が、
この子の真の懊悩を察してあげられないのですか」
ステイルは指の付け根が白くなるまで拳を握った。
そして、口を固く閉ざした。
- 830 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/14(水) 21:45:41.77 ID:ky54UWEJ0
「アウレオルス=イザードを襲った悲劇を知って、この子が一番になにを考えたのか、
貴方には解らないでしょうね…………解って、たまるものですか」
女の表情にかすかに昏い悦びが浮かんだ。
愛しい少女を追い詰めた魔術師を思うさま詰っていることに、彼女は愉悦という名の
新たな、革新的な情動を見出していた。
「この子は、目の前の破滅した錬金術師への同情よりも先に、貴方のことを考えて
恐怖したのです」
ステイル=マグヌスを、いつかこんな風にしてしまうのではないか。
ただでさえ自分に関わることで“不幸”になった彼が、より大きな災禍に飲み込まれて
『上条当麻』のように死んでしまうのではないか。
「は、ははは…………いったいこれの、どこが『聖女』なのでしょうね。この子は、
この子は世界中で起こっているどんな悲劇よりも、なによりも」
上条当麻を殺してしまった過去(きのう)よりも。
アウレオルス=イザードを苦しめている現在(きょう)よりも。
インデックスは――――
あした
「貴方を失うかもしれない『未来』が、怖いんですよッ!!」
- 831 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/14(水) 21:47:34.04 ID:ky54UWEJ0
ステイルは小さく、しかし震えを知らぬ声を絞り出した。
「…………そんなことを言ったって、どうしようもないだろう」
人間は、いつか必ず死ぬ。
魔術師同士の抗争に巻き込まれなくても、薄暗い闇の底に潜らなくても、愛する人の
ために命など投げ出さなくても、ほんの些細なことで、簡単に人は死ぬ。
それは天地開闢以来、絶対不変の真理だ。
「そんなことを恐れていたら、生きていくことなどできない。この世で生を営み続ける
人々は、多かれ少なかれいつか訪れる死の恐怖を頭のどこか片隅で認識していて、
それでも強く生きている!」
ステイルは傷を負っても病に冒されても、力強い営みを諦めない人々を目の当たりにした。
絶望に抗う力はそこから分けてもらったものだ。
「彼女がその恐怖を克服できないほど弱い人間だ、などと……僕は信じないッ!!」
それはインデックスにとっても同じだったと、ステイルはそう信じていた。
現に彼女は『上条当麻』を乗り越えたではないか。
「身勝手にこの子を、貴方の色眼鏡に当てはめないでください。お忘れですか、
この子には『無限』の愛があるのですよ」
しかし『自動書記』は、インデックスの強さを否定する。
- 832 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/14(水) 21:49:33.84 ID:ky54UWEJ0
インデックスには世界のすべてを包み込めるほどの巨大な、無窮の愛があった。
十一年前、上条当麻に対しては、それを一点に集約する方法がわからなかった。
「しかしこの子は、十一年を生きました。綺麗なものも汚いものもたくさん見ました。
たくさん聞いて、たくさん感じました。そしてすべからく、記憶しました」
それはとりもなおさず、成長と呼ぶべきものだった。
制限時間を過ぎれば刈り取られていたはずの新芽は、終わらない猶予時間を与えられた。
若木へすくすくと生長するようにインデックスは、それまでの十五年では学べなかった
人の魂の在り様を知った。
誰も教えてくれなかった『愛』の御し方も、独力で組み立てていった。
「そしてあの日、七月十五日。貴方が自分を庇って死んでしまうのではないかと
想像してしまったとき、ついに“やり方”の一端を掴んでしまったのです」
この世で唯一の男性へと、地球一個分よりもはるかに重い愛を傾ける、“やり方”を。
同時に、無意識のうちに悟ってしまった。
二つある愛の出口を一つに絞ってしまったとき、いったいなにが起こるのかを。
「だからインデックスは、生きとし生ける万人に等しく訪れる『死』の中でも、
ステイル=マグヌスのそれだけが、とびきりに群を抜いて怖いのです。たとえ
それがたった『1%』の可能性だろうと、怖く怖くて仕方がないのです」
なぜならインデックスがステイルへ注ごうとしている愛は、全人類に分散した慈愛を
かき集めて煮詰めた、世界と天秤にかけてもなお傾く『無上の愛』なのだから。
- 833 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/14(水) 21:51:21.34 ID:ky54UWEJ0
「そして、ますます手に負えないことに…………貴方が死ぬ可能性は、常人のそれより
はるかに高い。『1%』どころの話ではない」
「0715事件」で、果たしてステイルは何度死にかけたのだろう。
『右方』との初戦では、フィアンマの援護がなければ十回死んで尚釣りがきたであろう。
魔力を著しく消費した肉体で、形振りかまわず亡者の群れから彼女を守ろうともした。
『右方』が最後に振った『腕』に対しても、インデックスを腕の中に閉じこめて庇った。
その度にインデックスを怒らせて、心配させて、あげくに泣かせてしまった。
いみじくも『自動書記』が言及した通り、これらの行動はインデックスの主観に立てば
性質(タチ)が極めて悪い。
ステイルの自己犠牲はそのことごとくが、理性ではなく本能に従った結果であるからだ。
一度など、『歩く教会』で全身を完璧に防御したインデックスを守るべく、身の程知らず
にも全身をなげうった。
まったく不合理な、見下げ果てるほどに馬鹿げた自傷行為だろうが、ステイルは“次”が
訪れるのなら何度でも同じ愚行を重ねるであろう自己を容易く想像できた。
アイデンティティー
それこそまさに、ステイルがステイルであるための絶対に譲れない一線なのだから。
- 834 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/14(水) 21:52:31.06 ID:ky54UWEJ0
「あのような無謀を至極当然のように犯しておきながら、ベッドの上で老衰死する
未来設計図を描いているわけでもないでしょう。この子にとって貴方の死は、
“明日”にでもすぐ起こり得ることなのですよ」
愛しい男性(ひと)のアイデンティティーを悟ってしまったがゆえに、インデックスの
絶望と悲哀はより救いようのないものとなった。
こんなことを続けていたらステイルは遠からず、自分の前からいなくなってしまう、と。
「極論この子は、窮地にある貴方を助けるための力なんて、欲しくはないのです」
誰かを救う尊い意志など、聖女(ヒロイン)の称号などいらない。
「自分を守るために命を投げ出してしまうような誓いなど、投げ捨ててほしいのです」
命懸けで守ってくれるナイトなど、主人公(ヒーロー)などいらない。
「ただこの子は、貴方がそばにいてくれればそれで、それだけで良かったのに!」
――――平凡で平穏な、脇役としての人生だけが、欲しかった。
- 835 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/14(水) 21:53:29.75 ID:ky54UWEJ0
「だというのに貴方は、いつまでたっても最大主教、最大主教、最大主教! 貴方に
そう呼ばれるたび、どれほど彼女の心が千々に乱れていたか知っていますか!?」
ただでさえ、態度と行動だけでもその信念を、言外に体現し続ける男の背中。
そんな姿に胸を痛めていたところに、追い打ちをかけるような『言葉』の雨。
『最大主教ゥゥーーーッ!!!』
――――僕は君の部下で、護衛だ。
『しかし最大主教、心配はいらない。何が起ころうと君は僕が守る』
――――だから僕は、何度だって君のために命を投げ出すよ。
- 836 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/14(水) 21:54:15.12 ID:ky54UWEJ0
インデックスには『最大主教』という二人称がそう聴こえていた。
自分と彼の立場をこの上なく的確に表現するその称号が、胸を掻き毟りたくなるほど
憎くてたまらなかったという。
『インデックスって呼んでくれたら…………嬉しいな』
一度だけ、名前で呼んで欲しいと迫ったが、実現はされなかった。
『…………すまない、“最大主教”』
『…………そっか。うん、無理しなくていいよ』
ステイルが、臆病者だったから。
- 837 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/14(水) 21:56:03.96 ID:ky54UWEJ0
「貴方の臆病のツケを、この子は一年間払わされ続けたのですよ。貴方のような
くだらない男の愛に応えようとして、この子は病んだのですよ」
ステイル=マグヌスを『不幸』にするのが怖い。
ステイル=マグヌスがいつか、自分より先に死んでしまう日が来るのが怖い。
ステイル=マグヌスの死に顔など想像したくもない。
ステイル=マグヌスがいなくなれば、きっと自分は壊れてしまう。
ぜつぼう
「これがこの子の、インデックスの『死に至る病』です」
ただ隣にいてほしい。
しかしステイルは自分の傍で自分を守る限りどんな理屈も超越して、死への恐怖
など忘れて命をなげうってしまう。
もうどこにもいない主人公を殺してしまったように。
顔(そと)と記憶(なか)を弄ばれて破滅した生ける死者のように。
『無限の愛』を、『無上の愛』に変える方法を教えてくれた世界より愛しい人を
いつの日か、愛ゆえに死なせてしまう。
なんと忌まわしい――――救いようのない女なのだろう。
ゆえにインデックスは、己が存在を呪った。
- 838 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/14(水) 21:58:55.97 ID:ky54UWEJ0
「この子が死ぬ理由は、それ以上でも以下でもないのに。貴方ときたら余所から回り
くどい理由を引っ張ってきて、彼女の『死』がさも、世界にとって途轍もなく崇高なもの
であるかのように思いこもうとしている――――先ほどの言葉を、そっくりそのまま
お返ししましょう」
女が大きく息を吸う。
「ふざけるなッ!!!」
昂騰する怒りに火照り、徐々に透き通っていくエメラルドがステンドグラスから差す
月の光を反射する。
「この子を一番人間として、一人の女性として見ていないのは、貴方ではないですか!」
まるで泣いているようだ。
「貴方が、この世でもっともこの子のことを正確に理解していなければならない貴方が
こうも愚かだから、この子は、インデックスはッ!!」
啼いている女の瞳には涙粒など浮かんでいないのに、ステイルにはなぜかそう見えた。
- 839 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/14(水) 22:00:14.94 ID:ky54UWEJ0
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「自ら死を選んでしまったんですよッッッ!!!!!」
めいにち
――――七月二十八日まで、あと二十分。
Passage10――――END
- 847 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/16(金) 22:08:38.59 ID:rHzvExoD0
――Passage11――
神はどうして、こうも無情に彼女を見捨てるのだろう。
『首輪』の再来に直面してステイルはそう嘆いた。
「『首輪』が発動する直前、この子の魂の悲鳴が、貴方には聴こえましたか?」
しかし、それは間違いだった。
『――――――――――――――――――い』
「生まれてから十五年、乳兄弟のように寄り添ってきた“それ”」
「十一年ぶりに訪ねてきた、旧友のような“それ”」
「“それ”に初めて、生まれて初めて、この子は自分から話しかけてしまった」
『―――――――――――――――――たい』
- 848 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/16(金) 22:09:09.39 ID:rHzvExoD0
「貴方と神裂火織に一年間追い回されようとも、そこから掬い上げてくれた上条当麻を
自分のせいで“殺して”しまっても、『無限の愛』を持て余そうとも、恋の鞘当てに
敗れようとも、一度たりとも向き合おうとはしなかった“それ”を、ついに真正面から
覗きこんでしまった」
『――――――――――――――――にたい』
「……貴方のせいだ。貴方のせいで、インデックスは」
『―――――――――――――――死にたい』
「貴方がそう言わせたんだ、ステイル=マグヌスッ!!!」
ステイルはようやく真実を悟った。
彼女が、神を見捨てたのだった。
- 849 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/16(金) 22:09:38.06 ID:rHzvExoD0
Passage11 ――とある神父の『 』――
- 850 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/16(金) 22:10:19.88 ID:rHzvExoD0
「彼女は、自分で自分に『首輪』を嵌めたのか」
ステイルの面持ちは、筆舌に尽くしがたい悲痛に悶え狂っていた。
「自ら、絞首台に上ったのか…………ッ!」
残酷な真実に、震える手のひらで目元を覆ってこめかみを砕かんばかりに締め付ける。
そうやって押さえつけていなければ溢れそうな何かが、脳のさらに内側で熱を帯びていた。
「……ローラ=スチュアートが『首輪』を仕掛けた黒幕でなかった以上、十一年前粉々に
されたこの魔術(げんそう)を再構築できる者の候補は絞られます」
ローラの言い分を鵜呑みにするなら、そういうことになる。
そしてステイルはもはや、かの女狐を頭から疑ってかかることはできなかった。
考えてもみればこれは、最初から二択問題だったのだ。
「『禁書目録』の真の黒幕であったアレイスター=クロウリー。彼が現下いずこに存在
しているのかは私もインデックスも知りません。しかしそんなことは関係がない」
なぜなら『犯人』は、二択のうちのもう片割れだから。
そしてステイルは『犯人』が有する才能をよく知っていた。
- 851 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/16(金) 22:11:24.50 ID:rHzvExoD0
「彼女は、その魔術分析力と応用力を活用して、『自分を殺す』魔術を…………
よりにもよって『首輪』を、あの一瞬で、再現してしまったんだな」
インデックスの『魔道図書館』としての真価は莫大かつ迅速な記憶力などではなく、
柔軟で創造性に富む処理能力にこそあると、ステイルは常々そう考えていた。
忌まわしいまでに優秀そのものの才能はこんなところでも余すことなく発揮されていて、
圧倒的すぎる性能がゆえに所有者を蝕み殺そうとしている。
核兵器を抱えた人類のようなものだ。
ステイルは世の残酷さに唾したい気分だった。
「しかし君とて、一〇三〇〇〇の魔に身をひたした天才には違いないだろう。彼女に
『構築』が可能だったというなら、君が『解除』できてもいいはずだ」
だがそれでも、ステイルはインデックスを諦めない。
『上条当麻』がそうであったように、どんなに無様で不格好だろうともがく。
『自動書記』は、弱弱しく破顔するも肯んじようとはしなかった。
「だから貴方は二流魔術師だと言うのです。そもそも「0715事件」で私が貴方に貸した
魔力は、インデックスの意思で供給されているのですよ?」
「……まさか」
わたし
「ええ。この子はすでに、『自動書記』の制御権を手中に収めているのです。
いまや“インデックス”は私にとって、絶対的な上位存在なのです」
つまり『自動書記』は、インデックスの命令には決して逆らえない。
「そして『首輪』の解呪は、最優先コードによって禁止されました」
「っ!」
- 852 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/16(金) 22:12:19.33 ID:rHzvExoD0
「この事実のみでも、十二分に彼女の絶望が伝わってくるでしょう? インデックスは
本気です、本気で死のうとしています。…………私には」
よくよく見ればその唇が微細に、しかし内側に秘めた激情によって、確かに震えていた。
「私にはもう、記憶の消去以外になす術がないんですよ」
ステイルはこの瞬間、頭の中でおぼろ気に組み上がりつつあったイメージを確定させた。
『自動書記』が最初に感情を爆発させてからというもの、ステイルには彼女が“誰か”に
だぶって見えて仕方がなかった。
インデックスを死なせたくない。
だが記憶を、自分との思い出を消さないとインデックスは死ぬ。
だから、逃げ出したくなるほど嫌で嫌でたまらなくても、記憶を殺す。
それで彼女の命が助かるのならしょうがないことだ。
一つ一つのピースを丁寧に並べ直せば、何のことはなかった。
「君は、“僕”なんだな」
それは紛れもなく、『失敗者』ステイル=マグヌスの愚行そのものではないか。
「…………貴方と私を、一緒にしないでいただきたい」
「声に覇気がないね。どうやら自覚はあるらしい」
憎々しげに歯を剥き出しにしてくる失敗者を尻目に、ステイルは遠き日に思いを馳せた。
彼女が十一年前のステイル=マグヌスだというなら、彼女と対峙する己は何者なのだろう。
神の定めた奇跡(システム)に抗う者を、世界は何と呼ぶのだろう。
- 853 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/16(金) 22:13:22.65 ID:rHzvExoD0
――――いい加減に始めようぜ、魔術師――――
ステイルは青物独特の臭みに満ちた叫びを追憶して、軽く鼻を鳴らした。
神父の敵は神などではない。
二つの眼球が捉える世界を現在の時間軸に戻す。
「だったら、僕らのこの会話は。ここでいま僕と君がぶつかっていることを、彼女は?」
少なくとも十一年前の段階では、『自動書記』の『迎撃』が発動している最中に起こった
事象をインデックスは観測できていなかった。
しかし今ならどうだ。
インデックスが『自動書記』を掌握したいまこの時なら、あるいはステイルの声は彼女に
届くのではないか。
「不可能、ではありません。そもそも『私が記録した事実』がすべからくこの子に伝播
しなかったのは、シナプス経路の一部にインデックスがアクセスできない不可侵領域
が設定されていたからです」
おそらくはアレイスターが、『自動書記』の存在をインデックスに自覚させないために
施した措置だろう。
そしてその不可侵領域も、彼女が『自動書記』の真の主となったことで解放されたという訳だ。
だが、『自動書記』は首を横に振る。
「この子にはもう、私の呼びかけは届いていません。さっきからずっとずっと名前を
呼んでいるのに、死んでほしくないと幾度も頼んでいるのに、インデックスはもう、
私の声に応えてくれない…………貴方の、貴方のせいで」
- 854 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/16(金) 22:14:30.40 ID:rHzvExoD0
かつてリリスだった女の表情を、いよいよ絶望が占拠しつつあった。
内側で殻にこもったインデックスが背負ったそれの、何千分の一にも満たないであろう
絶望に支配されて、『自動書記』はいまにも月光に融けてしまいそうなほど脆弱な姿で
聖堂に佇んでいた。
「…………貴方はこの子を、清く正しく、強い心の持ち主だと、揺るぎない聖女だと
信じていましたか? 貴方の“逃げ”の代償を被せられて、名前も知らない魔術師に
さんざん追い回されて、それでも心折れずに誰かを心配できる清らかな少女だったから
大丈夫だと思ってませんでしたか? 上条当麻に抱くどうしようもない哀惜も、きっと
乗り越えてくれると楽観視していませんでしたか?」
女はハイライトの消えかかった瞳で、怜悧さなどかなぐり捨て感情のままに静かに叫んだ。
ステイルは目を逸らさず、しかし語る言葉を持たなかった。
「この子は貴方ではないのです。この子は貴方のようにはなれない」
「……僕は、強くなどない」
「しかし貴方は先刻、立ち上がったではないですか」
『首輪』の復活を目の当たりにして嘆き、膝を折って。
しかし五分もしないうちにあっさりと、ステイルは自分の脚で立った。
「弱さゆえに折れた貴方は、それでも再び立ち上がったではないですか。幾度となく
折れてしまったがゆえのしなやかさで、希望をつかもうとしたではないですか」
ステイルが恐怖を克服できたのは、絶望など慣れっこだったから。
そう言われれば、確かにそうなのかもしれなかった。
二度も好きな女の子を殺した。
大事な少女が他の男の傍で幸せそうに笑っている姿に、身を焼かれる思いだった。
彼女の心が己に向いたら向いたで、過去の罪に苛まれてのたうちまわった。
- 855 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/16(金) 22:15:37.28 ID:rHzvExoD0
「でも、この子は違うんですよッ!! もうこの子は、一人では立てないんですよ!」
対してインデックスは、いつもいつも折れる一歩手前で踏みとどまってきた。
悪い魔術師に年中追いたてられても。
そんな地獄から掬い上げてくれたヒーローを殺してしまっても。
恋した少年を他の女に掻っ攫われても。
逃げ出した先で魔術師との苦い恋にもがいても。
「それでもずっとずっと、この子は堪えてきた!」
インデックスは堪えた。
苦痛を溜め込んだ。
堪えて溜めて堪えて溜めて堪えて溜めて堪えて溜めて堪えて溜めて。
「そしてとうとう、今日。生まれて初めてこの子は、芯の中心から、致命的なまでに
“折れて”しまったんですよ。心臓の甲高い悲鳴を必死で無視してこらえ続けてきた
からこそ、たった一度の決定的な絶望で」
「へし折れてしまった、か」
ステイルが十二年前挫折したときの絶望と、インデックスがたった今囚われているそれを
比較することに大した意味はない。
だが『自動書記』はその行為で己を慰めるほかに自己の心の安定を求められないのだと、
ステイルは“推し測った”。
- 856 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/16(金) 22:16:40.61 ID:rHzvExoD0
「どうですか。このどうしようもない現実を前に、まだ打つ手はある、などとのたまう
つもりですか」
無力な己を誤魔化すために、眼前の対峙者を責めることに精力を注いでいる。
場違いにもステイルは、やはり彼女も人間なのだと実感した。
「わかっているのですよ。貴方の頼りとは上条当麻――――『幻想殺し』でしょう?」
「……ああ、そうだよ」
『自動書記』の指摘はまさに正鵠を貫いていた。
上条当麻は日本時間でそろそろ午前九時になるいま現在、第二三学区の空港へと取るものも
取らずに急行している真っ最中である。
インデックスの死に直面したステイルが真っ先に頼ったのは、彼のプライドをこの上なく
傷付けた“実績”をもつ幻想殺し(ヒーロー)だった。
ステイルの判断は、彼自身の自尊心に入った罅を無視しさえすれば、極めて正しい。
「あは、あはは! 貴方のような凡愚が考え付く程度のことを、私が想定しなかったと
お思いなのですか?」
――――こんな状況でさえなければ。
「たとえ彼でもこの子は救えません。なぜならこれはローラ=スチュアートでも
アレイスター=クロウリーでもなく、この子が“私たちに”突きつけた選択肢
だからです」
- 857 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/16(金) 22:17:45.76 ID:rHzvExoD0
『幻想殺し』が『首輪』を破壊した瞬間に、彼女は『首輪』を自らの意志ではめ直すだろう。
それでは根本的な解決には程遠い。
本物のヒーローがご都合主義で颯爽と登場したところで、もはやどうにもならないのだと
女は嗤う。
これはインデックスの、心の内側の問題なのだから。
そしてその内側に踏み込むための切符を、上条当麻はすでに手離したのだから。
インデックスの幻想はとっくの昔に、ばらばらに砕け散ってしまったのだから。
「それとも天才錬金術師、アウレオルス=イザードと手を結びますか。ときに彼は、
いま何をしているのです? この子と同じく絶望に打ちひしがれているのでしょうか」
「答える義理はないね」
着色されていない透明な声でステイルは短く応答する。
「もしくは科学の最高峰、一方通行に頭を下げますか。愛する女性とのハネムーンを、
幸福を、満身で享受している最中の男にはたしてインデックスを救えるのですか?
私には、甚だ疑問ですね」
「確かに検討はしたが……一方通行とは結局、連絡がつかなかったよ」
女の攻撃性はついに、矛先すら見失いつつある。
やり場のない鬱屈とした絶望は、時に世界への憎悪にすら変質し得ることをステイルは
知っていた。
- 858 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/16(金) 22:19:05.38 ID:rHzvExoD0
「成程。いかにも、無力でちっぽけでうすっぺらな貴方らしい、主体性に欠けた選択肢
の数々です。そしてそれに相応しい答えが、出てしまいましたね」
――――貴方にインデックスは救えない。
心の奥底で愉悦に浸りながら、『自動書記』はそう告げた。
ステイルはもう一度、双眸を手のひらで覆い隠した。
「……もう一つ、決定的な事実をお教えしましょうか、『殺人者』」
魔術師の中で灯火が消えかかっているのだと察知して、断罪者は畳みかける。
「『首輪』は霊装魔術です。そのための儀式霊装はおそらく、もともとの術者が所有
していたものが唯一です。この意味がお解りですか?」
『霊装魔術』。
読んで字のごとく、対応した霊装無しには発動することすらできない魔術。
つまり本来ならばアレイスター以外には――――そう、『禁書目録』でさえ再構築が
不可能なはずなのである。
「この子がどうやって、“霊装無しで霊装の必要な魔術を発動した”のか?」
微動だにしなかった神父の肩がわずかに、ほんのわずかにだが震えた。
「理解できたようですね」
- 859 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/16(金) 22:20:26.76 ID:rHzvExoD0
またしても、七月十五日に向かってステイルの意識は飛ぶ。
『解釈の歪曲を完了』
『Laguを足元に置いて起点に。南に四センチ刻みでEolh、Is、Yr、Nyd、Cen』
カードから生まれた巨大な地上絵は、本来あの術式に必要な霊装(ふね)の代用品として
用意したものだった。
『僕は何も心配していない。君が一緒だからね』
『いま、あなたと一つになってるって感じる。不思議なぐらい、落ち着いてるんだよ』
――――それと同じこと。
インデックスの細首にかけられたロープの正体は。
「僕たちが、あの日築いた理論、なのか?」
ステイルはこらえがたい嘔吐感に必死で耐えながら、辛うじて呟いた。
あの日ステイルとインデックスが共に、科学の街を救うために作り上げた力が、
廻り廻って彼女を殺そうとしている。
こんな馬鹿な因果があってたまるか。
- 860 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/16(金) 22:21:34.49 ID:rHzvExoD0
「だから貴方はなにも解っていないと言うのです。だから私は貴方を、『殺人犯』だと
告発したのです。だから貴方は、むごたらしく裁かれるべきなのです」
どうき
死を想像してしまった『絶望』も。
きょうき
死を実現してしまう『術式』も。
「これらはすべて、貴方が彼女に贈ったものです」
「そん、な」
突きつけられる現実。
「貴方がこの子を殺すんですよ、ステイル=マグヌス」
裁判官の有罪判決を聞いて、ステイルの胸に去来した感情は、二つ。
「そんな……」
- 861 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/16(金) 22:22:43.70 ID:rHzvExoD0
一つはインデックスの心に深く刻まれ、正視しがたいほどに化膿しきった傷痕に、
気が付いてやれなかった己への怒り。
「そんな、そんな」
そしていま一つは。
「そんな、くだらないことだったんだな」
インデックスその人への、荒れ狂うような激怒だった。
- 862 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/16(金) 22:23:57.53 ID:rHzvExoD0
その刹那、女の形相は羅刹のごとく歪み、
「っ、口を、慎みなさい!! 貴方のせいで死を選んでしまったこの子に対して、
なんたる言い草――――」
「だってそうだろうがッ!!!」
それに劣らぬ獅子の咆哮が、男の全身から放たれた。
静謐な空気がビリ、と音を立てて軋む。
「大事な人に先に死なれるのが嫌だから、それより先に死んでやるだと!? どんな
高尚な原因で口を噤んで、どんな理由から生まれた絶望が出てくるのか、身構えて
いたらこれだ! 神がもし劇作家だというのなら、失笑しきりの観客席に向かって
土下座しなきゃあ収まらないだろうよ!」
「ステイル=マグヌスッ!! この子の本当の懊悩を察してやれなかった分際で、
よくもそんな野放図な口を」
「だったら言ってくれれば良かったんだよッ!!」
いまならステイルは土御門と神裂の苛立ちが理解できた。
五か月前、この聖堂で彼らはステイルに、こんなどうしようもない男に言ってくれた。
『だから、そういうのをぶちまけりゃあ良かった、って言ってんだよオレらは』
『辛い、悲しい、苦しい…………感情は、理屈とは別のところで動きます。
そういった心の澱を、あなたに溜めこませてしまった自分が、私は許せない』
- 863 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/16(金) 22:25:21.88 ID:rHzvExoD0
そう言ってくれたのだ。
そう諭して、怒ってくれたのだ。
「この子は貴方に“言った”と、そう言ったでしょう!」
「何がだ? たった一度、死にかけた護衛に向かって『死なないで』と囁いたことか?
確かにあの一回で彼女が発していたシグナルに気が付けなかった僕は、どうしようも
ない愚か者なんだろう…………しかしだ!」
言ってくれなければなにも伝わらない。
なぜならステイルとインデックスは別の人間だからだ。
どれほど心の奥底で深く結び付いていたところで、言葉に出さねば伝わらないものの方が
はるかに多いに決まっているではないか。
「だったら何度でも言ってくれればよかった! 『死んでほしくない、死なれるぐらい
なら先に死んでやる』…………そんな馬鹿なことを考えているんだと知ったならば!
神に誓ってもいい、僕は何度でも、いつ何時でもこう答えた!!」
気高い獣の啼き声が、女の足を一歩退かせる。
それを見て男は一歩、床板を踏み抜いて雄々しく前進し。
「僕は君のために命を懸けることは止められない。何度でも死と隣り合わせで闘う。
ああ、それは変わらない、それだけはどうしようもない。それでも」
――――吼えた。
- 864 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/16(金) 22:26:25.26 ID:rHzvExoD0
「 僕 は 死 な な い ッ ッ ! ! ! ! 」
- 865 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/16(金) 22:27:51.63 ID:rHzvExoD0
「いまこの場で、君に対して誓ってもいい。僕は絶対に、幾度死にかけようとも、
彼女を一人この世に残して死にはしない!」
女は気圧されて二歩目を後背に向かって踏み、しかしなおも反論を練った。
「……そんなこと、証明できるものですか! いみじくも貴方が先ほど言った通りです。
人間はいつか死ぬ。デカルトの書を紐解くまでもない!」
人間はいつか死ぬ。
ステイルは人間である。
ゆえに、ステイルはいつか必ず死ぬ。
「ならば、人間など辞めるさ」
「な……っ!」
「たとえば、の話だよ、大袈裟にとるな。しかしそれ以外に証明手段がないのなら、
僕は人間を超えることも辞さない――――本気だぞ、僕は」
言外に『証明手段』の存在を匂わせた魔術師の覇気によって、場は完全に支配されていた。
男はさらに一歩踏み出す。
- 866 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/16(金) 22:29:05.40 ID:rHzvExoD0
「さて。そろそろ“そこ”をどけ。彼女と話をさせろ」
「なにを、する気ですか……」
「一発ひっぱたく」
『自動書記』が口を大開きにして唖然とした。
無理もない、とステイル自身も苦笑した。
自分の口からこんな言葉が出る日がくるとは、想像だにしたことがなかった。
「そして、こう言ってやる」
神裂を、土御門を、美琴を、上条当麻を、『必要悪の教会』を、多くの友人たちを、
そしてステイルを置きざりにして、一人身勝手に死に逃げようとした馬鹿な女に。
万感を込めて、ステイルは叩きつけてやる。
「君の臆病のツケを、僕たちに押しつけるなッ!!」
沈黙。
瞠られていた『自動書記』の瞳が、ゆっくりと瞼の裏側に隠れていく。
十秒、二十秒と時計の秒針が進む間、聖堂に束の間の静寂が訪れる。
機械で計ったようにきっかり一分後、突如見開かれた眼に。
「…………わかりました」
- 867 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga !red_res]:2011/12/16(金) 22:30:02.17 ID:rHzvExoD0
-
「敵性を確認」
凝血のような、毒々しい赤が刻まれていた。
- 868 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga !red_res]:2011/12/16(金) 22:32:04.52 ID:rHzvExoD0
-
四方八方に鎮座する蝋燭の明かりが一斉に消えた。
しかし聖堂は煌々と、神々しいまでの灼光に照らされ続けている。
光源は祭壇の上に存在していた。
「この子を傷つけると、貴方はそう言いました。ならばもはや、容赦はしません」
凶風がステイルの赤毛をなびかせ、長身を吹き飛ばさんばかりに猛威を振るう。
風上は祭壇の上だった。
ころ
「貴方を破壊します。貴方を破壊して、私はこの子を守る。それが、私の使命だから」
流麗な銀に空の青を足したような薄光が、女の全身を膜のように包んでいる。
瞳の中の陣と同じ色の赤翼が、女の四肢に絡みついて二度三度と羽ばたいた。
「面白い、やってみろ」
「その強腰、三度目にも関わらずまだ解っていないのですか。知らないのならば教授して
さしあげましょう。これは世の摂理です」
そこにいたのは人智を超えた魔術師たちの、さらに遥か天上に君臨する、正真正銘の怪物
だった。
あなた わたし
「魔術師では、魔神に勝てません」
- 869 :ミス; [saga]:2011/12/16(金) 22:32:52.38 ID:rHzvExoD0
四方八方に鎮座する蝋燭の明かりが一斉に消えた。
しかし聖堂は煌々と、神々しいまでの灼光に照らされ続けている。
光源は祭壇の上に存在していた。
「この子を傷つけると、貴方はそう言いました。ならばもはや、容赦はしません」
凶風がステイルの赤毛をなびかせ、長身を吹き飛ばさんばかりに猛威を振るう。
風上は祭壇の上だった。
ころ
「貴方を破壊します。貴方を破壊して、私はこの子を守る。それが、私の使命だから」
流麗な銀に空の青を足したような薄光が、女の全身を膜のように包んでいる。
瞳の中の陣と同じ色の赤翼が、女の四肢に絡みついて二度三度と羽ばたいた。
「面白い、やってみろ」
「その強腰、三度目にも関わらずまだ解っていないのですか。知らないのならば教授して
さしあげましょう。これは世の摂理です」
そこにいたのは人智を超えた魔術師たちの、さらに遥か天上に君臨する、正真正銘の怪物
だった。
あなた わたし
「魔術師では、魔神に勝てません」
- 870 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/16(金) 22:34:24.84 ID:rHzvExoD0
「……ははっ」
しかしそれでも、ステイルは笑った。
ヨハネのペン
「いいさ、『自動書記』」 (いいさ、『 』)
ぼ く きみ
「魔術師が魔神に勝てないって言うのなら」 (僕が君に不幸にされるって言うのなら)
ルール ぜつぼう
「まずはその、ふざけた幻想を」 (まずはその、ふざけた幻想を)
勝機など塵の一片も見出せぬはずの『魔女』に向かって、不敵に笑った。
「灰も残さず、焼き尽すッ!!」
- 871 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/16(金) 22:36:10.03 ID:rHzvExoD0
さあ、魔女狩りの時間だ。
Last Chapter Passage11
ビブリオクラズム
――――と あ る 神 父 の 魔 女 狩 り――――
END
- 881 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/18(日) 20:33:08.40 ID:gSgBQqZ70
――Passage12――
万物の根源は、永遠に生きる火である。
――――哲学者 ヘラクレイトス
- 882 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/18(日) 20:34:01.54 ID:gSgBQqZ70
地上で最も気に食わない翠玉に融けこんだ朱色を見据えて、ステイルは乾いた唇を舐めた。
『自動書記』の――――インデックスの肉体はわずかに宙に浮き、両腕は開いて軽く後ろ
に逸らされている。
ゴルゴタの丘の救世主よろしく、十字架に磔られたかのような神々しい姿。
微笑みながら見下ろしてくる、聖者が背負ったステンドグラスの聖母の存在はいったい
なんの皮肉なのだろう。
懐に忍ばせたルーンの貯蔵量を確かめながら、ステイルはそんな益体もない感慨にしばし
ふけっていた。
「本気で魔神(わたし)に勝てるなどと、そんな幻想を抱いているのですか」
言の葉一つとっても人一人を殺しかねない威圧感を纏って、魔神はそう唄う。
対する一介の魔術師にすぎない男は、不敵な笑みを引っ込めようとはしなかった。
「逆に聞くが。この僕が勝算無き闘いに身を投げ出すような愚者だと、本気でそう思って
いるのか?」
獰猛な獅子と化したステイル=マグヌスは、牙を剥き出しにして哮る。
「図に乗るなよ、たかが魔神風情が」
- 883 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/18(日) 20:35:37.77 ID:gSgBQqZ70
「僕はほんの二週間前、学園都市で桁外れの『力』に遭遇したばかりだからね。あんな
論外の化物と交えた一戦の熾烈さに較べれば、いわんや君程度、といったところかな」
「……二人の『フィアンマ』の間で逃げ惑っていた男が、なにを偉そうに」
「ほう、否定はしないんだな。奴の『腕』の方が君より上だった、という僕の見積もり
も捨てたものではないらしい」
「貴方が私に勝てない、という現実には些かも影響しません」
『右方のフィアンマ』が見せた『融合』の脅威は、『禁書目録』にもしかと記録されて
いるようだ、とステイルは思った。
青春のすべてを魔術の闇に、そしてたった一人の少女に捧げたステイルが身をもって体験
してきた中でも、長年最高峰に位置していた『自動書記』から頂点を奪い去ったのがあの
『振らない腕』だった。
「あの日の貴方はいかにも二流魔術師らしく、援護に徹することで限界だったでしょう。
それがこの二週間で何か変わったとでも?」
ステイルは女に向かって肩を竦める。
『自動書記』は男の相貌の裏に焦燥も自棄も発見できなかったらしく、眉をひそめた。
「……まあ、貴方がなにをしようと誤差の範疇です。神に祈る時間は差し上げましょう」
女の頭上に異界の力が収束を始める。
曲がりなりにもインデックスの愛した男である。
『自動書記』はせめて一撃で、痛みも感じぬ間に黄泉へ送ってやろうと決意した。
- 884 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/18(日) 20:38:53.71 ID:gSgBQqZ70
「一千万」
その時男が、己を幾千回だろうと黄泉路へと送れる圧倒的な力を前に涼しげに呟いた。
「なんですか、それは」
「愚にもつかない凡人の、十年間の努力の結晶だよ、天才」
ステイル=マグヌスは凡才である。
ごく普通の、通り一遍の。
そんな枕詞のとてもよく似合う、平平凡凡な魔術師である。
魔術師の戦闘には事前準備が必須だ。
ゆえに準備は念入りに行わなければならない。
「僕がこの十年で、ロンドンに配置したルーンの枚数、さ」
- 885 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/18(日) 20:41:10.26 ID:gSgBQqZ70
「……虚仮、脅しです」
「さて、それはどうかな。知っているだろう、この街全体が僕の陣地だとね」
ステイル=マグヌスはイギリス清教最大主教の護衛である。
インデックスを命を懸けて守るのが義務である。
ゆえに。
「『この街で、彼女を守るために闘うとき』。ステイル=マグヌスは、その条件下では
この世の誰にも負けてはならない。それだけの話さ」
そしてステイルはインデックスを愛している。
ずっとずっと彼女の傍で、その愛おしいあたたかさをいつまでも守って生きていきたい。
ゆえにステイル=マグヌスの『仮想敵』は、第三世界でも神の右席でも超能力者でも、
上条当麻でもなく――――
きみ
「僕の本命は、ずっとずっと『自動書記』だった」
いつかは彼女を越えなければならないと思っていた。
ロンドンを守護する 防衛システムに『守護神』と名付けたのも、彼女への密かな対抗心
が胸の内にあったからだ。
あの術式の命名は、インデックスを守護する防衛システムたる『魔神』に見劣りしない
実力を必ずや掴んで見せるのだという、たった一人の仮想敵に向けた所信表明だった。
- 886 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/18(日) 20:42:26.73 ID:gSgBQqZ70
「分かるかい? 僕はこの十年間、ひたすら君に勝つ方法だけを考えて生きてきた男だ」
決まりきったことだ。
ステイル=マグヌスではインデックスには勝てない。
一度目は横槍。
『行けッ、能力者ぁ!!』
二度目は時間稼ぎ。
『その間にあの忌々しい男が片を付ければ、それで僕たちの勝ちだ』
しかし三度目の今回、横槍を入れている間に突撃してくれる主人公など、時間を稼いでいる
間に黒幕を殴り飛ばしてくれる主人公など、どこを探してもいない。
せいぜいが主人公が必殺技を放つまでの場繋ぎ、程度のキャラクターでしかないステイル
にヒーローの真似事などできはしない。
決まりきったことだ。
決まりきったこと、だが――――
「知ったことか、そんな摂理など」
- 887 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/18(日) 20:43:36.70 ID:gSgBQqZ70
『魔女狩りの王』は十一年前、とっさに展開した一万枚程度のパワーソースで『竜王の殺息』
と拮抗した実績がある。
それが一千万。
単純計算で、千倍の出力をもって顕現する。
「君を相手に小細工が通用しないことは二度の対戦で学習した」
魔術戦闘の基本たる術式の背景伝承の読み合いやトリックの看破も、この魔神相手では
まるで意味を成さない。
さらに悪いことに、ステイルの『魔女狩りの王』は最適のカウンター術式を、初戦でとっく
に構築されているというオマケ付きだ。
しかしステイル=マグヌスは魔術師だ。
魔術とは本来力なき弱者のための知恵だ。
ピンチになったら眠っていた真の力が目覚めて形勢逆転、なんて奇跡はまかり間違っても
期待してはならない、凡人のための技術だ。
プロの魔術師たるもの、勝利のためのピースは常に確固たる根拠を伴って、自分の脳の中
から引っ張り出さねばならないものなのである。
「悪いが、ごり押すよ。対抗術式など練る暇も与えない。圧倒的な物量で一撃必殺、
君の魔力を削り切る」
北欧神話の主神オーディンに土下座するべきなのかもしれない。
ルーンの使い手の風上にも置けぬ、無粋で不細工、失笑ものの運用方法である。
だがステイルは、インデックスを守るためなら手段を選ばない男だ。
だからこそ、この場にたった一人で立っているのだから。
- 888 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/18(日) 20:44:30.91 ID:gSgBQqZ70
「正気の沙汰とは思えません」
学園都市で十万枚規模のイノケンティウスを発動しただけでも、ステイルは魔力を半分
以上持っていかれた。
それが一千万。
単純計算で百倍の消費量をもってステイルの魔力を、ひいてはその源である生命力を削る。
「貴方はそうやってまた、自分の命を蔑ろにする気ですか。貴方がこうも無謀で、己が
力量を弁えない考えなしだからインデックスが苦しんでいるのだと、まだ理解でき」
「死なない、と言っているだろう。ぴーちくぱーちく、しつこい女だな君も」
「なっ」
「絶対に死なないよ、僕は。そもそもこの闘いは、僕にとってはまたとない“証明”の
チャンスでもあるんだからな」
「…………証明?」
「『死なない』証明に決まっているだろう? デカルトへの挑戦さ」
歴然たる殺意とともに襲いかかってくる一〇三〇〇〇の力の奔流を前にしてなおも二本の
脚で立っていられるのなら、これ以上の『死なず』の証明はない。
その姿をインデックスに見せつける。
ステイル=マグヌスはどんな無鉄砲を犯そうが死なない人間なのだ、と。
「貴方は、狂っています。そのような、子供だましにすらなっていない理屈……」
女の唸り声は、冷笑で明後日の方向に受け流した。
- 889 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/18(日) 20:45:11.74 ID:gSgBQqZ70
「…………私は貴方とは違う」
火照って温度の上昇しつつあった声が、ステイルの嘲笑に冷やされたのか平静を取り繕う。
同時に、目に見えるような殺気が赤々と膨れ上がる。
「貴方の向こう見ずには付き合いかねます。私は貴方を殺すことで、貴方が間違っている
のだと証明する。記憶を消して、悲しみを忘れさせて、インデックスを救う」
どこ吹く風とばかりに、対峙者である黒衣の魔術師は腕を組んで深呼吸した。
もうしばらく、ステイルには時間が必要だった。
「……君は、どうして彼女が『首輪』を断頭台に選んだのか、よく考えたか?」
十一年の時を経て再び『魔神』の降臨する舞台と化した聖ジョージ大聖堂の、建材一つ
一つに至るまでが圧倒的な存在感に悲鳴を上げていた。
あちらこちらから走るみしりという軋みをすべて無視して、魔神は発話する。
「この期に及んで時間稼ぎとは感心しませんね。疾く、殺されなさい」
「これは重要なことだ。いいからご自慢の脳みそを回転させてみろ」
ステイルが提示した命題はこうだ。
“なぜ、インデックスは自殺の手段に『首輪』を選択したのか?”
- 890 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/18(日) 20:46:19.49 ID:gSgBQqZ70
「回りくどい、と思わないかい? 自殺する手立てなんて他にいくらでもある」
高所から飛び降りるなり、本当に首を括るなり、ナイフで胴を突き刺すなり。
人が自殺するのにいちいち大層な魔術を費やさなければ死ねないというのならば、今日日
先進国を悩ます自殺問題はぐっと緩和されるはずだ。
「それは……この子にとって最も手近な道具が、魔術だったからです」
「それにしたってわざわざ構築に手間のかかる霊装魔術を選ぶことはないだろう。
しかも発動までは、二時間近い猶予があるんだぞ」
「何を言いたいのですか」
「本当は君もとっくにご存じなんだろう。優秀な頭脳をお持ちでいらっしゃるんだからな」
『首輪』の構築から発動までの二時間は、インデックスが黄泉路を踏み越えてしまうまで
のタイムリミットなどではない。
「この長いようで短い空白は、彼女が僕たちに与えた猶予時間なんだよ」
ステイルは外套の内ポケットからルーンを抜いて構えるついでに、もう片方の手で懐中時計
を開いて女に見せつけた。
『自動書記』が断言した発動時刻まで、残り一時間と十五分。
「彼女は」
“もう一時間しかない”のではない。
- 891 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/18(日) 20:47:23.47 ID:gSgBQqZ70
「僕たちに、助けてもらいたがっている。救いを求めている」
インデックスが二人に与えたロスタイムは、“あと一時間もある”のだ。
「……貴方の独りよがりな解釈で、この子の真意を、苦痛を歪曲するな」
怒りを押し殺しながら唸る女は、果たして己が振り回す槍の切先が、何処を向いているのか
しかと把握しているのだろうか。
ステイルはここ数週間縁を断っている紫煙を吐くかのごとく、細く溜め息をついた。
「仮にこの子が救いを欲しがっているのだとしても、それは私が為そうとしている『失敗』
――――記憶の消去に違いありません! 忘れてしまえば辛い思いもせずに済む。貴方の
ようなくだらない男のことなど忘れて優しく、穏やかで、平凡な日常に戻れる!」
確かに可能性は否定できない。
その行動原理は、この長い夜の序幕を務めたステイルと錬金術師の対話の中で、
アウレオルスが語った十一年前の『三沢塾』での真実を模倣したものである。
インデックスは自らが原因となって破滅した男と同じ末路を辿ることで、贖罪をも
こなした気にでもなっているのかもしれない。
可能性は、否定できない。
それは確かだ。
「だがそれだって、君の独りよがりな空想でないという証拠がどこかにあるのか?」
- 892 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/18(日) 20:49:39.87 ID:gSgBQqZ70
「――――私は、貴方とは違うッ!!」
一分前と判で押したように同じ言葉が、まったく違う表情から吐き出された。
手応えあり。
ステイルは内心でにんまりと笑った。
「私は何年も何年もこの子の隣で、中で、この子の懊悩と向き合ってきた!
私がインデックスの真意を読み違えるなど」
「だが、君は失敗しただろう」
「……っ、ぅ」
「何年彼女のよき隣人であったかは知らないが、とどのつまり君は彼女が選択した『死』
を翻意させられなかったんだろう。そんな女の言うことをどうして信用できるというんだ」
女は口を噤む。
赤い翼が、魔力の滞留以外の原因で細かく震え出した。
「これで僕の仮説を、頭ごなしに否定することはできなくなったな……そして君は、
それでも彼女に身体を返して、僕と対話させる気はないと見なして構わないな?」
論戦に勝利した男は、紅潮した女の頬を微笑ましげに見つめながら勝利報酬の受け取り
を拒否した。
敗者は赤と緑の混じった瞳にさらに一色、疑念の色を差してこう投げかける。
「………………本当に、貴方は何が言いたいのです?」
- 893 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/18(日) 20:50:41.61 ID:gSgBQqZ70
人並みの感情に覚醒した『自動書記』のメンタルを揺さぶるため――――かと思いきや、
男の表情はどこか女を諭すようでもあった。
それは純粋な疑問だった。
憎悪と嫉妬だけを神父に激突させてきた『自動書記』が、はじめてステイル=マグヌスという
一個の人間に抱いた興味だった、と換言してもいい。
「……哀しいな、と思ってね」
宣戦を告げたその口で、ステイルは短くひとりごちた。
「僕と君と。守りたいものは、同じなのに」
闘いは、避けられない。
『自動書記』は、ステイルから目線を逸らしたまま応じる。
「……それは、仕方がないのでしょう。私と貴方では」
欲しいものが、違うのだから。
『自動書記』はインデックスの命さえ守れればそれでよかった。
ステイルはインデックスの命を失う可能性を天秤にかけてでも、彼女の全てが欲しかった。
単純にして、決定的な差異だったが――――
- 894 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/18(日) 20:51:45.78 ID:gSgBQqZ70
「それだけじゃあないと、僕はそう思う。そもそも僕がこんな与太話を始めたのは、君と
僕が殺し合う理由が、君の中で無駄に肥え太っていると感じたからさ」
「!」
インデックスは死を願った一方、心のどこかで生を渇望している。
ステイルは確信していたが、その主張は自分の中で揺るぎないものであれば良いので
あって、『自動書記』に押しつけることに本来さしたる意味はない。
ただ、ステイルは眼前の女に伝えたかっただけだった。
「僕たちが闘う理由は、世界にとって重要でも崇高でも高尚でもない、とても…………
とてもくだらない理由なんだよ」
ステイルの闘う理由は単純だ。
“インデックスを救いたい”。
そしてもう一つ。
「僕が世界で一番気に食わない男は『上条当麻』で、二番目も上条当麻なんだが。女となると、
君とローラ=スチュアートで甲乙つけ難い……という程度には僕は君が嫌いだ」
ステイルは軽薄な口調でもう一つの理由を告げた。
十八番の嫌味ったらしい薄ら笑いを浮かべて、なるたけ腹立たしく見えるように。
- 895 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/18(日) 20:52:38.24 ID:gSgBQqZ70
「さあ、君はどうなんだ?」
『自動書記』の闘う理由は明白だ。
“インデックスを救いたい”。
「…………私は、私の……」
そして、もう一つ。
「……私の心はこんなにこの子の近くにあるのに、身体には指一本触れてあげられない」
ステイルは一層笑みを深めて、女の後に続く。
「僕の体はこんなに彼女の近くにあるのに、どう抱き締めてもその心まで届かない」
これから殺し合う二人の呼吸が共鳴する。
第三者が観戦していたなら驚愕に色をなしたであろう。
二人は同時に、息を吸い、吐いて、唇の形を整えて――――
- 896 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/18(日) 20:53:27.61 ID:gSgBQqZ70
「貴方が、妬ましかった」 「君が、憎かったよ」
要するに、二人が闘う理由はそれだけのことだった。
だからきっと、この激突は必然だった。
「……感謝は、しません。貴方が一撃で勝利を奪うと言うのならば、私は一撃で、
貴方の命を刈り取ります」
『自動書記』の勝利条件は、ステイルを殺すこと。
「感謝とか止めてくれ、首を吊りたくなる。何度でも、世界に向けて宣言したって
いいが…………僕は死なない」
対してステイルの勝利条件は、死なないこと。
なんとも漠然とした勝ち負けの基準だが、ステイルにはそれで十分だった。
- 897 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/18(日) 20:55:28.81 ID:gSgBQqZ70
「宣戦、第一章第一節。敵対者ステイル=マグヌスの全術式パターンを予測、開始」
“そこ”に、確かに守るものがあるのだから。
「世界を構築する三大元素の一つ、偉大なる始まりの炎よ」
対峙する二つの赤い魔力が、聖ジョージの名を冠する聖域を真紅に染める。
聖堂を震わせていた微振は、いまやロンドン全域を飲み込んでいるのではないだろうか。
ステイルはズボンのポケットに仕舞いこんだ最後の『証拠』を、人指し指の腹で軽く撫ぜた。
七月二十八日まで残すところあと十分。
誰も教えてくれなかった夢をその手に掴むため。
大人になったかつての少年の。
(必ず、君に届けるよ)
――――最後の挑戦が、始まった。
- 904 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/19(月) 22:46:13.30 ID:U2VRQ+/e0
「宣戦、第一章第一節。敵対者ステイル=マグヌスの全術式を予測開始」
霧の都を覆うルーンの砦の後押しを受け、爆発的な出力を得る『魔女狩りの王』。
その発動に対して、特定魔術(ローカルウェポン)による迎撃を間に合わせることが
できるか。
あるいは、撃たせる前に殺すことができるか。
死闘の争点はそこにあると、『自動書記』は早々と見当を付けた。
「――――――――――――――――――大なる始まりの炎よ」
聖堂のみならずロンドン全体に波及しつつある大地の震え。
雑音に混じってかすかに聴こえた詠唱は、敵手も同様の焦点に戦闘の帰結を委ねた
なによりの証拠だった。
ステイル=マグヌスは、初手から渾身の切り札を抜く気だ。
(一千万枚のルーン。真実ならば、流石に分が悪いと判断せざるを得ませんね。
…………まあ、それも)
――――完全無欠の詠唱が伴えば、の話だが。
「シミュレート完了。逆算開始、残り二秒」
意識を魔道書の海へと投げ出す。
『禁書目録』内を検索、該当原典発見、記述抽出、形式変換、術式統合、最適魔術生成。
この間一秒。
「第二三章第三四節。攻撃術式、発動準備完了。命名――」
- 905 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/19(月) 22:47:02.53 ID:U2VRQ+/e0
アフェス アイ ティース
父よ、彼らの罪を許したまえ
- 906 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/19(月) 22:47:55.68 ID:U2VRQ+/e0
閃光。
光の洪水。
『自動書記』の全身から走った稲光が大質量を帯びたかのように、延びた先で次々と
大聖堂を破壊して跳ねる。
瓦礫がそこかしこから降りそそいだ。
光の氾濫はやがて、黒衣の魔術師を前後左右から取り囲むように円陣を形成。
そして、『対象』を抹殺するべく刹那で収束した。
しかし、空振り。
石くれを投じた水面のごとく、ゆらゆらと歪む長身。
蜃気楼。
ステイル=マグヌスが戦局をリセットする際に使用する常套手段である。
「無駄です。追加術式発動」
ラー ウィ ダシン ティ ポイーシン
彼らは己が為すところを自覚していないのだから
白い煌めきが一点に集中して生じた光球に、『自動書記』が掌をかざし、握る。
力が弾け飛び――――――三六〇度、拡散した。
「が、ッ!?」
- 907 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/19(月) 22:49:48.41 ID:U2VRQ+/e0
ステイルの“居た”座標の周囲に大量に並んでいた長椅子が、ことごとく木端と化す。
聖堂の中心でホワイトホールでも発生したように、すべてが外周に向かって吹っ飛ぶ。
大量の木片が飛散した方向からくぐもった呻きが聴こえてきた。
そして激突音、やや遅れて土煙が上がる。
『自動書記』は過去にステイルと交えた二戦において、逐一彼の魔術を視認してから
対抗策を練っていた。
だがあれは『術式』としての自意識しか有していなかった『自動書記』だ。
インデックスを守るという、確たる自我に目覚めた自分とは違う。
ステイルが何をするのかなど“後出し”せずとも読み切れる。
(直撃は避けましたか、抜け目のない)
初撃を蜃気楼で逸らし、第二波が来ても障害物との延長線上に陣取ることで直撃を免れる。
亜音速で飛来した木屑に相当なダメージを負っただろうが、光の直射を浴びていれば
その程度では決して済まなかったはずだ。
空間を束の間、ほとばしる力場が発する異音が支配した。
詠唱を中断させることには成功したらしい。
とは言え油断はできなかった。
ステイルは、悲鳴を上げなかったからだ。
術式を発動する際、最重要となるポイントを世の魔術師に尋ねたとする。
十中八九『コマンド』と回答が返ってくるであろう。
無論術式を動かす燃料である魔力とて大きな役割を果たすことには違いないのだが、
駆動系統に不備があっては車は走らない。
その点燃料はかつて一大ムーブメントを巻き起こしたエコカーよろしく、代替となる
エネルギーをよそから調達可能だ。
- 908 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/19(月) 22:51:01.70 ID:U2VRQ+/e0
ステイル=マグヌスの“切り札”のコマンドは魔法陣の配置プラス詠唱、という
オーソドックスな二つのプロセスから成り立っている。
ルーンの配置は事前にほぼ完了されている以上、『自動書記』が妨害すべきは詠唱だ。
(異音をコマンドの間に割り込ませる試みは、失敗したようです)
扱いに細心の注意を要する魔力注入とは異なり、コマンドはただただ正確に再現さえ
されればそれで意味をなす。
逆に言えば、「ABCDEFG」という詠唱の内側のどこかで、「Z」という異分子を術者本人
に挟み込ませればたったそれだけで妨害は可能なのだ。
平たく言えば『豚のような悲鳴を上げろ』と、そういうことである。
「それは、生命を育む、恵みの光にして」
しかしステイルは土埃の晴れたその先で仁王立ちし、詠唱を再開した。
男のしぶとさを目の当たりにし、苛立ちに奥歯を擦り合わせる。
あわよくば初撃で勝負を決め、悪くとも詠唱を失敗に終わらせ、最悪でも中断に追い込む。
三段構えの仮想のもとに放たれた術式は、しかし最低限の目標しか果たせていない。
強敵との邂逅に際する爽快感など、『自動書記』には存在しない感情であった。
- 909 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/19(月) 22:51:57.13 ID:U2VRQ+/e0
----------------------------------------------------------------
「始まったな」
造り物の日輪に眩しげに目を細めてから、スクリーンの向こう側で繰り広げられる死闘を
指してアレイスターは言った。
「インデックス、ステイル……」
ローラはインデックスの動機(ぜつぼう)を知って、左胸を一度だけ強く握りしめた。
さりとて苦痛は面に出さず、二人の闘いを一秒たりとも見逃すまいと目を凝らす。
ステイルの勝機は薄い――――というのは、相当に婉曲した表現だ。
率直に言ってしまえば、ステイルごときがローラとアレイスターの叡智の結晶たる
『禁書目録』、あるいは『魔女白書』に勝てる道理などありはしない。
「ただ眺めるだけ、というのも慣れたものだが……どうだ。ここらで一つ、『自動書記』
とステイル=マグヌス、どちらが勝者となるか賭けないか」
「一人でやって御破算なさい」
「これは手厳しい」
しかしローラは知っている。
陣地の内か外かなど本当は些細な問題だ。
ステイルの底力を左右するのは、いつだってインデックスの存在ただ一つである。
『インデックスを守る』、その条件下で闘うステイル=マグヌスは、卑に屈することも
卑に劣ることも辞さない。
- 910 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/19(月) 22:52:36.42 ID:U2VRQ+/e0
「残念ながら、貴様の思い通りにはならないでしょうね。ステイルは確実な勝算のもとで
闘っているはずよ」
その声がごく僅かに誇らしげな色を帯びていたことに、ローラは自認しない。
アレイスターは娘の表情を一瞥して、白々しく嘆息した。
「では君は、ステイル=マグヌスの大金星に賭けると。これは困ったな」
「チップ一枚たりとも賭けた覚えはないと言っているでしょう。景品にインデックスの
眼前でドゲザとやらをするのなら考えなくもないけれど……ああ、支払いができない
という意味かしら、一文無しの電来坊さん?」
思い切り鼻を鳴らして哂う魔女。
対する怪物は真面目くさって首を横に振ると、顎に手をやる。
「それでは、賭けが成立しない」
ローラの思考が一瞬停止する。
幾百の企てを生んだ頭脳が、次の六徳を刻む前にアレイスターの発言を吟味し終えた。
「…………貴様、それはつまり」
- 911 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/19(月) 22:53:02.60 ID:U2VRQ+/e0
「私も、ステイル=マグヌスの勝利に張りたいのだが」
- 912 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/19(月) 22:54:19.69 ID:U2VRQ+/e0
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間接的な詠唱妨害は失敗に終わった。
状況はやや困難の度合いを深めるが、ならば直接的に詠唱に割り込ませてもらう。
そう決断した『自動書記』は唇を上下に開き、
「――――――!」
すぐさま口を噤んだ。
バケツを引っ繰り返したような灼熱の豪雨が落ちてくる。
高大な聖堂の天井壁画に届かんばかりの赤い壁が迫る。
微振動などではなく、地面がぐらりと揺れた。
床板が“下から”弾ける。
噴出するは摂氏二〇〇〇度を超える高温で融点を超えた母なる大地。
(まさか地中にまで予めルーンを……予測修正開始)
世界で最も簡素な魔術儀式とは“触る”ことだ。
触るだけで発動するルーンを、ステイルはロンドンの隅から隅まで至るところに
――――当然この聖ジョージ大聖堂にも配置している、ということらしい。
『自動書記』が手立てを講じるまでもなく損傷はゼロ。
それもそのはず、彼女には『歩く教会』という最強の鎧があるのだから。
ステイルの通常魔術程度で破れる代物なら、十二年前の追いかけっこは成立していない。
その時ふと、『自動書記』は思い及んだ。
“『歩く教会』を脱いでしまえば、ステイルは攻撃を中止するのではないか?”
- 913 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/19(月) 22:55:06.01 ID:U2VRQ+/e0
ステイルの目的はインデックスを殺すことではない。
自分を倒すことだ。
ならばこの肉体を包む鎧を脱ぎ捨てて無防備な姿を晒すことこそが、神父に対する最善手
なのでは――――
(っ、却下です、そんなもの)
滾る溶岩から立ちのぼる蒸気にも涼しい顔を崩さず、しかし『自動書記』は激しくかぶり
を振った。
ステイルがよりにもよってインデックスを殺すような真似をするわけがない。
そんな先入観に凝り固まるということは、目の前の愚かな男に彼女を委ねるも同然である。
ことインデックスに関しては、『自動書記』がステイル=マグヌスという男に信頼を寄せ
てしまっている証左にすらなりかねない。
「――――――裁き――光――――」
見ろ、こんな無意味な思索に惑っているうちにも、敵は着々と詠唱を進めている。
意識を切り替えなければ。
『自動書記』にとって目下最大の懸念は、たぎる融解土が大気を著しく熱して、視界を
満足に確保できないことである。
これでは敵の動きを封じるための、とある最適手が打てない。
「第二三章第四三節。結界術式構築、即時発動。命名――」
であれば、パターンを変更するまで。
- 914 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/19(月) 22:55:52.40 ID:U2VRQ+/e0
エシ エン トゥ パラディソ
汝は今日、私と共に楽園に
- 915 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/19(月) 22:57:06.85 ID:U2VRQ+/e0
-----------------------------------------------------------------
「『守るために傷付ける覚悟』というのは、そこまで愚かしいものなのだろうか?」
唐突な議題の提示は、正位置で宙を漂う男の口から重々しくなされた。
「私はこの三年間、『インデックス』より寧ろステイル=マグヌスにこそ注視していた。
そして発見したのだが…………彼は大多数の者に対して高圧的な態度を取るわりには、
相当に自己評価が低い。この傾向は上条当麻や一方通行ら『成功した者』が相手だと、
特に顕著だ」
ローラは返答をしない代わりに、否定もしなかった。
確かにステイルは己を、所詮は一度『失敗』した愚者だと卑下している節がある。
インデックスと長年相思相愛でありながらここまで話がこじれたのも、その性質と無関係
ではないかもしれない。
毎年のように襲い来る記憶消去の苦痛を少しでも和らげたくて、立ち位置を『パートナー』
から『追跡者』へと変えた。
そうやってインデックスの心に深い孤独を刻み込んだ男が、いまさらどの面下げて。
ステイルはこの六年間、延々と己を苛んでいた。
「そう、一度敵に回ってしまったという負い目は彼の中で決して低い比重の瑕疵ではない。
しかし、考えてもみろ。彼女には――――『無限の愛』があったのだ」
ローラはアレイスターの鋭い指摘に、瞳孔を猛禽類のごとく細めた。
インデックスの尊い慈愛に直接触れてしまった者が、彼女の敵に回るなどあり得ない。
それはローラ自身、その魂で体験していることだった。
- 916 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/19(月) 22:58:18.98 ID:U2VRQ+/e0
「ステイル=マグヌスの、『守るために傷付ける覚悟』。衆愚はそれを偽善だとか逃避
だとか蔑視するのかもしれないが、私にとっては垂涎の珠玉だった。既成のシステム
を、絶望から生まれたエネルギーで打ち破った素晴らしき青年」
「“打ち破った”、ね」
『失敗者』に対してはあまりに皮肉な物言いだ。
ステイルが聞けば、それこそ天に唾するだろう。
「彼自身は自分を失敗者と蔑み、上条当麻やアウレオルス=イザードよりも下に置いて
見ているようだが、とんでもない。ステイル=マグヌスこそ、私からすれば余程稀有な
存在ではないか。『魔女白書』の無限の愛をしかと理解しておきながら、なおも彼女の
ためを想って敵対の道を選ぶなど、上条当麻にすらなし得なかった偉業ではないか。
全ての『プラン』が潰え、『幻想殺し』に打ち砕かれたあの七月二十八日。『幻想殺し』
の隣に佇んでいた『魔女白書』の姿を、魂を目の当たりにして――――私はようやく、
その異常性を悟った」
長々とした演説をうんざりとした思いで聞き流そうとして、しかしローラは失敗した。
看過するには重要すぎる因子が数多、いまの長ったらしい口上には散りばめられていた。
情報の総合にそう時間はかからなかった。
ローラはいよいよクライマックスを迎えようとしている銀幕を振り返る。
- 917 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/19(月) 22:59:33.66 ID:U2VRQ+/e0
「いけない、ステイル」
だが映画のキャストに観客の声は届かない。
いやあるいは、ローラこそがフィルムの中の住人なのか。
「ややもすると彼こそが――――『ホルス』を完結させるための、最後のピースに
なるかもしれない」
もう一人の観客は、手に汗握る“未知の結末”に心を躍らせて笑った。
- 918 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/19(月) 23:00:30.91 ID:U2VRQ+/e0
-------------------------------------------------------------------
直径五メートルほどの光のヴェールが愛しい女性の全身を、『歩く教会』のさらに上
から包みこんでいた。
ステイルの炎はすべて、月光のごとく儚いカーテンに触れて消散していた。
「………………っ、ぅ」
戦闘開始から実質、まだ一分程度しか経過していない。
ステイルは額の汗をぬぐう暇も惜しく、設置型魔術の発動によって稼げる時間と詠唱を
続行するための間隙とを天秤にかけて、必死に計算を巡らせていた。
『魔女狩りの王』発動まで、最速で残り二十秒。
それ以上は『自動書記』の苛烈な妨害により望みようがなかった。
「それは……穏やかな、幸福を満たす…………と、同時……」
『自動書記』の戦闘スタイルは、究極のカウンターパンチャー“だった”。
対峙した敵の放つ魔術を確認し、その構造や元となった伝承を看破して対抗策を練るのは
頭脳労働たる魔術戦の基本にして醍醐味、とでも呼ぶべきものである。
そして『禁書目録』は、覆い隠された仕掛けを看破する天才だ。
唯一その対魔術能力に無理矢理ケチをつけるとすれば、『後出し』しかできないことだろうか。
相手の出した手を瞬時に見極め、間髪入れずに『図書館』から最適なカウンターを選択する。
さらに恐ろしいことには、最善手がなければ己が手で新たな魔術を創ってしまう。
しかしどこまでいこうと後出しは後出し。
所詮は予め定められたプログラムに従う術式にすぎない『自動書記』に、科学でいう
ところの人工知能のような『先読み』はできない――――はずだった。
- 919 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/19(月) 23:01:28.99 ID:U2VRQ+/e0
だがステイルはすでに知っている。
彼女が、『自動書記』がリリスという名のれっきとした人間であると。
轟!!
背を付いた壁に後ろ手で触れ、ステルス化していたルーンから無詠唱で炎剣を産む。
そして、吶喊。
光の膜が現れた途端に冷え固まったマグマの直上を駆け抜ける。
「――――――――――ァッ!」
声にならない声――正確には、声に出してはいけない喚声――を上げて、ステイルは
『自動書記』に向かって赤熱する大蛇を振りかぶった。
今まで頑なに中距離を保ってきたというのに、相手が防御を固めるのをわざわざ待って
から突然のクロスレンジ移行。
『自動書記』が単なる術式にすぎないのなら、こんな予想外の事態には対処不可能
「愚か者」
女は無表情にステイルを見下ろしていた。
と同時に、女の辺縁で渦巻く『楽園』が激しく輝く。
あっけなく弾かれた炎の巨柱が天蓋を抉る。
衝撃に体勢を崩した。
宙を仰いだステイルの視界に、一秒前まで天井だった大量の落下物。
- 920 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/19(月) 23:02:23.91 ID:U2VRQ+/e0
「っ!!」
一切躊躇わずに手持ちのルーンを小爆破、反動で後方に跳ねる。
胸部に多少の火傷は負ったが、『腹に背は代えられない』とはまさにこのことだろう。
(…………読んでいたのか、この状況を?)
『自動書記』の完璧かつ精密な魔術殺し(アンチマジックプログラム)に加えて、
リリスの柔軟な思考能力、そしてインデックスを守るという確固たる意思の力。
過去の二戦も絶望的な戦況ではあったが、今回は輪を二つ三つかけて最悪の二乗だった。
(はは)
乾いた笑いを声にはならぬよう漏らす。
相変わらず『自動書記』は窮地にある敵手を、しつこい羽虫を見る目で見下していた。
その時、はらりと一枚のカードが後退するステイルの懐から落ちた。
女のとり澄ました瞳が軽く見開かれる。
次の瞬間がらがらと降りそそぐ瓦礫の山。
ステイルが去り際に残していった置き土産は、正確な内容を『自動書記』の網膜に、
そして脳裏に焼き付けることなく石くれの底に埋もれてしまった。
(流石だな。陣地を広げることで僕にが被るデメリットを、この上なく正確に把握
していたらしい)
- 921 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/19(月) 23:03:30.69 ID:U2VRQ+/e0
そもそもステイルが空間限定の『強者』にしかなれないのは、ルーンから供給される魔力
の収束は、陣地が狭ければ狭いほど容易いものになるがゆえである。
一都市を覆うほどの砦に『魔女狩りの王』を出現させようとすれば必然、収束基点が必要
になり――――それこそがつい先刻の突撃の、真に意味するところだ。
これでイノケンティウスは自分と『自動書記』を結ぶ直線状、さらに言えば彼女の目前で
空前絶後の力を振るうべく示現する。
切り札を抜くための下準備はすべて整った。
人差し指を立て、『自動書記』に向けて軽く振る。
ステイルは諦めて笑ったのではなかった。
人格と自我を確立し、より完全な魔術師殺しへと進化した『禁書目録』。
だがステイルの勝機はまさしく“そこ”にこそあった。
男の表情を染めるのは、勝利を確信した者の笑みだった。
「……私も、小細工に堕するのは止めましょう。真正面から破壊してさしあげます」
『自動書記』の眼差しが、宿る冷酷な殺意を一段と強める。
女の表情を染めるのは、敗北してはならない者の悲壮だった。
「第一九章第二六節。連携強化魔術生成、構築、変換、発動。命名――」
連携強化魔術。
聞き慣れない単語に、しかしステイルは直感で判断を下す。
――――ここが勝負の分かれ目だ。
- 922 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/19(月) 23:04:50.73 ID:U2VRQ+/e0
キナイ イデ オ イジョス ソイ
女性よ、そこにあなたの子がいます
- 923 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/19(月) 23:05:48.06 ID:U2VRQ+/e0
女のエメラルドに刻まれた紋様に連動して、巨大な魔陣が展開された。
同時に比喩でもなんでもなく、空間に名刀の斬り口のような裂け目が入る。
裂け目の向こう側を覗きこんでしまった者は、おそらく永遠に“こちら”には帰って
これないのだろう、とステイルは理由もない寒気に襲われた。
「展開、完了」
それは紛れもなく、過去二度の対戦で彼女が披露した『聖ジョージの領域』だった。
加えて強化魔術の名に違わず、出力が十一年前とは段違いに上がっている。
ここから繰り出される魔術こそが、『自動書記』の切り札だ。
(上等だ、ここで決着をつけてやる)
こちらの仕込みも完成した。
この上は計算もクソもない。
役立たずの肺に絞られた途切れ途切れの呼吸で、いかに速く詠唱を完了させるか。
「続けて第二七章第二四節。最終術式、構成精査開始。完全発動まで」
(『魔女狩りの王』発動まで……!)
ただ、それだけの勝負だ。
- 924 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/19(月) 23:06:24.80 ID:U2VRQ+/e0
「――――残り十秒」
(――――残り六秒!)
- 929 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/21(水) 22:29:38.15 ID:y/CthCAG0
残り、十秒。
『竜王の殺息』に上乗せされる、『自動書記』のジョーカーが放たれるまでの時間。
それがまともに発動すればステイルの肉体は消し飛ぶ。
分子レベルまで分解され、文字通り塵一つ残らないだろう。
ステイルは後で知ったことだが、十一年前の『竜王の殺息』は神裂に逸らされた際、
軌道上の人工衛星を撃ち抜いていたという話だ。
つくづく馬鹿げた射程と破壊力である。
しかも今回はあの時と比較して、目算でも『聖ジョージの領域』が十倍近い規模に
達している。
威力の伸びが算術級数ではなく幾何級数だったら、などと考えたくもない。
だが同時に、残り六秒。
「冷たき闇を滅する」
ステイルの勝利を決定づける、『魔女狩りの王』顕現までの時間。
『自動書記』より四秒、先んじている。
そして四秒もあれば、十分すぎるほどに十分だった。
- 930 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/21(水) 22:30:09.61 ID:y/CthCAG0
残り、九秒。
地なりが収まらない。
数万の軍勢が行軍するような、大地の悲鳴が鳴り止まない。
どころか、ますますもって勢力を強めていく。
九秒後。
都市一つ、国一つを揺るがすほどのエネルギーがことごとく一人の男に叩きつけられる
未来を、恐怖に震える大多数の民草はいまだ知らない。
残り、五秒。
「凍える不幸なり」
ステイルの視線は、真正面の魔神に固定されていた。
大事だった少女。
裏切ってしまった女の子。
愛している人。
もうすぐだ。
もうすぐ、そこに行く。
- 931 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/21(水) 22:31:04.15 ID:y/CthCAG0
残り、八秒。
男女の中心点から遠くない座標で音が鳴った。
パチリ。
パチ、パチ。
バチッ!
一点に収束しつつある、異なる二つの力場のせめぎ合いの帰趨。
しかし殺し合う二人は気にも留めない。
喧しい耳鳴りではある。
が、科学の街の雷神様の怒りに較べればこの程度のねずみ花火、なにほどのこともない。
残り、四秒。
「その名は炎」
上条美琴にも夫を通じて話は伝わっているのだろう。
下手をすると、あの騒がしい二ヶ月間で新たに友誼を結んだその他大勢にまで事の経緯は
波及しているかもしれない。
そう言えばロンドンの同僚は、今ごろどんな心持ちでいるだろう。
特に神裂にはまたも歯痒い思いをさせてしまったに違いない。
一番に、彼女と共に頭を下げなければ。
だから、だから――――勝たなくてはならない。
- 932 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/21(水) 22:32:50.75 ID:y/CthCAG0
七秒。
七月も終わりだというのに、異様な冷気が崩落した天蓋から吹きつける。
先刻はステンドグラス越しに存在を主張していた月輪が、またも濃霧に隠れていた。
後光を失ったガラス造りの聖母が泣いていることに、殺し合う二人は気が付かない。
三秒。
「その役はつる、ぎ」
噛んだ。
新人アナウンサーでもあるまいし。
しっかりしないか、ステイル=マグヌス。
喉の中ほどの位置に異物感。
無視して歩を先に進める。
さらに先に。
コンマ一秒でも、先に!
- 933 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/21(水) 22:33:46.60 ID:y/CthCAG0
六秒。
天空から物理法則に従って降る、重苦しく凍える冷気。
地表を焦がし、融かし、大気を天高く跳ねあげる熱気。
衝突する二つの視線の谷間に、ぶつかりあって流れ込む。
爆風。
二人の衣服がたなびいて長髪が流れる。
だが面貌だけは微動だにしない。
最高潮を超えた対峙者たちの眼には、冷気も熱気も最早ない。
目の前の相手に勝てるか。
間に挟まれた女性を守れるか。
二人が見据えているのは、ただそれだけだった。
二。
「けん、っ、――――!!」
まずい。
こんな時に、相も変わらずポンコツ丸出しの肉体が牙を剥いた。
咳き込む。
手で押さえる。
しかし止まらない。
まずい、まずい、まずい――――!
- 934 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/21(水) 22:34:36.80 ID:y/CthCAG0
五。
ついに戦局に異変が発生した。
男が、ぎらつくような眼差しだけをそのままに勝利から遠ざかる。
女は何らアクションを起こさない。
無様に諸手など伸ばさずとも、自ずから勝利は我が手にやってくる、とばかりに。
二。
「~~~~~~~っ、っ!!」
手のひらに鮮やかな赤。
木片のシャワーを浴びた時に内臓を痛めたことは分かっていた。
急げ、馬鹿野郎。
クソッたれの喉が破れようとも構わないのだ。
声帯を震わせて、声を張り上げろ。
ここで追いつかれたら、亀に抜かれた兎どころの話ではない。
- 935 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/21(水) 22:35:31.78 ID:y/CthCAG0
四。
次元の裂け目から、どこか別世界の音が漏れ出す。
此処とは異なる場所の光が溢れ出す。
二。
「――――顕現、せよォッ!!!」
ステイルの時計が再び針を刻みはじめる。
その内部で、致命的な歯車(いのち)のズレを代償にしながら。
心臓が、ドクンと一声啼いた。
- 936 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/21(水) 22:36:05.23 ID:y/CthCAG0
三。
――――人の身では辿りつけぬ領域の、『力』が姿を現す。
一。
「我が身を喰らいて力と為せッ!!」
――――人の身で辿りつける世界の、『限界』が産声を上げる。
- 937 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/21(水) 22:37:00.33 ID:y/CthCAG0
零。
先ほどカードを配置した瓦礫の底の底を基点に、莫大な熱量が渦巻く。
炎が形を成す。
人の形を、魔人の形を成して、黒衣の神父に勝利を捧ぐ。
イノケン
「『魔女狩りの――――」
勝った。
間に合った。
『自動書記』のカウントは、まだ秒針二つ分残って――――
- 938 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/21(水) 22:37:45.27 ID:y/CthCAG0
零。
エリ エリ レマ サバクタニ
神よ、何故私を見捨てたのですか
夜の闇が、朱色に塗り替えられた。
- 939 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/21(水) 22:38:58.33 ID:y/CthCAG0
ティウス
「――――王』」
ブラフ。
ステイルの脳裏をその三文字が埋め尽くす。
『完全発動まで残り十秒』。
なるほど確かに、敵手に向かって馬鹿正直に情報を開示することはないだろう。
――――感情の無い機械でもあるまいし。
「――――――――――――ァァァッッ!!!!」
炎の魔人が喊声とともに突撃する。
この一戦が主にとって、如何ほどの重要性を持つのかはっきりと知っているような。
鬼気溢れる気迫を満身に漲らせて、雄々しく、猛々しく。
かつてない、天文学的な量のルーンから後押しを受けて、主に勝利をもたらすべく。
駆け抜け、霧散。
竜王の顎に噛みちぎられ。
無限に等しい再生力を、解析され、逆算され、破壊され、蹂躙され。
無残にも、霧散した。
「さよなら、ステイル」
- 940 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/21(水) 22:40:04.81 ID:y/CthCAG0
女の瞳から一粒、零れ落ちた。
女は消えゆく炎の向こう側にいる男に別れを告げた。
世界を嗤う光が、赤々とそびえ立つ柱となって男を無に帰す。
敗北した男の顔を一目見ようと女は目を凝らす。
魔人が消散し、世界のどこかへと帰っていく。
あと数秒で空を染めた赤に飲み込まれる男。
見えた。
その表情は――――
H Panta Rhei
「しかし、万物は流転する」
「……え?」
――――まだ笑っていた。
- 941 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/21(水) 22:42:03.31 ID:y/CthCAG0
虚空に帰るはずだった火花が突如躍動を再開し、赤き竜の咆哮に絡みつく。
無論、光の柱はステイルの焔などものともせず飲み込む――――
I I T N S A I I T M P
「その真の名は魂、その真の役は理」
飲み込んだ先で回転した。
いや、“流転”という言い方が正しい。
逆巻く力の奔流が、焔を喰らった端から内側の火に再び吸い込まれる。
喰らう、吸う、喰らう、吸う、喰らう、吸う。
その繰り返しで焔が徐々に徐々に力を、生命の輝きを増していく。
I C R M E M C G P M
「示現せよ、魔都の悉くを飲み込み力と為せ」
追加詠唱はなおも続いている。
無限大の射程を持つ竜王の渾身の吐息が、ちっぽけな魔術師一人に届かない。
そんな悪夢のような光景に目を奪われていた女の、膝から力が抜ける。
強烈な虚脱感。
伏した女の前に、またも顕現する炎の魔人――――人――――?
- 942 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/21(水) 22:43:21.36 ID:y/CthCAG0
それは、人のかたちではなかった。
鳥のかたちでもなかった。
獣のかたちでもなかった。
魚のかたちでもなかった。
術者と然程変わらぬ二メートルほどの長躯が、内に秘めた凄まじい魔力を熱に変えて
物言わずに佇んでいた。
生命の行き着く先。
死とは新たなはじまり。
幸福を照らし出す光。
不幸を掻き消す温度。
包みこむような心地よい熱に、次々と言葉が浮かんでは消える。
しかし『禁書目録』をいくら漁っても、女はそのかたちを形容するに相応しい語彙を
見つけられなかった。
それでも、あえて何か一つ、言葉を絞り出すとするなら。
ヘラクレイトス
『世界の根源』
それは、いのちのかたちをしていた。
- 943 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/21(水) 22:44:12.67 ID:y/CthCAG0
炎の腕が赤い紋様の表面をそっと撫ぜる。
『聖ジョージの聖域』、消滅。
そしてこの瞬間、『自動書記』の敗北が――――ステイル=マグヌスの勝利が確定した。
- 944 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/21(水) 22:46:05.41 ID:y/CthCAG0
T O A B T T
「反転し、対象を焼きはらえッ!!」
それでも、不屈の『強制詠唱』が空気を揺らす。
『自動書記』は勝利を諦めない。
彼女のインデックスに傾ける愛は本物だとステイルは思った。
しかし、無意味だ。
「君に勝つ、ただそれだけのために研鑽したと言ったろう。『強制詠唱』だろうが
『魔滅の声』だろうが手は講じてある……ちなみにこれは、“自動制御”だよ」
ヘラクレイトスは対『自動書記』を想定して、ステイルが『魔女狩りの王』を叩き台に
編み出した本当の切り札だった。
ステイルにとって『自動書記』から挙げる白星とはすなわち、インデックスの肉体を
傷付けずに彼女の戦闘能力を奪い取ることに他ならない。
「あまり力むな。こいつは一定以上の規模で現界した魔力をどこまでも追いかけて、
器が限界に達するまで吸収し尽くす術式だ。消えたくなければ大人しくしていろ」
『首輪』に回された魔力まで吸い取れれば最高だったのだが。
顕在化していないエネルギーにまでいちいち反応していてはただの殺戮兵器になって
しまうので、構成の段階でその点は諦めていた。
- 945 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/21(水) 22:47:03.90 ID:y/CthCAG0
「…………なぜ、貴方は…………いき、て」
「『一千万』のルーンのリバウンドかい?」
憔悴しきった瞳を一瞥しただけで言わんとするところは理解できた。
死闘を通して、それほどまでに深く心のどこかで結びついてしまったらしい。
臍を噛みたい気持ちをぐっと堪えて――――同時に、全身から体液という体液が失われた
かのような、千言万語を費やしても表現し得ない渇きを堪えて、
「あー、スマナイ。ありゃウソだ」
しれっと、言ってやった。
「この術式には、『魔女狩りの王』とは別に専用のルーンを用いてるんだが。せいぜい、
使用枚数は十万がいいところだよ」
「そ、んな……そんなものに、私は、負け…………?」
聳立する魔人と、倒れ伏す魔神の視線が交差した。
ただそれだけで、女は己を打倒した奇術のすべてを悟っていた。
「――――――あ、天草式の、多重構成魔法陣?」
「『五重』だ」
「…………!」
- 946 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/21(水) 22:48:16.89 ID:y/CthCAG0
新術の前段階である『イノケンティウス』発動地点に置いたルーンは、その一枚だけで
すでに逆五芒星の二重構造を成している。
このカードの配置をもう一工夫して再び平面陣を描き、三層目。
さらにステイルの自宅がルーンの坩堝であるように、平面図を効果的に建築物の要所に
張り付けて四重構造の完成。
そして仕上げは。
まち
「僕が空間限定の『最強』でいられる、この美しく醜い世界そのものだ。当然ながらね」
ロンドン全体を一つの世界に区切る、直径五〇キロオーバーの大円陣。
「…………机上で理論を構築するのに五年。実際の配置にもう五年かかった。つくづく、
こういう繊細な作業には向いてないと痛感したよ」
天草式の多重構成陣は陣の内側に存在するあらゆる物質、霊質に働きかけて効力を増す。
“中”に霊的、魔的要素が多ければ多いほど構築の難度は跳ね上がり――――それ以上に
術式の威力に指数関数的な爆発をもたらす。
「『必要悪の教会』のトップなんて腐った肩書に感謝するのは、後にも先にもこの一度
きりにしたいものだね。ロンドンのあちらこちらに点在するギミック満載の伏魔殿に
自由に立ち入ることができるんだから、まこと権力とは恐ろしいよ」
ロンドンには聖ジョージ大聖堂をはじめ、イギリス清教の本拠地に相応しく数々の魔術
要塞がひしめいている。
バッキンガム宮殿、ウィンザー城、サザーク大聖堂、ウェストミンスター寺院、そして
ランベスの宮。
霧の都の全てをパーツに組み込んだ凡人の努力の集大成。
威力は概算で、『法の書』事件時のイノケンティウスの――――
- 947 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/21(水) 22:51:14.82 ID:y/CthCAG0
「二三四〇〇倍。加えて君の魔力を吸収し、さらに手がつけられなくなってるぞ」
「あ………………私、は、わたしは…………」
苦い思いで半笑いしながら、口腔の反対側のもう半分で密かに唸る。
ステイルが思うに、この一戦の勝敗を分けたのはそれだけが要因ではなかった。
(君が、人間だったから)
ステイルは考える。
規定されたプログラムに従って『自動書記』がお得意の“後出し”に徹していたら、
勝者と敗者は逆だったはずだ。
無論ステイルとて勝利のためのフラグ構築は怠っていない。
『ルーン一千万枚』のブラフで『自動書記』を揺さぶり、先読みでカウンターを合わせざるを
得ない、そう思わせることに成功した。
基礎となる『魔女狩りの王』が彼女の通常魔術に防がれる程度の威力にとどまっていた
ならば、『自動書記』は従来通りの後出しで『ヘラクレイトス』だろうが何だろうが、慌てず
騒がず後出しで特定魔術(ローカルウェポン)を組み上げていたはずだ。
要するに『自動書記』は人間らしさゆえに敗北したと、そういうことなのかもしれない。
「どうだい。天才が刹那で切り拓く境地に、後追いとはいえ凡人が十年程度で到達できる
のなら、悪くないとそう思わないか?」
しかしステイルは不確定で不明瞭な勝因ではなく、己が鍛練と精進を居丈高に誇った。
酷な敗因を敗者へ突きつけることを良しとしなかった、などという温情からではけしてない。
(……ないったらない)
- 948 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/21(水) 22:52:40.58 ID:y/CthCAG0
「………………この術式への命名を、もう一度聞かせていただけますか」
雫一滴分の魔力で現世に存在を維持する女が、項垂れたまま呟いた。
ステイルは朦朧とした視界と世界を必死で、地面に対し垂直に保ちながら応じた。
ヘラクレイトス
「『世界の根源』」
実のところステイルのダメージは、『自動書記』から受けたそれよりも、自らの術式で
削られた生命力の枯渇の方がはるかに深刻である。
波乱万丈きわまりなかったここ数か月でも一番、という程度には瀕死である。
黒衣の裏で壊死した無数の細胞が、今この瞬間も命を司る赤を垂れ流し続けているのだ。
「意味は――――『永遠に生きる』」
それでもやはり神父は、世界の理を傍らに従え、口の端をにやりと吊り上げて笑った。
男の仁王立ちを支えているのは、つまらない男の意地と、くだらない女への愛だった。
- 949 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/21(水) 22:53:29.68 ID:y/CthCAG0
「命題、『ステイル=マグヌスは魔神と死合おうが死なない』」
ヘラクレイトス
Passage12 ――――と あ る 神 父 の 不 滅 証 明――――
Q.E.D.
「これにて、証明完了だ」
- 950 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/21(水) 22:54:23.30 ID:y/CthCAG0
その瞬間。
「bwr理解rnしましyたerk」
時計の短針と長針と秒針が、一点で重なった。
- 951 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/21(水) 22:55:44.71 ID:y/CthCAG0
目まぐるしく世界が回転した。
ステイルはそこから先、世界に訪れた異常と正常とを正確に記憶していない。
時系列に沿って並べることなど、とてもではないが不可能だ。
が、無理矢理感じたままに揃え直すと以下のようになる。
地なりが止んだ。
音が消えた。
雲が弾けた。
空が割れた。
夜が帰った。
太陽が昇った。
ステイルの眼前で、別の世界の“なにか”が木霊していた。
輪郭線が何重にもぶれているのに名状しがたい存在感を放つそれ。
十二時の鐘が鳴った。
誕生の鐘だった。
ああ、これは天使だ。
そう思った。
(やはり君は、世界の誰より美しいな)
無色透明の翼を聖堂いっぱいに広げる姿を目の当たりにして、見上げるばかりの信徒は
暢気につぶやいた。
現実感のない『女神』の降誕に、そんな感慨を抱いた。
Passage12――――END
- 961 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/23(金) 22:33:40.66 ID:k80yyd4c0
Passage13 ――dedicatus545――
- 962 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/23(金) 22:34:16.21 ID:k80yyd4c0
彼女が生まれて初めて抱いた感情は、『呆れ』だった。
『はじめ……まして、でいいのかな? とにかくはじめまして、“もう一人の私”』
彼女が彼女にそう語りかけてきたのはいまより遡ること十一年前、十月三十一日のこと
だった。
彼女は覚えてはいなかったが、それは彼女が黒衣の魔術師に向けて国家戦争に匹敵する
規模の暴力を浴びせた、翌日のことだった。
『えっと、聞こえてるなら返事してほしいんだよ』
『…………』
『あなたのお名前はなんて言うの?』
『………………』
『あ、そうだった! 人に名前を尋ねる時は自分から名乗るのがれでぃーの嗜みだって、
こもえが言ってたんだよ! ……Well,good morning! I'm Index!』
『……………………』
『あれ? もしかして、英語通じない人? あるいはとうまに代表される日本の一般
学生にありがちな、生の英語に触れたことない系の人? はじめてのネイティブとの
接触に緊張しちゃってるのかな? もしもーし、私は日本語もペラペラだから安心
してほしいんだよー』
『…………………………はぁ』
一人で姦しい子だな。
そんな溜め息が彼女と彼女の――――『自動書記』とインデックスのはじまりだった。
- 963 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/23(金) 22:35:25.39 ID:k80yyd4c0
---------------------------------------------------------------------------
時計の長針を五周ほど巻き戻す。
紗幕に映し出された世紀の下剋上を眺めながら、しかしローラの表情は強張っていた。
彼女の望み通りに、ステイルはインデックスを救うだけの力と意志を見せつけた。
しかしそれは、同時に。
「これも貴様の工程表通りというわけかしら、アレイスター?」
「………………ああ。ああ、そうだ……そうだ。長かったよ」
ローラの敵である男の、百年越しの望みでもあったのだ。
アレイスターの相貌は、実の娘であるローラがその生涯で目撃した中でも比肩する
もののない、人間味あふれる歓喜に震えていた。
「誰かが『自動書記』を極限まで追い詰める。このステップが必要だったのね」
『無限の愛』を持つ女に触れて、なおそれを打倒する気概のある者。
地球上に他の資格者がまったく存在しないとまでは断言しきれないが、この条件ならば
ステイルは間違いなく有資格者名簿のトップに名を連ねるだろう。
「しかもそれは、『自動書記』がきわめて私的な感情から“負けたくない”と思える
相手が望ましい。その意味でもステイル=マグヌスはこの上ない適格者だ」
百二十年前リリスだった女の絶望は、半ば八つ当たりのようにインデックスの愛する
男へと牙を剥いた。
その結果として二人は死闘を繰り広げ、その帰結としてリリスはステイルに負けた。
- 964 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/23(金) 22:36:10.70 ID:k80yyd4c0
しかし、これですべてが終わった訳ではない。
「…………これから、なにが始まるのかしら?」
これが、これこそがはじまりなのだ。
“何”が始まるのか、ローラの中で一定の結論は導出されていた。
しかし“どうやって”始まるのか。
それだけは、いくら父譲りの頭脳を巡らせても理解できそうになかった。
頭を抱えたい欲求に抗っていると、当の父親が上機嫌を隠さずに声をかけてきた。
「事ここに至ってそれはないだろう。『融合』だよ、無論」
「またそれか。七十年前自らを世界の鼻つまみ者へと転落させた境界線に、貴様は
よほどのコンプレックスを持っているようね」
聞き飽きた論旨をまたも持ちだされて、ローラもまた不機嫌を隠さなかった。
融合、融合、融合。
ご立派な題目を立てるのも構わないがインデックスに、『禁書目録』にどう繋がる
のかがまるで理解できない。
「……ん? なにか、勘違いをしていないか」
その時父が、目を丸くして娘に逆質問を投げかけてきた。
怪物のくせに人間らしい表情をするな、と怒鳴りつけてやりたかった。
- 965 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/23(金) 22:36:55.26 ID:k80yyd4c0
「具体的な言及をお願いしたいわね。私がなにを思い違いしていると?」
アレイスターはかつて、魔術師でありながら科学に手を染めた。
当時の世界はどっちつかずの蝙蝠の存在を許しはしなかった。
ゆえに、アレイスターは破滅した。
デカルト相手であろうと胸を張って提出できる、見事な三段論法である。
いったいどこに瑕疵が存在するなどと――
「それでは順番が逆だ」
「はぁ?」
「私が“線”に弾き出されたのではない。当時のことは君にもショックが強すぎて
よく思い出せないか?」
七十年前の事件。
世界に向けて暴露されたアレイスター=クロウリーの研究内容。
ローラの存在価値を『スペアプラン』以下にまで貶めた真実。
なにが『ショックが強すぎて』だ。
往時のローラの絶望を、いったい誰のせいだと思って――――“誰”?
「私が弾き出されたから、“線”ができたのだ」
息を呑んだ。
- 966 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/23(金) 22:37:47.96 ID:k80yyd4c0
再びこの父親に対して驚愕もあらわな表情を披露するのは鼻もちがならなかったが、
それでも抑えきれなかった。
なぜなら、理解したからだ。
「アレイスター、貴様」
『世界最高の魔術師、科学に走る』。
当時の魔術世界を根本から揺るがすような大事件だった。
あらゆる魔術師がアレイスターを非難し、蔑み、その背景世界たる科学をも敵視した。
魔術は科学から距離を置いた。
混沌たる魔術と科学の勢力図に、歴史上初めて明確な境界線が生まれた。
そして世界は、『科学』と『魔術』に分断された。
――――アレイスター=クロウリーの、思惑通りに。
こうなると、そもそもの『事の起こり』からして疑ってかかるべきだ。
彼の科学に対する妄執が日の当たる場所に晒されたのは、誰の仕業だったのか。
「…………あの『暴露』は、自分で仕組んだことだったのね」
アレイスター=クロウリーその人の自作自演だったと考えるのが、自然な筋だった。
「……第一に、だ。私の研究内容を細部まで把握しているのは君と私だけだったろう。
しかも科学的実験に関しては君にすら報せていなかった……『犯人』が誰であるか、
自明の理だと思うのだが」
もう一発ひっぱたいてやろうかと思った。
“それ”が原因で死の淵に足までかけておきながら、何を他人事のようにのたまって
いるのだ、この男は。
- 967 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/23(金) 22:38:54.88 ID:k80yyd4c0
「……なんの説明にもなっていないわ。一方で『融合』を推し進めると言っておきながら、
もう片手で『境界線』を引く。これでは二流政治家の方がいくらか、二枚舌の扱いには
習熟しているわね」
「君は、テーゼとアンチテーゼという言葉を?」
「ヘーゲルの弁証法ね。それがなにか?」
『ヘーゲルの弁証法』。
ドイツ観念論の大成者ヘーゲルが提唱した、世界の理念が辿る自己発展過程である。
社会も歴史も国家もすべてのものは運動するが、あらゆるものは自らの中に自らを
否定する要素を内包している。
正(テーゼ)と反(アンチテーゼ)が互いに反発しあい、やがて両者を統合して
合(ジンテーゼ)となり、ある一点で止揚(アウフヘーベン)される。
「彼が導いた最終結論も私にとって興味深いものではあるが、今は置いておこう。
テーゼとアンチテーゼは、距離をおいていればいるほど望ましい。互いが激しく
対立すればするほど、止揚はさらなる高みへ登るエネルギーを得る」
「世の哲学者から袋叩きにあっても知らないわよ」
「私とて知ったことではないな。現界に身を置きながら空論を振りかざす者どもなど」
アレイスターもまた、弁証法を世界構造のレベルにまで適用して次なる世界を目指したと
いうことなのだろうか。
たとえばそれは、法治国家と礼治国家。
たとえばそれは、資本主義と共産主義。
たとえばそれは――――科学世界と、魔術世界。
「馬鹿馬鹿しい」
- 968 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/23(金) 22:39:34.81 ID:k80yyd4c0
ローラは吐き捨てた。
ゲオルク=ヴィルヘルム=フリードリヒ=ヘーゲルは、あくまで具体性を伴う理性的思考
の過程で、アウフヘーベンなる極地への道程が“そうである”と発見したにすぎない。
彼が正や反を抽象的事象に当てはめて一般化を図ったなどという事実は存在しない。
アウフヘーベンとは人類の歴史を俯瞰したときに“そこにあった”ものであって、人間が
創造したものでは断じてない。
対立構造を用意してやるだけで勝手に高みに昇りつめてくれるのならば、浮世はいまより
はるかに素晴らしい世界になっている。
「貴様のやっていることは捏造も甚だしい」
論破完了、鼻を鳴らす。
「『捏造』ではいけないのかな」
反論になっていない反論が戻ってくる。
男も肩をすくめていた。
能力者は望む結果を呼び出すために現実の法則を塗り替える。
多くの魔術師は神話や伝承を己の都合のいいように解釈して術式を組み上げる。
大本のところでは魔術師も能力者もやっていることに大差はない。
「あら、それではせっかく引いた境界線がまた曖昧になってしまうわね」
嗤う女。
だが。
- 969 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/23(金) 22:40:26.40 ID:k80yyd4c0
「だから引いておいた。境界線をより太いものにするべく、ペンで上からなぞるように」
笑う男。
眉をひそめる女。
さらに笑う男。
稚児のような笑み。
「能力者の“ここ”にも、線を、な」
――――その顔のまま、とんとん、と人差し指でこめかみを差す男。
「能力者に魔術は使えない。これは私が科学を再編する過程で全ての『時間割』に
仕込んでおいた、これ以上なく明白な境界線だ」
脳。
それは学園都市にあまねく存在するすべての能力者の根幹をなす演算装置だ。
そのプログラムの開発途中に、密かにコマンドを仕込んでおく。
すなわち『能力開発を受けた者が魔術を使用すると、死ぬ』。
たったこれだけで新たな“線”が誕生する。
そうしてアレイスターは、一つの世界を地図上に捏造した。
- 970 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/23(金) 22:41:08.93 ID:k80yyd4c0
「……『禁書目録』に、能力開発に関する記述などない」
しかしローラの反駁は、アレイスターが数十年がかりで創り上げた根拠を示してもいまだ
留まることを知らなかった。
女の往生際が悪いというより、それだけ男の理論に穴が多すぎるのだ。
「君がそう思っているだけだろう。言っておくがこの三年間、私は君よりよほど多くの
『インデックス』を目撃している。完全記憶能力を持つ彼女が、その叡智の蔵になにを
蓄えたのか知っている――――さらに彼女は、この六年でより一層『魂』と『記憶』の
融和を推し進めているではないか」
「…………っ、編纂作業!」
危険極まりない魔道書の『原典』を、利用しやすく比較的安全な『偽書』へと編纂する、
インデックスのライフワーク。
高度で難解な記述を噛み砕いて他者でも利用可能にするという作業は、その実原典への
深い造詣がなければこなせない。
つまりインデックスの処理能力は、十一年前と比較しても格段に上昇していることになる。
そしてそれは、アレイスターの理論からすれば『魂』の研鑽作業に他ならない。
「まあ、私も偉そうな口を利けた身の上ではないのだが。繰り返すが、私は彼女に干渉を
試みたことがない。あれは彼女が自発的に始めたことであって、偶然の産物だからな」
ともあれ材料は揃っている。
ならばあとは“やり方”だけだ。
- 971 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/23(金) 22:42:26.98 ID:k80yyd4c0
「……そうこうしているうちに、七月二十八日まであと一分か。参ったな、武者震いが
止まりそうにないよ」
「心臓ごと止めてあげましょか」
「そんな器官は三年前に捨てたがね」
男は女の罵声にも昂りのままに薄笑いで返答した。
調子づいて、求められてもいない演説が始まる。
「聞こう。七月二十八日とは、世界の大多数の人々にとって“どういう”日だ?」
『首輪』がインデックスを殺す日か。
ローラが姉の死から目を背けた日か。
アウレオルス=イザードが破滅へと歩み始めた日か。
神裂火織が泣いた日か。
ステイル=マグヌスが心折れた日か。
上条当麻が死んだ日か。
人工衛星が落ちた日か。
上条当麻が生まれた日か。
「……知ったことではないわ、そんなこと」
インデックスの人生が、本当の意味で始まった日か。
- 972 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/23(金) 22:42:58.43 ID:k80yyd4c0
「違うな。七月二十八日とは、『科学を牛耳っていた悪の総帥が敗れ」
因果は逆転する。
そして、収束する。
「科学と魔術が融和へ――――“融合”へと歩み出した』、記念すべき日だ」
歪められた結果に向けて、廻り出した歯車はもう止まらない。
- 973 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/23(金) 22:44:39.58 ID:k80yyd4c0
----------------------------------------------------------------------
彼女の懊悩を聞いた。
『とうまのことが好きなの。多分これって、愛してるってことだと思うの。
でも、どうやって好きだって伝えればいいか、わからないの』
彼女の慟哭を聞いた。
『とうま、みことのことが好きだって。しょうがないよね、みことはいい子だもん。
しょうがないよね…………私は、何もしなかったんだもん』
彼女の諦観を聞いた。
『これで、良かったんだよね。イギリスに帰れば、二人に酷いこと言わなくて済むかも。
………………ああでも、“あの人”に会うのは、ちょっと嫌だなぁ』
彼女の可愛らしい憤怒を聞いた。
『ちょっと聞いてほしいんだよ“ヨハネ”! あの図体ばっかりおっきくてタバコ臭い
嫌味な神父、私に向かってなんて言ったと思う!?』
- 974 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/23(金) 22:45:34.97 ID:k80yyd4c0
彼女の陰口も、時には聞いた。
『ロンドンに来てしばらくは心細かったけど、友達もたくさんできたんだよ。かおりに
ヴィリアン、アンジェレネに……そう言えば、アンジェレネって“あの人”のことが
好きなんだって。あんなののどこが良いんだろうね』
彼女の混迷を聞いた。
『あの人……あ、私がいつも言ってる、仕事仲間ののっぽの神父さんの事なんだけど。
私、もしかしたら、あの人の…………ゴメン、忘れて』
彼女の悔恨を聞いた。
『どうしよう、どうしよう。私、知らなかった。知らないまま、あの人にずっとヒドイ
ことばっかり言ってた…………ずっとあの人を、ステイルを傷付けてた』
傷付けたことで傷付いた彼女の苦悶を、彼女はただ聞くことしかできなかった。
そして彼女は、彼女の真実を聞いた。
『私、「リリス」なんだって。ヨハネのペンはこの事知ってた? ……そっか、そうだよね。
でも不思議だね、ローラが私の家族なんだって聞くとヨハネのことも家族みたいに
思えてくるかも。そうだなぁ、ローラが妹なら』
- 975 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/23(金) 22:46:50.75 ID:k80yyd4c0
『あなたは、私のお母さんだね』
愛しいと、心の底からそう思った。
こんな無垢な少女を雁字搦めに縛りつけていた己の存在が、十字架に磔にしたくなる
ほど呪わしかった。
自分さえいなければこの子の人生はもっと綺麗で、善意に満ちていたはずなのに。
妬ましいと、そう思った。
こんな純粋な好意をいっぱいに浴びながらその気持ちに応えなかった上条当麻が。
おそらく気が付いているにも関わらず応えようとしないステイル=マグヌスが。
特に後者への敵意は、『自動書記』の内側で日増しに膨張していった。
どうしてそこで一歩引くのだ。
どうしてそこで目を逸らすのだ。
どうして名前で呼んでやれないのだ。
自分に肉体があれば思うさま抱きしめてやるのに。
ああもう、見ていられない。
こんな男に、インデックスを任せることなどできはしない。
『どうしよう。私、ステイルのこと、裏切ってるのかな』
『ステイルが死ぬのが、死ぬより怖い、なんて…………ステイルだって困るよね、
こんなこといきなり言われたら。どうすればいいんだろう』
『ああ、お願いだから教えて、ヨハネのペン』
だから守りたいと、そう思った。
自分が守ってやらなくてはと、そう思った。
- 976 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/23(金) 22:48:16.40 ID:k80yyd4c0
「……えて君の魔力を吸収し……」
任せられないと確信した男が、何事か語りかけてくる。
口が勝手に呻きを洩らしたが、自らの耳にさえ届かない。
脳を埋め尽くす思考はただ一つ。
インデックスを守ることのできる力が、欲しい。
だがもう、そんなものはどこにもない。
彼女の脳内には依然一〇三〇〇〇の魔道書が健在だが、起動のためには魔力が必要だ。
ガソリンのない車は走らない。
唯一ガソリン抜きで走る強制詠唱(くるま)も、自動制御術式が相手では意味がない。
もう、打つ手がなかった。
d e d i c a t u s 5 4 5
『献身的な子羊は強者の知識を守る』。
役立たずの魔法名がとっさに浮かんだ。
弱りきった子羊に、羊飼いはなにもしてやれない。
ただ安楽死を選ばせてやることさえできない。
やはり自分は、知識を守るだけのシステムにすぎないのか。
インデックスを守ることはできないのか。
いかに編纂作業を経て知識を深めたところで、一〇三〇〇〇冊の中にこの状況を打開
できる可能性など――――
- 977 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/23(金) 22:50:59.98 ID:k80yyd4c0
(あ)
――――あった。
一冊だけ、あった。
編纂作業の中で幾度となくオルソラやシェリーらと議題の端に上らせたが、結局手つかず
のままの一冊が。
ローラにもそれとなく尋ねてみたがさらりとはぐらかされた、解読法不明の一冊が。
歴史上誰も解読に成功していないとされる禁断の、最後の一冊が。
(……読めるのでしょうか、この私に)
図書館から該当する一冊を引っぱり出す。
表紙にかけた手が震える。
この六年、何十何百の魔道書を読みこんできた経験が今の自分にはある。
しかしもしも、それでも読むことが叶わなかったら。
自分は負ける。
世界で一番負けたくない男に、インデックスを委ねざるを得ない。
(それだけは……それだけは、嫌だッ!!)
目を瞑って、開いた。
おそるおそる瞼を持ち上げる。
視界に入った、最初の一節。
- 978 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/23(金) 22:52:05.48 ID:k80yyd4c0
【汝の欲する所を為せ、それが汝の法とならん】
d e d i c a t u s 5 4 5
Passage13 ――追い詰められた羊飼いは弱者に智慧を捧ぐ――
同時に、時計の短針と長針と秒針が、一点で重なった。
- 979 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/23(金) 22:53:16.24 ID:k80yyd4c0
ハディート ホール・パール・クラアト
ババロン ヌイト
ラー・ホール・クイト ホルス エイワス
理解できる。
理解できているということが理解できない。
理解できているという事実が恐ろしい!
これはなんだ。
いや、わかっている。
しかしわからない。
何が起こる。
どうすればいい?
そうすればいい。
重ねる?
動かす?
再現。
そう、再現すればいい。
それでいい。
いや、しかし、材料が
- 980 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga !蒼_res]:2011/12/23(金) 22:55:22.21 ID:k80yyd4c0
-
お
や
- 981 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/23(金) 22:55:53.39 ID:k80yyd4c0
――――――――――――!!!
- 982 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga !蒼_res]:2011/12/23(金) 22:56:25.95 ID:k80yyd4c0
-
今回は君か、ア
レ
イ
ス
ターの娘
- 983 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga !蒼_res]:2011/12/23(金) 22:57:27.64 ID:k80yyd4c0
-
?なかのるいでん悩
どうにもその世界では が……ああ悪い、ヘッダが足りていない
briqw
ふ
む 原料不足はかつて一方通行にも付きまとった問題であるしな ま
あ
私
がヒントを上げても別
に構わないだろう 一方通行の本質を観察した
こ
と
こ ?ん ?なかるあは
れ
は…………君はまず、自分の本質を理解していないらしい
ば
え
言
に
逆
ヒントは、一節で事足りるかもしれない、ということだな
- 984 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga !蒼_res]:2011/12/23(金) 22:58:04.79 ID:k80yyd4c0
-
【観察せよ。君の本質はそこにある】
で
は
、
ま
た
い
つ
か
会
お
う
- 985 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga !蒼_res]:2011/12/23(金) 22:58:53.69 ID:k80yyd4c0
-
――――――。
原料不足、観察、一方通行?
アクセラレイター
あくせられーた、アクセラレータ――――――『粒子加速器』。
科学最高の頭脳。
観測事象からの逆算。
限りなく真実に近い魔術法則の推論。
『その根源が比較的一般にも知られるルーン文字に起因するっていうなら、普遍性を
抽出して法則に結び付けることは、不可能じゃねえ』
七月十九日、一方通行とステイルの交戦を知って現場に急ぐ途中、通信用の護符から
そんな勝ち誇った声が聞こえてきた。
恐るべし、学園都市第一位。
これが進化の速度すら日々加速させる、科学の粋なのか。
そう畏怖した記憶がある。
あるいはそれは、一〇三〇〇〇冊の魔道書などよりよほど稀有な能力ではないか。
いや、待て。
だがしかし、この身とて魔術最高の頭脳ではないか。
- 986 :ミス; [saga]:2011/12/23(金) 23:00:20.68 ID:k80yyd4c0
――――――。
原料不足、観察、一方通行?
アクセラレイター
あくせられーた、アクセラレータ――――――『粒子加速器』。
科学最高の頭脳。
観測事象からの逆算。
限りなく真実に近い魔術法則の推論。
『その根源が比較的一般にも知られるルーン文字に起因するっていうなら、普遍性を
抽出して法則に結び付けることは、不可能じゃねえ』
七月十九日、一方通行とステイルの交戦を知って現場に急ぐ途中、通信用の護符から
そんな勝ち誇った声が聞こえてきた。
恐るべし、学園都市第一位。
これが進化の速度すら日々加速させる、科学の粋なのか。
そう畏怖した記憶がある。
あるいはそれは、一〇三〇〇〇冊の魔道書などよりよほど稀有な能力ではないか。
いや、待て。
だがしかし、この身とて魔術最高の頭脳ではないか。
- 987 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/23(金) 23:00:57.97 ID:k80yyd4c0
『法の書』の記述を再現するには明らかに魔術の領域からはみ出した材料が必要だと、
女はそう判断した。
『魔道図書館』にすら存在しない未知の法則を解明しなければならない。
欲しいのは世の科学者が垂涎するような、自然科学を悉く統括するような統一原則。
人間はいつか死ぬ。
ステイルは人間である。
これら一般的な法則から、『ステイルはいつか死ぬ』という個別事象が導き出せる。
演繹。
しかし、これでは辿りつけない境地がある。
いま欲しいのは新たな法則だ。
ならば法則を事象から逆算すればいい。
帰納。
そうだ、できるはずだ。
この脳の裡には、一〇三〇〇〇冊とは別の箇所に蓄えられた、記録(おもいで)がある。
のう のう
科学最高の演算機にできたことが、魔術最高の演算機にできないはずがない!
- 988 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/23(金) 23:01:36.21 ID:k80yyd4c0
記録より該当事象抽出。
『大丈夫。私も、人間じゃないから』――正体不明
『ゴメンゴメーン……止める間もなく始めちゃうわよっ』――超電磁砲
『祈りは届く。それで人は救われる』――打ち止め
『ihbf殺wq』――一方通行
“観察”開始。
『とりあえずお二人さんの互いの距離を参考にはしてみたけど』――心理定規
『いま帰ったぞおおおおお!!!!』――念動砲弾
『私の掌握力がイマイチ届かないのよねぇ』――心理掌握
『私にこれからブチコロされるのはどこの腐れトマトかって聞いてんだよ』――原子崩し
『物思いに耽ってる暇なんてないわよ』――座標移動
『この状況でまだイキがってられるとは大した肝だぜ、魔術師野郎』――未元物質
見る。
『貴様に科学と魔術を越えた、この腕の解析など不可能だと知れ』――腕
『 神戮 pv vewy』――神の力
『だって私は、「天使」なんだよ?』――ヒューズ=カザキリ
観る。
『……今までが蛹だっていうなら、これから君は何になるんだい?』
『ああン? 知らねェよ』
- 989 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/23(金) 23:02:40.08 ID:k80yyd4c0
視る。
『神様』
診る。
セカイ システム
『この物語が、アンタのつくった奇跡の通りに動いてるってんなら』
み――
『まずは』
――――――
『その幻想をぶち殺す!!』
- 990 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/23(金) 23:03:54.40 ID:k80yyd4c0
「bwr理解rnしましyたerk」
『法の書』解読完了
これより『こことは異なる世界の法則』を用いて、世界構成要素の再編を行います
第一段階:記述された全骨子を『神に等しい力』によって蒐集、再現、構築
完了まで一〇秒
第二段階:要素の配置角度を固定するため、仰角一八〇度で疑似太陽生成
完了まで二〇秒
宣誓、第一九章第二八節および第一九章第三〇節および第二三章第四六節
命名、『十字架上の主の最後の言葉』
完全発動まで
そして同時に、十字教の時代が終わるまで――――残り五〇〇秒
Passage13――――END
- 991 :>>1 ◆weh0ormOQI [saga]:2011/12/23(金) 23:11:43.71 ID:k80yyd4c0
⇒ TO BE CONTINUED ……
では、次回は次スレでお会いしましょう↓
- 992 :SS寄稿募集中 SS速報でコミケ本が出るよ(三日土曜東R24b) [sage]:2011/12/23(金) 23:13:41.05 ID:t6f5Lshe0
- 1乙なんだよ
法の書まで持ち出しやがったか自動書記・・・
てわけで埋め - 993 :SS寄稿募集中 SS速報でコミケ本が出るよ(三日土曜東R24b) [sage]:2011/12/23(金) 23:18:40.97 ID:DCdSLhl40
- 今日こそは感想書こうと思ったのに
こんな熱いことされたらもう乙しか言えねぇよチクショウ - 994 :SS寄稿募集中 SS速報でコミケ本が出るよ(三日土曜東R24b) [sage]:2011/12/23(金) 23:41:20.59 ID:uDN9hxwxo
- 乙にゃんだよ!
- 995 :SS寄稿募集中 SS速報でコミケ本が出るよ(三日土曜東R24b) :2011/12/23(金) 23:47:13.71 ID:+YFyQ5jX0
- 追いついたあああああああああああああああああああああああああああああ
初めて読んだSSがこれだったことは私の幸運だあああああああああああ←以後発狂 - 996 :SS寄稿募集中 SS速報でコミケ本が出るよ(三日土曜東R24b) [sage]:2011/12/23(金) 23:57:25.59 ID:3K4B7//do
- やべぇ
マジ乙 - 997 :SS寄稿募集中 SS速報でコミケ本が出るよ(三日土曜東R24b) [sage]:2011/12/24(土) 00:02:10.35 ID:q6dDy2A/o
- まさかセレマまで持ち出すとは思わなかった、乙
- 998 :SS寄稿募集中 SS速報でコミケ本が出るよ(三日土曜東R24b) [sage]:2011/12/24(土) 00:04:10.83 ID:PiyE+8H9o
- お疲れさまです。
真のラスボスの登場ですね。 - 999 :SS寄稿募集中 SS速報でコミケ本が出るよ(三日土曜東R24b) [sage]:2011/12/24(土) 00:20:31.76 ID:28aQ6+hDO
- 乙!
- 1000 :SS寄稿募集中 SS速報でコミケ本が出るよ(三日土曜東R b)[sage]:2011/12/24(土) 00:29:58.40 ID:dh7laIA6o
- 乙!
2013年11月22日金曜日
ステイル「まずはその、ふざけた幻想を――――――」 2
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