2013年10月3日木曜日

番外個体「――ただいま、帰ったよ」 2

504 ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/01/11(火) 23:45:14.90 ID:Pz6QQEtj0

銀色の引き締まった美しいボディライン。力強い眼。しかし内に秘めた桜色の身は軟らかくほぐれて――


「はぁ……シャケってもはや美学に値するわ……」


とあるデパ地下の食材売り場に横たわるまるごと一本の鮭を見て感嘆の息をつく女は、言うまでもなく学園都市第四位、麦野沈利だった。
そんな彼女の元に鮮魚コーナーのおっちゃんが寄ってきて、嬉嬉と語り出す。
対する麦野も打ち解けて、話が分かりそうなおっちゃんに薄い笑みを返した。鮭の魅力が分かる人に悪人はいないのだ。多分。


「おうおう姉ちゃん、見る目があるねぇ」

「ありがと、シャケに関しては学園都市第一位を名乗れる自信があるわ。……このシャケ、凄く美しいのね」

「今朝揚がってきたんだ、綺麗だろ」

「アートよ……。溜息が出るわ。ねぇ、これって食べきるのにどのくらい掛かるかしら? 一人暮らしじゃキツい?」

「一人暮らしだと腐らせちまうかもしれねえなぁ。冷凍すればなんとかなるかもしんねえが、新鮮なうちが華だ」


分かってはいたものの、それでもがっくりと肩を落とす麦野。
一日3食を鮭にすることは容易だが、それでも食べきるのに時間は掛かる。
おっちゃんの言うように冷凍保存は利くが、それで鮮度を落としてしまうより、
数日以内で食べきれるような家庭に連れて帰られる方が鮭も幸せだろう。

人思いならぬ鮭思いな麦野はすぐ隣に並ぶパックを吟味して、


「……そうね、じゃあこっちの切り身で我慢するわ」


後ろ髪を引かれる思いで大きな鮭と決別する。
一人暮らしをする今の自分に無理でも、いつか家庭を持ったとき。子供を産んで――


(子供は女の子と男の子、一人ずつ欲しいわね。浜面似……ってダメダメ、アイツには滝壺が居るじゃない。
 家族であのシャケを美味しくいただく為に朝は無難に焼きジャケ、昼はムニエルも良いな、夜は石狩鍋ってとこかしら)


まだ見ぬ未来によからぬ目論見を企てる。
真摯に自分を見つめてきた鮭の表情が頭から離れなくて悩ましい。

切ない気持ちを切り替えようと贔屓にしている惣菜屋を覗こうとしたとき、鞄の中で着信を告げるメロディーが鳴った。
一瞬『仕事』の二文字が頭に浮かぶも、画面に表示された名前を見ると険しい表情が一転して柔らかいものとなる。


「ミサカ? どうしたの?」
505 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/01/11(火) 23:46:16.70 ID:Pz6QQEtj0

「えっと、ミサカお腹空いてるからなぁ。ケーキ食べよっかな」

「んーと私は……あ、この期間限定シャケソテー美味しそう」


昼下がりのとあるファミレス。
ちらほらと学生も目立つそこの窓際の席に、番外個体と麦野は向き合って座っていた。
店員にそれぞれ注文して、ドリンクバーから持ってきたココアをちびちび飲みながら、


「で、どしたの? さっき電話くれたとき声も震えてたし泣いてるかと思ったけど」

「にゃはは、泣いてないよ。つーか外寒いんだもん、ガクブルだよ」

「なら良いんだけどさ。付き合ってあげてんだから、ご飯食べてはい解散じゃ済まさないわよ? ちゃんと話してくれないと。
 まぁミサカが怒ったり泣いたりってのは一緒に暮らしてる第一位関連のことだと思うけど、まさか嫌なことされたんじゃないでしょうね」


妙に鋭い麦野がそう言うと、番外個体は苦笑する。
正直、自分でもあの時どうしてあそこまで苛立っていたのかよく分からない。思い出すと馬鹿みたいで、反吐がでる。

――そして同時に、寒風が身体の芯まで吹き付ける様な、どこか物寂しい焦燥感。


「……んー、なんだろ。麦のんに会いたくなっちゃってさぁ」

「ぎゃは、じゃあこれからホテルでも行っちゃうかにゃーん?」

「麦のんのお手並み拝見だねぇ、ひゃひゃ」


ひときしり下品でろくでもないことで笑ったあと、麦野が今までの傍若無人な態度を一変させて優しく問いかけてくる。
柔らかく、けれども確かに番外個体を解きほぐしていく様に。


「どうした、ミサカ。言ってみなさい。この麦のんに何でも吐いちゃいなよ」

「……、……花畑が居た」


麦のんも、いつもこんな風に綺麗で包容力のあるお姉さんだったら良いのに勿体ないなぁ、などと考えつつ、番外個体が小さいで答えた。
直後頭の中にへらーっとした空気を纏う花畑少女が浮かび、くるくる回りだす。……やはりどこか癪に障る。
506 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/01/11(火) 23:50:07.37 ID:Pz6QQEtj0

「起きたらさぁ、頭がお花畑な女が居たんだよね。あのクソ第一位がミサカが寝てる間に連れ込んだらしくて」

「花畑ぇ?」


麦野が疑念の声をあげるも、比喩でも嫌みでも何でもなく、本当に花畑なのだから他に言い様がない。


「中学生なりたてのメスガキ。ほら、あの人って元からロリコン気質があるからさぁ。もう頭も名前も春がきてるって感じ」

「へぇ、新しいタイプね、花畑。で、ミサカはそれにキレたっと……、ん? あっれー?」


と、麦野がわざとらしく「あれーおっかしーなー」などと言ってにやけだした。
人の悪い笑みは彼女の顔を歪めて、しかしそれでいて良く似合っているのはどうかと思う。
にしても、こうなってしまった麦野は酒に酔った親戚の叔父の様にタチが悪く、


「もしかしてミサカちゃんはぁ、嫉妬してるのかにゃーん?」


番外個体を弄ぶように、意地悪く。
彼女の反応を伺う麦野は元々嗜虐的なこともあり楽しそうだ。
しかし番外個体の返した答えは、麦野も、口に出した本人すらも予想外のもので。


「……そうだよ。ミサカ、嫉妬してるんだ」


何を言ってるんだろう、と馬鹿馬鹿しくなって、けれど堰を切るように言葉が溢れてくる。
伏せて視界の狭くなった目の端に、目を丸くした麦野が一瞬映った。


「だってさ、ミサカはあの人のことを知ってて、あの人もミサカのこと分かってくれて、それだけで良いじゃん。
 なのにどうして? 何で今更部外者が首突っ込んで、ほんっとムカつく。あの人も花畑もこのミサカもばっかじゃねぇの」


平然と初春を家に招き入れた一方通行も、
どこかふわふわとしたような初春飾利も、
そしてそんな二人を見て無性に苛立った自分も。

最近は遠ざかっていた真っ黒な負の感情が番外個体の中で渦巻いて、不安定なカタチを作って身体の内側から溢れてくる。


生ぬるい、酷く不快な液体が頬を伝って、ぽたりと零れ落ちた。
507 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/01/11(火) 23:54:52.31 ID:Pz6QQEtj0

「ミサカ……? ご、ごめん、嫌だったよね? 無理しなくて良いから、ね? どうしよどうしよ、えっと、移動する?」


急に泣き出した番外個体に、麦野が態度を一変させてあわあわと動揺してた仕草を見せる。
いつもの頼れるお姉さん麦のんは何処へやら、彼女をよく知っている者であれば思わず笑みを漏らしてしまいそうな変貌っぷりだ。


「おまたせいたしました。季節の野菜と鮭のソテーと……、」


丁度料理を運んできた店員が不思議そうな顔をして、それでもマニュアル通りに業務をこなしていった。
常套句のイントネーションからも困惑の色が見受けられた店員の後ろ姿を愛想笑いで見送りつつ、
えぐえぐと泣いている番外個体に取り敢えず何か飲み物でも、と麦野が腰を上げかけたとき、


「…………う」

「え? あ、ホットミルクが良いかな、えっと、」

「……どうしよう、あの人が、取られちゃう……」


賑やかなBGM、楽しそうな学生の声、騒がしい喧騒の中。
か細くて小さな、消え入りそうな声で番外個体の本心が露見した。


番外個体にとって好きになれそうもない、寧ろ嫌いな、血液を原料とするらしい液体は呼吸を狂わせながら彼女の頬を濡らしていく。
ぱたぱたとファミレスの堅いテーブルの上に雫が落ちて、形を崩す。


そんな彼女を見た麦野の表情が、戸惑いから優しいものに変わった。
目を細めて、まるで母親の様な顔つきのまま、ぐずる番外個体を宥めようと彼女の隣に移動する。


「……ミサカ、泣かなくても大丈夫だから」


麦野がハンカチを取り出して、番外個体の頬を優しく拭っていく。
頭をぽんぽんと撫でてやると、嗚咽を堪えるように苦しそうな呼吸が漏れた。


「第一位も花畑もそんなんじゃないって。それに第一位が誰よりもミサカのこと考えてくれてるの、分かるでしょう?」


こくこくと首を縦に振る番外個体。
508 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/01/11(火) 23:58:55.57 ID:Pz6QQEtj0

そう、分かっている。

いつも番外個体のことを優先してくれて、些細なことでも気に掛けてくれて、下手くそなマフラーを使ってくれて。
悪態をついてばかりで家事も碌にできなくて、そんな番外個体と一緒に寝てくれるし、そんな番外個体の為に怒ってくれる。

だからこそ、一方通行が見ず知らずな他の誰かと仲良くなって、自分のことを忘れてしまわないかと不安で堪らない。


一方通行を失うのが、怖かった。


自己中心的な考えだと言われれば、否定することなどできない。
一方通行とその大切な人を殺そうとしたのは紛れもなくこの『番外個体』だし、
少し前まで好きな人ができた、などと騒いでいたくせして彼が他人と居ると馬鹿馬鹿しい嫉妬に支配される。
どこまでも利己的で都合の良いバカ女だと自分でも思う。


何より一方通行の善意は『妹達』に対する贖罪の為だということも承知しているつもりで、だから決して自惚れてはいけないのだ。


けれど、それでも。
その優しさに、偽りかも、上辺だけかもしれないそれに触れて、少しでもこの劣悪な自分が変わることができたかもしれないから。


一方通行が“取られて”しまったらと考えると。
尚更、不安で、怖くて、苦しくて、どうして良いか分からなくなる。



「ミサカはさ。第一位のこと、どう思ってるの? 好き?」

「……どうなんだろ、分かんない」



麦野からの問いかけへの答えは正直な気持ちだった。
本当に分からなくて、それがもどかしい。好きだけれど、それは麦野の言う好きとは一致しない気がした。
顔をごしごしと拭ると、涙が通った道筋がベタベタしていて気持ち悪い。
不快なベタつきに顔をしかめながら、片手ですっかり冷めてしまったココアを口元に運ぶ。

甘ったるいものの、それでいて酷く落ち着かせてくれた。
509 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/01/12(水) 00:00:07.02 ID:lMTN03X50

「麦のんはさっき好きなのって言ったけどさ、好きって、なんだろうねぇ」

「落ち着いたと思ったらいきなり哲学? ……ん、シャケ美味しい」

「ごめんね、ミサカのせいで冷めちゃってるでしょ?」

「大丈夫、ていうかミサカ……、前のお店の人好きだったでしょ?」


麦野が言葉を選びながら確認してくる。
どうも番外個体の周りでは、彼女が告白した例の人関連の話題を避けたがる傾向があるようだ。
無理に気を使って貰わなくても全然構わないのに、嗜虐的な性格をしたレベル5達はおかしな所で優しくなる。


「……よく分かんなくなっちゃってさぁ。憧れだったって言われればそんな気もするし、でも好きだったって言われれば……。
 ぎゃは、このミサカって都合良すぎだよねぇ、ほんっとウザい」

「そんなことないと思うけど。まぁミサカはこれからでしょうし、色々と。……ふふっ、花畑に嫉妬なんて可愛いじゃなーい」

「うるさいなぁ、……ミサカは多分、独占欲が強いんだと思う。でも、このままじゃ駄目、なんだよね」


最後には、麦野に言うのではなく。自分自身に聞かせるように、ぽつりと。


「……こんな自分勝手な考えじゃ、駄目なんだ」
510 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/01/12(水) 00:01:56.02 ID:lMTN03X50

一方通行は番外個体に惹かれていて、
番外個体は一方通行を必要としている。


互いに想い合い、求め合い。
一見仲の良い恋人同士やその一歩手前の様に見えるそれは、しかしどこか歪で、
少し覗き込んでみると、小さな小さなすれ違いや履き違いが見えてくる。


「……難しいわね」


冷たくなった両手を擦り合わせながら、麦野は一人帰路に就いていた。
吐く息が白く、まだ5時過ぎだというのに空は暗い。
ここ数日は天気が良く、このまま春を迎えることになるだろうか、などと思っていたが、その予想は見事に外れた。
ファミレスを出た頃には重たそうな雪の結晶が空から落ちてきていて、この調子だと直ぐに積もりそうだ。


コツコツとブーツを鳴らして家路を急ぐ。
数分前に別れたばかりの番外個体が気掛かりだ。

謝る、と言っていた。
一方通行にも、初春飾利にも。


(……ったく、あのクソ第一位のヤツは何考えてんだか。
 ミサカのこと好きとか恥ずかしいこと言っときながら女連れ込むなんてバカじゃねぇの? 肝心な所で鈍感よねぇ)


基本的に鈍感な一方通行に呆れつつ、携帯を開くとそんな彼から幾度も着信が入っていた。


(はっ、馬鹿みたいに電話しやがって。んー、気付いてたけど途中からマナーモードにしてたからにゃーん)


熱心に自分にかけてくるくらいなら番外個体にかけてやれば良いのに、と思うも、
そういえば麦野に電話した直後に充電が切れたとか言っていたと思い出す。


(出てやっても良かったけど、あんまり私が出しゃばってもよくないだろうし、ね)


ぱたんと携帯を閉じて、歩くペースを少し速める。
番外個体の様に自分の帰りを待つ人もいない、それでいて無駄に広くて冷たいマンションの一室。
そんな寂しい家でも、そこが麦野の帰る場所なのだ。
511 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/01/12(水) 00:05:54.30 ID:lMTN03X50

雪は好きだけれど、寒いのは苦手だ。

湿り気を帯びた重たそうなぼたん雪が舞い降りる中、番外個体は改めて自分が寒さに弱いことを実感していた。
普段はマフラーと最近買った手袋で完全防寒しているものの、今日は飛び出してきたせいでコートを着ているだけだ。
それに加え、玄関でブーツを履いている様な時間もなかったから足下も寒い。


(ロシアで着てたのを引っ張り出してこようかなぁ)


服装やメイクに力を入れる麦野から怒られそうな白い戦闘用のスーツを思い浮かべる。
女としてはどうかと思うが、内部に好きなだけ詰め物もできるし暖かいし、意外と便利な代物だ。

コートの襟を立ててビル風を防ぎながら夕方の薄暗い空を見上げると、落ちてくる雪に吸い込まれてしまいそうな、不思議な感覚にとらわれた。
天気が良いとは言い難い曇天に、気持ちまでもつられて沈み込みそうになる。


(気持ち、なんて。……このミサカにあるかは甚だ疑問なんだけどね、けけっ)


麦野と別れる際、『一緒に乗り込んであげようか』と心強くもあり恐ろしくもある提案を持ちかけられたものの、お断りしていた。
あの花畑と麦野が対峙した場合麦野が何をしでかすか分からないというのもあるが、彼女に頼りっぱなしというのは甘えだと虚勢を張ったのだ。
ちなみに花畑と麦野のツーショットを、それはそれで見たい気がすると思ってしまうのは番外個体が好奇心旺盛だから、ということにしておく。


「寒う……」


風が頬を撫でていく。
冷たいというよりは鋭いそれに、耳や頬がじんじんと痛んだ。
こたつが酷く恋しくなって、けれど今、自分の居場所は残っているか、あの花畑がぬくぬくとしているのだろうか、などと考えるとやるせなさに襲われた。

爪先が冷たいのも手伝って、足取りが重く感じる。まるで家に帰るのを拒むかの様だった。
そしてどことなく不安定な少女は雪が降りしきる中、遂に、のろのろと歩くことさえ止めてしまう。



――追いかけてなんてこないことも探しに来てくれないことも明白で
――それを望む権利すら自分に無いことも、嫌というほど承知していた



なのに。どうして。



「――どうして、あなたが居るの」


驚きや戸惑いを隠せない視線の先には、雪の如く真っ白な、学園都市の第一位。
512 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/01/12(水) 00:08:46.33 ID:lMTN03X50


「ミサカ……ワー、スト、」


走って走って走って、途中から雪が降ってきて一層気温も下がって、でも走って。走って。
『走る』、といっても杖をついていることもあり、随分と無様な姿を晒しながら。
能力に頼り切って生きてきた線の細い少年の肩は遠目にも分かるくらい大きく上下していて、首に巻かれた黒いマフラーが白によく映える。


距離にして、およそ70メートル。
暗闇の中で、泥沼の中で。もがき続けてきた二人の視線が確かに交わる。


真っ白な超能力者は途切れ途切れに大切な人の名前を紡ぐ。
しかし、勿論のこと冷たい風に弄ばれて流された。


――ならば。
声を張って、叫べばいい。
今度こそ、しっかりと届くように。



「ミサカワーストォオオオオオ!」
513 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/01/12(水) 00:12:15.22 ID:lMTN03X50


辺りにいた人々がぎょっとして叫ぶ一方通行を見た。
名前とは言い難いような、どちらかと言えば識別の為のコードや記号に近いような単語。
そんな名前でも、嫌いなこの名前でも。


じわり、と番外個体の瞳に涙が満ちた。
ただしそれは頬を伝わずにゆるゆると眼球を沈め、視界を濁らせる。


憎悪でも苦しみでも悲しみでもなく、安堵、喜悦、安らぎ。
居心地が良くてくすぐったいようなそんな感情が、番外個体を包み込んだ。


「……なんで、そう馬鹿みたいなこと、するのかなぁ」


周りで訝しげな顔をする通りすがりを見て、呆れたように呟いた。
けれどそんな言葉とは裏腹に、自然と頬が緩んで、声が上擦って。
カツカツといつもより早足で寄ってくる男の元へと、気付いたときには駆けだしていた。


雪が溶けかけてシャーベット状になったぬかるみに足をとられた。
防水加工も何も施されていないスニーカーの中まで浸水して、コートの裾にも濁った水が飛び跳ねる。


それでも、減速しない。
自分を呼んでくれた。それだけで、あの人の元へと走る理由になる。


あと、数メートル。
瞳に貯まっていた涙が風に晒されて、ひやりとした刺激を生み出した。


「一方通行ァッ!」


もう、手は届く。
514 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/01/12(水) 00:17:29.05 ID:lMTN03X50

抱きつくというよりは飛びつくという方が適切だ。

駆けてくる番外個体を見て心臓を鳴らしていたのも束の間、一方通行は鈍重な痛みを感じながら強くそう思う。

こちとら杖をつかなければ歩行もままならないというのに、番外個体はタックルをかますかの如く『飛び込んで』きた。
勢いそのままにその行為に及ぶ番外個体を受け止めつつ、ぐらりと身体が後ろの方に倒れかけて、杖を持つ腕に力を込める。

ガリガリとアスファルトと杖の先が擦れあう音がして、杖を持つ細い腕が悲鳴をあげた。


あ、これヤベェ……死ぬ……


このまま後ろにぶっ倒れて後頭部強打、なんて痛そうな恐るべき未来が一方通行の頭をよぎる。

しかし、大切な人を探して学園都市を駆けた男は強くなっていた。
ぬかるみで滑って転けて、生意気そうなガキに笑われた。麦野なら平気でマナーモードとか嘘をつきそうだが、着信拒否にもあった。
精神的苦痛とも言えるそんな試練を乗り越えて、“あくまで精神的に”、少しだけ。


「クソッたれがァ……コイツも碌に支えられねェで、何が学園都市最強だってンだよォ……ッ!」


ぎりぎりと歯を食いしばり、現代的なデザインの杖に更に力を込める。
空いた片手はしっかりと番外個体の背中に回して、やっと見つけた彼女を逃がさないように。

倒れかけた身体を起こし、体勢を立て直す。


おーっ! と、周りがどよめいた。
端からは感動的な再会を果たしたカップルとでも勘違いされているのか、近くにいた女学生二人組からパチパチと拍手が広がっていく
仕舞いにはあんな恋愛してみたいよね、などと理想の恋愛像を語りだす始末だ。


「なンのくだらねェドラマ撮影だっつの、ボケ」


こつん、と飛び込んできた番外個体の頭を小突いた。
515 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/01/12(水) 00:18:40.25 ID:lMTN03X50

ヒロインこと番外個体は、暫くの間ぐずぐずと彼の肩あたりに顔を埋めていた。

泣いているのか、怒っているのか、笑っているのか。
顔は見えないが、上着を着ていない一方通行の薄いシャツを介して左肩の辺りにじんわりと湿り気が伝わってきたことで、彼女が今どんな表情をしているかは分かった。

泣き顔をうずめて、声を殺しているに違いない。


「……オイ番外個体、人の服に涎染みこませてンじゃねェぞ」


割と泣き虫なくせして、泣き顔を見られることを嫌う番外個体に茶化す様にそう言ってやる。
一応気を遣ってみたつもりなのだが、反応無し。これでは只の寒い人だ。ていうか上着を着ていないだけあって寒い。


「ごめんなさ、い」

「あァ? ……どォした」


とんとんと番外個体の背中を軽く叩きつつ、一方通行は彼女の漏らす声を聞き逃さないように気を配る。
と、冷たい風に吹き晒されて、番外個体の身体が震えているのに気が付いた。
以前の様に風邪をひかないだろうかと心配になって、大丈夫かと聞く。微妙な感じに首を縦に動かしたのが伝わってきた。


「……っと、どォすっかな……」


さて、どうしたものかと考える。
番外個体は最初と同じくまたぐずぐずいってるし、正直、先程の謝罪の意味も何のことかよく分からなかった。
寧ろこちらから謝った方が良いのかと考えていたので面食らったというか。

……何よりも、公衆の面前で抱き合う公害男女への視線が若干痛いものへとなってきている。
516 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/01/12(水) 00:21:09.96 ID:lMTN03X50

「……あーっと、……寒ィなァ」


何をして良いか分からなくて取り敢えず同意を求めてみるも、首を横に振ってNOのサイン。あ、そォですか……と食い下がる。
陽が暮れると共に気温も下がり、つーか番外個体の身体だって震えてるのにと思う。


「みさ、」

「初春さんと、の、邪魔してごめんね。ミサカ、勝手に、」

「あァ? ……ういはる、……って、あのガキか」


溶けたような鼻声で声を震わせる番外個体。
一方通行の肩のあたりが本格的にじわじわ濡れてきて、けれどその理由が分からずに戸惑う。


「初春さんがいるっていうのは分かる、けど、ミサカのとこから、いなくならないで。忘れないでよ。
 ……あなたをよく知ってるのは、このミサカだよ。ねぇ、『妹達』に贖罪するんでしょう?
 だったら最期まで完遂してよ。偽りでも良いから、ミサカのことも見てよ」


無理矢理に搾り出すような声。
背後に回された番外個体の爪がぎちぎちと、逃がさないとでもいうかの如く骨張った背中に食い込んできた。
家から上着も着ずに出てきたことが仇となって、薄いシャツの上から痛みを生み出す。

そして、それとは別の部分までもがずきずきと痛みを訴えてくる。


贖罪、?

違う、違う、全然違う



ロシアで凱旋を果たし。同棲を始め。一緒に食事をし、買い物をし、
寒い夜は二人でベッドに入り、寂然とした夜は互いを埋め合う為の虚しくなるようなセックスに溺れた。
クリスマスという似合わないイベントも二人で過ごして、プレゼントを渡し渡され。


それが、全て、贖罪行為だと。
まるで死刑宣告でも受けたかの様に、一方通行の身体が凍りついた。
517 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/01/12(水) 00:23:04.15 ID:lMTN03X50


番外個体が好きだ。家族として、知人として、友人として、――女として。
けれど、その好意や善意に基づいて『らしくない』ことをしたって、結局は贖罪行為としかみなされず、偽善としか受け取って貰えないのか。

番外個体が好きだから。

それだけでは、一方通行が番外個体を想い行動する理由には足らないのか。彼女と一緒に居ても良い理由にはならないのか。


――ならばいっそのこと、自分に似合わぬ感情などかなぐり捨てて。蹴り飛ばして。押し込めて。
ただひたすらに『贖罪』行為を繰り返せば、それだけに留めてしまえば。きっと、楽になる。苦しみも消え失せる。

もう良いじゃないかと、一方通行の中で諦めの声が木霊した。
所詮自分は何の罪もない少女を何百何千何万と殺してきた殺人者で、生き残りの少女に対する筋違いな思いやりを施す偽善者で、

だったらもう――


「……巫山戯ンな」


けれど、一方通行の出した答えは、



「……贖罪だァ? 勘違いするンじゃねェぞ」
518 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/01/12(水) 00:24:33.61 ID:lMTN03X50


「え、」


番外個体から気の抜けた、間抜けな声が漏れた。
彼女の指先が相変わらずぎちぎちと食い込んで痛い。


「違ェよ、贖罪でも同情でもねェってことがどォして分かンねェ」


だから、それに負けないように強く強く番外個体を抱きしめる。
互いに互いを縛り合い、縫い止め合い。


「だ、って。だって、ミサカ何にもできないし、じゃあどうして、」

「オマエが、必要、なンだよ。一緒に居たいからに決まってンじゃねェか」


とんだ喜劇だと、一方通行の中の妙に冷静な部分が冷ややかに突っ込んでくる。何処の爽やかボーイだ。
言った傍から頭を掻きむしりたくなる様な感覚に襲われる、プロポーズにでも使われそうな臭いセリフに、しかし番外個体は嬉しそうに


「オマエが、ひつよう……いっしょにいたい……」


えへえへとリピート。
わざとこっちの羞恥心を煽っていやがんのかコラと言いたい衝動に駆られるも、一方通行はクールにポーカーフェースを決め込む。
、というのは彼の中だけでの認識で、実のところ真っ白な顔を珍しく赤くしているのだが。


「ほんとに、そう思ってる?」

「当たり前だろォが」

「……そっか。ミサカもだよ」
519 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/01/12(水) 00:26:25.10 ID:lMTN03X50


互いに互いを『必要』としている。
けれどきっと、両者の思い描く『必要』とは、互いに食い違ったもので。

それが分かっていても、一方通行は番外個体を離さない。


「そォだよなァ、俺が居ねェと碌に飯も食えねェもンなァ」


彼の『必要』が意味することを、番外個体は知らなくても良い。
何も知らないからこそ、気付かないからこそ、今のままで現状を保ち、
そして彼女がそこに自分を『必要』としてくれるのであれば、それで良い。それだけで良い。


「……うん。でも、できるように頑張る」


鼻声で抱負を語る少女を救うのは、一方通行が言った一言で十分だった。それでもお釣りが来るくらいだった。
自分と一緒に居てくれることが彼の本意だと気付かされて、同情や罪悪感からの使命的な贖罪行為でなかったことが何よりの救いとなって、嬉しかった。


「ほら、そろそろ本格的に寒ィから家のこたつであったまンねェと。風邪ひかれたらこっちが困るンだよ」

「……あなたこそ、下手くそなマフラー巻くよりコート着てくれば良かったのに」


なかなか適切な返しは見事にスルーされる。
それでも、自然と笑みが零れた。
520 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/01/12(水) 00:29:43.95 ID:lMTN03X50

降りしきる雪は暫くやみそうにない。
暗くなった町並みを照らす電灯が落ちてくる結晶を輝かせていて、なんだか幻想的だ。
その中を並んで歩く一方通行と番外個体は、彼らを知らない人でも恋人同士と言われればすんなりと受け入れられそうだ。


「初春さんはどうしたのかにゃーん?」


泣きやんで、それでも鼻声の番外個体が穏やかな声で一方通行に尋ねた。
そこには躊躇いも、怒りも、怯えも、一切無く。
一方通行が番外個体に言ってくれたことは彼女を酷く安堵させ、その顔をあどけなく演出するのにも一役買っていた。
安心しきった番外個体はまるで子供みたいで、妙に庇護心をくすぐってくる。


「オマエが出てった後直ぐ帰した」

「オウ、それは随分とまた……。そんなことしなくたってミサカはガキじゃないのにさぁ。過保護だよねぇ、親御さん」


強がってみたら一方通行に鼻で嗤われて、それが少し悔しい番外個体。
でもやっぱり嬉しくて、にやにやと笑ってしまう。


「あーあ、どっかの泣き虫は街ン中探してもなかなか見つからねェしよォ」

「ちょっと、泣き虫って誰かなぁ? ていうか麦のんに電話しようとか考えなかったの?」

「あー……アレだ、マナーモードだァ」


着信拒否されました、とは第一位のプライドが邪魔して言えなかった。
なンか気持ち悪いからと一時着信拒否にしていた海原光貴にごめンなさいしないといけない。
今更道徳的なことを学んだ気になっている一方通行。やはり人間は、幼いうちにしっかりと団体生活を体験すべきです。


「……でも、ごめんね。折角にゃんにゃんできそうだったのに、ミサカが邪魔しちゃってさ。初春さんにも悪いことしたなぁ」

「あのなァ、オマエがどンな勘違いしてるか知ンねェけどよ、あのガキはマジでただの生徒さンですゥ。
 ……にゃンにゃン?」

「うん。にゃんにゃん」

「にゃンにゃン」


最近の言葉はよく分っかンねェなァとか、それとも番外個体は猫好きらしいから造語でもしたのだろうかなどと考えつつ何となく繰り返す。
にしてもこの悪人面でにゃんにゃん言われると少し怖い。

聞き慣れない言葉に一方通行は首を傾げつつ、けれど『にゅうにゃあ』だの『んでんで』
だの言っている番外個体は、そのまァアレだ、可愛いから良しとする。
521 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/01/12(水) 00:31:45.96 ID:lMTN03X50

Viewpoint of MISAKA_Worst(think back)


苦しかった

分からなかった

何処かが痛んだ

泣きたくなった

でも、嬉しかった

最近で一番寒かった

なのにあの人はあったかかった

やっぱり落ち着く良い匂いがした


此処に居たいって思った

此処に居ても良いんだって、思えた



あと、どきどきした

575 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/01/25(火) 23:20:59.17 ID:wQpE6FjR0


22時20分。この時間帯は、とある夜行性二人暮らしが活発になる。
……はずだったのだが。
白いのは、只今絶賛寝かされ中である。


「だァからァ、別に熱があるわけじゃねェンだよ!」

「んーん、ほら寝て寝て。……今お粥持ってくるからね、絶対食べてよ」


低い声で『お粥』という不穏なワードを残していった番外個体に戦慄しつつ、どォしてこォなった、
と一方通行は無理矢理ベッドに寝かしつけられるという醜態に至った理由を思い返す。


『あー喉痛ェし風邪ひいたかもしンねェ』


といっても思い当たる節はこれしかなく。
少し喉が痛い程度のことを何の気無しに番外個体に漏らしたら、半ば強制的にベッドイン! させられた。
やはり昨日、番外個体を探して薄着で雪の中を走り回ったのが良くなかったのだと思う。
しかしたかが喉の痛み、最新の科学技術を誇る学園都市では1日なくたって市販の薬で十分に完治が期待できるのだ。些か大袈裟な対応といえる。


「肉食いてェ……」


暖房がよく効いて、というか少し暑いくらいに感じる部屋で呟く。

彼ら二人の夕食は遅い。
夜10時すぎ、時には11時を回った頃にいただきますをすることもあり、それはに番外個体のバイトが大きく関係している。
簡潔に言うと彼女が帰ってきてから夕食を作るから、ということなのだが、
一方通行がその時間までまともな食事をとらないでだらだらしていられるのは以前からの不規則生活の賜といえる。

しかし実際は番外個体への色々な思いがそれをさせている、というのが一番大きかったりして、
けれどそれを自覚して受け入れられるほど第一位は素直ではない。


そんなこんなで今日も元気にバイトから帰ってきた番外個体さんにうっかり口を滑らしてしまい、
本日のメインディッシュになるはずだった肉にありつけないまま空腹と闘っているのだ。
576 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/01/25(火) 23:22:51.34 ID:wQpE6FjR0

細身なくせして肉好きな一方通行は、のそのそと起き上がる。
暑いのに加え、大したこともないのにこうして寝ているというのはどうも落ち着かない。


しかも番外個体がお粥を作れるわけがない! これは大変だ!


ということで脳内で警報もなり響き、いそいそと部屋を出ようとしたところで、


「あっれー? 何処に行く気かにゃーん? ……逃げるとか無しだよ、ひゃひゃ」


運悪く両手で鍋を抱えた番外個体と鉢合わせた。
凶悪な顔でそれでいて楽しそうに笑い、そんな彼女に行く手を阻まれる。


「逃げるって……オマエは何をしてェンだよ……」

「いやぁ、ミサカが前風邪ひいたときに食べたお粥の味が忘れられなくてさぁ。うん、あれには衝撃を受けたよ、けけけっ!」

「アレはマジで病人のことを思って薄くしたンだっつのォ! つーか結局完食したじゃねェか!」

「はいはい、ご近所迷惑でちゅよーん? ママが作ったレトルトお粥、おいちーでちゅからねー」

「ちっくしょォおおおお!」


よいしょとベッドの脇に置かれたガラステーブルに鍋を置いた番外個体にベッドに押し戻される。
ガキ扱いが非常に気にくわないし、大体レトルトなんて作ったうちに入るのか。
577 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/01/25(火) 23:24:49.92 ID:wQpE6FjR0

「ぎゃっは、病人さんなっさけないねぇ」


白い湯気をあげるお粥をよそいつつ、ベッドに入って上半身を起こす一方通行を番外個体が薄ら笑いを浮かべて見てくる。
寂しいくらい真っ白なお粥(多分)が見え隠れして一方通行の不安感を煽った。味、するのかな……
そんな一方通行の気も知らず、番外個体はというと、


「おかわりもあるからね。……おいしょ」

「は? え、ちょ、オマ、……ハァア!?」


ベッドの上に登ってきた。
布団の下に伸ばされた一方通行の足に跨るようにして座ると、


「はい、あーん」


れんげで掬ったお粥を口元へと。
事態を把握できずに口をぱくぱくさせて間抜け面する一方通行を見て、準備OKの合図だとでも勘違いしたのか、


「うあっちィ!? ちょォ、っつゥ!」


ぐりぐりと突っ込まれた。
熱い。クソ熱い。でもって味がしない。熱い。


「なンなンですかァオイィ!? あっちィンだよつーか自分で食えるっつの!」

「ぎゃは、鯉みたいにお口ぱくぱくしてたからさぁ、焦っちゃったにゃーん。ていうか泣くなよぅ。
 ミサカだって別にあなたが憎くて熱いの食べさせたわけじゃないんだって」

「泣いてねェし! つーかマジで味、」

「美味しくない? ……風邪、ミサカのこと探してくれたせいだろうし、そのお詫びのつもりで作ったんだけど。
 美味しくなかったかなぁ。あっつくて味見できなかったからなぁ」


反発しつつも目尻に涙を浮かべる学園都市の第一位は、しかしそれでいてミサカと名の付くものに弱いのだ。
クリスマス前夜に彼が作ったお粥の復讐を受けるかと心構えていて、実際食べさせられてキタコレヤバイと思っていたのだが、
それは番外個体の不器用さのせいだったりとかお詫びのつもりだったりとか知ってしまうと、突っぱねることなど余計出来るはずがない。
578 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/01/25(火) 23:27:26.98 ID:wQpE6FjR0

何となく味はする。
美味しいとはお世辞にも言い難い感じだが、


「不味くは、ねェ……かも。ほら、食うからそれ寄こせ」

「あ、ダメダメ! 病人は大人しくしてなきゃさぁ」

「だってそれクッソあっちィじゃねェかよォ」


ごもっともでございます。
的確に指摘されて言葉を詰まらせる番外個体。
昨日の自分勝手な行動で一方通行が大変なこと(番外個体vision)になってしまったというのに、結局何の力にもなれない。
自分の無力さにいい加減うんざりしつつ、一方通行にお碗とれんげを渡そうとして、


「……あ」


閃いた。

先程まで『あの人の力に……』とか考えてたくせに、第一位ちょっと困らせてやろうぜ的な悪戯心が芽生える。
陶器(だから尚更熱くなる)をぎゅっと握り直して、


「……すいませェン。一体何をしやがってンですかァ?」


一方通行を敬語にさせた。
目を丸くして呆けているところを見ると、相当驚いているようだ。
番外個体はそんな彼が伸ばした足の上に乗っかったまま、上目遣いでその間抜け面をにやにやと悪い顔をして、


「何って冷ましてあげてるんだけど」


ふーふーと。

そういや黄泉川が打ち止めにやってるの見たことあるなァとか、何処の過保護ババァだよとか。
そんなことを考えるも、口には出ない。ていうか出せない。


「ひゃひゃひゃ! 何だぁそのツラァ!?」


一方通行の困った顔を見れて満足なのか、何だか凄く楽しそうな番外個体。
ここ最近は様々な感情を表現力豊かに表していているようで非常に宜しいと思っていたものの、それでも本質は変わっていないらしい。


「いやだけど本質以前にオマエのキャラじゃねェだろソレふーふーって」

「はぁ? 何言ってんの?」
579 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/01/25(火) 23:29:27.41 ID:wQpE6FjR0

「はい、今度はちゃんと冷ましたから……あーん」


ずいっとれんげが差し出される。

一方通行の心臓が不快なくらいばくばくと鳴って、ちくしょうと心中で毒づいた。
こんなことで馬鹿みたいに胸を鳴らしている自分が嫌で、それでも嬉しさとかそんなものが勝ってしまうのだ。

そして、一方通行は逆らわない。逆らえないのではなく、逆らわない。
嫌悪に驚喜が勝ろうとも、逆らわずに、そこにそのまま身を預けてしまう。


クソッたれ。何処まで堕ちりゃァ気が済む。少しは抗え。散々ガキ共ぶっ殺してきておいてこンなンじゃ、テメェは本当にクソ野郎だ。


内側で罵っても、矛盾を覆すことなど出来なかった。


「ちょ、照れないでよ。顔赤いって。……ミサカまで恥ずかしくなるじゃんか」

「うっせェよ、照れてねェし」


顔が赤いと指摘されて、羞恥とそんな自分への嫌悪を誤魔化すように言い返した。
そんな一方通行の反応を見た番外個体まで自分の行為が如何に恥ずかしいものか自覚したのか微かに頬を紅くしだす。
何とも言えない微妙な空気になってしまって、


「……、行くよ?」

「ン、ばっちこい」


一方通行は横に目を逸らし、番外個体は顔を俯かせる。
少し場違いな気がしなくもない合図を取り合って、


「……あっつく、ない?」

「お、おゥ。丁度良いわ」
580 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/01/25(火) 23:31:25.82 ID:wQpE6FjR0

暖房の稼働音、時折響く、かちゃかちゃと食器が触れあう音と微かな息遣い。

会話は、ない。

ただ黙黙と食わせ食わされの男女の絵は、それだけみれば少し異様な雰囲気かもしれない。
しかし、互いに頬を紅く染めて、正面――相手の顔を見れないでいる姿は初々しくて、どこか微笑ましいものでもあった。
学園都市の闇そのものと言っても過言ではないような二人でも、『表』の世界で暮らしていれば年頃の高校生であることに違いはないのだ。


「あ、そうだ。タオルとか、いるかな? 身体、拭くでしょ? ミサカが持ってくる」


ふーふーしてあーんなどという、恥ずかしながらも世の男が憧れる様なことをやってのけた番外個体の顔は酷く紅い。
一方通行を少しからかってやるのが目的だったのに、もしかすると、
少しの照れでも簡単に分かってしまう真っ白な彼よりも羞恥の色をはっきりと表しているかもしれない。
そしてそれを誤魔化すように、彼女の方から沈黙を破った。



――こいつは、俺という男に対してもこんな表情をするのか。


一旦器を小脇に置き、俯いたままシーツを弄る番外個体をぼんやりと眺める一方通行。
さらさらとした細い茶髪の間に見え隠れする耳まで赤くして、自爆とでも言うのだろうか、自分からやり出したくせに滑稽だ。
今何を考えているのだろうか。それが妙に、気になった。


「……ン、じゃァ頼むわ」


大人しく番外個体の提案を受け入れる。
どうせシャワーを浴びると言おうが自分で取りに行くと言おうが、
たかが風邪の初期症状を大事の様に捉えている番外個体はそれをさせないだろう。


「うん。ちょっと待ってて」


立ち上がった番外個体は、お粥の入った、未だに湯気を上げる保温効果抜群の鍋を持ち上げると碌にこちらも見ずに部屋を出て行ってしまう。
それを見届けて、一方通行は小さく息をついた。
学園都市第一位と言えど、緊張するときだってある。自分の想う女が相手であれば尚更だ。

番外個体がドアを開けたことで廊下から流れ込んできた冷気が程よく室温と混じり合い、そんな空気の中でベッドに横になった。
暖かな温度、良い子は寝ている時間帯、食後、緊張から脱した安堵。
様々な条件が重なったことで眠気が誘発される。


――気付くと、睡魔に逆らえずにうとうとと微睡んでいた。
決して悪い気持ちなどではなく、寧ろ心地の良い、そんな気分の中で眠りに落ちていく。


そして、そんな日こそ。そんな日に限って。
581 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/01/25(火) 23:33:17.51 ID:wQpE6FjR0




……――し




………――と……ろし




ひと……し




ひとごろし

ヒトゴロシ




人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺しヒとゴロシ人殺し人殺し人殺し人殺し
人殺し人殺し人殺し人殺し人殺しひとごろし人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し
人殺し人殺し殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し
ヒトゴロシ人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し
人殺し人殺しひとゴろ死人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し
人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺しヒトゴロシ人殺し人殺し人殺し人殺し




人殺し


582 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/01/25(火) 23:36:00.13 ID:wQpE6FjR0


妹達。超電磁砲。打ち止め。黄泉川愛穂。芳川桔梗。麦野沈利。冥土帰し。上条当麻。土御門元春。
得体の知れない電話の声。初春飾利。海原光貴。結標淡希。白井黒子。修道服の少女。浜面仕上。滝壺理后。

声、声、声、今まで関わってきた人間の、声。
ヒトゴロシ、と、尤もな言葉で自分を罵る言葉。



――暗い
目をハッと開いて覚醒したはずなのに、暗い
夢の続きなのか、現実なのか――



人殺し。


鮮明に残っているその響き。
そう呼ばれ、目が覚めるのは初めてではなかった。
慣れてきたつもりだったし、どうして自分がこんな悪夢に、などとお門違いに嘆いたりはしない。
当然の報いで、たかが悪夢、己がやってきた事に比べれば全然軽い、軽すぎる。一人分にも満たないだろう。


ただ、今日に限って、というのが正直なところであった。
自分のしてきた行いを鑑みず、浮かれていたからか。寝る前のアレに対する戒めかもしれないと、一方通行は暗闇の中で考える。
583 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/01/25(火) 23:38:19.73 ID:wQpE6FjR0

眠りにつく前は明るかった筈の部屋の電気と暑すぎたくらいの暖房は消えていた。
窓から入ってくる、救急車だか警備員の高速車両だかの赤色灯の光に、目の奥がちかちかと点灯する。


一度目を閉じ、息を吐く。
ああいった夢を見た後は簡単には寝付けない。
明け方近くになって微睡んだところにまた悪夢をみるのが常で、だからといって起きるのも怠い。
このまま黙って目を閉じているかと考えて、肌寒い室温から逃れるために毛布を引っ張ったとき、


「……んう」


ベッドの端から、声がした。
もぞもぞと寝返りを打つ様な効果音と一緒に、かけ直そうとしていた毛布が反対側に引っ張られる。


「あァ? ……オイ、」


ふと、微かな甘い香りが一方通行の鼻腔をくすぐった。
何故か人のベッドに入り込み、こちらに背を向けて寝ている少女が気に入って使っているシャンプーの香りだ。
その匂いに誘われる様にして、静かにその髪に手を伸ばす。
乾ききっていないそれはしっとりと濡れて冷たくなっていた。


――人殺し


そういえば、あの夢の中に彼女の声は無かった。
自分の無意識下でそれを望み、都合に合わせて脳が勝手に幻想を生み出しただけかもしれないし、そうであるのが一番納得がいく。
それでも何故か、それが嬉しくて、それと同時に思うのだ。見当違いな感情を、願望を、抱いてしまうのだ。


『失いたくない』


ガキみたいに温々とした体温を、抱き寄せた。
番外個体の方を向くようにして体勢を変えると、ピンクのもこもこ冬仕様パジャマの腹あたりに手を回す。


「んー、……あくせられー、た?」

「風呂から上がったらちゃンと髪乾かせっつっただろォが。それともアレか、濡らしたまま人のベッド潜り込ンできて誘ってやがンのかァ?」


抵抗がこないのを良いことに、意地悪くそう言って髪を撫でる。するすると指の間を滑り落ちていった。
今は何時か分からないが、番外個体はどうやら寝付いてそれ程時間が経っていないようだ。
寝起きは寝起きでも、毎朝の鈍重な彼女とは違い、いつもの様に笑い声を漏らす。
584 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/01/25(火) 23:41:21.27 ID:wQpE6FjR0


「ひゃひゃ、そーんなことしないって。だってタオル持ってきたらあなた寝てたし、お風呂から上がっても寝てたから」

「だからって此処で寝る理由にはねらねェだろォが。あとマジで髪乾かさねェと痛むぞ」

「眠くてさぁ、廊下寒いから出たくなかったし。……ねぇ、ミサカは抱き枕でもダッチワイフでもないんだけど」

「…………離れンな……」


耳元で、掠れた声で囁かれた。ひゅうひゅうと、一方通行の喉が鳴る。
番外個体は一瞬きょとんとした表情を作った後、顔が火照っていくのを自覚する。
こういう台詞を何の気なしに吐いてしまう、後ろの男が恨めしい。何処かのフラグ乱立男もこんな感じなんだろうか。


とくとくと、胸の鼓動が小さく、それでも確かに加速する。


今の状況、寝る前の小さな出来心、そしていつかの自慰行為。一方通行の匂い、体温、声。
全部が全部ごちゃごちゃに混ざって、つい先程までは気にならなかった筈の、回された腕を妙に意識してしまう。
心臓が脈打つ微かな音や振動が伝わってしまわないかと心配になった。

それでも平然を装って、


「どうしたのかにゃーん? もしかして甘えたいお年頃だったりすんのぉ?」

「うっせェよ……」


なのに、一方通行がいつもよりトーン低めに弱く呟くから、ぎゅっと胸が締め付けられる。
うるさいとか言っておきながら尚もそのままの異性に、今更緊張しつつも不覚ながらに可愛いと思ってしまう。


(あーもう、幼児退行でもしてんのかよう。なんつーか、いつもより可愛げあるんですけど)
585 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/01/25(火) 23:47:14.87 ID:wQpE6FjR0


幼児退行などと普段からは想像できない、少し気味の悪い疑いを持たれている一方通行だが、実のところ不安だったのだ。
知り合いの声で『人殺し』と丸丸当てはまる言葉で呼ばれ、そんな自分のもとから番外個体が消えてしまわないかとひたすらに。


殺される側だった『妹達』からすれば、許し難く都合の良い話かもしれない。
一万人以上の少女を虐殺してきたバケモノがどの面下げて、何をぬかしているんだと思われたっておかしくない。

それでも、いくら利己的で自己中心的なことだと分かっていても、


「…………離れンな……」


抱き寄せて、そう言わずにはいられなかった。
彼女の体温を直に感じて確かめずにはいられなかった。

好意の押しつけ、好意での拘束。
拒まれないと分かっていてそれをするのは卑怯なやり方だと自覚していて、
それでも敢えてそれをした自分はとことんクソ野郎だと思った。


「ほんとにさぁ、なーんか変だよ? ぎゃっは、もしかして怖い夢でも見たとか?」

「馬鹿にしてンのか。……別に、夢なンてみてねェよ」


一方通行のその言葉をどう捉えたのか、番外個体はくすりと小さく笑う。


「けけっ、なんだよういきなり抱きついてきたくせにさぁ。……ねぇ、ミサカは」


少しだけ、静かに目を瞑って間をおく。
浮かんでくるのは二人で過ごした数ヶ月で、たったそれだけの期間に色々あったと振り返る。
とくんとくんと心臓が鳴った。後ろに感じる暖かさが心地良い。


「――ミサカは、絶対に、自分から離れていったりなんてしないよ。あなただって、分かるでしょう? だからさ、変なこと考えなくて良いんだよ」

「……、あァ、そォだな」

「そうだよ。……ね、ちょっと体勢変えたいんだけど。そっち向いて良い?」

「ン、……つーかアレだな、オマエ少し太っ」


鈍感な第一位が放った空気を無視したデリカシーのない一言に、直後ビリビリと紫電が散ったというのは言うまでもなく。
それから暫く口を利いてくれなかった番外個体、もといレディにダイエットとかスタイル云々の深刻な悩みを植え付けた。


639 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/02/06(日) 22:12:02.66 ID:3wCZGTLdo

「ヤバイよヤバイ、これは大変だよう」


電気ストーブで暖めてもまだ少し肌寒い脱衣所で、寒さだけでない別の理由から青ざめた顔で嘆くのは番外個体だ。
大雑把に拭いただけの、まだしっとりと湿度を保つ身体をバスタオル一枚で隠すその姿は妙に艶めかしい。
すらりと伸びた白く細い生足は同性から見ても目を惹かれるもので、男からすれば尚更だ。
湿った身体にまとわりつくバスタオルは身体のラインを浮き彫りにして彼女のスタイルの良さを主張しているのだが、
しかしそれは足下のごく普通な体重計によって半減している。


「此処に来てから1.5キロかぁ……あの人の言うこともあながち間違ってないのかも」


がっくしと肩を落とす番外個体。
数日前、女心の分からない、しかも女の自分から見ても細くて羨ましいとさえ思ってしまう男から放たれた衝撃的な一言。
その言葉の真理を確かめるのは非常に恐ろしく、けれど今日、意を決して1ヶ月ぶりくらいに体重計に乗ってみた。

……乙女のプライバシーを守るために公開は控えさせていただくが、それにしたって十分痩せていると言って良い数字だ。
そこら辺で『ミサカ最近太っちゃった☆』とか言ったら世の女性達から睨まれそうなくらいに。

しかし、そんな世間の事情と自分のプロポーションの良さを自覚していない少女は心ない一言でいとも簡単に打ちのめされた。
何度でも言う、『一方通行』というあの男は女心をこれっぽっちも分かっちゃいない。


ひとつ溜息をついてから、パジャマを着ていく番外個体。
髪はしっかり乾かせとデリカシーの欠片もない男から口うるさく言われているが、もう少し乾いてからすることにする。
取り敢えず適当にタオルで水気を除いて髪を梳かすと、換気扇を回してから脱衣所を後にした。

『ダイエット』という単語を頭の中に浮かべながらリビングに足を踏み入れて、


「ねぇ、ミサカ痩せるために、……何やってんの?」

「おゥ、プリン作ってンだよ。オマエが牛乳飲まねェから腐らせちまう所だしよォ、卵も賞味期限前だしな。
 今から第二位仕様のていとうこくンに頑張ってもらって、そォだな、30分ででかしてやるよ」

「あ、あぅ……プリ、ン……?」

「オマエ甘ェの好きだろ? ……って、どォした」

「だって……だってしょうがないじゃん……新メニューの試食だってしてるしさぁ、あなたの料理は美味しいからさぁ……」


直後、わんわんと子供顔負けの泣き声が夜のマンション中に響き渡り。

甘い誘惑を前にして、乙女の心は粉砕された。

640 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/02/06(日) 22:13:56.79 ID:3wCZGTLdo

「今日は昨日より寒くねェなァ」

「このまま春になるのかねぇ。……あ、ねこ」


『ダイエットの為のウォーキング』と称した『お散歩』。
ここ最近、昼間だったり夜中だったりと、時間こそバラバラだが二人はこうして並んで歩くことが日課になりつつあった。
これが結構面白くて、キャンピングカーを改造したような屋台で食べれるクレープやコーヒーが密かに楽しみだったりする。
番外個体は生クリームとかチョコソースとかそういった単語に非常に弱く、頻繁に釣られているのだが、
それではダイエットの意味が……、というツッコミは野暮というものだ。


頬にクリームを付けて美味しそうにクレープを囓る番外個体は幼げで。
しかし時々こちらを見上げる表情は何処か大人びた女の顔だったりする。
そのギャップに一々一方通行の心臓は大きく反応してしまうのだが、毎回毎回その調子では早死にしてしまいそうだ。


「おい、クリーム付いてンぞ」

「ふえ? ど、どこ?」


動揺する番外個体を見て呆れたように溜息をつくと、紙ナプキンで頬を拭いてやる。
子供みたいなその扱いが恥ずかしかったのか、彼女は僅かに顔を赤らめた。
そんな二人は周りから微笑ましいカップルみたいに見られていたりするのだが、当の本人達は知る由もない。


「そういえば来週かぁ、劇場版ゲコ太の大冒険が公開されるの」


食べ終えたクレープの包み紙を小さく畳みながら、番外個体が上を見上げて呟く。
一方通行がその視線の先を追うと、学園都市でも1、2を争う大規模なシアターの壁面に設置された画面で番外個体の言う映画が宣伝されていた。
どう見ても子供向けの2本立てアニメなのだが、彼女の『お姉様』に当たる御坂美琴を始めとした『ミサカ』と名の付く少女達は、これの熱狂的なファンだったりする。


「ケロヨン可愛いよう。でもやっぱりゲコ太がこのミサカ的には一番好きなんだよねぇ」

「どれも同じに見えるけどな。つーかいい加減卒業した方良いンじゃねェの?」

「……、あなた、今すっごく聞き捨てならないことを言ったけれど。ていうかあなたも一回観るべきだよ。
 ほら、あれがケロヨンでさぁ、今回の劇場版はゲコ太が――」


それから少しの間番外個体が熱弁をふるったのだが、何しろ一方通行はゲコ太とか言われてもさっぱりなのだ。
よく分からないまま彼女の興味は別のものに移って、なんだか忙しいヤツだなと思っていながら歩いていく。

学生達の待ち合わせの際によく利用される広場を通りかかった時、二人の目に偶然留まったのは、十数人ほどの小さな人集りだった。
641 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/02/06(日) 22:18:54.37 ID:3wCZGTLdo


学園都市内では普通の全国放送に加え、ローカル番組に似た、独自で作成したテレビ番組が放送されている。
といっても学園都市はあくまで教育を目的とした都市――あくまで表面だけでしかないのだが――であるため、俗に言う『教育番組』のようなものが殆どだ。
何のユーモアもないそれは人口の8割近くを学生が占めるこの土地では視聴率も低迷気味で、
有名人が出演している全国放送の番組の方が断然人気だったりするのだが。

そんなあまり意義のないような番組の撮影は時としてスタジオから屋外に出張してくるため、稀にその撮影風景を目撃できることがある。
二人もその事実を知っていたから、少なくとも一方通行は恐らくそんなところだろうと人集りの横をスルーしようとして、


「あ、そこのおふたりさーん」


人集りの中心から明るくて張りのある声に呼び止められた。
不意打ちに対し、ビクゥ! と大仰に身体を反応させる番外個体。


「あァ?」

「なかなか顔出しオッケーな方が居なくて困ってたところだったんですけど良かった良かった。
 ……やっぱり学園都市っていう限定された狭い範囲なのがいけないのかな……編集部はこの苦労分かってないですよね……」

「いやいやいや、意味分かンねェ。勝手に自己完結してンじゃねェよ。何か残念な臭いがプンプンするババァだなオイ」


後半は殆ど愚痴っぽくなった女を横目に、一方通行は眉をひそめる。
何だかよく分からないこの女を見て、学園都市にはこの手のおかしな人間が多い気がすると半ば呆れるのだが、自分も十分その一人であるという自覚はないらしい。

一方、番外個体はあわあわと。どうも悪徳商法の類と勘違いしているらしい。
バイト先のとある女の子が以前被害に遭っているため知識も警戒心も豊富なようで、しかし猜疑心丸出しのそれを素直に褒めて良いものか。


「な、何返事してんのさこのど阿呆! キャッチセールスの怖さ知らないのかなあ第一位様は!?」

「あはは、キャッチセールスとかそういう怪しいものじゃありません。私、こういう雑誌の……、うーん、カメラマンで良いのかな」


やや自信なさげにカメラマンと自称し雑誌を差し出してきた女は、成る程確かに、首からカメラを提げている。
最近発売されたもので、そういえば黄泉川が続きもしないアルバムを作成するために欲しいとほざいていた。
学園都市最先端の技術を注ぎ込んで開発され、撮って直ぐに写真を手にすることが可能ということで注目を浴びているのだが、何しろそれ相応の値段は少々手を出しにくい。
642 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/02/06(日) 22:20:04.03 ID:3wCZGTLdo


「あ、これミサカも読んだことある。麦のんがよく読んでるヤツだった気がするけど」


女が渡してきた雑誌をペラペラと流しつつ、それによって警戒を和らげた番外個体が意外そうな声をあげた。
実は学園都市でそこそこ名の知れている代物だったりするのだ。


「で、それがどォした。こっちのガキはバイトもあンだよ、何の用もねェなら、」

「ミサカはガキじゃないし! それに今日は観たいテレビあったから別の子と代わって貰ったんだよね」

「あァ!? 何だそれ聞いてねェぞオイ! だったら買い物しねェと駄目じゃねェか! 
 クソッたれがァ、この時間帯は混むンだっつーことをちったァ考えろ!」

「何だか良く分からないけど、直ぐに終わりますよ。ちょっとした写真撮影です」

「そんなのミサカの知った事じゃないしぃ? このミサカはいっつもお仕事頑張ってるんだもん、ひゃひゃ、此処はぐーたら主夫の腕の見せ所でしょ?」

「……よし、カメラもばっちし。貴方たちなら『学園都市☆路上カップル☆ラブラブさん激写しちゃうゾ~in 第7学区~』の名に恥じない被写体になりそうです」


危険な男女二人組はぎゃあぎゃあと喚き、そんな二人にお構いなしのマイペース(ズレているともいう)カメラマン。
ギャラリーはそんな光景を見てやれやれという表情を浮かべるが、ここを立ち去る気はないらしい。
恋仲の二人が睦まじく、時にはいちゃいちゃと、あるいは照れながら写真に撮られる姿は見ていて案外面白かったりする。

――って、


「「…………、カップル?」」


この時間帯の食品の鮮度とかタイムセールとか今日のメニューとか。
そんなことで騒いでいた二人がぽかんと、和音よろしく声を合わせた。

643 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/02/06(日) 22:22:11.58 ID:3wCZGTLdo


「いやだから、はァ? カップルだァ? そォいうンじゃねェよ!」

「えーとじゃあ、そこに立ってもらって……、ふふふ、漲ってきたきたぁ!」

「話聞けやこのクソアマがァ! つーか協力するなンて言ってねェよ!」


マイペースを通り越して自分の世界に入り込んでしまっている女は、一方通行の抗議が聞こえているのかいないのか、むふふと一人怪しく笑っている。
こういう世界ではこれくらいの人間でなければやっていけないのかもしれない。
そんな女に訝しげな視線を浴びせながら、番外個体もあまり乗り気ではないようで。


「これって学園都市に出回るからなぁ。ちょっとヤバくない?」

「協力してくれたおふたりにはセブンスミストのギフトカードを差し上げていますけど」

「やりますやります! さぁどんとこい!」

「おいィ!」


『ギフトカード』の一言でころっと意見を翻した番外個体に、一方通行がびしびしとチョップを喰らわす。割と本気で。


「オマエなァ、釣られてンじゃねェよ。大体オマエのバイト先のヤツだって見てるかもしれねェし、」


と、ここで暗部の『仮眠室』を思い出す。
この手の雑誌が常備されていて、そういえばこの女が言うタイトルがついたものがあった気がしなくもない。記憶力には自信がある。
そうだ、『グループ』の紅一点がいつも読んでいるではないか。

もしも。

『学園都市☆路上カップル☆ラブラブさん激写しちゃうゾ~in 第7学区~』などという長ったらしく気味の悪い特集ページに掲載されたら。

もしも。

それを結標淡希が、土御門元春が、海原光貴が見たら。

そんなの、容易に想像できる。
結標は嫌みったらしい視線をぶつけ、土御門はニヤニヤしながら『羨ましいぜい』などとほざき、海原に至ってはそのページをスクラップにしかねない。
しかしそんな一方通行の懸念とは裏腹に、


「にゃはは、良いじゃん良いじゃん。あっれえ、それとも第一位様は女の子と写真も撮れないような腰抜け野郎なのかにゃーん?」

「――言ってくれンじゃねェか1歳にも満たねェマセガキがァ。やってやンよォ!」

「はい、じゃあ手、繋いでもらって良いですか? 一応このページの売りなんですけど」


「…………はぁ?」


今度こそ、本当の本当に。
二人が同時に凍りついた。
644 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/02/06(日) 22:24:45.11 ID:3wCZGTLdo

「手、だァ?」

「はい。あ、もしかしてまだそこまで進んでませんかぁ?」


ならこの機会にどうぞどうぞとでも言わんばかりのその言い草に、一方通行は気取られない程度に眉をひそめた。

身体の関係を持ったことがあるのに対し、キスはおろか、手を繋いだことすらない。
優先順位というか、明らかに順番が狂っている。
ましてや、ただの同居人。順番云々以前に、身体を重ねてしまったことすら過ちで。

そんな可笑しくて曖昧、少し掻き回せば呆気なくぐちゃぐちゃになってしまう様な関係。
それを第三者から改めて思い知らされると、酷くどうしようもない思いにさせられる。

手を繋ぐという行為は、女からしてみれば少なくとも憧れくらいにはなる、意外に重大で重要な行為ではないかと一方通行は考える。
そしてそれは番外個体だって同であろうことで、ましてやこの歳だ。
実年齢と精神年齢は幼いが、それでも実際、恋愛事情に一喜一憂したことだってある。
何処かのクソガキがふらふらと歩き回り、挙げ句の果てに迷子になったり攫われたりを防止する為に手を握るのとはわけが違う。


「ね、そんなに怖い顔しないでよ。ひゃひゃ、確かにまぁ、ミサカ達が手繋ぐってのは、うん、滑稽だよね。
 ……ギフトカードはちょっと惜しいけれど。あなたが嫌だって言うんならミサカは強制できないし」

「別に嫌だなンて一言も言ってねェじゃねェか。大体、オマエはどォなンだよ。好きでもない男とそォいうことするの」

「……そうやってあなたはいっつもオマエオマエって言うけどさぁ。ミサカは別に壊れ物でもなんでもないし、ていうか寧ろその逆だし。
 だから、」


左手を、とられる。指がするすると絡め取られた。
番外個体の手は気温故か冷えていて、おっかなびっくりとでも言うのだろうか、微かに震え、ぎこちなく。

……こっちだって、壊れ物でもなんでもないというのに。

何となく雰囲気的に真面目臭くなってしまっているのだが、実際に互いの手を握るというのは、やはり。


「手繋ぐだけだしねぇ、うんうん、ロシアでも握手したしぃ!?」

「だ、だよなァ。丁度寒ィと思ってた所だし、懐炉いらずで地球にも優しいじゃねェか!」

「ぎゃっは、地球の自転ベクトルどかーんとやっちゃったヤツがそれ言うわけ? ていうかあなたの手冷たくて死人みたーい☆」

「オマエだって血ィ通ってっかァって聞きたくなるけどなァ」


HAHAHAといつもとは少し違ったテンションで無理に盛り上げる。
異性と手を繋ぐという慣れない行為は、まだまだお子様な二人には少々刺激が大きかったかもしれない。
645 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/02/06(日) 22:26:09.58 ID:3wCZGTLdo

「それじゃ、撮りますよー。自然な感じでお願いします」


半ば強制的に手を繋がせておいて、『自然な感じ』とはどういうことだ。
そんな突っ込みを自粛して、一方通行は相変わらずの仏頂面で立つ。
その横の番外個体はというと微かに口角を上げ、写真スマイルを浮かべている。
端から見ると、付き合って間もない恋人同士のできあがりだ。

白いフラッシュが焚かれ、始まりが遅かった撮影は簡単に終わりを迎える。
目の奥に焼き付いた光がチカチカと二人の視界を悪くした。


「はい、お疲れ様です。協力有り難う御座いました」


じじじ、と微かな機械音を鳴らしながら、カメラから写真が吐き出される。
それと一緒に包装されたギフトカードが差し出され、


「ぎゃは、あなたもっと愛想良くできなかったの? なーんか睨まれてる感じがするけど」

「うるせェよ、この俺がニヤニヤ笑ってたらホラーだろォが」


番外個体から写真を奪い取る。

……不機嫌そうな表情、鋭い眼光。これで雑誌なんかに載せられるのだろうかと疑問に思う。


「……、慣れてねェンだっつの」

「はーいスマイルの練習痛ぁっ!」


顔を覗き込みながら茶化してくる番外個体のやわらかい頬をむにーっと抓ってみると、
彼女は間抜けな顔をしながら突然の攻撃に目を白黒させた。


「何するんだよういきなり! しかも自分はしたり顔っていうのがすっごいムカつくんだけど」

「買い物して帰るか。今日は準備とか面倒臭ェから簡単にパスタだなァ。異議は認めねェ」

「うん、ミサカパスタ大好き。クリームが良いな」


笑っているのはコイツだけで十分だ、と一方通行は思う。
隣を歩くこの少女がただただ呑気に笑っていれば、それで良い。不足はないし、それ以上の贅沢は望まない。

行き場と温もりを失った左手は宙ぶらりんで、どこか寂しげに虚空を描く。
646 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/02/06(日) 22:27:58.81 ID:3wCZGTLdo


マンションの近く、贔屓にしているとあるスーパー。
カゴとエコバックを手にし、陳列棚に並べられた商品を眺め、目当ての商品は手にとって品質を見極める。
パスタの太さは無難に1.7㎜。今は隣にいない少女が所望したクリームソースは、レトルトでなく生クリームを使った濃厚なものにすることにした。

料理はしてみると中々奥が深いと、最近一方通行は考えるようになった。
レシピ、分量を忠実に再現しただけでは完璧すぎて、何かに欠けてしまう。
だから研究、アレンジし、改良を重ねていく。自分の好き嫌いだけでなく、生活の中で自然と理解した少女の好みまで考慮する。

そんな過程と、主に番外個体なのだが、食べた者が零す感想を聞くという、所謂結果が面白いのだ。


「……、トマトを厭らしい目つきで視姦している最中に申し訳ないんだけど」

「うお!?」

「これも一緒に買ってくんないかにゃーん?」


一方通行の返事を待たずに、菓子コーナーから帰ってきた番外個体がカゴに放り込んだのは食玩付きのラムネ菓子だ。
その食玩というのは勿論のこと、緑のあの生き物をモチーフとしたストラップで、


「……ガキだなァ食玩に釣られるなンざァ……」

「んなぁっ!? ト、トマトに劣情を催してるあなたに言われたって痛くも痒くもねーし! ミサカがガキならあなたは変態だ!」

「してねェよ! 誤解を招くよォな発言してンじゃねェ!」


しっかりと番外個体の発言を否定しつつ、手に取ったカクテルトマトをあった場所に戻し、代わりに隣にあったごく普通のトマトをカゴに入れた。
食玩付き菓子は妙に値段が高いのだ。カクテルトマトを諦め、ワンランク下げた比較的安価なものにすることで倹約する。

それから朝食のブレッドをきらしていたことを思い出し、二人並んで最近ブームになっている商品をカゴへ。


「っと、こンなモンかァ? 卵……、はまだあったはずだな」

「冷蔵庫に3つ。……ねぇ、ミサカ達ってやっぱりさぁ、こうしてると周りからは付き合ってる様に見えるのかねぇ?」


ふと、番外個体が疑問を口にする。
今まで意識したことはなかったものの、今日勘違いされてからその可能性を初めて考慮しだしたのだ。
あまりにも自然に暮らしていたから気付かなかっただけで、実はすれ違った時、外食したとき。
自分たちはそのように捉えられていたのかもしれない。


「ドンパチやった仲なのにね、ひゃはは」


本当に、全く。
人生とは何が起きるか全然分かったものじゃない。
647 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/02/06(日) 22:30:02.00 ID:3wCZGTLdo


「『桔梗のヤツが暇してるだろうからPS3繋いでやってほしいじゃん。何かよく分からないじゃん』……だと」

「黄泉川からじゃん?」

「あァ、面倒臭ェこと頼ンできやがった」

「ていうかこの前wii買ってたじゃん」

「公務員の給料は削減の方向じゃなかったンかよって話だな」


自前のエコバックに買った物を詰め、もう少しで自宅、というとき。
一方通行の携帯が受信したのは、黄泉川からのお願いメールだった。
渋渋といった様子で「仕方ねェな、クソニート」と呟く一方通行。
しかし口調ほど嫌そうでもないところを見ると、やはりあの家の人間を放っておくことはできない性分らしい。


「悪ィな、ちょっと行ってくるわ。オマエも一緒に行くかァ?」

「ん、ミサカ今日は観たいテレビあるから行かない。少しお腹空いたから蜜柑食べてるね」


そういえば、その為にバイトも代わって貰ったとか言っていたことを思い出す。
何が観たいのかは知らないが、そんな彼女にエコバックを持たせると、気をつけて帰れと過保護っぷりを発揮した。
マンションまでは残り数十メートルしかないのだが。



さて、仕事も家事もしないで自由気ままな生活を送る元研究者は今日、どれくらいカロリーを消費しただろうか。
そんな予想をしながら、さほど離れていないファミリーマンションへと歩を進める。
648 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/02/06(日) 22:33:18.30 ID:3wCZGTLdo


「キミは相変わらず失礼なことを言うのね。わたしは毎日wii fitで運動しているわ」

「呆れたなァ、前までは研究室に閉じこもって何やら熱心だった研究者サマがよ。
 寝て起きたら誰も居なかったなンて、オマエ愛想尽かされたンじゃねェの?」

「慰労期間とでも言って欲しいわね。……本当に愛穂ったら、帰りが遅くなるみたいだし。二人で楽しんでるのよ、このわたしを差し置いて」


ダイニングキッチンに立つ一方通行が、そんな芳川に侮蔑の視線を投げかける。
いつも食事を提供してくれる家主がチビっ子と一緒に出掛けてしまった今日、耐え難い空腹を訴えてきたこのニート。
冷蔵庫にあった冷やご飯を利用して、何故だか一方通行がチャーハンを作ってやっている。


「オラ、食え。10万円な」

「愛穂につけておいてもらえるかしら。……いただきます」


何処までも他人任せでだらしない女に心底呆れつつ、一方通行は依頼されたことを成す為に大画面の液晶テレビの前に座る。
背後で芳川が頬張るチャーハンの香りが鼻腔をくすぐり、空腹を誘われた。

帰宅してからパスタをなるべく早く食べられるように、此処を出る前に番外個体に湯を湧かしておいてもらうか。


「……キミは今日も、酷い顔をしているわね」

「……、それが飯作ったり何だりしてやった俺に対する言葉かよ」

「語弊を招く言い方だったかしら。つまり、キミはいつも浮かない顔をしているということを言いたかったのだけど。
 そうね、原因を敢えて言うのであれば――罪悪感、とか」


芳川に背を向けながら、一方通行は顔をしかめる。
妙なところで鋭いこの女。今、芳川桔梗に視線を合わせれば、全てを覗かれかねない。だから振り向くことが出来ず、作業に集中しているふりをする。


「抱きたいと、思う? あの子のこと。掻き乱して、突き上げて、注ぎ込んで。
 喘ぐ声も笑う顔も蕩けた顔も、全部を全部、手の内に入れたいと思ったりするのかしら」

「――何を馬鹿なことぬかして、」

「思うのよね、思ったことがあるのよね。でもキミは、それを表に出さない。自分でも認めようとしない。
 何故ならあの子に、あの子達に、罪悪感を抱いているから。自分にはあの子を思う権利すらないと、そう考えてしまうから」

649 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/02/06(日) 22:34:28.31 ID:3wCZGTLdo


一方通行の手が止まった。
ゲーム機を繋ぎ、初期設定を終わらせるなど難しいことではない。
仕事を終えた指先は誤魔化しと紛らわしの術を失い、小刻みに震える。


「そんな罪悪感から逃れる方法を教えてあげましょうか。一時的に楽になれる『とっておき』。
 ……『借金』の返済はとても簡単。A社に返せなくなったらB社から借りて返せばいい。B社が無理になったらC社から借りる。
 勿論その分後々の返済は厳しくなるでしょうけど、死ぬまで繰り返すことだってできる」

「何が、言いてェ」


遠回しなどせずに、早く答えを、『とっておき』の術をよこせ。
そんな酷く情けない、逃避。


「キミ、比喩は好きじゃないのかしら。
 答えは簡単、いたってシンプル。


 ――他の女を、抱いてしまえば良いのよ。例えば、このわたし、とか」



生涯プラン、今ならたったの10万円。
あなたの高級チャーハンとでプラスマイナス丁度ゼロ。



囁くようなその甘美な誘惑に、喉がひうと声にならない空気を漏らした。
650 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/02/06(日) 22:35:39.19 ID:3wCZGTLdo



――液晶テレビの真正面。

そこが番外個体の、誰にも譲れない特等席である。
さて、今は共同生活を送る一方通行も居らず。
いつもなら一緒にこたつに入ってだらだらするのだが、今日は一人彼の帰宅を待ちながら、先週からCMを観て楽しみにしていた番組を観ている。

その名も、『マンションであった怖い話』。

時々やっている特番で、テーマがその時によってマンションだったり学校だったりと変わる、
視聴者からよせられた体験談を映像で再現したオムニバス形式のオカルト番組である。
科学技術の最高峰を誇る学園都市でオカルトなどと言われてもいまいちピンとこないというか、胡散臭いというか。
それでも意外なことに高視聴率の人気番組なのだ。


画面の中で少女が一人、暗い部屋の中で錯乱している。
この物語もそろそろクライマックスだ。


『……だって、だっておかしいじゃない! こんなことって……、ど、どうして。何なのよ、何なの!?』


「知るかっつのぉおおおお!」


暖房のよく効いた部屋に加え、こたつに入っているお陰でぽかぽかと暖かい筈なのだが、番外個体は身体を震わせて画面の向こうに叫ぶ。
最近人気が出てきた少女はお世辞にも演技が上手いとは言えないのだが、その微妙な下手糞加減が妙にしっくりきている。


『誰か居るのぉおおっ!? ……、え? あ、あ、あぁ、』

「…………っ」


真っ暗な部屋の中、自分以外の誰かの気配を感じ取った少女は恐る恐る後ろを振り返る。
止めておけば良いのに、さっさと電気を点けてしまえば良いのに。
そんなことを思いながらも、番外個体も固唾を呑んで画面を凝視する。


観たくない、観ない方が良い。けれどやっぱり観たい――っ!






               この部屋ぁ、私の部屋だったのにぃいいいイいい
         どぉして私が死ななきゃならなかったのよぉおおおぅううおぁあああ




653 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/02/06(日) 22:39:59.24 ID:3wCZGTLdo




「んぎゃああああああああああああああああああああばばばばば!!」



これぞ正に、絶叫。
同時に紫電が漏れて、ばちんという不吉な音が聞こえた直後。


つい先程までのドラマよろしく、家の家電の、ありとあらゆる電源が落ちた。



654 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/02/06(日) 22:41:41.91 ID:uNrc8SxAO
あれ ヤバくね?
655 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/02/06(日) 22:44:17.20 ID:3wCZGTLdo


どれくらい時間が経っただろうか。
10分か、1時間か。否、実際はそれ程経っていない。ものの2、3分。一方通行の思考が呼吸が感情が。狂い、乱されてからまだそれしか経っていないのだ。


ぴぴぴ、という電子音がキッチンの方から聞こえてきたとき、我に返った。
コーヒーを飲もうとしてお湯を沸かしていたことを思い出す。
長いようでほんの数分の、重く、呼吸のしかたを忘れてしまいそうだった時間。
もしもそれに呑まれてしまっていたら、自分はどんな答えをだしていたのだろう。

僅かに掠れた声を誤魔化すように、ぎこちなく口角を上げる。


「――ハッ、誰が、オマエに手ェ出すか」

「それはわたしがわたしだから、かしら」


一方通行にとって芳川桔梗とは、番外個体や打ち止め同様、そこらの女とは全く違った特別な人間である。
簡単に言うならば守るべき人間であり、口には出さないものの、大切な人間でもあるのだ。
家系図上では赤の他人でも、相関図上では強く結びついている、そんな人間。
だから抱かないのか。芳川はそれを問うているのだろう。


「違ェよ。俺はオマエであろォがなかォが、ンなくっだらねェことはしねェ。
 自分の罪悪感だとか寂寥感だとか、そンなモンを誤魔化すために女ァ食い物にするなンざ下種野郎のすることだ」


自分に言い聞かせるかの様に言う。
深呼吸し、そんな一方通行の己が揺らぐことは、紅い瞳から内側を覗かれることは、恐らくもう簡単にはいかない。彼がそれを許さない。


「……予測は大当たり、ね。研究者だもの、シミュレートは得意分野なのよ。ほら、こっちを向きなさいな」


促され、振り返る。芳川桔梗は、笑っていた。薄く薄く、微笑みを浮かべていた。
一人の男を誘っておいて、結局動揺したのは誘われた自分だけ。
これが大人の余裕というものなのだろうかと一方通行は呆れ半分に感心する。

それがあくまで『保護者』である芳川が虚勢を張って繕い、敢えて彼にそんな感想を抱かせよう努めているのは彼女以外の誰も知ることが無く。
一方通行とはもう大分前から付き合ってきたが、彼が鈍感であることをこれ程までに感謝したのは恐らく今日が初めてだろう。


「と、そろそろ帰るか。こっちはもォ電源入れりゃァ動くだろ。何かあったらメールなり電話なりしろ。
 あとオマエも身体持て余してるからって変な男に引っかかるンじゃねェぞ」


鈍感すぎるというのも癪に障るのだけれど。


「……、折角お湯も沸いたのに、コーヒーは飲んでいかないの?」

「あのガキが腹空かせて待ってンだ。それに、」


つい数秒前に、ジーンズのポケットの中で震えた携帯を一瞥し。
恐らく本人に自覚はないのだろうが、目を細め、愛おしそうに僅かに頬を緩めるのだ。


「間抜けだよなァ、作り物観て怖くなるなンてよォ」
656 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/02/06(日) 22:46:34.15 ID:3wCZGTLdo


誰かがいなくなってしまったあとの静寂とは形容し難い物悲しさがある。
働け働けと口を酸っぱくして言う黄泉川愛穂もいなければ、屈託なく笑う最終信号もいない。

そして、真っ白な少年までも。


「……あの子の為に言ったんじゃない。本当に、何処までも自分に甘い人間だわ」


『何か』を誤魔化すために、形だけでもと縋ったのは、そう、自分だったのだ。
甘美に巧みに誘惑したのは、何者でもなく自分の為だったのだ。


「振られてしまったのね、わたし」


それも、あの子の気付かないうちに、あの子の無意識で。

芳川桔梗とは、十分に魅力のある女だ。そろそろ三十路だというのに化粧っ気もなく、それでいて色気がある。
そんな彼女だから周りの男だって放っておかなかったし、恋愛経験だってそれなりにあるものの。

今感じるこの痛みだけは、きっとこれからも、慣れる事なんてなく。


「あ、もしもし愛穂? 飲みに行きましょう」

『何言ってるじゃん、いきなり。それより今打ち止めとファミレスいるからもう少し帰り遅くなるじゃん。
 コンビニで何か買ってくから安心するじゃん』

「……、」


何だか無性に、泣きたくなってきた。
657 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/02/06(日) 22:52:02.57 ID:3wCZGTLdo



「何か焦げ臭ェぞ」

「一方通行!」


妙な臭いに眉を顰めながら帰宅した一方通行。
電撃使いが暮らす家では時々あることだが、それにしてもこれは換気を推奨するレベルである。
リビングに入って上着を脱ぐと、番外個体がこたつから出て駆け寄ってきた。ちらりとテレビを一瞥し、びくりと身体を震わせる。


「おそ、遅いよう! 途中でブレーカーは落ちるしもう最悪だったんだけど。んぎゃあ!? いきなり後ろからは反則でしょうがあ!」

「くっだらねェ、こンなンでぎゃァぎゃァ喚いてやがったのかァ?」


画面に映る血塗れの女を観て喚く番外個体を、一方通行が鼻で笑いながら換気をするために窓へと近付く。
その動きに合わせて番外個体もついてくるところをみると、余程この番組が怖かったのかもしれない。
にしても画面に映ったこの女、リアリティー云々は置いておいてもかなりの迫力である。
PTAあたりから苦情がきたりしないのだろうか。

最近のガキはこォいうのが好きなのか、などと考えながら窓を開け放つと、冷たい夜風が頬を撫でて部屋の中に吹き込み、室温を僅かに下げた。


「何さぁ、あなただってこういうの苦手なくせに」

「その考えを改めやがれ。こンなの、どォ見たって人間じゃねェか。オマエが送ってきたメールの方が怖かったっつの。
 『怖い死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ』ってなァ」

「そりゃそうだけどさぁ。……あのシーンは本当に死ぬかと思ったし。ミサカ、これ程までに自分の能力を呪ったことはないね」

「対電撃使いのブレーカーカバーでも買った方が良いのかねェ。
 ほら、飯作っから離れやがれ。それともアレかァ、怖くて一人じゃ観てられませンってかァ? そォいやァそれで帰ってこいってメールしてきたンだったっけかなァ?」

「なっ!? だ、だからあの時はぁ……っ!」


顔を赤くしてバシバシと叩いてくる番外個体。
実はさりげなく一方通行の袖口をちょこんと掴んでいたのだが、それも同時に放される。
拗ねた子供のようにそっぽを向いてこたつに入り直す少女が堪らなく愛おしく。


「……罪悪感、ねェ。そンなに酷ェ顔してるンなら、たまには笑ってやろォか」


誰にも聞こえぬ小さな声で、呟いた。
659 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/02/06(日) 22:56:04.45 ID:3wCZGTLdo


「あっくーん、ミサカのブラがないよー」

「オイオイどォした」


起きてきていつものようにぐでーっとソファに沈み込んだ番外個体。
あっくんとかブラとか、朝から斜め上を行っている。
にしても昨夜は自分の部屋が怖いだの寒いだの寝れないだの喚いていたが、しっかり眠ったのだろうか。
寝る前に作った、ブランデーで香り付けしたホットミルクを飲ませてからは大人しくなったから放っておいたものの、それでは少し非人情だったかと反省する。


「ブラはいつもンとこに入ってるだろォが。つーかあっくンって何だあっくンって」

「んう、水色の、ミサカが最近買ったヤツ」

「それなら洗濯ローテーション待機中かもなァ。見てきてやるから、こたつ入ってパーカー着て寒くねェよォにしとけ」


暖房のお陰でリビングは快適な室温であるものも、パジャマ一枚では少し肌寒いだろう。
此処までくるのが寒かったからか、部屋から毛布と一緒にお化けみたいにやってきた彼女は大人しく一方通行の言いつけに従う。



「――あァ、これか。……こォいうのって余所では誰が洗濯してンだァ? 自分でやるンかねェ」


ふと浮かんだ疑問を呟きつつ、脱衣所からリビングにいる寝惚けた番外個体へと、


「番外個体ォ! これから洗濯するから今日は無理だァ!」


………………。



「無視……だとォ……?」

660 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/02/06(日) 23:00:14.95 ID:3wCZGTLdo


取り敢えず洗濯機を回してからリビングに戻る。
今日は番外個体がいつもより早く起きてきたため、いつもなら必要のない朝食を準備する必要がある。
といっても何とも言えない微妙な時間帯であるため、重いものにすると昼食が食べられなくなったり時間が遅くなったりしかねない。
そうすると今度は夕食が、となってしまうので、何か小腹を満たす程度のもの、


「クレープとかならアイツも喜ぶかァ? そォいや昨日の残りの生クリームもあるし、チーズもあったか」


クレープ生地というのは何にでも合うものだ。小麦粉と牛乳、卵があれば簡単にできるので、何かと重宝する。
番外個体に教えておけば、一方通行が留守の時にも作って食べることができるかもしれない。
何も料理が出来ないのは将来的に困るだろうから、これを機会に少しずつ練習させるか。


「番外個体、やっぱりまだ洗濯して――」


寝ていた。


「ったく。寝るンならどォして早く起きてきたンだっつの」


こたつで寝てしまう、というのはこの気持ちよさを知っている者であれば分かるだろうが、よくあることである。
しかし実は風邪をひいたりしやすいため、部屋に一旦退却させるべく、起こそうと試みるも。
頭から毛布を被ってこたつに突っ伏すその寝顔は穏やかで、その気を完璧に封じ込まれた。
あまり暑いと寝にくいだろうからとこたつの設定温度を低くし、何気なく窓の外に目を向ける。


申し分のない快晴。
柔らかい日差しは雪を溶かし、春を迎えるのもそう遠くはないかもしれない。
661 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/02/06(日) 23:03:54.47 ID:3wCZGTLdo


少女の意識はゆめうつつ。
夢か、それとも現実か。はっきりしないまま、曖昧にその狭間を彷徨う。


「何か焦げ臭ェぞ」


浅い浅い眠りは、夢と現実をごちゃ混ぜにして。


「一方通行!」


まるで昨夜の出来事を録画しておいたような一連の流れを映し出す。
しかし、それもそこまで。


夢の中の少女は、上着を脱いだ白い少年に抱きついていく。
ぼんやりとした意識は夢の中でしか素直になれず、お帰りなさい、ずっと待ってたんだよ。怖かった。そんな言葉を口にした。


――本当はこうして、彼の体温と香りを感じたかったのかもしれない。

――夜だって一人になるのは怖かった。一緒に寝させて欲しいと言えたらどんなに心強かっただろう。



あくせられーた。



無意識に、呟いていた。
しかし呼ばれた白い少年は既に彼女の近くには居らず、返事などあるわけがない。

そして直後、ぎにゃあ! と、尻尾を踏まれた猫のような叫び。
突っ伏していたこたつからずり落ちて、しかもその挙げ句、落下地点にあった箱ティッシュの角に頭を打ち付けた。
驚いて開いた瞳はみるみるうちに涙の膜に覆われていき、目覚めの一撃は効果抜群。


「何やってンだ、大丈夫か」


何が起きたか状況をいまいち掴めないで目をぱちくりとさせる少女に、夢でも何でもなく、声が掛けられた。
呆れと心配が入り交じったその声の主は対面式のキッチンからこちらを見ていて、手には白のコーヒーカップ。

少女がいつか買ってきたコーヒー豆は、毎日こうやって消費されていることを知り。
しかしまだ、好物のクレープがフライパンの上で優しい色合いを描いていることには気付かない。



何でもないよ。ただ、夢をみてただけ。
覚めちゃったのは少し惜しい気もするけど。……にゃーんてね。



そんな風に返してから、暖かな日差しを浴びて、眩しそうに目を細めた。

 
688 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/02/13(日) 00:24:13.40 ID:o5dld/Os0


――2月某日、とある昼下がりのファミレスにて


「麦のん、バレンタインはどうすんの? 例の人に渡す?」

「例の人……、って、あぁ、あのアホね。渡すっつったら渡すけど、アイテムの連中には全員渡すつもりだし。あとはミサカくらいかにゃーん?
 フランスかベルギー辺りから取り寄せるつもりだから期待してくれて良いわよ」

「これが、アイテム……」

「ミサカは第一位に何かあげるの?」

「んー。一応お世話になってるのもあるし作ろうかなって。あ、義理だよ義理チョコ。
 ひゃひゃ、唐辛子でも入れて驚かせてやろうかと思ってるとこ」

「と言いながらも第一位の為に一生懸命手作りしてしまう不器用ミサカなのでした」

「はあぁ!? 何言ってんの、手作りするのは唐辛子入れるためだし! 別に練習とかもしないもん!」

「練習なんて一言も言ってないんだけど。で? 何作るの? あの第一位のことだから、おっぱいチョコでも作ってやればむしゃぶりつくかもねぇ」

「お、おっぱいちょこなんてこのミサカには無理だよう。麦のんみたいに大きいならともかく、素が素なだけにさ。
 しかも吸い付かれたりしたら……、み、ミサカじゃ対応しきれないって」

「いやいや、そういうんじゃないっつの。ほら売ってるじゃない、形取ったやつ。チョコの他にプリンとかさ」

「あ、あぁそっち!? ミサカてっきり自分の胸にチョコかけてとかそういうのだと思ってたんだけど」

「アホか。つーか自分で言うのもアレだけど、デカくてもあんまり良いことないわよ。ジロジロ見られるし、肩凝るし。
 で、チョコだけど。簡単なもので定番っていえばトリュフよね。勿論簡単なの作るんでしょ?」

「トリュフとかは在り来たりだし、何かひとつどーん! 的なものを」

「……え? ごめん、もう一回」

「だから、どーん! とさぁ、何て言うか、ケーキ……? みたいな。ちまちましてるのは好きじゃないし」

689 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2011/02/13(日) 00:29:12.14 ID:o5dld/Os0


「…………、」

「それにレシピ見ても超簡単とか書いてるし、ミサカはこれでも飲食店勤務だからさ」

「……関係ねえよ!! カァンケイねェェんだよォォォ!! 何が『好きじゃないし』だ、何が『超簡単』だ!!
 テメェみてぇな料理スキルレベル0なんざ、指一本動かすだけで100回失敗して怪我した挙げ句キッチン破壊するんだろうがぁッ!!」

「」ビクゥッ

「大体いい歳して料理も碌にできねぇってか!? 第三位(※体細胞クローンです)の名が泣くぞォッ!!」

「な、泣きたいのは名じゃなくてミサカの方なんだけど……」

「……はっ! ご、ごめん、でもミサカがあんまりにも身の程知らず、じゃなくてそうよねあれは天然! 天然な発言をしたものだからつい……」

「でも学園都市製のオーブンがあれb「スポンジの焦げる匂いでも嗅ぎながらオナニーしてるんだね」」

「……うぅ、だってあの人、甘いの好きじゃないし、だからチーズケーキ辺りならって思ったんだけど。
 どうせ渡すんなら食べれるものの方が、ほら無駄もないし。別にあの人の為にじゃないよ、ミサカチーズケーキ好きだってこと知ってるでしょ」

「……!」ズキューン

「でもやっぱりこのミサカにそんな技量はないよねぇ」

「あ、諦めるなんて駄目よ! これをきっかけに料理を始めればいいじゃない。流石に言い過ぎたわ。ごめんね、ミサカのこと見くびってたのよ。
 そうよね、トリュフなんてウサギの糞みてぇなもん貰うよりもケーキとかの方が嬉しいに決まってるし」

「む、麦のん……!」

「この私が色々教えてあげるから、一回練習でもしましょうか」

「……失敗したのを渡して無理矢理食べさせるっていうのも面白そうだけど、うん、お願いします」




「それはそうとミサカ、唐辛子入れるとか言ってたんじゃなかったかにゃーん?」ニヤニヤ

「す、ストロベリーソースに見せかけてタバスコかけるし」

737 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/02/21(月) 22:44:03.50 ID:drd2jubno


こんな人にも、血が通っているのだと思った。
殺されてきた『妹達』と同じように、この自分と同じように、普遍なそこらの人間共、ともすれば善人と同じように。


ロシアで、生まれてはじめて他人の手をとったとき。
一方通行の手を、握ったとき。


戦闘用の白いスーツ越しに伝わってきた熱い体温は、確かに彼に血が通っていることを示し。
一方通行が、人間に他ならないことを物語っていた。



笑いもするし、怒りもする。そして時には――泣いたりも、するのかもしれない。


(そんな、弱い人なんだ、あの人は)


なのに、自分を守ってくれて、自分なりの甘えにも応えてくれて。
本人に言っても苦い顔をされそうだが、その優しさが馬鹿みたいに心地良いのだ。


とくん、と。


番外個体には形容出来ない様な、不可解な痛みが身体を締め付けた。
内側から訴えられるちくちくとした痛みは、まるで見えない所を怪我でもしてしまったかの様で。

一度その痛みに気付いてしまうと、もう知らぬふりをする術など何処にも見つからない。

真っ白で線が細く、そしてそれとは対照的な血の如く緋い双眸を持つ学園都市の第一位。声が、表情が、身体が、体温が。
鮮明に浮かび上がって、その度に胸をざわつかせていく。


間接キス。
重なる身体。
直ぐ近くに感じる暖かみ。
握った手。


全部全部、あの人の、一方通行の、


738 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/02/21(月) 22:45:16.62 ID:drd2jubno







がしゃん






739 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/02/21(月) 22:46:45.03 ID:drd2jubno


「あ、」


手にしていた皿が砕け散る。
余計な絵柄の無いシンプルな白い皿は手からするりと滑り落ち、次の瞬間には不快な音を立てて無惨な残骸へと成り果てていた。
やってしまったとしゃがみ込み、十分な凶器にもなりうる鋭利な破片を拾い集める。
ノーブランドで何の変哲もない普通の皿で良かったものの、店の備品であることに変わりはない。
あとでマスターに謝りに行こうと思いつつ、皿を拭くという作業中にこの自分は何を考えていたのだろうと呆れ半分に溜息をついた。


皿が派手に割れるその時まで呆けるくらいに、一体、誰のことを。


「っ痛ぁ」


と、ざくりとした嫌な感触。
眉を寄せて痛みの走った右手を見ると、白く細い中指の先から中節にかけて、中々グロテスクな傷が走っている。
そこでやっと素手は良くないと気がついて、集中力の欠片もない自分を胸の内で罵った。

取り敢えず一度深呼吸をしようと思ったとき、音を聞きつけたのかバイトの少女が寄ってきた。
手には箒と塵取り。割れた白の皿の上にぽたぽたと点描の如く滴る血液を見て目を丸くする。


「うわ、ミサカさん大丈夫? 何か今日ずっとぼーっとしてたからどうしたのかなって思ってたんだけど……、それ、消毒した方が良いかもね」

「ありがと、こっちは絆創膏があれば大丈夫だと思うけど。救急箱、奥にあったかな」

「スタッフルームにあったよ。……ね、ミサカさんやっぱり変だよ。顔赤いし、熱でもあるんじゃない?」

「そ、そうかなぁ」


顔が赤い、と指摘されて不覚にも戸惑った。どうしてだろうと疑問に思う反面、少し前まで考えていたとある人物が脳裏をよぎる。


「うん、もしかして風邪引いてる? 熱あるかも。今日は週初めでお客さんもそんなにいないし、もうあがっちゃったら?」


ていうか正直なところ……、彼女はそう付け加えて、


「ミサカさんが居ないと結構困るんだよね、みんな何かとミサカさんから教えて貰いながらやってるし。
 だから今日はゆっくり身体休ませて、明日も元気に頑張ろう、みたいな。予約も無いし、たまには楽しちゃっても良いんじゃないかな」

740 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/02/21(月) 22:48:35.00 ID:drd2jubno


というわけで、早退である。
右手中指には不格好な絆創膏。利き手でない左手での治療と染みそうだという理由で消毒はしていない。
店先の屋根の下で絆創膏のせいで動かしにくい中指を何となく眺めつつ、


「暫くやみそうにないし、仕方ないなぁ」


久しぶりの雨。
雪から変わったそれは、暦上ではもう数日ほど前に春を迎えているというのに酷く冷たく、何処からか聞こえる雷鳴と共に街を濡らしていた。

タクシーを呼ぶという手もあるし、近くのコンビニでビニールの安い傘を買うという手もある。
しかしどうもそんな気にはならず、何を血迷ったか雨の中を傘もないままに歩いて帰ることにした。

この悪天候と最終下校時刻を告げる音楽が数十分ほど前に鳴り響いたことが原因で、街を歩く学生の姿はほとんど見られない。
道沿いに並ぶ学生寮には灯りが点り、自炊派であろう何処かの学生の部屋から食欲をそそる良い匂いが漂ってきた。

時折路地裏から聞こえる怒号や下品な笑い声に興味を惹かれつつ、予想外の雨の冷たさから逃れるために家路を急ぐ。


あっという間に濡れ鼠になった、というのは言うまでもない。
髪はシャワーを浴びたかの如く水を滴らせ、服の中にまで水気が侵入してくる。べたべたと肌にまとわりつくそれが不快だ。


いつもより早い帰宅に一方通行は驚くだろうか。
ずぶ濡れのまま抱きついてやれば良い嫌がらせになるかもしれない。
そんな良からぬ悪戯を企てつつ、学生ばかりのこの街では少し珍しいクリーム色のマンションを見上げる。


雨天の中ではいつもの倍くらい遠く感じた、番外個体が帰ることのできる、唯一の場所。


エレベーターで5階を目指しながら、今朝チェックしてきた番組表を思い浮かべる。
この時間帯ならいつもは観れないゴールデンのバラエティーが放映されている筈だ。
今日はあの人と一緒に調子に乗っている芸人を冷やかして、それからどろどろした9時からの恋愛ドラマで笑って――

そんなことを考えながらたどり着いた部屋のドアを、


「……あれ?」


開かなかった。

741 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/02/21(月) 22:49:59.40 ID:drd2jubno


「さっむう……」


家にいるはずの一方通行がいなかったせいで、ドアの前に閉め出される形でかれこれ10分程震えているのは勿論のこと番外個体である。
此処に越してきた一番最初の日に合鍵を作っていたものの、合鍵とは持ち歩かなければただの金属で。
詰まるところ、番外個体は合鍵を持ち歩く癖など持ち合わせていなかった。
しかも、


「こんな日に限って家に携帯置き忘れってか。ドジっ子キャラは可愛い子じゃないと寒いだけなんだっつの」


家を出る直前にでも玄関に置き忘れたのか、一方通行に連絡を入れる度に初期設定のままの着信音がドアの向こうから微かに聞こえてくるのである。


「……いや、可愛くない……わけでもないけど……、白いし、細いし、」

「だァれが白くて細いってェ?」

「んにゃあ!?」

「よォ濡れ鼠」


独りブツブツと言いながら首を傾げていところで、不意に頭をわしゃわしゃと乱暴に撫でられた。
思わずおかしな声を出して頭上を見上げると、いつの間に戻ってきたのか片手に袋をぶら提げた真っ白な男が呆れたように見下ろしている。


「え、ちょ、えぇ!? ぜぜぜんぜん気付かなかったんだけど! ていうかあた頭ぐちゃぐちゃなるじゃんちょっとは考えろし!」


顔を僅かに赤くして抗議する番外個体を見て、まさかまた風邪でもひいたのかと少し不安を抱く一方通行。
しかし、しゃがんだまま器用にゲシゲシと弁慶の泣き所を集中的に攻めてくるところを見ると、どうやらそういうわけでもないらしい。


「いってェよボケ! つーかもォ十分ぐちゃぐちゃじゃねェか」

「うるさいうるさいそういう問題じゃねーし! っくしゅ!」

「ったく、鍵持って歩かねェと駄目だろォが。……悪ィな、コンビニ行ってたわ。いつから待ってた?」


部屋の中に足を踏み入れながら、一方通行がすまなさそうに言う。
番外個体は浸水したブーツを乾かす為に手で持って上がりつつ、


「そんなんでもないけど。10分くらいじゃないかなあ」

「この雨ン中歩いて帰ってきたのか。……あァそォだ、タオル取って風呂沸かしてから行くからヒーターつけてこたつ入っとけ」

「えー、ミサカ別に寒くないんだけど。おこたに入ってるだけで大丈夫だって」

「そンなンじゃ全然駄目だ。さっきもくしゃみしてたし、現に水も滴るイイ女になってンじゃねェか」

「あひゃひゃ、でしょでしょ?」

「つーことでお湯が溜まり次第風呂な」

「あーい」


けらけらと楽しそうに笑いながら、上手い具合に丸め込まれたことに彼女が気付くのはもう少し後になる。

742 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/02/21(月) 22:51:32.99 ID:drd2jubno

こたつに入って久しぶりに身体を暖めていると、バスルームの方から遅れてやってきた一方通行の小言が聞こえてきた。
自分が携帯を玄関に置き忘れていったという失態をまるで無かったかのように、


「ったく、どォして傘もねェのに歩いてくるンだよ。雨をシャワーか何かと勘違いしてねェか。
 つーか早かったな、電話でもよこせば迎えに行ったのによォ」

「ん、何かね、風邪っぽいって言われてさあ。あ、それはただ相手が気遣ってくれただけっていうか、何ともないんだけど。
 ただ、ちょっとドジ踏んじゃって――」


と、そこで番外個体が口を噤む。
言えるわけがない。


(あーあーあー! なになに、あなたのこと考えるのに夢中になって皿割りましたってかぁああ!?
 言えない言えない、つーかそんなんじゃないし! だぁもう、何なんだよう)


ぶんぶんと頭を振って、うっかり口から飛び出しそうになった戯れ言を水滴と共に振り払う。
そうだ、こんなのは彼女のキャラではない。
一方通行を困らせて、その姿を見て腹をよじらせる。彼の嫌がることなら熟知しているし、それくらい楽勝だ。
だったら本来の自分を見せつけてやろうじゃないか。

これぞ『第三次製造計画』、番外個体の本気――ッ!


「ふにゅ」


――ものの一秒もしないうちに玉砕した。
だって仕方がないのだ、突如として真っ白でふわふわしたバスタオルに視界を奪われてしまっては、驚くことしかできまい。
743 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/02/21(月) 22:53:06.66 ID:drd2jubno


何処からか拾ってきたずぶ濡れの子猫をふいてやるように、優しく、丁寧に。

一方通行がこうして番外個体に触れるときは大概そうだ。
傷付けぬように、壊さぬように。
それは第一位という大きすぎる力を持つが故、そして彼が大切にしているものを守るため。


子供扱いはあまり気に食わないな、と番外個体は思う。
打ち止めと呼ばれる少女に対する一方通行の扱いは正にそれで、あのくらいのお子様と自分が同じ様に扱われるのはいまいち腑に落ちない。
しかし反面、たまにはそれも良いものだと思ってしまうのも事実。
親に愛された経験はないものの、恵まれた子供はきっと、毎日こんな風にされているのだろう。正直少し、妬ましい。


濡れた髪の毛の水気はバスタオルに吸い取られて、

――詰まるところ、一方通行に劣らぬ白さのバスタオルでわしゃわしゃと髪を拭かれていた。


柔らかなバスタオルから香る、柔軟剤の香り。確かお日様の香りと一方通行が言っていた気がする。
いらぬ蘊蓄披露でダニの死骸の臭いなどと聞くこともあるが、それでも番外個体はこの優しい香りが好きだった。

けれど、そんな中で。
後ろの一方通行の匂いを妙に意識し、はっきりと感じ取ってしまうのだ。
頭に被せられたバスタオル越しに、意識せずとも。
何の香りだろうと番外個体はいつも思う。すれ違ったとき、近くに寄ったとき。ふわりと感じるそれは優しく甘く、彼女を落ち着かせる。

そして同時に、酷く切なくさせるのだ。


「番外個体」

「……ふえ」

「どォした、さっきから随分な気の抜けっぷりじゃねェか。
 ……つーかやっぱり早めに身体温めた方が良いかもな。つってもまだ風呂沸かねェし、あー……ココアとミルク、どっちが良い」

「……ん、ココア」


一方通行の気遣いに甘んじる。迷惑だとは分かっているが、それでも彼が嫌な顔ひとつしないものだから。
泥沼に足を突っ込んだかの如く、ずぶずぶ、ずるずると沈み込んでしまう。
そんな自分への不甲斐なさ、そして先程感じた切なさと息苦しさを誤魔化すために。
子供じみた要望。苦いのなら、不快に感じるくらいに、べたつくくらいに、


「甘くしてほしいな」

「相変わらずのお子様嗜好だなオマエ」


一方通行はそう言って唇の端を歪めると立ち上がる。
バスタオルを頭から被せられたままその場に残された番外個体は、拾われてきた猫みたいに身体を小さくしてぐしゅぐしゅ洟をすすった。



ミルクパンで沸々とココアを温める。
砂糖が一切入っていない純ココアは殆ど苦みしかなく、それに砂糖とコアントローで甘みと香りをつけていく。
カップに注いで泡立てたミルクをラテのように浮かべれば、それだけで世のガキ共も大喜びだ。
流石に番外個体はそれに釣られたりはしないだろうけれど。

そう思っていた時期が、一方通行にもありました。

744 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/02/21(月) 22:54:04.55 ID:drd2jubno


「何これ、いつもよりすっげぇ豪華なんだけど! 凄い凄い、家でこんなのできるの!?」

「牛乳エアロチーノにかけりゃァ簡単だろォが……、って聞いちゃいねェ」


「えー、感覚共有? 良いけど味覚まではしてやれないなあ。ぎゃは、せいぜい指加咥えて無駄にクオリティの高いココア眺めてなよ!」


……何処ぞの名探偵と対照的に、見た目は大人でも中身はまだまだ生後数ヶ月だということを忘れてはいけない。此処は見逃してやるのが情けというものである。
そんな彼女はどうやらミサカネットワークに垂れ流すくらいの感銘を受けたらしい。
にしても無駄にクオリティが高いとは何事か。


『味覚の共有ないなら最初から感覚共有してんじゃねー自慢したいだけだろボケ野郎』

『なんとも出来の悪い妹です。たまには姉孝行ができないものでしょうか』

「な、なんだよう」


妹達から受ける負の感情に頭を少しくらつかせながら、番外個体はまだ熱いココアをちびちびと口にする。
ミルクの泡の層とココアの温度差に若干舌を火傷しながらも、冷えた身体はじんわりと暖まっていく。
所望通りの甘さと微かなオレンジの香り。


「……むう。美味しいけどこれじゃあミサカのメンツがないじゃんか。ミサカ何にも料理できないのにさあ」

「今のうちなら心配ねェだろォけどな。将来考えるとやっぱ女は料理のひとつくらいはできた方が良いだろォし、まァ少しずつ教えてやンよ」

「……うん」


けれど、たったこれっぽっちの甘さなんて。


「このミサカ、あなたが思ってる以上に甘党なのかもね」

745 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/02/21(月) 22:55:18.06 ID:drd2jubno


雨に打たれてじっとりと湿った服を洗濯機に投げ入れ、バスルームへ足を踏み入れる。
シャワーでざっと身体を流してから、ゆっくりと湯船に浸かった。
ラベンダーの香りがする白いお湯が心地良くて、思わず目を細めてしまう。
足を伸ばすには少し狭いバスタブの中でぎりぎりまで沈み込むと、茶色の柔らかい髪が水面に浮かび、時折頬をくすぐった。
くわ、とあくびする。適温とラベンダーの香りが身体をほぐし、脱力しきった身体を動かすことすら酷く億劫だ。


『番外個体』

「にゃに……?」


ドアの向こうから自分を呼ぶ声。
気の抜けた間抜け声で何となく返事をしてから、その声の主が一方通行以外に考えられないことに気が付いた。
何故だかわたわたと焦って、妙にはっきり冴えた頭でお湯が大分ぬるくなっていることを知る。
どうやら知らぬ間に、うとうと微睡んでいたみたいだ。


「な、何? 今お風呂入ってるんだけど。裸だよ裸。ひゃひゃ、もしかして性欲持て余しちゃったクチかにゃーん?」


自分で言っておきながら、いつかの自慰行為を思い出して顔をしかめる。
そういえばあの時、果てる瞬間に浮かんだのは直ぐそこに確かに居る同居人だった。

なるべく考えないようにしていたことを不覚にも思い出してしまい、急に羞恥心が沸き起こる。


「あうぅ……」

『着替え、此処に置いておくからな。もォパジャマで良いだろ。あと風呂ン中で寝るンじゃねェぞ、最悪死ぬからよォ』

「わ、分かってるし。ミサカそんなに間抜けじゃないもんね」

『どォだか。さっきも怪しかった気がするけどなァ』


一方通行が喉の奥で笑っているのが分かる。見透かされているようで少し悔しいが、それでいて誰かに心配してもらえることは素直に嬉しい。
そう思えるようになったことは番外個体にとって大きな進歩といって良いだろう。
以前の彼女であれば、心配という名の愛情をヘドが出ると嫌悪し、自己満足だと嘲笑し、余計なお世話だと受け入れる以前に踏みにじっていただろうから。


「あーもう。ミサカも焼きが回ったなあ」

『何一人でブツブツ言ってンだ』

「独り言に突っ込むのは野暮ってやつだよ。……あ。雨、やんだ?」

『まだ暫くやみそうにねェな。明日も雨だと。あくまで予報だから当たる保証はねェけど』


湿気が多いと過ごしにくいったらねェなと一方通行が続けてぼやく。
何となく気になって聞いてみた問いの答えは、期待していたものとは正反対のものだった。
柄にもなく、晴天が見たいなどと思っていたのだが。


「そうだね。雨、早くやめば良いのにな」

746 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/02/21(月) 22:56:17.31 ID:drd2jubno


「ふんふーんふん」


喋る相手がいなくなってしまった。
仕方なしに鼻歌を歌ってみたものの、CMで少し聴いただけで碌に知らない歌では面白みに欠ける。


「あーあ……」


なにが「あーあ」なんだろうと自分でも疑問に思う。
とにかくつまらないのだ。イライラするような、息苦しいような。それに加えて、憂鬱な倦怠感。
そんな気持ちの悪く不可解な感覚は、番外個体を酷く困惑させる。

将来。

一方通行が先程少し触れたその場所に、多分、自分は。


「あぁもう。あの人が変なこと言うからだよ。何が将来だっつの、ミサカ達にそんな明るいものはちっとも似合わないのにさ」


少しずつでも、一方通行が料理を教えてくれると言ってくれたのは嬉しかった。
彼の言うように、料理のひとつはできるようになっておいた方が身のためだろう。
けれど、それは。


(あくまで、どうなるかも分からない『将来』のため。あの人に甘んじなくとも、暮らしていけるようにするため)


つまりは、あまり考えたことのなかった一方通行との決別を表す。
それはまだずっと先のことかもしれないし、もしかすると一週間後かもしれないだけで、恐らく必然的にやってくる筈だ。

どうしたことか。
それはちっとも面白くなくて、できることなら、


(できることなら――、?)


長くぬるま湯に浸かっていたせいかもしれない。
すっかり逆上せてしまった頭では、自分が何を望んでいるのかすら分からなかった。

747 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/02/21(月) 22:56:51.24 ID:drd2jubno


「ん、う……。さむう」


何故だろう。

暦上では疾うに春を迎えているとは言え、まだ2月も中旬、
体感的にはまだ冬だということをひしひしと感じるくらいに部屋が冷えていたからだろうか。
それとも前日の夜、睡魔に逆らえずにいつもより数時間早く床に就いたからだろうか。


それとも。
今日が、『今日』だからだろうか。


理由はともあれ、枕元を探って携帯を手繰り寄せ、時間を確かめるとまだ5時半。
いつもならまだどっぷりと眠りに浸かっている時間帯だが、今日は随分と早く目が覚めてしまった。
頭もはっきりしていて、人一倍朝に弱い番外個体にしては実に珍しい。
とにかく今日はもう眠れそうにない。髪を手櫛で整えつつ、身体を起こした。
彼女自身にあまり自覚はないのだが、同居人お墨付きの寝相の悪さでベッドの下に落とされた薄手の毛布を拾ってくるまる。


「さあって今日は……。何の日、だったかにゃーん?」


ガラステーブルの上に置かれた卓上カレンダー、本日の日付には赤いペンで丸印が控え目に。

748 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/02/21(月) 22:57:45.21 ID:drd2jubno


(やっぱりなんか調子が狂ってるんだよねぇ。せめて『今日』はもっと、何ていうか、こう)


寝起きだから、というのは理由にならないだろう。

もやもやして、何かすっきりしなくて、時々妙に息苦しくなる。
ここ数日間はずっとそんな感じで、寝起きであろうがバイト中であろうが何ら変わりはないのだ。
自分のことなのに分からない。そんなもどかしさが番外個体を苛立たせ、陰鬱な気分にさせている。

しかし、かと思えば日常のありふれた些細なこと、


――例えば、『あの人』からおかえりと声をかけられた時。

――例えば、『あの人』と一緒にキッチンに立ったり、リビングでだらだらしている時。


そんな一時だけは、その全てを忘れて。陰鬱な気分など一転する。
楽しいのだ。彼と過ごすのは、時間の流れなどなくなってしまえば良いと思うくらいに。
けれどそれが過ぎてしまった後に残るのは、お馴染みになりつつある不可解な苦しさ。

そして。


(まただ。またどきどきしてる。やだなあ、あんまり良い気分じゃないんだよね、これ)


通常とは大分違う、やけに活発に鼓動する心臓。
胸がつまるような、息苦しさ。


(なんかの病気だったら面倒臭いなあ。でもまあ、此処には凄腕の医者もいるし)


一人でうんうんと頷いて、


「……暇」

749 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/02/21(月) 22:58:34.38 ID:drd2jubno


外はうっすらと明るくなってきているものの、この街全体を見渡しても起きている者は少ないだろう。
普段は番外個体より早く起きている一方通行だって、早起きして学校に通う学生からみれば羨ましいご身分、つまりはまだまだ起きてはこない筈だ。


(もし起きてるとしたら随分な老体だよね。つーか今日顔合わせたら気付かれるかも)


基本的に鈍感な彼のことだから、恐らくそれは杞憂で終わるだろう。
けれど『今日』だけは、へまをするわけにはいかないのだ。
そのことを再確認してから、特に目的もなくミサカネットワークに繋いでみる。
少し暇を潰せればそれで良い。


(――と、ミサカ10039号は報告します)

(またですか、とミサカ14333号は呆れつつ、あの少年らしいと納得してしまいます)


どうやら早朝でもこのネットワークは盛況であるらしい。
どの『妹達』が何処にいるか。完全に把握しているわけではないが、少なくとも彼女達の大半は日本在住ではないようだ。


(なになに、何の話?)

(おや、あなたがこの時間に起きているとは珍しいですね、とミサカ18820号は驚きを露にします。
 日本ではまだ日も上っていない時間帯だったと思いますが)

(あなたもご存知でしょう、上条当麻の話をしていたのですよ、とミサカ11899号は新参の末っ子に教えてあげます)

(簡潔に言うとあの少年がラッキースケベのおまけ付きで道端で人助け、
 つまりはまたフラグを立てたのです、とミサカ10039号は昨日目撃した光景を懇切丁寧に説明します)


ちっとも懇切丁寧でない説明を受けつつ、そういえば妹達の中では例のツンツン頭が大の人気であることを思い出す。
あの少年は彼女達にとってヒーローであり、そして彼に特別な想いを寄せている個体だって少なくないはずだ。

その特別な想いとはどんなものなのだろう。定義などなくて、酷く曖昧で、輪郭がはっきりしない。
大切な人、一緒にいたい人、悲しまないでほしい人。
そんな相手に抱くものなのだろうか。

だとしたら、番外個体にとっての『あの人』とは。
彼女に何か特別な想いを抱かせているのは間違いないし、それは別におかしなことではないだろう。
殺し合って、一緒に暮らして、身体を重ねて、手を繋いで、そんな相手は最早ただの知り合いでないのは明白だ。

それでは。特別な想いの、本質とは。


(――それよりも皆さん、とミサカは話題を逸らします)

答えを探ろうとしてまた、もやもやと釈然としない思いに思考を邪魔されていたとき。
学園都市在住の早起き組、検体番号10039号の言葉が頭の中に響いた。


(『今日』が何の日か覚えていますね、とミサカ10039号は数日前の会話を確認します)

(もちろんです。『アレ』ですね、とミサカ10050号は勿体振ります)

(ええ、ミサカ達が初めて経験する聖なる日です)

(こちらの国ではその様な文化はあまり馴染みがありませんが、このミサカも数日前から楽しみにしていたと、ミサカ10063号は胸中を明かします)

(遠距離のライバル達を内心で笑いつつ、ここは敢えて発送の準備はできていますか、とミサカ10039号は問いましょう。


 ――今日、2月14日はバレンタインデーですよ、とミサカ10039号はやや緊張した面持ちで宣言します)
750 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/02/21(月) 22:59:11.37 ID:drd2jubno


――――――――


「それじゃあ、行ってくるけど」

「おう、帰りとか何かあったら呼べよ。昼は――」

「大丈夫だってば」


玄関前で過保護っぷりを発揮する一方通行に、呆れ半分に返す。
現在、10時少し過ぎ。普段なら番外個体は疎か、一方通行だって寝ている時間だ。
何故そんな二人がこの時間に玄関前で会話しているかというと、


「しっかし、丸一日バイトなンざ大丈夫なのかよ。ずっと立ちっぱだろォ?」


と、まあ“表上は”こんな感じである。
実際は午前からバイトどころか普段通りである午後のバイトすらないのだが。


(ひゃひゃ、後からネタバレするにしてもミサカの良心が泣いてるよ。
 だから起きなくて良いって言ったのに。そしたら騙されてるこの人見て笑ってやったのにさ)


そう、一方通行には悪いが、もう少し騙されて頂く。

2月14日、バレンタイン。

この日、番外個体は小さなサプライズを用意していた。
そのことに勘づかれるわけにはいかないのだ。
しかし、少しだけ。相手が鈍感だからこそ。


「ね、今日ってバレンタインらしいけど」

「そォいやァ煩くやってたなァそこら辺でも」

「……チョコとか欲しい? ひゃひゃ、人間関係に疎いあなたのことだから貰えたとしても黄泉川周辺くらいだとは思うけど」

「いらねェよ、甘ェモン貰ったところで好きじゃねェし」

「可愛くないヤツ。じゃ、帰ってくるのはいつもより早い予定だから」


そう告げて歩き出す。
いやらしくそわそわと女の子からのチョコレートを待つような人でなかったことは喜ぶべきか。
そうでなければサプライズの存在に気付かれていたかもしれない。
けれど気掛かりなのは、日本では恒例となった行事を否定したこである。


(いらないなんてホント嫌なヤツ。折角このミサカが手作りしてやるのにさあ。何なら死ぬほど甘くしてやろうかにゃーん)


一方通行のことだから、食べて欲しいと言えば無理にでも食べるだろう。
ならば本気で砂糖まみれ、拷問紛いの糖分地獄を味あわせてやるのも面白いかもしれない。

――なんていうのは、所詮ただの強がりに過ぎず。


「……どうするかなあ」


実のところ、迷いが生じていた。
本日のサプライズ、その下準備の段階で既に暗雲が垂れ込める。
小さく溜息をついたとき、


「ミサカ、おはよう。ちゃんと起きてるかしら?」


人生の大先輩、原子崩しこと麦野沈利の声が後ろから聞こえてきた。
751 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/02/21(月) 22:59:42.50 ID:drd2jubno


「いらねェよ、だよ? 敢えて聞いてやったのにさあ。いくら鈍感っていっても少しは何か思う筈だよ普通」

「男なんてそんなモンでしょ。第一位なんて特にそれっぽいっていうか、基本そういうことに興味なさそうじゃない」


陳列棚に並べられた商品を手にとって吟味する麦野。
そんな彼女の後ろをついて歩くのは、お世話にも明るいとは言い難い表情をしている番外個体だ。
麦野御用達だという、普段は縁のなさそうなランクの高いスーパーに連れてきて貰ったものの、カゴを両手で持って何とも苦い顔をしている。


「んー、やっぱり質の良い材料使った方が出来も良いだろうけど。ミサカにお任せするわ。
 そうそう、ラッピングも買わなきゃね。……聞いてる? アンタもさ、」


何故朝から二人で買い物してしるかというと、麦野の言葉からわかるようにこれから『お菓子作り』をするためである。
実はサプライズとはこのことで、在り来たりかもしれないが


「世の恋する乙女同様バレンタインのお菓子作り頑張るんでしょ? テンション上げてかないと」


……在り来たりかもしれないが、バレンタインということで手作りの菓子を渡す予定なのだ。
相手は勿論一方通行。麦野が先ほど言った言葉に殆ど間違いはないのだが、


「恋する乙女同様っていうのは当てはまらないけれど。
 ミサカはただ、ミサカでもそれくらい出来るっていうことを証明してやるのと、1割くらいはお世話になってる感謝の気持ちだし」


どうやら番外個体的には納得いかない部分があったらしい。
それ以前に、と付け加えて、


「……あの人に渡したところで喜んで貰えるかどうか」

「ミサカって意外とネガティブ? 喜ばないはずないでしょ、ミサカが一生懸命作るんだもの。練習だってしたじゃない」


喜ぶを通り越して興奮しちゃうかもね、と言いたいところだがぐっと堪える。
番外個体に対する一方通行の気持ちを知っている身としては、そのことを明かし、彼女が抱いているであろう懸念事項は杞憂だと教えてやりたいのも山々だ。

しかし、それは麦野の役ではない。


(そんなことしたって、きっとこの子も第一位も納得しない。第三者が出しゃばるところじゃないのよね。……あーもどかしい)


他人のことながら彼女達の微妙な関係に歯痒い思いをする麦野であった。

752 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/02/21(月) 23:00:26.94 ID:drd2jubno


いらねェよを撤回させてやろう!

いつの間にかそんなノリになっていた。

作るつもりで少し前から練習していたチーズケーキは、諄くないように甘さ控え目な、さっぱりしたものにするつもりだ。
そうすれば甘いものを食べない一方通行でもすんなり食べられるかもしれないという、番外個体も似合わないと自覚している気遣い。
しかし、まだまだそれには程遠く。
キッチン設備が充実している麦野のマンションに、番外個体の叫び声が響く。


「うぁあ!? 一気にどばっと入れちゃったあ! どどどうしよう麦のん、これってヤバい!?」

「大丈夫だから焦んな。二次災害が起きるでしょうが」


もう嫌だとか、何でレシピ通りにいかないのボウルのせいだとか。ともかく泣き言が多い。
しかも実は一度分量で致命的なミスを犯したが為にこれが二度目の挑戦だったりもする。
それにしては一度目の失敗を活かせていない気がしなくもないのだが、そんな番外個体の表情は、朝とは打って変わって明るいものだ。


『じゃあ、「いらない」って言ったのを取り消させるように頑張りましょう』


そんな麦野の言葉に、怪しいくらいあっさり乗った番外個体。
半ばヤケクソ、そして残り半分は“無理”や“空元気”とでもいったところか。


迷惑がられないだろうか、受け取って貰えるだろうかという懸念。
そして、最近感じることが多くなった苦しさ、胸の痛み。原因不明なそれに対する不快感。


本当は、今こうして騒がしくしている間もずっと。
誤魔化せているようで、けれどちっともそんなことはなかった。
せめて、外からは気付かれないように、普段通りに。
753 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/02/21(月) 23:00:53.17 ID:drd2jubno


「……認めちゃえば少しは楽になるんじゃない?」

「……、え?」


だから、やっとオーブンに入れたチーズケーキが焼けるのを心待ちにしていたとき、麦野にそう言われたのは驚いた。

楽になる。

麦野がそう言うということは、外の目すら誤魔化せなかったということだろうか。
だとしたら自分に女優の素質はないな、と場違いなことが頭に浮かぶ。


「分かんないなあ。認める? 何を?」


誤魔化して、装って。

笑ってみる。
ここ数ヶ月で自然な笑顔を浮かべられるようになったはずだったのに。一方通行からも大分変わったと言われた筈なのに。
……久しぶりに、人を不快にする歪んだものになっていたかもしれない。


「別にミサカは何にも――。楽になる、認める以前に心当たりが全然ないし」

「そのわりには随分と強張った顔していたけどね。もう少し自分に素直になれば良いのに。そんなに気になるの? ……第一位のこと」


第一位。白く白く、どこまでも真っ白な。
暗闇の中で傷ついて、それでも自分達を守ってくれる。
そんな男のことを考えると、胸の辺りがまた、ぎゅうぎゅうと締め付けられるのだ。

754 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/02/21(月) 23:01:25.39 ID:drd2jubno


暫しの沈黙。
麦野が淹れた紅茶から立ち上がる湯気がゆらゆらと、番外個体の心情を映し出すかのように揺れながら、空気に混ざっていく。

やがてぽつりと呟かれた声は、弱く、震え、消え入ってしまいそうな。番外個体の本心だった。


「……、本当に分からないんだよね。ミサカが感じるこの痛みも、苦しみも、何もかも」


分からない。
だからこそ、辛い。


「麦のんは認めてしまえば楽になるって言うけれど。……確かにその通り、なのかなぁ。感覚的には何となく分かるんだよね。
 ……でも、何を認めれば良いのか分からない」


何を認めるか。形の無いモノをどうやって。
未知の感覚に囚われる少女の瞳が不安げに揺れ、それを見た麦野が口を開く。


「認めるっていうのは、――」


755 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/02/21(月) 23:02:15.88 ID:drd2jubno


――結局、分からなかった。
あの後、一瞬何かを言いかけた麦野は慌てたように口を噤み、


「すっきりしないなぁ……」


結果、こうして番外個体を消化不良に陥れていた。
丁度学生の下校時刻と重なっているせいか、昼間より賑わう帰り道を頭を捻りながら一人で歩く。
初めてにしては上出来と麦野から評価を貰ったチーズケーキは、ケーキ屋で買ったときと同じように箱に入って両手で抱えられている。


これを、一方通行に渡すのだ。
柄にもなく、バレンタインだから頑張りましたとでも言えばいいのか。
それとも、あなたの為に甘さ控えめなものをわざわざ練習期間を設けてまで作りましたとでも。


(どうしようどうしよう、もういっそのこと渡さないで食べちゃうっていうのも手だよねぇ)


折角の努力を自らの腹の内に納めようと一瞬本気で考える。
大勢で食べるわけではないことと素人の手作りであることを考慮して、5号と少し小さめにしたチーズケーキが入った箱に視線を落とし、
どうやって渡すか、それとも先程浮かんだ名案を実行に移すかということを悩んでいるうちに、


「……もう此処まで来ちゃったなんて……」


目の前に聳え立つ住み慣れたマンション。
魔王の潜むダンジョンに挑む勇者は、こんな思いで足を踏み入れるのだろうか。

756 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/02/21(月) 23:02:55.17 ID:drd2jubno


(どうする!? 全然思い付かないし!
 投げつけて……、面白そうだけどそれじゃあバラエティーになっちゃうって)


のろのろと、わざわざ住みはじめてから初めて使う階段を登り、
部屋のある5階に着いてからは二歩進んで一歩下がるするという面倒かつ奇怪なことをしたにも関わらず。
結局名案は何一つとして浮かばず、やけに威圧感を感じる、辿り着いてしまった表札のないドアの前で番外個体は唸っていた。


「うーん、えっと……。あげる、で良いかなぁ? いやいやそれじゃあ……」


時間が刻々と過ぎていく。
同じ階に住む住人に不思議そうな顔をされたりしているうちに、


「ええいもうどうでもいい! ばかばか第一位のインポ早漏野郎!」


……こういうのを何というのだろう。
逆ギレか、ヤケクソか、緊張と焦りによって正常な思考回路がショートしたのかもしれない。
しかし問題はそこではなくて、


「ふっざけンなクソボケェェェエエエエエ!」


ご近所さんへの配慮が全く感じられない怒号とばたばたという足音と共に、ものの五秒も待たないで鬼のような形相をした一方通行が飛び出してきた。


757 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/02/21(月) 23:03:29.68 ID:drd2jubno


――――――――


「な、泣くなよう。大丈夫、事実じゃないのはこのミサカが一番知ってるもん」

「もォお天道様のもとに出らンねェ……」

「ごめんって。常にギンギンの長距離選手だかもんねyour sonは」

「フォローのつもりなら培養機ン中から出直してきやがれ。
 つーか俺の生殖器がどォこォって問題じゃねェンだよ! 後ろ指を指されンだろォよ今まで以上によォ!」

「せ、生殖器とかやめてよ生々しい。何か卑猥だよ?」

「オマエが言うかよ……」


すっかり意気消沈した一方通行。
ちなみに彼の名誉のために言っておくと、番外個体の放った言葉は全くの事実無根である。
ともあれ、ケーキを渡すタイミングを完璧に逃してしまった。
未だに後ろ手で寂しい思いをしているそれと携帯で不動産サイトを漁っている一方通行を交互に見比べ、


「……本当にごめんね、引っ越し費用ならミサカが出すからさあ」


結構本気で後悔、へこんでいるらしい。


「あー……」


となると肩身が狭い気になってくるのは一方通行の方である。
相変わらず突っ立ったままの番外個体を見ていると何だかもうどうでもよくなってきて、


「まァあれだ、気にしてねェよ。仮にも第一位だ、ンなこと痛くも痒くもねェし。
 ほら、働きっぱなしで疲れるだろォから座ってコーヒーでも飲もうぜ」

「あ、待って!」

立ち上がろと腰を上げた一方通行を引き留める。
今の今まで普通に話せていたのに、いざとなると顔を見るどころかまともに言葉を発することすらままならない。

「あ、あのバレ、バレンタ、」

「何言ってンだァ?」


顔が火照ってくるのがよく分かる。
一方通行が怪訝な顔でこちらを見ていて、どくどくと心臓が脈打った。
まともな判断ができなくなる。考えて、しかし纏まらなかった案が吹っ飛んでいく。

758 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/02/21(月) 23:04:34.04 ID:drd2jubno


「――ッ、これ、」


ずいっと、見かけもなにも考えられないままに。
片手で差し出してから、折角渡すのだから両手でしっかり渡せば良かったと後悔の波が押し寄せてきた。


「……あァ?」

「ば、ばれんたいんのなんだけど。……それくらい気付いても良いんじゃないかなあ!?」


依然としてきょとんとした顔付きの一方通行。相変わらず鈍いというか、疎いというか。
しかしそのお陰か緊張も少し薄れて、


「ね、開けてみて」


一方通行とこたつを挟み、箱を開く彼の白い指を見つめる。
緊張。練習までしたそれは、彼のお気に召すだろうか。


「――へェ、チーズケーキか」

「うん。ミサカが作ったんだよ」

「……、はァア?」

「だからね、このミサカが――」

759 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/02/21(月) 23:05:38.54 ID:drd2jubno


「なン……だと? オイオイ、どォなってやがる」


一方通行がチーズケーキをまじまじと見据えて、その驚く様は予想はできていたがそれでも失礼というか。


「その反応はムカつくなぁ。労りの言葉が出てきても良さそうなものだけど。……あのねね、チーズケーキってコーヒーとも合うんだって」

「そりゃァ有能なヤツじゃねェか。ンじゃあちょとコーヒー淹れてェ、オマエは切り分けるくらいならできンだろ」

「え? い、今食べるの? ……ていうか、食べてくれるんだね。無理なんてしなくても良いんだけど。
 ミサカ的には頑張っちゃうあなたを見るのも面白そうだとは思うけどさ、ひゃひゃ」


精一杯の虚勢を張る。
本当は、こんなことが言いたいのではないのに。痛いくらいの優しさでも何でも良いから、食べると言ってくれただけで十分だったのに。
そうやって肩を落としているところへ、


「あいたぁっ!」


デコピンされた。
たかがデコピン、然れどデコピン。学園都市の第一位から食らったそれは、序列相応の威力を秘めていた。
番外個体は想定外の襲撃に目を丸くしておでこを押さえつつ、


「な、何すんだマジで!」

「あァごめェン、手が滑ったわァ」

「白々しいよ馬鹿じゃない? あー痛い、ちょー痛いなあ」

「うるせェよ、良いから黙って切り分けやがれってンだ。オマエが作ったンだろ? 食わねェわけにはいかねェだろォが」


ここに来てようやく、番外個体はデコピンの意味を理解した。
義理立てのためでも、苦しくなるだけの優しさとも違って、食べたいから食べるのだ。
口下手な一方通行が、それでも伝えるために行為に表したそのことを、


(嬉しくないはず、ないじゃん)



心臓が、脈打った。

760 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/02/21(月) 23:06:11.93 ID:drd2jubno


正直なところ、コーヒーの良さというのが番外個体にはよく分からない。
だから口に含んだ最初の一口をどうにかして飲み込んでから、


「うっへぇ、にがあ! なんか泥水飲んでるみたいなんだけど」


豆を挽いてまでして淹れた本人の目の前で、思い切り顔をしかめてみせた。


「だァから牛乳と砂糖入れてカフェオレにしてやるかって聞いたじゃねェかよ!」

「だ、だってこんなのとは……、あなたがいっつも飲んでるから余程のものかと期待してたんだけどなぁ」


失礼極まりない番外個体はスティックシュガーを2本さらさらと投入する。
その間に、彼女手作りのケーキが乗った小皿を一方通行が持ち上げ、


「あぁ!?」


何の躊躇いもなしに、フォークで口へと運んでしまった。
わなわなと番外個体が震える。
うまくコーヒーの方へ意識を逸らすことができたと思っていたのだが、一方通行はそんなことお構いなしに。
もう少し前振りや何かがあっても良いのではないかと思うのと同時に、どんなことを言われるのだろうかと考えると緊張で喉が干上がった。


「……ン、」

「ど、どう……、かなぁ?」


声が震えて、心臓が喧しくて、自分でも気づかないうちに泣きそうな表情になって、


「……うめェ。すげェよ、やればできンじゃねェか」

「うぇ、ほんと……?」


一方通行の言葉を聞いたとき、不覚にも。

761 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/02/21(月) 23:07:46.68 ID:drd2jubno


「な、泣いてンじゃねェよオイ!」

「泣いて、ないし……っ! コーヒーが苦すぎなんだよう、ミサカは、別に、」


ぽろぽろと涙を零す番外個体を見て、一方通行が狼狽する。
まさか何処ぞの料理レポーターのように、比喩でも用いてもっと気の利いたことを言えば良かったのだろうか。
本当に美味しかった。この一言に尽きるのだが、彼女がそれを望むというのなら。


「マジで旨かった、脱帽だわ。えェと、あれだ。なンつーかすっげェ、」

「……ひゃひゃ、ぶっひゃ」

「チーズがァ……、あァ?」

「あひゃひゃひゃひゃ! もう良いよ、下手くそなことをあなたが言っても似合わない!
 そんなことはプロに任せておきなよ。ミサカあなたが味の玉手箱とか言っちゃうの想像しただけで死んじゃいそう、ぎゃはは!」


涙を零しながら、それでも番外個体は笑っていた。
嬉しくて、必死に上手いことを言おうとする一方通行が滑稽で、そして。



誤魔化していたモノに、気付いてしまったのだ。
旨いと言って表情を緩めた一方通行を見て、確信してしまったのだ。
今まで彼と過ごしてきた日々と今日まで常に感じていた優しさを思い出し、ああ、と。


、、、、
認めてしまったのだ。



今まであり得ないと一蹴してきたそのことを。
面白すぎて、似合わなすぎて、筋違いすぎて笑えてくる。



(ああ、このミサカは――、)


762 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/02/21(月) 23:08:36.50 ID:drd2jubno





あなたのことが、好きなんだね。

この苦しみも、心臓がぎゅうぎゅう痛くなって速さが増すのも、花畑に嫉妬したのも、あなたと居られる嬉しさも。

全部全部、あなたのことが大好きだからなんだ。





802 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/03/05(土) 00:36:05.57 ID:kgKpUzPQo

(これはアレか、避けられてるってヤツなのか)


本日の名前頭文字占い。
能力名、『アクセラレータ』のあ行はというと、


(ビリ。何もかも上手くいかねェ日。怖ェ顔してっとラッキーも逃げていきまァす。
 たまには思い切り笑ってみよう、……舐めてンのかクソボケ)


思い出しただけで胸糞が悪くなる。
おまけにラッキーアイテムとやらブドウ糖ときたものだ。こまでして自分を否定するのか。
糖分を致死量級に飲み込んでニコニコ笑いながら死ねとでも。


「だーちくしょう」


目の前にあるものを蹴り飛ばしてやりたい気分。
このむかっ腹を収めるには、八つ当たりという野蛮な行為が一番効果的なのだろう。しかし彼が現在いる場所が場所だ。


「ご試食どうぞー」


『毎日が特売』。
そんなコンセプトのもと、赤字覚悟で営業している神聖な場所を誰か汚すことができよう。
そんな無礼者は、度々現れては試食品を食い荒らしていく白いシスターだけで十分だ。

話が逸れてしまったが、一方通行は釈然としない思いでいた。
といっても先程挙げた占いに対してではない。
これはあくまでオプションにすぎず、全く信じていない占いというものが微妙な感じで当たっていたから余計にムカつくのだ。

例えば、ラッキーが逃げていく。とか。


……なんとなく。
番外個体という、一緒に暮らす少女に避けられている気がする。


(まァ占いどォこォの話じゃねェな、別に今日始まったわけじゃねェ)


そう、占いに当てはまる部分があると言えなくもないのだが、今日いきなり態度が変わったというわけではない。
考えてみると、一週間くらい前か。
丁度バレンタインが過ぎた辺りからだったと思う。
他人行儀というか、以前に比べて会話も少なくなった。
今日みたいに買い物に来るときだってそうだ。
バイトまで余裕があるときはぴょこぴょこと着いてきたりもしていたが、最近はそれもなくなった。

それが本来在るべき二人の姿。
そう言われてしまうと反撃することもできないし、寧ろ妥当なのかもしれないとさえ思ってしまう。


仕方がないのだ。
結局この思いなど、一方通行でしかないのだから。

803 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/03/05(土) 00:37:32.40 ID:kgKpUzPQo


「あ、たまごかな」


一方通行がスーパーに買い物に行っている間、番外個体はバイトの準備をしていた。
エプロンなど必要なものを詰め込んだバイト用のトートバッグを除き込み、忘れ物がないことを確認。
それからバイト中に腹が空かないようにと、自覚なしの親切を施していった一方通行が準備したサンドイッチを頬張る。
一口サイズの可愛らしいそれは、この家ではすっかり馴染みの深い一品だ。


「買い物、明日は一緒に行こうかな」


それ以前に明日も彼は自分を誘ってくれるだろうか。
そんな疑問が頭に浮かぶ。
そう思うのは理由があるからで、


(最近あの人とまともに喋ってないからなあ。けけけ、いつも以上に感じ悪くみられてるかもね)


……直視も何も、できたもんじゃない。
必然的にというか、そうなってしまうことを回避できないというか。
結果、避けるような形になってしまっていた。


(だって、だって、)


番外個体は下唇を噛む。


好き、だから。気付いてしまい、認めてしまったから。


少し前まで感じていた釈然としない感情の正体は正しくそれで。
解らないことに対する苛立ちも苦しみも、それなりに緩和された。
しかし、だからといってあとは問題無し、ただ突っ走れば良いだけかと聞かれれば、



――違う。

805 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/03/05(土) 00:39:21.71 ID:kgKpUzPQo

依然として胸は締め付けられて、心臓はどくどくと早鐘を打ち、醜い独占欲に身体を支配されて堪らなくなるのだ。
一方通行のことを考えると、いつも。
痛くて苦しくて、どうしたら良いか分からない。


「……駄目だ」


そう呟いて、ゆるゆると首を横に振った。
考えれば考えるほど、尚更苦しくなる。
これが希望のある想いだったら、――恋だったら。どれほど良かっただろう。


もしも、この自分が『第三次製造計画』でなく、打ち止めのように愛嬌のある純粋な少女であったら。
もしも、最初の出会いがあんな血みどろのものでなかったら。


もしももしもと考えたって、そんなことは所詮己のみを中心に置いた薄汚い願望にすぎないことは明白で。


「ひゃひゃ、嫌になっちゃうなあ。××さんの時はこんなこと考えなかったのに。こりゃもう末期かねぇ」


それにしても笑えてくる。
バイト先のとある男に惹かれていた時も思ったものだが、他人のことが好きだなんて、一体身体のどの部分がそう感じているのだろう。
心と呼ばれるところだろうか。
だとしたら自分が抱いている想いは偽物だ。
だってこの心は、『好意という信じられないモノ』を抱いているそれは、


「十万そこらで買えてしまうような、作れてしまうような。カリモノのココロなのに、ね」

806 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/03/05(土) 00:41:03.55 ID:kgKpUzPQo


――――
――


「……クソッたれが。やっぱビニールは駄目だな。手に食い込ンでダリィ」


エコバッグを忘れた故、これは地球からの罰なのだ。魂の叫びなのだ。
そう自分を戒めながらも、ぐいぐいと食い込んでくるビニール袋を持ち直して一方通行は舌打ちしていた。
人よりやや貧弱な彼からしてみると、少しでも楽に持てるに越したことはない。
といっても、それもあと数メートルの辛抱である。
何故なら彼は今、住居のエレベーターに乗っていて、そうこうしているうちに目的の5階に――


「あ、」


静かに開いた扉の向こうにいたのは、携帯をいじる番外個体だった。
視線が交わり、固定されたまま数秒。
両者ともほぼ同じタイミングでそれは左右に逸らされた。
どことなく気まずく、居心地の悪い微妙な空気が後に残る。


「あー……。もォ、行くのか?」


先に口を開いたのは一方通行だった。
番外個体のバイトは大きな予約でもない限り、時間にはまだ余裕があるはずだ。
そんな彼女は俯いてブーツの先でコンクリートに小さな円を描いている。
手にしていた携帯は用済みになったのか、あるいは一方通行の前ではいじりたくないのか。
今は薄手のコートのポケットに収められている。

807 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/03/05(土) 00:41:58.49 ID:kgKpUzPQo

エレベーターの扉がそんな二人を遮断するように閉まりかけ、しかし人の気配を感じ取ったのか、途中でがこんと音をたてて再び開き直した。
その動きに顔をしかめて、一方通行はエレベーターの外に一歩踏み出す。
番外個体も合わせて2、3歩と後ろに下がった。


「……今日は、ちょっと早めに行こうと思って。だからあなたにメールしようとしてたんだけどさ」

「そォか。……まァアレだ、頑張ってこいよ」

「う、うん。じゃあ、行くね」


二言、三言。たったそれだけ交わして、二人はすれ違う。
番外個体は扉を閉めたまま停止していたエレベーターに乗り込み、


「……あのさ、」

「あァ?」

「明日は一緒に――」


買い物に、行こうかな。


そう言おうとしたのに。
非情にも、扉はいとも簡単に二人を隔てた。

808 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/03/05(土) 00:46:37.75 ID:kgKpUzPQo


不機嫌なのだろうか。それとも体調不良か、あるいは単に眠いだけなのか。
幾つかの可能性を頭の中に浮かべ、番外個体は考えていた。
いつもと同じようにバイトから帰ってきて、ご飯を食べて。
ぼーっとテレビを観ている間に一方通行はシャワーを浴び終えてきて。
リビングに立ち寄って缶コーヒーを手にしたあと、早々と自室に籠ってしまった理由を悶悶と。


(何か怒ってるとか? だったら早めにごめんなさいした方が良いよねぇ。ていうか、)


――これが例えば、一週間前だったら。


リビングで下らない会話に笑い、テレビを眺めて悪態をつき。
日常のワンシーンは些細なことながらに、それでいて番外個体の生活の中では大きなものだった。
今更それに気が付いたのだ。
一方通行という、彼女の生活の中心に居たと言える、そんな男を欠いてから。


「もしかして嫌われちゃってるのかなぁ、このミサかは」


面白くも何ともない、寧ろ不快感すら抱くようなバラエティーを眺めながら番外個体は呟く。
思い当たる節がありすぎるというのが何とも言えない。


(今日エレベーター前でも素っ気なかったかもしれないし。この前は玄関で変なこと叫んじゃったし。
 大体ロシアのこととか考えると……こうなるのはまあ、当たり前なんだろうけど)


しかもここ数日は会話らしい会話もしていないし、そもそも碌に顔を合わせてすらいない。
おまけに避けてしまうというか、まともに向き合えないのも事実。
普段も決して良いとは言えないかもしれないが、それ以上に感じか悪いと見られても仕方がなかっただろう。
とすると、


(このミサかに愛想尽かせたってのが可能性としては一番かな。ぎゃは、あの人もそれを露骨にやってくるとは良いセンスしてるね)


しかし、と番外個体の脳裏に浮かぶ別の可能性。
先程から考えていたあり得る可能性の中でも、一番気に掛かっていたものだ。
万が一にも、一方通行が体調を崩しているとしたら。


(あの人、ミサカのそういうのにはうるさいくせに自分のこととなると知らないふりだからなあ。
 心配かけないようにってのも考えられるのかねぇ?)


些か自分に都合の良い考えかもしれないが、確かにそれは十分あり得る。
さて、それではどうするか。


(……確かめるのは少し怖いけれど。あの人とこのまま気まずくなるのは嫌だしね。
 この際ここですぱっと白黒つけちゃって、もしそれで風邪でもひいてたら嗤ってやろう)
809 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/03/05(土) 00:48:37.70 ID:kgKpUzPQo


「……一方通行?」


そろり、と。
まるで夜這いでもするかの如く、番外個体は彼の部屋のドアを開けた。
電気は点いている。暖房も同様で、少し暑いくらいだ。微かに聞こえてくるのは、携帯かのワンセグか何かか。
お目当ての一方通行は珍しいことに、どうやらベッドの上でそれを観ながら、


「ぴやあ!?」


寝間着にしているスエットのファスナーを真ん中辺りまで引き下げ、胸元をはだけさせて寝てしまったらしい。
何だか妙に妖艶な雰囲気を醸し出すその姿は番外個体を物凄く動揺させて、


「え、ちょ、うあ!? っ痛ぁ!」


足を縺れさせて、盛大に転んだ。
先程の奇声と間抜けな転倒の音で一方通行はうっすらと目を開ける。


「……何してンだ……夜にデカイ音出してンじゃねェよ」

「だ、だって! それより前! 閉めなよ、は、は、破廉恥だっつの!」

「あァ? ……ン、これか。つーかよォ、」


身体を起こした一方通行がファスナーを閉めながら唇の端を釣り上げた。
意地悪に細められた眼は番外個体を見据えて、


「オマエはアレか、変態か。人の肌見て興奮してンじゃねェよ」

「してないし! そんな貧弱なモン見てもなんとも思わねー」


赤い顔で否定というのも中々説得力に欠けるものだ。
ばくばくと高鳴る心臓はどうしたら鎮まってくれるのだろう。


「そりゃどォも。で? 何かあったのか。悪ィな、寝ちまってたわ。つーかこの部屋暑ィ」

「暖房ガンガンだもん。ムカムカしてくるよ」

810 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/03/05(土) 00:51:21.65 ID:kgKpUzPQo


久しぶりのそれらしい会話。
話している間は平常心を保つことができていたのに、一度冷静になってみると急に身体が熱くなってきた。
何より、彼の香りでいっぱいなこの部屋にいると頭がくらくらおかしくなってしまいそうだ。
自分は今、どんな顔をしているのだろう。赤くなっているに違いない。
そんなことを考えれば考えるほど一方通行を意識してしまって、一緒に居たいのに逃げ出してしまいたいというジレンマに陥る。
しかし、ここで逃げるわけにはいかないのだ。


「ねぇ、あなた」


番外個体はベッドに腰掛ける。
できるだけ自然に、いつも通りに。


「このミサカのこと、嫌になっちゃったのかにゃーん? ぎゃっは、今更そんな態度に表されても困るんですけど」


そう振る舞おうと努めたはずなのに、小さな声は掠れた上に震えたものになってしまった。
憎まれ口も勢いがなく、けれどこれが彼女にできる精一杯の虚勢。
そしてそれは、長くは持たなかった。
見せ掛けの強さは簡単に崩される。仮面を被る程度では隠しきれない。だから、弱さが明るみに出てしまう。

はぐらかしたりなどしない。できない。
口汚く嘲たりもしない。できない。
本音が露呈し、少女の想いが形を持って表れ始める。


「あァ? 何言ってンだ」

「ミ、ミサカはあなたのこと……そんなに嫌じゃ、ない。
 でもどうしても悪態ついちゃうし、揚げ足取っちゃうし、……最近は、それ以上にやな感じだったかもしれないけれど」

811 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/03/05(土) 00:57:29.97 ID:kgKpUzPQo


最近は、それ以上にやな感じだったかもしれないけれど。


番外個体がそう言うということは、


(やっぱり避けられてたってことかァ?)


一方通行が感じていたそれは、やはり確かなものだったようだ。
大体、彼が今日こうして早々と部屋に引いたのもそのためだ。
番外個体を気遣ったつもりなのだが、彼女がこうして此処まで赴いてきたところを見ると、嫌われているとかそういう理由ではないらしい。
それよりも寧ろ、何故か彼女の方が一方通行に嫌われているのではないかと思っているようで、彼としては混乱するばかりである。


「嫌いになってなンか、ねェよ」


遠慮がちに座る番外個体は酷く儚げに見え、今にも泣き出してしまわないかと一方通行を不安にさせる。
普段は口が悪く人を困らせるのが得意な番外個体でも、実は寂しがりやで泣き虫な一面を隠し持っているのだ。
本人は頑として認めようとしないのだが。


「オマエが何を不安に思ってるのかはよく分かっンねェ。けどよ、嫌い云々の前に俺は絶対オマエを見放さねェし突き落とさねェ。絶対にだ」


自己満足、押し付けがましい独善行為。
何と言われようが、一方通行はこの少女を護りたいと、護ってみせると。
いずれかが息絶えるか、番外個体という泣き虫を護るに適役な、堂々と彼女の隣に立てるような男が現れるその時まで。

せめて、上辺だけでも彼女のヒーローに。


「……ひゃひゃ、流石第一位。言うことが違うねえ」


番外個体が小馬鹿にしたように、しかし先程よりは遙かに明るい表情で笑って、一方通行を安心させる。
これで良い。あんな表情よりも笑っている方が比にならないくらい良いに決まっているのだと。


「うるせェよ、せいぜい黙ってその位置利用しとけ」

「とことん利用して喰い尽くすっていうのも魅力的だけど。
 そのご厚意にミサカが甘える方があなたへのダメージは大きいんじゃないかにゃーん? そういうの苦手でしょ?」

「はっ、そンなモン、猫の一匹でも拾ってきたと思えば楽勝なンだよ」

812 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/03/05(土) 00:59:38.18 ID:kgKpUzPQo

「ねこかあ……」

にゃあ、と番外個体がそのままの声で呟いた。
猫の様に、素直に甘えられたなら。

好きだと。

たったそれだけのことを伝えることができたなら。


「んー」

「どォした、難しいツラしてよォ」

「なんでも……ふあぁ……ない」


座っていた一方通行のベッドの上にくたりと身体を預けてみる。
今日のバイトはいつもより忙しかったからか、彼の言葉に安堵して気が抜けたたからか。
恐らくその両方が重なって、どっと眠気が押し寄せてきた。
立って缶コーヒーを呷っていた一方通行が何か喋っているようだったが、その応答に頭を働かすことすら億劫だ。


「……オイ、此処はオマエの領域じゃねェンだぞ」


青いタヌキみたいなロボットが出てくる、某国民的アニメの主人公張りの速さで夢の国へと旅立ってしまった番外個体。
寝具を提供する側の一方通行としては特に問題はないのだが、女の子的にはどうなんだろう。
なんかよく分からないまま寝付いて、起きたら異性の部屋でした。……あまり良い目覚めとは言えない気がする。
無警戒な顔を晒す彼女を起こすのは何となく後ろめたい気がしなくもないが、心を普段以上に鬼にしてぺちぺちと額を叩いてみる。


「……んうう」


意識が覚醒しているのか否か、唸り声としかめツラと共にそっぽを向かれた。
一方通行は溜め息をついてガシガシと頭を掻く。


「……ったく、ガキみてェなヤツ」

「あくせら……れぇ、た」

「ン? つーか今日はこっちで寝るってことで良いンかよ」


半分以上寝てます的な声で、顔を背けたままの番外個体に名前を呼ばれた。
恐らく答えはイエスだろうが、一応確認をとっておく。
彼女はこのまま此処で寝せ、自分はリビングのソファで寝るつもりだった。
返事はあまり期待できなさそうなので、取り敢えず暖房をおやすみモードに切り替えて毛布をかけ直し、その場を立ち去ろうと背中を向けた、正にその時。




「すきだよ」




舌足らずな声が一方通行の呼吸を確かに一瞬止め、身体を凍らせた。

813 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/03/05(土) 01:01:15.08 ID:kgKpUzPQo




――どうしてこんなにミサカ好みの良い匂いがするんだろう。


番外個体が一方通行のベッドの上に横になったとき、一番に浮かんだのがそれだった。
甘くはない。けれど優しい香り。落ち着く香り。
それでいて、男らしいといえば何だか獣臭さを感じるかもしれないが、官能的な色っぽい香り。

くらくらする。
媚薬を間違って口にしてしまったかの様に、身体の内側から侵食されていく。
眠気とその不思議な作用が混じりあって、意識は曖昧なものへ。
身体は完全に寝ているのに、頭は半分だけ、ぼんやりと覚めていた。


――ぺちぺちと、おでこに軽い衝撃。
しかし完全な覚醒を促すには至らず、ぼんやりした頭の中に、


「……ったく――キみて――ツ」


朧気に一方通行の声が響いた。

ああ、そこに居るのだと。
一方通行。変わった名前。けれどその響きは子守唄みたいで、


「あくせら……れぇ、た」

「ン? つー……はこっちで寝るって――かよ」


何を言っているのかよく分からない。
頭はこの状況を、どうやら夢であると判断したらしい。
途切れ途切れにしか聞こえてこないのも夢だから仕方がないかと、番外個体は妙に納得していた。


そして少女は、夢の中だけで素直になれる。
まるで覚醒時とは別人のように。



好きだ。
やっぱりこの人が好きで、好きで、大好きで。



不意に。ふわりと、身体の上に微かな重みと暖かさを感じた。
……夢じゃない。あの人は確かに直ぐそばにいて、確かにそれは現実で、なのに。
まだ、依然として意識はぼやけたまま、



「すきだよ」



――あれ。

このミサかは今、何を言った?
814 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/03/05(土) 01:03:59.60 ID:kgKpUzPQo


「……はァ?」


一方通行は後ろをゆっくりと振り替える。
何に対しての言葉か。先程名前を呼んだ男――つまり彼に宛てたのか。
いずれにしても意中の少女の口から飛び出た、予想外にして衝撃的な言葉だ。
一方通行の拍動を速めるのには十分すぎる。

一方、番外個体はというと、何ら変わらない姿勢であちら側を向いている。
そう、髪の間に覗かせた耳を真っ赤に染めていることを除けば何も変わらないまま。


「み、ミサカ……今、何て言った……?」


そんな彼女は完璧に目が覚めたらしい。
自分がしでかしたことに驚いているような声で、硬直したまま尋ねてくる。
いやはや、寝惚けとは恐ろしい。


「えーと、」


しどろもどろになりながら、壁側にやった視線を泳がせる番外個体。
今この状況で一方通行の方を見るなど無理に等しい。
それは最早、無謀な蛮勇というものだ。

何か適当に誤魔化せば済みそうなのに、醸される焦燥感と空白の数秒間が余計に気まずさを増加させていく。


「……、コーヒー飲み終わっちまったから部屋に戻ってンな」


そんな空気に先に負けたのは一方通行だった。
空になったブラックの缶を掲げてみせて、そそくさと退陣を計る。
番外個体は依然として隠れるように毛布にくるまっている為に表情がよく伺えないものの、それでいたってそちらを直視はできなかった。
ぎこちない動きでドアの方へと踏み出そうとして、


「か、勘違いして逃げ出そうとしてんじゃねーし。ミサかは、ミサかはあなたのことが好きって言ったわけじゃないもん」

815 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/03/05(土) 01:05:30.17 ID:kgKpUzPQo


立ち止まって、一方通行は小さく溜め息をついた。
別に期待が裏切られるような言葉が後ろから聞こえてきたからではない。
大体、最初から期待などしていなかったのだ。
だからその溜め息も、分かりきっていることを敢えて弁明してくる番外個体の念の入れように思わず呆れてしまったからに他ならず、


「……分かってるっつの。大体なァ、」

「ち、ちがう!」


が、悲痛な声をあげた番外個体に遮られた。
しかしそれではつい先程自分が言ったことを自分で否定する形になってしまうことに気付いているのだろうか。
背を向けて人のベッドに寝転がっていた彼女は起き上がり、


「違うよ……」


酷く切なげに、顔を歪めた。


「……あァ? つーかそれじゃァ言ってること矛盾してンぞ」


分からない。
一方通行には、何故この少女が今にも泣き出しそうな表情で唇を噛むのか、理解できない。


「何か夢でもみてたンだろ。オマエ寝起き良くねェし、寝言のひとつくらい日常茶飯事なンじゃねェの?」

「……っ、」

816 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/03/05(土) 01:07:58.62 ID:kgKpUzPQo


違う。違う。違うと否定したいのに、番外個体の喉は干上がってしまったかのように役に立たなかった。
ただ、薄い笑みと呆れたような表情を共に浮かべる一方通行を見て、


(痛いよ)


ずきずきと突き刺すような。
ぐちぐちと鋭利なもので抉られ、掻き乱されるような。
鈍く鋭く冷たく熱い。
そんな痛みに、目には見えないせいで有無を確かめることすら困難な、『心』と呼ばれる迷信的な部分が悲鳴をあげた気がした。


……多分。
これ以上深みに嵌まってしまうと、自分は自分でなくなる。
どう変わってしまうのかは分からないし、もしかするともう変わってしまった後なのかもしれない。
けれど砂糖菓子をじりじりと炎でいたぶったかの如く、原型を留められない程どろどろになりかねないような。

漠然とした危機感。



――それでも、問うてみよう。



『己も日常も想いも、何もかもが破綻する危険を犯してまで。

 気持ちを伝え、情けなく喚く覚悟はあるのか』



(あるに、決まってる)



番外個体は決意する。その意思を再確認する。
想いを告げるチャンスにして、明日さえ危ういものにしかねない危険なゲーム。それを存分に利用してやろう。

多分今この時を逃してしまうと、この先もずっと想いを伝えられない気がするのだ。
焦っているのではないかと言われれば、否定はできない。
ただ、減速することを知らない恋心を押し込め、知らぬフリを貫き通すことなど最早番外個体には不可能だった。

817 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/03/05(土) 01:08:56.65 ID:kgKpUzPQo



――密かに抱く想いを。今言ってしまえば、このもどかしさから解放される。

それは、一種の『逃避』。



――結果によっては笑うことも泣くことも哀しむことも振り切ることもできる。

それは、一種の『賭け』。




そして。




「……一方通行。笑わないで聴いてほしいんだけど」



それは、悪意にまみれていた少女の、

『前進』

だった。



一方通行、と。
いつになく真剣な声色の番外個体がそんなにおかしかったのか、ぽかんとしている男の名前を呼び。
818 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/03/05(土) 01:10:29.90 ID:kgKpUzPQo






「み、ミサカと――


               、 、
         ミサカと、結婚しよっ」







923 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/03/18(金) 13:42:26.22 ID:SMLw9DYPo

「はァ? 結婚、だァ?」


一方通行の素っ頓狂な声が響いた。
本人も予想していた以上のボリュームにはっと我に返り、声を潜めて怪訝な表情を作る。


「何突拍子もねェこと言ってやがンだ?」

「……あ、あう、」


顔を桜色に染めた番外個体がふるふる震えだす。


「大体よォ、今日のオマエはおかしいと思ってたンだよ」


「うー……」


間もなくその震えはふるふるからぶるぶるへと、濁点と唸り声を伴って移行し、


「つまりは俗に言うドッキリってヤツだったンだな。そォじゃなきゃ食中り――」

「ふ、ふざけんなあああ! この鈍感! こんなので第一位だなんて超笑える!」

「あァ!? ってオイ!」


一方通行が一言放つ毎にぶるぶると震えを大きくしていた番外個体がとうとう痺れを切らしたらしい。
バリバリバチバチ! と紫電が辺りに漏れた。


「ミサかは至って本気だし!」

「本気で結婚ってかァ? いきなり何なンですか、着いてけねェ。順序立てて説明してみろ」

「だ、だからぁ……っ」


順序立てて説明なんて一体どんな羞恥プレイだと、番外個体は心中で毒づく。
大層な決意をしたのは良いものの、好きの二文字は言えていないし、咄嗟に結婚などと大それたことを口走ってしまっていた。

正直なところ、後悔は少し、している。

こんな醜態を晒すことになるのなら、もっと落ち着いているときにすれば良かったのだ。いや、それ以前に気持ちを伝えようというそのものが間違いだったのかもしれない。
何もしなくたって、寧ろ何もしなければ、これから先もまずっと一緒に居られたかもしれないのに。

一度決心したはずの気持ちが揺らぎ出す。
思考のどつぼに嵌まってしまった番外個体はというと、



「好きなんだってば! 何でこの流れで分かんないかなあ!?」



逆ギレた。
ついでに重大な二文字も滑り落ち。
言い終えてからはっと我に返り、羞恥と後悔に身を悶えさせる。
924 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/03/18(金) 13:43:06.95 ID:SMLw9DYPo

(色々ともう駄目だ……おわた)


たった二文字から成る言葉。日常で知らず知らずのうちに使っているかもしれない言葉。
それなのに、言いたくて、でも言えなくて。言おうとしてもやはり言えない。
猫や甘い物、……あの男に対しては口にすることができたのに。
そんな不思議な言葉は半ばやけくそ気味のように叫ばなくとも、もう少し大切にしたかった。
早くも傷心気味の番外個体に関係なくわたわたと慌てているのは一方通行で、


「す、すきって、ハァア!?」

「うるさいうるさい! 掘り返すなあ! ていうか顔赤くしてんじゃねー!」

「なってねェし! そりゃオマエの方だろォが!」

「ち、ちが、ミサカはそんなことないもん」


ぎゃあぎゃあと下らない争いを繰り広げる二人だが、両者の言うことは至って的を射ている。
事実、一方通行も番外個体も、真っ赤に染めた顔は隠しようがない。

925 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/03/18(金) 13:44:11.79 ID:SMLw9DYPo

「取り敢えず落ち着け……、良いか、深呼吸だ」

「わ、分かった。あなたはムカつくけどそれが一番効果的だろうしね」


吸ってー吐いてーとラジオ体操のような典型的深呼吸をするのが一方通行で、


「しっ深呼吸深呼吸! ……ひっひっふー、ひっひっふー」


何かを産み落とそうとしている馬鹿は番外個体だ。
一方通行に頭をはたかれて、


「なァにを出産するつもりかなァ番外個体ォ!?」

「あいたぁっ! だだだって、芳川に教えてもらった呼吸法なんだもん! 研究者が言うんだから間違いないよ」

「あンのクソアマがァ……」


何だかうっすらと悪意的なものを感じるのは気のせいだろうか。
しかし、そのお陰というのもおかしいかもしれないが一度冷静になることができた。
隣で未だに深呼吸している番外個体をちらりと横目で見、


(つーかどォすりゃ良いンだこれ)


好意という感情そのものに慣れていないし、況してや真正面からそれをぶつけられるなど初めて。
当然ながら、一方通行は戸惑っていた。
好きとはどういうことなのか。
恋人同士が確認を取り合い、囁きあうような、そんな好きだと受け取って良いのだろうか。


「そ、それで……。あなたはミサカの言いたいこと、分かってくれたのかなあ」


そんなことを考えて頭を捻っていると、番外個体の控え目な声が聞こえてきた。
どうやらある程度の平常は取り戻したようだが、やはりまだ顔は紅い。
いじいじと毛布の端を弄るその姿は、見る人が見れば彼女の素体、お姉様こと御坂美琴にそっくりだと思うだろう。
926 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/03/18(金) 13:44:47.46 ID:SMLw9DYPo



「……それに関しては――、スゲェ、嬉しい」


強く惹かれている相手から、『好き』と言われて喜ばない者はないだろう。
そしてそれは、一方通行だって例外でない。
今も心臓はヤバいんじゃないかと思うくらい働き者になっているし、頭の隅では夢ではないかと疑っていたりもする。

ここで番外個体を受け入れれば、きっとハッピーエンド。
望んだことだったではないか。
彼女が他の男に目を向けているとき、ずきずきとした痛みによく悩まされたものだ。
それ程彼女のことを強く思っているし、受け入れる――つまり自分も好きだと言えば、言ってしまえば、その痛みに嘖まれることもゼロに等しくなるのだろう。


しかし。


「……けどよォ、」


一方通行は思うのだ。
この自分は、その綺麗な想いを与えられるような人間ではない、と。

927 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/03/18(金) 13:45:59.59 ID:SMLw9DYPo

「……この俺がこンなこと言うと笑い話に聞こえるかもしれねェが、『好意』ってなァ色ンな種類がある」


一方通行は行儀悪くガラステーブルに腰掛けて、静かに言う。
未だに桜色の顔を俯かせ、ベッドにちょこんと座っている番外個体の肩が微かに震えたような気がした。

多分、傷付ける。
そして彼女は泣くのだろう。誰も居ないところで、独りぼっちで、泣くのだろう。そのくせいつもの様に、笑ってみせるのだろう。
けれどそれでも、一方通行は言わなければならない。
番外個体の為に、その気持ちを無下にしなければならない。


「羨望、友誼、丹心、尊敬。何も恋愛感情だけが『好き』ってわけじゃねェだろォが」

「知ってるよ」


即答だった。
やはり泣くかもしれないとか、そういった一方通行の懸念を振り切って。


「それを踏まえた上で、やっぱりミサカはあなたのことが好きなんだ」

「……恋愛対象としての好きって、『あの男』に抱いてたよォなモンだろ。俺にそれを向けるのは違うンじゃねェの?」

「……違ってたのは、寧ろそっちの方だったのかもしれないね」


バイト先で出会った一人の男。
どうにかして近付こうと、彼に会うときは服装だって色々悩んだし、一方通行や麦野に相談を持ち掛けたことも一度や二度ではない。
話すと楽しかったし、何より仲良くなりたかった。だから、それが恋だと思い込んでいた。

しかし。
今一方通行に抱いているものと比べれば、それはとてもとてもちっぽけなものに思えてきて。
これ程までに胸がどきどきするのは初めてで、これ程までに切なくなるのは初めてで、これ程までに一緒に居たいと思うのは初めてだったのだ。


「これが、ミサカが今抱いているこの想いが、誰かに恋をすることなんだ」

930 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/03/18(金) 13:50:07.94 ID:SMLw9DYPo

「俺に好意を抱くってことは、裏を返せば俺をよく思ってねェヤツ等の敵意を買うってことになる。
 ……それがどれだけのモンか、分かってンのか」

「うん。まぁ、こうしてあなたと暮らしている時点で覚悟はできてるよ」

「……本気か」

「地獄の底まで付いていくよん」

「…………本当に、オマエってヤツは……」


一方通行が呆れを隠そうともせずに溜息をついた。
本当に、呆れてしまう。
真っ直ぐすぎる番外個体にも、その覚悟に呆れを装っているに関わらず、内心嬉しく感じている自身にも。


「馬鹿じゃねェのか。何が地獄の底だっつの。……オマエが行き着くべき場所じゃねェだろォが」


彼女は強い。素直にそう思う。
気持ちに言い訳をつけて何もしなかった自分よりよっぽど強いではないか。

気持ちを伝えることで日常は質を変えるかもしれないし、一方通行に好意を抱くとはどういうことかは先程言い聞かせたのに。


……それでも答えは決して揺るぐことは無かったのだが。


その意思と覚悟には、呆れを通り越して感服する。


「――俺から、言えれば良かったンだけどな」

931 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/03/18(金) 13:51:16.29 ID:SMLw9DYPo

ぼそりと吐き出された言葉の意味が、番外個体にはよく分からなかったらしい。
きょとんとした表情を浮かべるそんな彼女から、ヘタレと言われようがチキンと言われようが、これでは否定することなどできやしない。
番外個体から言われなければ、一方通行が抱える想いは封印されたままであっただろうことは明白で。
格好がつかないこともまた然り。
それでも、チャンスはここに存在している。


「……一回しか言わねェからな」


立ち上がって、ベッドに座る番外個体をしっかりと見据え。


「な、何?」


番外個体自身でも嗤ってしまうような惚れ込みっぶりだが、緋い緋い瞳から射止められると、それだけで彼女は蕩けてしまいそうになる。
だから正直なところ、その視線に耐えきる自信ははあまり無かったものの、それでも彼女はしっかりと受け止めた。
端正な顔立ちと細身の身体は女の自分から見ても羨ましいと、場違いながらにも嫉妬する。

両者の視線は揺るがない。
互いを射抜くかの如く、真っ直ぐに。

932 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/03/18(金) 13:52:45.26 ID:SMLw9DYPo




――もう、これで十分ではないか。しっかりと自分を見てくれるのだから。



(ミサカを見てくれる。ちゃんと、誤魔化さないで見てくれる。お釣りあげても良いくらいに十分過ぎだよ)


番外個体はこれ以上を望むほど贅沢者でも身の程知らずでもない。
だから本当に、もう他のものは譲ってしまっても文句はないと、これ以上は望むまいと。
自身に言い聞かせ、納得させたのに。


なのに、なのに、なのに。


どうやら神様は、そしてこの人は。
こんな自分にも、もう少しだけ、とびきりの幸せを与えてくれるらしい。


933 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/03/18(金) 13:53:40.75 ID:SMLw9DYPo






「好きだ、番外個体」





934 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/03/18(金) 13:56:07.03 ID:SMLw9DYPo

「ふ、にゃあ……」


その瞬間。                    、、、
好きだと告げられたその瞬間、番外個体は溶けた。
座っていたベッドの上にもう一度転がり、毛布に顔を埋めて悶え出す。
じたばたと振り回される足がさりげなく男性の急所を蹴り上げたりしたのだが、そんなことに気が付くような余裕はないらしい。
予想外の襲撃に悶絶する一方通行を差し置いて、


「ほほほ本気で言ってんの!? わけが分からないよ。うん、マジで」

「な……、ンだとコラァ! オ、オマエ、今更ドッキリでしたァとか言われても知らねェからな!」


血が乱れた高波を立てて一方通行の心臓をどくどくと出入りする。
暑い、と感じた。
暖房は消したはずなのにそう感じるのは、余程自分の身体が火照っているからだろうか。
その熱さの中で毛布に顔を埋める番外個体の根性は見上げたものだ。
紅潮を誤魔化すように呆れた表情を作り、平静を装う。
本当は目覚めがてらに番外個体を視界に捉えた時からずっと、心拍数は上がりっぱなしなのだが。


「オイ、暑くねェのか」

「……とう?」

「ン?」

「本当に? ミサカのこと、その、……すき、っていうの。信じても、良いのかな」


心臓が跳ねた。
一際大きく跳躍し、正に『射抜かれた』。
潤んだ瞳の上目遣いに、ほんのりピンクの頬。不安げに毛布を抓まむその姿は、


(ちくしょう、何だよガキみてェに小さくなりやがって。……可愛いじゃねェかクソッたれ)


破壊力抜群、一方通行の心を見事に抉り取ったのだった。


「ンなこと、冗談で言うと思ってンのか」

「だ、だって……ふえぇ」

「泣くな泣くな。ったく、オマエは何歳児だっつの」

「うるさい。……泣いて、ないもん。あ、あなただって顔赤いし」

「あァ!? し、仕方ねェだろ。あれだ、暑いンだよこの――」


言い訳がましい一方通行の言葉が途切れる。

番外個体に抱きつかれたと気付き、一瞬心臓が止まるまで数秒かかった。
935 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/03/18(金) 13:57:00.31 ID:SMLw9DYPo


「大好き」

「……あァ」

「この場所も、あなたも。……全部全部、ミサカのものだ」


素直に気持ちをぶつけてくる彼女が羨ましいと一方通行は思う。
別に、ぎゅうぎゅうと押し付けられる柔らかいモノを無駄に意識していたりするわけではない、断じて違う。
本当に、羨ましいと思ったのだ。
こうも素直に想いを言えたならばどんなに良いか。
彼の性格故、それが可能になるまではもう少し時間を必要としそうだが、何も想いを伝える術は言葉だけではない。


「んう、ちょっと苦しいんだけど。そんなにミサカの胸の感触がお気に召したのかにゃん?」

「るせェ、オマエは少し黙ってろ」


そう、行動でだって表せる。
温かく柔らかな身体を、しっかりと、放さぬように、抱き留めてやれば良い。

936 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/03/18(金) 13:57:59.08 ID:SMLw9DYPo

番外個体はというと、先程までの遠慮がちな態度とは打って変わり、いつもの調子を取り戻しつつあるらしい。
少ししおらしくしていた方が可愛いンじねェの、と苛めてやりたい衝動に駆られるが、多分泣かれるので止めておく。


(それにやっぱり平常運転が一番……その、何だ。落ち着くとか思ってるわけじゃねェ)

「ね、もう一回」

「……ン、あ、あァ?」

「ひゃひゃ、らしくなく好きだって言ってみてよ。キリッ! てさあ」

「……、絶対言わねェ」

「み、ミサカのことは好きじゃないって言うのねっ!」

「なァンでそォなるンだよ!?」


一方通行の肩の辺りに顔を埋める番外個体が脅迫紛いの要求をしてくる。
何だか泣き出しそうな空気まで醸し出されて、学園都市の第一位と謳われる男はというと、


「……分かった分かりましたよ、だからぐずってンじゃねェ」


溜め息を漏らし、しかし簡単に折れてしまった。
丁度良い機会といえば、そうかもしれない。
自分から言うのはなかなか難しいだろうし、だったら言える時に言ってしまおうではないか。
すう、と空気を吸い込んで、覚悟を決める。
耳元で、囁くように。



「好きだ。……あァちくしょう、そンなンじゃ足りねェよ。……愛してる」


937 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/03/18(金) 13:59:12.31 ID:SMLw9DYPo


その時、番外個体の身体が微かに震えたことに一方通行は気が付いた。
ぴくんという小さな振動が伝わってきて、そして、


「ひにゃう」


という、『どっからその声出してるの?』的な変な声。
当の本人はまるでそれらの事実を隠蔽するかの如く、


「……うん」

「何が『うン』だオイ」


何だか拍子抜けしたというか、緊張や、『愛してる』などと思い返せば偉く恥ずかしいことを言ってしまった羞恥が若干緩んだ一方通行。
ひにゃうって何だひにゃうって、と内心突っ込みたいのだが、番外個体の方はそうも気楽に構えていられないらしい。

彼女の茶髪の間に覗く耳が赤くなっているところを見ると、恐らく顔の方も朱に染めていることだろう。
羞じらうように大人しくなった番外個体を見て、一方通行は予想する。


「……オマエ、もしかして耳弱ェンだろ」


面白いことを見つけたと言わんばかりの調子でもう一度、囁きかけた。
番外個体の耳のすぐ傍で低く放たれた言葉は、彼女の背中をぞくぞくと這う。


「あ……っ、そ、そんなことない! 全然平気だし」

「へェ。ならどこまで耐えられるか、試してみよォか」


一方通行が引き裂かれたような、悪戯な笑みを浮かべた。
938 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/03/18(金) 14:00:57.95 ID:SMLw9DYPo

どうやら番外個体の弱点の露呈は、一方通行の嗜虐心に火を点けてしまったらしい。
そのことを悟った番外個体は焦ったように身を捩るも、


「やめ……、ひぁあっ!?」


ちろり、と。
耳の輪郭をなぞるような、温度を有するこそばゆい刺激。
頭の中で微かに、それでいて鮮明に響く水音。


「な、何して……っ、ぅあ、」


何を、されている?


「あ、やめ……、くすぐった、ぁっ、ん、」


身体が熱い。
体温が馬鹿みたいに上昇していくのが分かる。
ここでやっと、耳を舐められていることを理解した。
何をされているかが分かってしまった今、羞恥心が更に何倍にもなって沸き上がってくる。


「もう、やだあ……っ」


恥ずかしい。
たかが耳を舐められるだけでこんなに乱れてしまうなんて。
一方通行にも当て嵌まることだが、完全無菌培養、つまり『外部刺激がないまま』ここまで大きくなった番外個体は、他人に比べて敏感だ。
それに加え、元からの体質もあるかもしれない。
ともかく、彼女はどうやら『感じやすい』ようで、悔しいことながら、現に身体に走る刺激に支配されつつあった。

このままでは理性がぶっ飛んでしまいかねない。
そう危惧しての「もう嫌だ」という意思表示だったのだが、


「オイオイ、もォギブですかァ? 全然平気だなンてどの口が言ったンだっけかなァ。
 まァ、平気っつゥ割には随分とはしたねェ声洩らしてるしィ? 可笑しいとは思ってたンだけどよォ」

「うるさ、い。っ、」


楽しそうに、楽しそうに。一方通行は遊戯を止めることをしない。
そのうち唐突に首筋を舐め上げられて、番外個体はびくりと大仰に身体を反応させた。
それが彼の思惑通りだったようで、悪戯に成功した子供のように、無邪気な残酷さを含んだ笑みを浮かべる。


「ハッ、ちと敏感すぎンじねェの?」

「あなたに、んっ、言われたくない」


そんな男の背中に爪を立てた。
段々と足に力が入らなくなってきて、けれど大人しく身体を預けるのは何だか癪で。
番外個体なりのせめてもの抵抗だったのだが、意味を成さない。


「……良い度胸じゃねェか」


熱を帯びた吐息を感じた。
940 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/03/18(金) 14:02:19.39 ID:SMLw9DYPo

それにすら、身体は反応する。

頭の中が、身体の芯が。熱く熱く、融解してしまいそうになる。
恥ずかしい筈なのに、止めて欲しかった筈なのに。
一方通行に意地悪をされていることに身体は悦んでいるようで。
胸の奥では今の状況に歓喜し、更なる刺激とサディスティックな彼を欲しているようで。


「一方通行、一方通行ぁ……っ」


ぎちぎちと彼の背中に爪を食い込ませたまま、うわごとのように求める。


「どォしてほしい?」

「わ、分かんない、よ」


ふるふると首を左右に降る番外個体は、とうとう泣き出してしまった。
ぐずぐず、えぐえぐと嗚咽が漏れる。

どうしてほしいかと聞かれても分からない。
ただただ一方通行が、彼そのものが、欲しくて欲しくて堪らないのだ。
それを彼女自身の口から言わせようとする一方通行の意地の悪さ、襲い掛かる刺激と欲求への困惑、僅かに残る理性が訴え掛けてくる羞恥。

全てがぐちゃぐちゃに溶け合い、錯乱し、番外個体の瞳を濡らす。

葛藤、迷い。
ほんの少しの理性――虚勢に似たそれと、どろどろに溶けきった自身がせめぎあう。
しかしそれも、長くは保たず。


「ひゃうっ」


不意打ちで耳たぶを甘噛みされ、ぴりぴりとした静電気みたいな感覚が身体中に走り回り、遂に。

決壊する。


「あ、あなたが欲しいっ! これだけじゃ、我慢できないんだよう!」


身体が火照り、瞼を固く閉じても、涙がぽろぽろと溢れてくる。
痴情に支配されているという自覚があるからこそ、沸き起こる羞恥に耐えることが難しい。
理性など、全て棄ててしまえば楽なのに。

941 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/03/18(金) 14:04:38.91 ID:SMLw9DYPo

彼女が吐露した心中に、一方通行は驚いていた。
まさかこうもストレートな言葉をぶつけられるとは思っていなかった。


『あなたが欲しい』


そう言ってくれた少女を前にして居た堪れなくなり、ブラウンの髪を優しく撫でる。
艶やかなそれは微かなシャンプーの甘い香りを伴いながら、一方通行の指の間を滑っていく。
彼の肩の辺りに顔を埋める番外個体は泣き出してしまっていて、少し苛めすぎたかと今更ながら彼に反省を促した。
普段活発で、得意分野が一方通行を困らせることという番外個体。
そんな彼女が控え目にこちらを気にしてきたり、弱みを露にしたりすると、どうも嗜虐的な部分が疼いてしまうのは悪い癖だ。
そういえばクリスマス前日にも、言葉で苛めてやったら泣かれてしまったことを思い出す。

なるべく声を漏らさないように堪えている番外個体の背中を擦りながら、


「……ふ、うぇ……」

「ン、よく言えました。ほら、顔上げてみろ」

「……んぇ、ひっく、」

「人の着てるモンに拭うのかよ……」


一方通行が着ているスエットに、ごしごしと主に目元を擦り付ける番外個体。
それから怖ず怖ずといった様子で、ゆっくりと顔を上げた。
一方通行より頭ひとつ分ほど背の低い番外個体は、軽く彼を見上げる形になる。
充血し、濡れた瞳の上目遣いはどこか色っぽく、彼の心臓を鷲掴みにした。


「……瞼、腫れンぞ。つーか案外すぐ泣くのな、オマエ」

「うるさい。あなたの、せいだ」


――このミサカがおかしくなっちゃうのも、全部。


そう付け足して、番外個体は口を噤む。
静まり返った部屋の中、心臓の音だけは妙にはっきりとそれぞれの頭に響いてくる。
至近距離にいる相手に聞かれるのは何だか気恥ずかしくて、聞こえていないだろうかと気掛かりだ。



「……待ってた」



その中で、呟いたのはどちらだったか。

943 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/03/18(金) 14:06:29.79 ID:SMLw9DYPo

『……待ってた』


こうして抱き合い、見つめ合うことを。
素直な気持ちを伝えることを。


孤独に折れて、人肌に逃げた夜もあった。
お互い殆ど言葉を発せずに黙黙と行った、暗闇の中での淫らな行為。
後悔も自責も言い訳もした。

恋人でもないのに、それをはじめとして一緒に寝たし手も繋いだ。
順番は明らかにおかしくて、それでもひとつだけ、決して一線は越えなかったことがある。
それこそ一番、強く待ち望んでいたもので。


「……番外個体」

「うん」


一方通行の両手が、番外個体の頬を包み込むようにして添えられる。
熱を持った皮膚は柔らかで、触れていて気持ちが良い。
まだうっすらと残る涙の後を親指で拭うと、それが心地良かったのか彼女は目を細めた。


そんな番外個体が酷く愛おしい。

彼女の細めた瞳は何時しか閉じられ、


「……やっと掴ンだンだ。他には渡さねェ、渡して堪るか」


小さな小さな、少女にだけ届く程度の一方通行の呟きの直後。
守り通してきた一線が、遂に越えられる。


もう我慢する必要も躊躇う必要もなくなった。
正当な関係で、正当な理由を持って。


ちゅ、と微かな音。
聞き取れるか否か、それくらいの小さな音を立てて。

二つの唇が、重なった。
944 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/03/18(金) 14:07:32.51 ID:SMLw9DYPo

今まで大切に大切に、これだけは自分が奪ってはならないと一方通行が考えていたもの。
理性を失っていたセックスの際でさえ、及ばなかったもの。
……自分には資格すらないと一蹴していたものの、もしかすると何処かでは、心の片隅では望んでいたかもしれないもの。
まさかこうしてすることになるとは思いもしなかったもの。


キス。
初めての。


……といっても外人が挨拶するときのような、至って健全なものである。
互いの唇が触れ合っていた時間はほんの数秒間、最早一瞬といっても過言ではないかもしれない。
キスか『ちゅー』か、どちらかといえば後者寄りだ。
その行為を終えた一方通行からしてみると、


「……しょっぺェ」

「な、なな、初めてのち……、……ちゅう! した第一声がそれえ!? 
 み、ミサカはこんなにどきどきしてるのに、あなたはあなたは……うぅ……」

「いやいやそこ泣くとこじゃねェだろ、オマエが駄目とか言ってるわけじゃねェし。……なンつーか、涙の味がしたンだよ」


赤くした顔を不安げに歪め、自分に何か不足があったのだろうかと懸念する番外個体とフォローに回る一方通行。
一見すると一方通行の方は冷静に感じるかもしれないが、そんなことはない。
番外個体同様に、今までで一番といって良いくらい顔を朱に染めているし、


「じゃあ、あなたも……その、どきどきとかした?」

「随分と恥ずかしい質問だなオイ。それに答えろってどンな罰ゲームだよ……」
945 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/03/18(金) 14:08:33.60 ID:SMLw9DYPo


どきどき。
心臓がぎゅっと締め付けられて、呼吸するのが苦しくなる。
けれど不思議なことに、今感じるそれは嫌じゃない。


「……してるよ。ちくしょう、スゲェばくばくいってやがンだ。オマエと居ると馬鹿かってくらいに」


一方通行が苦い顔をして忌々しそうに言った。
番外個体の方は対照的に、


「うにゃあ」


さも嬉しそうに、彼の胸にすりすりと。
暫くはそれで甘えん坊モードの彼女だったが、やがて何か思い出したように、


「そういえばさ、あなたって意外とヘタレだよねえ。ひゃひゃ、何だよあの『ちゅう』。
 ミサカもっとディープなのを想像してたんだけど、あれじゃあ今時マセガキにも馬鹿にされちゃうよ?」

「オマエも十分マセガキだボケ。つーかよォ、初めてでいきなりそれは流石にねェだろ」

「マセガキ相手にこんなことやあんなことしてるあなたはロリコンかにゃーん? 大体ミサカ達は今更ちゅうごときでって感じじゃない?」

「それを言っちまうとなァ……」

「あーあ、ミサカがっかりだなあ。なーんていうか、恋人っていうの? 
 そういうのより親御さんみたいなちゅうだったよね。別にあなたに期待していたわけじゃないけど」


些か大袈裟な、演技臭い物言いをする番外個体。

その『ちゅう』で、彼女がどんな表情を浮かべていたか。
それ以前に、自ら『どきどきした』などと言っていなかったか。

しかしそれを言ってやるのは少々野暮というものだ。

946 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/03/18(金) 14:09:39.07 ID:SMLw9DYPo

「ナニ? オマエはこの俺を挑発して何がしてェわけ? ――って、あァ、そォいうことか」


眉根を寄せて番外個体の話を聞いていた一方通行だったが、その口角が釣り上がる。
意地悪で凶悪で残酷な、それでいて無邪気な、そんな笑み。


「あなたが欲しい、これだけじゃ我慢できない――、だったか。へーえ、そォかそォか」


ニヤニヤと、いたぶるように。


「身体が疼いて? もっと大きな刺激が、快感が欲しくなった? 
 だから舌ァ絡め合ってどろっどろに溶けちまうよォな、そォいうのを求めてたンだろ」

「……っ」


普段の調子を取り戻しつつあったように見えた番外個体が、言葉を詰まらせて目を逸らした。
そんな彼女を小馬鹿するように、一方通行は唇を歪める。


「ハッ、顔赤くして図星ってかァ?」


彼が揶揄するように、淫靡な行為を焦がれていたかと聞かれれば――完全に否定することは出来ない。
それなりの覚悟はあったし、熱い身体はそれを密かに期待していた。

そして今も、身体の熱は冷めきっていない。
奥深くで燃え、じんじんと訴えかけてくるのだ。


「……なァ、言ってみろよ。具体的に、何を望むのか。それが上手にできたら――」


ご褒美をくれてやっても良い。


「……あ、ぅ」


低く響く、番外個体だけに囁きかけられる甘美な誘惑。
『ご褒美』という単語に身体が震えた。


――欲しい。
947 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/03/18(金) 14:10:48.48 ID:SMLw9DYPo

一方通行とは、普段はそれなりに優しい人だと番外個体は考えている。
本人にそう言ってやるのは最高の嫌がらせになるだろうし、彼女の自惚れかもしれないが、
思い返してみると常に一方通行は自分を優先して考えてくれていた。
しかし、彼はそればかりでないのも事実。
言ってしまうと、『S』なのだった。


「……意地悪、しないでよう」

「それとは違うンだよなァ、無理強いしてるわけじゃねェし」


そんな男に嬲られている。
恥ずかしいし悔しいし、それなのに――少しだけ、本当に少しだけ、嬉しい。


……嬉しい?
喜んでいるなんて、普通じゃない。どうかしている。


そう分かっているのに、頭の中ではそう認識できているのに。


「言えねェの? 満たしてェンだろ? ……まァ、さっきも言ったけど無理強いしてるわけじゃねェ。もォ今日は――」

「……て」

「あァ?」

「もう一回……して……」


流れに身を任せ、逆らわず。
身体はだらしなく求め、懇願し、自ら溺れることを望んでしまう。

949 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/03/18(金) 14:11:47.88 ID:SMLw9DYPo


「も、もう一回、……ちゅうして欲しい。今度は、うぅ、あなたがさっき言ったみたいに……」

「さっき言ったみたいにって言われてもなァ、詳しく言ってくンねェとよォ」


分かっているくせにわざわざ番外個体の口から言わせようとする一方通行。
そのたちの悪さに、番外個体は瞳に涙を浮かべながらも縋り付く。


「舌つかって、もっとしてほしい……っ」

「ン、及第点」


主導権を握っていたのは明らかに一方通行だが、実のところ、逸る気持ちを抑えるのは中々に困難を要していた。
想い続けていた少女からの想定外の告白もといプロポーズ、キス、そして今の状況を考えれば当然だろう。
そんなわけで、涙目の番外個体から上目遣いに懇願された後はそれ以上焦らすことなど最早不可能だった。

だから合格通知が彼女の鼓膜に届いたのとほぼ同時。

抑えられなくなった『ご褒美』を、落とす。


「ん……っ」


熱くて淫らなディープキスは、二人の身体に火を点けた。

951 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/03/18(金) 14:14:31.03 ID:SMLw9DYPo

「ん、っふ、」


最初はゆっくりと慣らすように、時間をかけて、丁寧に。
互いの唇を味わい、探るように舌を突っつき合う。
つんつんと先端を触れ合わせるだけで、ぴりぴりとした刺激が駆け回った。
それだけで力が抜けてしまいそうになるのを何とか堪える。

ただやはり少し辛かったのか、番外個体は一方通行の腰の辺りに添えていた腕を彼の首に回した。
身体を彼に任せ、行為と快楽に沈み込んでいく。


「んむ、……あ、んんぅ、」


接吻は徐々に激しさを増していく。
それに伴って呼吸は弾み、喘ぎ声も一層大きく艶やかに。


「んぁっ、ふぅっ……、ンッ、」


魂や精気といったものを喰らい尽くすかの如く、とことん貪欲に相手を求め、貪り合う。

いつしか番外個体は一方通行に顎を持ち上げられ、ただただ彼を受け止めることしか出来なくなっていた。
唇から舌の裏側まで、口内をくちゅくちゅと卑猥な音をたてて這いずる舌の動きに犯される。


「はぁっ、んふぅ、」


普段あまり意識することはないかもしれないが、舌とは立派な性感帯のひとつだ。
そんな部分を集中的に攻められれば、敏感な人にとってはかなりの快感に繋がる。
勿論番外個体もそれで先程から声を漏らしているのだが、遂に限界を来したらしい。


「っあ!?」


かくんと膝が折れて、一方通行の首の後ろに回していた手が解けた。
支えを失った身体は力の抜けた頼りない足ではバランスを保ちきれず、丁度後ろのベッドに沈む。
ふたつの唇から唾液が銀色の線を引いて、切れた。


「はっ、はぁっ、一方通行ぁ……」


奪われた酸素を取り戻そうと肩を上下させる番外個体は、ぐずぐずに溶けた声と物欲しげな顔、とろんとした瞳で見つめてくる。
ぬらぬらと妖艶な光沢を放つ彼女の唇、その端からつ、と線を描いて零れる唾液。


「……すっげェエロいことなってンぞ」


その姿を見て自制を利かせることなど、どこの男が出来よう。
かの旗男だってこんな表情をされては、遂に一人、コイツを選ぶだろうと一方通行は彼女贔屓に考える。
そして間抜けなことに、それにすら嫉妬した。
952 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/03/18(金) 14:16:36.10 ID:SMLw9DYPo

(ちくしょう、馬鹿じゃねェのか。自分で考えておいてこれかよ、笑えねェ……)


他の男に番外個体を奪われるなど、考えるのもおぞましい。
馬鹿で醜い独占欲や嫉妬だということは分かっていても、堪らなく不安になる。


己の気持ちや欲求、その全てを素直に呑み込み、番外個体の気持ちに応えることを決めた今だからこそ。
彼女無しの生活は一体どんなものに成り下がるのだろう、と。


そんな不安を振り切るように、彼女が零した唾液を舌で掬い上げた。
そしてそのまま、ベッドに押し倒す。


「ひゃあ!? ちょ、なぁっ!?」


それには虚を衝かれたのか、思考がうっとり鈍り気味だった番外個体も目を丸くした。
覆い被さるようにして一方通行が上に在るものだから、普通に正面、つまり天井を仰ぐだけでも彼とばっちり目が合ってしまうことになる。
先程まで口吻を合わせていたにも関わらず、番外個体は緊張に視線を逸らす。


「は、恥ずかしいんだけど……。この体勢とか、なんていうかもうね」

「『そォいう行為』を思い浮かべちまう時点でオマエの方がよっぽど恥ずかしいヤツだよ」

「べっ、別にそういうわけじゃ――ぁっ、」


一方通行の指摘を焦ったように否定した番外個体だったが、不意に感じた首筋への甘い刺激に身を跳ねさせた。
そしてそれは一度に留まらず、首筋、耳、鎖骨と口付けが落とされる。
すべすべした肌に印されていく赤い痕。


「ひうぅ、ちょ、あぁっ、ミサカそこら辺、だめなん、だってばぁ……!」


特に鎖骨となれば、心臓にも胸にも近いわけで。
鼓動が聞かれてしまわないかとか、その振動が伝わってしまわないかとか。更には、


「み、ミサカTシャツの下に何にも着てないし着けてもいないんだよう!」


見えてしまわないか、とか。

帰ってきてから家着にしているTシャツに着替えたせいで、窮屈なキャミソールやブラジャーといった類のものは疾うに洗濯機に投げ込まれていたのであった。
953 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/03/18(金) 14:18:03.32 ID:SMLw9DYPo

それを聞いた一方通行の動きが止まる。
番外個体が羞恥のあまりぎゅっと閉じていた瞳を恐る恐る開くと、


「な、何? 何か目線が若干下のになってるけど」

「い、いやァ、だからその、何つーか。……それで透けてンのかなァと」

「ッ!?」


衝撃の事実を告げられて、番外個体が狼狽する。
身体を起こす暇も惜しんで音速並みの速さで顎を引き、

……『お母様』譲りの豊かな膨らみのトップは、確かに勃ち上がって存在を主張していた。


「や、これはちが、う、ふぇぇ……毛布、取って」


今日だけで何度目か、じわじわと番外個体の瞳に涙の膜が浮かぶ。
羞恥のあまりこのまま消えてしまいたいとさえ考えて、しかし頭上からの声で掻き乱された。


「……ったく。目ェ赤く潤ませて泣きそォなツラしてよォ、逆効果ってのが何で分っかンねェかなァ」


昂ぶった声は番外個体の中に巡る血を凍らせ。
それでもぞくぞくと、彼女の身体は歓喜に震えてしまう。
954 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/03/18(金) 14:19:37.56 ID:SMLw9DYPo

「つーかオマエ、やらしいよなァ。キスだけでこンなにしちまってよォ」

「な、何言って――ぁあんっ!?」


びくん、と。
今までで例をみないくらい大きく身体が飛び跳ねて、背は海老のように反った。


「大体よォ、男と暮らしてるってのにこれはねェンじゃねェの? 誘ってるよォにしか思えねェンだけど」

「誘ってなんかぁ……っ、やぁっ、ひぁんっ」


Tシャツの上から。
片方は指で、もう片方は一方通行の口内で。
小さな突起物は優しく優しく転がされ、押し潰され、吸われ、そして不意に甘噛みされる。
薄い布に染み込んだ唾液の湿った温度と変化する刺激、そこから生まれる快感。


「おーおースゲェな、硬くして上向かせて。服の上からでもびンびンになってンのが丸分かりじゃねェか。こォやって弄られて悦んでンのか?」

「だって、きもちよくてぇっ、あぁっ、頭、おかしくなっちゃ、ん、はぁっ」


きもちいい。
ただそれだけが思考を埋め尽くし、もっともっとと、更なる快楽を求めて疼く。


「ココ、自分で弄ったりは?」


番外個体はふるふると首を左右に振って否定する。
自慰は一度だけしたことがあるものの、その一度で胸は触りもしなかった。


「じゃァ現在進行形で開発中ってワケか。これが終わったら今度は自分でやってみるのも楽しいかもなァ?」


ぼやけた頭に響いた声。
言葉で責められ、辱められているという事実にぞくぞくとよく分からないモノが駆け上がる。

955 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/03/18(金) 14:21:48.21 ID:SMLw9DYPo



「あ、あぁっ、ちょ、やめ、」


と、今まで本気の抵抗をしなかった番外個体がじたばたと暴れ始めた。
身体を捩り、逃れようと躍起になる。
しかし力は殆ど抜けきっているし、挙げ句胸を愛撫されていては残った僅かな力も思うように扱えない。


「オイオイ、今更我に返ったってかァ?」

「お願いだからぁっ、このままじゃ、んぁっ、」


――絶頂に、達してしまう。


一方通行はそんな彼女の胸の内を何となく察したのだろう。
しかしだからといって、お願いを素直に聞き入れてやるほど彼は優しくできてはいなかった。


「理由も無しに言われてもなァ」


片方、指で弄っていた方だけでそれを続け、一旦顔を上げる。
ロゴの入ったサーモンピンクのTシャツはそこの部分だけ濃く染まり、水気を含んだ布はぴったりと肌に張り付いて形を浮き彫りにした。

突起の周りをくるくると円を描いてやりながら、番外個体自ら口を割るのを待つ。
それで大分襲い掛かる快感は軽減された筈だが、それでも彼女の呼吸は乱れたまま、肩を上下させていた。


「うぁ、なんかそれやだぁ……っ。むずむずして、ふぅっ、ん、」


止めてほしい。自ら望み、懇願したことだったはずだ。

だが。
完全に無くなったわけではないが、突如として少なく、弱くなった一方通行から与えられる快感に、番外個体は目尻に涙を浮かべて困惑していた。
何だか焦らされているようで、口と指の両方で弄くられていた時よりも、触れてほしい、気持ちよくなりたいという欲求は一層高まる。


しかし、そうすると今度こそ――

956 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/03/18(金) 14:23:02.93 ID:SMLw9DYPo


「こォやって周りだけ弄られっと物足りねェなァって思うだろ?」


こくこくと、番外個体は素直に肯定する。


「でもそれじゃァ矛盾してるンだよなァ。あのまま続けられるのはオマエにとって不都合だったみてェだし」


そう言いながら一方通行は、恐らく欲求と理性の狭間で葛藤しているであろう少女の膨らみのトップを、


「ひあぁん!?」


指の腹で、ひと撫で。
たったそれだけ、布の上から少し触れられただけで、焦らされ続けた番外個体の身体は大仰に悦んだ。
しかしそれも一度きり。
一方通行の指は再び焦らすように円を描く。


それでもう、駄目だった。
プライドも理性も崩れ落ち、残ったものは淫らな欲求。


「あ、も、もう、もう無理だようっ、んぁ、イきたいのっ、イかせて――っ!」

「ならイっちまえ。こォして見ててやるから、だらしなく達してみろよ」


直後、指先でずっと焦らされていた乳首を軽く噛まれて。

腰が浮いて、一際厭らしい声が漏れて、涙が溢れて力が抜けて。

一方通行の前で、果てた。
960 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/03/18(金) 14:27:56.53 ID:SMLw9DYPo


「……ふあぁ、ねむー……だるー……」


以前、生まれて初めて自慰をしたときもだったが、絶頂に達するというのは中々疲労するものだ。
百メートルを全力疾走したときのそれに似ている。
そこに至るまでの過程にもよるだろうが呼吸は可笑しくなるし、身体も熱く赤く火照る。
発汗だってするし、それだけではなく、


(うぅ……結構お気に入りのショーツだったんだけどなぁ……気持ち悪い)


『行為』中は興奮を誘うのに一役買っていたぬらぬらとした液体が、途端に不快なものに変わったりもする。
といっても、あの後暫くしてから



『た、立てない……、……立ちたくない』

『腰抜けたか? っつってももォ20分は前だぞ、それでもまだ力入りそォにないか?』

『それもあるけど……ず、ズボンにまで染みてきちゃったんだよね……あ、あはは』

『おゥ……、そンなに良かったンかよ。着替えた方が良いなこりゃ。つーことはパンツの方は……っ痛ェ!』

『うるさいっ! 別に気持ちよくなんか……っ、気持ち、よかった、けど……。き、着替えてくる』

『一人で歩けるかァ?』

『無理でもやってやるッ。……そしたら、また来るから。一緒に寝ようね』



というやり取りがあり、現在は着替えもして心機一転な筈だったのだが。
どうやらまだ何となく行為の名残に身体は浸っているようで、思い出す度に火照ってきてしまうのだった。
961 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/03/18(金) 14:29:07.44 ID:SMLw9DYPo


「んぁ……!」

「どォした」

「な、何でもない」


体勢を少し変えようとして太ももが擦れたとき、くちゅりという微かな水音を確かに聞いた。
隣の一方通行に聞こえていなかっただろうかと横目でその表情を盗み見るも、彼も彼で濃い数時間に疲れているのか、
うとうと早めに店終いのシャッターを下ろそうとしている瞼と格闘しているようだった。

こんなことを言えば彼は怒るかも知れないが、その姿は子供を彷彿させる。
つい数十分ほど前までは絶妙な技術で自分に快感を与えていたとは思えないくらいに。
瞼が閉じて、はっとしたように目を見開く光景は何だか微笑ましい。


「……ね、一方通行」


それでも呼びかければ、こちらを向いてくれる。
二人でごろごろするには少し狭いシングルベッドで、互いに向き合った。
数十分前の行為がフラッシュバックして顔が熱くなるも、何とか平常を努める。
962 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(鹿児島県) :2011/03/18(金) 14:31:22.42 ID:EsZbnuPGo
やべええええええええええええええええええええ
ワーストたン可愛すぎンだろォが!
963 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/03/18(金) 14:32:54.05 ID:SMLw9DYPo


「式は、神社で挙げたいな。神前式だっけ? 十二単とか着ちゃってさ、純和風に。
 ……でもチャペルウエディングも憧れるんだよね。ウエディングドレスは女の子の憧れだし」

「そりゃあまた、金のかかりそォなお望みで」

「ひゃひゃ、負債者にはちょっとキツいかな? 
 でもでもミサカ、本当はあなたさえ居てくれれば十分なのよ、にゃーんて。ありゃん、顔が赤いよーう?」

「うるせェ。電気消せそンでもって早く寝ろォ。……挨拶回り、しねェといけねェのかァ?」

「あなたはお姉様に蹴られる覚悟くらいはしておいた方が良いかもね。……許してくれるとは思うけどさ、ミサカ達のこと。
 それとは別に今日苛められたことチクってやるもんね。麦のんにも言ってやる」

「オイ馬鹿やめろ洒落になンねェよ……」

「嫌だったらお詫びのちゅうを要求するよ、なんて言ってみただけ――んっ、ふっ、んん、」

「――ン、……あくまで詫びだァ」

「ふ、ふにゃ……じゃ、じゃあ腕を折られた時の分と、あとは――」

964 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/03/18(金) 14:35:50.16 ID:SMLw9DYPo


過去を忘れたわけではない。
過去をどれだけ悔いて反省しようと、その事実は覆されない。

未来が確立されているわけではない。
未来とはこの二人が似合わないと嘲笑い、同時に恐れていたものでしかない。

けれど、今がある。
取り返しのつかない過去も、幾多に枝分かれした推測不可能な未来も、関係無しに今がある。
しっかりとここに存在している。
過去を償うことは今しか出来ないし、未来を創りあげていくことも今しか出来ない。



「ミサカはあなたの過去も全部全部受け止めて、未来を怖がらないで、今をあなたと歩いていきたいな。
 だからあなたも、ミサカの過去も今も明日も、受け入れろとは言わないけれど、せめて、」

「今更泣きそうな声出してンじゃねェよ。そンなモン、言われるまでもねェ。全部受け入れて、オマエとして認めてやる」

「……うん。ありがとう。……大好き」

「おう」



幼く弱い二人は、決してゴールしたわけでなく。
寧ろ今、スタートラインに立ったに過ぎない。
未来を勝ち取る為に、過去を受け止め今を駆けていく。



「――ところでよォ」

「何? これから本番とかはちょっとキツイよん?」

「オマエの喘ぎ声、薄ィ壁一枚で遮音できてたのか。もしもの事考えっと、何かすっげェ外歩きにくくなるンだが」

「…………、これは、何て言うか。すっごく不幸でびりびりしたくなってくるね……」




おしまい
965VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(関西・北陸) [sage]:2011/03/18(金) 14:38:16.81 ID:AbyktRxAO
え?もうちょいいけるよな?
966 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(栃木県) [sage]:2011/03/18(金) 14:38:50.20 ID:o7ApDMgmo
いやいやただの冗談だろう
967VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(チベット自治区) [sage]:2011/03/18(金) 14:39:20.16 ID:MMRibb+30
スタートラインっつってんだろ?
973VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2011/03/18(金) 14:42:23.05 ID:iN+cWQ8Z0
後・日・談!!後・日・談!!
974 : ◆3vMMlAilaQ [saga]:2011/03/18(金) 14:42:25.77 ID:SMLw9DYPo
長い間gdgdにお付き合い頂いた皆様、本当に有り難う
お疲れ様でした

後日談的なのを後で少しだけ投下するつもり



敢えて触れなかったけど、次スレっていうか何ていうかさ……

一方通行「飯も風呂もできてンぞ」番外個体「それじゃあ、あなたで」

みたいな感じで建てようかなと。やり残したことが結構あるから
こっちを読んでない人でも分かりやすくやっていくつもり
975VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(チベット自治区) [sage]:2011/03/18(金) 14:43:17.71 ID:MMRibb+30
さすが>>1痺れる憧れるゥ!
976 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(栃木県) [sage]:2011/03/18(金) 14:43:43.54 ID:o7ApDMgmo
問題ない、好きにやりたまえ。
全力で支援しよう
994VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(愛知県) [sage]:2011/03/18(金) 18:37:11.96 ID:d+9KDWCd0
もうなんというか>>1

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